戦争部戦記5
俺が住んでいるのは、北関東の田舎町だ。街じゃなくて町。
明治にこの辺に線路が通る事になって、当然、奥州街道沿いの古い宿場町の傍を通そうとしたのだが、古い町の古老が「丘蒸気なんかが来たら火事になる!」と叫んだおかげで、線路は曲がって家の町の傍(当時は小さな村)を通ることになったそうな。
以来100年ちょっと。古い町のほうはどんどん没落して寂れてしまったわけだが、こっちの町は順調に発展。今に至る。
・・・まぁ、100年も掛かって人口は3万人ちょい。しかも20年位前から一向に増えていないときたもんだ。
そんなわけで、この町には有体に言って伝統が無かった。日本の伝統文化というのはそのほとんどが江戸時代に整えられた。この町は江戸時代には単なる農村。それが町になったのであるから、昔から続く伝統行事などはまったく無かった。
何が言いたいのかというと、この町には祭りというものが無かったのである。
祭りというのは本来「神を祀る」ものである。そのために様々な方法で神に捧げ者をする。それが多くの祭りで行われる伝統行事だ。
この町には古い神社があるにはあるのだが、何故かその神社は祭りを行わなかった。恐らく江戸時代には祭りをするほど周囲に人が住んでもおらず、行いたくても出来なかったのであろう。そのため、中ではこっそり何かやっているかもとは思うが、あるいはちょっとした事ならやるのかも知れないが、全国的に有名になるような過激なお祭りなどは無かったのである。
しかしながら、祭りには本来の「神を祀る」目的のほかにも重要な役割がある。
地域住民が同時に「祭り」というものに没頭することによって、全員が一体感を得、それによって地域住民の結びつきを強めるという役割である。ついでに言えばお上公認で大騒ぎすることによって色々なストレスを抜くという意味合いもある。つまり、祭りが無いと色々と困ったことになるのだ。
そのため、この町にも「お祭り」は存在した。宗教的意味を持たないので「祀り」ではない。単なる「お祭り」一応、お神輿も出るが、その神輿に神が乗っているのかどうかなど誰も気にしない。そういうお祭りである。
もっとも、ガキの頃の俺たちには「祀り」だろうが「お祭り」だろうがなんでも良かった。兎に角、出店があって普段と違った雰囲気があって、お祭り手当てとも言うべき特別なお小遣いがあれば問題無い。ガキの頃は500円玉を握り締めて夜店の群れに突撃し、老練なテキヤに全て巻き上げられて悄然と家路についたものだった。
お盆のどんよりとした空気の中で行われる、ただの「夜店陳列会」に心が躍らなくなったのは何時からだったろうか。中学生の頃にはすでに「うざい」と思い出していたような気がする。それは中学生になるとこの「サマーフェステバル」の手伝いをやらされたからかもしれないし、そうでないのかもしれない。たっぷり練習させられた合唱を特設ステージで披露した際、夜店に夢中になるあまり誰も聞いていないのがみえみえだったという経験が俺をやさぐれさせたとしても誰も責められまい。
おまけに中学生ともなると体の成長に応じて食欲は増す訳で、夜店のゲームで遊ぶぐらいならお好み焼きやら焼きそば、たこ焼き、とうもろこし、チョコバナナ、その他諸々の食べ物に引かれてしまうのは無理からぬと思っていただきたい。ガツガツと普段あまり食べない不衛生な食べ物を満喫してえば、最早予算など残っていない。
そして夜店で食べられるものなど、いくらこの町でもいつでも食える。そう気がついてしまえば、夜店を待ち焦がれる心理は薄れてしまう。小遣いも上がってそれなりにいつでも買い食いが出来るようにもなっていたし。
そんなわけで、高校生になって最初の夏祭は、俺にとってイベントともいえないような、どうでも良い催しになる、筈だった。
町内にある大きな公園。そこのグランドを囲むように夜店が立ち並んでいた。昔は町内の通りを歩行者天国にしてお祭りは行われたのだが、いつの間にかこの形式に変更されていた。夜店の立ち並んでいる通路は狭く、そこをびっしり人が埋め尽くしていた。
なにもこんなしょぼい夏祭りに町中の人間が集結しなくても良いのに。俺は思わず嘆息した。まぁ、イベントごとが少ない町では、こんなしょぼい夏祭りすら子供たちが一年中楽しみにしているイベントだったりする。俺だってガキの頃はそうだった。
夏祭り参加は強制ではない。特に何故かこの会場の特設ステージで意味も無く合唱や発表会を強いられる中学生以外は。来たくなければ家で寝ていれば良いのだ。
なのに俺は来た。しかも、何故か浴衣でだ。
はっきり言おう。この夏祭り会場に浴衣で来ている人間など半分もいない。特に男では、ほぼ皆無だ。
男の浴衣など、温泉旅館にでも行かなくては見る事は出来まい。それくらいレアな代物だ。それなのに俺はわざわざ格子模様の浴衣を着てここにいる。超、目立つ。というか。不気味なものでも見るかのような顔で見られる。浴衣の上から何か羽織ろうかと思ったのだが、そんな事も許される筈も無かった。
何が許さないかといえば、この浴衣はそもそも俺の物ではなく、これを着ているのも俺の意思ではないからだ。
「あ、いたいた」
カランコロンと下駄の音を響かせながら寄っていたのは。
「あれ?何?あんた。スニーカーじゃない!なんで下駄履いて来ないのよ!風情が台無しじゃない!」
「持ってないんですよ。下駄なんて」
「それでもあんた日本人なの?」
オレンジ色の花柄。浴衣としてそういうカラーリングはどうなのかと思うような派手な浴衣に身を包み、普段は単に流している髪を後頭部で結っている。いつも通り飾り気の無い黒ぶちメガネ。化粧など考えた事も無いというような肌。それでも俺は思わず唾を飲み込んだ。
「まぁ、いいわ。行くわよ!援護しなさい!」
その日本語は間違っている。そうは思ったが指摘することは出来ず、俺はただ黙って彼女の後を歩き始めた。
小笠原 麗子はその途端に歩きなれない下駄を段差に引っ掛けて豪快にひっくり返りそうになり、俺は慌てて彼女の腕を掴んだ。
小笠原 麗子に部室で夏祭りの話をしたのは単なる世話話に過ぎなかったのだが、その反応は予想外だった。
「行く!」
「は?」
俺の間抜けな反応を聞いているのかいないのか、麗子は椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった。
「行きたい!夏祭り!行った事無い!」
・・・?何故だ?俺は深刻に不審がった。
「夏祭りでは別に死人は出ませんよ」
「あんた私を何だと思っているのよ!」
麗子は手にした文庫本で俺の頭を打った。
「行ったこと無いのよ。夏祭り。去年はこの時期は旅行に行ってたから!」
ちなみにここは部室だが、今は夏休みだ。登校日にわざわざ部室に二人しかいない部員が集合している訳だが、これは驚異的な出席率ではなかろうか。ただし、やっていることは麗子が本読み、俺は暑さにうだりながらの昼寝だったのだが。
「・・・旅行って海外ですか?」
「そうよ?」
このブルジョアめ。海外どころか本州から出た事も無い俺は深刻にひがんだ。
「どうでも良いのよそんなことは!行きたい!夏祭り!」
「まぁ、良いですよ。そんなに行きたいなら行きましょうか」
麗子はなんだか顔を紅潮させてまで喜んだ。俺だって麗子が鉄砲ごと以外に喜びを見出すのであれば、それはそれは良い事だと思うので、付き合ってやるにやぶさかではない。
しかしながら彼女は立ち上がると言った。
「じゃぁ、浴衣買いに行きましょう!」
「は?」
「浴衣よ。私、持ってないもの。あんたは持ってるの?」
「いや、持ってませんよ」
小学校の時に着てた奴ならあるかもな。
というか、別に浴衣は要らんでしょう。Tシャツで行けば良いんですよ。
「いやよ。せっかく行くなら浴衣よ浴衣!」
という訳で、麗子と俺はそのまま麗子のバイクで町へと向かい、量販店で浴衣を購入。たまたま手持ちが無かった俺の分まで麗子が文句も言わずに払い、ことのほかご機嫌の麗子に押し付けられた浴衣を手に俺は途方にくれたのだった。
夜店というのは、ほとんどが食い物屋である。しかも、チープな食い物屋であると相場が決まっている。焼きそば、お好み焼き、わたがし、チョコバナナ、たこ焼き。どれも数百円で買えて、しかも結構量がある。その辺が意味も無く年中空腹な思春期の少年少女を引き寄せて止まないのであるが、俺も基本的には例外ではない。晩飯も食って無いしな。早速アメリカンドックを買って齧りながら歩いた。
しかしながら麗子はあまり食い物には興味を示さなかった。ちなみに、彼女は小食で、演習の時の昼飯はいつもカロリーメイト半箱だ。故に彼女の目的は食い物系の夜店では無い様だった。しかし何かを探している証拠にきょろきょろと辺りを見回している。
日本の夏祭りに初めてきた癖に、何を探しているのやら。目的のものがあることを願いたいね。もしも無かったらせっかくのご機嫌が一気に反転して、ここにいる人々の身体に危険が生ずるかもしれないからな。
だが、心配は杞憂に終わった。麗子は目的のものを見つけると、俺の袖を引っ張ってそこへと突入した。
なるほど。麗子らしい。
その夜店はいわゆる射的ゲーム屋であった。5mくらい離れたところにいろんなおもちゃが並んでいて、それをおもちゃのライフルで打ち落とすというあれである。どうも麗子はこれがやりたくて夏祭りに来たがったらしい。確かに、マンガなんかだと夜店で射的は定番だ。
「ねぇ、これ、どうやるの?どうやったら勝ちなの?」
勝ち負けはありません。
「その空気銃で、あそこのおもちゃを撃ち落せば、そのおもちゃがもらえるんですよ」
「ふ~ん、別にどれも欲しくないなぁ」
身も蓋も無いことを言うんじゃありません。
「ま、いいや」
麗子は店番のおっちゃんに300円を払うと、自信満々にライフルを構えた。さすがに様になる構えだ。浴衣だが。
俺は実はこの時点でかなり結果が予想出来ていた。なに、簡単な事だ。俺だって昔はこの射的が結構好きだったのだ。それだけ投資もした。だから麗子の考えている事が根本的に間違っていることが分かるのである。
麗子は息をふっと吐いて切ると、スムーズに引き金を引いた。ポン、と気が抜けた音がして、コルク弾が飛び出す。そして熊のぬいぐるみに見事に命中。ただし、熊は微動だにせず。
「やった!」
と喜んだ麗子は、俺やおっちゃんが何の反応も示さないのを見ていぶかしんだ。
「え?これであれがもらえるんじゃないの?」
「落とさないと駄目です」
俺は冷酷に告げた。
「ええ?落とすの?だって、この銃の威力じゃ…!」
麗子は絶句した。無理も無い。
「そういうルールなんですよ」
「だ、だって!」
「麗子先輩、遂行すべき作戦に戦力が足りないからといって、任務を拒否出来ないでしょう?それと同じですよ」
麗子はあからさまに表情を改めた。眉の両端が跳ね上がる。
「分かったわ!見てなさいよ!」
弾はあと二発ある。麗子は決然と景品台に立ち向かった。
…だから、結果は分かってるって。
麗子は結局、その後二発。で、気が済む筈も無く、俺が止めるまで1200円をつぎ込んでゲームを続行したのだった。
で、麗子にしては珍しいくらいに凹んでいた。無理も無い。アメリカ時代は射撃大会で優勝した事があるほどの銃の名手である彼女にして、生涯初と言って良いだろう屈辱だったろうから。
「ひとつも、ひとつも落とせないなんて・・・」
うずくまっていじいじと地面に指で穴を開けている。
「無理も無いですよ。ルールも知らなかったし、コツも知らないんだから」
「コツ?」
「あれはコツがあるんです。銃の腕はあんまり関係無いんですよ」
「どういうこと?」
しかたないな。俺はおっちゃんに金を払うと、何年ぶりかでおもちゃのライフルを手に取った。
そして、身体を台の上に乗り出して銃口を伸ばす。身体が大きくなった分、今の方が景品に銃口が近付けられるだけ有利である。出来うる限り銃口を近付けて、しかも目標はチョコレート菓子の箱。その上目を狙い、ポン。
ころんと菓子の箱が転落し、おっちゃんは無言で俺に菓子の箱を手渡した。麗子を見ると唖然としている。
「なにそれ」
次に顔を真っ赤にして怒り出した。
「そんなのずるいじゃない!どういうことよ!」
「だから、こういうことですよ。これは空気銃で、弾丸も空気抵抗に弱いでしょう?近いほうが威力が増すのは当たり前じゃないですか」
ぐっと言葉に詰る麗子。しかし、気を取り直して更に叫んだ。
「じゃぁ、あの熊のぬいぐるみはどうやって落とすの?」
「あれは落とせません。飾りですよ。客寄せの」
身も蓋も無い。しかし麗子は納得しなかった。
「ムサシ!命令よ!あれを落としなさい!」
「ええ?」
俺は困惑した。麗子はなぜか得意そうな顔をして腕組みをしている。仕方が無い。あと二発、撃たなければならないのは確かだからな。
熊のぬいぐるみは台の一番上の、遠い所にある。大きさも30cmほどあり、重そうだ。つまり、あれはその横にある有名ゲーム機と同じく大当たり、もしくは客寄せであり、普通は落とせない。ああいうのは華麗にスルーして落とせる範囲を確実に落とすのが夜店での鉄則なのだが…。
俺は爪先立ちをして限界まで身体を伸ばす。それでも銃口からぬいぐるみまでは5mはある。出来るだけバランスを崩し易そうな頭を狙い、引き金を…。
その瞬間、俺の足を何かが払った。爪先立っていたのだからたまらない。完全にバランスを崩して前のめりになり、
「うわぁぁあ!」
台を乗り越えて俺は店の中に転落した。
さすがにおっちゃんが驚いて俺を助け起こす。ブルーシートが敷いてあったために浴衣が汚れずに済んだのは幸いだった。上手く手も付いたので怪我もしなかったが…。
「こら~!なにすんだ~!」
俺は推定有罪の容疑者に向かって怒鳴った。麗子はそしらぬ顔をしてそっぽを向いていたが、突然こっちを向き直り。
「あ~!」
と叫んだ。
何事かと見ると、例の熊のぬいぐるみが落ちていた。
「とったとった!凄い凄い、ムサシ!やったね!」
確かに、転落直前に発砲してはいたが…。果たしてゲーム的にあれは有効なのか?そう思っておっちゃんを見たのだが…。
おっちゃんは喜んで飛び跳ねる麗子をしばらく見て、それから首を振りながらぬいぐるみを手に取ると、俺に押し付けたのだった。
台を据えなおすのを手伝い、おっちゃんに謝罪をして俺たちはその夜店を後にした。麗子はすっかり慣れたらしい下駄をカラコロ言わしながら、戦利品のぬいぐるみを大きく振り回している。
「…麗子先輩」
「何~?」
「やりましたね?」
それは確認だった。俺を転ばせたのは間違いなくこの女だが、さすがに理由も無く俺に暴力を振るうような事は無い筈だ。となれば何か理由があってそれをしたわけであり、それはまずその手にあるぬいぐるみに理由が求められる筈だ。
「何をしたんですか?」
麗子は俺を見ながら照れ笑いのような表情を浮かべた。
「あんたが転んで、おっちゃんが目を離した隙に、石で、ね」
「犯罪じゃないですか」
「なによ、あんな詐欺みたいなゲームで1000円も取られたのよ?これくらいやってやんないと気がすまないわ」
気持ちは分からんではないが。俺はため息を吐いた。
「もうしないでくださいよ。テキヤはヤクザの場合があるんですから。ばれたら大変な事になりますよ」
「ごめんごめん」
麗子は踊るように一回転すると俺の腕を抱いてきた。思わず動きが止まる。そんな俺を麗子は見上げ、見せ付けるように熊のぬいぐるみを突き出した。
「で、これは私がもらってもいいのよね!」
「…好きにしてください」
それからはなんということも無かった。麗子の目的は射的ゲームだけだったから、それが終わってしまえばあとはぶらぶらと並ぶ夜店を順繰りに覗くだけだ。麗子は食欲に乏しいので、一つだけ林檎アメを買ってそれを齧りながら、気まぐれに俺の袖を引いて歩いた。
食べ物系の店は覗くだけ。俺にどういう食い物でどのように食べるのかを聞くだけだ。俺は焼きそばとお好み焼きを買って食ったので、その時は少し分けてやった。
麗子が一番興味を示したのはおもちゃ屋で、なかんずく最高に目を輝かせたのはいわゆる銀球鉄砲だった。首尾一貫して何よりだ。
「なんてキュートなガンなの!超いかしてる!」
どうでも良いがその言い方はとても帰国子女の台詞とは思えないぞ。
銀球鉄砲を帯に挟んでニコニコ笑っている小柄で美人な眼鏡浴衣女子高生というのは一体どういう狙いがあるのだろうか。知らんが。
金魚すくいを見つけたのでやってみるかと聞いてみたのだが、慎重に先にやっていた連中を観察した挙句、首を横に振った。
「誰もすくえて無いじゃない。これも何か私には分からないコツみたいのがあるんでしょう?」
その通りだが、それを言い出したら夜店でなんて遊べないぞ。どうも射的屋でやられたのが軽くトラウマになっているようである。
出ていた夜店はせいぜい30件というところだった。グラウンドの中央では借り出された小中学生や老人会などの発表会じみたイベントがやっていたが、参加させられていた時の感想からするとあれは見る価値が無い。やっている連中にやる気がないからだ。やる気が無い連中のやっていることを見て楽しめる筈が無い。
つまりはほんの30分ほどで見るべきものは見てしまった。麗子はややがっかりしたような表情を浮かべた。
「なんだ、もう終わりか。つまんない」
「だから、そんなにおもしろいもんでも無いって言ったでしょう?」
が、麗子はふふん、と笑って熊のぬいぐるみを顎で挟むように抱きしめた。
「まぁ、いいわ。これは結構、嬉しかったし」
上目遣いで俺を見上げる。その表情はなんというか、子供っぽくて、俺はちょっとドキッとした。あらためて後ろで無造作に束ねられた黒髪と白いうなじ、オレンジ色の浴衣の下にはっきりと浮かぶ薄い肩、素足に引っ掛かる下駄などに視線が引き付けられる。
麗子と二人で出歩いた事は初めてではなかったが、そのどれもが色気とは縁遠い演習やらサバイバルゲームやら、依頼を解決するための活動であったから、なんというか「戦い」がらみではないお出掛けはこれが初めてかもしれなかった。
そう考えると、学校でもそれなりに美人の誉れ高い麗子と二人きりで夜店めぐりするというのは、これは立派に一般的男子から見れば羨ましいことだと言えるのかも知れず、俺は何とはなしに周りを見回してしまった。
で、視線を麗子に戻した時、麗子は俺の事を見ていなかった。
夜店の方をじっと見ている。ん?何か興味を惹かれるような夜店があったのか?
しかしそういうのとはなんだか雰囲気が違う。ん~?なんだか嫌な予感がする。
と、思ったら麗子はいきなり俺の手を引っつかんで早足で歩き始めた。いきなりの事で俺は危うく転びそうになる。なにしろ慣れない浴衣である。
「なんですか一体!」
「しっ!静かに!」
鋭い声。そしてその表情は。
ああ、やっぱりそういう事か。
実に麗子らしい表情。目が爛々と輝き、唇の両端がきゅっと釣りあがっている。なんというか何かに飛び掛りたくてうずうずしている猫のような。
つまり、麗子は獲物を見つけたのだった。
麗子が駆け出すのに付いて俺も走る。浴衣で走るのは困難だし、目立つのも嫌だったが仕方が無い。しかしいったいどうしたというのだ。
人ごみに分け入ると麗子は足を緩めた。ほとんど忍び足になる。そして俺の手を掴むと顎でその方向を示した。あ・・・。
その瞬間、夜店を見ながら歩いていた中年男性の尻ポケットから、財布が抜き取られるのが見えた。抜いたのは帽子を被った学生と思しき男。
スリだ。
麗子はあれを遠目で発見したらしい。目は悪い筈なのに。
帽子の男は足早に歩き去っていった。すぐに人込みにまぎれて見えなくなる。
麗子は無言で俺の手を引いた。てっきり男の後を追いかけるのかと思いきや、別の方向へ歩いて行き、夜店の列から離れて芝生の暗がりに歩いて行く。まるで人目を避けるように。なんでって?それは自分の姿を隠すためだ。
「うふふふ・・・」
うん、俺もあんまり今の麗子は他人に見せたくない。
「えへへへへ・・・」
笑い方が不気味だ。涎をたらさんばかりの喜びようである。酒でも呑んだのかというような陶酔した表情。身体を小刻みに震わせて麗子は笑っている。なんでって?
「敵よ!」
麗子は顔を上げて満開の笑顔を俺に見せた。
「敵がいたわ!あれ、社会の敵よね!敵でいいのよね!」
…あんたも社会道徳の敵になりそうだがな。
「なんてことなの!こんなところで敵に出会えるなんて!」
敵に出会えて喜ぶというのはどういうことなのか。
「だって社会の敵ならやっつけてもどこからも文句が出ないじゃない!」
…もはや何も言うまい。
「やっぱり戦いはリアルファイトにこそ真髄があるのよね!夜店のゲームなんかで実力を測れるようなものじゃないわ!」
やっぱりかなり気にしているようだ。
「行くわよムサシ!連中に地獄を見せてあげましょう!」
麗子に目をつけられた連中のために俺は心から哀悼の意を捧げた。
俺は麗子から作戦を授けられると、夜店の並ぶ通りに戻った。そしてぶらぶら歩く振りをしながら観察する。さっきの帽子の男はすぐ見つかった。そいつもふらふらと歩きながら、夜店で買い食いするわけでもなく、さり気ない素振りで歩く人々を観察しているようだった。こうやって注視すればその事が良く分かる。つまりは素人だな。プロのスリじゃない。だが、夜店で楽しく浮かれる人々は誰もその事に気がついていないようだった。せめて警備に出て、ぽつぽつと歩いている警官が気がついて欲しいものだが。
麗子と打ち合わせて決めた作戦開始タイムは10分後だった。だからあんまり早く動きたくも無い。帽子の男の仕事が早いと困るところだったが、男も良い獲物が見つからないらしく、むなしくぶらぶらしている。よしよし。俺は視界の端で男を捕らえながら、焼きとうもろこしを齧った。
15分後。男が動き出した。俺はすっかり食べ終わったとうもろこしをゴミ箱に捨てて、男に接近した。
男が目をつけたのは30代近辺と思しき男性だった。楽しく家族らしき子供と話しながら夜店を冷やかしている。ジーパンの尻ポケットから財布が覗いている。どうも帽子の男はそういう風に無警戒に財布を持ち歩いている奴だけを狙っているらしかった。
帽子の男がタイミングを図る中、俺もそーっと男の背後に回る。
そして男がぶつかった振りをしながら獲物の財布を掴んだ瞬間、その腕を捕らえた。
この暗いのにサングラスをしていた男の表情が驚愕する。俺は多分、面白くも無い表情をしていたに違いない。男は引き抜いた男性の財布を取り落としながら、俺の腕を振り払った。
そして無言で逃走に移った。俺は落ちた財布を、状況がいまいち理解出来ていない男性に手渡した後、溜息をつき、そして追走した。
この公園は丘を取り巻くように造られており、半分は林、半分は芝生だった。
麗子曰く「芝地は逃走には不向きだから、逃げる時には絶対に林に逃げる」
その通り、帽子の男は林の方面に逃げ込んだ。かなりの速度だったが、俺の鍛え方を甘く見てもらっては困る。追いつけない速度ではなかった。そして、暗がりで見失う懸念も無かった。
なぜなら、男の背中には点滅して発光するバッチがくっつけられていたからだ。もちろん、奴が獲物に集中している隙に俺がくっつけたのだ。ちなみに夜店でさっき購入しておいたものである。おかげで林を無茶苦茶に巡りながら逃げようがなにしようが、見失う事はありえない。
俺はあんまり本気では追いかけなかった。追いついて組み伏せる事は不可能ではなかったが、それでは「作戦」は半分も遂行出来ない。俺は追いつきそうで追いつかない距離を保ちながら追走を続けた。
そしてやがて、俺と帽子の男は公園にある池のほとりに出た。池の周りは腰の高さぐらいの丸太風コンクリ杭を組んだ物で囲まれており、控えめに侵入を禁じられていた。そうでなくても一本だけの外灯の下、余計暗くて水面も見えない池の傍に行ってみようとは思わないだろう。つまり、帽子の男は池の前に追い詰められたということだった。
俺は思わず感心した。麗子の読み通りだった。
男は観念したのか、池の前、薄暗い外灯の明かりの下で立ち止まっている。俺はゆっくりと警戒しながら、男の前に進み出た。
「もう逃げないのか?だったら現行犯逮捕だな。警察に突き出してやるよ」
ここで諦めて男が頷くことをひそかに祈りながら俺は言った。
ところが男はあからさまに冷笑した。
「なんだ、警察じゃねえのか。警察じゃない奴に逮捕権があんのかよ」
「さっきの人には警察に行くように言ってある。被害者と目撃者と犯人が警察の前で揃えばめでたくあんたは現行犯逮捕だよ」
俺は嘘を言った。さっきの男性はスリの被害にあったという認識すらないだろう。
俺の言葉に帽子の男は鼻笑いで返した。
「俺は警察に行く気はねぇな」
「無理やりでも連れて行くさ。あんたはこうして追い詰められている。逃げられない事は散々証明した筈だがね」
「逃げるつもりは無いさ」
男が言うと同時に背後で気配がした。片目で振り向くと、5人の男が俺を取り囲むようにして現れていた。しかも、剣呑な事に手に木刀らしきものを持っている。男は俺をあざ笑った。
「お前は誘い込まれたんだよ。さぁ、散々追い掛け回してくれた礼をさせてもらおうか!」
つまり、男はスリをして、見つかったら逃げ回る振りをしてここに追っ手を誘い込み、待ち伏せていた仲間と追っ手をタコ殴りにするという計画を立てていたのだ。なんとも、単なるスリよりも余程悪質で性質が悪い。どう見ても俺と同年代の学生に見えるのに。
俺は感心した。
またも麗子の読み通りだった。
麗子曰く「あれは一人仕事じゃないわ。一回スリをやったらすぐに獲物は待っている仲間に渡している。だとすれば、見つかって追いかけられた時の対策もあるはず。追い詰められたと見せかけて追っ手を囲むとすれば、この公園ではこのポイントがベスト。夜店からも遠いし人目にも付き辛いからね」
まったくもって麗子に目をつけられた君たちに同情を禁じ得ない。
背後から男の仲間たちが近付いてくる。俺は連中の様子を伺う振りをしながら、その後ろを見た。暗い林の中。小柄なオレンジが走るのが見える。う~ん、隠密行動には目立ちすぎだな。目を引き付けるくらいのことはやってやらねばならないだろう。
俺は浴衣の懐に手を入れてそれを取り出した。
黒い手に収まるほどの物体。銃である。
男たちは一瞬警戒し、そしてその正体に気がついて爆笑した。
なぜならそれは銀球鉄砲であった。殺傷能力はおろか、ブラフにもその安っぽい外観は不向きだ。しかし、俺は銃口を軽く指でなぞると、ピタリとそれを帽子の男に向けた。
「さぁ、誰から撃たれたい?」
あからさまに連中がひるむのが分かった。
この遊びでしか暴力を弄んだ事が無い連中は分かっていない。武器の威力は武器の種類で決まるのではない。持つ人間の覚悟で決まるのである。大砲を持っていてもそれを使う覚悟が無い奴にはそれで人を傷つけられないし、人を殺す気なら素手でだって十分殺せる。このおもちゃの銀球鉄砲でだって、やりようによっては人を殺す事が出来るのだ。俺に、その気さえあれば。
連中はたかが銀球鉄砲にひるんだ事の理由が分からず、ひるんだ事事態に腹を立てたらしかった。
「このやろう!」
俺の後ろにいた一人が木刀を振りかざして俺に打ち込んできた。剣道経験者に言わせれば隙だらけの動きである。もっとも、木刀というのは素人でも十分人を殺し得る道具である。たとえお土産屋で買って来たようないい加減なものでも。
俺は銃口をそいつに向けて撃った。顔に。どうでもいいような音がして安い銀球が飛び出し、はなはだ頼り無い速度で男の顔面に向けて飛んで行き、着弾した。怪我なんてするはずが無い。これは子供同士が撃ち合っても大丈夫なレベルの玩具なのだから。
しかし、至近距離から物が飛んできたら、それが蠅や蚊でも思わず目を閉じるだろう。男も思わず目を閉じ、振り下ろす筈だった木刀を止めてしまう。
その隙に乗ずるなら幾らでも手段はあったが、俺は軽く男の胸を蹴るに留めた。男はバランスを崩してしりもちをついた。男たちが動揺する。
「やめておいた方がいいぞ?今の内に降伏するのがもっとも幸せな事だったと、後で後悔することになるんだから」
挑発したつもりは無かったが、結果的にそうなってしまったようである。男たちは殺気を増して、接近してくる。俺はやれやれと溜息をつきながら、林の奥を伺った。
その時、ライトが一瞬光って消えるのが見えた。合図だ。
俺は、何食わぬ顔をして囲んでいた男たちの間をすり抜けて、林へと向かった。敵意や殺気を出さないようにしていれば、敵意むき出しの相手はかえって出し抜けるものなのである。
男たちは呆然としていた。逃げられないように取り囲んでいた筈が、あっさり逃げられてしまったからだ。一瞬何が起こったのかが分からないような顔をして、それから慌てて俺を追おうと振り返る。
その眼前で光が炸裂した。
「うわはははは!」
下品な笑い声を上げているのは無論、麗子である。オレンジ色の派手な浴衣をなびかせて仁王立ちだ。
そしてその左右に光の柱が幾つも立ち上っている。光だけではない。盛大な噴出音と煙もだ。そして同時に爆裂音と共に光が飛び出して行く。池の周りで立ちすくむ男どもの方に。
花火である。俺と帽子の男が追いかけっこしている隙に麗子が夜店で買い占めたのである。それを池の周辺に設置し、導火線に細工をして一斉に噴出させ、更に打ち上げ花火を男たちに向けて打ち出したりしているのだ。いわゆる「良い子は真似してはいけない」花火の使い方である。
「それそれ!逃げないと当るわよ!逃げても当てるけど!」
15連発の打ち上げ花火を7つも並べた砲台のみならず、麗子は手に持ったロケット花火にも着火した。途端にそいつらは螺旋軌道を描きながら飛び出して行く。
「ほら!ムサシもやんなさい!そこにあるでしょ!」
まぁ、乗りかかった舟、食いかけの毒饅頭。俺も麗子の足元に置いてあったビニール袋をあさって爆竹を取り出した。う~ん、これは直撃させたら地味に危ないな。
俺は爆竹の束に火を点すと、連中から適度に離れたところに放り出した。炸裂して爆裂してとんでもない音が連鎖した。おお、そういえば俺、爆竹をまとめて爆発させたの初めてだ。いつも一本ずつ使ってカエルとかふっとばしてたもんな。
「何やってんの!もっと派手にやんなさい!」
麗子は爆竹を一掴み取り出すと、マッチでちょいちょいと着火。思い切り投げた。ちょっと勢い余ってそれは空中高くで炸裂。なにしろ三束分はあったから、こっちにまで破片が吹っ飛んできた。あちあち。
「ひゃ~!きゃ~!ひゅ~!!」
麗子は大喜びだ。飛び跳ねながら花火に着火し、振り回し、放り投げる。もう無茶苦茶だ。
勿論であるが、撃っている俺たちよりも狙われている対象の男たちの方が大変な目にあっている。というか、加害者の俺たちが言う事ではないが、かなり悲惨なことになっていた。
何が起こっているのか理解できてない内に圧倒的な光と音、煙に圧倒され、物理的にロケット花火の直撃や爆竹の衝撃を蒙り、なんだか変な女が高笑いしているという更に訳の分からない状況。泡を食って逃げようにも、麗子の罠は巧妙に連中を取り囲むように設置されていた。
帰結として連中は後方へ逃げるしかない。しかしそこには池を囲む柵がある。
麗子は容赦なく連中を追い立てた。最早進退窮まった男たちは遂に、
「うわああぁ!」「どわああぁ!」「ぎゃあああぁ!」
転げ落ちるように柵を乗り越え、池へと転落した。大きな水音が上がる。
パニックを起こしながら真っ暗な水の中に転落したのである。余程泳ぎが達者でも、溺れかねない。そこへ更に麗子が爆竹および花火を投げ込み、銀球鉄砲を乱射。
「沈め!こら!上がってくるな!落ちろ!」
無慈悲極まりない事を言いながらやっとの思い出岸に辿りついた男たちを的確に池に叩き返す。こらこらあんまりやると、本当に溺れてしまうぞ。
もっとも、麗子のお楽しみタイムは長い時間ではなかった。
「麗子先輩、そろそろ」
「ん~、ちぇ!もうちょっとで泣かせられたのに!」
「いじめっ子ですかあんたは」
麗子は最後に持っていたありったけの爆竹に火をつけて岸によじ登り掛けていた帽子の男に投げつけた。帽子の男は悲鳴を上げ、吹っ飛ぶようにして池へと逆戻りする。
「よし、退却!」
麗子は機嫌良く叫ぶと、下駄を鳴らして駆け出した。俺も当然後を追う。
あれだけ大騒ぎして、誰も何も気がつかない筈が無い。辺りからざわめきが聞こえていたし、見れば夜店の方角から警官らしき姿が走ってくるのも見える。
どれだけ俺たちの方が正義なのだと主張しても、この惨状を見れば信じてもらえまい。というか、こんな事をやらかしておいて正義を名乗るなど、俺の良識が拒否するな。
俺たちは林の中に駆け込み、闇に消えた。
残るのは池の中に落ちて半死半生になっているかわいそうな若者たち。警察が来れば勿論救出してもらえるだろうが、そうすれば何をやっていたのか事情を聞かれることになるだろう。持ち物検査でもされれば確実に集団でスリ行為を働いていたことがばれるだろうな。
もちろん、俺たちの事も警察に言うだろうが、俺たちは連中と面識が無い。暗がりで顔も良く見えてはいないだろう。せいぜい浴衣姿の二人という特徴があるくらいだ。まず特定されないはずである。
俺たちはそのまま公園を出た。背後でなにやら大騒ぎの気配がする。そういえばあの連中の中に泳げない奴とかいなかったんだろうな。それでなくても頭を打って失神でもすれば溺れかねない・・・。
「大丈夫よ。全員確認した」
「良く見えましたね」
「あんな遊びで殺しちゃったら寝覚めが良くないからね。ちゃんと手加減もしたのよ?」
どうだか。
まぁ、確かに遊びだ。麗子にとって実銃を使わない、こんなことはあくまで戦争ごっこの暇つぶしに過ぎないのだ。それにしてはいつも周辺の被害が甚大なのだが。
「いや~、日本の夏祭り。いいわね。こんなに楽しいとは思わなかったわ!」
こんなん、日本の夏祭りじゃありません。夏祭りにこんなアトラクションはありませんよ。
「いいじゃない。祭りに騒ぎはつきものじゃない?あたしは楽しかった!」
麗子はご機嫌に俺の腕を取って身体を寄せた。驚く俺に麗子は微妙な微笑を見せつつ言った。
「ちょっと走ったら下駄で足が痛いのよ。しばらくこうしてなさい」
言葉に嘘は無いらしく、確かに痛そうに足を引き摺っている。俺は麗子を支えるように腕を曲げた。麗子が身体を預けてくる。
なんとなくロマンチックなシチュエーションであるが、それにしては二人の体から立ち上る火薬の匂いが強すぎた。
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