戦争部戦記2

俺は雪が嫌いだ。


というか、寒いのが大嫌いだ。東京の親戚が冬に遊びに来るたび「こっちは寒いねぇ」などと言いやがるのを聞くと、ブルーになる。なぜ俺はもっと暖かい地方に生まれ出でなかったのだろうか。


雪を良く知らない連中は、雪は「しんしんと降り積もる」ものだと思っている。大勘違いだ。雪はそんな生易しいもんじゃない。


風が吹くたび既に凍り付いてしまったかのような俺の頬に雪が突撃してくる。実際、ダメージを覚えるほど痛い。俺ならこう表現するね「びしびしと降りやがる」。俺は被っていたダウンジャケットのフードを引き寄せたが、何せ風は正面から吹いており、進行方向を変えない限り雪の攻撃を完全に防ぐ事は出来そうもなかった。


ああ、ストーブが恋しい。こたつで猫抱いて丸くなりたい。ココアでも飲みながらTV見て笑って…。


いかんいかん。意識が遠のいたらしい。集中し直して、俺は俺の前方を歩いている小柄な人影を睨み付けた。


「ゆ~きやこんこん!あ~られやこんこん!」


などと何故か元気良く歌っている。格好は俺と似たり寄ったり。茶色のダウンコート雪塗れ風味。背が低いのに着膨れているせいで、雪だるまが歩いているように見えた。


「ふっても、ふっても、がんがん積もる!」


ここは坂道だ。しかも、舗装されていない。更に言えば、ここは道ですらない。


山の中だ。しかも、杉や桧が植林されたような軟弱な山じゃないぞ。広葉樹や照葉樹がばっちり密生しているような原生林だ。夏なら鬱蒼としていただろうが、今は冬だ。木々は魚の骨のような枝を曇天に広げている。


「い~ぬは喜び庭駆け回り!」


足元には段々雪が積もってきた。山の上では雪ってものは、意外なほど早く積もるのだ。


「ねーこも喜び駆け回る!」


「うそつけ」


反射的に突っ込みを入れた。しかし、そいつはまったく気にする様子も無く、今度は「小さい秋」の冬バージョン替え歌をがなり始めようとした。


「麗子先輩!」


俺はたまりかねてそいつ、小笠原 麗子を呼んだ。


「方向はこれで合ってるんですか?」


「さぁ」


「なに?」


俺は愕然として足を止めた。


「…じゃぁ、なんでそんなに自信満々に突き進んでるんですか!」


「うるさいわね!こんな初めて来る山の中で、しかも視界も利かない吹雪の中で方角を知る方法なんて知らないわよ!」


そりゃそうだろうが…。


「あんたには分かるの?」


「分かる訳無いでしょう」


「じゃぁ、あたしの勘を信じなさい!多分、こっちが」


麗子は進行方向を指差した。


「山の上よ!」


…そりゃ、坂道をひたすら登って行けば、いつかは山頂には辿り着くかもな。しかし、問題はそんなところには無い訳だが。


「山頂目指してどうしようって言うんです?」


「どうって?」


「降りた方が人里には近付く気がするんですが」


「そんなのつまんないじゃない!」


なんだそりゃ。


「せっかく山に来たのよ!山は登るものよ!」


俺は思わず考え込んでしまい、考える事など何一つ無いということに気がついて愕然とした。


「もしかして、俺達が陥っている状況が理解出来ていない訳ではないですよね」


「なによ」


「俺達は遭難しているんですよ?」


「どうして?」


ああ、もう。俺は頭を抱えた。


「そんなこと俺が知るか!」




数日前の事だ。


北風が、戦争部部室が入っているプレハブ小屋を揺らしていた。比喩じゃないぞ。震度2くらいで本当に揺れているのだ。


田んぼの真ん中に立っている学校の、更に北の外れに部室棟は建っている。山を駆け下り、平地を吹き抜けてきた風は、遮るものも無くぼさっと建っている部室棟にぶち当たるのだ。この辺りの北風は半端じゃない。こんな安手のプレハブ、その内吹き飛ばされてしまうのではないかと思うね。


部室には暖房というものが無かった。冷暖房エアコンなどという上等な物を生徒に使わせると根性が腑抜けになると思い込んででもいるのか、ここの学校の暖房は昔ながらの石油ストーブしかない。当然、それは教室にしかない。そもそもこのプレハブ内は火気厳禁だ。


学校の決まりなど制服にくっついている糸くずくらいにしか思っていない筈の小笠原 麗子であったが、戦争部部室の中にもやはり暖房器具はなかった。


理由は簡単だ。麗子は寒さに殊のほか強いのだ。いや、夏の暑さもまったく苦にしなかったから、暑さ寒さのどちらにも強いということになる。全天候型だ。


自分の席に座り、完璧な姿勢で読書に励んでいる。着ているのは冬用セーラー服一枚。コートを着込み、マフラーを首に巻いて、カイロを4つも使用しながら震えている俺とはえらい違いだ。言っとくが俺が異常だという訳ではないぞ。さっき廊下を歩いている時に見た室温計は3度を指していた。校舎より壁が薄く、しかも北風で冷やされている部室の中は多分、1度以上という事は無いはずだ。


麗子は、実に退屈そうであった。


俺としては満足すべき事に、先の事件からこの日まで、俺が実銃を人に向けて撃たなければならないような事態は、特に起こらなかった。あの怪しげな白人のガキ、ジョンが部室のドアを叩くことも無かった。その意味では実に平和な日々だったと言えよう。まぁ、サバイバルゲームやその他諸々の小さな?事件は幾つもあったが、それはまぁ、今や俺にとっては日常風景の一部であって、大した事は無い。


と、いうことは、裏を返せば小笠原 麗子にとっては不満足な日々だった、ということになる。


「戦う機会が無い軍隊なんて、中身の入っていない肉まんのようなものだわ!」


麗子は憤然としているが、俺に言わせれば戦いっぱなしの軍隊など火を噴きっぱなしの着火装置のようなもので、使い難い上に長持ちしないだろう。たまに火を噴くくらいが丁度いいのだ。


ちなみに、週末の「演習」は11月中頃から中止になっていた。峠道が凍結し始めたからである。卓越したライディングテクニックを持っている麗子といえど、二輪車で凍結路面をかっ飛ばすのは無謀以外の何者でもない。まぁ、無謀さ加減では人後に落ちない麗子であるのだがな。崖の上からコルトガバメントを持ち帰ってどこに仕舞っているのかは知らん。知りたくも無い。


つまり、日常は退屈。週末のガス抜きも出来無い。そして、事件も起こらない。麗子の退屈度数はこのところ上昇する一方だったのだ。


俺としては、呑気に平和を楽しんでいたい所であったのだが、実際にはそう素直にだらけ切っている訳にもいかないということにも気が付いていた。


麗子は、学校内では例外(部室を侵された時)を除けば実に大人しい。特に放課後はこの部室に閉じこもってじっとしている。これは、ジョンからテロリストの報復に備えるには人目に付かない所にいなければならない、と言いくるめられたからなのだが、麗子にしては珍しい事に、その意見を素直に取り入れていた。なぜかというと、ジョンの言う事を無視するとジョンから戦争の依頼が来なくなるかもしれないと考えているから、らしいのだ。


後腐れ無く、実銃を撃って大暴れする機会など日本ではそう訪れない。それを依頼してくれるジョンの存在は麗子にとっては大変有り難いものなのだ。つまり、たまに戦争をするために、毎日の放課後を大人しくしているといっても良いだろう。


麗子は我慢しているのだ。そこまでして戦争がしたいのか?と聞けば麗子は胸を張ってこう答えるだろう「もちろん!」。聞くまでもない。


しかしながら、ジョンからの依頼はこの半年ばかり無かった。俺としては永遠に無くても一向に構わないのだが、麗子がそんな事を考えていないであろうことは、ダイヤモンドが歯で噛み砕けないことよりも明白だ。


もしかしたら、このままジョンから依頼が永遠に来ないかもしれない。麗子の頭の中にそういう疑念が立ち昇っても不思議ではない。そうするとどうなるか。麗子はこうして放課後に大人しくしている必要は無い、と考えるだろう。


この危険と騒動をこよなく愛するやばい女が放課後この部室から解き放たれて毎日その辺をほっつき歩くようになれば、どういう事態が到来するか。想像するのも恐ろしい。麗子はなぜだか、生徒会や生活指導教諭、更には警察や自衛隊などいう公権力と積極的に戦いたいと思っている節がある。レジスタンス精神という奴であろうか。まさか自衛隊基地や警察署に襲撃を掛けたりはしないだろうが、生徒会役員室にトラップを仕掛けたり、職員室を爆破するくらいの事はやってしまうかもしれない。


しかも、一人でやるなら兎も角、かなりの高確率で俺も巻き込まれる事は確実であり、よしんば巻き込まれなかったとしても、いまや麗子の子分であると学校中から認定されている俺が無関係だなどと誰も信じてくれない事はこれまた確実だ。


つまり、平和な時間があまりにも長く続くと、麗子が暴走する確率がどんどん上昇して行くということだ。それを防ぐには?そりゃ、麗子が程よく暴れられる騒動のネタを仕入れて来て麗子に与えてやるしかない。しかし、実銃をどんぱちやらかして、人死には出ず、公権力の介入を許さないような事件?無いって。そんなの。


俺は麗子の暴走を密かに恐れながら、寒さに震えていた訳だ。




さて、事件というのは大体、ノックの音と共にやってくる。なんでだかそう決まっているようなのだ。


部室のドアを叩く音がして、俺は瞬間的に身体を緊張させた。


脳内で刹那の内にシミュレーションがスタートする。


1、ジョン襲来。


2、生徒会来襲。


3、生活指導教諭突入。


4、警察の家宅捜査。


と、まぁ、こんな感じで幾つかの状況が走馬灯のように思い浮かび、そのどれもが碌でもない結末を迎えることがシミュレーションの結果分かってしまい、俺は0.5秒くらいでげんなりした。


麗子の方を見ると…。


あああ…。黒い瞳に5割り増しのハイライト処理が施されたかのようだ。小さな唇が少し開き、下限の月のように見える。さっきまでの退屈モードは消え失せ、体中からオーラが発散するのが目に見えるようだ。


これは、もう駄目だ。麗子は騒動を大いに期待している。ドアの向こうに待っているのが騒動でなかったとしても、彼女は無理矢理にでも騒動にしてしまうだろう。


「入りなさい!」


声までご機嫌に麗子が促すと、ドアが開く。


それはもう、おっかなびっくりという言葉を体現したかのような歩調で、一人の女生徒が部室の中に入って来た。黒い髪をボブショートにした小柄な娘だ。黒いセーラー服の上にクリーム色のコートを羽織っている。


あれ?あの娘は?


「あ、あの…、えっと…!ひぇえええ!」


問答無用。聞く耳持たぬ。そんな感じで、入って来た女生徒は戦争部部室名物、ブービートラップに絡め取られ、天井からぶら下がる憂き目を見ていた。正に一瞬の出来事で止める暇も無かったと言い訳しておく。


「よし!捕まえたわ!ムサシ!拷問の用意をしなさい!」


「ひ、ひぇえええ!」


俺は、頭痛を堪えるポーズを作った。


「なんでいきなり拷問なんですか」


「スパイなら普通に尋問なんかしても無駄よ!無駄な事はしないに限るのよ!」


「いつ、どこの、誰が彼女をスパイだと決めたんですか」


「あたしの主観的独断と偏見によってよ!」


俺はこれ以上不毛な会話をする気になれず、サッカーゴールを流用したと思しきネットの中に涙目で吊り下がっている女生徒に向き直った。顔をまじまじと見る。思い出した。


「神崎じゃないか。どうしてこんなとこに来たんだ?」


「ま、前田君!た、助けて~!」


同じクラスの神崎 美香だった。顔をまじまじ見ないと思い出せなかったくらいだから、それほど親しい関係でもない。だが、顔を合わせれば挨拶と世話話くらいはする。そんな感じ。


「麗子先輩、俺の同級生ですよ」


「だから何よ!あんたの同級生だろうが友達だろうが幼なじみだろうが、スパイじゃないという保証にはならないわ!」


まぁ、それもそうだが…。って、納得してどうする。


「降ろしてやって下さいよ。俺も同級生を虐待したなんて噂が立つと困るんですから」


「あんたが困ろうがなんだろうが関係ないわ!スパイは…」


「いいから降ろしてやんなさい」


俺が目を半眼にしながら言うと、麗子はしぶしぶトラップを解除した。ちなみにこのトラップ、どういう仕掛けになっているのか未だに分からない。


床面に落下させられ、網の中でもがいている神崎に手を貸す。ようやく這い出してきた神崎は呆然自失だ。腕を貸して立たせると、俺は言い聞かせてやった。


「いいか、神崎。これで分かったろ?何の用があったのか知らないが、戦争部に関わるとろくな事が無いんだ。さ、この部屋で起きた事は忘れろ。そんで、二度と来るんじゃないぞ」


俺はドアを開け、優しく送り出そうとした。


「え?で、でも、あの…」


「なんだ?戦争部に入部したいのか?悪い事は言わん。人生を棒に振りたくないならやめておけ」


「違うの、あのね」


「相談事か?そんなら後で俺が個人的に承ってやるから、今は帰れ、な?」


俺は密かに、神崎の背中を強く押した。早く帰ってくれ。何か嫌な予感がするから。嫌な予感というのはこの神崎が、何かしら麗子が喜びそうなネタを持ち込んできたというような予感で有り、俺が苦労しそうだという予感であった。


しかし、俺がそう予感したということは、同じ感覚を麗子が共有してもおかしくないという事でもある。


「待ちなさいムサシ」


振り返る俺の視線の先で、麗子が実に晴れやかな笑顔を見せた。なんかこう、食虫植物が虫を誘惑する時に見せるような笑顔である。


「失礼したわね。神崎さん。何かいいお話が有るんでしょう?お聞かせ願えないかしら?」


俺は無言で慨嘆した。…良い話って。




寒々しい部室の中央。俺と麗子の使っている机が向かい合っている。麗子の席には麗子が着席していたが、俺用のパイプ椅子には神崎美香が座っていた。俺はその横に突っ立っている。立っていると余計寒い。神崎を見下ろしながら彼女のことを少し観察した。


少し茶色く染めたと思しき髪を耳のあたりで切り揃えている。顔立ちはごく平凡。見方によってはかわいくも見えなくはないが、まぁ、公平に言って10人並みだろう。いわゆる一般的田舎女子高生で、校則に違反してまでピアスをする度胸はないが、スカートは流行の通り短くしてます、という感じだ。


腰まで達する、輝く黒髪を背中に流し、大きな瞳と清冽な美貌を大きな眼鏡で隠す小笠原麗子に比べれば、背丈は同じ様でも外観から生ずる印象にはスーパーの惣菜とフランス料理くらいの差が有る。まぁ、世の中目立てばいいというもんでもないがね。


知らない家に連れ込まれた小猫のようにびくびくしていた神崎だったが、ここぞとばかりに優しげな笑顔を作る麗子に騙されてくれたのか、ようやく話を始めた。


「その、あたし見たんです。山で…」


俺は一瞬、俺と麗子が週末行なっている「演習」を見られたのかと思った。あれも他人に見られて良いものではない。なにしろ銃刀法違反の現行犯だ。


しかし、神崎が見たものはそれではなかった。


「何か、軍隊がいたの…」


「軍隊?」


「うん。友達と友達のお兄さんの車でスキー場まで行く途中でね、峠道の途中。すごい山の中なんだけど、軍隊っぽい人たちが山を登っていったの。始めは、自衛隊かな?なんて話してたんだけど、どうもおかしい、ってことになって、気になって車を止めて良く見てみようとしたのね。そしたら…」


神崎は自分の身を抱くようにして身震いした。寒さのせいではなさそうだ。


「撃たれたの」


「撃たれた?」


「うん、足元に鉄砲の弾が、びしっ!って…」


それで慌てて車に乗り、全速力で逃げたのだという。


「恐かった…」


俺は腕組みをした。


「本当に銃弾だったのか?」


「多分。パン!って音がしてビシッてきたから」


「どんな連中だったんだ?」


「だから、なんか軍隊っぽい感じの…」


集団で狩猟に来ていた連中が、神崎たちを熊かなんかと間違えた?有り得ないな。


ここまで考え込んでしまって、俺は唐突に気が付いた。


「おい、ちょっと待て。それをなんでわざわざ戦争部に相談に来るんだ?本当に撃たれたんならまず警察じゃないのか?」


「だって!恐いじゃない!こういうのって、警察に言ったら逆恨みされて殺されちゃったりとかするものでしょう?」


「映画の見過ぎだろ、それ。それにしてもわざわざ…」


戦争部というよりは小笠原 麗子に相談を持ち掛けるなんて。


「だって、こういう戦争とか軍隊がらみのことはここが詳しいのかと思って…」


おいおい、この学校内の連中はここをそういう部だと認識しているのか?微妙に違うぞ?ここは軍事関係専門の探偵所でもなければ、駆け込み寺でもない。迷惑を解決するよりはむしろ、迷惑を振り撒く方が得意だと思うね。


「うふふふふ」


思わずぞくりとするような笑いだ。麗子は額に手の甲を当て、下を向いて不気味に笑っていたが、やがてゆっくりと顔を起した。


「あなたの選択は間違っていないわ神崎さん」


麗子の頬には少し朱が差している。瞳が少し潤んでいるようにも見える。酒に酔っ払ったような姿だ。つまり、彼女は酔っているのだ。この状況に。


「そう、そういう面白そうな話は是非是非ここに持ち込んで頂きたいわ!大歓迎よ!」


あああ…。俺は再び頭を抱えた。麗子はやおら立ち上がると、引き気味だった神崎の両手を鷲掴みに掴んだ。


「分かったわ!可及的速やかに解決してあげる!大船に乗った気持ちで報告を待つといいわ!」


両手をしっかり握られた神崎は目を白黒させている。俺は今にも踊り出しそうなほどご機嫌な麗子の姿を見ながら、穴の空いた泥船に乗り込んでしまったような気分に陥った。




この辺りには自衛隊の基地も米軍の施設も無い。山は単なる山で、そこを軍隊らしき連中が行軍していたとすれば、それは確かに妙な話だった。


しかも、発砲されてもいる。当てる気があったのかどうかは知らないが、当たってしまう可能性があったことは確かだ。日本では、鉄砲弾で人が負傷したりすれば小さからぬ事件になる。当たらなくても、鉄砲で撃たれたという訴えを無視する警察はいないはずだ。神崎が警察に訴えていたなら、それなりに事件扱いされた可能性は高い。


それをなんでまた、こんな怪しげな部にこんな事件の相談を持ち掛けるのか。まぁ、怪しげだからこそ持ち込んでみる気になったのかもな。


神崎が部室を辞去するなり、麗子はやおら立ち上がり、叫んだ。


「行くわよ!支度しなさい、ムサシ!」


「どこへ」


「現場よ現場!事件解決にはまず、現場を詳細に検証することが必要なのよ!」


…今は放課後だ。しかも冬の。つまり、すぐに夕方で日が暮れる。そんな山奥にまで行っている暇があるものか。


「それもそうね」


麗子は珍しくあっさり諦めた。


「じゃあ、今度の土曜日!あさって!朝5時に駅前に集合!」


5時だと?


「だって、早めに始まらないと日が暮れる前に片付かないかも知れないじゃないの!」


「何を片付ける気なんですか」


「そのテロリストどもをひっ捕まえるのよ」


おいおい、麗子の頭の中ではその怪しい軍隊はテロリストに認定されてしまったらしい。それにしても、ジョンから武器が供給された訳でもないのだから武器もありゃしない。どうやって武装した連中を捕まえる気なんだ?


しかし、麗子は夢見がちな乙女のように目を輝かせている。


「ああ、なんてことかしら!そんな身近に武装勢力が隠れているなんて!灯台元暗しって奴だわ!」


俺は例によって溜息を吐いた。まぁ、山の中に行って、何者かがいると決まった訳ではない。たまたまその日にそういう連中がそこに通り掛かっただけかも知れんじゃないか。うん、その可能性が高いと思うね。行って無駄足ならそれはそれでめでたい事だ。


…などという、無理矢理な楽天的観測は、往々にして裏切られる物と相場が決まっている。




12月。冬至間際の朝5時は、まだ夜である。


俺はいつもの駅前で足踏みをしながら麗子を待っていた。


ダウンジャケットを着込み、スキーパンツを履いている。なにせ、これから行こうというのは山だ。神崎が事件に遭った場所というのは、「演習場」に近い展望台の更に先。峠を越えて山の反対側に少し下った所である。


既に、動かないではいられないほど寒い。正直、待ち合わせなどすっぽかして帰りたかった。そんな事が出来ればの話であるが。


それにしても、この季節の峠道は、特に朝であればみっちり凍っている。バイクではとても行かれないだろう。どうやって行くつもりなのか。


と、そこへ、一台の4輪駆動車がやってきた。…まさか。


そのまさか。パワーウインドウが開き顔を出したのは小笠原 麗子その人であった。


「行くわよ」


聞くべきか聞かざるべきか。いや、一応聞いておこう。自分に対する言い訳のために。


「免許は?」


「あるわけないじゃないの!」


この犯罪者め。この女、法律というものをなんだと思ってやがる。


「大丈夫よ!バイクよりよっぽど簡単。さ、乗んなさい!」


自分の家の車を借りてきたらしい。俺は諦めて助手席に収まった。流石に暖房が効いている。


「さ、行くわよ!」


ん?なんだか緊張しているような声色だな?


と、思ったら、車はいきなりタイヤを軋ませて急発進した。反動で俺はシートに叩き付けられる。と、思ったら、今度は急減速。シートベルトが身体に食い込む。


「い、今までに何回運転した事があるんですか!」


「今日が初めてよ!」


再び急加速。麗子の表情は緊張し、それでいて目がきらきらと輝いているという分かり易い表情で、しかし、その表情は俺の事をちっとも安心させてはくれなかった。俺は心の中でいろいろな神に交通安全を祈った。




麗子曰く、ぶつけて壊しでもしたら、流石に親父に怒られる、との事で、走り出してからは意外に安全運転だった。まてよ、ということは、車を無免許で持ち出すくらいでは怒られないという事なのか?


峠道も無難に通過。普段バイクで走り慣れているだけに、凍りそうな場所も分かっているのだろう。1時間ほどで目的地に辿り着いた。


暖房の効いた車の中が恋しかった。都会の人たちには、雪も降らないのにアスファルト路面が凍ってしまうというのがどういう寒さなのか理解し難いだろうなぁ。そうだな、摂氏にするとマイナス10度くらいか?いや待て、山の上だからもっと低いかも知れん。空気中の水分が結晶化することをダイヤモンドダストというが、あれは何度で起こる現象なんだっけ?


「ふ~ん、なるほどね」


俺が寒さのあまり現実逃避している横で、麗子は路面に這いつくばって何かをやっている。いくら麗子でも、この寒さの中では完全装備だ。俺と同じダウンジャケットにスキーパンツ。本気で寒い場所での定番の格好。


「確かに弾痕ね!」


水色のフリース手袋をした手で地面を撫でながら満足そうに言った。


アスファルトが直径10cmほど穿れている。俺には分からないが、麗子が言うのだから弾痕なのだろう。気にしてみなければ見落としてしまいそうな穴だった。


「しかも喜びなさい!ムサシ!間違いなく軍用銃よ!」


何を喜べばいいのやら。


「結構強力な奴よ。あの崖の上から撃ったのね」


落石防止のネットが掛かった岩壁だった。「演習場」の崖よりもやや低いが、険しさはこっちのが上だ。さすがにここは登れそうに無い。


気が付くと、麗子は車に戻り後部座席からなにやら取り出した。地図だ。そして、眉を顰めながらそれとにらめっこを始める。え~っと、車に戻って良いかな。なんかこう、足の指先の感覚が無くなってきたのだが…。


「多分、ここね!」


何事かを麗子が結論した。いいからもう帰ろうぜ、帰って炬燵でみかんでも食いながらTV見て小市民的幸福に浸りたい。


「何言ってんの!わざわざこんなとこまで来たのは何のためだと思ってるの!」


さぁな。俺は初めからその答えを持ち合わせていないのだが。


「見なさい!」


麗子が地図を突きつける。仕方なく俺は地図に目を落した。


山の地図など、等高線以外はほとんど真っ白だ。その中に、今俺達がいる県道がうねうね曲がりながら引かれている。そして、麗子の指先が指している場所に、何かが表示されていた。俺達の現在位置から西におよそ300m離れた山の中だ。


「神社?」


それは神社のマークであり、そのマークの下には難しい漢字で名前が書かれていた。


なんでまたこんな山奥に神社があるのか。


「不思議な事は無いわ。昔の修験道の神社か何かでしょ、多分」


で?この山奥の神社がどうしたって?


「多分、連中はここをアジトにしているのよ!」


「なんでそんなことが分かるんですか?」


「よく見なさいよ!この辺り一帯には他にアジトに出来そうな場所は無いじゃないの!」


この辺りにアジトがあるって決まった訳じゃないだろうに。どっかから車にでも乗ってやってきたのかもしれないだろ?こんな酷寒の山の中、電気も通っていなさそうな神社なんかに潜んでいる物好きがいるとは思えない。俺なら絶対に嫌だ。


「テロリストなんて、そもそも物好きの集まりなのよ!」


じゃぁ、戦争部にもテロリストの資格があるな。特にやる気も無いのに麗子に付き合って寒さに震えている俺。物好きの日本代表に選ばれても不思議じゃないね。


麗子はお構い無しに車の後部ハッチを開けると、そこからリュックサックを2つ取り出し、一つを俺の方に放った。受け止めつつ、俺は嫌な予感以上の物を覚えた。


「行くわよ!」


「ちょっと待て!」


俺は目眩すら覚えた。


「どこに行くつもりなんですか!」


「この神社までよ!」


「車で行けばいいじゃないですか!なんで歩いて行く必要があるんです?」


地図によると未舗装路面のようだが、県道から神社までは一応道があるようだ。4WDの威力はこういう場面で発揮されるべきではないのか?


「何言ってんの!車なんかで行ったら敵に気が付かれちゃうじゃない!」


敵って…。


麗子は鼻歌を歌いつつ車の鍵を閉め、ご丁寧にもセキュリティを起動させると、リュックを背負い直した。


「行くわよ!」




…と、いう訳で、俺と麗子は山の中に分け入り、途中であっさり方向を失って言い訳の余地が無い位遭難中、というのが現在の状況だ。山に入ってすぐに降り始めた雪は、今や吹雪の名に相応しいような量と勢いを誇っている。麗子の方向感覚は野生動物並みであるのだが、野生動物だって吹雪の中では感覚が麻痺するらしい。コンパスも持たずに原生林の中に分け入るのがそもそもの間違いだ。


この辺の山ではたまに、キノコ狩りに出掛けた人が行方不明になる。日差し高い秋でもそれだ。吹雪という状況では遭難することはより容易になるだろうね。


やばいぞ。これは。


寒いということを舐めてはいかんのである。人間は体温が35度以下くらいになると、動けなくなって死に至る。人間、意外と寒さには弱い。冬山で何の備えも無く一晩過ごしたりすれば、容易に死んでしまうのである。


おいおい、洒落にならないぞ?どうしてくれるんだ!責任者出てこい!


と、俺は心の中で呟いた。その責任者は、積もり始めた雪を蹴散らかしながらガンガン先に進んで行く。見失ったら大変だ。なぜ大変なのかというと、逸れた途端俺だけが行き倒れて、なぜか麗子だけは生き残るような気がするからである。こいつにくっついていれば、少なくとも俺だけが死ぬような事態にはなるまい。


と、 突然、麗子が立ち止まって、振り向いた。


「一休みしましょう!」


…こんな風除けも何も無い所でか?動かないでいたら余計に体力を消耗しそうな気がするが。


「だ~いじょうぶ!テントがあるから!」


そう言って、麗子はリュックを降ろした。中から出て来たのは小さなテント、小さなコンロなどだ。ちなみに俺のリュックからはカロリーメイトやカップ麺、コーヒーや味噌汁が出て来た。


手ごろな木を利用してテントを張り、中に潜り込む。人二人がやっとというような狭さだ。中でコンロを焚き、お湯を沸かす。風と雪が来なくなっただけで随分と暖かい。


「たかだかマイナス10度くらいでしょ。何でもないわよこれくらい」


麗子は鼻歌を歌いながらインスタントコーヒーを紙コップに入れ、俺にも振る舞った。


「随分楽しそうですね」


俺は半ば嫌みのつもりで言った。確かに麗子の表情はえらく生き生きしていたが。


しかし、麗子は鼻息でコーヒーから立ち昇る湯気を吹き飛ばしながらあっさりと断言した。


「楽しいじゃない」


俺は思わず、まじまじと麗子の表情を見詰め直してしまった。


「雪山で遭難よ!滅多にお目に掛かれない状況じゃない!」


頻繁にお目に掛かったなら、その人の寿命は随分短くなるに違いない。


それにしても、この状況が楽しいと言い切れる麗子の神経は高圧電線並みの強靭さだな。一歩間違えば死ぬんだぞ…。


俺はここで気が付いた。麗子の戦争好きの理由が何処にあるのかが、今ここでようやく分かったのだ。


麗子は、危険が好きなのだ。そう。別に戦争でなくても良い。何か「命懸け」という状況に陥る事が楽しくて仕方が無いのである。危険中毒症と言っても良いだろう。


人間誰しも冒険への憧れはある。危険に出会った時に感じる首筋がチリチリするような感覚を、快感だと誤解する事もよくあることだ。絶叫マシーンやバンジージャンプが好きな人や、暴走族、走り屋と呼ばれる連中などは明らかに危険を求めている。冒険家や登山家も求めて危険に近付く。麗子は、ちょっとそれが極端なのだろう。彼女が求めるのは、一歩間違えば死、ではなく、いつ死んでも不思議はないとまで思えるような危険なのだ。


真正のやばい奴。それが小笠原 麗子である。


実際、彼女は実に楽しそうであった。ホットコーヒーの入った紙コップを膝の上に載せ、両手で挟み、湯気を顎にあてながら気持ち良さそうに目を細めている。眼鏡は曇るからか外している。眼鏡を外した姿を初めて見る訳ではないが、これほどご機嫌な眼鏡無しを見るのは初めてで、俺はぎこちなく視線を逸らした。


考えてみれば、雪山で狭いテントに身を寄せ合って二人きり。おいおい。なんだかお約束な状況じゃないのかこれ。ドラマや映画などでは、凍死を防ぐために裸で抱き合うのがパターンだな。俺はこっそりため息を吐いた。それは、もう少し追いつめられてから考えよう。


コーヒーを飲み、カロリーメイトを食うと体力も気分も大分復活した。テントを片付け、再出発。


…テントを片付けながら気が付いた。


「もしかして、こういう状況になることを見越していたんですか?」


「どうして?」


「準備が良すぎるでしょう」


テントとコンロ、食料など、普通の山歩きを想定していたにしては重装備過ぎる。


麗子は唇の端だけで笑った。




麗子があっさり白状した事によると、別に道に迷っている訳でも無いとの事。さすが野生動物並み。


「ちょっと遭難気分を味わってみたかっただけよ」


よかったよ逸れないで。逸れていたら俺だけ本格的に遭難する所だった。


麗子は、それからはまったく迷い無く突き進み、休憩明け程無くしてその神社とやらに辿り着いた。


意外に大きな神社だった。荒れ果てた様を想像していたのだが、きちんと手入れもされている。おまけに、建物脇には何台かの車まで停まっている。


…ちっとも怪しい所はない。ただの神社である。しかし、麗子の目は爛々と輝いている。


「やっぱりここがアジトよ!」


「なんでそんな事が言えるんですか」


「見なさい!」


彼女の指差す先には車が停まっていた。大きな四輪駆動車。どこもおかしい所はない。


「あれが?」


「良く見なさいよ、あれはアメリカでは軍用車にも使われている『ハマー』よ!」


そうなのか?


「あれ、すっごく高いのよ!それが、5台も停まっているなんて不自然よ!やっぱりあたしの勘は正しかった様ね!」


もしかしたら大金持の氏子がたくさんいる神社なのかも知れないだろうが…。いかん、自分で言っててなんだが、説得力が感じられない。


確かに、良く見ればその車は迷彩色に塗装されているようだし、怪しげなアンテナがいろいろと立っているし、窓ガラスはフルスモークだ。そこらに停まっていたとしても胡散臭い目で見られてしまうような車ではある。


これは、もしかして麗子の言うことが正しいのか?俺と麗子は、神社の境内に近付いていった。サバイバルゲームで鍛えられているので足音を立てるようなへまはしない。


オーソドックスな、拝殿と本殿が廊下で連結されているタイプの神社である。もっとも、ここにはまったく人気が無い。


「あそこね」


麗子がそっと指差す先に、場違いなほど新しいプレハブ小屋が建っていた。


なるほど、あからさまに怪しい。


良く見ると、中には明かりが点っている様でもあるし、窓の曇り具合からして、中では暖房が焚かれているようでもある。くそ、うらやましい。俺は急に寒さがぶり返して腕をさすった。


電気も通っていないと前に言ったがそれは誤りだった。工事現場にある事務所のようなプレハブに細い電線が引き込まれている。何に使うのか分からないような大きなパラボラアンテナも付いている。なんだか…。


「金の掛かった建物ね」


麗子の意見に同感だ。プレハブ自体も結構頑丈そうだし、駐車場は砂利ながらきちんと舗装されている。山奥にこんなものを作るにはよくよくお金が掛かるだろう。


「やっぱり、国際テロリストの日本支部か何かよ!すばらしいわ!」


いや、同意したくはないが、そう思っても不思議はないような怪しさだった。少なくとも神崎達に発砲した連中がここの連中であった事には同意しない訳には行かない様だ。


「まずは情報収集ね!」


俺達はまずプレハブからかなり離れた所を物陰に隠れつつ一周した。プレハブは林を300坪ほど切り開いた場所の中央に建っており、最低でも5メートルほど遮蔽物も何も無いエリアが広がっている。


「監視カメラがあるわ」


首振り式の監視カメラが3個所あった。こんな山奥で監視カメラを使っている連中。こりゃ、麗子でなくても余程後ろ暗い所があるのだと思わない訳にはいかないな。


麗子は監視カメラの動きを監察し、結論した。


「あそこに死角がある。タイミングを計ってあそこに飛び込みましょう」


プレハブの西の角だった。


「いい、あの北側のカメラがあっちを向いたタイミングで走るのよ。まずあたしが行くから援護しなさい!」


援護と言われても。そう言い返す暇も無く麗子は身を翻していた。風を切るような俊足であっという間にカメラの死角に蹲る。


仕方ない。俺もタイミングを計って飛び出した。それほど距離はない。俺も無事麗子の隣りに行く事が出来た。


さて、中の様子をどうやって窺ったものか。と、麗子はやおらリュックを下ろし、中から紙コップを取り出した。俺に投げてよこす。


「壁は厚そうだから窓ね」


俺達の潜んだ頭の上には窓があった。カーテンが閉まっている。


「大丈夫、遮光カーテンみたいだからこっちは見えないわ」


麗子は大胆にも立ち上り、窓に紙コップを押し付けた。紙コップの底を耳に当てる。


俺もそっと立ち上ってそれに倣う。


意外なほどはっきりと中にいる連中の会話が聞こえてきた。


「しかし、斎藤さんのブローニングは素晴らしいですなぁ」


「いやいや、そういう田中さんのコルト・バイソンこそ。それは何年式ですか?」


「80年式です。この型が欲しくてね大分苦労しました」


「ほほう、その型式だとグリップの材質が変った直後のものですね」


「やはり大谷さんはよくご存知だ。そういうあなたのAKはかわったスコープが付いてますね」


「そう、これはソ連がアフガンに進出した時に開発した物で…」


…なんだこれ?なんか聞き覚えがある会話だな。


麗子の方を見ると、彼女もそう思ったのだろう。眉を顰めている。俺達は一旦しゃがんだ。


「ムサシ、どう思う?」


「…サバイバルゲーマーの集まりか?」


そう、聞き覚えがあるのも当然だ。中の連中の会話は、サバイバルゲーマーが集った時に互いの自慢のモデルガンを批評しあう(誉めあう)時の会話そのものだった。


そもそもサバイバルゲームに参加する連中というのは、モデルガン好きが高じてそれで撃ち合いがしたい、と考えるまでになったような連中がほとんどである。モデルガンそのものにはまるで興味が無い麗子や、銃器の名前をろくすっぽ知らない俺のような奴の方が珍しいのだ。


と、すると、なんか金持ちのサバイバルゲーマー達がアジトとするために建てたプレハブなのか?これは。それにしては監視カメラなんていう大袈裟なものが付いているな。


「なんか変ね…。もう少し聞いてみましょう」


俺達は再び盗み聞きを始めた。


銃器に興味が無い連中ならば眠気を誘われるような、銃器のどうでも良いようなスペック解説が延々続いた。眠い。大体、銃器に限らずマニアという奴は、信じられない様な細部に至るまで訳の分からん拘りを持っているものだ。トリガーの形状がちょっと変ったからどうだというのか。


中にはどうも数名の人間がいるらしい。たのしげな銃器オタク話。どうも口調と声の調子は意外に年配の連中であるような感じだ。


と、その時、聞き逃せない一言が耳に飛び込んできた。


「ところで下世話な話で恐縮ですが、それはお幾らぐらいで手に入れたのですか?」


「いやいや、大した事はありません。ホンの30万くらいです」


30万?モデルガン一丁がか?


いや、ビンテージ物やレアスペックなら有り得ない話では無いが…。


「しかし、弾薬を手に入れるのは難しかったでしょう?」


「まぁ、30発手に入れるのに、銃本体以上の金を使いましたよ。アメリカものは仕方が無いですな。旧ソ連製のものなら楽勝なのですが」


ああ、なるほど。俺が納得するのと同時に麗子も納得したようだ。同時にしゃがむ。


「…モデルガンじゃなくて、モノホンの銃器コレクターの集会場、というわけね」


世の中にはいろんな趣味の人がいるものだ。中には犯罪すれすれ、いや、暴走族みたいに犯罪行為を趣味だと言い張る連中もいる訳で…。


ならば、銃器を不法に輸入してコレクションすることを趣味にする輩がいても不思議はないのかもな。つまり、あれだ。このプレハブは金持ち親父どもの、非合法道楽の拠点だったという訳だ。


俺は正直、拍子抜けした。この瞬間まで、もしかしたらテロリストのアジトではないのか?と疑っていたからな。おいおい、なんつう人騒がせなおっさんどもだ。


麗子もさぞかしがっかりしているだろう。テロリストを叩きのめすつもりで張り切って来たのにこれでは…。俺は俯く麗子の顔を覗き込んだ。


「ふ・ふ・ふ・ふ」


なんだその怪しい笑い方は。


「喜びなさいムサシ!」


なにをだ。


「とんだカモネギが転がっていたものだわ!」


カモネギ?


麗子は俺の襟首を引っ掴むと鼻が触れ合うほどの至近距離に俺の頭を引き寄せた。眼鏡の向こうで興奮に燃えるような輝きを放つ両目が目の前にある。


「喜びなさい!後腐れなく略奪出来る武器が目の前に山積みになっているのよ!」


…あー、一応聞いておこう。まさかとは思うが、何をする気だ?


「奪うのよ!」


…頭痛がする。いったいどういう思考回路を経ればそういう傍若無人な結論に辿り着くのやら。


「何言ってんの!いい、あいつらは犯罪者なのよ!銃刀法違反、凶器準備集合罪よ!下手をすれば破壊活動防止法にも抵触するわね!」


なるほど、たしかにその通りかもしれん。しかしだからといってこっちも犯罪行為を犯してもいいという理由にはならないだろう。


「そんなことはどうでも良いのよ!重要なのは連中から略奪しても被害届が出ないってとこじゃないの!」


俺はもはや言うべき言葉が見当たらずに沈黙した。


「作戦を授けるわ!いつもの通り上手くやるのよ!」


まるっきり犯罪集団頭領の台詞だ。俺はプレハブの中にいる連中に多少、同情した。




それにしても、会話の様子からして少なくとも5人の、しかも実銃で武装していると思われる連中からたった二人、しかも武器も無い俺達がどうやって略奪などしようというのか。


しかし麗子はあっさりリュックの中からそれを取り出した。


おなじみのコルトガバメント。考えてみれば今日の目的からして、持って来ていない訳が無いわな。そしてもう一丁、モデルガンを出して俺に渡す。


「脅しにはなるわよ」


まぁ、実銃を人に付き付けるような真似はしたくないから良いけどな。


そして、麗子は地面に図を描き出した。


「このプレハブの入り口は東側に一つ。ここは当然警戒されているでしょうから、ここは囮に使うわ」


渋々俺も図を覗き込む。


「西側の窓、この上の奴ね、ここから突入するわよ。突入したら5秒で制圧すること」


「そんな無茶な」


「人数は、極度に無口な奴がいない限り5人。銃器を、狭い室内でいじっているところからして、弾は込めていないわ」


なんでそんな事が分かる?


「馬鹿ね、間違って暴発でもしたら大変じゃない。つまり、連中が慌てて装弾するまでに制圧出来るかが作戦成功への鍵よ!」


麗子は、リュックの中から長い紐を取り出した。なんだか猫型ロボットのポケット並みにいろんな物が出てくるリュックだな。彼女は壁際の死角を移動し、角を曲がって俺の視界から消えた。


待つ事1分。麗子は紐の方端を持って帰ってきた。


「準備OKよ。あんたの方は?」


「何が」


「心の準備は良いか?ってことよ」


「…どうでもいいよ」


「よし!合図をしたらその窓をぶち破りなさい」


俺がやるのかよ。


麗子はやおら立ち上った。顔の表面に当たる前に雪はそのまま昇華してしまう事だろう。まるで超新星爆発のような表情だった。俺は思わず見とれた。この女、欠点は無茶苦茶たくさんある訳だが、とにかく楽しそうな表情をした時の美しさだけは認めない訳にはいかない。


麗子はもっていた紐の端を手繰り寄せ、一つ深呼吸をくれてから、強く引っ張った。中の連中のざわめきが聞こえた。後で分かった事だが、この紐の先はプレハブのドアに結び付けられていたのだ。麗子は二度、三度と紐を揺する。そして、中の連中が立ち上ったような気配がするや否や、


「ゴー!」


麗子は叫び、俺は反射的に窓ガラスに銃を叩き付けていた。


窓ガラスは堪らずに砕け散る。間髪入れず麗子は手を伸ばして窓の鍵を解除。一挙動で窓を開けて室内へと踊り込んだ。実に見事なアクションだ。


その瞬間、銃声が轟いた。


「麗子!」


俺は脳みそが沸騰したかのような錯覚に陥った。我を忘れて窓にしがみ付き、転げ落ちるように室内に入る。そこで目に入ったのは…。


「手を挙げないと撃つわよ!」


部屋の中央で声高らかに宣言しているのは、小笠原 麗子以外の何者でもないね。その右手に握られているコルトガバメントの銃口からは紫色の煙がたなびいている。


俺は思わずへたり込んだ。撃たれたんじゃなくて撃ったのか。つーか、撃つわよって、もう撃ってるじゃん。いやいや、撃つなよおまえ。


気を取り直して立ち上る。勝負は既についていた。


8畳ほどの室内には、馬鹿に太った兵隊が5人。虚脱の表情でホールドアップ状態になっていた。


全員、迷彩服の上下、アメリカ軍の鉄兜。ご丁寧にブーツまで履いている。室内なのに。見渡せば、壁という壁に戦闘シーンを描いたポスターが張り付けられ、ヘルメットや防弾チョッキが引っ掛けられ、銃が立て掛けられている。結構大きな液晶テレビがあるのだが、その表面は無残に吹き飛んで跡形も無い。この馬鹿が拳銃でふっ飛ばしたのだ。


テーブルを囲んでオタク話で盛り上がっていたのだろう。全員中途半端に立ち上った姿勢で硬直している。年の頃はどれも50過ぎ。まったくいい歳して…。


「あなたたちを逮捕します!全員そっちの壁に両手を付いて並びなさい!」


「け、警察か?」


また銃声が轟いて、今度は監視カメラ用モニターをふっ飛ばした。


「質問を許可した覚えはない!」


俺は思わず麗子の頭を引っぱたいた。


「撃つなこの馬鹿!」


「あ!馬鹿って言ったわね!馬鹿って言った方が本当の馬鹿なのに!」


「とにかく撃つな!あぶないから!」


俺は銃(モデルガンだが)を振って、唖然とした表情を浮かべたおっさん連中に麗子の指示に従うように促した。


彼らは大人しく指示に従った。まぁ、麗子が発砲した事が、連中の反抗心を起立する間もなく打ち砕いたことは確かだな。


アメリカの警官がするように足を広げさせ、ボディチェックをする。俺だっておっさんの身体など触りたくも無いが、麗子にやらせるわけにもいかん。特にナイフや拳銃を隠し持っている奴はいなかった。どうもこの連中、格好こそ本格的だが、中身は単なる善良なおっさんどもであるようだった。何しろ事態の急変に戸惑って震えている奴もいる。


「お、AR-15じゃないの!よくこんな物騒なものが持ち込めたわね!」


 麗子の方は早速銃器の品定めを始めているようだ。


 と、おっさんの一人がたまらず叫ぶ。


「おい!勝手に触るな!」


 バゴン!途端、そのおっさんを掠めて銃弾がプレハブの角にめり込んだ。


「誰が動いていいっていったの!」


 おいおい、あまりいじめるな。なんか真っ白になって硬直してるじゃないか。まぁ、如何に銃器マニアでも、自分に向けて撃ったりはしないのだろうから、至近に銃弾が飛んできたなんてことはこれが初めてなんだろうな。


 麗子は我関せず。プレハブの中にある銃器を一通り確認すると、それはそれは満足そうに笑って曰く。


「全部頂くわ!」


 タダで?なんて聞くまでも無い。なにせ俺たちは強盗だ。


 麗子はおっさん連中の一人から車の鍵を奪うと、車をプレハブ際まで乗りつけた(俺はその間コルトガバメントを突きつけておく役目を負わされることになった)。


 ハマーとやらのドアを開き、中におっさんたちの宝物であるところの銃器を乱雑に放り込む。連中は悲しげな、というか実に情けなさ気な表情でその様子を見ていた。う~ん、今更といってはなんだが、実に気の毒だ。仕方が無い、麗子に目をつけられた自分の不運を思って諦めてくれ。


 ちなみに、そもそものことの発端であった神崎達を襲った銃弾のことだが、さっきおっさんの一人に聞いたところによると、あれは確かに仲間が撃ったものだが、わざとではなく暴発であるとのこと。それはまた、運が無い。たまたま起こった暴発が俺の同級生に目撃され、その同級生が戦争部に変な依頼を持ち込まなければこの連中が不幸になることもなかったわけだからな。


 銃器類、そして銃弾をごっそり積み込み終わると、麗子は手際良く連中を紐で縛り上げた。一人一人を後ろ手に縛り、それを更に全員背中合わせの姿勢に縛るという手の込みようだ。


「よ~し!OK!」


 麗子が高らかに宣言する。


「安心しなさい!あんたたちの宝物はあたしが存分に活用してあげるから!」


 この期に及んで連中のマニア魂に火がついたらしい。口々に怨嗟の声を上げる。コレクターというのは自分のコレクションのためなら命を掛けられるようだからな。


 麗子は涼しい顔をしてその抗議を聞き流していたが、やおら銃を上げると、止めるまもなくぶっ放した。


 天井灯、エアコン、東側の窓ガラスが吹き飛ぶ。おっさんたちの悲鳴が上がる。


 それを合図に俺と麗子はプレハブを飛び出した。エンジンをかけたまま置いておいたハマーに乗り込む。


「ちょと待ってて」


 麗子はウインドウを開け、銃を、駐車スペースに停まっていた他の車に向けた。


「おい!待て!」


 俺の制止もむなしく、連射された銃弾は停まっていた自動車に突き刺さった。


「…なんだ、爆発しないや」


 麗子は至極残念そうに言ったが、俺が心底ほっとしたことは言うまでも無い。


 まぁ、麗子はこれで十分ご機嫌になったようだ。


「そいじゃぁ。凱旋しましょう!」


 まるっきり山賊の言い草だ。というか、マジで山賊の所業だぞ、これは。


 俺の溜息と麗子の鼻歌を乗せて、ハマーは山道をガタゴトと下っていった。




 さて、週明けの学校である。


 俺はクラスメートの神崎に、お前を撃ったのはどうも猟師の間違いだったらしい、と嘘以前のいい訳をした。本当のことを言ってやる訳にはいかないだろうよ。


 神崎はあっさり納得した。そもそも、何かしら理由付けがなされれば満足だったのだろう。なら戦争部などに話を持ち込むなと言ってやりたい。


 放課後、部室に向かいながら、俺は気分が重かった。麗子はまだ怒っているだろうか・・・。


 というのもあの日、麗子のご機嫌な気分をこの俺が台無しにしてしまっていたからである。


 山道を降り、麗子の親父の車の所まで来た俺たちは、ハマーから略奪物資を積み替えた。ご丁寧にも奪ってきたハマーのタイヤをパンクさせると、麗子は意気揚々と運転席に乗り込んだ。


「これで当分武器弾薬には困らないわよ!意外な収穫だったわね」


 麗子は車を走らせながら、まさしくご機嫌そのものだ。俺は返事をせず、しばらく無言で考え、そしてようやく言った。


「麗子先輩」


「何よ」


「それ」


 俺は後部座席に山積みになっている銃器類を指差した。


「捨てましょう」


「はぁ?」


 麗子は急ブレーキを踏んだ。


「何言ってんの!せっかく苦労してぶん捕ったんじゃないの!」


「これじゃぁ、まるっきり強盗です。よくありませんよ」


「いいじゃない!あの連中も引け目があるんだから通報なんかされないわよ!」


「そういう問題じゃないでしょ」


「じゃぁ、どういう問題なのよ」


「捨てて、警察に通報しましょう。それが一番いい」


 それなら、あのおっさんたちも罪に問われる心配は無い。俺たちは犯罪集団から武器弾薬を奪い、将来起こったかもしれない騒乱を未然に防いだ正義の味方ということになるかもしれん。それも、この武器を着服しなければの話しだ。


「いやよそんなの!馬鹿みたいじゃない!」


 俺は麗子の目を覗き込むようにした。麗子は馬鹿じゃない。


 俺の言っていることに理があれば、ちゃんと分かってくれる。


「十分暴れたでしょう?それで満足しなさい」


 麗子は上目遣いで俺のことを見上げ、何かを言おうとして口を何度か開きかけた。後部座席の銃器を未練がましく見、ようやく諦めたのか大きな溜息を吐いた。


「分かったわよ。確かにこんなにたくさんの武器、隠しておく所もないしね」


 山をある程度下ったところにある展望台に武器弾薬を降ろす。麗子はふてくされて手伝わなかったので、俺が一人で降ろす羽目となった。それから更に下り、麓のコンビニにあった公衆電話で110番し、展望台に多量の銃器が落ちている旨を通報した。信じてもらえるかどうかがかなり不安だったのだが、翌朝の新聞に「山中に遺棄された銃器類、犯罪組織が関与か?」などという記事があったのでほっと一安心だ。


 麗子はあれっきり一言も口を聞かず、俺を駅に捨てるように降ろすと、タイヤを軋ませて走り去った。


 まったく、怒った麗子がまた問題を起こさなければいいのだが…。サバイバルゲームくらいなら付き合ってやるからさ。頼むから生徒会役員室を爆破しようとか言い出さないでくれよ。


 恐る恐る部室を覗き込むと、麗子は既に来ていた。珍しい、本を読んでいるのではなく、何かを書いている。鼻歌などを歌ってやがる。機嫌は悪くなさそうだな。というより、なんか気味が悪いまでにご機嫌だが・・・。


「何やってるんです」


 声を掛けた俺に、麗子は眼鏡を光らせつつ実に嬉しそうに笑って見せた。実にいい笑顔だ。


「これよ!」


 しかしながら、その笑顔を見せつつ誇らしげに突き出した紙。どうもポスターらしい。その表面に書かれた文字を読むと、逆に俺の表情が曇った。おいおい。


『揉め事、厄介事、危険な事、やばそうな事があったら戦争部にご相談を!一撃必殺で解決確実!』


 などと困ったことが書いてある。どうも今回のことで味を占めたようだ。


「ねえねえ!これをコピーして、ビラを撒くのとポスター貼りまくるのとどっちがいいと思う!」


 などと叫ぶ麗子の満面の笑顔の前で、俺は早く春が来ないかなぁ、などと現実逃避を始めてしまっていた。





 あとがき 


 戦争部戦記はなにしろ自分的には二次創作物に近いものだったので、続編を書く気はあまり無かったのですが「女神トキツ」に難航している時に気晴らしで書いたらすらすら書けてしまいました。麗子先輩は勝手に動いてくれるのですごく書くのが楽なんです。


 なんか、キャラクターに愛着も湧いてきましたので、その内地味に続編を書くかもです。









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