戦争部戦記4

 テストでいい点を取る方法など簡単だ。


 勉強すればいいのである。そう、ひたすらそれに尽きる。前回のテストよりもいい点を取りたければ、前回よりも多くの勉強を。他人を出し抜きたいのであれば、人よりも長い時間勉強する。さすれば、きっとあなたはいい点数の記された答案用紙を手にすることが出来るはずだ。実に単純な話ではないか。


 そう、理論的には簡単だ。俺にだってそんなことはわかっている。しかしながらこれが実際に行うとなると信じられないことに容易なことでは無くなるのだ。それは俺が実際に手にした答案用紙が雄弁に物語ってくれる。


 高校二年生最初の中間テストの戦績は、いわゆる「死屍累々」というやつで、それは俺がこのテスト期間中いかに勉学に励まなかったかを証明していた。後悔というのは後に悔いると書くのであるから事前に出来無い訳で、してもまるで無駄なことなのだが、それでもやはり俺は後悔した。


 これが、何らかの事件の結果勉学の時間が取れなかったとか、麗子の無理難題に付き合わされたおかげで勉強する暇がなかったというなら言い訳のしようもあるのだったが、そうではないのだから言い訳の余地はやはり無い。そもそも、麗子はいつも通り目を剥くような点数を取って教師たちを驚嘆させたらしい。麗子は今年受験生であり、上手くすればかなりランクの高い学校に進学してくれるのではないかと学校側は期待しているらしいのだ。本人の希望を知ったら驚くくらいで済むだろうか。


 ちなみにある時麗子は、単語帳とにらめっこする俺を見ながら素で言いやがったものだ。


「そんなもん、一度見れば覚えられない?」


 出来るかそんなこと!


「そもそも、そんなもんより教科書を覚えなさいよ。教科書を丸暗記すれば、テストなんてほとんど解けるわよ。テスト問題は必ず教科書から出るんだから」


・・・分かった。お前の勉強法はまるで俺の参考にならないということだけが分かった。


 麗子は大きな眼鏡をしているという容姿といい、異常に優秀な成績といい、がり勉であるという印象を持たれやすい。人によっては、彼女は戦争部部室の中で猛勉強しているのではないかという誤解を抱いているらしい。とんでもない。少なくとも俺は麗子が部室で勉学に励んでいることなど見たことも無い。


 高校二年の春の終わり。戦争部部室にはやはり俺と麗子しかいなかった。それは戦争部に新入部員が入部しなかったことを意味した。


 同じ中学の後輩に「戦争部部室には近づくな」と念入りに申し渡していたのが功を奏した可能性はあるが、そもそも麗子が新入部員の勧誘にまったく熱心ではなかったのだ。彼女に言わせれば、軍隊にとって無駄な規模の拡充は時として逆に戦力の減少を招く、らしい。そういうわけで彼女は新入生への部活説明会にさえ顔も出さず、もちろん俺も麗子に便乗して心安らかに部員勧誘をしないことを選んだ。


 小笠原 麗子の思考が予測できたことなどほとんど無いが、この時の彼女が退屈していたことだけは確かであった。このところ戦争部に依頼を持ち込む生徒の数がめっきり減ってしまったからである。


 流石に悪評が知れ渡ってしまったと見える。それはそうだろう。麗子は依頼の解決の為なら手段を選ばない。というより、手段を楽しむ為なら依頼を選ばないのである。片思いの相手に好きな人がいないかどうか探って欲しい、という依頼の解決のために、そいつを拉致して拷問(くすぐり一時間)し、彼を危うく精神崩壊させかけたりすれば、依頼人から好評を頂ける訳が無い。


 商売を成功させる為には、取引相手からは満足感と信用を勝ち取り続けておかなければならない。そうすれば次の取引に繋がるし、そこから口コミなり紹介なりで商売の拡大にも結びつく。残念ではまったく無いが、麗子に商売の才能は無いようであった。


 依頼の減少は、つまり俺が麗子の暴走をフォローする回数の減少を意味した。つまり、楽になったわけで、その意味では俺の心は今窓の外から差し込む柔らかな日差しのように安らかだった。心に影を落としているのはテストの点数だけだ。


 麗子はいつもの通り読書に励んでいた。学校指定の椅子に完璧な姿勢で座り、文庫本を捲っている。彼女は控えめに言っても読書家だ。漫画から英語の本まで何でも読む。たまに俺が持ち込んだ漫画雑誌を読んでいることもある。


 麗しい白い首筋に柔らかな日差しが反射している。意志の強そうな太い眉。薄い唇。眼鏡の向こうには漆黒の大きな瞳。黒髪がセーラー服の肩から微風に少し流される。


 俺は机に突っ伏して半分居眠りをしながら麗子のことを観察していた。日本人形みたいだな。と、本人に言ったらビンタが返ってきそうな感想を抱く。本人の憧れはどちらかというとアメリカンでダイナミックな女戦士であるらしいからな。


 これで性格がよければ、せめて普通ならばなぁ、と思わなくも無い。彼女は、教室にいる間はそれなりに自重しているらしい。特に女性からはそれなりの信望を集めていると聞いたことがある。しかし、男性からはまったくといってよいほどアプローチがないらしい。


それはもう、彼女に告白した連中が、峠道でジェットコースターの数百倍は恐ろしい目に合わされた経験を震えながら語れば、多少の恋心も消し飛ぼうというものだ。ましてや最近の悪徳探偵行為による悪評だ。これでは余程の馬鹿でも麗子にアタックすることには怖気を奮うであろう。


 まぁ、そんなことは俺にはどうでもいいことだった。俺はとろとろとした春の空気に包まれて、転寝から熟睡に突入し掛かっていた。




 コンコン。


 一瞬で覚醒してしまった。


 俺の幻聴で無ければ、今の音は木の板を叩く音であった。


 そして、かなりの確立でそれはドアを叩く音に聞こえた。


 そして、そのドアはおそらくは俺の背後にある部室のドアであるようだった。


 ドアを叩く行為は通常ノックと呼ばれ、入室の意思表示と許可の要求時に行われる行為である。


 そして、ノックというのはおそらくは人間以外は行わない行為だ。


 結論すればさっきの音は、どこの誰とは分からない人間が、戦争部部室ドアに部室への入室許可を求めて行ったノックによって生じた音響である、ということになるであろう。


 俺は瞬時に全身を緊張させた。なぜならば、戦争部部室はこの高校の暗部として既にそれなりに有名であったからだ。なにしろ入室した連中は(麗子以外)ろくな目にあっていない。依頼人も、一人残らずブービートラップに絡め捕られたしな。そんな悪名高い場所にわざわざやってくるのは余程の物好きか、あるいは・・・。


「お入りなさい!」


 うわ、なんで丁寧語?麗子がご機嫌気分MAXな証拠である。この女、その気になればいくらでも愛想良くなれるらしいのだ。彼女が何を期待しているのかなど、もはや説明不要だろう。


 しかしながら、この彼女の期待は半分外れ、半分叶えられる事になる。


 ドアが開く。そこには・・・、誰もいなかった。


 あっけにとられる。なんだ?どういうことだ?流石の麗子でさえとまどった様である。


 次の瞬間、何かが投げ込まれ、そしてそれが炸裂した。


 白い煙が吹き出し、一瞬で視界を覆う。間抜けな俺は身動き一つすることが出来ずに、あっという間に煙に包まれてしまった。


 バチバチバチ、と弾けるような音が連鎖した。いてぇ!こら!やめろ!麗子が危険を察知してモデルガンを無差別乱射したものらしい。俺はあわてて身を伏せた。


 頭を抱えて待つこと数十秒。ようやく煙幕が晴れてきた。そう。これは煙幕だろう。何者かが何らかの目的で俺達の視界を奪ったのだ。そのことに思い当って今更緊張した。


 戦争部はこう見えてもなかなか洒落にならない戦歴を誇っていたのだった。モノホンのテロリストと銃撃戦を繰り広げたこともある。もしかしたらテロリストによる報復攻撃である可能性もあるのだった。


 しかしながら、この俺の懸念はまるっきり的外れであったようである。


 なぜならば、白い煙が晴れたそこ、戦争部部室の中央に仁王立ちになっていたのは、この学校指定のセーラー服に身を包んだ一人の少女だったからだ。


 いわゆるポニーテールだ。後頭部やや上のところから薄茶色の髪が弧を描いて垂れ下がっていた。女にしてはかなりの長身である。そして、思わずまじまじと見てしまったが、高校生にしては驚くくらいにプロポーションがいい。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるというか。麗子も美人は美人なのだが、体型はいわゆる古式ゆかしい日本的な体型であって、その点ではこの少女に大きく後れを取るだろう。そう、しかもこの少女はかなりの美少女であった。いやいや、大きな輝く瞳。瑞々しい唇。形の良い鼻。鋭利な輪郭。それでいてやわらかそうな頬など、滅多にいないようなレベルの美少女であると言って過言ではないだろう。


 この少女はこの学校の生徒であろう。この学校はそこそこ生徒数が多いが、その中にもこれほどの美少女は稀な筈だ。俺達、馬鹿な男子学生は、同級生、先輩、後輩を問わず女生徒の品定めというのをよくやる。何年何組にはこれこれこういう美人がいるらしい、と聞けば連れだってこっそり覗きに行ったりして、あーだこうだと勝手な批評をするわけである。ちなみにもちろん麗子のことがそういう噂に上ることもあるのだと最初に言っておく。なので、これほどの美少女であれば俺が知っている可能性は高いはずだ。


 あっさりと気がついた。知っている。というより、見慣れた顔だった。なぜなら彼女は俺の同級生で、俺の隣の席に座っていたのだった。


 秋川 鮎美。更に言えば彼女は俺と中学校が一緒であった。俺が中学二年の時にいわゆる「東京」から転入してきたのである。一学年三クラスしかない田舎の中学校に突如としてやってきた都会の美少女に学校中が騒然となった思い出があるなぁ。


 ・・・いや、それはまったくどうでもいい。


 いま問題にすべきは、なぜその秋川 鮎美が戦争部部室に立っているのかということだ。しかも、状況から類推するに、煙幕弾を投げ込んだのはかなりの確率で秋川だろう。


 秋川は腰に手を当てて形の良い胸を見せつけるような姿勢で立っていた。なんだか挑発的にも見える微笑を浮かべている。そしてその正面には、麗子が立っていた。こちらは・・・、うわぁ、やばい表情だ。きりきりと逆ハの字型に吊り上がった眉が彼女の怒りを示している。漆黒の瞳から迸る眼光は、有り体に言って殺意に満ちていた。


「なによ、あんた」


 麗子が猫の威嚇を思わせる口調で言った。


「テロリスト?スパイ?それともただの馬鹿?なんでもいいけど、この戦争部部室に無断で立ち入った罪は重いわよ!覚悟なさい!」


「お入りって言ったのはどこのどなたでしたかしら?」


 悠然と答える秋川。正論である。麗子ともあろうものが返答に詰まる。秋川は勝ち誇ったようにホホっと笑った。


「悪名高い戦争部部室へ来るのに、何の対策もしない訳には参りませんでしょう?そっちも妖しい罠を仕掛けているんですもの。これくらいは許していただかなくては」


 あれ?こいつこんなキャラだったか?


「え~と、秋川?」


 俺が声を掛けると、秋川は豹変した。


「あら?前田君!そこにいたの?」


 いきなり美貌に満面の笑みを浮かべる。


「ごめんね~、もう少し待っていてね。すぐにこいつと話をつけて、あなたをここから救い出してあげるから!」


 ええ?


「ムサシ」


 氷点下にまで冷え切った朝の北風のように冷たい声。うわ~、麗子が恐ろしく不穏な視線を俺の方に向けている。


「なに?こいつ。あんたの知り合い?」


 答えないわけにもいくまい。


「ああ、僕の同級生ですよ」


「前田君とは中学校からずっと同じクラスなのよね!」


 そういえば、一年の時も同じクラスだったな。って、なんでそこでそういう余計な合いの手を入れるんだ秋川。


「つまり、あんたなんかよりも私の方が前田君との付き合いはずっと長いのですわ」


 秋川は麗子の方に向き直ると、ふん、とばかりに胸を張ってふんぞり返った。秋川のほうが麗子よりも遥かに背が高い。睥睨しているような格好になる。


 麗子は、上目遣いに秋川のことを見上げている。その実に危険な視線を秋川は一歩も引かずに受け止めていた。え~、空間に火花が見えるのは、ベタな俺の幻視なのだろうか。というか、しきりに俺的危険警報が鳴り響いているのだが、これは一体何の警報なのだろうか・・・。


「私は、秋川 鮎美。今度この学校の生徒会長に選任された者です!」


 なに?


「生徒会長?」


 麗子も思わず口に出してしまう。


 そういえば、俺は思い出す。ほんの数日前、今年度の生徒会選挙が行われ、そこでこの秋川 鮎美が生徒会長に立候補し、見事当選を果たしたことを。すっかり忘れていた。というより、生徒会選挙になどまるで興味が無かったものだから、そもそもうっすらとしか記憶に無かったのだ。秋川がここで役職付きで名乗らなければ、彼女と生徒会長が結びつかなかった可能性もある。


 って、ちょっと待て。生徒会長だと?俺は嫌な予感を覚えた。


 生徒会といえば、あれだ。いわゆる学校内生徒自治組織という奴である。具体的には学校の運営や行事などに生徒の立場から提言や協力を行ったりする、あれのことである。特に、部活動や同好会の支援と指導監督も重要な仕事で、学校から預かった活動費を配分するのも生徒会の役目だ。


 そう、丁度一年前。戦争部に対し、新入部員がいなければ予算は配分しないと通告し、おかげで俺が戦争部に入部する羽目となった、その原因を作ったのがまさに生徒会なのだった。


 首筋がちりちりした。麗子はもともと、反権力的思想の持ち主で、どうも権力と名がつく者に対して無差別的な敵愾心を抱いているらしいのだ。生徒会長と麗子。いやな組み合わせ過ぎる。


「生徒会長・・・」


不意に麗子が呟いた。


「と、いうことは・・・」


ん?なんだか嬉しそうにも見えるな。嫌な予感がした。その、瞳を七色に乱反射させるその表情は、なんか禄でもない事が起こる度に見せられている気がする。


「私たちの敵ね!」


麗子は秋川に人差し指を突きつけた。


「敵は敵だから敵なだけに、攻撃して排除しなければならないのよ敵だから!」


そして、再びモデルガンを構えて、秋川に擬した。


「降伏するなら今のうちよ!時間は与えるわ。二秒!にー、いち!」


「違いますわ!」


秋川は感心してしまうような堂々たる態度で言った。


「私はあなた方の敵ではありません!」


今にも引き金を絞ろうとしていた麗子が怪訝な顔をする。


「じゃあ何よ」


「あなたは兎も角、少なくとも前田君の敵でないことは保証致します」


秋川は俺の方に極上の笑顔を振り撒いた。


麗子の、対照的に冷酷極まりない視線が届く。


なんだよ。俺にどうしろというんだ。俺は背中に嫌な感じの汗を感じながら秋川に問い掛けた。


「じゃあ何しに来たんだ秋川?会長としての挨拶まわりか?」


「普通は、部活、同好会の部長は、新生徒会長が決まったら、自分たちの方から挨拶に来るものなのよ?」


そ、そうなのか?それは知らなかった。


「いつ前田君が来てくれるのか、私まってたのに」


な、なんで俺を待つんだ。戦争部の部長は小笠原 麗子だぞ?


「あ、忘れてたわ」


麗子が投げやりな声で口を挟んだ。


「あんた、部長」


・・・俺は思わず背後を振り返った。


「何ボケかましてんのよ!あんたよあんた!他にいないでしょ!」


・・・な、何故俺が!この善良な一般市民であるこの俺が、戦争部の部長などというヤクザな役職につかねばならんのだ!


「だってあたしは三年だもの。普通、生徒会の引き継ぎと同時に、部長職も引き継ぐものよ」


なるほど。道理ではある。確かに戦争部には二年生が俺一人しかおらず、麗子が部長職を退くならその代わりを勤められるのは俺しかいないわけだ。


しかし・・・。


「大丈夫よ。あんたは名前だけで。あたしがこれまで通り実権を握るから」


そんなことを堂々と宣言するな。俺は頭を抱えた。


「大丈夫よ前田君!」


涼やかな声がこれまた自信満々に宣言した。


「その事についていい話を持って来たの」


・・・秋川、何かものすごく嫌な予感がするんだがな。


「なんで?」


いや、そのいい話ってのは、本当にいい話なんだろうな?


「少なくとも、前田君にとってはすごくいい話よ!」


ということは、麗子にとっていい話だとは限らないという事だな。俺は少しも安心出来なかった。


果たして、秋川は高らかにこう言い放ったのである。


「戦争部は廃部になりました!」


その瞬間、麗子のベレッタ(モデルガン)が火を噴いた。連射されたBB弾が秋川を襲う。


ところが秋川は華麗に身を翻して初弾を避けると、立て掛けてあった折り畳み椅子を掴み、残りの弾を弾き返した。


俺は唖然とした。そういえば秋川のやつ、中学生の時は剣道部だったんだっけ。つまり、俺と同じ部にいたのだ。かなり強かった。確か全国大会に出たんじゃなかったかな。


麗子も驚きを隠しきれないようだった。より一層表情を険しくして、銃口を秋川から外さない。


「人の話は最後までお聞きなさいな。でないと損しますわよ」


「何あんた。どういうつもり?もういいわ。あんたはもう敵!決定!ムサシ。あんたも手伝いなさい!」


「待て待て待て!」


流石にまずい。何しろ秋川は生徒会長である。それを問答無用で叩き出したりすれば、それこそ大問題だ。廃部は兎も角、俺が停学にされるかもしれん。なぜ俺だけなのかというと、学校側は優等生である麗子の内申書には出来るだけ傷を付けたくないだろうと思えるからで、ああ、俺も優等生だったらなぁというか、そんなことはどうでもいい。


「兎に角、話を聞こう。叩き出すのはそれからでも遅くないだろう?」


麗子は不満が口から溢れ出しそうになるのを我慢しているような表情で沈黙。秋川の方は若干ショックを受けたような表情を見せた。


「叩き出すなんてそんな!前田君、私にそんな事をするの?」


秋川は瞳を潤ませ、俺に顔を近付けた。


「嘘よね!前田君!本当はそんなことしないわよね!」


顔近いって。俺はアップになった秋川の学年No.1と名高い麗貌にどぎまぎしながら曖昧に頷いてしまった。


途端に、BB弾が飛んできて、秋川と俺をまとめて滅多うちにした。痛いって!秋川は平然と折り畳み椅子シールドで防いでいたが。


「裏切り者は軍法会議で吊し上げたうえに、拷問、死刑よ!分かってるんでしょうね!」


分かってる。嫌というほど分かってる。だから撃つな。


「兎に角、秋川。早く要件を最後まで言ってくれ!」


どうせ俺が心安らかになれるような話じゃないんだろうが。そう考えつつも、俺は自分の勘が外れてくれないものかと儚い望みを抱いた。




「戦争部は廃部になってサバイバルゲーム同好会が復活することに決まりました」


ということらしかった。一体どういうことなのか?


「新一年生の中に、サバイバルゲーム同好会の復活を求める生徒がいたのよ。二年生の何人かも同調して、生徒会に申請がでたの」


そこで生徒会は戦争部を潰して、改めてサバイバルゲーム同好会を復活させる事にしたわけか。おかしいじゃないか?戦争部は元々サバイバルゲーム同好会の事だぞ?何でその連中は戦争部に入らないで、わざわざ新しい同好会を立ち上げるんだ?


「どうも戦争部の良くない噂を聞いたらしいわね」


大納得である。


「一つの学校に同じような部活動は二つもいりません。故に戦争部はサバイバルゲーム同好会と統合されて廃部になります」


なるほど。何一つ間違ってはいないな。


「何を馬鹿な事を言ってんの!」


麗子が吠えた。


「私の戦争部は不滅よ!そもそも、こっちの方が先にあったんだから、後から出来た方がこっちに吸収されるのが当たり前よ!」


なるほど。確かにそれももっともな理屈だ。


「新しく出来たサバイバルゲーム同好会の部員は十名。対して戦争部は二名。世の中、大きい方が小さい方を吸収するのが理というものではなくて?」


まったくその通り。


「数が多い方が正しいなんて考え方、まったくナンセンスだわ!そういう考え方が世の中を易きに流し、世論を衰弱させるのよ!」


一理あるかもしれん。


「でも一人よりも大勢の方が過ちを犯しにくいのは確かだわ。民主主義はそこに思想的大前提があるんじゃない。あなたは民主主義を否定するの?」


 ・・・。


「少なくとも多数意見に盲従するのが民主主義だなんて言葉には賛成出来ないわね。少数意見を尊重して社会が全体主義に陥らないようにするのが民主主義なんじゃないの?」


「我がままを言う一部の人間のために、大多数の人間に我慢を強いるのが民主主義だとでも?特定の人間に偏るのでは無く、広く公共の利益を追求出来るのが民主主義なのではありませんか!」


まてまてまてまて!


なんだか頭の中がグルグルしてきたから、頼むから止めてくれないか。なんでこんなところで政治論議が始まってるんだ。


「それもそうね」


「さすが前田君。的確な指摘だわ」


秋川は笑顔で頷くと、あたらめて麗子に向き直った。


「言い方を変えればいいかしら?戦争部とサバイバルゲーム同好会は統合されます。かつてから通達されている通り、戦争部という名称は不許可。故にあなた方は、これからサバイバルゲーム同好会の一員になるという事になります」


「異議があるわ!」


「異議は認めません。これは学校側も認めた決定事項です」


麗子は鼻を鳴らした。


「じゃあいいわ!私たちはサバイバルゲームにから退部して、また戦争部を創るから」


「ならば正式な手続きを踏むことね。申請書を生徒会に提出なさい。検討しますから」


この秋川が検討するなら、100%却下となるだろうな。流石の麗子も黙り込んでしまう。


秋川は余裕たっぷりに麗子を見下ろすと、意外な事を言った。


「もっとも、戦争部の言い分が分からない訳ではありません」


何だか背中がむずむずした。なんだ?なんか嫌な予感が・・・。


「なので、勝負を行います!」




秋川が長いボニーテールをなびかせながら戦争部を辞去すると、部室の中には沈黙が満ちた。ただし、まるで帯電しているかのような、張り詰めた空気だったが。


「ふふふふ・・・」


こわ!


「ムサシ」


「なんだ」


「来たわよ!」


「何が」


麗子はゆらりと立ち上がった。


「敵よ。敵が来たのよ!」


輝くような笑顔。逆に俺の気分は暗く沈んだ。


「生徒会!サバイバルゲーム同好会!相手にするには不足だけど仕方がないわね!」


字面とは裏腹に、弾む心が隠しきれない様な口調だ。


一応、俺は言ってみた。


「それで?勝負とやらをやるのか?」


「当たり前じゃないの!」


即答である。


秋川の提案はこうだった。


戦争部とサバイバルゲーム同好会とで、サバイバルゲームで勝負を行い、勝った方が新しく統合されて出来る「サバイバルゲーム部」の主導権を握ることが出来るというのである。


平たく言えば、サバイバルゲーム部の部長を賭けた勝負ということだ。俺は別に、譲ってやってもいいのだが・・・。


「何を言ってるの!」


麗子は意気軒昂である。


「勝負よ勝負!勝負と名が付いたら戦争部の名に賭けて負けるわけにはいかないわ!」


ああ、秋川。何でまたおまえは、こんなに麗子が食い付きそうなネタを持ってきたのだ。


それにしても、俺は訝しんだ。


秋川は戦争部の戦績をしらないらしいな。少なくとも俺が入部してからは、戦争部はサバイバルゲームで無敗を誇っているのだ。十対二という人数差は問題にもならんな。戦争部は最大二十人を相手に楽勝したこともある。


俺は秋川が、戦争部潰しを目論んでいることを疑っていなかった。でなければわざわざサバイバルゲーム同好会なんぞという対抗馬を用意してくる筈がない。


一年生と二年生の有志?いないってそんなの。一年生は兎も角、二年生にサバイバルゲームマニアがいるなんて聞いた事がない。俺は麗子に引き回されてサバイバルゲームを何度となくプレーしたお陰で、否応なくこのあたりのサバイバルゲームマニア連中に知り合いが増えてしまっていたのだった。何しろ、コアな世界だからな。その中にはこの学校の生徒はいなかった。それなのに、いきなり十人もの部員が集まるなんて不自然過ぎるだろう。


という事は、何かあるな。秋川は顔もスタイルもいいが、頭もいい。何かを企んでいるに違いなかった。


俺の懸念に関係なく、麗子のボルテージは上がりっぱなしだった。


「よし!ムサシ!ゲームの日まで特訓よ」


俺はいろんな意味をこめてため息を吐いた。




俺はこの時点で、漠然とした不安以上のものはもっていなかった。なんか嫌な予感。


しかしながら、帰宅して自室のドアを開けた瞬間、俺の予感は確信に変わることとなった。


「やぁ、お久しぶり」


・・・。


「どうしました?幽霊でも見たような顔をして」


・・・。幽霊で無いなら幻覚か?


「いえいえ。あなたの耳も目も正常ですよ。恐らく頭もね」


全然嬉しくない。頭がおかしくなったんだったらよかったのに。


「大丈夫ですよムサシ。あなたはまったくの正常です」


金髪、蒼い目の少年。そいつ、言うまでもなく名無しのジョンは、白い歯を見せつつ笑顔を作って見せた。


ジョン。こいつイコール厄介事、というのは、既に俺の中では世界の法則と化しつつある。またどうせとんでもない厄介事を押し付けにやってきやがったに違いない。こいつが単に遊びに来た可能性など俺は爪の垢ほども考えなかった。


「あなたが察しの良い方で、毎度本当に助かります」


奴は六月になろうかというのにまだ出しっぱなしのままだったコタツに座ったままクククっと笑った。


「そうなんです。かなり困った事になっているんですよ。ということで、またあなたに協力を要請しに来たわけですよ」


要請ときたか。


「まぁ、あなたも事情を聞けばお断りにはなりますまいよ」


き、聞きたくない。しかしながら、聞きたくないと言っても許可が下りないんだろうなぁ。こいつの。案の定、奴は俺の同意を求めることなく語り始めた。


「テロリストが潜入しています」


またか。慣れ始めている自分がちょっといやな感じだな。


と、まてよ?潜入と言ったか?


「そうです。潜入です」


「一体、どこに・・・」


言いかけて俺は息を呑んだ。ジョンは微笑みを絶やさずに言う。


「そうです。あなたとレディジェネラルが通っておられる学校ですよ」


・・・。なんでまた。よりにもよって、このクソど田舎の、田んぼの真ん中にあるのどか極まりない普通科高校に、テロリストが何の用があるというのか。


「理由は一つしか考えられませんねぇ」


ああ。俺にだって分かっているともさ。テロリストが用があるのは学校じゃないってことくらい。


そう。テロリストに大人気なのは何時だって我が部長。小笠原 麗子なのだ。


「・・・今度は何なんだ」


「は?」


「今度は何でテロリストは麗子を狙ってるんだ?どんなけったいな理由があるんだ?」


「それが分からないんですよ」


「分からない筈があるか」


「本当なんです。テロリストの目的も姓名も不明です。単にテロリストがあなたたちの学校に潜入したらしいという情報があるだけでして」


なんだそりゃ。そんな情報、信用出来るのか?


「出来ますとも。ソースは明かせませんがね」


・・・まぁ、いい。これ以上突っ込むと危険な気がする。要するに、テロリストがうちらの学校に潜入している。その事実しか分からんということだな。


「そうです。日系人らしくてですね、容姿で見分けることは困難なようです」


中途半端な情報だよ。で?俺の仕事はなんだ?


「まずはレディジェネラルの護衛です」


麗子に護衛が必要だとは思えないがね。


「後ろから撃たれる可能性があるでしょう。特に今回の場合、通い慣れた学校が舞台です。レディジェネラルの注意力も低下しているでしょう」


とはいってもな。俺は二年で麗子は三年だ。つまり一日中一緒にいるわけじゃない。護衛といっても限界があるぜ。


「可能な限り努力して下さい。それと、もう一つ。テロリストを探して頂きたい」


それこそ難しいぜ。学年も中盤なら転校生を洗えばいいんだろうが、なにせついこの間一年生が入学してきたばかりだ。二百人からの。その中に紛れ込んでいられたら分からん。


「何とか頑張って頂きたい。レディジェネラルのために」


台詞とは裏腹にジョンは微笑みを浮かべたままだった。こいつはいつもこんな具合だ。それでいて常に言った事は強制なのだ。


「分かった。やる」


俺はため息を吐きつつ言った。




「前田君」


半分以上寝ていた四時間目の数学が終わり、昼休みが始まろうかというそのタイミングで、俺に声を掛けて来た人物があった。


振り仰ぐとそこに秋川 鮎美の柔らかな美貌があった。少し緊張気味な表情だったが。


「ちょっといい?」


俺は眠気が抜け切れない状態のまま彼女を見詰めた。まさかこいつがテロリストだとかいう落ちではあるまいな?俺は瞼をこすった。あり得ん。こいつは俺の、中学からの同級生ではないか。


「なんだ秋川?」


「うん。ここじゃぁ、あれだから」


なんだ?俺は秋川に促されるままに立ち上がり、教室を出た。ドアを出る所で、誰かの吹いた口笛を背中に聞いた。


こういう時、呼び出し場所の定番は校舎の屋上であろう。しかしながら、うちの学校では屋上は立ち入り禁止である。なので、秋川が俺に先立って向かった先はもう一つの定番と言うべき場所。体育館裏であった。


秋川の表情は目的地に近付く程に強張ってきており、俺もつられて緊張してきてしまった。一体なんだ?何の用があるというんだ?この学校の生徒会長にして美少女ランキングベストスリー以内確実。麗子とは違った意味でただ者じゃない女が。


体育館裏には誰もいなかった。春のほわほわした日差しはすっかり葉が青くなった桜の木に遮られている。体育館横のプールの水はまだ緑色をしている。


秋川は俺の方に向き直ると、額が膝にぶつかるくらい深々と頭を下げた。


「ごめんなさい!」


なんだ?何をいきなり。


「前田君に迷惑を掛ける気は無かったの。本当にごめんなさい」


秋川曰わく、戦争部の問題は、前生徒会から引き継がれた重要問題の一つだったのだそうだ。生徒から数件の苦情が寄せられ、学校側からも是正を求められているのだとか。そいつは知らなかった。新しく生徒会を引き継いだ秋川としては、これを放置する事は到底許されない事だと考えた、らしい。なるほどね。


「それで、知り合いに協力を頼んでサバイバルゲーム同好会を立ち上げたの」


サバイバルゲームには、男の子であれば大概嵌ったことがある。今はやってなくてもだ。そういう経験者を集めたのだという。それならば俺が知らなくても無理はない。


「どうせあの小笠原 麗子先輩は話しても分かる人じゃあないでしょう?だから・・・。でも、前田君を巻き込む気はなかったの」


いいよ別に。戦争部なんぞにうっかり腰を据えちまった俺が悪い。


「よかった・・・」


秋川はあからさまに安堵し、瞳を少し潤ませた。俺は少し動揺する。


「ねぇ、前田君」


秋川は上目遣いで俺を見上げた。前髪に透ける彼女の瞳が懸命に何かを訴えている。それは男だったら無条件に庇護欲を喚起させられてしまうような、つまり反則的に可愛い瞳であった。


「・・・前田君も、私に協力してくれない」


一瞬、詰まった。反射的に同意してしまいそうになるのを堪えたのだ。


そして、細く長い溜め息を吐く。


策士だな秋川。なる程、昨日から見せていた思わせぶりな態度にはそういう意味があったのか。


つまり、離間の策だ。戦争部を俺と麗子との間に分裂させる。そこまでいかなくても、チームワークを乱すことができるだけでも、サバイバルゲーム同好会側に大分有利に働くだろう。


「・・・残念だが、裏切りは戦争部では死刑と決まっているんでね」


秋川は俯いた。


「ちぇっ」


足元の小石を蹴る。


「失敗か。真面目なんだから。前田君は」


秋川はそのまま俺の横を行き過ぎた。振り返って見送ると、背中をみせたまま彼女は言った。


「分かったわ。勝負は正々堂々やりましょう。こっちにも凄い助っ人がいるのよ。負けないからね!」


助っ人?俺はその言葉に引っ掛かるものを感じた。体育館を回り込んで姿を消そうとしている彼女を呼び止めようとする。


「おい、秋川・・・」


一瞬こちらを見た秋川の瞳には溢れそうなほど涙が浮かんでいた。


秋川はそのまま行ってしまった。俺はなんだか呆然としてしまって、昼休み終了のチャイムで我に返るまでそこに立ち尽くしてしまったわけである。




放課後。俺はごく自然に戦争部の部室へ足を向けた。


と、思いとどまる。そうそう。例の潜入テロリストについて調べる方法を思いついたのだった。俺は職員室に向かった。


職員室。学生にとっては、あまり立ち入りたくない場所であると言えるだろう。俺みたいに成績劣等にして、怪しげな部活動所属の身では尚更だ。


雑然とした職員室。入室した瞬間にジャージ姿の教師たちが一斉にこちらを注目する。俺は意味もなくペコペコと頭を下げつつ中に入った。


俺の今年の担任教師は後藤という英語教師であった。痩せて小柄な男性で年齢は四十代。気のいい先生で、比較的生徒からの信望はある方だ。俺が声を掛けたのも、担任だからというよりは彼が最も話し掛け易い教師だったからだ。


「おお、どうした?前田」


後藤教師は椅子を回して俺に向かい合った。


「あの、ちょっと聞きたい事があるんすけど」


「お、感心だな。この間の中間の点数じゃあ、改心したくなる気持ちも分かるがな」


こういう事をいいやがっても、イヤミに聞こえないのが後藤教師の人徳というものなのであろう。


「いや、勉強のことじゃないんす」


俺は汗をかきつつ言った。


「あのですね。新入生の中に、外国からの帰国子女か何かがいないか、分かりませんかね」


「帰国子女?」


「いや、モロに外人でもいいんですが」


「なんだそりゃ?前田、何でそんな事が知りたいんだ」


当然の疑問であろう。俺はバッと思い付いた事を出任せに口走った。


「小笠原先輩が知りたがっているんです」


「小笠原が?」


「ええ。先輩も帰国子女ですから、噂で聞いたらしくて、気にしてるんです」


後藤教師は苦笑した。


「それでおまえが調べに来たってか?前田。相変わらず小笠原の尻に敷かれっぱなしのようだな」


余計なお世話様だ。とは言わずに俺は曖昧に微笑んだ。後藤教師もそれ以上追及せずにあっさりと俺の疑問に答えてくれた。俺は一つの名前を生徒手帳にメモして、職員室を出た。


今度こそ部室に向かおうと昇降口を出たところでの事だった。


既に下校のピーク時間を過ぎて、人もまばらなそこに、一人の生徒がこっちを向いて立っていた。逆光を背負っていたので、表情は良く分からなかった。校庭から運動部の掛け声が聞こえてきた。そいつの声はその中に紛れそうなくらい小さかった。ボソボソ呟くような声。


「・・・やはり油断ならない奴だ・・・」


俺はその声を聞いた瞬間総毛立った。やばい。ヤバすぎる。こいつは・・・。


「まぁ、いい。接近すれば発見されるリスクも高まる。いずれバレると思っていた」


俺は生唾を飲み込んだ。


「・・・恩田 岬だな」


「如何にも。まぁ、偽名だかね」


だろうな。そもそも、まさか本当に高校生であるはずもあるまい。


「しかしまさか、教師に尋ねるとはな。ストレート過ぎてむしろ気がつかなかった。クラスメイトには、それとなく口止めしておいたのだが」


 俺もあまり期待はしていなかったんだがな。良く見ると、そいつ、恩田の顔は如何にも外人臭かった。黒髪だし目も黒いが、彫りが深すぎる。これでは純血の日本人だと言い張っても通じまい。


 俺はじりじりと後に下がった。奴がいつ拳銃を抜き出しても昇降口に転がり込むことが出来るように。


「おいおい。大丈夫だ。こんな場所でやる気はないし、始末する気があるなら姿をあらわしたりはしない。そもそも、俺の標的はあんたじゃない」


 はいそうですか、と安心出来るほど俺のセキュリティレベルは低くないぞ。


「あんたには一つ忠告しておこうと思ってね」


 忠告?


「あんた、小笠原 麗子をなんだと思っている?」


 ・・・成績優秀、運動神経抜群、性格乱暴、一応容姿端麗な戦争部部長。


「ジョンとかいうやつから何か聞いているだろう?」


 核ミサイルがどうとか、預言者がどうとかいう与太話か?あんなもんをほいほい信じるほど、俺の常識を保護するファイヤーウォールは低くないんだよ。その割には最近常識が自信を失っているわけだが。


「あの女は危険なんだよ」


「知ってるよ」


「そういう意味じゃない」


 会話が成立してしまった。


「あいつは世界中のテロリストから追われているんだ。どうしてだと思う?」


 知らん。不思議には思っているが、想像も出来ないという結論にたどり着かざるを得ない。テロリスト業界の価値観など知りたくも無い。


 恩田とやらは嘆かわしげに頭を振った。


「あの女は、特殊な菌を保菌しているんだ」


 ・・・なんだって?


「菌だよ。細菌」


 ・・・え~、要は、カビの菌とか、インフルエンザウイルスとか。そういうやつか。


「そうだ。厳密に言えばウイルスと細菌は違うものなんだが。まぁ、それはどうでもいい」


 どうでもいいな。それで?その細菌がどうしたって?


「小笠原 麗子の体内には、特殊な細菌がいるんだ。つまり、未知の。その細菌を培養すれば様々な病気を治す特効薬が創れるらしい」


 俺は思わず自分の身体を見回してしまった。


「大丈夫だ。その細菌は彼女のDNAを含んだものでしか培養出来ないらしい。他人には移らないよ」


 あんまり安心出来ないがまぁ、いい。


「薬が作れるなら結構なことじゃないか。とっとと研究所にでもなんでも麗子を連れて行って、どんどん細菌を培養してしまえば良い」


 あの血の気の多い女なら、血の一リットルも抜いてやってもピンシャンしているだろうからな。


「薬は毒にもなるんだよ」


 恩田は声色を低くした。


「その細菌が生み出す酵素は猛毒だ。しかも、その毒を中和するにはその細菌が出す別の酵素がいる」


 俺は思わず口をあんぐりと開けてしまった。


「ということは・・・?」


「小笠原麗子がいれば、解毒困難な毒薬が製造出来るということだ。同時にその解毒剤も独占出来る」


 ・・・テロリストはそれで、その毒薬目的で麗子を狙っているというのか?世の中、他にもいろいろと毒薬はあるだろうに。


「その毒は遅効性でね。つまりゆっくりと効果が現われるんだ。解毒薬が独占出来ることを考え合わせると、これは脅迫などに使い易い特徴だと言えるな」


 あ~、なんかすげぇたちの悪い毒だなそれ。如何にも麗子が好みそうな。


 なるほど、テロリストが麗子を欲しがる理由は、何とか理解した。


 それで?お前もその理由で麗子のことを狙っているのか?


「大体そうだ。だがちなみに、俺はテロリストじゃない」


「?」


「むしろ俺はテロリズムを憎む者だ」


 良く分からんな。テロを憎む者がどうして麗子を狙う?あいつも一応、テロリストを逮捕した事があるんだぞ。別にテロリスト自体はどうでも良いんだろうが。


「あの女がいると新たなテロが起こる可能性がある。その可能性の芽を摘むためだ。つまり、あの女を殺す」


奴はそう言った後、大袈裟なまでに身構えた。


「・・・そう、怖い顔をするな」


奴がそう言うくらいなのだから、俺はそういう顔をしていたんだろうな。俺は懸命に溢れ出す衝動を押し殺しながら言った。声が自然と低くなる。


「そんなことは、させない」


何の根拠も無い。しかし、俺は本気だった。そのためなら、俺はこの場でこいつを絞め殺すことさえしただろう。逆に撃ち殺される公算の方が高いだろうが。


「落ち着けよ。あの女を暗殺する気なら、わざわざあんたの前に姿を現したりするものか」


じゃあ、なんだ。早く用件に入るがいい。俺の自制心と忍耐力はかなり限界に近づいているぞ。


「じゃあ、そうしよう。俺としても、あの女をただ暗殺して、ジョンの組織に付け狙われるのは、あまりいい話では無いのだ」


そうだろうな。


「そこで、取引をしたい」


恩田は下唇を一度舐め、語り始めた。




「なんですかそれは。あなたともあろうものが、それをそのまま了承してきたのですか?」


 ジョンは湯飲みを両手で持ったまま呆れたようだった。しかしこいつ、姿顔形は外人のガキそのままなのに、いちいち仕草が日本人ぽいんだよな。日本語も俺より上手いし。


 俺の部屋である。こいつの来訪に慣れ始めている自分。俺って意外に、精神的にタフだな。


「仕方が無いだろう。提案を了承しなければ、麗子を陰から暗殺してやると言われたんだ」


「まぁ、確かにまた身を隠されては面倒なことになりますが・・・」


 恩田の提案はこうだった。


「サバイバルゲーム同好会対戦争部の勝負。あれを決戦の舞台としよう」


 なんだと?


「俺はサバイバルゲーム同好会の一員なのだ」


 そもそも恩田が秋川に働き掛けて、というよりそそのかして作らせたのがサバイバルゲーム同好会であり、今回の対戦も恩田の考えなのだという。つまり、黒幕だ。


「今度の勝負で、俺はあの女を暗殺する」


 恩田の瞳が鋭い光を放った。


「あんたはそれを阻止する。そういう勝負だ」


 俺は唖然とした。


「どういうことだ?」


「サバイバルゲーム自体は普通に行う。使用する銃器もモデルガン。ただし、俺は、あの小笠原 麗子に対してだけは実銃を使う」


 つまりはこういうことである。サバイバルゲーム上で俺が恩田をアウトにすれば、奴は麗子の暗殺を断念する。逆に、奴を阻止し切れなければ、その時だけ恩田は実銃を使用して麗子を暗殺する訳だ。恩田曰く、陰から付け狙って暗殺するよりも余程フェアな方法だ、ということになる。


「どうだ、これならあんたも、もし負けても諦めがつくんじゃないか?」


 俺は沈黙した。なるほどな。今回の勝負で俺が頑張って、この恩田を仕留める事ができれば、それは麗子を暗殺の危機から救うことになるわけだ。それにしても・・・。


「なんでそんな回りくどいことをする?身を隠したまま、機会を見つけて麗子を暗殺してしまえばよかったのに」


 恩田はその瞬間表情を僅かに翳らせた。


「俺は、テロリストじゃない。そういう暗殺はテロリストがやることだ」


 それから幾つかやり取りがあって、結局俺は恩田の提案を了承することになった。奴の表情が余りに本気であったのが、この馬鹿げた提案を呑むはめになった理由の一つだ。


 ジョンは腕を組んで唸った。


「テロリストじゃない、ですか」


 ジョンの言うことには恩田(偽名)は、数年前まで確かにテロリストであったのだという。しかしテロ組織から脱退し、その後各国を転々とし、数ヶ月前に日本へと入国した。


「本人が言うからには、テロ組織とは本当に縁を切ったのでしょうね。ならば話は早い」


「?何をするつもりだ?」


 ジョンは事も無げに言った。


「今の内に始末してしまいましょう。テロ組織の報復を恐れる必要が無いのなら、後腐れが無くて良い」


「やめろ」


 俺は短く強く言った。


「俺はあいつと約束したんだ」


「ムサシ。ブシドーは立派ですが、あなたは状況が良くお分かりでない」


 ジョンは両手を広げて溜息を吐いて見せた。


「相手はプロですよ?数年前まで、反テロ軍とジャングルや市街地で撃ち合いをしていた、本物の戦士です。それを相手にあなたが勝てるとお思いですか?」


 ましてや、懸かっているのは他ならぬ麗子の命である。しかし、俺は断言した。


「勝つ!」


 ジョンは青い目を円くした。しかし、俺の言うことに納得したわけではないようだ。俺は言葉を継いだ。


「もしも勝負の前に恩田を始末するような真似をしたら、全てを麗子にぶちまけるぞ。今回のことも、以前のことも全部な」


 ジョンの目が危険な彩を帯びつつ細まった。


「そんなことをしたら、あなたも唯では済みませんよ」


 俺はジョンを睨みつけながら鼻で笑った。


「俺も、お前もだろう?俺が殺されたら麗子は怒るぞ。手が付けられないくらいな」


 俺とジョンは凍りつくような沈黙の中で数秒睨み合った。やがてジョンが溜息を吐く。


「自分の価値が良くお分かりでいらっしゃる」




 サバイバルゲーム同好会 VS 戦争部の勝負は、俺たちが住んでいる町内にある山で行われることが決まった。町内にある山。すごい表現だが事実であるのだから仕方が無い。うちの町は、実にその半分が山地だ。戦争部ご用達の演習場もその山の中にある。


 事前にフィールドを視察することは禁止されていたので、その場所へは勝負の日に初めて行った。何の変哲もない森。広葉樹と針葉樹がごちゃ混ぜになっているいわゆる里山だ。公平を期するために、緩やかな谷間が選ばれ、その両サイドのちょっと高くなったところに、両陣営の本部を造り、フラッグを立てた。これを奪うか、奪われれば勝負終了ということになる。両フラッグは水平距離で三百mほど離れていた。


 こいつはちょっと不利だな。なにしろ戦争部は二人しかいない。このルールでは、フラッグを守るだけではなく攻めなければならない訳だ。二人しかいないものをオフェンスとディフェンスに分けるのは愚の骨頂というべきだろう。


 もっとも、こういうルールでサバイバルゲームをやることが初めてであったわけではない。以前、他でやって勝った時の様にやれば良いわけだ。・・・ある程度は。


 戦争部は当然、俺と麗子で二人。そして対するサバイバルゲーム同好会は、恩田を筆頭に十一人。あれ?一人多いな。


 その一人は、なんとあの学園のアイドル(?)。生徒会長でもある秋川 鮎美なのであった。


 秋川、どういうことだ?生徒会はこの件に対して中立なんじゃなかったのか?


秋川はなぜか胡乱な目で俺を見、ふいと横を向いてしまった。・・・理屈は通じないらしい。いつも通りのポニーテール。誰かから借りたのだろうか、アメリカ海兵隊軍服のレプリカを着込んでいる。そんな格好もまた凛々しくていいなぁ。


 などとにやけている場合ではないのであった。秋川のすぐ後ろに、カンボジア帰りで、向こうで少年兵をしていたことがあるという触れ込みで、サバイバルゲーム同好会の中心人物になりおおせたという恩田の姿があった。ちなみに、その経歴はほぼ完全に事実であるらしい。ただし、多分秋川たちに語ったものよりも遥かに壮絶な半生であったろうが。


「よろしく」


 奴は平然とした顔で麗子とも握手を交わして見せた。麗子は眉を顰めて恩田のことを観察し、後で俺に向かって感嘆もあらわに言った。


「あれは、出来るわよ。要注意」


 さすが。ツワモノはツワモノを知るらしい。


 戦争部が多人数と戦う場合、麗子お得意のブービートラップを多用するのがセオリーだ。本当は、普通サバイバルゲームにブービートラップなどほとんど使わないものなのだが、そんな常識は通じないのが小笠原 麗子なのである。まぁ、人数差があるのだからと相手も許容してくれる(そしてひどい目にあう)。


 この時も、戦争部の基本的な作戦としては、敵の予測される進撃ルートにブービートラップを仕掛け、それを避けようと迂回してきた敵を待ち伏せて殲滅するということになるであろう。もちろん、これほど人数差がある場合は、一気に殲滅するのはたぶん不可能であろうから、その後も二段三弾構えの作戦を取らねばなるまい。


 麗子はうきうきしながら持ってきた巨大なリュックサックからロープだの網だのかんしゃく球だのを取り出し始めている。既に両陣営とも分かれ、戦闘開始の合図を待っている状態だ。小さな身体からは戦闘開始を待ちわびる喜びオーラが発散しまくっている。愛用の米軍ヘルメット。戦闘服は合うサイズが無いので、器用にも自分で詰めたのだそうだ。


 こいつに変な菌がねぇ。何となく納得してしまいそうになるのがなんとも。俺は麗子のヘルメットをアサルトライフルの先で小突いた。


「なに?」


 麗子が怪訝そうに顔を上げる。瞳は輝き、頬は上気してピンク色だ。


 ・・・まかり間違えば、あと少し後には恩田の奴に撃ち殺されてしまっているかもしれないのである。そう思うとなんだか彼女が不憫になった。全てを話してやったらどうなのだろうか。驚いて、怯えて、この場から逃げ出して警察に駆け込んだりするのだろうか?


 愚問だな。この小笠原 麗子がそんな真似をするはずが無い。むしろ逆に、大喜びで恩田に向かって行くに違いないだろう。


「なによ?忙しいんだから早く!」


 俺は溜息を吐いた。


「・・・麗子。お前は俺が守ってやる」


 麗子はその瞬間、耳まで顔を赤くした。


「何を言い出すのよいきなり!」


「お前の後ろは俺が守ってやるから、お前は前だけ見ていろ。そうすれば俺たちは無敵だ」


 麗子は上目遣いで俺の表情を観察して真意を探り出そうとしているようだった。真意?俺自身にもそんなもん分からない。


 やがて、麗子は頷いた。




 俺の役目は今回もスナイパーだ。前衛を務める麗子のフォローが仕事で、なんだかフォローばかりの人生だなぁとか思って凹んでいる暇は無いわけで。兎に角、麗子の少し後ろから、彼女を死角から狙ってくるような奴を長距離射撃用のアサルトライフルで撃つ。そういう役目である。ただ、戦争部は二人しかいないので、実際にはもう少し臨機応変な対応が求められる。


 敵であるサバイバルゲーム同好会は当然、多人数を生かして、複数のルートからこっちのフラッグを目指したいところであろう。そんなことをされてはたまらない。そのためゲームスタートの合図と同時に麗子は山中に飛んで行って、実に手際良くブービートラップを仕掛けた。麗子曰く、敵に怪我させない様に罠を仕掛けるのは、それなりに骨が折れるらしい。


 いつもであれば、麗子の罠はほぼ完璧に機能し、全ての敵を翻弄してきた。格好だけはいっちょ前だが、中身は単なる銃器オタクというサバイバルゲーマーには、麗子の芸術的とも言える罠の数々を見抜くことなど出来ん。しかし、今回はプロである恩田といういつもとは違う要素がある。麗子の罠に全面的な信頼を与えるのは危険であろう。


 俺は迷った。


 今回のゲームで、最も優先しなければならないことは、麗子を恩田に暗殺されないことである。そう。ゲームに勝利するのは二の次なのだ。奴はゲーム中に麗子を暗殺すると言った。ということは、極端な話、早いところゲームに負けてしまえば、その方が麗子が暗殺される可能性は低くなるわけである。


 しかしながら、もしわざと負けるような真似をしようものなら麗子の怒りが爆発することは確実であろう。麗子を守ってやって、本人から怨まれ、下手をすると軍法会議の上処刑などという憂き目をみるのも業腹だ。それが嫌ならば同時にゲームの勝利も目指さなければならない訳だが、それが困難であることはもちろん言うまでもないことだろう。


 やれやれ。俺は無い頭をフル回転させて知恵を絞らねばならなかった。




 敵、サバイバルゲーム同好会は、一斉に斜面を登ってわが陣地を目指してきた。フラッグを守備する人員も置かず、思い切って全員攻撃に打って出たのである。戦争部の人員は二人しかいない。彼我の戦力比を鑑みれば特に無茶な作戦だとは言えないであろう。僅かな可能性を恐れて兵力を分散するよりは、数にものを言わせて一気に勝負をつける腹だろう。


 敵はある程度散開して斜面を登ってきた。しかしながら、斜面の傾斜は一部ではかなりきつくなっており、その場所は迂回せねばならなかった。


 麗子はトラップの名人であるが、これはトラップの仕掛け方が上手い、ということだけを意味しない。いくら芸術的なトラップを仕掛けたとしても、そこに獲物がやってこなければ意味が無いのだ。つまり、敵の行動を予測し、もしくは誘導し、敵を罠に導く手腕に優れていて初めてトラップの名手という称号が得られるのだ。そして、麗子はまさにその称号にふさわしい、敵を陥れることに関して天才的な能力を持っていた。


 敵は急斜面を迂回する際にわざと大きく迂回した。これは、こちらがその迂回を予測しているだろうと考えたかららしかった。


 ところが、麗子はこれを読みきっていたのである。


 慎重に前進する敵の一人が突然、悲鳴を残して消えた。ロープに足を絡め取られ、木からぶら下げられたのである。それを皮切りに敵の悲劇が始まった。


 驚いて立ち止まった一人の周囲にBB弾が弾けた。驚いたそいつは近くに立っている木を盾にしようと回り込み・・・、そのまま動けなくなった。木にべったりと強力接着剤が塗りつけてあり、押し付けた半身がゴキブリほいほいよろしく張り付いてしまったのである。


 一瞬姿を現した麗子に向って他の連中は突撃した。と、その足元で炸裂音。麗子が撒いておいたかんしゃく球が踏まれて破裂したのである。驚いて棒立ちになったそいつの頭上からサッカー部から盗んできたゴールネットが降ってくる。


 ネットに包まれて身動きできなくなった奴を避けて更に麗子を追った一人は、麗子が飛び込んだ繁みに続いて飛び込んで、凍りついた。地面が無かったからである。そこは斜面の角度が突然変わっているところだったのだ。麗子はといえば、木に縛り付けたロープで身体を確保している。斜面を転げ落ちる羽目になったそいつの頭上から無慈悲な麗子の放ったBB弾が降り注ぐ。


 瞬く間に四人の仲間が目の前でやられるのを見て動揺したのか、二人ほどが慌てて後退した。しかし、その時には既に俺がそこに回り込んでいたのだった。二人のヘルメットにBB弾が跳ねる。はい死亡。


 これで六人。俺は舌打ちをした。六人しかいない。もちろん、恩田も、それから秋川もいない。ということは、こいつらは陽動である可能性が高いということだ。フラッグが危ない。


 状況を瞬時に理解した麗子が繁みを揺らして走る。麗子は俊足である。そして、藪こぎの能力は野生動物並みだ。ところが、そこに同等のスピードで殺到してきた人影があった。海兵隊戦闘服に包まれたしなやかな肢体。ヘルメットは被らず、ポニーテールをむき出しにしている。秋川だ。


「覚悟!」


 秋川の殺気がこもったBB弾が至近から発射される。麗子はサイドステップしてすぐ横の繁みに飛び込んだ。


「今よ!回り込みなさい!」


 秋川が仲間に指示を出す。三人の男子生徒、恐らくは秋川のファンにして忠実なるしもべは、彼女の期待に応えるべく地面を蹴る。


 しかし、麗子は包囲されることを待ってなどいなかった。突然麗子が潜んでいた繁みから白い煙が噴出した。先日にやられた仕返しだろうか、煙幕だ。戸惑う一人が立ち止まる。そこへ、漂う白い煙が割れて小さな人影が砲弾のように飛び出した。麗子はそいつの胸倉を掴むと、合気道だか柔術だか分からないが兎に角見事な技で弧を描くように投げ飛ばす。


 秋川は惑わされなかった。麗子に目掛けて駆け、モデルガンを連射する。麗子はそれを、投げ飛ばされて気絶した敵の身体で受け止めると、身を翻して煙の中に戻った。


「くそう!」


 敵の一人が無謀にも煙幕の中に突入した。それはもう、無謀としか言いようが無かった。煙が薄れると、そこにはロープで芋虫のようにされたそいつが転がっているだけだった。麗子の姿は無い。


「?どこに・・・!」


 秋川が飛び退く。そこへBB弾が連続して着弾する。


「そこ!」


 秋川は銃を向けたが、そこには既に誰もいない。秋川の最後のしもべがそこへ突入する。


「あ、だめ!」


 秋川は制止したが、遅かった。いつの間にか木の上に登っていた麗子がそこから飛び降り、そいつにドロップキックをかました。吹っ飛ばされてそいつはそのまま動かなくなる。そいつにとどめのBB弾を撃ち込みながら、麗子は笑った。勝ち誇った笑みを、秋川に向けて。


「ふふふ、後は、あなただけよ」


 そう。十一人いた筈のサバイバルゲーム同好会は、遂に秋川一人だけになってしまったのだった。正確にはもう一人、恩田の奴が残っているのだが、奴はそこにいなかった。ついでに言えば俺もそこにはいなかった。


「どうする?降伏する?」


 麗子は言いつつベレッタを握りなおした。


「まさか!」


 秋川は言ってアサルトライフルを捨て、拳銃をホルスターから抜いた。


「いっそ初めからこうすればよかったですわ!」


 秋川の麗しく大きな瞳に、危険な光が満ちた。


「一対一!勝負を着けましょう。小笠原 麗子!前田君は渡しません!」


「それはこっちの台詞よ!」


 麗子の眼光も負けず劣らず危険だった。


「あいつは私の部下なんだからね!」


 二人は同時に地面を蹴った。死闘の始まりである。




 さて、女二人がなにやら恐ろしい戦いを始めていたその頃、俺は恩田の後頭に銃口を突きつけていた訳である。


 恩田は呆然としていた。


「・・・どういうことだ・・・」


「どうもこうもない。勝負はついた。それだけだ」


 俺は引き金を絞った。高い音を立ててBB弾が恩田のヘルメットで跳ねた。これで、恩田は死亡だ。


 恩田は頭を振った。どうも状況が飲み込めていないようだった。


「なぜだ。なぜ俺がここにいると判った?完全に裏をかいたと思ったのだが」


 ここは、サバイバルゲーム同好会の陣地近くだった。恩田は自軍のフラッグに銃口を向けながら繁みに潜んでいたのだった。


 俺は、敵がやってきた段階で、恩田の姿が見えないことに気が付いていた。奴はどこにいるのか?俺は考え、結論していたのである。奴は自軍のフラッグ周辺にいると。


 なぜか。恩田の目的は麗子の暗殺である。つまり、サバイバルゲーム中に実銃を使って人殺しをやろうというのである。これはかなり困難なことだ。なにしろ、両陣営あわせて十三人もの人間がいる中で発砲するのである。恩田が実銃を使っていることが発覚した瞬間に全員が大パニックになるだろう。当然、麗子にも気が付かれてしまい逃げられてしまう事になる。ならば、他の連中に気が付かれて騒ぎにならないように、目立たないように麗子を仕留めなければならないわけだ。それには、出来れば麗子が一人でいるところを狙うのが望ましい。


 麗子が一人になる状況とはどのような場合が考えられるだろうか?乱戦状態ではもちろんそんな状況は有り得ない。


 考えられるとすれば、勝敗が完全についてしまった場面ではないだろうか。戦争部とサバイバルゲーム同好会との勝負は、どちらかが相手のフラッグを奪取することによって決着する。言い換えれば、敵を全員倒してもフラッグを奪わない限り終わらないのだ。


 サバイバルゲーム同好会が全員やられてしまった後、麗子が意気揚々とフラッグを奪いに来る。勝利目前で油断しているだろうし、恩田が残っていることは認識していても、まさか実銃で撃たれるとは思っていないだろうから、麗子があっさり狙撃の的になってしまった可能性は高かっただろう。


 つまり、サバイバルゲーム同好会は全員恩田にとっては囮、というか餌だったわけである。


「・・・まさか、読まれるとはな。あんたを侮っていたわけではなかったのだが、結果的にはそういうことになってしまったか」


 恩田は肩を落とした。俺は敵のフラッグ周辺で狙撃に向いた場所を探し、案の定潜んでいた恩田にそっと近づき、銃を突きつけたのだった。


 やれやれ。予想が当たったから良い様なものの、危ういところだった。もしも恩田が違う作戦をとっていたならば、麗子をひとり残して来たのだから守りようが無かったのだ。俺は恩田に声を掛けた。


「それで、どうするんだ?諦めるのか?」


 恩田はじろっと俺をにらんだ。


「・・・仕方が無い。約束だからな。・・・ふん、何れにしろ俺はジョンの組織に逮捕されることになるだろうから、もうあの女を狙う機会も無いだろうよ」


「・・・テロリストを憎んでいると言ったな」


「ああ」


 恩田は短く答えたが、その表情が複雑な思いを伝えてきた。俺は言った。


「一つ、提案があるんだが・・・」


恩田は眉を顰めた。


「戦争部に入部しないか?」


「は?」


「ジョンの奴は俺が説得する。このまま学校に残るなら、戦争部に入れ」


 恩田は爆笑した。


「ずいぶん度胸がいいんだな」


 恩田はどうにか笑いを納めると言った。


「そんなことをして、俺がまたあの女を狙ったらどうするんだ?俺を哀れんだのかもしれないが、あんた、人が良すぎるぞ」


 そうかも知れんな。だが、


「別に哀れんじゃいない」


 俺は首を振った。


「お前が憎んでいるのは麗子じゃなくてテロリストなんだろう?ならば、俺の提案はお前の本当の目的にもかなうんじゃないのか?」


 恩田の表情から笑みが消えた。真剣な顔になる。


 俺はとりあえずサバイバルゲーム同好会のフラッグを取るためにきびすを返した。フラッグをキャッチしなければゲームが終わらないのだ。


「俺も、頼りになる味方がいれば心強いしな」


 恩田はしばらく無言だったが、俺が数歩歩んだ頃にようやく言った。


「・・・分かったよ、部長」




 フラッグについている笛を吹き鳴らす。これがゲーム終了の合図だ。つまり、戦争部は見事、五倍以上の戦力差を跳ね返して勝利したわけである。


 俺は恩田とともに麗子たちがいる方へと向った。


 ・・・そして唖然とした。そこに鬼がいたからである。


 いやいや、それはよく見れば、髪を振り乱した二人の人間であった。


 更に良く見ればそれは女のようであった。


 更に言えば、それは他でもない、小笠原 麗子と秋川 鮎美なのであった。髪の毛はぼさぼさ。服のあちこちに葉っぱやら枝の切れ端やらがくっついている。頬には擦り傷、引っかき傷、額に珠の汗をかき、肩で息をしていた。い、いったい何が起きた?


「・・・私の、勝ちね!」


「嘘よ!認めないわ!」


 秋川は叫ぶと麗子に飛び掛った。がしっとばかりに互いに両手を組み合う。


「あ・な・た・な・ん・か・に!前田君は渡さない!」


「う・る・さ・い!往生際が悪いわよ!」


 と、二人はバランスをくずし、二人まとめて斜面を転げ落ちた。転げながらも戦いを止めない。


「なによなによ!ちんちくりんのむねぺったんの癖に!」


「な、なんですって!あんたこそ着こなしでごまかしているけど実は体重が五十kg超えてるくせに!」


「ど、どうして!す、すぐに痩せてみせますわ!」


「それに実は足が二十六センチもあるくせに!」


「ななな、なんであんたがそんなこと知ってるんですの!」


 俺は頭痛をこらえた。・・・もしかして、止めた方がいいのか?


「いいだろうなぁ」


「おい、部長命令だ。おまえ止めろ」


「無理だな」


 恩田は即答して肩をすくめた。


「ここはやはり、あんたが止めるべきだろうな。あんたのせいみたいだし」


 濡れ衣だ。


「どうでもいいが、早く止めて、トラップに掛かった連中を助けてやらないと、そろそろまずいんじゃないかね?」


木からぶら下げられたり、ほいほいに掛かったゴキブリの気分を味合わされて半泣きになっていたりする連中を早く助けてやらなければ、戦争部の評判はまた一段と下がることになるだろうなぁ。


 俺は覚悟を決めて、お互いの頬を引っ張り合い始めた二人に向って恐る恐る近づいて行った。




 こうして、戦争部に新入部員が入ったのであった。


 ・・・本当であれば、十人の部員が入るはずであった。サバイバルゲーム同好会と戦争部は統合されたのだから、そっちの部員がそのまま戦争部に来るはずだったのだ。しかしながら、サバイバルゲーム同好会部員の内九名は、戦争部への入部を断固拒否した。まぁ、無理もないだろう。俺は彼らが出した退部届を黙って受理した。


 そう、残り一人。恩田 岬だけが戦争部に移ってきたのである。


 麗子は素直に喜んだ。


「これで三人。これなら一個師団を相手にしても勝てるわね!」


 いや、無理だろう。


 恩田は曖昧に笑っていた。こいつが戦争部に入ることにした理由は一つ。麗子の傍にいれば、麗子を狙って来るテロリストを仕留めることが出来るからである。


 ジョンは呆れていた。


「レディジェネラルが危険だとは思わなかったのですか?」


 思わないね。あいつの目的は始めから麗子ではなくて、テロを防ぐことの方だ。それならば麗子を取り除くよりも、麗子を餌にテロリストを誘き寄せた方が、より効率が良いだろう。その事に気がつけば、麗子に害を加えようという気など無くなっているさ。


 ジョンは肩を竦めた。


「・・・レディジェネラルがあんなに新入部員を喜んでいたのでは、もうあいつを排除することは出来ませんねぇ・・・。余計なことをしてくれました」


 言葉とは裏腹に、それほど深刻そうな表情ではなかった。まぁ、いつもニコニコしているこいつの表情を読み取るのは容易ではないのだが。とりあえずジョンは恩田を放置することを明言した。とりあえずはそれで十分だった。


 戦争部部員は三人になった。しかしながら、戦争部部室の風景が変わった理由はそれだけではなかったのである。


 机が一個増えて三つが向かい合う形となった戦争部室内。やることは変わらず読書だったが、恩田が来たおかげでたまに将棋やオセロなどが出来るようになった。麗子はそういうゲームにはまるで興味を示さなかったからな。恩田と麗子が会話を交わすことはほとんど無かったが、稀に銃器のディープな話をしていることがあった。それには俺がついていけん。


 と、部室のドアがノックも無く開く。


 麗子が瞬時に反応してモデルガンを机から抜き出して連射。同時にトラップが発動してロープが飛んで左右から侵入者に襲い掛かる。ついでに言うと俺と恩田は身を伏せて部屋の端に匍匐前進する。・・・慌ててはいない。もう慣れた。


 侵入者は鋭い動きでロープを叩き落すと優雅な動作でBB弾を避け、前方に飛び込むと一回転して立ち上がった。


「甘いですわ!小笠原 麗子!」


 髪を払ってふんぞり返ったのはもちろん秋川 鮎美である。麗子が悔しがる。


「く~!何言ってるの!昨日はぶら下げられてパンツ丸出しになったくせに!」


「昨日は昨日!今日は今日ですわ!」


 秋川は叫ぶと、俺の首根っこを引っ掴んで引き寄せた。やめろー、つーか、胸が当ってる胸が!


「というわけで今日は私の勝ちですわ!ね、前田君!」


 秋川は言って俺の頭を撫でた。俺は子供か!


 なんだか知らないが、このところ秋川は毎日のように戦争部室にやってくるのである。そして、部室の入り口で麗子と戦闘を繰り広げる。そして秋川が侵入に成功すると、どうも俺をおもちゃにして良いと、いつの間にか暗黙の了解が出来てしまったようなのだ。俺の意思はどうしてくれる?というか秋川、生徒会の仕事はいいのか?


「大丈夫よ、それも抜かりなくやってるわ。心配してくれてありがとう!」


 頬擦りするな。それ以上やるといろいろとヤバイから止めてくれ。


 というのも、最近秋川がこの調子のおかげで、俺は秋川のファンから、それはもうとんでもなく憎まれているのである。なにしろ校舎内を歩いていて後ろから石を投げられるくらいだ。おいおい。勘弁してくれ。秋川には秋川なりのルールがあるらしく、教室や他の場所ではこんなではない。あくまでも戦争部室の侵入に成功した時のみ、自分にこのような状態となることを許しているようだった。


 麗子のきっつい視線が突き刺さる。うわぁ、後が恐ろしい。秋川の勝率は今のところ四割程度と、未だ麗子が侵入阻止に成功する可能性のほうが大きい。しかしながら、彼女としては阻止率十割を目指しているに違いなく、侵入を許すととんでもなく不機嫌になるのだ。こういう日は後でネチネチといびられるはめになる。秋川の柔らかさに顔が緩んだりすると更にひどいことになるので、表情に気を使わなくてはいけなくてそれも大変なのだ。


 やれやれ。見ると、恩田の奴がニヤニヤと笑っている。癪に障る。こっちの苦労も知らないで。


「なんだ」


「いや、平和だと思ってね」


 ・・・まぁ、平和ではあるな。俺は秋川に抱きつかれたまま窓の外を眺めた。あいにく外はそろそろ近付き始めた梅雨を思わせる、曇り空だった。





 あとがき


 なんてゆっくりな更新ペース。待って下さっていた方が果たしていらっしゃるのか?兎に角お待たせいたしました。戦争部戦記4でございます。


 今回やりたかったのは、兎に角、麗子先輩にライバルが出現するという、単にそれだけでした。いや本当に。生徒会長、美人、スタイルが良い、そして積極的。王道の王道を行くライバルヒロイン。いや~、なかなか良い感じの人が出てきたんじゃないでしょうか。作者的にはこういうデレデレキャラも実は大好きです(笑)。


 新キャラといえば、能力をまったく発揮することができなかった恩田君。今後、活躍してくれることを祈りましょう。本当はもっとすごい人です。でもこの人が本気を出すようになると、血が乱れ飛んじゃいそうなんですよねぇ。どうしましょうか。


 さて、果たして次の更新はいつになることやら。お約束は出来ませんが出来るだけ頑張りますので、新キャラともども麗子先輩とムサシ君を応援してやって下さい。




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