第2話「風神カスタム」

「お願いしますっ。これこの通り!」

 吟遊詩人マリーが豹柄のマントを翻して土下座していた。

 彼の目前には魔法剣士シモラーシャ・デイビスがその豊かな腰に両手を当て、剥き出しの足を広げて立っていた。顎を思いっきり上にあげ、ふんぞりかえっている。

「なぁーんでこのあたしが、あんたのくっだらん用事のためにアクアくんだりまで行かなきゃなんないのよ」

「そんな冷たいこと言わないでくださいよお。僕とあなたの仲じゃありませんかあ」

 マリーは顔を上げてウルウルと目を潤ませた。

「そっ、そんな目したってあたしは知らないからね。なんか儲け話があるんなら話は別だけどさ……」

 彼女はマリーのこの目に弱かった。

(子犬みたいでさ。みょおーに可愛いんだもん)

 シモラーシャは少し心を動かされたようである。

 マリーはそれを見逃さなかった。キラリンとマリーの瞳の奥が光る。彼女はそれに全く気がつかなかったようだ。

 マリーは物凄い勢いで立ち上がると彼女の両手を掴み上下にブンブン振った。

「そぉーですかあ。良かったあ。実はいい儲け話があるんですよ」

「えっ?」

 びっくり顔のシモラーシャ。構わず続ける顔面ニンマリ顔のマリー。

「さあさあ、善は急げで歩きだしましょおよお」

 彼はシモラーシャの後ろに回り、グイグイ身体を押し始めた。

「ちょっ、ちょっとちょっとお。儲け話ってどんななのお」

「まあまあまあまあ、歩きながらお話ししますから。とにかく急ぎましょう」

 彼女はげんなりしながら歩き出した。

(まあったく。あんたのマントと一緒で、いったい何考えてんだか……)


 アフレシアの首都アクアは大陸の西海岸側に位置し、シモラーシャとマリーはアクアから東に数十キロ離れた地点まで来ていた。

 ここら辺りは、熱帯特有の密林がかなり広がっていた。そのためか魔族たちが徘徊し、邪道士やイーヴル教徒たちが多く住み着いていて特に危険地帯だった。

 しかし、ふたりには全く恐れというものが無かった。シモラーシャの腕は確かに評判通りだったし、マリーも霊力はないみたいだがレイピアを扱わせたら普段の彼からは想像もつかない強さを見せるからだ。

 彼らを止める者はやはり封印された古の邪神たちだけなのではないだろうか。

 そして───

 その二人を見つめる瞳があった。

 そこはその密林の奥深くにひっそり隠れるように建立された神殿だった。

 そしてその神殿の地下、暗くじめじめとした場所にマントに包まれた人物が等身大の鏡の前に跪いていた。

 鏡は縁に豪華な意匠の施された立派な物であった。しかし、その滑らかな鏡の面に今映るはずのない人物が映し出されている。

 少年だった。唇には爽やかな微笑みを浮かべている。

 光線の具合で金緑色にも金紫色にも見える玉虫色の髪をマッシュルーム風に肩でカールさせ、大きくてパッチリとした瞳はその髪と同じく妖しげに輝いていた。

 その鏡と控えるマント姿の人物の間の宙空に、ふざけ合いながら歩くシモラーシャとマリーの姿が陽炎のように映し出されていた。鏡に映し出された少年がクスリと笑う。

「あの子なの。その魔法剣士って」

 軽蔑をこめた声音だった。意外に幼い声である。

「左様でございます、カスタム様」

 控えていた人物が答える。

 分厚いフードに阻まれてその声はくぐもっている。どうやら男であるらしい。

「フン。たかが人間のくせに、僕等も見下げられたもんだね。ちょっと留守してる間にのさばってきてさ」

 若々しく、聞いていて気持ちのよいボーイソプラノだ。それなのに身体全体からまるで闇のオーラのように瘴気が漂っていた。

 彼は控えるその男に鏡の中から冷たい目を向けると、背筋が凍りそうな声で言った。

「本来ならお前のような醜い者など逢うことも叶わぬことなのだぞ。だが、イーヴル様を尊崇するその心に免じて助けたのだ」

「はっ」

 男は跪いた態勢を更に低くして土下座せんばかりになった。

「僕はイーヴル様の一番の部下なんだ。光栄に思えよ。たかが人間風情が口も聞けるものじゃあないんだ」

 彼は再び歩くシモラーシャたちに目を向けた。

「お前は今から僕の下僕として働いてもらおう。これはものすごーく名誉なことなんだからな」

「はっ、有り難き幸せにござります」

「お前には僕の力を自在に使えるようにしてやる。この『風神』としての力をね。取り敢えず僕のために大量の人間の血を流してくれ。永い間封印されてたためにこの結界から出られないんだ」

 苦々しげに彼はそう言った。

「いつの日かあの御方をこの地にお迎えするためにも、この僕が世界を闇と恐怖で席捲(せっけん)しておかなくては」

 風神カスタムはその美しい少年の顔を歪めて宙空に映し出されたシモラーシャとマリーをねめつけていた。


 ザザザザァァァ────

 噎せ返るような深いジャングルの空気。そのジャングルの木々たちが、何かに怯えるようにざわめいた。

 先を急ぐシモラーシャとマリーはハッとして足を止めた。二人の間に緊張が走る。

 ザザザザァァァ────

 再び葉擦れの音。

「魔族か……?」

 シモラーシャは背中の大剣に手を伸ばす。

「どうやらそのようですね」

 さすがのマリーもいつものふざけ半分の口調ではなかった。いつでもレイピアを抜けるようにフィドルに手をかけている。

 ザァァァ───

 旋風が舞い上がった。二人は一瞬、風に視界を奪われた。

 そして彼らが再び目を開けた時、既にそこには敵がいた。目の前、数メートルの地点に女が二人立っている。

「魔族じゃない?」

 シモラーシャは驚いた。感じた殺気は絶対に魔族のものだった。

(なのになんで人間が出てくるんだ?)

 その女たちはジリジリとシモラーシャとマリーに近づいてくる。前に突き出された両手からは瘴気を孕んだ疾風が繰り出されていた。

「なんなのよぉ───これぇ。霊気じゃないじゃないのぉぉぉ───」

 彼女は繰り出される瘴気の風を、素早い動きでかわしながらわめいている。

「どうだね。魔法剣士シモラーシャ・デイビスよ。瘴気入りの風は気に入ってもらえたかね」

「誰?」

 彼女はキョロキョロと首を巡らせた。

 更に一陣の疾風が吹き荒れた。

 すると女たちの前に一人の人物が現れたのだ。まるで風の中から湧き出るように。

 そいつは真っ黒なフードを纏った小さな男のようだった。男はフードを取り払うとその顔を剥き出しにした。醜い顔が現れた。

 どす黒くどんよりとした目は膨れたような瞼の下に隠れ、鈍く光っている。肌は土気色にがさつき、何かの病気を抱えているかのように見える。まるですぐにでも死んでしまいそうなほどだ。

「お前は……」

 どこかで見たような顔だった。背の小ささも見覚えがある。

「あっあ────あの女剣士たちの後ろに隠れて、いつのまにかコソコソ逃げ出した邪道士じゃぁ───ん?」

「闇の祭司だ!」

 男が唾を飛ばしながら怒鳴った。

「なっあ───に偉ぶってんのよぉ。従者ほっぽっといてトンズラこいたくせにぃ」

 シモラーシャはベェーッと舌を出して見せた。

「うるさいうるさいうるさぁ────いっ!」

 男は両方の拳をまるで子供のように上下させて怒鳴り散らした。

「お前などに俺の気持ちが判ってたまるものか!」

「あーあ、わっかんないね。判りたくもないわよ」

 シモラーシャは両の掌を上に向けると肩を竦めてみせた。表情は呆れ返っている。それから一転して彼女はギリッと男を睨みつけた。

「何が不満なのか知んないけど、そのうっぷんばらしされちゃあ困んのよねえ」

 彼女は背中の大剣をスルリと抜きながら喋り続ける。

「あたしはあたしの前をうろちょろして、あたしが進むのを邪魔する奴がだいっっきらいだってこと、よおーっく覚えときなさいよ」

 前に構えられた大剣がパァーッと輝き始めた。

「フン。お前がどんなに強かろうが、カスタム様のお力を授かったこの俺、闇の神官ドドス様にはかなうまい」

 彼は両手をシモラーシャに向かって突き出した。

「闇の神官ですってぇ?」

 彼女の声は裏返っていた。

「笑わすんじゃないわよ。ドドスだかドドメ色だか知んないけど大した邪道士でもないくせにさ。いきがんなさんなよお」

「お、お、おのれぇ……」

 ドドスは怒りで顔を真っ赤にさせた。そしておもむろに呪文を呟きはじめた。


偉大なる気高き汝よ

我に汝の力を与え給へ

吹き荒れよ

吹き荒べよ

その強大な風でもって

全てのものどもに

滅びの風雲を

及ぼさんことを


 翳された掌の、前方の空気がユラリと揺らめく。

「………」

 マリーの眉が不快そうに寄せられた。

 シモラーシャは構わず大剣を振り上げながら走りだす。

「地獄に落ちなぁぁぁぁ───!」

「シモラーシャ、伏せるんだ!」

 慌てて叫んで走り寄るマリー。

「なっ……」

 次の瞬間、横からマリーが彼女を地面に押し倒した。

 ブァァァァ────!!

 間一髪のところを神官ドドスの起こした旋風が頭の上数センチを吹き荒れていった。

 マリーは彼女を守るように自分の身体を覆い被せていた。

 ───トクン…

 シモラーシャの心臓が鳴った。彼の熱い息が頬にかかる。その途端、ガバッと彼女は起き上がると手を上げた。

「あーにすんのよぉぉ?」

 ひっぱたこうとしたその手をガッシリと掴まれてびっくりするシモラーシャ。

「そんな暇はない、逃げるぞ!」

 珍しく怒鳴るマリー。

 彼はヒョイッと彼女を持ち上げんばかりに立ち上がらせた。そこへドドスの次の旋風が襲いかかろうとした───その瞬間!

 いきなり二人はその場から忽然と消えてしまった。

「何だとぉぉ───!」

 さっきまで二人が立っていた場所に瘴気の嵐が虚しく通り過ぎていく。

 神官ドドスは呆然として立っていた。その傍らには何の感情も見せずに女たちが彼と同じく立ち尽くしていた。


 その様子を見ていた二人の人物がいた。一人は言わずと知れたあの玉虫色の髪の少年である風神カスタムだ。そしてもう一人は───

「あっらー、あらあら。消えちゃったじゃないのお」

 その声の持ち主は女性のようだった。横に並ぶカスタムより頭一つ分背の高い、グラマラスな体格の女だった。

「何だとお……」

 宙空に映し出されたドドスは、呆然として突っ立っている。それを見ながら、カスタムは絞り出すようにそれだけ呟いた。

 悔しさに歯ぎしりする彼を面白そうに見やる浅紅色の瞳。睫毛がバサバサで切れ長の妖艶なその目は柔らかそうに流れる髪の毛と同じ色だった。特徴的なのはその尖った両の耳とスーッと綺麗に生えた二本の角。耳には金色の楕円形のピアスが飾られており、艶めかしく開けられた唇には血のように真っ赤な紅が塗られていた。

「空間移動なんて人間には出来ないわよねえ。何者なのあの二人」

「あの一瞬、邪神の波動を感じた。それとも神族か、判らない。いずれにしてもあの魔法剣士か連れの男のどちらかは人間ではあるまい」

「だけどあの二人、人間にしとくにはもったいないほど綺麗ねえ。男の方も女の方も私の好みのタイプだわ」

 ホーッと溜め息をつく彼女に向かってカスタムは吐き捨てるように言った。

「君はいったい誰の味方なんだか、竜神スレンダ」

「まあ、妬いてくれるの。やだわ、心配しないでよ。私はあなたの物よお」

 彼女はまるで母親が子供をあやすみたいにカスタムの身体に手を回した。艶めかしく、からめとるように抱く。

「フン、その言葉を必ずしも僕は信じちゃいないがね。気まぐれ王の異名を持つ君のことだから」

「嫌だわ。私の愛はいつも本気よ」

 彼女は両腕を彼の肩にもたれかけた。見下ろすようにカスタムの顔を見つめる。

 カスタムは彼女の顔を見ているようでその実、それを通り越して今一番気になる魔法剣士の顔の幻影をその瞳に映していた。

 彼の心は複雑に渦巻くものがあったのだった。


 アクアの東、都市から一番近くの森林地帯の街道から少し離れた場所。

 空中の何もないところから二人の人間が忽然と現れた。まるで空気が溶けだして、そこから水が滲み出るように彼らは出現したのだった。

 ───ドサッ!

 投げ出される身体。男と女のようだ。

 男は女の身体を庇うように抱え込んで自分の身体から地面に落ちていった。

 暫く二人は、その場でジッと動かずに抱き合っていた。森の中はとても静かで、虫の鳴き声と柔らかな葉擦れの音だけが遠く近くに聞こえている。

 男の上に乗っかるように抱かれていた女の身体がピクリと動いた。

「う……ん」

 彼女は少し身体を持ち上げた。金の髪がハラリと男の顔に落ちる。

「げっ!」

 シモラーシャはドワッと飛びすさった。

「ひどいなあ。僕の身体のお陰であなたは怪我しなかったのに」

 マリーは寝転がった姿勢で目を瞑ったままだった。

「なっなっ何が起こったの?」

 シモラーシャは半分パニックに陥ってしまっていた。マリーの傍らでペタリと座り込んでいる。するとマリーはパチリと目を開けるとサッと起き上がり彼女に向き直った。

「気がついたら、ここにいたんです」

「へ?」

「だから、一瞬のうちに移動しちゃったんですよ」

「移動?」

 おうむ返しに聞く。まだ事情がよく飲み込めていない彼女であった。マリーはウンウンと頷いている。彼女は首を傾げてちょっとの間、考え込んだ。

 そしてようやく自分たちの置かれた状況を把握したらしくまたしてもマリーに質問をぶつけた。

「一体誰が?」

「知りません」

 すかさず彼は答える。すっとぼけた表情がわざとらしい。

 眇めた目で暫く見つめていたシモラーシャだが、何も言わず話を変えた。

「さっきの邪道士は一体何なのよ。あれって魔法なんかじゃなかったわ」

 マリーはちょっとの間、黙って彼女の顔を見ていた。

「あの力は邪神のものですよ」

「何ですってえ!」

 彼は真剣に彼女の目を見つめた。

 シモラーシャはドキッとした。彼の琥珀色の瞳が何故か一瞬、銀色に光ったような気がしたからだ。

「さっきの男の手から出ていた瘴気の風を浴びたら、あなたもただでは済まなかったはずです」

 彼の口調は変に感情がこもっていない。それが空寒さを感じさせた。

「邪神が既に復活しているというの?」

 マリーは重々しく頷いた。

「間違いないでしょう。あれは風神カスタムの力ですよ」

「風神カスタム!」

 マリーは片膝を立てて腕を立てかけながら遠くを眺めるともなしに眺めた。

「あなたも知っていると思うけど暗黒神イーヴルの配下には八人の邪神がいた。炎を司る炎神、水を司る水神、大地を司る地神、凍てつく氷を司る氷神、人の魂を司る魂神、竜たちを統べる竜神、音を司る音神、そして風を司る風神、とね。この風神カスタムの操る風というのが人間にとって疫病だとか病魔だとかをもたらす瘴気の塊なんですよ」

「だけどあたしのこの大剣でそんな風、吹き払ってしまえたんじゃない?」

 シモラーシャは不服そうに口を尖らせた。マリーは首を振った。

「人間の霊力だけじゃ、風神の風は払えませんよ。邪神の力には善神かあるいは邪神の力しか太刀打ち出来ないんです」

 そして、何故か意味ありげにシモラーシャの顔をジッと見つめた。

「あなたは人間なんですから……」

 シモラーシャはどうしてか胸がドキドキしてきて、それを打ち消そうと慌てて喋った。

「そ、そんなこと……当たり前じゃん、あたしは人間だもん」

「でもシモラーシャ。あなたの霊力は偉大です。これはお世辞でも何でもありません。あなたのその生命力に溢れた霊力は全ての人間にとって何にも勝る宝だと思いますね」

 今日のマリーはいつもの彼とは何だか違ってる、とシモラーシャは感じていた。

 普段も、こいつ本当は何もんだろうと思ってはいた彼女である。これでますます怪しくなってきた。

(敵っていうわけじゃないみたいなんだけどさ。なあーんか不気味だよなあ、正体が判らんと)

「さ、とにかく行きましょう」

 するとマリーは元気良く立ち上がった。相変わらず眇めて見ていたシモラーシャに手を差し出す。

「え、どこへ?」

「アクアにですよ。嫌だなあ。もう呆けが始まったんですかあ」

「人を年寄り扱いしないでよっ!」

 シモラーシャは彼の手をパシリと払いのけると自分で立ち上がった。サッサと歩きはじめる。

「あっ、待ってくださいよお」

 慌ててマリーは彼女の後を追った。彼は身体についた木の葉などを払いながら小走りに走った。

「シモラーシャ、あなたのマントにも葉っぱがたくさんついてますよお」

 彼女は全く知らん顔で歩き続けていた。

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