戦争部戦記

宮前葵

戦争部戦記

都会の連中にとって、田園風景というのは心休まる風景に見えるらしいが、実際に住んでいる俺達にとって田んぼはただの田んぼであってそれ以上でもそれ以下でもない。


俺らの住んでいる辺りというのはいわゆる首都圏外周部という奴で、気分は都会だが実際は田舎という場所である。都会の連中から見れば郷愁を感じるに十分な場所かもしれないが、俺らにとってそれはただの現実だ。面白くも何とも無い。ただ、先日まで田んぼだった場所がある日突然コンビニに化けていたりすれば、それはそれで動揺しない訳ではなく、侵食してくる都会的文明に対して妙な対抗心を燃やしたりもする。


もちろん、大きな声では言えないが都会に対する憧れはとてつもなくある。多分もっとど田舎の連中よりもあると思う。週末になればこのあたりでは一番大きな地方都市にカッコつけて出掛け、年に一度くらいは「東京」目指して始発の鈍行列車に乗り込む。ちなみにこの場合の「東京」とは首都圏一帯を指す。


なぜ大きな声で言えないのかといえば「自分らは十分都会人だ」と思っているからだ。なにせTVの地上波がちゃんと7つ入るからな。もっと北の3つくらいしかチャンネルの無い連中とは違うのさ。


しかし非情な「東京」の連中に言わせれば一緒くたに、くそ田舎扱いされてしまい、実際、薄々は自分らも自分が田舎者である事に気が付いており、こっそり方言を直そうとして標準語もどきになってしまったりして、やっぱり都会への憧れを消し切れなかったりもする。


小学生、中学生ならば都会人がうらやましく思うようなネイティブな遊びを満喫出来る訳だが、高校生ともなるとそうはいかん。ゲーセンもカラオケも喫茶店もないこの辺で都会的文明的な高校生生活を過ごそうというのは無理がある。なにしろCDを買うのに最低でも車で10分。ちょっとマイナーなバンドのファンだったりするとそれプラス電車で軽く40分が必要なのだ。かといってこの年になってカブトムシ獲得競争に血道を上げる訳にもいかないだろう。


帰結としてこのあたりの高校生どもは半端にチンピラとなりハエのような音を立てて原チャリを乗り回すか、半端に都会風になり実は独特なトカイナカファッションに身を包んで都会的だと信じる生活を送るか、あるいは徹底的に純朴な高校生活を送るか、という訳の分からん選択を強いられる事となる。まったく、どこのどいつが「日本の高校生」なんていう一般的モデルを作ったんだろうね。当てはまる高校生は日本全体の何%なんだろうか。


さて、まぁ、俺の話だが、俺は高校入学の瞬間からいわゆる一般的高校生活を諦めた。何しろチャリンコで20分も掛けて到着したその学校は、正に田園風景真っ只中。見渡す限り田んぼというエリアにぽつんと立ってやがったからな。あるのは校門の前にある訳の分からん駄菓子屋兼文房具店のみ。目眩がしたね。


それでいて生徒の数はそこそこ多いというのが笑わせる。高校の統廃合が進む中、なぜかこの学校は勝組という訳だ。


だがそもそも俺はこの学校に過大な期待を掛けていた訳でもなかったから、特に落胆もしなかった。そもそも高校生活に何を期待していた訳でもない。野球部に入って甲子園を目指そうと思っていた訳でもないし、がり勉して東大に入ろうと祈念していた訳でもなかった。俺は自分が極々まっとうな高校生である、言い換えれば平凡な人間であることを弁えており、平凡に高校生活を送り、適当に卒業するのが身の丈相応だと知っていたのである。


まぁ、その平凡な高校生活の中にちょっとしたハプニングや、上手くすればラブストーリーが含まれていることを期待しなかった訳ではないが。それくらいの期待は誰でも持つだろう?普通。田んぼの真ん中の学校とはいえ血気盛んな高校生どもが500人もいるのだ。当たり前の学校なら何らかの青春的暴走があってしかるべきだろう。


そんな訳で俺は人並みにそれなりに心躍らせて入学式を迎え、それから半月も経った頃、


とんでもない目に会うことになる。




俺のクラスの連中は、呆れるほど普通だった。普通というのはどういう事かと言えば、いわゆる純朴な優等生、いわゆるちゃらちゃらしたおしゃれ学生、いわゆるちょっと悪っぽくしている不良未満学生、が寄り集まってクラスを形成しているということだ。


この辺りの人間は突出して目立つことを嫌う。人のやらないことは自分もやらない。不良っぽい奴でもそうだ。みんなが原チャリの免許しか持っていないのに自分だけ中型バイクの免許を取ったり、みんなが大人しく授業を受けているのに一人だけエスケープしたりもしない。結果、飛びぬけた優等生も不良も出ない。一昔前の典型的日本人の姿かも知れん。


というわけで、呆れるほど普通なクラスの中、俺は別に何の疑問も持たず適当に出来始めた友人とそれなりに楽しく暮らしていた。高校一年最初の頃というのは勉強も中学の復習みたいなもので、別に難しいことも何も無い。なにせ高校受験でそれなりに勉強した勢いというものが残っている。入学直後の緊張も解け始め、勉強も苦労無い。俺達はまぁ、高校生活というものを満喫し始めていた。


この頃になると部活動の勧誘活動も活発化する。説明会があり、各部がその活動内容をアピールしたり、校門周りでのぼりやパネルを立てたりして熱心に新入部員を勧誘していた。


もっとも、この辺りの非積極的人種達はそもそも部活動にはあまり熱心ではない。運動部に青春を賭けたいと思っているような連中は、既に入学式当日には入部を済ませており、今ごろ勧誘活動を行なっているのは往々にして文化部である事が多かった。その文化部も種類が少なく、部員数も笑えるほど少ない。


俺は中学時代は剣道部だったが、はっきり言って超不真面目な部員でもあったので、高校生になってまであの臭い胴着に身を包む気は毛頭無かった。運動は毎日の通学、チャリンコ往復1時間で十分だ。だが、せっかくの高校生活、帰宅部というのもつまらんか。


そう思ったのがケチの付き始めだったのかもしれない。


俺は2、3の文化部を見て回った。楽器が出来たらカッコイイかと思って見に行った軽音楽部にはなんと部員が一人しかいなかった。やけにやせた先輩がギターだかベースだかを引いていたが、そもそもアンプからしてなかったのでてんで迫力が無い。文芸部に行ってみたところ、5人くらいの連中がなにやら楽しそうにカードゲームにいそしんでいた。何の部活なのやら。美術部に至ってはなんだかアニメキャラの絵を高そうなキャンパスに描いていやがった。


どうにもろくな部活はなさそうだ。そもそもこの学校では全国レベルで活躍しているような部活は何一つなく、なかんずく県レベルに達している部活も皆無であるらしかった。まぁ、暇つぶしと上手くすれば出会いの場であればいいのだから熱心な顧問が目尻を吊上げて指導しているような部活でも困る訳なのだが、あまりにもどうでもいい部に入って青春を無駄遣いするのも文字通り無駄である様な気もする。


そんなわけで部活の見学を始めてしばらくして、俺は一つの部室の前で止めたくも無い足を止めさせられる事となった。


そこは要するに様々な部の部室が入っている2階建てのプレハブ小屋で、その日茶道部の見学を5分で切り上げた俺は何気なくドアに掛かった部活名を読みながら歩いていた。サッカー部、写真部、ハンドボール部、英語部…、文化部と運動部がごちゃまぜになっているのは節操が無いなと思いながら、読み飛ばす寸前でその名前の異常さに気が付いた。


「戦争部」


…なんだそりゃ。


俺はしばらく考え、その部の活動内容を推定し、まったく皆目見当もつかないという結論に達して逆に安心した。よかった、おかしいのは俺の頭では無い。


こんな部があったというのは初耳だった。説明会にも登場しなかったし、校門前で勧誘しているのも見なかった。


どんな部活なんだろう。そう興味を抱いてしまった俺をだれが責められよう。もっとも、今の俺はその時の、俺の軽薄な判断を非難すること大であるのだが。俺は扉を軽くノックした。


「…入れ」


女の声だ。ちょっと意表を突かれた。厳めしい名前からしてなんとなくいかつい男どもが巣食っていそうな想像をしていたのだ。


部室は細長く引き伸ばした4畳半といった感じだ。一番奥に窓があり、運動部などは片側にびっしりロッカーが並んでいるものだが、この部室には何も無かった。そのため意外に広く見えた。細長い部屋のまさに中央に机と椅子があり、そこにこの部室唯一の人間が座っていた。


小柄な女生徒。この学校の制服である古めかしいセーラー服を身に纏い、物凄く良い姿勢でちまっと座っている。髪型は結構長い黒髪をそのまま背中に流す感じ。大きな眼鏡の向こうからなんだか剣呑な視線が俺に向けて飛んでいた。


「どうも…」


俺は呟いて部屋に入り、ドアを閉め、もう一度彼女の方を振り返り、絶句した。


彼女は座ったまま銃を構えていた。


いや、日本は拳銃の所持は禁止されている社会だ。なのであれが本物の銃であるはずが無い。しかしながらなんだか使い込まれたような感じにも見える金属色の光沢は如何にも本物っぽい。つーか、それを構えている女の顔がマジだった。


ちょっとでも動けば問答無用で射殺しちゃうよ光線を両目から発しながら彼女はゆっくり立ち上がった。


「官姓名を言え!」


…は?などと聞き返せばその瞬間弾丸が飛び出しそうな気配だったので、俺は慎重に答えた。


「い、一年3組、前田 武蔵…」


「あ、いいな…」


一瞬表情がぽやっと緩んだがすぐ引き締められる。


「用件は!」


「え…、その、見学で…」


彼女はあからさまにがっかりした表情を浮かべた。


「依頼じゃないのね?」


はぁ、依頼ってなんなんすか。この部は探偵の真似事もするのだろうか。


「スパイじゃないのね?」


そう問われて、ハイそうですと応答するスパイというのも適性に問題があると思うが。


「テロ組織でもなくて?」


テロ組織がこんな田んぼの真ん中の高校に用があるとも思えないが。


「せめて生徒会から差し向けられた刺客とか?」


この世のどこに刺客なんてもんを差し向ける生徒会があるのだろうか。つーか、ここはそんなことをされちゃうほど生徒会に恨まれている部なのか?


彼女はかくんと頭を下げ、銃口をひょいと横に向けて引き金を引いた。じぱん!とBB弾を壁に跳ね返る。やはりモデルガンだったのか。


彼女はモデルガンを机の中に仕舞い、元の通りに行儀良く腰を下ろした。机の上には薄い文庫本がきちんと置かれており、俺が入ってくるまでそれを読んでいた気配だ。


「えっと…、その…」


この時の俺はどうかしていたのだろう。普通の人間なら先ほどのような目にあわされれば見学など打ち切りにして回れ右し、一目散に逃げ出して悪い夢を見たつもりでこの部のことを頭から消去するだろう。


しかし俺は好奇心に負けてなおも彼女に話し掛けていた。


「この部はどういうことをする部なのですか?」


彼女はきちんとした姿勢のまま俺のことを直視していた。華道部とか日本舞踊部とかに相応しいような凛とした態度だ。眼鏡がでかすぎるせいでよく分からなかったのだが顔立ちはほっそりと調っていて、これも和服が似合いそうな感じである。清楚な日本美人と言ったらいいだろうか。


しかし、口を開くとこんなことを言いやがるのである。


「戦争をする部」


俺は絶句しなかった。そんなこったろうと思っていたからである。まぁ、この部屋に入ってみるまでは、もしかしたら悲惨な戦争を止めるために署名活動や募金活動でもする部なのだろうか?とか、戦記、戦史を研究すると称して読みふけっている部なのだろうか?などと想像しなくも無かったのだが、さっきのこの女の態度を見て俺は確信していた。


この女は本気で戦争をしたがっている。


アホか?この平和な日本の、輪を掛けて平和など田舎の、しかも田んぼの真ん中の一県立高校で、言うに事欠いて戦争だ?有り得ないだろう普通。


俺はこの時点で、この女に関わると厄介なことになるかもしれんとかなり察していたのだが、なおも言葉を継いだ。多少面白がる気分があったのかもしれない。


「戦争、というと、具体的に何をするのですか?」


「敵と戦うのよ」


「…敵って?」


「敵は敵よ」


「…どうやって戦うのですか?」


「銃で撃ったり刀で切り付けたりするのよ」


「…やったことあるんですか?」


「あるわよ」


俺は眉間を押さえた。受け答えは簡潔明瞭だがこいつ、まじでおかしいぞ?結構かわいいのに勿体無い。


「…そうですか、おじゃましました…」


などと呟いて俺は後ずさった。流石にやばい雰囲気を感じたのである。しかし、最後にどうしようもなく気になっていた事を尋ねてみた。


「あなたの名前は?」


彼女は相変わらず俺のことを直角に見詰めたまま名乗った。


これが俺と、戦争部部長であるところの、小笠原 麗子との出会いであった。




小笠原 麗子が意外に有名人であることは程無く明らかとなった。


非常に意外なことに、その名の半分以上は良い方の評判によって轟いていた。要するに文武に優れた優等生、といった評判だ。これに眉目秀麗を加えても良い。とにかく成績は学年でトップかその辺り。運動をやらせれば運動部員を差し置いてあらゆる競技でその才能をいかんなく発揮するという、とにかく「できる女」それが小笠原麗子だった。


そして、まぁ、悪名もとみに高い。これは当然、あの「戦争部」に原因がある。


そもそも、戦争部なる部は本来存在しないらしい。というのは、戦争部はもともと「サバイバルゲーム同好会」という健全な(?)部活であったのだそうだ。サバイバルゲームというのはほら、例のモデルガンでバチバチ撃ち合うやつですよ。一時期かなり流行ったこともあって随分前に同好会が設立され、例の部室が与えられていたのだという。


物事に流行り廃りは付き物だ。サバイバルゲームが廃れるに伴ってサバイバルゲーム同好会は自然消滅し、忘れ去られていた。…それが突然復活したのは当然、小笠原麗子が入学したその時である。


彼女は廃部になっていなかったのをいいことにサバイバル研究会入部というか復活を宣言すると、即座に名前を「戦争部」と改めた。らしい。


というのは、名前が変更されたことに半年ほどは誰も気が付かなかったからである。ようは勝手に部室のプレートを張り替えて誰にもその事を告げなかったという訳だ。どこかの馬鹿がその事に気が付き、騒ぎ立てた。名前が不穏当であるとか、そういった感じで。


そいつは生徒会役員を巻き込み、何人かで連れだって戦争部部室に押し掛けた。


小笠原 麗子による最初の犠牲者(小笠原は戦果と表現したが)はこいつらとなった。小笠原 麗子的には部室に不法侵入してきた連中に正当なる防衛行動を発動した、だけだということになる。つまり、部室に立ち入った瞬間にモデルガンで無茶苦茶に撃たれたわけだ。


ほうほうの体で逃げ出した連中の口から伝わったのか、今度は教師が連れだって部室を訪れた。確かにBB 弾とはいえ当たり所が悪ければ結構痛い。立派な暴力行為だ。教師達は本来優等生である小笠原麗子がそんなことをしたのに当惑しながら、部室のドアを開け、たちどころに納得した。


いきなりネットに絡み取られて身動きできないような状態にされ、天井からぶら下がる憂き目をみれば小笠原麗子への評価が180度転換してしまっても無理はない。典型的ブービートラップに引っ掛かった教師達を小笠原麗子がどのような顔をして検分していたのか、目に浮かぶようだ。


もちろん、この後教師達からこっぴどく叱られたはずだが、そんな事で恐れ入る繊細な精神など小笠原麗子にはない。彼女は後に言ったものだ。


「敵はねあたしが『敵だ!』って思った奴が敵なの!あたしの前に立ち塞がる者は全部敵!」


そして敵はどう扱ってもいいのだそうだ。ジュネーブ条約とかそういう国際法はまぁ、小笠原麗子には無縁のものなのだろう。


小笠原 麗子についての悪い噂が流れ始めても、彼女に対する評価が一変した訳ではなかった。なにしろ部室にいる時以外の小笠原 麗子は物静かな優等生でしかなかったからだ。いわゆる純朴系。髪を染めてみたりスカートの長さを短くすることに血道を上げたり、山姥の様に化粧してみせる訳でもない。クラスメイトとも極々普通に馴染み、体育祭ともなれば獅子奮迅の活躍を見せてクラスの総合優勝に貢献したりもした。


猫かぶりとはこのことだ。


そのことに気が付いていたのは前述の事件の被害者と、小笠原 麗子のうわべに引かれて彼女に告白なぞしてしまった数人の男子生徒だけであったろう。


大きすぎる眼鏡が不釣り合いであるために見逃されがちであるが、小笠原 麗子は美人である。姿勢も良く、言葉づかいも(普段は)丁寧。そんな所に引かれた男子生徒、タイプとしてはちょっと優等生っぽい感じの奴が多かったらしいが、何人かが彼女に告白し、OKをもらった。


そいつらは自慢げに初デートの計画を周囲に話したりしていたらしいのだが、…デートの次の日から突発性自閉症にかかったかの如く全ての質問から沈黙を守るようになった、特に小笠原麗子関係の質問をするとひきつけを起さんばかりになった。かわいそうに。心から同情する。


結局「なんだか謎な女」というのが、俺が聞いた限りでの小笠原 麗子の評価であった。これではなんの事やら分からない。後になって思う。俺はこの時点で小笠原 麗子の被害者の声に耳を傾けておくべきだったのだ。そうすれば、この後の俺の苦労はまったく無くて済んだのだから




結局入りたい部活も見つからないまま入学後一月が経過した。この頃には戦争部のことは頭の片隅にしかなくなり、友人たちと原チャリ免許取得の計画を立てたり、週末になる度に出掛ける地方都市で何をするかなぞと考えるのに忙しく、一個上の学年にいる一度しか会ったことが無い先輩のことなど思い出しもしなかった。当然、小笠原麗子の方も俺のことなどすっかり忘れているだろうと信じて疑わなかった。実際、忘れていたらしいのだが、世の中には余計なことをする奴がいて、おかげで俺はあの自己中女の脳細胞に映し出されてしまったらしい。


それは5月のある日のこと。


どかん!と教室のドアが開いた。擬音が引き戸を開けたとは思えない表現となっているが、実際こんな音がした。なぜそんな音を立ててドアが開いたのかといえば、力任せにドアを開け放った奴がいたからであり、なぜそんなことをしたのかといえば、そいつが極めて不機嫌だったからである。


そいつ、つまり小笠原 麗子は黒髪をなびかせて、どうしようもなく無遠慮に教室に立ち入ると、きょろきょろと首を回し、目的の物を発見すると迷いも無く直進してきた。つまり俺の方に。


俺は友人3人と机をくっつけて弁当を食っている最中だった。卵焼きを空中に静止させたまま、俺はただ事じゃない雰囲気で突進してくる小笠原麗子を、唖然と見詰めていた。余りの勢いに俺と彼女の間にいた友人が慌てて避ける。


小笠原 麗子は腰に手を当てた状態で俺を見下ろした。小柄の彼女にそんな事が出来たのは俺が座ったままでいたからであり、つまり俺は逃げそこなって硬直中だった。


オーラっちゅうもんが見えたね。それも怒りのオーラだ。何に怒っているのかは知らないが、小笠原麗子はとてつもなく怒っていた。突つき方を間違えればその怒りは立ち所に俺の方に噴出するだろう。


小笠原 麗子は如何にも不本意そうな顔で、眼鏡を光らせながらしげしげと俺のことを観察した。まるで12番人気の競走馬の馬体を観察するような目つきだった。


「前田 武蔵だな?」


「…そうですけど…」


小笠原 麗子は、それはもう苦渋の選択を強いられた政治家のような口調でこう言った。


「放課後、部室に出頭しなさい」


「は?」


「復唱せんか!」


いやもう、小さな体のどこに隠されていたのかっちゅーようなでかい声だったね。俺は思わず敬礼しそうになりながら、辛うじて堪えた。


「りょ、了解しました」


小笠原 麗子はふんっと鼻息を一つ放つと、踵を返して足音高く教室を出て行った。


教室全体にハテナマークが飛び交い、誰もが手近な者と顔を見合わせた。そして最後に、俺に向って視線が集中した。俺だって俺に向って指を指したい気分だ。


俺?なぜ俺?WHY?




この時、小笠原 麗子からの呼び出しをすっぽかせば俺の高校生活は実に平穏なもので終わったであろう。小笠原 麗子に後日射殺されなければの話であるが。しかしながら、俺は戦争部部室まで出向いてしまった。小笠原麗子が恐ろしかったからではない。俺が彼女の真の恐ろしさを知ったのは後日のことだ。この時点ではエキセントリックな変な先輩以上の認識はない。俺が呼び出しに応じたのは、ほんのちょっと好奇心を刺激されたからだった。なんかおもしろそうじゃん?的な軽いノリ。


ああ、俺は未だこの時実に純朴な学生だったのだ。この世に俺の理解など及び用の無いほど脳みそのネジが吹っ飛んだ人間がいるなどということを、知る由も無かったのである。


ノックをすると返事があったので、俺は恐る恐るドアを開いた。


先日見た光景とまるで変らない。部屋の中央、机の向こうに背筋を伸ばした姿勢で小さな女、小笠原麗子がちまっと座っている。ただし、その目つきから推定される機嫌は、前回比6割り増しという感じで極めて悪いようだった。


彼女は俺が口を開くよりも早く机の中から一枚の紙とペンを取り出して、机の上に置いた。


「入部届け」と読めた。


「書け」


恐ろしく端的な言い方であった。俺は当惑した。当然だ。いきなり呼び出されて入部届けを突きつけられ「書け」と言われて「はい分かりました」と書く奴がこの世にいるか?というか、そんな新入部員勧誘は、キャッチセールスや霊感商法同様、違法だということを誰かこの女に説明してやってくれ。


俺は立ち尽くした。小笠原 麗子の眉の角度が見る見る急になって行くのを見ながら俺は生命の危機を感じた。


しかし、小笠原 麗子はさすがに説明の要を認めたのであろう。ため息を吐いてこう言った。


「生徒会がね、新入部員がいないなら予算は配分しない、って言うのよ」


俺は賢明にも返答しなかった。「だからどうした」などと言えば、撃ち殺されたかも知れん。


「予算が無ければBB弾も買えないじゃない?仕方が無いのよ」


だからどうした。心の中で返答する。


「私も断腸の思いよ。素人を部隊に加えるなんて。人数増が戦力増に直結しないって事を生徒会の連中はまったく理解していないのよ!」


そういう問題なのか?


「だから、あんた入部しなさい」


俺は軽く目眩を感じて眉間を押さえた。


どういう論理の三段論法か。つーか、へ理屈にもなってねぇし。いろいろ言いたいことが頭の中を駆け巡り、どれもこれもが押し合いへし合い口からあふれ出ようとしたせいで俺は逆に沈黙した。


小笠原 麗子はその沈黙を了解の印とでもとったのか、やや機嫌を直した。


「悪い様にはしないわ。そうね、今はひ弱なあんたでも、卒業までには敵の監獄から単身脱出出来るくらいには鍛えてあげるから」


俺をラ○ボーにでもする気かよ。つーか、鍛えるって何だよ。


「ちょっと待って下さい」


俺はようやく口を開くことが出来た。何を言おうか…。


「…なぜ俺なんですか?」


一応言葉丁寧に話し掛けてみる。


「見学に来たじゃない」


小笠原 麗子は自明な事とでも言いた気な視線を俺に送った。


「いや、確かに来ましたけど、それだけで俺が入部しなきゃいかん理由にはならんでしょう」


途端に小笠原 麗子の眉間に雷雲が立ち込め始める。


「じゃぁ何?冷やかしだった訳?それともやっぱりスパイ?」


「いや、別にそういう訳では…」


「あの時あなた、我が部の活動内容と私の名前を尋ねたわよね?あれだけの重大情報を入手しておきながら入部しないなんて、もうこれは裏切りといっても過言ではないわ。銃殺ものよ!」


「そんなばかな」


「ばかなもへったくれも無いわ!あなたの選択肢は2つ。我が部に入部するか、銃殺されて我が部と生徒会との戦争の、最初の死体となるか!どっちがいいの!」


どっちも嫌だわいそんなの。俺は思わず軽くホールドアップしながら後ずさった。その瞬間。


天井から大きな網が落ちてきて俺の全身を包み込んだ。あ、っと思った時には、俺は天井から変な格好でぶら下げられている。ブービートラップ。誰が仕掛けたかなんて聞かなくても分かるだろう?


小笠原 麗子は洒落の通じなさそうな表情で近付いてきた。手には例のモデルガンを握っている。眼鏡のレンズが嫌な感じに光った。俺は、こんな間抜けな格好で死にたくは無いと真剣に祈る。


しかし、小笠原 麗子は銃を突き付けることはせず、反対側の手に持っていた紙を俺に見せた。入部届け。


なんとそこには必要項目がきっちりと書き込まれており、あまつさえ俺の署名まできっちり書かれていた。もちろん筆跡は似ても似つかないものであったが。誰が書いたのか。これも尋ねるまでもない。


小笠原 麗子はポケットから朱肉を取り出した。そして、網の中からへんな風に飛び出してしまっている俺の右手、その人差し指にそれを押し付けた。実に手際良く入部届けに俺の指紋を写し取ると小笠原 麗子は実にいい顔で笑い、


「あたしはこれを生徒会に見せてくるから、あんたはちょっとそのまま待ってなさい」


と、そのままドアを開けて部室を出て行った。


せめて降ろしてから行ってくれよ。俺は全てを諦めて嘆息した。




いやもう、ぼったくりバーもびっくりな、違法そのものの強制勧誘によって俺は戦争部の一員となった。笑うしかない。


もちろん、こんなのは無効だ!と叫んで生徒会に事の次第を訴えれば、俺の入部届けは自動的に無効になったに違いない。しかし、俺はそれをしなかった。なぜだろう。


いや、理由は色々ある。生徒会役員室から鼻歌を歌いながら帰ってきた小笠原 麗子がえらくご機嫌で、そのご機嫌が首尾良く生徒会をだまくらかせた事に起因することは疑いなく、俺が生徒会に訴えなどすればたちまち彼女の機嫌は反転し、その矛先がなぜか俺に向けられるのを本能的に理解出来てしまったというのが一番大きな理由かもしれん。


トラップを解かれて、網の中からようやく這い出した俺に、珍しく「痛かった?ごめんね?」などと言いながら微笑んできた小笠原麗子の笑顔が実に良かったから…、でもあるかも知れん。


そしてその良い笑顔のままで小笠原 麗子が告げた通告。


「じゃぁ、明日から毎日この部室に出てくるように。遅刻、無断欠席、脱走は軍法会議の上銃殺だからね」


という言葉がさっぱり冗談に聞こえなかったというのも、もちろん理由として挙げられるだろう。


しかし、最も大きな理由。それは偏に「俺が馬鹿だった」ということに尽きるだろう。未来の俺からこの時の俺にアドバイス出来る機会があればこう言いたい「転校しろ。そして小笠原麗子のことは忘れろ」と。しかし、俺はこの時、本当に馬鹿だった。なんとなれば、ここまでで結構酷い目に合わされているにも関わらず「小笠原麗子に関わると不幸になる」という、極めて単純な方程式が導き出せなかったのだから。


まぁ、いいか。くらいにしか思わなかったのだ。どうせ何か部活には入りたいと思っていたことだし、良い機会かもしれん。どうしても気に入らなければ即座に逃げ出すさ。


しかし俺はもちろんこの判断を、氷河に刻まれたクレパスよりも深く後悔することになる。




次の日の放課後、俺は言われた通り戦争部部室に足を運んだ。ノックして扉を開く。


前日とまるで同じ光景。一つしかない机。座っている小柄な女。しかし、小笠原 麗子は一瞬顔を上げて俺の顔を見ただけで、すぐに読み途中だった文庫本に目を落した。


「こ、こんにちは」


俺は恐る恐る声を掛けた。彼女は無言で右の壁を指差す。そこには一つのパイプ椅子が立て掛けられていた。


「あんたの椅子」


口調に愛想はないが、特に機嫌が悪い訳ではなさそうだ。俺はやや安心してパイプ椅子を取り、小笠原麗子の前に置き、座った。


小笠原 麗子は良い姿勢の見本模型のような格好で一心不乱に本を読んでいた。題名は分からないが、俺なら読みたいとも思わないほど字で埋め尽くされた本であるようだ。推測に過ぎないが、何か戦争に関わる本なのであろう。


派手さは無いが結構見栄えのする少女だった。光沢のある黒髪は腰付近まで遅滞なく流れ、細い顎は少し引かれて白い喉を隠し、小さな唇は今は固く引き締まり、大きすぎる眼鏡の奥で切れ長の瞳がゆっくりと本の上に視線を滑らせている。


おお、美人じゃん。俺はじろじろ観察しても彼女が何も言わないのを良いことに、しばらく彼女の外形を堪能した。


そのまま、1時間が経過した。おいおい。


いい加減、小笠原 麗子観察にも飽き、遂に俺は彼女に声を掛けた。


「あの、部長?」


彼女はじろっと俺の方に目を向けた。


「隊長と呼びなさい」


いや、それはちょっと…。なんでも「部長」という呼び名は響きが良くないので嫌いだということらしい。しかし、隊長はいくらなんでもまずいだろう。


「じゃぁ、麗子先輩?」


小笠原 麗子はその瞬間顔を真っ赤にして立ち上がった。


「あたしをその名前で呼ぶな!」


後で聞いた話では、彼女は自分の「麗子」という名前を嫌っているらしい。「弱そうだから」という理由だそうだ。だからだろうか、彼女はしきりに俺の名前を羨ましがる。「前田 利家の前田と、宮本 武蔵の武蔵か、いいなぁ」というわけだ。俺がこの名前で幼少のみぎりから散々からかわれたというと実に不思議そうな顔をする。


「じゃぁ、小笠原先輩でどうです?」


「…仕方が無いわね」


小笠原 麗子は尊大かつ不承不承頷いた。


「じゃぁ小笠原先輩、俺は一体何をしてればいいんですか?」


彼女は難問を突きつけられた数学者であるかのように考え込んだ。


「あたしも困ってるのよ。基礎体力造りのために走ってみる?グラウンドを」


一体何のために基礎体力がいるんですか?つーか、俺はまだこの戦争部が何を目的とした部活なのか知らないですけど。


「いつ戦争が起きてもいいように訓練を怠らないことが良い軍人の条件なのよ」


俺は別に軍人じゃないし、卒業したらアメリカ海兵隊に入隊する気もないんですが。


「確かに、グラウンドを走るくらいじゃ訓練とは言えないのよね…」


俺はこの時聞き流してしまったが、小笠原 麗子のこの呟きには深い意味が隠されていたことを、後で思い知ることになる。


結局、小笠原 麗子は別にやってもらうことは無いと告げ、明日からは本でも持ち込んで読んでなさい、と言った。なんだそりゃ。


実は、俺の聞いた戦争部についての噂の中にこんなのがあった。あの部は実は、小笠原 麗子が誰にも邪魔されずに勉学に勤しむための隠れ蓑だ、というのである。塾に通っている訳でも、がり勉している訳でもないのに、学年でトップクラスの成績を維持出来ているのは、あの部室で隠れて猛勉強しているからなのだ、というわけだ。


実際はそうなのかもな。俺は半ば安心した。戦争をする部、などという説明よりよっぽど安心できる解説であろう。その内差し向かいで勉強を見てもらえるかもしれん。


俺は次の日には漫画本を持ち込んで読みふけった。なんなんだろう?と疑問に思いながらではあったが。


さて、俺が強制的に戦争部に入部させられたのは月曜日であった。なのでその週の金曜日までは平穏な日々が続いたことになる。俺と小笠原麗子は当たり障りの無い会話をぽつぽつとは交わし、後はひたすら読書にふけった。しかして、その金曜日。帰り際。


「明日、7時に駅前に集合ね」


小笠原 麗子は当たり前のように告げた。なんだって?この訳分からん部活は休日も営業中なのか?喫茶店で二人して黙々と本を読んでいる様が頭に浮かんだ。しかし、小笠原 麗子はこう付け足した。


「動き易くて汚れても良い格好で来なさいよ」


と、いうことは少なくとも読書ではない様だ。俺が生返事をすると、小笠原 麗子は眉を顰めた。


「気合を入れてこないと死ぬわよ」


非常に不吉な言葉を言い残して彼女は部室を後にした。…死ぬって?


この台詞だけで翌日の地獄を想像するには、俺の経験値はあまりにも少な過ぎた。




駅、と言えば家の辺りではこの駅を指す。田舎街の中心にある駅で、この辺りはそこそこ栄えている。一応、商店街があるし。もっとも、東京の親戚がこの駅に降りた瞬間、なぜか絶句してたけどな。


俺は7時の10分前に到着し、駅舎前のロータリーに近接する歩道に立って小笠原 麗子を待っていた。


スニーカー、ジーパン、Tシャツ、それとジャケットという格好である。「動き易い」格好とは言われたが、一体何をしに行くのかも分からないのだ。中途半端な格好になったのも無理はないだろう。


しかし、遅い。さっき7時は過ぎてしまった。まぁ、この辺の連中はまず時間を守らない。俺だっていつもはもっとファジーなのだが、なにせ小笠原麗子との待ち合わせだし、遅刻したらモデルガンで撃たれるかも知れないからな。


もしかして駅の反対側なのか?まったく適当な待ち合わせ場所の指定だよ。そう思って時計に目をやろうとした俺の視界の端に、一台のバイクが映った。


かなりの速度でロータリーに侵入してきたそのネイキッドのバイクは、俺の正面に停まった。俺は特に気にも留めなかった。なにせここは駅だ。しかし、そのバイクがスタンドを立て、乗っていたライダーがバイクから降りた瞬間、俺の注意力は引き付けられた。


ヘルメットの後ろから長い髪が覗いている。まさか…。


そのまさか。ヘルメットを取った小柄なライダーはまさしく小笠原 麗子であった。


「さ、行くわよ」


遅刻を詫びもせずそう言った小笠原 麗子のいでたちは異様の一語に尽きた。


始めはライディングスーツかと思ったのだが、良く見るとそれは迷彩の上下であった。そう、自衛隊か何かが着ていそうなコンバットスーツ。もうすぐ夏だと言うのに。足元のブーツも、どう見ても女の子が履くようなものではなく、歩くよりは人を蹴り殺すのに役立ちそうなほどごついコンバットブーツだ。腰に巻いたベルトに下がっているのは、あれはもしかしてアーミーナイフか?


背が低いせいでまったく威圧感はない。むしろやや滑稽にさえ映る。しかし、俺は思わず一歩たじろいだ。


俺が入らされた部活の名前が急速に脳裏にクローズアップされた。


「戦争部」


読書部か?というような部室での日常を送る内にすっかり忘れていたのだが、我が部は「戦争をする部」だったのだ。そして、この小笠原麗子の格好はまさに兵士の格好だ。不吉な予感以上のものが俺を襲った。


「…どこへ?」


「演習場によ」


なんだよそれ?


「ついてくれば分かるわよ」


激しく行きたくなかったが、この期に及んでそんな許可が下りるはずも無い。


小笠原 麗子はさっそうとバイクに跨ると後部シートを叩いた。


「乗って!」


俺は恐る恐る後部シートに跨った。思い出したが、そういえばうちの学校は、原付はいいが中型免許以上の取得は禁止されていたはずだ。


「免許は持ってるんでしょうね」


「当たり前じゃない。学校に告げ口したら銃殺にするわよ」


彼女の背は俺より遥かに低いので、掴まる場所に困った。仕方なく彼女の腰に遠慮がちに手を回してみる。


「しっかり掴まってないと落ちるわよ」


聞き返す間もなく加速が始まる。瞬間、顔面に風がぶち当たって俺は大きくのけぞった。そういえばメット被ってないぞ、俺。もはや遠慮している余裕も無いまま、俺は小笠原麗子にしがみ付いた。


俺はまだ原付免許を持っていない。親父もバイクなどと縁遠い生活をおくっていたので、これが正真正銘バイク初体験だ。


加速と共に風景が歪む。視界が狭まって前しか見えなくなるのだ。マフラーから引っ切り無しに吹き出す爆音と風切り音。風が体を巻き込んで痛いくらいだ。小笠原麗子の黒髪が煽られて顔に纏わり付く。


初体験の加速感に感動しても良かったかも知れんが、それどころではない。なにせ呼吸も満足に出来ない。そして、交差点に差し掛かると…。


「うわ!」


いきなり風景が傾いた。地面が突然顔の真横に来る。マフラーが地面に擦る音が聞こえ、視界の端に火花が飛ぶのが見えた。交差点を抜けると再び暴力的な加速の開始だ。


前方にいる自動車をがんがん追い抜いて行く。えーっと、確かオレンジのラインは追い越し禁止のはずじゃあ…。一体何キロ出てんだよ。俺は小笠原麗子のヘルメット越しにスピードメーターを覗き込んだ。


メーターは、180kmのラインを超して、振り切れていた。


危うく失神しそうになった。しかし、失神などすれば即死だ。俺は顔を上げる余裕も無くなって小笠原麗子の背中にコバンザメの如く張り付いた。




バイクは街を抜け、田んぼの真ん中の道を爆走すると、峠道に入って行った。


生きた心地がしないとはこのことだ。バイクは右へ左へ引っ切り無しにバンクし、その度に俺は巨大な遠心力にぶんぶん振り回された。酔いそうだ。しかし、酔っている場合ではない。時折、小笠原麗子のブーツの爪先はアスファルトに擦れて焦げ臭い匂いを立てていたし、俺の頭はガードレールとニアミスした。気を抜けば死ぬ。


拷問そのもののタンデムライディングは30分ほど続いた。終点は峠の頂上、展望台のある駐車場である。


俺はバイクから降りた瞬間へたりこんだ。


「なさけないわねぇ。男でしょ」


小笠原 麗子はヘルメットを脱ぎながら嘆かわしそうに言った。


「まぁ、マシな方かもね。気絶したり、吐いたり、失禁した奴もいたから」


ああ、それは小笠原 麗子の犠牲者達。彼女に告白などして精神的外傷を負わされた可哀相な男子学生達のことに違いない。彼らが突発的自閉症になった理由はこれだったのか。


マシな方と言われて喜ぶべきかどうなのか。俺が真剣に悩み始めていると、小笠原麗子は後部シートに括り付けていたバッグを担ぎ、当然の様に言った。


「行くわよ」


行くって?どこへ?


「演習場よ」


なるほど、ここはただの展望台兼駐車場だ。こんな所で演習など出来まい。というか、演習って何だ?


俺の疑問に答えること無く小笠原 麗子はさっさと歩き出し、俺はやむを得ずその後を追った。


この展望台からはハイキングコースが伸びており、山を適当に這い回ってまたこの駐車場に戻って来るようになっている。小笠原麗子はそのハイキングコースに足を踏み入れた。


バイクで振り回された挙げ句に山登りを強いられるのは、それはそれでそれなりに辛いことであったのだが、ハイキングコースなら別に何が起こる訳でもないだろう。俺はやや安心した。


しかし、そんな安心は長持ちしないものと相場が決まっている。


ハイキングコースの途中、何の変哲も無いクヌギ林の中で「こっち」といきなりコースを外れて林の奥へ分け入り始めたのだ。道など無い。下草を踏み分けてどんどん奥に入って行く。俺が躊躇していると。


「早く来なさい!」


との命令。まじかよ。俺は仕方なく小笠原 麗子の後を追った。


小笠原 麗子はアーミーナイフを鉈代わりに蔦や草を刈り払いながら森の奥へ奥へとどんどん進んで行く。目印があるとはとても思えない、まったく人が通った形跡の無い原生林だ。やばい。逸れたら帰れないぞ。遭難確定だ。俺は心底真剣に小笠原 麗子の後を追った。


やがて、突然目の前に岩壁が現れた。


高さは20mくらいあるだろうか。おお、なんかロッククライミング出来そうな壁じゃん。なんて思っていたら、小笠原麗子はごく自然に壁に手を掛けた。


「この上よ」


本日何度目の絶句だろうか。これを登れと?


「そうよ」


おいおい、俺にはロッククライミングの技能なんて無いぜ。つーか、実は高所恐怖症でもあるんだ。


「なに甘ったれたこと言ってんのよ。大丈夫。簡単よ。固定ザイルがあるから」


と言って、自分はさっさとザイルに手を掛け、とんでもないスピードで登り始める。普通ザイルになんか通して落ちない様にしてから登るんじゃないのか?あっという間に頂上に達すると、小笠原麗子は怒鳴った。


「早く来ないとそこに置き去りにするわよ!ここらは熊だって出るんだからね!」


行くも地獄残るも地獄かよ。俺は役者がするように大袈裟に慨嘆し、仕方なくザイルに手を掛けた。


ロープがあって、しかも適度に凹凸のある岩場を登るのは、確かに思ったよりは易しかった。木登りは子供の頃に嫌と言うほどやったしな。昔取った杵柄という奴だ。しかし高さは木上りの何倍だ?下なんか見れたもんじゃあない。


文字通り命懸けで登り終えると小笠原 麗子がペットボトルを手にして待っていた。俺にそれを手渡しながら明るく笑う。


「ごめんごめん、命綱渡すの忘れてたわ。でも、命綱無しで登ってくるなんて良い根性よ。さすが我が戦争部の部員ね!」


…俺は水をむさぼり飲むのに忙しかったので黙っていた。


崖の上はちょっとした草原になっていた。地盤が岩であるせいで木が生えないのだろうか。奥には更に上に続く岩壁があるから、山全体から見ればここは崖の途中のテラスのようなものなのだろう。


ようやく安心できる足場を得て振り向けば、それはもう東京湾が見えそうな大パノラマが広がっていた。緑一色の平野の中に、意外とがんばってるなという感じで俺達が暮らす街が食い込んでいる。雲の影がはっきりと見え、霞む地平線が遥かに僅かな曲線を描いていた。


俺はしばらく疲れも忘れて風景に見入った。登山家というのはこういう景色が見たくて、より高い山へと登りたがるものなのかもしれないなぁ。俺はそんなのどかなことを考えた。


まぁ、恐らく何回も登っているであろう小笠原 麗子にはそんな感慨はまるでないであろうことは分かっており、俺も我に返って次に何が待ち受けているのかに身構えなければならなかったのだが。


小笠原 麗子は奥の岩壁に行くと、その小さな隙間から小箱を取り出した。


中から出てきたのは、最近見慣れてきつつある物体。拳銃であった。彼女は俺の方に近寄ってくると、それを俺の手に握らせた。


それから、崖の方に近寄り、何か台の様なものを立てた。その上にペットボトルを立てる。


「これを撃つのよ」


俺は手の中に有る拳銃をみつめた。確かアメリカ製のオートマチック拳銃だ。あまり銃器には詳しくないがそれくらいは分かる。全体にしっとり油が馴染んでおり、日の光を浴びてマイルドな輝きを放っていた。


良く出来たモデルガンだ。最近のマニアはディテールに凝るからな。俺は銃を片手で掲げ、左目を閉じて狙いを付けた。途端、小笠原麗子の声が飛ぶ。


「だめよ!両手で持ちなさい!」


はいはい。俺は銃を持ち直した。


「両足を肩幅に開いて腰を落しなさい。両肘を肩の高さで伸ばす!そうよ!」


はいはい。俺はCIA射撃教本に載っているような大袈裟な姿勢で、もう一度狙いを付け、引き金を絞った。


その瞬間俺は仰向けに転倒した。後頭部が地面に叩き付けられ視界に火花が散る。次の瞬間、物凄い轟音が鳴り響き、更に遅れて火薬の燃える匂いが拡散し、最後に倒れている俺の後ろに何かが落ちる音がした。


…何が起きた?俺は盛大に鳴り響く耳鳴りを堪えながら半身を起した。


まず、狙っていた的を見る。木で組んだ台はまぁ、そのまま立っており、その上のペットボトルは…、高さが半分以下になっていた。その横で小笠原麗子が何事か叫んでいる。さっぱり聞こえないが。


後ろを振り向くと、銃が落ちていた。発砲の瞬間俺の手から吹っ飛んだらしい。銃口から薄っすらと青い煙が立ち昇っている。


右を見る。何か、金色で円筒状のものが転がっている。何気に手を伸ばし、触れると、火傷しそうなくらい熱かった。


これらの情報を総合すると…。


「スゴイじゃない!」


気が付くと耳元で小笠原 麗子が叫んでいた。


「初めて拳銃を撃ってあんな小さな的に当てるなんて!天才かも!さすがあたしが見込んだ部員ね!見直したわ!」


俺はゆっくりと小笠原 麗子に向き直り、その肩を掴んだ。


「おい」


「…なによ」


「これ」落ちている銃を指差す。


「本物か?」


「そうよ」


返答はごく短かった。


本物。実銃。火薬を使って弾がバーンと出るやつ。殺傷能力あり。


俺は冷静さを失った。無理も無いと思って欲しいね。本物の拳銃なんざぁ、まっとうな民間人なら一生縁が無くて当然のものだ。


「このばか野郎!」


俺は小笠原 麗子の肩を掴んで揺さぶった。


「なんでおまえがこんなもん持ってる!つーか、どうやって手に入れた!つーか、一体何に使う気なんだ!」


小笠原 麗子の眉の角度が見る見るうちに鋭角になった。


「隊長に向って馬鹿とはなによ!大体ねぇ、馬鹿って言った方が本当の馬鹿なのよ!」


「論点はそこじゃねぇだろ!」


俺と小笠原 麗子はしばらく埒も無い悪口合戦を繰り広げることとなった訳だが、その中で一応聞き出せたことを要約すると…。


・ 小笠原 麗子は12歳まで、アメリカはテキサスに在住していた帰国子女である。


・ 拳銃は帰国の際にこっそり持ち出した物である。


・ まさか子供の、しかも女の子が拳銃を密輸するなどと思っていなかったらしく、意外と「ちょろいもんだった」(詳しい手口の公表はここでは控える)。


・ 弾丸は当時の友人から「こっそり」送ってもらっている(あまりにも手口が悪辣なのでこれも公表しない方が良いだろう)。


・ だいたいアメリカでは普通に所持できる拳銃が日本では禁止というのはおかしい。


・ 自分がおかしいと思うからにはきっと日本の法律が間違っているのであり、間違った法律は守る必要が無い。


・ ということで自分には拳銃を所有する権利がある。


こういうのを「我田引水」というのだろうな。そんな理屈が国家に対して通るものなら犯罪者などいなくなるだろう。大体、自らの正義を主張するわりに行動を隠匿しているのは、そりゃ犯罪の自覚があるからではないのか?


「うるさいわね!もうあんただって同罪よ。ここでこうやって拳銃を撃ったんだから」


そんな馬鹿なとは思うが、証言者は小笠原 麗子ただ一人だ。下手に警察に訴え出るような真似をすれば密輸も含めて全て俺のせいにされかねない。


俺は呆れ果てたが、小笠原 麗子のことで呆れ果てるのはこれが初めてではなかったので、呆れ加減はそれほどでもなく、なんだかこういう非常識なことに慣れ始めてしまった様な気がして自分がちょっと嫌だった。


まぁ、安心しろ。警察に密告するようなことはしない。拳銃を手に持った相手にはそう言うしかないだろう。しかし、一つだけ確認したいことがある。


「なに?」


「持っているのはそれ一丁だけなんでしょうね」


その瞬間、小笠原 麗子は唇の端をひん曲げるような笑い方をした。




それから夕方まで俺は、小笠原 麗子からみっちり射撃の基礎を叩き込まれた。


意外でも何でもないことであったが、小笠原 麗子は射撃の名手で、崖の上から眼下の木々に狙いをつけ、狙った通りの木の頂点を打ち落としてみせた。だが、下に人が来たら危ないからやめとけ。ちなみに銃声は、この辺りでは狩猟が行なわれることもあるので気にする必要が無いとのこと。


俺はと言えば、まぁ、初めてにしては筋が良いとのことで小笠原 麗子はなかなか満足したようだった。俺も実銃を触ることへの恐怖感に慣れてしまってからは、拳銃を撃つという行為に快感を覚え始めてしまったことは否定できないと告白しておく。俺も男の子だからな。映画スターや漫画のヒーローにでもなった気分でコルトガバメントをがんがんぶっ放した。


それから俺達は崖を降り、バイクに乗って駅まで戻り、別れた。


俺はへろへろだった。なにせ帰りも小笠原 麗子との殺人的タンデムだ。それに拳銃の反動に耐えるのは想像以上に筋力を必要とする。格好も、下草をかき分けたり崖を這い登ったりしたせいで擦り傷だらけのぼろぼろ。バイクの後部座席から降りた時は心底ほっとした。なので、小笠原 麗子の一言を危うく聞き逃してしまうところだった。


「じゃぁ、また明日」


え?


「また明日」


…あの~、僕、えらく疲れてるんですが…。


「当たり前でしょ。訓練だもの。たゆまぬ訓練が強い兵士をつくるのよ!サボったら銃殺するからね!」


もはや「銃殺」は冗談や洒落ではないということが分かってしまっている俺としてはその言葉に逆らう訳には行かない訳で…。


次の日。198歳のじい様のような足取りで現れた俺を小笠原 麗子は容赦なく崖の上まで強制連行した。俺はもはや聞き飽きた銃声にすっかり耳をやられながら射撃訓練を強いられ、夕方にぼろ雑巾の様になって駅前でようやく解放された。


なるほど基礎体力は必要だ。自室のベッドに身を投げ出し、俺は全身の筋肉を紙やすりで擦られるような痛みに苛まれながら、明日からジョギングでも始めた方がいかもしれんと考えていた。





この後に及んで、俺にはどうにも理解し難いことがあった。もちろん、小笠原 麗子の行動が理解出来たことなどほとんど無いのだが。


小笠原 麗子が鉄砲好きな変人であるのはまぁ、良いとしよう。わざわざ山奥で隠れて撃っている分には多分、人に迷惑を掛けることは無いだろうと思えるからだ。


しかし、それは単に彼女の趣味であるべきだろう。この間からは俺も巻き込まれてしまっているが、それ以前は一人でこっそりぶっ放していたのだ。そうやって一人で遊んでいればよかったのに、なぜに戦争部などというものを創ったのであろうか?


週明けの部室、足に70kgの鉛球をぶら下げられながら底無し沼を押し渡るような苦労をして辿り着くと、小笠原麗子は平然と美しい姿勢のまま読書に励んでいた。俺はようやく自分の椅子に体を沈め、身動きもままならない状態のまま、思い付いた疑問を口に出してみた。


小笠原 麗子は柳眉を顰め、俺の顔を直視しながら俺の言葉を聞いていたが、やがて重々しくさえ聞こえる口調で言った。


「兵士は単に戦士であるだけでは駄目なのよ。ちゃんと部隊に所属していなければ」


また訳の分からんことを。


「いい?戦士が個人同士で戦ったらそれは唯の私闘なの。でもね、部隊の名前を背負って戦ったならそれは戦争になるのよ」


私闘と戦争に何の違いがあるというんですか。


「ばかねぇ、私闘で相手を殺したら犯罪だけど、戦争で敵を殺したら英雄になるのよ!」


分かるような分からないような理屈だな。


「あたし達は既に戦争部所属の兵士なのよ!あたしの敵は戦争部の敵!生徒会だろうが教師だろうが警察だろうが自衛隊だろうがね!心置きなく戦いなさい!」


それを言うなら「戦争部の敵はあたし達の敵」ではないのか?つーか、ますます言い分が悪役っぽくなってきた気がする。俺としては公的権力にむやみやたらと楯突くのは、人生の将来設計に関わる気がするのでなるべくならごめん被りたいのだが。


だがしかし、疑問は未だ残る。小笠原 麗子の高い理想(?)とは裏腹に、戦争部の通常業務はひたすらの読書である。非常にごく希に生徒会や生活指導教諭との攻防戦があるのかも知れないが。


後で聞いた話になるが小笠原 麗子曰く、たまに近所のチームに混じってサバイバルゲームをすることがあることはあるらしい。この時の経費(BB弾代)のために俺は戦争部に引っ張り込まれたのである。しかしそれもどちらかと言えば構外活動に含まれるのではないだろうか。やるのは週末だろうし。


小笠原 麗子のこの好戦性が言葉通りに発揮されたなら、事ある毎に他の部活に難癖を付け、毎日のように学校のあちこちでドンパチやらかしていてもおかしくない。部室の前を通りかかる生徒をスパイよわばりして拉致し、拷問に掛けるくらいのことは素でやりそうだ。しかし、彼女の常軌を逸した振る舞いは週末と戦争部部室を侵された時とに限られており、それ以外の場面では実にまともだ。なにせ授業中は優等生として名が知られている程なのである。この部室の中ででさえも、やばいのは口だけだ。週末の小笠原 麗子を知らなければ、ちょっと危ないことを言い散らすだけのただの女だと誤解してもおかしくない。


否応無く正体を見せつけられた俺の立場からすれば、教室と部室にいる時の小笠原 麗子がこの様に大人しいというのは、ある意味で不気味さを覚えずにはいられないことなのであった。いつ炸裂してもおかしくない爆弾が女の子の顔して座っているようなものだからな。しかし、少なくとも誰かが信管を引っぱたかない限り、小笠原 麗子は自分から炸裂する気は無い様だった。


なぜだろう。猫を被っているのであれば徹頭徹尾被り通すべきで、戦争部など創る必要も無い。よくいる、先生の前では優等生で陰では煙草を吸っているような奴のように賢くやればいいのだ。それくらいの知恵が回らない小笠原麗子とは思えん。


学校公認だったサバイバルゲーム同好会のまま部室に陣取っている分には誰にも後ろ指指されることはなかったであろう。それを勝手に戦争部などという不穏当な名前に改名し、クレームをつけに来た生徒会や教師達を問答無用で追い払ったところから小笠原麗子の悪名が轟き出したのだ。そうでなければ小笠原 麗子は少なくとも生徒会や教師達には優等生だという認識を持たれたまま、高校三年間を無事終えたことであろう。




小さい学校だ。しかも、こんな地の果てに隔離されているような状態では、噂と言うものは瞬く間に蔓延する。俺が戦争部に入部させられた、というのは今や校内では常識と化したらしい。


廊下を歩いていると後ろからこそこそ声が聞こえてくる。


「ほら、あれが例の…」


などという声である。ある時などは見も知らぬ上級生からいきなり声を掛けられたこともあった。


「きみ、戦争部に入ったというのは本当かい?」


「…え?ええ、まぁ」


「一体あの部は何なんだい?小笠原さんはあそこで何をやっているの?」


「本読んでますよ」


思ったより、全校生徒は戦争部に興味津々であるようだ。まぁ、本当のことを言ってやる訳にはいかないのだが。


またある時には深刻そうな顔をした、これまた知らない上級生がいきなり俺の肩を掴んできた。


「やめておけ!」


「な、何がですか?」


「小笠原 麗子に関わるな!不幸になるぞ!」


「…わかってます…」


ため息を吐きたくなる。何故に俺がこのような扱いを受けねばならんのか。いや、みなまで言わなくてもいい。戦争部などという活動内容不祥な部に入部した(させられた)瞬間に俺の「平凡な新入生」という称号は剥奪されてしまったのだ。それは分かっているのだ。拳銃もほぼ毎週撃ってるしな。


しかし、俺が詰問されたり説教されたり後ろ指刺されたりするのは筋違いだろうよ。そうされるべきは小笠原麗子ただ一人であって、俺は憐憫の情を寄せられて然るべきではないか。


まぁ、そんな思いを抱きながらも毎日部室にきちんと通い、週末きちんと「演習」に付き合い、基礎体力を付けるべく夕方ジョギングを始めてしまったりしている俺というのは、ちと順応能力が高すぎるのかもしれない。例のロッククライミングにも慣れちまった。小笠原麗子との爆走タンデムには慣れそうもなかったが。


季節は既に7月。窓を開け放した部室の中はかなりの暑さ。しかし、白いセーラー夏服に身を包んだ小笠原麗子は平然としている。いつも思うのだがこの女の苦手は何なのだろうか。


最近になって判明したのだが、小笠原 麗子がいつも読んでいる本は意外なことに戦争関係のものばかりではないらしかった。ごく普通の小説やノンフィクションも読んでいる。希にだが少女漫画も手にすることがある。実に普通だ。週末、俺を駅から拉致して行く彼女は別人なのではないかと思うことすらあるね。


俺は、モデルガンを分解整備しながら見るとはなしに小笠原 麗子の方を見ていた。ちなみに、この銃は俺ので、部費で購入した物である。「本物をあげようか?」という小笠原 麗子の申し出は断った。


俺にはモデルガンの趣味は無いが、男の子であるからにはこういうモノは嫌いでもなかった。子供の頃はプラモやラジコンをそれなりにやったものだ。暇な部室で時間を潰すのにこういうちまちました作業はもってこいである。


俺は机を拾ってきて小笠原 麗子の机と向かい合わせに置いていた。必然的に正面に小笠原 麗子を見ることになる。たまには雑談もするが、部室にいる時は大体お互い好き勝手なことをしている。何のために部室に集っているのやら。テスト前に勉強を見てくれと頼むと、じろっと睨んで一言「高いわよ」とのことだったのでやめた。


しかし、俺はなぜこんな部にいるのか、この頃になると俺はそんな疑問を持たなくなっていた事も確かだ。毎日の、こうしたのんきな時間もなんだか気に入り始めていたし、毎週末の「演習」にも慣れた。たまにどうしても外せない用事がある時には、小笠原麗子も渋い顔をしながらも休む事を許可してくれたしな。まぁ、拳銃を撃つなどという非常識なことがなかなか体験できないことであることも確かで、そういう秘密を小笠原麗子と共有しているというのはなんか結社的な連帯感を覚えることでもあり、つまるところ俺は戦争部の一員であることをそれなりに気に入り始めていたのだ。


しかし、俺は忘れていた。


小笠原 麗子は冗談や洒落とかなり縁遠い性格をしていたのである。そんな事はとうに分かった気でいたのだが、その時になるまで忘れていたのであるから、俺もやはり分かっていなかったのかもしれない。


小笠原 麗子はかつて言った。「戦争部は戦争をする部」だと。


小笠原 麗子が冗談や洒落でそんなことを言うはずが無かったのだ。比喩でも、ジョークでもウィットでも無い。部長である小笠原 麗子が「戦争部は戦争をする部」だと言ったなら、戦争部はその言葉通りのことを目的とした部なのである。


俺は間もなくそのことを嫌というほど思い知らされることになる。




部室のドアがノックされた。


俺はかなり驚いた。この学校のあらゆる生徒にとってこの部室は忌避すべき場所として既に名高いはずだ。普通の生徒ならこの部室の前は避けて通る。生徒会が遂に強制廃部を通告にでも来たのだろうか。


小笠原 麗子の手がベレッタ(のモデルガン)に伸びる。それを見ながら、俺はとてつもなく嫌な予感に襲われた。予感というものは、悪いものの方が当たる気がする。


しかして、小笠原 麗子が入るように促すと、凶兆が人の形をして部室に足を踏み入れたのだった。


外人だ。


俺にはそうとしか表現出来なかった。俺が外人の実物を見たのは中学の時、交換留学生が研修で学校にやってきたのを見たのが最初で最後だ。


金髪碧眼、真っ白な肌。どう見ても日本人には見えん。背は俺よりも低いが、それはそいつが俺よりも5つは年下だからであろう。


白人の子供。彫りの深い顔立ち、ややウェーブした金髪に隠れるように、大きな青い瞳が覗く。服装が子供用にあつらえられたと思われる背広だったこともあり、お人形のように見えた。しかしそいつは俺と小笠原麗子を見て柔らかく微笑んだ。そしてなんと日本語を喋った。


「お久しぶりです、レディ・ジェネラル」


「ジョン!」


小笠原 麗子が席を立ってその少年をいきなり抱きしめた。


「よく来てくれたわ!さ、入って入って」


ジョンとやらは小笠原 麗子に頭をぐりぐり撫でられながら俺の方に視線を向けた。ふっと目を細める。


その瞬間背中を氷塊が滑り落ちるような感覚を覚えた。咄嗟に身構えてしまう。な、なんだってんだ。


ジョンの鋭利な切っ先の様な視線はすぐに微笑に取って代わった。


「ジョンです。え~…」


「ムサシ・マエダよ」


「ミスター・マエダ。はじめまして」


伸びてきた右手を反射的に握り返す。俺はまだ少し背筋に冷や汗が残っていた。


ジョンは勧められた椅子にちょこんと腰掛けると、あどけなく笑った。


「4ヶ月ぶりですねこの部屋も」


「そうね、大分ご無沙汰だったじゃない。退屈しちゃったわ」


「平和なのは良いことですよ」


いったいこの少年はなんだ?俺の疑問に小笠原 麗子はあっさり答えた。


「エージェントよ」


エージェント?なんだそれは。数学の記号か何かか?


「日本語訳すると仲介者?になるのかしら?私たちに依頼者から情報を仲介してきてくれるの」


情報?


「戦争の情報よ!」


…マジか?俺はジョンの方を見た。ジョンはニコニコと微笑みながら、頷いた。


「この近辺にまたテロリスト達が潜伏しています」


また?


「ええ、またです。ここ2年で何度目になりましょうかね、レディ」


「さぁ、数えてないけど10回以上にはなるんじゃない?」


ちょっと待て。いったいこのくそど田舎にテロリストどもが、何の用があるって言うんだ?


「さて?テロリストの心理は僕には分かりません」


ジョンは肩をすくめ、ポケットから地図を取り出した。


見慣れた地図だ。地元の地図。半分以上が田んぼと林のマークで埋まっている。ジョンは田んぼの真ん中にあるマークを指差した。


「この廃工場に連中は潜んでいます。3日後、これを逮捕しますので、戦争部にも協力して頂きたい、という訳です」


俺は文字通り絶句した。


逮捕?協力?一体何を協力するんだ?つーか、そんな事は小笠原 麗子のあのキラキラ輝く瞳を見れば分かってしまう。


「喜びなさいムサシ!実戦よ!あなたの初陣じゃない!」


小笠原 麗子は握りこぶしを突き上げて叫んだ。俺は飛び交う銃弾と吹き出す血潮を幻視して青ざめた。それを見てジョンが押し殺した笑い声を上げる。


「大丈夫ですよミスター。目的はせん滅ではなく、逮捕です。こっちが使う弾はスタン弾。あなたが殺人者になることはありません」


そして少し間をおいて付け加える。


「まぁ、相手は実弾を撃ってきますけどね」


全然大丈夫じゃねぇじゃねぇか!


俺の叫びは無視され、ジョンと小笠原 麗子は待ち合わせ場所や武器の受け渡しなど細部を詰め始めた。




「高校に入学する直前だったわ」


ジョンが部室を退去してから俺は本気で小笠原 麗子を問い詰めた。彼女はあっさり事情を白状する。


「アメリカの友人から紹介された、って言って、ジョンが来たの。この近所にテロリストがいるから逮捕に協力して欲しい、って」


小笠原 麗子はアメリカ時代に拳銃射撃の大会で優勝したことがあったのだという。


「多分それで知ったんでしょ。あたしも拳銃隠してる手前断れなくて、それで協力したの」


嘘付け。喜び勇んで駆け付けたに違いない。


「それ以来、ああやって協力依頼があるのよ。それでジョンが言うには、潜伏中のテロリストが万が一あたしの事を見掛けて覚えているとまずいから、放課後や週末はどこかに身を隠しておいた方が良い、てことなの」


「それで戦争部か」


「そうよ。放課後はこの部室にいれば目立たないし、週末は演習場でしょ?テロリストに見つかる心配はほとんど無いってわけ」


…まいった。この女、まじで世を忍ぶ女戦士だったらしいぞ?戦争部部室での異常な警戒態勢はその所為だったのか。それにしても…。


「ジョンは何者なんです?どこの国がそんな依頼をしてくるんです」


「ジョンはプロのエージェントだって言ってたわ。どこの国の依頼かなんてプロなら漏らさないわよ」


子供の癖にか…。つーか、国籍不明、年齢不祥ということだな。怪しさ度200%だ。


「よくそんな怪しい連中と戦う気になりますね」


「武器や防具は貸してくれるし、集ってくる連中はいつも違うけど、腕は確かよ。それに」


小笠原 麗子は歯を光らせて笑った。


「実戦を体験できる機会なんて日本ではそうはないわ!その機会をくれるんだもの、細かいことは気にしない!」


俺は気にするわい。


小笠原 麗子はしかし、あっさり言った。


「来たくなかったら来なくてもいいわよ」


小笠原 麗子にしては珍しい台詞だ。俺は彼女の顔をまじまじと見詰めてしまった。小笠原 麗子の表情は真剣である。眼鏡の奥で冗談とは縁遠い瞳が俺を見据えていた。


「本当に命懸けになるもの。あたしは覚悟しているけど、あなたはあたしが無理矢理入部させたからね。そこまでは強制しないわ」


俺は返事をしなかった。




下校途中、ゆるい坂道を自転車で登っていると、林の陰から小さな人影が登場した。


俺は驚かなかった。多分どこかで待っていやがるだろうと思っていたし、待っていなければおかしいと思ってもいたからである。ただ、まったく無気配の状態からぬっと現れたので恐かったのは確かだ。


自転車を停めると、そいつ、ジョンは夕日の中に歩を進めた。


「こんばんは、ミスター」


「こんばんは、ジョン・ドゥ(名無しの死体の意)」


ジョンはひょいと方眉を器用に上げ、驚きを表現した。


「まいったな。何故分かりました?」


「適当に言ってみただけだ」


ジョンは喉に何か引っ掛かる様な笑い声を上げた。そういう仕種は妙に大人っぽい。


「僕がなぜここにいるのかもお分かりで?」


さっぱりだね。おまえらみたいな連中の考えることは分からんし分かりたくも無い。善良な一般市民としてはな。


「賢くていらっしゃる。そう、こういう時はあまり自分の賢さをひけらかさない方が良い」


ジョンはゆっくり近付いてきた。俺は動かない。


「そう、無駄な抵抗はしない。それも重要」


遂に奴は俺の目の前に立った。俺は内心震え上がる。こいつは俺のことを殺しに来たのかも知れない。そうである可能性は十分ある。


しかしジョンはしばらく俺の目を見詰め、やがてまたこもった笑い声を上げた。


「大丈夫ですよ。合格です。さすがはレディ・ジェネラルの選んだパートナーだ」


俺はまだ気を抜かなかった。


「悪く思わないで下さい。こっちも命懸けなんでね」


ジョンは両手を広げ、俺はようやく息を吐いた。


「あなたには説明しておく必要があると思いましてね。あなたも何か聞きたいことがあるでしょう」


まぁな。


「なにからいきましょうか?」


「おまえの年は幾つだ?」


ジョンはややオーバーアクションで驚いてみせた。


「最初の質問がそれですか?他に幾らでも聞きたいことがあるでしょうに!」


「実は、そんなに無い」


ジョンは口元に微笑を残しながら、やや改まった。少し目を細める。


「どういう事で?」


俺は慎重に言葉を選んだ。


「おまえらがどこの国のどんな連中なのかには興味が無い。聞いても答えないだろうしな」


ジョンは肯定の意であろう、口の端を笑わせた。


「テロリストがどこの連中かも教えてはくれないんだろう?」


「そうですね」


「じゃぁ、俺の興味が残されている部分はほとんど無い訳だ」


「嘘でしょう」


ジョンは即答した。


「レディ・ジェネラルのことで知りたいことがあるはずです」


ああ、止めてくれ。俺はこれ以上あの女に関わりたくない。まさかマジモノの女傭兵だったとは予想外だった。俺の許容範囲は鉄砲好きの変人女までだ。


「嘘をおっしゃい。あなたも本当は気が付いているはずです」


ジョンと俺は緊迫度数70%くらいのにらめっこを数秒続けた。ジョンはそもそも半笑いであったが。俺は結局根負けした。


「小笠原 麗子がプロの傭兵であるはずが無い。そうだな?」


よくは知らないが傭兵というのはそう甘いものではないだろう。日常大した訓練もしていないのになれる物とは思えん。いくら射撃の腕が良くてもだ。


「そんな小笠原 麗子にプロの集団らしきおまえらが、モノホンのテロリストを逮捕するために協力を要請するなど、有り得ない」


俺が疑問に思ったのはそれだけだ。足手まといになることが確実な小笠原 麗子をわざわざ仲間に引き込む。有り得ない。どう考えてもおかしい。


ジョンは頭を掻いた。


「そこまで気が付いているなら、結論まであと一歩ですね。推論を言ってみてはいかがですか?」


「知らん。言いたくない」


「では、私が代わって述べましょう。あなたはこう思ったはずです。『協力を求めると言いながら連中が本当に興味を持っているのは、実は小笠原 麗子本人なのではないのか?』とね」


この場合の沈黙は肯定の意味である。俺は凍り付いた小石のように沈黙した。


ジョンの口が三日月を寝かした形に開いた。


「大正解ですよ。ミスター」


俺は諦念を抱いた。これは本格的にやばい。


「協力というのは方便です。我々の目的は…」


耳を塞ぎたかった。これを聞いちまったら後戻り不可になる。


「レディ・ジェネラルの保護です」


…ああ、そうだろうよ。


このジョンが放課後隠れていろと言ったから小笠原 麗子は戦争部を作り、部室を砦にして閉じこもったのだという。しかし、テロリストに見つからない様に年中隠れているというのはどう考えてもおかしい。テロリストと戦った傭兵は年中隠れて暮らしているのか?そんな筈はない。ならば、ジョンの真意はどこにあるのか。


「テロリストの目的そのものが、レディ・ジェネラルの誘拐にあるからです」


ジョンはあっさり肯定した。


「普通の女子高生のようにその辺りを毎日ふらふらされてはとても守り切れませんから」


「ならなんで素直に事情を話して『隠れていろ』と言わん」


「本気で言ってるんですか?」


そう、あの女に『おまえはテロリストの標的だ』などと言えばむしろ喜び勇んで自らテロリスト撃滅に乗り出すことだろう。絵に描いた様なやぶ蛇だ。


「ならば、テロリストの存在は明かし目的は明かさないことで、彼女の行動をコントロールした方が良い、というのがこちらの判断です。幸いあの御性格です。戦うためなら目的は気になさらないでしょうから」


完全に目的と手段が逆だな。確かに銃さえ撃てるのなら、なぜこんな田舎町に吸い寄せられるようにテロリストがやって来るのかなど、小笠原麗子なら気にも留めないだろう。


「あなたの想像なされている以上に、レディ・ジェネラルは優秀な戦士でもあります。武器さえあれば自分の身は自分で守ることが出来る。後は目の届くとこにいて頂けばそれで十分です」


なんてこった。鉄砲好きの変人女から女傭兵、挙げ句はテロリストが狙っている重要人物か。もはや俺の常識を貫通して成層圏まで飛び去っていった様な正体だな。


最後に残された疑問は小笠原 麗子がなぜテロリストに狙われ、ジョンたちがなぜ彼女を守っているのか?ということだが…。


「残念ながらそれはお話する訳には参りませんね」


ああ、俺も聞きたくない。これ以上訳の分からんことを聞くと脳みそが溢れ出して耳から出てきそうだ。


俺は降りる!と叫びたい所であった。しかし、そんなことはもう許されまい。誰が許さないと言って、この目の前の白人のガキが許すまい。


「あなたにいなくなって頂くのが我々にとっては最善なのです」


こんなことを言って俺を脅しやがる。残念だが俺はもうとっくに麻痺しちまって震え上がることさえ出来ないぞ。あとで腰が抜けるかも知れんが。


「しかし、そんなことをしたら怒り狂ったレディ・ジェネラルが暴走してしまうかもしれません。我々を疑うかテロリストを疑うかは知れませんが」


「光栄と思うべきなのか?」


「思うべきですね。仕方が無いのであなたも守って差し上げます。ただ、戦闘に参加してある程度自分の身を守って頂くのが条件です」


どうしても俺は銃弾飛び交う戦場に立たなければならないらしい。なんてこった。


「後ろから撃たれるのはごめんだな」


「そんな事はしませんよ。この日本では銃痕のある死体を処理するのはけっこう大変なんですから」


俺は少しも信用しなかった。しかし俺はこの連中を信じる以外に選択肢が無い様だ。


「わかった。やる」


「そう言って下さると助かります。実の所、あなたも既にテロリストにマークされつつあるのですよ。軽挙盲動は慎んで下さい」


俺は頭を抱えた。そんな俺を見てジョンはせせら笑い「じゃあ」と言って歩き去ろうとした。待て。


「なんでしょう」


「最初の質問に答えていないぞ」


「なんでしたか」


「おまえの年は幾つだ」




もう俺は諦めたね。何をって、日常へ回帰することをだ。


そもそも小笠原 麗子に目を付けられた瞬間、俺の運命はネズミ花火のように暴走を始めたのだ。しかもとっくに逃げ出せば良かったものを、安穏としてしたためにいよいよまずいエリアに突入してしまった。自業自得であり、誰を責める訳にもいかん。


そんなわけで数日後、今度は3人の男女を連れて部室を訪れたジョンを俺はかなり無感動に迎えた。しかし、このど田舎県立高校の内部を外人がうろちょろしていたらかなり目立つはずだがな。


ジョンが連れて来た連中は、まぁ、軍人なんだろう。とにかく背がでかく、肩幅は広く、腕が太かった。女も。


マーク、デビット、レミィと名乗った。どうせ偽名だろうが一応覚えておく。


マークは黒髪を丸刈りにした、笑顔がさわやかな青年だった。雰囲気が体育教師のようで、今にも夕日に向って駆け出しそうな、そんな感じ。


デビットは金髪だったが、顔つきはまったくのモンゴロイド。チューインガムを噛んでいたり、サングラスを掛けたりしているが、残念ながら怪しい東洋人にしか見えない。ただ、体格は180cm100kgオーバーだろう。軽薄そうな笑みを浮かべているが本当は何を考えているかなど分かったものではない。


レミィは要するにセクシー・ダイナマイツというのはこういう女をいうのだろうという感じ。小笠原麗子を、身長も体重も体の厚みも出っ張りかたも1.5倍にしてみると大分近付くかな。眼鏡は掛けていないが。白人のようだが日焼けしているのでよく分からん。こげ茶色の髪に迷彩カラーのバンダナをしている。


全員、いわゆる戦闘服に身を包んでおり、臨戦態勢バリバリ。ついでに銃器もごっそり持ち込んでいる。俺、小笠原麗子、ついでにジョンはドッグレースの会場に紛れ込んでしまった小猫のように場違いに見えた。


しかし小笠原 麗子は気にする様子も無い。目を輝かせて全員と握手を交わすと、早速配られたライフル銃をいじくり始めた。


俺も一応全員と握手をした。連中、当たり前のように日本語を話したぜ。ジョンほど流暢ではなかったが。助かったと言えば助かったが、不気味な気もする。レミィは握手だけではなくいきなり俺を抱え上げ。


「キュートね!」


と連発していた。なんだそりゃ。気持ちいいが、小笠原 麗子の視線が痛いので止めてくれ。


配られたのは、アサルトライフル1つ、拳銃が大小2つ、これら銃器の弾丸一箱づつ、手榴弾3つ。俺が余程情けない顔をしていたのであろう。ジョンが笑いながら言った。


「大丈夫、弾は全てゴムスタン弾です。ただし、頭に当てると死んでしまうかもしれませんから、体に当てて下さいね」


「そんな器用なことが出来るか」


拳銃射撃は、数をこなしたのでかなり上達してはいたが、動き回る標的に対して当てる場所を選べるかどうかなど分からない。アサルトライフルなど撃ったことも無いのだ。


これらの銃器全てを教えられた通りに身に付けると、重くて身動き出来ないくらいであった。おいおい。これじゃあ、逃げることもままならんぞ?見ると、小笠原麗子はアサルトライフルと拳銃一つだけを身に付けている。俺もそれに倣うことにした。


「度胸がいいな」


マークが歯をみせてハハハと笑った。


「アサルトライフルがジャムったらどうする?拳銃が弾切れしたら?」


「後ろも見ないで逃げ出すさ」


嘘偽り無い本音だ。ジョンは俺のことも守ってくれると言った。それを信用するしかない。ジョンが嘘をついていたなら?後ろから頭を撃ち抜かれてそれでお終いだ。何れにしろ俺のやらなければならないことは変らない。


俺も戦うと告げた時、小笠原 麗子は単純に喜んだ。


「さすがはあたしの見込んだ部員ね!いい心がけだわ!」


何がいいものか。俺はよっぽど彼女に真相を告げてしまおうかと思った。『テロリストはおまえを標的にしているらしいぞ』と。


冷静に考えれば即座に却下だ。そんな事を知ればこの女、今すぐ部室を飛び出してテロリストに向って殴り込みを掛け兼ねない。


俺は銃器の使い方を一通りレクチャーされ、マークたちにひとしきり笑われたあと、翌朝予定される作戦とやらを聞いた。


明朝3時、この部室に集合。ジョンの用意したワゴン車で現場に向う。


3時半、現場着予定。


現地の廃工場は100m四方くらいの敷地に、倉庫のような建物が3つ建っている。


この建物をA・B・Cと呼称することにする。AとBは縦に並び、Cは敷地の奥でBと並んでいた。Aの横は駐車場にでも使われていたのだろう空き地だ。敷地は高さ2mほどの塀で囲まれ、その外は全て田んぼである。


テロリスト達はおそらくこの建物に分散して潜んでいるだろうという。人数は多分3人。


「1人が襲われても全滅しない様にとの配慮でしょう」


この廃工場を選んだのも襲撃を警戒してのものだという。まてよ?ということは…。


「そうです、連中は襲撃されることを予測しています。おそらく、今までこの地に来たテロリストが逮捕されたことを知っているのでしょう」


というより、同じ系列に繋がる連中だということなのだろうな。テロリスト業界のことは良く知らないが。


「分散されているのは厄介です。出来れば3人同時に押さえたいところですが…」


「人数が足りないな」


マークがジョンを責めるような口調で指摘した。ちなみにこの臨時編成部隊の隊長はマークだということになっていた。


「もう2~3人欲しかったところだ」


「いろいろ難しい面がありまして」


「作戦に必要な人数を集めるのがおまえの仕事だろう」


ジョンは肩をすくめた。


レミィが律義に手を挙げてから発言する。


「一人を逮捕して、後の二人をおびき寄せるというのはどう?」


「敵の火力がこちらを上回っていたらどうする。わざわざ敵に主導権を渡してやる必要はない」


ちなみに、会話は全て日本語である。これはおそらく俺に対する配慮なのだろう。小笠原 麗子は英語出来るだろうしな。


「速やかに敵の位置を掴めるかが鍵になるな」


デビットがガムを噛みながら口を挟む。


「やや手薄になるが、3人を同時に押さえるしかないだろう」


「2人でいいんじゃない?」


小笠原 麗子が提案した。


「3人の場所を掴むのは前提としても、2人を押さえれば1人を後で挟み撃ちに出来るじゃない?2対5ならかなり優位に戦えると思うのよ」


「なるほど」


マークがやや感心したような表情を浮かべた。


「よし、それでいこう。隊を俺とレミィ、デビットとレーコとムサシに分けてアタックする。どちらがどの目標に当たるかは現場で決める。ジョン、俺達が現場に行くまでに敵の正確な配置を掴んでおけよ」




武器は部室に隠し、一旦解散となった。いよいよ明日か…。


はっきり言おう。俺は既に逃げ腰だった。


それはそうだろう。何しろ実戦である。銃弾が自分に向って飛んでくるのである。下手をすると明日は俺の命日になってしまうかもしれないのである。しかも恐ろしい事に、俺も明日は銃を人に向って撃たなければならないのだ。スタン弾とはいえ、当たり所が悪ければ人を殺してしまうかもしれない。


俺の常識は戦争部に入って以来崩壊しつつあるのだが、明日には吹き飛ばされて跡形もなくなってしまうかもしれなかった。


夕食時、両親に不審がられるほど食欲もない。理由を話す訳にもいかず生返事をして自室に引揚げる。一人でいて、考え込むほど恐ろしくなってくる。しかし、2時には起きて部屋を抜け出し、部室に行かなければならない。


寝れるはずもなかったが、一応横になる。


俺に引き金を引けるだろうか?果たして人に銃弾を浴びせられるのだろうか。撃つ方が正しいのか撃てない方が正しいのか。撃てない方が人間的に正しいのだとすれば、その正しさに満足したまま撃ち殺されるべきなのだろうか。


ベッドで七転八倒しながら悩んでいると、唐突に携帯電話が鳴った。


手に取ると、液晶には小笠原 麗子の文字。なんだこんな時に。そういえば小笠原 麗子から電話が掛かってきたことなど今までなかったな。入部した時に緊急連絡用に電話番号は教えておいたのだが。


出てみると、電話向こうにいたのは意外な事に小笠原 麗子ではなかった。


「まずい事になりました」


もしもしもハローすっ飛ばして深刻そうな声でそう切り出したのは、耳の記憶が正しければジョンの声である。ジョンが深刻そうな様子でいるというのは意外に新鮮な感じがした。


「なにがだ」


「レディ・ジェネラルが誘拐されました」


俺は電話を耳に当てた姿勢で硬直した。


ジョンも数秒沈黙。


「聞いていますか?」


「…ああ」


「善後策を協議します。すぐに部室に来て下さい」


電話はあっさりと切れた。


俺はしばらくそのまま硬直し、次に電話の液晶画面を見た。


しかし程なく顔が紅潮するのが分かるほど激昂した。思わず電話を床に叩き付ける。


「この馬鹿野郎!」


俺はそのまま部屋を飛び出すと、どこへ行くのかと尋ねるお袋の声を無視して外へ走り出た。




部室には既に全員が揃っていた。小笠原 麗子を除いて。


俺はチャリンコを全速力で15分も漕いできた事も忘れ、部屋に駆け込むなりジョンの襟首を掴んだ。


「どういう事なんだ!麗子はおまえらが守っていたんじゃないのか?」


俺に締め上げられジョンの踵は浮いていた。身体は本当に子供のものであるらしい。しかし、表情は意図的に消されており、子供らしからぬ無表情が冷静に俺の方へ向けられている。


「その通りです。裏をかかれました。まさか廃工場のテロリストが陽動だったとは」


「言い訳をするな!麗子はどこにいる!」


「場所は分かっています」


ジョンは俺から視線を外してため息を吐いた。


「ただ、救出は難しいですね」


俺は思わず右手を振り上げた。しかしその手はマークに押さえられる。


「落ち着けボーイ」


さわやか笑顔を消したマークのいかつい顔を見ていると心が冷えた。事態は本当に深刻なのだ。


俺はジョンから手を放した。ジョンはネクタイを直しながら言った。


「レディ・ジェネラルは帰宅途中に誘拐されました。捕捉していなかった別働隊にやられたのです。連中はそのまま廃工場のメンバーと合流しました」


机の上に広げられている廃工場の見取り図を指差す。


「別働隊は3人。計6人という訳です。こちらは3人。戦力に差が有り過ぎます」


ごく自然に俺の事を除外しやがったが腹も立たない。確かに俺を戦力に含めてもらっては困る。


「連中だっていつまでもそこにいる訳にもいかないだろう?移動する際にアタックしてみたら?」


「馬鹿な。移動の際には増援が迎えに来るはずだ。圧倒的戦力になっているぞ」


「しかもこちらの目的は救出だ。せん滅じゃぁない。レーコを盾にされたらどうしようもない」


マーク、デビット、レミィの会話を聞きながら、俺は廃工場の見取り図を見詰めていた。


覚えがある。この廃工場にだ。俺が中学生の頃、ここは既に廃工場であった。元はプラスティックか何かの工場だった様で、妙に有機溶剤臭かった事を覚えている。なんでそんなことを知っているのかといえば「探検」と称して何度か中に入った事が有るからである。悪友と中にある機械か何かを破壊して遊んだ事を思い出す。


何かが引っ掛かる。思い出せ、確か…。


「あ…!」


小さく叫んだ俺を全員が注視した。ここまで俺はほとんど無視されており、むしろ唐突な俺の声で改めて俺の存在に気が付いたような感じである。


「そうだ。この手がある!」


「なんだ」


「この工場にはもう一つ侵入口が有るんだ!」




廃工場の東側、100mほど離れた所に大き目の川が流れている。そこに向けて廃工場からの排水を流すパイプが通っていた。川側の出口は水門になっている。


俺が思い出したのは廃工場探検中にこの排水パイプに紛れ込んでしまい、右往左往していたら川に出たという記憶だった。


「なるほど、そこから侵入しようというのか…」


「そうだ、しかもこの排水路はここの3つの建物全てに繋がっている。そう…、中にあるなんか水槽みたいな機械に繋がっていたんだ」


マーク、デビッド、レミィは腕を組んで同じ様に唸った。


このパイプを通って侵入すれば3つの建物全てに潜入出来るということである。小笠原 麗子が監禁されている建物を特定し、奇襲を掛けられれば人数差を逆転する事が可能に成るかもしれない。


「ボーイ、質問だ。そのパイプは人が通れるのか?」


「あんたたちでは多少きついかもしれない」


俺ならまぁ、なんとか。ジョンなら楽勝だろう。


「水は流れているのか?」


「俺が紛れ込んだ時はほとんど無かった」


「工場側の出口は簡単に分かるような所にあるのか?」


「いや、でかい機械の奥の方だから簡単には分からない」


リーダーのマークは指で腕を叩きながら考え込んだ。


「ボーイ、2つ難点がある」


デビッドが言った。


「まず、俺達が通れなければそこを攻撃路としては使えない。精々偵察と陽動用の要員を送り込むくらいだが…」


デビッドの人差し指が真っ直ぐ俺を指した。


「難点その2だ。俺達が通れない以上その役目は必然的にボーイに課せられることになる」


レミィが首を振った。


「あたし達はあんたも守れという命令を受けている。あんたを危険に晒す訳にはいかない」


「そんなことを言っている場合じゃないだろう!」


「やりましょう」


ジョンがあっさりと決断した。


「他に方法がなさそうですし」


「おい、ジョン。俺達にとってこれはビジネスだ。ビジネスは収支決算が必ず黒字にならなければならん」


デビッドがジョンに言い聞かせるように言った。


「倍額出してもらうように交渉しますよ」


「勝算の問題だ。リスクが高すぎる」


「だからこそ、一番危険な潜入役を僕とミスター・マエダが勤めるのです。我々が失敗したらあなたがたは撤退して下さい」


ジョンは微笑したまま言った。おいおい、俺の役目をナチュラルに決定するな。まぁ、当然俺もやる気なんだが。


リーダーのマークは長いこと顎に手をやって考えていたが、やがて頷いた。


「よし、やろう。リスクは高いが勝算はある」


彼は地図を広げて作戦と各人の役割分担を説明し始めた。




「正直言って、あなたがこれほどやる気をみせるとは思いませんでした」


漆黒の闇の中、ジョンの声が背後から聞こえる。


「テロリストにとってあなたはレディ・ジェネラルのおまけです。彼女の誘拐に成功した今、もうあなたに用はない。つまりあなたはもう安全なのですよ」


俺は返事をしなかった。四つんばいになって前に進むのに忙しかったからな。


「それくらいはあなたにも御分かりだったはず。なぜこのような危険を冒すのですか」


「俺はおまえが自らここに潜り込む役を買って出たことの方が驚きだよ」


おまえはエージェントじゃなかったのか?


「僕はあなたが思うより下っ端なんです。つまり、レディ・ジェネラルを奪われたままではおめおめ帰る訳にはいかない立場でして」


「あいつには余程の秘密が有るんだな」


「そうですね。世界平和に関わる秘密だとだけ言っておきましょう」


別に聞きたくもないね。俺が小笠原 麗子を命懸けで助けようとしているのは、秘密を守るためでも世界平和のためでも無いからな。


「じゃぁ、何故です?」


「俺の寝覚めを良くするためだ」


ジョンが鼻で笑う気配が聞こえた。


直径1mほどの排水管の中である。じめじめしてはいたが、水はほとんど無い。俺とジョンは川側の排水口からここに潜り込んだ。中学1年の頃に一度潜ったきりだが、構造は中に入った瞬間に思い出した。100mほどほとんど水平に進んだ後、工場直下でマンホールに到達する。そこに5本ほど排水管が接続されているのだが、その内大きな配管3本が各建物内にある大きな機械に繋がっているのだ。多分何かを洗浄するための機械だったのだろう。


マンホールに到達した所で、無線機のマイクを3回軽く叩いて合図をする。それでマークたちが配置につく手筈になっていた。それから、建物に続く配管へ潜り込む。その管は直径80cm程しか無く、はっきり言って俺にはかなりきつかった。仕方なく、アサルトライフルはここに置き去りにする。まぁ、いい。こんなやばいもん使いたくも無い。


ジョンはA、俺はBへ繋がる配管を進む。配管は機械の下で垂直に曲がっていた。俺はそこを潜るのにかなり手間取った。そうしている内に耳に付けているインカムで音が鳴る。ジョンからだ。コツ、コツ、コツ。A棟、1人、小笠原麗子はいない。という合図だ。ということはBかCにいるのだ。俺はようやく難所を抜けると、配管の出口に手を掛けた。


緊張しても良かった筈だ。この瞬間に俺は蜂の巣にされた可能性もあったのだ。この時の俺は麻痺していて気が付かなかったが。


幸いそういう事も無く、俺は身体を上へ持ち上げ、配管の外へ出た。


巨大な金属製の水槽の中である。深さは3m程もあり、梯子が壁面についていた。


忍び足で梯子に近寄り手を掛ける。昇ろうとして、自分が履いている靴に気が付いた。コンバットブーツ。出発前に防弾機能有りのコンバットスーツとブーツをもらって、それを着て来たのだが、これを履いたまま足音を立てずに歩くのは難しい。


俺はブーツを脱ぎ、素足になって梯子を昇った。鉄製の梯子はかなり腐食していたが、幸い折れるようなことはなかった。


慎重に頭を出す。これもあとでマークが「良く撃たれなかったな」と言ったほど不用意な動作だったらしい。普通は鏡か何かで確認するのだそうだが、俺にはそんな技能無いし。


…いた。


俺が張り付いている水槽は、なんだか高さ5mくらいある巨大な機械の一番上に位置していた。そこからは廃工場B棟内部全体を見渡す事が出来る。広さは25mプール一枚分くらいか。そこに、明らかに武装した男が立っていた。


中央に一人。暗いので良くは見えない。しかし、さんざん真っ暗な排水管の中で悪戦苦闘したせいで、いつもより夜目は効いた。入り口の壊れたシャッターの陰に一人。


…!思わず息が止まりそうになった。なんと俺がいるその機械の、中段の部分、つまり俺の真下だ、そこに一人。それだけか?冷や汗を流しながらもう一粘り…。


あ!…叫びはしなかったが思わず顔を引っ込めた。いた…。この機械の一番下。操作パネルの跡らしい所にもう一人と、あいつがいた。


小笠原 麗子がなぜか正座して座っていた。ちらっとしか見えなかったが手足を縛られて猿轡くらいはかまされていたようだ。見慣れた夏セーラーを着ていたので間違いはないと思う。


手足が震える。梯子を降り、無線機のスイッチを入れ、インカムのマイクを叩く。コツコツ、コツコツコツコツ、コツコツ。B棟、4人、小笠原麗子発見。


しばらく待つと、コツコツコツと合図があった。待機か。俺はブーツを履き直すと壁際に蹲った。コルトガバメントの重さのみを感じながら待つ。


そこへ、音も無くジョンが登場した。いつ排水管を抜け出てきたのかも分からなかった。こいつは例の背広姿のままだ。どうやったら革靴で足音を立てずに移動出来るのやら。


奴はアサルトライフルに倍するほど剣呑なものを持っていた。グレネードランチャー。それを壁に立て掛けると梯子を昇り、鏡で壁の向こうを確認。インカムのマイクを何度か叩く。多分テロリスト達の配置をマークたちに伝えているのだろう。そして降りてくると俺のことを手招きした。


ジョンはポケットから水性マジックペンを取り出すと、床面に何やら書き始めた。日本語だ。俺より余程字が上手い。


『僕が閃光手榴弾を投げ込んだらマークたちが突入してきます。あなたはマークたちが戦っている内にレディ・ジェネラルを確保し、ここから待避して下さい』


俺は黙って頷いた。ジョンは続けて書く。


『必要が有れば躊躇無く撃って下さい』


俺はこれにも黙って頷いた。事ここに至って、余計なことを考えている暇はないだろう。しかし外人のくせに躊躇なんて漢字をそらで書くなよな。


ジョンはそれから数分、時計を見ながら固まっていたが、やおら置き上がると懐から何やら取り出した。


良く知られている手榴弾の形状とは少し違う。空缶にレバーがくっついているような奴だ。ジョンはまったく遅滞無い動きでそれのピンを引き抜くと、数秒待って壁の向こうに放り投げた。


俺達は水槽の中にいるので分からない。しかし何かが破裂するような音と共に閃光が炸裂し、水槽の中の闇が濃くなる。途端に銃声が連鎖して聞こえ、水槽の壁がハンマーで続けざまにぶっ叩いたかのように盛り上がった。


思わず腰を上げた俺をジョンが引きとめる。一瞬の後、今度はやや遠い銃声が響き渡った。叫び声が聞こえる。


ジョンはグレネードランチャーを構え、天井に向けて撃った。それは空中で炸裂し、白い煙の固まりと化す。煙幕だ。


「GO!」


ジョンが初めて英語で叫び、俺はしゃにむに梯子にしがみ付いた。


水槽の上に顔を出すと、そこは一面真っ白。視界1mって感じの状態だった。おいおい、少しは俺の行動のことも考えてくれ。俺は下に何も無いことを祈りながら、拳銃だけを抱えて水槽の淵から飛び降りた。


飛び降りてから気が付いた。そこにはテロリストが一人立っていたはずだ。着地と同時に拳銃を構える。しかし、そこには誰もいない。かなりほっとしながら、小笠原麗子が居たはずの場所を目指す。


と、何かを足で踏んだ。…?


それは外人の男だった。うめき声を上げたところをみると死んではいないらしい。突入したマークたちが倒しておいてくれたのだろう。


その中段から1m降りた所に小笠原 麗子は居たはずだ。俺は拳銃を構えつつ、出来れば撃ち合いはごめんだと思いながらゆっくり近付いた。


突然、目の前で火花が散った。同時に連射音。俺は硬直する。しかし、幸いなことにそれは俺を狙ったものではなかった。火花の光で浮かび上がった人影は俺に背を向けている。


俺は観念した。コルトガバメントをしっかりとホールドし、教えられた通りに安全装置を解除。目の前に掲げ、何事か叫びながら機銃を撃ちまくっている背中に向け、引き金を引いた。


撃ったのは1発。それだけで人影は消えた。どこに当たったのかも、俺が撃った弾が本当にゴム弾だったのかも確認など出来ない。意外に、冷静だった。俺はそのまま姿勢を低くしたまま進み、目的地に辿り着いた。


小笠原 麗子は先程見たのと同じ姿勢、つまりは背筋を伸ばした正座姿でいた。俺に後ろを見せている。俺のことに気が付いた様子も無い。


この御騒がせ娘め!俺は無意味に腹を立てながら彼女の目隠しを乱暴に外した。


小笠原 麗子は目を丸くして振り向いた。俺の姿を確認すると丸くしていた瞳を更に見開いて驚愕する。「あんたが来たの!」という感じだ。俺だって好きで来た訳じゃない。仕方なくだぜ。


とりあえずナイフで手かせ足かせ、それと猿轡を切ってやる。途端、小笠原 麗子の目に炎が点った。


「銃を貸しなさい!」


ありがとうもサンキューも御褒美のキスも無かよ。期待はしていなかったが。とにかく、この女に銃を渡してやる訳には行かない。俺はとにかくインカムに「確保」と叫ぶと、小笠原麗子の手を掴んだ。


「駄目だ。敵の方が人数が多いんだぞ?ぐずぐずしていたら逃げられなくなる」


「このまま尻尾を巻いて逃げろって言うの?有り得ないわよそんなの!」


有り得なかろうが何だろうが今回ばかりは俺も有無を言わさなかった。俺は彼女の手をしっかり握り、ごねる小笠原麗子を引き摺るように建物の出口へと進み出した。


「放しなさいよ!何よ、あんた拳銃一丁で来たの?なんでライフル持ってこないのよ!いいからその拳銃よこしなさい!あたしも撃ち合いがしたいんだったら!」


これも後で聞いた話であるが、小笠原 麗子が非協力的だったおかげで俺達の進みはどうしても遅くなった訳だが、結果的にはそれがよかったのだそうだ。視界不良の状態で風を巻き起こすほどの早さで駆けて逃げていたら、敵味方を問わず反射的に撃たれてしまっただろう。しかし、四方で銃声が鳴り響き、跳弾が時折足元のコンクリを跳ね飛ばし、耳元を流れ弾が掠める中、わめく小笠原 麗子の手を引いて逃げるような経験は、まぁ、もうしたくない。これは本音だ。


工場の出口にはレミィがいた。彼女は俺の姿を見とめると感嘆の意のこもった口笛を一つ吹いた。


「Wow、やったじゃないの。サムライ・ボーイ!ここは食い止めるから早く行きなさい!」


「レミィ!銃を貸してよ!」


「ダ~メ。敵にみすみす捕まるようなお嬢さんはとっととお逃げなさい」


レミィの台詞は小笠原 麗子のプライドをいたく傷付けたようだが、そんなことに頓着している暇も余裕も無い。より一層非協力的になった小笠原 麗子を文字通り引き摺りながら、工場敷地の出口を目指す。


いきなり、足元でアスファルトが砕けた。あっ!と思った瞬間には俺は小笠原 麗子に引っ張られて建物の陰に転がり込んでいる。


「バカ!みなさい!まだ敵が他にもいるんじゃないの!」


多分CかA棟にいたテロリストだろう。B棟に突入しないで俺達が出てくるのを待っていたのだ。どこに居るのかよく分からない。


「銃を貸しなさい!」


俺は渋々、小笠原 麗子にコルトガバメントを渡した。


小笠原 麗子は弾装を引き抜いて残弾を確認すると、夜目にも分かるほど嬉しそうに、にやりと笑いやがった。そして、大きく息を吸い込むと、止める暇も無く飛び出した。


月明かりに白いセーラー服が踊った。途端、向かいの建屋から火線が伸びる。小笠原 麗子は地面に身を投げ出すと、横向きに転がりながら銃を連射した。


あっけにとられながら見ていると、小笠原 麗子は満足そうに立ち上がり、眼鏡を押さえた。


「やっつけたのか」


「当然!自分の位置を教えてしまったのが運の尽きね!」


さすが、と言おうとして、俺は言葉を飲み込んだ。そんな場合ではない。


「さぁ、逃げるぞ」


「分かってるわよ。今ので弾もなくなっちゃったし」


少し暴れて気が晴れたのだろう。意外に素直についてきた。俺達はそのままA棟の横を走りぬけ、もう少しで敷地の門というところまで来た。


その攻撃を避けられたのは僥倖と言うべきだ。気が昂ぶって感覚が鋭くなっていたのかもしれない。白い光が一瞬前まで俺の頭が存在した空間を薙いだ。ナイフだ。俺はたたらを踏んで後退した。


うわ、如何にも陰険そうな東洋人が、馬鹿でかいナイフを構えて嫌な感じで笑っている。どうしてナイフが好きな奴って言うのはこうも嫌な感じで笑うものなのか。俺の偏見か?


小笠原 麗子が俺を盾にするようにしながら、俺の耳元でわめく。


「武器は!」


「…無い」


アサルトライフルは置いてきちまったし、コルトガバメントは小笠原 麗子が撃ちつくした。アーミーナイフは、小笠原 麗子の縛めを解いた時に捨ててきちまった。


やばい。何か無いのか、何か?


と、建物の壁に鉄パイプみたいなものが立て掛けてあるのに気がついた。咄嗟にそれに飛びつく。


何の魔法も掛かっていない、1mくらいのパイプだ。これが俺達の唯一の武器だと言う訳だ。小笠原麗子の情けなさそうな吐息が聞こえる。俺はパイプを青眼に構えた。


ナイフ男はフフン、とまぁ、いや~な感じに笑った。パイプとでかいナイフ。どっちの殺傷能力が高いかなど言うまでもない。奴は右手でこれ見よがしにナイフを揺らしながらじりじりと近付いてきた。


一生の内これほど集中した瞬間は、高校受験の最初の一文目に立ち向かった時以来だ。俺は揺れるナイフではなく、細くなった奴の目を睨み付けた。


機会は一瞬だ。俺は微動だにせず、ひたすらその瞬間を待つ。


そう、奴の目に殺気が走った、その刹那、


「小手!」


俺の鉄パイプが一閃してナイフ男の右手からナイフを弾き飛ばした。ナイフ男が一瞬間の抜けた表情を見せる。しかし、そんなのに構っている間は無い。


「面!」


遠慮容赦は要らないだろう。鉄パイプによる面撃ちを受けて、ナイフを持たないナイフ男は瞬間棒立ちになり、それから白目を剥いて崩れ落ちた。


「すごいじゃない!どこでそんな技習ったの!」


小笠原 麗子が背後から俺の首をがくがく揺らしながら叫んだ。


出端小手面撃ち。剣道をやる人間なら誰でも習う初歩の初歩だ。


俺は、前田 武蔵なんて古風な名を付けられたおかげで、中学の時に剣道部に引っ張り込まれ、3年間みっちり剣道に明け暮れたのだ。自慢じゃないが、3年の時はレギュラーで、全国大会寸前まで行ったこともある。


何事もやっとけば無駄にはならないもんだ。俺は今更吹き出した冷や汗を感じながら深々と溜息を吐いた。


あとはもう小笠原 麗子の手を引っ掴んで逃げに逃げた。工場の門を出て、河原まで走り、堤防を越えたところでインカムに叫んだ。


「脱出に成功した!」


その瞬間、光が沸き上がったかと思うと、轟音が鼓膜を激しく震動させた。思わず立ち止まり、振り返る。


なんと廃工場から火柱が上がっていた。しかも、一本ではなく続けざまに。


…やり過ぎだ。さすがの小笠原 麗子も口をあんぐりと開けている。


俺は頭を抱えるのは後回しにして、近寄ってくるパトカーや消防車のサイレンから逃れるように、真っ暗な河原をひたすら走った。小笠原麗子も珍しく文句を言わずに俺に倣う。




「仕方が無かったんですよ」


あとでジョンがしれっと語った言い訳である。


「なんとか全員を逮捕することは出来たのですが、あ、もちろんあなたが倒して下さった連中も確保しましたが、時間が掛かり過ぎてしまったために退路が断たれましてね。警察がすぐそこまで来てしまっていたのです」


翌日の放課後。戦争部の部室である。居るのは俺と小笠原 麗子、ジョンだけだ。


徹夜明けである。俺は致命的に寝不足だったはずだが、少しも眠くない。ただし、今になって足ががくがく震えているのだが。


「そこで、門の近くの建物を派手にふっ飛ばし、警察の目を引いている隙に反対側の塀を壊して逃げた訳です」


それにしてももう少し方法はなかったのか?俺は小笠原 麗子が持ち込んだ今日の朝刊を見て頭を抱えた。


『深夜の大爆発!』


『現場から多数の銃痕を発見。銃撃戦か?』


ごまかし様が無いだろう。俺の手が後ろに回るような事態になるんじゃないだろうな?


「大丈夫です。その辺は請け負いますよ。我々の雇い主は警察の上層部にも顔が利くんです」


ジョンは無邪気にさえ見える微笑みを見せた。


「あなたも良くやって下さいました。感謝します。後日傭兵料を入金しますよ」


何時の間に俺の銀行口座を調べたんだよ。当然の俺の疑問に答えること無く、ジョンは立ち上がった。


「それでは、レディ・ジェネラル。ミスター・マエダ。またいずれ」


もうくんな。と言いたい所だったが、この時は自制した。


小笠原 麗子は無言で閉まるドアを睨み付けていた。彼女は放課後に部室に現れた時点で既に無茶苦茶に不機嫌であり、ジョンがやってきて「これで分かったでしょう?いつ何時も戦士は油断してはいけないものなのです」などと諭されて更に臨海寸前まで不機嫌度数を増していた。


せっかくの機会に暴れ足りなかったのが余程気に入らないのか、虜囚の辱めを受けたのが屈辱だったか、又はその両方だろう。俺はそう推定し、俺は俺でなんだかもう精神的にも肉体的にも疲労困憊で他人の気分を慮っている余裕はまったく無く、不機嫌な小笠原麗子の八つ当たりのとばっちりを受けようものなら五体がバラバラになりかねないので、小笠原麗子に、「俺も帰る」と告げて立ち上がった。風呂に入ってベッドで泥のように眠るとしよう。


俺は部室のドアに手を掛けた。


「あなたには」


小笠原 麗子の声だった。何だよ何か文句があるのか?少なく見積もっても今回の俺はよく働いたと思うぞ。勲章をもらっても良いくらいだ。別に欲しくはないが。


「あなたには今回、助けられた、と言わなければならないようね!」


大いに控えめに言ってもそうなるだろうな。


「あんたたちが来なくても自力で脱出出来たとは思うけど、あなたたちが来てくれたおかげで短時間で脱出することが出来たのは否定の出来ない事実であると考えざるを得ないわね!」


そうかい。


「特にあなたは素人にしては良くやったわ。さすがあたしが鍛えただけのことはあったようね。うむ。さすがあたし!」


はいはい。


「だから!」


ここで小笠原 麗子は何故か顔面を紅潮させた。


「あなたには特別な褒美を授けます!」


ふ~ん。本当に何かくれるとは思わなかった。意外に思いながら俺が見詰める先で小笠原麗子は胸を張って宣言する。


「あなたには特別に、あたしの事を『麗子』と呼ぶ事を許可します!」


小笠原 麗子は、レジオンドヌール勲章にでも匹敵する名誉与えたかの様な誇らしげな笑顔を見せていた。俺は眼鏡を光らせてふんぞり返る彼女の顔をまじまじと見詰めた。


…まぁ、何の役に立つのか分からない勲章なんかよりは確かに凄い名誉なかもしれない。その時俺はどう思ったか?正直に言おう。多少は嬉しかった。小笠原麗子が少しは俺のことを認めてくれたという事だからな。しかしまぁ、感情表現が不器用な女だ。そんなにえばり返って宣言するようなことでもないだろうに。


俺は苦笑して、片手を上げると、早速与えられた権利を行使することにした。


「じゃぁ、麗子…先輩。また明日」




帰り道、林の陰からジョンが幽霊顔負けの無気配で登場したのを見ても、俺はまったく驚かなかった。疲れ果てて感覚が麻痺していたからかもしれないし、他のことを考えていたからかもしれなかった。


「随分と嬉しそうじゃありませんか。レディ・ジェネラルから感謝のキスでも頂きましたか?」


いーや。俺は無意味に顔を撫でた。


「どうして僕がここに来たのか、分かりますか?」


「種明かしだろう」


「何の?」


「小笠原 麗子の秘密についてのだ」


ジョンはクスクスと笑ってみせた。


「どうしてそう思います?」


「俺は少し深く関わり過ぎたからな。口を封じておく必要があるだろ。かといって、小笠原 麗子の手前殺す訳にもいくまい。なら、半端に隠しておくより秘密を暴露して共犯にしてしまったほうがいい」


ジョンは参りましたと言うように大袈裟に頭を下げた。


「実はそうなんですよ。こうなったらあなたも仲間に引き込んで、間近からレディ・ジェネラルを守る役目を押し付け…、いや失礼。やって頂こうと思ったのです」


俺は深々と溜息を吐いた。俺は善良な一般市民だぞ?そんな役目は如何にも荷が重い。


「いや、そんなこともありません。今回のあなたの働きはなかなかのものでした。マークたちも誉めていましたよ。何しろ度胸が良い」


「そんなことはいい」


俺はジョンの賞賛を遮った。俺が小笠原 麗子を助けに行ったのは、別にジョンたちに誉めてもらうためじゃない。


「で?何なんだ。小笠原 麗子の秘密というのは」


「そうですね」


何故かジョンはここで少し考え込んだ。


「大陸間弾道ミサイル、というものをご存知ですか?」


「核ミサイルか?」


「そうです。某国のミサイルはとあるシステムによって管理されているのですが、そのシステムの鍵には暗証番号と、とあるものが使われているのです」


とあるもの?


「大統領の目の、虹彩紋です」


ジョンが言うには、虹彩紋と言うのは普通、二つと同じ物が存在しないため、鍵に使うには最適なのだそうだ。指紋みたいなものだな。しかし、その顔も知らん大統領の目の中身がいったい何だというのか。


「実は、レディ・ジェネラルの虹彩紋と、大統領のそれが偶然にも完全に一致するんですよ」


つまり、小笠原 麗子がいれば、某国の核ミサイルを勝手に使うことが出来る可能性があるということだ。なるほど、そりゃテロリストが欲しがる訳だ。


小笠原 麗子がアメリカ時代に受けた検査でその事が発覚して以来、彼女は某国から保護を受ける身となったのだった。しかし、時は既に遅く、どこからか漏れ出した情報によって小笠原 麗子はテロリストに狙われる身となったということである。


まったく、頭の中身だけではなく目の中身まで物騒な存在だったというわけか。


「それで、今後あいつはどうなるんだ」


「それがですね」


ジョンはここで面白そうな笑顔を見せた。


「僕もうっかりしていたのですが、この度、大統領選挙が行われまして、現職大統領が落選したのですよ。当然、キーシステムも書き換えられまして」


…じゃぁ、何か?テロリストどもが小笠原 麗子を手に入れても、何の役にも立たなかったってことか?


「そういう事になります」


俺は、少しだけテロリストどもに同情した。ジョンの話によれば逮捕されたテロリストはこの後、極秘裏に護送され、収容所で背後関係についての徹底的な尋問を受けることになるのだという。


「じゃぁ、小笠原 麗子はもうテロリストに狙われることは無いんだな?」


「さて、それはどうでしょう」


ばっくれやがった。おまえに対する信用値ゲージは前から0に近かったがこの瞬間マイナスに転落したぞ。秘密を明かすと言っときながらそれか。


「僕もね、下っ端なので良くは知らないのです。でも、彼女の秘密はこれだけではないような気はしていますが」


それだけ言うとジョンは片手を上げて歩き出した。


「ま、また御会いしましょう。そうそう、せっかく許可が下りたのですから『麗子』と呼んであげたらどうです?遠慮なさらずに」


やっぱり知ってやがったか。俺は先程は飲み込んだ台詞を今度は遠慮無くぶつけてやった。


「もうくんな!」


「それは難しいですね」




さてさて、そんなこんながあってからしばらくして、俺はなぜか森の中に居た。週末の事だったが、いつもの演習場ではない。


迷彩の上下を着て、アサルトライフルを持っている。ご丁寧にヘルメットまで被っているので、この間よりも余程重装備だ。それに、プラスティックで出来たゴーグルまで被っているし。


潅木の茂みに身を隠している訳だが、その隣りには似た様な格好の小柄な女がしゃがんでいる。まぁ、当然だが小…、もういいだろ、面倒臭い。麗子である。


「行くわよ!援護しなさいムサシ!」


言うが早いか、麗子は茂みから飛び出して走り出す。


俺は、のっそりと身体を起した。ああ、あそこにいた。走り出した麗子につられて隠れていた茂みから身体を起してしまった間抜けなスナイパー。わざわざ顔を迷彩に塗っているくせに。そいつに目掛けてアサルトライフルをぷしゅんと放つ。頭に命中弾を受けたそいつがびっくりしてこっちを見るのが見えた。


はい、次は?あの木の上にいるな。狙撃兵が慌てふためいてどうする。ぷしゅん。


麗子が走って行く先には旗が立っている。少し開けた場所に立っているそこへ、麗子が100m12秒台の俊足で駆け込もうとする。その直前で左右から二人の男が飛び出した。


馬鹿たれが。そういう時は姿を見せずに撃てばいいんだよ。俺はその内の一人に向けてBB弾を連射する。もう一人は麗子がサイドステップをしつつベレッタでやっつけた。


全ての敵をやっつけると、麗子は悠々とフラッグに手を掛け、引っこ抜いた。


「げーっと!」


間抜けな4人組は、情けなさそうな顔で立ち尽くした。そりゃそうだろう。2対4で完膚なきまでにやられたのでは。リーダー、俺に真っ先にやられた顔迷彩の男だが、そいつが叫ぶ。


「くそう!もう一回だ!今度はうちがオフェンスをやる!」


「いーわよ!何度やっても同じだと思うけどね!」


麗子がヘルメットを取って黒髪を靡かせた。


というわけで、サバイバルゲームなどというものに来ている。例の事件の時に暴れ足りなかったことがよほど腹に据えかねたのか、あれからというもの毎週のように相手を見付けてきてはこうして山の中で模擬戦闘を繰り広げているわけである。


麗子の目的は何しろ、思う存分暴れることであったから、相手チームはいつも、俺達よりも多人数だ。最高で6対2。しかし、俺達は連戦連勝だった。何しろ麗子は凄腕の戦術家であり、熟練した前線指揮官であり、勇敢で俊敏な兵士でもあったのだ。そして俺は彼女を後方援護する、冷静極まりないスナイパー。言いたかないが、俺達は良いコンビだった。


なぜ俺が冷静極まりないのかと言えば、全然心が燃えなかったからだ。男なら戦争ごっこには心ときめいても不思議はないのに。理由は分かっている。一度でも本当に生死を掛けて銃弾の下を潜りぬけるような経験をすれば、こんな「ごっこ」には燃えられないのだ。ここにはあの時あの場にあった、焼ける様な緊迫感が無い。


二度とごめんだとは思いながら、どこかあの緊迫感を懐かしんでいる俺がいる。まったく、どうしてくれる?俺の平和な世界を返してくれ。


「何ぶつぶつ言ってんの?早くこっち来なさい!」


麗子はしゃがみこんで俺を手招きした。しかたない。俺もしゃがむ。頭と頭をくっつけるような姿勢で、麗子が地面に木の枝で描き出す作戦絵図を見る。


「あんたはこのB地点で敵を邀撃しつつ、このC地点に誘い込みなさい!ブービートラップを仕掛けておくから!引っ掛かったら、一気に片を付けるわよ!」


聞いているふりをして、俺は間近から麗子の顔を盗み見た。なんとまぁ、生き生きしていることか。瞳がキラキラと輝き、汗で頬に張り付いた黒髪がやけに色っぽい。服装にはまったく色気が無いのだが。


俺の視線に気が付いたらしい。麗子は顔面朱に染めて怒ってみせた。


「まじめに聞きなさいよ!いい!負けたら演習場の崖からバンジージャンプさせるからね!」


はいはい。俺は麗子のヘルメットを軽く叩くと、配置につくためにアサルトライフルを担いで歩き出した。





 あとがき


 え~、お読みなった方でお気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、この物語はかの大ヒット作品「涼宮ハルヒの憂鬱」からインスパイアを受けております。


 つまり、小笠原麗子がハルヒで、ムサシ君がキョン。ジョンが小泉君ですな。一人称の文体といい、変な部活動といい、そのまんま拝借しました。こう言ってしまうとほんと、見も蓋もありません。


 あれ読んで、あんまり面白いので「あんなん書けないかなぁ」と、あまり考えずに勢いで書いたら、こんなん出来ました、という感じです。


 う~ん、劣化コピーですねぇ。やっぱり真似はいけません。ただ、ハイテンションヒロインが意外と自分向きであると気がついたのは収穫でした。







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