九章、手に入れたもの
イクラシオンに配置されている人口要塞の主砲は、一撃で数百隻の宇宙戦艦を蒸発させるに足る威力を誇っていた。射程距離も数十光秒に及び、イクラシオンでは隣り合った要塞を互いにフォローしあえる。欠点としては充填に十分ほどの時間が掛かることと、照準を固定すると瞬時に変更するのが難しいことであるが、要塞は主砲以外にも多数の砲塔を備えており、主砲を避けて懐に飛びこんだからそれでやれやれという訳にも行かないのであった。
もっとも、人口惑星要塞の攻略それ自体は、不可能事ではまったく無い。故に、守備艦隊をこれ以上無いというくらい理想的な形で壊滅させる事が出来た時点で、俺は人口惑星要塞『メラク』と『ミザール』を陥落させ得ることに対しては確信すら持つことが出来た。
問題は、掛かる時間、受ける損害、そして陥落させた後である。
人口惑星要塞は単体でも恐ろしく強力な戦術単位である。一般的には二万隻程度の艦隊と同程度の攻撃力を有すると考えられていた。これが守備を固めている訳である。人口惑星要塞の攻略には数ヶ月掛るのが常識であった。しかも、今回の場合は隣り合った要塞からも支援砲撃が撃ち込まれてくることであろう。侵攻計画立案時、半年、下手をすれば一年は掛るのではないかという悲観的意見が聞かれたのも無理からぬことである。
人口惑星要塞を力押しで陥落させようとすれば、尋常ではない反作用を覚悟しなければならない。前述したようにその攻撃力は壮絶なものである。二万隻と換算されるということは、単純計算でこちらも二万隻の損害を覚悟する必要があるということであるのだ。
そして、我が艦隊が首尾良く『メラク』を陥落させ得たとしても、イクラシオンには残り六つもの敵要塞があり、もしも上手くいって『ミザール』をも手に入れたとしても、まだまだ敵の要塞の数の方が多いのだ。敵の要塞が容赦無く『メラク』『ミザール』に砲撃を浴びせてくれば、我が軍の戦果は短い内に失われてしまうことになるであろう。つまり、人工惑星要塞単体の占領すら難事であるのに、七の要塞の内一つや二つを占拠しても戦略的価値が維持しにくいのだ。
難攻不落のイクラシオン要塞という異名は伊達ではないのである。
この時点で、我が軍が「勝っている」ことには疑う余地がなかった。しかし、戦闘、なかんずく戦争というのは結果が全てなのである。古来、当初勝っていたことに浮かれて戦略的泥沼に足をとられ、最終的にすってんてんに負けてしまった国家の例は枚挙に暇が無い。我が軍に課せられた勝利条件は厳しく、状況はまったく楽観出来なかった。
敵艦隊を壊滅させたロスアフィスト王朝艦隊は、そのまま要塞攻略作戦に取り掛かった。
要塞の攻略にはいくつかセオリーがある。本来であれば外部との接触を断ち、守備兵の孤立感を煽り、外部からも絶え間無い刺激を与え続けることで、守備側を内部崩壊させるのが基本的なスタンスとなる。逆に言うと内部状況が強固なままである要塞を、力押しで陥落させるのは非常に難しいことであり、故にそれは戦略的には下策の下だと言われるのだ。
この点でもイクラシオンは強力であった。なにしろ、肉眼で視認出来るほどの距離に味方の要塞があるのである。各要塞が孤立してしまうという状況は考え難いのだった。しかも今回、我が軍にはのんきに敵の内部崩壊を待っていられるほど時間が無い。
ではどうするか。下策の下を承知で力押しに押すしかない。なんと言われようが、もはや我が軍には選択肢が残されていないのだから。
我が艦隊はサランバ大将の先鋒艦隊に『ミザール』を牽制させる一方、ブロックン大将指揮する本隊で『メラク』の攻略に掛かった。あえて艦隊を分散させたのは、二つの要塞に連携されないためである。どちらが主目標であるかを敵に悟らせないことによって敵の対応を惑わせる為でもある。
俺はサランバ大将に「死ね」とまで言った。その理由は実に簡単である。万が一にも本隊の後背を『ミザール』の砲撃が襲うようなことがあってはならないのだ。つまり、先鋒艦隊の役目は本隊の「盾」となることなのである。そのためには愚直なまでに正面から『ミザール』に攻撃を加えてもらわなければならない。損害はこの際度外視するしかない。もっとも、俺がそう言うと、サランバ大将は髭を震わせて大笑したものだった。
「その方が小官の好みに合いますわい!」
というわけである。その豪語に違わず、サランバ大将は猛将の名に恥じない壮絶な突撃を敢行してみせた。
「撃て!」
先鋒艦隊から無数の光の矢が生じて要塞へと襲い掛かる。要塞の装甲は光線系兵器対応の鏡面複合装甲である。戦艦主砲の砲撃でも長距離であれば大きな効果は期待できない。それでも三万隻という大艦隊の一斉砲撃である。要塞全体が光で覆われたように見える。
この時、サランバ大将は高速で要塞に肉薄することで、要塞主砲の照準を外そうとしたようである。力押しで要塞を陥落させる場合、兎に角、要塞に接近しないことには何も始まらない。味方の損害がなるべく少ないうちに要塞に接近する。それには凶悪な威力を誇る要塞主砲をかわすことは絶対条件であった。
しかし、サランバ大将の意図は読まれていた。あえて密集隊形で『ミザール』へと突入する先鋒艦隊の鼻面に突如閃光が炸裂した。その瞬間、直撃を被った数百隻の艦船が蒸発する。誘爆を被った周辺の艦隊を押しのける様に前進する先鋒艦隊を今度は要塞の副砲群が襲う。
『ミザール』の最初の砲撃を確認してから、俺はブロックン大将に目線で合図を送った。
「前進!」
ブロックン大将は高々と右手を上げた。
『メラク』攻略艦隊である本隊の内、二万隻が前進する。残りの一万隻はアキナ中将が率いて本隊の後ろについた。
「全艦隊密集隊形!超長距離砲戦用意!」
「機関臨界!カウント始め!」
艦橋に緊張した声が飛び交う。その瞬間、ブロックン大将はえもいわれぬ微笑を見せた。高揚する気分と、あるいは快感、そして恐怖がそういう表情を、ある意味狂気染みた表情を生み出す。おそらくは俺も同じような表情を見せているのだろうと思う。
「全艦隊突撃!」
衝撃的であることを承知で言うなら、この時俺は、ロスアフィスト王朝艦隊七万隻の内、三万隻を「使い捨てる」つもりでいた。艦隊の四割を失ってもイクラシオンを陥落させればそれで戦略的には勝利だと思ったからだ。
しかし、俺はその事を腹心の女性たち以外には漏らさなかった。かのホリデー元帥は言ったものだ。
「そんな理屈、提督以外には通用しませんわ」
なので俺はこのことをエトナにも言わなかった。
俺を信じて戦場に従ってくれた将兵、その家族にとっては許しがたい話であったろうが、それが俺の政治家的な結論であったのだ。
政治の論理は、時に世間一般の常識と相容れない。それは、一般常識の視野がせいぜい自分が生きている数十年であるのに対し、政治は百年以上先を見据えて行うべきものだからである。見ているものが違うのだ。故に、時に政治化の決断は非情で、無慈悲で、残酷なものに写る。政治家の「正しい」判断を、世論が必ずしも支持しないのはこのためだ。
今回の場合、イクラシオン攻略に際し(それが例え可能であったにせよ)我が軍が少ない損害でそれを成し遂げることは、軍事的勝利ではあっても、必ずしも政治的勝利であるとはいえない。
イクラシオンの失陥により、アーム王朝の軍事力は激減する。つまり、軍事力のバランスが著しく崩れるわけである。それは、相対的にロスアフィスト王朝の軍事力が増大してしまうことと同義なのだ。その一方的有利を確信するロスアフィスト王朝軍は、必ずやアーム王朝の覆滅を叫ぶだろう。しかしながら、その状態からでもアーム王朝を完全に滅亡させることは容易ではない。その戦役は必ずや泥沼化し、双方の疲弊を招くだろう。そのような事態となれば、イクラシオン攻略は逆に政治的失敗となってしまうわけである。
イクラシオン攻略という軍事上の意味合いで言えば文句無く輝かしい勝利を、政治的成果とするには、その勝利が次の戦役の呼び水になることを防がねばならない。
そのためには、ある程度ロスアフィスト王朝の方も損害を被る事が必要となってくるのである。
こんな理屈、口に出した瞬間俺は軍からも世論からも轟々たる非難を浴びることになるだろう。だから俺は声に出して言ったことはもちろん無い。しかしながら、政治的論理で言えば、つまり、目先の勝利ではなく百年先の政治的勝利までを視野に入れるならば、俺の理屈は歴史的必然となってくるのである。
イクラシオン攻略時、ロスアフィスト王朝軍も大損害を被り、それ以上の戦争継続が不可能になっていれば、ごく自然にアーム王朝との講和が成立するであろう。イクラシオンを失ったアーム王朝との軍事バランスはその状態でさえロスアフィスト王朝側へ大きく傾いている。文句無く圧倒的有利な条件での講和が可能になるはずだ。
同時に、軍が大損害を被ったことを逆手に取り、その補充、回復を抑えれば、必然的に軍縮が成立することになる。もちろんこの場合、アーム王朝の軍備も制限し続ける事が前提とはなるだろう。しかし、既に存在する艦艇を破棄したり人員を削減するよりも、遥かに「効率良く」軍を縮小出来るのである。
もちろん、当たり前だが軍の大損害は即ち、戦死者の大量生産である。その事を忘れてしまってはならないが、国民の死が国家の利益になると判断すればそれを国民に強いることも政治家の使命である(でなければ戦争など起こせない)。その意味からすれば、俺の考えは必ずしも「政治家的に」突拍子も無い考えではないのだ。
幸いというべきか、イクラシオンを陥落させるには、どんなに人知を尽くしても味方に大損害を被ることが確実であった。なので俺は味方の兵士を無為に死なせるという、流石に軍人として考えたくも無いような行為をせずに済むようであった。
後にして思えば、俺は正直あまり大した戦術戦略家ではなかった気がする。俺自身が指揮した戦いで、魔術的とか奇跡的勝利と言えるような勝利を収めたものは、結局無かったと思う。俺の得てきた軍事的成功はありふれたもので、世間一般が持て囃してくれるほどの軍事的才能を、俺は遂に持ち得なかった。
イクラシオン攻略作戦は、最終的には俺の考えた通りになった。それは俺の政治家としての冷徹な判断が呼び込んだものなのか、それとも俺の無能さゆえの結果なのだろうかと、俺は時々大いなる自責の念と共に考え込むことがある。
スクリーン一杯に光が炸裂し、俺は思わず顔を手のひらで覆った。同時にアクロポリスは大きく鳴動し、傾く床にたたらを踏む。
「敵主砲、直撃!」
「損害は!」
「先頭艦を中心に二百隻以上!詳細は不明!」
「ひるむな!次の砲撃までに要塞外壁にとりつけ!全艦、全力砲撃!」
アクロポリスを取り囲む各艦から一斉に光が生じ、艦隊前方に生じた光の雲を衝き抜く。
ブロックン大将が右手を鋭く払う。
「よし!予定通り全艦横隊!」
「光子魚雷用意!」
対光線兵器用装甲で覆われた要塞外壁には、戦艦主砲よりもミサイル系の実体弾の方が有効である。ただし、速力が遅く、迎撃されやすいので接近しなければならないのがネックになるのだが。
装甲と火力に勝る戦艦を先頭に立てて突撃し、その陰から雷撃艦が魚雷やミサイルとしこたまぶち込む。特に目新しい戦術ではないが、ロスアフィスト王朝艦隊は今回、通常の編成では考えられないほどの雷撃艦を引き連れて来ていた。
独特の軌跡を描いて膨大な数の光子魚雷が要塞へ襲い掛かる。迎撃されて爆発するものがあり、要塞外壁に届いて炸裂するものがある。そしてその間にもひっきりなしに各艦からの砲撃は続き、要塞側からの迎撃も止むことは無い。様々な色の光が宇宙を彩る。宇宙空間は基本的に無音の世界だ。しかし、その光景を見ているとなぜか轟音と喚声と悲鳴が空間に満ちていることを感じる。
ロスアフィスト王朝艦隊は『メラク』へとかなり接近していた。このまま絶え間無い砲撃を加え、要塞の迎撃砲塔を沈黙させ、突破口を開き揚陸艦を送り込んで制圧する。それが要塞制圧の手順であるが、それにはまだまだ相当な時間が掛かる筈だった。もちろん、我が軍にそんな時間を費やしている余裕など無い。
オフト中将指揮する分艦隊が砲撃の隙を突いて前進する。この艦隊はこの作戦のために特別の改装を施された戦艦によって編成されていた。武装をほとんど取り払い、代わりに装甲を増加させてあるのだった。もちろん、要塞主砲の直撃には耐え切れないが、その他の砲塔からの砲撃には相当耐え得るはずだ。
砲撃に耐えながら猛然と突撃する分艦隊。増加装甲を施してあるとはいえ、要塞の砲塔は強力である。集中砲火に耐え切れず、要塞外壁に取り付く寸前で次々と爆発を起こした。
しかし、その爆発を掻い潜る様にして、特装戦艦の陰に隠れていた強襲揚陸艦が飛び出す。オフト中将が直接指揮する数十隻の強襲揚陸艦は遂に要塞に到達したのだった。総勢三百名の陸戦部隊が『メラク』に浸入を果たしたのである。
同時に、ブロックン大将は全艦隊に突撃を命じた。
有史以来、攻城戦には一つの法則がある。それは、城内に攻城兵が侵入を果たした時点で、守城側の敗北はほぼ確定だということである。 城という物は、外側からの攻撃には非常に強い。攻城には守城側の三倍の兵力が必要であるとまで言われているくらいだ。しかし、それはあくまで外側からの攻撃に対しての話である。難攻不落の堅城が、たった数名の侵入者によって陥落させられた例はいくらでもあるのだった。
たった数百名の陸戦部隊であるが、その侵入は劇的な効果を発揮した。陸戦隊が浸入したエリアにある砲塔は即座に沈黙する。砲撃に死角が出来るわけだ。その死角に隠れるように艦隊は前進し、至近距離から猛砲撃を加える。艦隊の攻撃と陸戦隊が連携し、制圧エリアを広げ、更に砲撃の死角を増やせば死角に潜り込む艦隊も増える。当然、陸戦隊は後から続々と乗り込んで行く訳である。
良い循環の見本のような攻撃である。後は時間の問題だ。
「サランバ大将のほうはどうか!」
先鋒艦隊を率いるサランバ大将は善戦していた。こちらの『メラク』攻略のために『ミザール』の射線を防ぎつつ、『ミザール』に対して猛攻撃を加え、少なからぬ損害を与えていた。もっとも、受けた損害も相当なものではある。
「流石はサランバ大将だな。そうは思わないか」
俺が言うとブロックン大将は不満そうに唇を歪めた。
「あれは私の役目だったんだ。私ならもっとうまくやったさ」
「だが、おかげで君にこっちを指揮してもらえたんだから」
「まぁ、な。こっちは本来コロが指揮する筈だったんだから」
コロー・ホリデー元帥の名を口にした瞬間、ブロックン大将の瞳がすっと細くなった。
そうなのだ。本隊をホリデー元帥、先鋒艦隊をブロックン大将が指揮する。それがこの作戦における、理想の配置だったのである。ホリデー元帥の死はその予定を狂わせた。サランバ大将の頑張りはそれを帳消しにするものではあった。
それでも、俺は思う。もしもこの時理想の布陣を取ることが出来ていれば、俺はこの時点で作戦の成功を100%確信することが出来たであろうにと。
戦闘は激烈の度を加えていた。オフト中将率いる陸戦隊は『ミザール』内で着実に占領区域を広げていたが、敵ももちろん黙ってはいない。敵には地の利があり、敵に侵入された際の対応策も十分考えられていた。
オフト中将は、そもそも宇宙艦隊しか指揮したことが無い生粋の船乗りである。俺は当初、経験不足を理由に彼女を陸戦隊指揮官にすることに消極的であった。しかし、自ら志願したリンド・オフト中将はこう言ってのけた。
「そんなに違わない」
その言葉を信じた訳ではないが、結局俺は彼女にこの役目を任せることにした。この陸戦隊指揮官は今作戦の要とも言うべき重要な役目なのである。任せられる人間は限られていたのだ。
しかし、このいつでも冷静極まりない女性は言うだけのことはやって見せた。
彼女は敵の強い抵抗に直面すると、わざと後退し、敵を艦隊による対地砲撃範囲内に誘い出すという手法によって、非常に効率良く占領区域を広げていった。
流石に士官学校主席卒業は伊達ではない。俺がそう賞賛すると、ブロックン大将は笑った。
「何言ってんだ。リンドは陸戦隊の指揮経験が無いんだぜ?流石もへったくれもあるかよ」
「?どういう意味だ?」
「必死なんだよ。リンドも。必死に、あんたの期待に応えようとしている」
ますます分からない。
ブロックン大将は視線だけで振り向きつつ、言った。
「私たちは、提督。あんたの役に立ちたいのさ。私も、リンドも、ナルもマイも。死んだコロもエルも。みんなそうだ。
私たちは軍ではずっと半端者だった。国のために尽くしているのに、いつの間にか孤立して、誰にも認めてもらえない。ずっとそういう悲しみを抱えていた。だから、そういう私たちに機会を与えてくれたあんたには、みんなすごく感謝している。
だから、あんたの役に立つためなら、自分の全てを尽くす。それこそ必死でな。
私には、リンドの思いが良く分かる」
俺は思わず絶句した。
俺は、彼女たちに感謝されているなどとは夢にも思っていなかったのだ。俺は確かに軍で冷遇されていた彼女たちを自分の部下としたが、それは深く考慮した後のことというより、他に選択肢がなかったからに過ぎない。無論のこと、彼女たちに感謝される為ではなかった。
むしろ俺のほうこそ、どこの馬の骨とも知れないこの俺についてきてくれた彼女たちに感謝していた。彼女たちがいなければ俺の現在の栄達はありえなかったであろう。彼女たちが俺の命令に忠実に服し、全てを、時には命を投げ打ってくれたからこそ、今の俺、アルマージュ・ルクスがあるのである。
俺がやっとのことでそう言うと、ブロックン大将ははにかんだような微笑を見せた。
「じゃぁ、お互い様だな。提督」
ブロックン大将は顔を正面に戻すと叫んだ。
「よし!敵の抵抗が緩んだぞ!押せぇ!」
要塞『メラク』の制圧。
今作戦成功のためには最低限、その条件を満たさねばならなかった。出来ることなら『ミザール』をも占領出来ればそれに越したことは無い。
イクラシオンには人工惑星要塞が七つもある。そのうちたった二つを占領することが、イクラシオン全てを陥落させることに繋がる、というのが俺の考えだった。
これはロスアフィスト王朝参謀本部の一致した見解でもあったのだが、イクラシオン七つの要塞の内、二つを占領するだけなら十分可能なのである。問題は、なぜ二つの要塞を占領することが他の五つの要塞をも陥落させることに繋がるのか、ということであった。
要塞は七つ。しかも互いを主砲の射程内に収め得る位置に配置されている。つまり、一つの要塞を占領しても、その要塞に対して他の要塞一つないしは二つから攻撃を加えることが出来るということなのであった。互いに補い合う七つの要塞。それがイクラシオン難攻不落神話の根幹を成す思想であった。
しかしながら、この考えには根本的な誤りが存在する。
一つの要塞を占領しても、他の要塞からの攻撃が加えられることにより、占領した要塞を再奪取、もしくは破壊されてしまう。要塞主砲は強力である。確かに要塞主砲を持ってすれば巨大な人工惑星要塞といえど十分に破壊することが可能であろう。
敵に占領された要塞は破壊してしまい、戦闘が終わった後でそこに新たな要塞を建設すれば良いのである。つまり、イクラシオンを完全に制圧するには、星系全体の制圧が不可欠であり、それには七つの要塞全てを占領する必要がある。もちろんそのためには尋常ならざる兵力を投入し相応の損害を覚悟する必要がある。
故にイクラシオンは難攻不落なのだ。
なるほど、一見完璧な論理に見える。しかしながら、俺はこの論理の前提条件が誤りであることを、実は知っていた。
きっかけは、昔、士官学校時代に教科書をめくっていた時に目にした記述であった。それはアーム王朝の歴史を書いたものであったのだが、その中にイクラシオン要塞建設時の話があったのである。イクラシオン建設は相当な難工事であった、というようなことが、アーム王朝の技術力の勝利を喧伝する目的で事細かに記されていた。
イクラシオン要塞は、もともと惑星が無かった恒星イクラシオンの周りに七つもの人工惑星要塞を浮かべたものである。ここで疑問に思うのは、なぜ七つもの人工惑星要塞が必要だったかということだ。考えてみてほしい。アーム王朝の保有艦艇数、軍の規模から考えてイクラシオンが収容出来る艦艇、人員の規模は大き過ぎる。つまり、要塞の数は七つもいらないのである。
当たり前だが、人工惑星要塞の建設には天文学的予算が必要である。七つもの要塞を建設するにはいったいどれくらいの費用が必要であっただろうか。アーム王朝の立場で考えれば、建設する要塞の数は少なければ少ないに越したことは無かったはずなのである。
しかし、アーム王朝はあえて七つもの要塞を建設した。なぜだろうか。理由は実に単純である。イクラシオン星系に要塞を設置しようと思えば、要塞の数は七つにならなければ「ならなかった」のである。
イクラシオン七つの要塞にはある特徴がある。この要塞郡は恒星イクラシオンを囲んで静止しているのだ。つまり、公転していないのである。イクラシオン七つの要塞は、互いの質量から生ずる重力と恒星イクラシオンの引力によって釣り合うことによって、互いの位置関係を保っているのだ。これは、恒星イクラシオンと隣の恒星との距離が比較的近いことによる。公転軌道が歪められ、惑星として安定出来ないのである。恒星イクラシオンに惑星が存在しなかったのはそのためであるらしい。
イクラシオン要塞建設が難工事であったのはこのためであった。恒星イクラシオンには正常な公転軌道が存在しない。このため、要塞を一つ建設しようとしても不可能だったのだ。これを解決する為にアーム王朝が考え出したのが、七つの要塞で互いに均衡を取ることによって、位置関係を安定させることであった。このため、要塞の建設は七つ同時に進められた。
ここまで言えばもうお分かりであろう。そう。イクラシオン七つの要塞が互いの射程内に納まるほど近接して配置されているのは、結果としてそうなってしまっただけのことであって、戦略上意図してそうなったのではないのである。それを初めて知った時、俺はあきれ返ったものであったのだが、その事実に笑えないものが隠されていることにも同時に気がついた。
イクラシオン要塞は非常に微妙な重力バランスの上に成り立っているのである。もしも、敵(ロスアフィスト王朝)に七つのうち一つの要塞を占領された際、他の要塞から攻撃を加えてこれを完全破壊してしまったとしたらどうであろうか?七つの要塞の均衡は崩れ、真珠の首飾りの紐を切ったようにばらばらになってしまうのではないだろうか。つまり、一般的に信じられているように、敵に占領されたらぶっ壊してしまえば良い、というわけにはいかないということなのである。
更に推し進めれば、敵が意図してイクラシオン七つの要塞の内、一つに攻撃を絞ってこれを完全破壊したとしたら?士官学校時代、俺はそこまで思考を推し進めたのだが、苦笑してこれを放棄した。
イクラシオン要塞を完全破壊する?そんな作戦には意味が無い。要塞というのは破壊するものではなく占領するものなのだ。そうでなければ苦労して陥落させる意味が無いでは無いか。それが当時純粋な軍人未満であった俺の発想の限界というものであった。
しかし、今なら俺は、その作戦に違った意味を持たせることが出来る。
旗艦アクロポリスのオペレーターが振り返って絶叫した。
「敵艦隊!九時方向!」
同時にブザーが鳴り響き、3Dホログラムに赤い光点が生ずる。
遂に来たか。これは予測された事態であった。
こちらが攻撃中である二つの要塞を除いた、それ以外五つの要塞に配備されていた敵艦隊がこの期に及んでやってきたのである。その数、四万隻。こちらが要塞攻略の最終段階に取り掛かったこのタイミングでの襲来は、十分にタイミングを計っていたことを意味していた。
俺は目を閉じた。正念場が、この要塞攻略作戦の分水嶺とも言うべき瞬間がやってきたことを俺は理解していた。
「アキナ中将に連絡!」
俺の言葉を待っていたかのように、俺の正面にアキナ中将の画像が現われた。
「予定通りだ!行け!」
「は!」
一言も無駄な言葉は発しない。アキナ中将は厳しい表情のまま敬礼し、画面から消えた。
「よし、私も行くか。後はよろしく頼むよ、提督」
散歩にでも行くかのような気楽さで言ったのは、ブロックン大将であった。
「ああ・・・、頼む。一万隻は引き抜けるはずだ」
「いらないよ、予定通り三千隻でいい」
アキナ中将の艦隊は一万隻。これでは敵艦隊には抗し得まい。援護が必要だった。ブロックン大将は三千隻を率いてアキナ中将の援護に向かうのであった。
「フォルスマン大将、エルケンス大将にもすぐ行かせるし『メラク』攻略が終わり次第、コエセフト中将たちも援護に向かわせる。それまでもたせてくれ」
「おいおい、弱気なことを言うなよ提督。私とマイで十分だよ」
ブロックン大将は笑ったが、計一万三千隻で四万隻を食い止めなければならないのである。もしも彼女たちが失敗すれば、要塞攻略に総力を注いでいる艦隊は背後からの攻撃を受け、壊滅するだろう。それは困難極まりない任務であった。
本当は、ブロックン大将の役目は俺がやる筈であった。ブロックン大将は先鋒艦隊指揮の予定であったからだ。いや、本来であれば、本隊の指揮はホリデー元帥がしているはずだったのだから、ここで俺に別れを告げるのはホリデー元帥の筈だったのである。
俺が何かを言いよどんでいることに気がついたのだろう。ブロックン大将は近付いてきた。
「なんだ、心配なのか?提督」
「いや、違う・・・」
「よかったよ、サランバ大将が替わってくれなければ、提督を行かせなければならないところだったんだからな」
そう言って笑う。ふと、その頬に浮かぶ傷跡が目に入る。俺の視線に気がついて、彼女はそっと傷跡を人差し指でなぞった。
「・・・本当はな、提督。この傷は自分で付けたんだ。恋人がスパイだったなんてスキャンダルだろ?私も疑われる。だから」
彼女は俺に一歩近付いた。
「行って来るよ。提督。そう心配するな」
そう言って俺の腰に手を回して胸を合わせた。柔らかな感触と、暖かさが伝わってくる。
「・・・ん?」
ブロックン大将は俺から離れ、顔をしかめた。そしていきなり俺の内ポケットに手を突っ込んできた。
驚いて思わず振り払ったが、ブロックン大将の手には一片の紙が握られていた。あ、それは。
ブロックン大将は止める間もなく紙片を拡げ、読み始める。あああ、ちょっと待ってくれ。俺の願いも空しく、最後まで読み終えると、ブロックン大将はわざとらしい溜息を吐き、俺は穴があったら入りたいような気分に覆われた。
「だめだな、提督。あんた、才能無い」
「ほっとけ」
ブロックン大将はその紙片、俺のポエミーな遺書が書かれた紙片を丁寧に折りたたむと、自分の内ポケットに入れた。
「これは没収だ。提督。無事に還ったら、私から陛下に渡してやるよ」
「鬼だな、大将」
俺の言葉に大笑すると、ブロックン大将はそのまま力強い足取りで歩き去って行った。
『メラク』攻略は完了しつつあった。
オフト中将指揮する陸戦隊は今や二万人規模に達し『メラク』の七割をその掌中に収めていた。既に砲撃管制、港湾管制施設は占拠し、要塞はその対外戦闘機能をほとんど停止している。
俺は『メラク』攻略の目処が立つと、本隊から一万の艦隊を裂いて『ミザール』攻略に回す事にした。ブロックン大将へ援軍を送るかどうかと迷ったのであるが。やはり、目的達成のためには要塞を二つ占拠したかったのだ。
はっきり言うと、我が軍は苦戦していた。最初の艦隊戦を理想に近い形で勝利してさえ、我が軍と敵の戦力差は圧倒的に我が軍の不利であったということなのだ。
この時点で『ミザール』攻略を行っているのはサランバ大将率いる二万隻(ということはこの時点で一万隻もの損害を被っているということになる)。それとコエセフト中将に預けて援軍に送った一万隻である。本隊の俺が率いる四千隻。そしてアキナ中将の遊撃部隊一万隻。ブロックン大将の三千隻。合計四万七千隻(つまり合計二万三千隻の損害)である。
これに対し、敵には未だに六つの要塞と、無傷の四万隻の艦隊がいるのであった。
我が艦隊の補給路は限界近く延び切り、それを維持するためにカンバー中将は国内の守備艦隊を強制徴用までしていた。補充は当然期待出来ない。これに対しアーム王朝は、他の星系から援軍が期待出来る。
まったくもって、戦況は楽観出来なかった。
しかしながら、もはや我が軍に残された選択肢は一つしかないのである。兎に角、何が何でも『メラク』と『ミザール』を陥落させる。それが出来れば勝利であり、出来なければ敗北である。敗北は、この場合破滅を意味するだろう。
こんな大作戦を強行した挙句に、あろうことか数万隻単位の大損害を被って、得ることなく撤退などすれば、俺の権威は地に落ちるだろう。例え共同皇帝になったとしても、国民からの支持は期待できない。悪くすれば、戦犯として追及を受け、エトナとの婚約が反故になってしまう可能性すらある。
いやいや、それどころか、この作戦が失敗に終わればアーム王朝とロスアフィスト王朝の軍事的バランスは大きくロスアフィスト王朝に不利な方向へ傾くことになる。悪くすればアーム王朝からの大侵攻を招きかねず、そうすればロスアフィスト王朝自体が負けてしまう。そうなれば、もしかしてアーム王朝は和平の条件として俺の首を要求する可能性が十分にある。俺は首都星ギュールを引き回された上で銃殺の憂き目を見ることになるだろう。
いやはや、明るい未来というべきであった。俺は単純に俺の幸福な未来のためにもこの戦いになんとしても勝たなければならないようである。
もちろん、アーム王朝の方は俺が望むのと反対の未来を望んでいることは疑いない。アーム王朝艦隊は瀕死の『メラク』を救うべく、俺の指揮する本隊へ殺到してきた。しかし、その前にアキナ中将率いる一万隻が立ちはだかる。
俺は、アキナ中将を「守勢に強い将軍」であると評価していた。
彼女は艦隊運用が上手く、戦線を柔軟に維持する技術に掛けてはロスアフィスト王朝一と言っても過言ではない。これは攻撃よりも守備に向いている。この時も彼女は艦隊を横に広げ、四倍の敵の突進を受け止める一方、要所で痛撃を加えてその突進力を削り取るという離れ業をやってのけた。
しかしながら、敵の数は四倍である。流石のアキナ中将でも支えきれないかと思われた時、敵艦隊の横腹に信じ難い速度で突っ込んだ艦隊があった。もちろん、ブロックン大将指揮する艦隊である。
数こそ三千隻であるが、ブロックン大将子飼いの、選び抜かれた三千隻である。それをブロックン大将自らが指揮するのだ。敵が反応する間もなく、艦隊は敵艦隊の横腹に食いつき、猛然と砲撃を加えた。そして艦列をこじ開け、押しのけ、内部へ槍の様に突っ込んで行く。思わぬ横撃に、敵は艦列を乱した。そこへアキナ中将の正確な遠距離砲撃が突き刺さる。敵は態勢を立て直すために後退を余儀なくされた。
敵は、我が軍が要塞攻略に掛かり切りになり、しかも損害と疲労が最大になったタイミングを計って突撃してきたのである。その攻撃を跳ね返したということは、我が軍はもっとも危険な時間を乗り切った、ということである。
オフト中将から遂に待望の連絡が入る。
「中央管制室を占拠。同時に、動力炉も確保」
とうとう『メラク』の占拠に成功したのである。アクロポリス艦橋に歓声が炸裂した。
俺がホッとしなかったと言ったら嘘になる。これで作戦成功のための最低限の成果を収めることが出来たわけなのだ。
要塞の機能を掌握したオフト中将は、要塞守備兵の残党を追い詰める一方、要塞主砲にエネルギーを充填した。砲撃目標は『ミザール』である。オフト中将の発した突然の警告に、砲撃の射線上にいた艦隊があわてて避ける。
無口なオフト中将のことである。その命令も恐らく言葉ではなく単に右手を軽く振ることで発したに違いない。
圧倒的な力を秘めた光の槍が天を貫いた。それは宇宙をまっすぐに駆け抜けて、黒い点に吸い込まれる。黒い点は『ミザール』だ。我々はイクラシオン要塞が出来てから、未だかつて誰も目にしたことがない光景を目の当たりにした。兄弟ともいうべき人口惑星要塞。それが相打つなど誰が想像し得たであろうか。
要塞主砲の出力は戦艦主砲の数百倍である。戦艦主砲では小揺るぎさえしない要塞でもひとたまりもない。外壁装甲は少しの抵抗の後切り裂かれ、閃光によって彩られた。
こうなれば『ミザール』の方も黙ってはいない。『ミザール』もその伝家の宝刀を天に振り向けた。再び宇宙に光の橋が架かる。
肝が冷える光景とはまさにこのことだった。間近にある『メラク』外壁に渦を巻くような光が襲い掛かり、ほとんど同時に要塞の半分が炎のような閃光に覆われる。姿勢制御装置のキャパシティを超えた衝撃波がアクロポリスを激震させた。
「オフト中将!」
俺は思わず通信スクリーンの向こうに向かって叫んでいた。『ミザール』に対して砲撃を加えることを俺は事前に聞いていなかったのだ。
意外なことに、彼女は平然と通信に出た。ただし、その後ろに見える光景からは『メラク』内部の惨状が垣間見えたが。
「なに?」
「大丈夫なのか」
「平気」
素っ気無い言葉が返ってきて、俺はホッとした。
「大丈夫なら、段取り通り動力炉に爆弾を仕掛けて脱出しろ」
「だめ」
意外なセリフに俺はまじまじとスクリーンの向こうのリンド・オフト中将を見つめた。
「それは、確実な方法では無い。我々が退去した後、残存兵に要塞を奪い返される可能性がある」
「・・・オフト中将!」
彼女の不揃いな前髪の隙間から一筋、真紅の血の珠が流れ落ちた。
「約束よ、提督。悲しんで」
そう言い残して通信は切れた。
「オフト中将!おい!」
再び通信が繋がることは、無かった。
『メラク』は砲撃を放ち『ミザール』は応戦した。それはまさに古の雷神が稲妻の槍を投げあうが如き光景である。その隙に乗じてサランバ大将は艦隊を殺到させ、遂に要塞内部に攻め込むことに成功した。サランバ大将は自ら戦闘服を身に纏って要塞に乗り込んだのだと、あとで聞いた。
二つの要塞の惨状は敵艦隊の焦りを生んだ。『ミザール』と『メラク』を我が軍が占領し、その主砲でもって隣の要塞に砲撃を加える可能性に思い当たったのであろう。アーム王朝には五つもの要塞が残されているとはいえ、全てが『ミザール』『メラク』に砲撃出来るわけでは無い。隣り合った要塞にしか攻撃出来ない以上、ドミノ倒しのように順番に一つずつ要塞を潰して行く作戦が成立する可能性は十分にあるのだ。
それには断固、我が軍による要塞占拠を許すべきではない。敵はそう結論付けたのだろう。決意も新たに猛然と突撃してきた。
こうなると唯でさえ劣勢なアキナ中将の艦隊では流石に持て余す。しかしながらアキナ中将には、安易な後退が許されないのだった。
敵の激烈な砲火がアキナ中将の艦隊に襲い掛かる。アキナ中将は敵の突進を受け流しつつ、艦隊をV字に再編し、誘い込んだ敵の戦闘部隊に集中砲火を浴びせて敵の出鼻を挫こうとした。しかし、敵の決意は並大抵なものではない。損害を度外視して突撃されると、兵力の少ない方はどうしても弱い。
アキナ中将の劣勢を察知しない訳ではなかっただろうが、ブロックン大将の方も敵艦隊の迂回を妨害するのに忙殺されて余裕が無い。
俺は決断を迫られた。俺の元には要塞攻略最後の詰めのために残した数千隻の艦隊がいた。これをアキナ中将、ブロックン大将への援軍に回すべきであろうか?
微妙であった。我が軍の目的はあくまで要塞の占拠である。『メラク』『ミザール』の占領はまだ完了していない。要塞攻略支援の為にはまだ艦隊の支援が必要だったのだ。しかし、二人の防衛ラインが破られれば攻略作戦自体が破綻する。
結局俺は援軍を断念した。要塞攻略を優先したのである。つまり、ブロックン大将とアキナ中将に賭けたのだった。あの二人に任せてそれが失敗に終わったなら、それはもう仕方の無いことだ。
オフト中将は『メラク』の要塞主砲でミザールを攻撃し続けていた。当然応戦されるわけであるが、それをまったく意に介する様子が無い。
俺は青くなった。彼女が考えていることが分かったからだ。それは確かに非常に有効な戦略であり、俺も一応検討した。なので分かったのである。
オフト中将は『メラク』と『ミザール』の共倒れを狙っているのである。確かにその方が我が軍の手間も少なく、早い。しかし、つまりは俺がその作戦を採用しなかった理由であるのだが、そんなことをすれば両要塞を占拠している我が軍の将兵もひとたまりも無いわけである。
だが、この時ようやく吉報がもたらされた。
「サランバ大将から『ミザール』の制御室と動力炉を占拠したとの報告が入りました!」
再び歓声が沸き起こる。これで事実上二つの要塞を占領することに成功したのであった。
俺はすぐさま『ミザール』攻略に掛かっていた艦隊からアキナ中将への援軍を出すように指示し、サランバ大将には動力炉に爆薬を仕掛けて脱出するように指令した。
ところが、スクリーンに現れたサランバ大将はこう嘯いた。
「それは、あっちの要塞にいる娘っ子に言ってやってはどうですかな」
俺が応えかねていると、サランバ大将は髭を震わせて大笑した。
「閣下、小官にもオフト中将が考えていることは分かり申す。我が艦隊に時間が無いことも」
「何が言いたい。サランバ大将!」
「閣下は先鋒は必死だとおっしゃった。そして小官はそれを受けた。つまり、とっくに覚悟は出来ておるのです」
「大将!」
サランバ大将は姿勢を正した。俺とは、それほど交流も無く、心情的な繋がりもなかったが、長くロスアフィスト王朝軍を支えてきた宿将は笑っていた。
「もう何も申されるな。陛下によろしくとお伝えください」
画像は消え、俺は呆然と立ち尽くした。
敵艦隊の波状的な攻撃はアキナ中将の艦隊を確実に削り取っていた。アキナ中将は巧みに戦線を維持し、突破を許さない。しかし、それも時間の問題だと思えた。確かに、我が軍には時間が無い。しかし・・・。
だが、俺には選択肢が残されていなかった。勝つために。最終的な勝利をつかむ為に。そのために女神が生贄を求めるのならば、俺はいくらでも犠牲を捧げなければならない立場だったのだ。
俺は最後に残された直属の艦隊を『メラク』から離れさせた。この艦隊は、要塞攻略のために要塞に乗り込んでいった陸戦部隊の撤退を援護する役目もあったのだ。それを要塞から離れさせたのである。
俺は全艦隊に後退を指示した。二つの要塞から離れなければ巻き込まれてしまう可能性があるからだ。それは敵艦隊から見れば遂に要塞攻略を諦めて撤退を始めたかのように見えたかもしれない。逆に敵艦隊の攻撃は勢いを増す。
アキナ中将は戦闘開始以来、七十時間に渡って敵の攻撃を十二次まで跳ね返した。数倍の敵を相手にして、それはすばらしい粘りであると言わなければならない。しかしながら、遂に限界が訪れようとしていた。同時に、俺から撤退の指示が届く。戦いながら、しかも優勢な敵が攻め寄せている状況で撤退することは踏みとどまって戦うことよりもよほど困難だ。しかし、全艦隊が無事に撤退するにはここで敵の突破を許すわけには行かない。
だがこの時、アキナ中将にブロックン大将から通信が届く。
「マイ!お前は後退しろ。ここは私がくい止める!」
「え?む、無茶です。大将の艦隊はボロボロじゃないですか!」
この時点で三千隻だったブロックン中将の艦隊は二千隻にまで撃ち減らされている。
「ふん、かえって身軽になったってもんだ。お前の艦隊だってガタガタだろう」
アキナ中将の艦隊も既に七千隻を割り込んでいた。
「お前の艦隊が壊滅すれば私の艦隊も共倒れ。それどころか全艦隊が雪崩をうって壊滅だ。早く後退して陣形を再編しろ」
「でも!エラン!」
アキナ中将は思わず叫んだ。しかし、ブロックン大将は首を振る。
「他に方法は無い」
「エラン・・・」
「・・・いいか、マイ。お前は生き残れ。そうしないと、提督が寂しがるからな」
「エラン!」
通信は一方的に切られた。後に、この時のことを語るたび、マイツ・アキナ中将は必ず涙ぐんだものだった。
ブロックン大将は残存艦隊を率いて突撃を敢行した。敵艦隊の数は未だに三万隻を超えている。それは無謀としか言いようが無い行為であった。だが、無謀と無意味の間には時にイコールが成立しないこともあるのだ。
密集隊形で突っ込んでくる敵艦隊に対し、ブロックン大将はあえて正面からぶち当たった。目も眩むような集中砲火を浴びて、ブロックン大将の艦隊の先頭部隊が蒸発する。しかし、艦隊は速度を落とすこともなく敵艦隊の懐へと切り込んだ。
ブロックン大将は猛将であると言われているが、それはその疾風迅雷の艦隊運用と、攻撃時の砲撃の上手さに対する評価であったろう。とにかく砲撃を収斂させるのが上手かった。
この時もブロックン中将の艦隊は敵の防衛ラインを易々と突破して艦列の奥深くにまで浸透した。このため敵艦隊は混乱し、艦列を乱す。アキナ中将はそこへ最後の攻撃を仕掛け、敵が怯んだ所で反転し、後退した。
ブロックン大将はこの時既に戦死していたらしい。彼女の艦隊はこの戦いで一艦も余すところなく全滅してしまい、戦闘の詳細を語ってくれる者はいなくなってしまったのである。故に彼女が何時、どのようにして死んだのか、俺は知らない。彼女の艦隊は、彼女の死後も戦闘を継続し、殿軍の任務を全うしたのである。
エラン・ブロックンは帰国後元帥に処せられた。俺は彼女に与えるべき元帥杖を彼女の遺体無き墓に供えたのである。その墓はホリデー元帥の墓の隣にある。
『メラク』『ミザール』は互いにその主砲をぶつけ合い、いまや全体を炎で包んだ出来損ないの恒星のような姿になっていた。
オフト中将もサランバ大将も、まるで射的ゲームでも楽しむかのように互いの要塞に砲撃を打ち込んだのである。互いに、最も効率良く要塞を破壊出来るポイントを選びながら。
そして遂に限界が訪れる。
まず、最初に『ミザール』が崩壊し始めた。爆発が連鎖し、外壁表面に光が格子模様を描く。ほとんど同時に『メラク』からも爆炎が立ち上り、外殻が剥がれ落ち始めた。俺はその様を後退して行くアクロポリスから一つも見逃すまいと、睨み付けるように見ていた。目を逸らすわけにはいかなかった。
その瞬間は唐突だった。
『ミザール』の外殻が膨れ上がったかと思うと、そこからまるで花が咲くように光が噴出し、それが要塞全体を包んだ。そして、更にその中からまばゆい閃光が炸裂した。
『メラク』がほとんど真っ二つに割れ、そこから光の柱が四方八方に立ち上がり、それが瞬時に結合して光の幕となり、俺の視界を塞ぐ。やや遅れて衝撃波がアクロポリスを激震させた。
「爆発!爆発しました!」
オペレーターが見れば分かることを何度も叫んでいた。
まるで間近に新星の誕生を見るような光景。それは作戦の最終目的が達成された証明であり、俺がこの数年間やってきたことの一つの結実でもあったのだ。だが、俺の胸には安堵も、達成感もまったく浮かんでこなかった。
「オフト中将、サランバ大将・・・」
俺は唇を噛み締めた。俺はまだこの時、ブロックン大将の戦死を知らない。
光が消え去った後には、ただ雲のような残存物質が浮かんでいるだけであった。あの巨大な要塞が消えてなくなっている。それはなんだか化かされたようにも感じる、不思議な光景であった。
二つの要塞の消滅は敵を驚愕させたであろう。しかし、そのことがもたらす真の意味を理解できた者が、果たしてどれくらいいたであろうか。
イクラシオン要塞の七つの人工惑星要塞は、恒星イクラシオンと要塞同士の重力で釣り合うことによって現在位置を維持していた。その事を知った時に、俺の頭の中でイクラシオン攻略作戦の原型が生じたのである。
七つの人工惑星要塞の内、一つないしは二つを完全破壊すれば、要塞のリングは重力の釣り合いを失って崩壊を余儀なくされる。現在位置を維持出来なくなった要塞は、恒星イクラシオンの重力に引かれて落ちるか、宇宙の孤児になるしかない。
俺は士官学校時代、そこまでは考えた。しかしながら、俺はその考えを笑って打ち捨て、ずいぶん後になるまで省みなかったのである。それは、要塞を完全破壊するという作戦が、あまりにも軍事的な常識からかけ離れていたからだ。
要塞は占領するものである、というのが軍事学上の常識なのである。というのは、通常の場合、要塞を完全破壊することは占領するよりも難しいからだ(当たり前だ)。ここに思考上の陥穽がある。イクラシオンの場合、七つの要塞全てを占領するよりも破壊してしまうことの方が簡単なのだ。
要塞は占領して再利用するものである、という常識もある。要塞はしばしば軍事上の要衝に築かれる。故に、敵の要塞があった場所というのは、自国が領有した場合にもそこに要塞が必要となるわけで、もしも敵の要塞を完全破壊してしまった場合、そこに新たな要塞を築き直さなければならなくなるわけだ。ならば、敵の要塞を再利用した方がはるかに安上がりだろう。
これらの常識にとらわれていた士官学校時代の俺は、自分で考え付いた常識外れの作戦案を笑い飛ばしてしまったわけだ。しかし、発想を転換して見た時、その作戦は無視できない利点を多く持っていたのである。
イクラシオンは何度も言うとおり、アーム王朝にとって最大の軍事拠点である。それだけではなく、最大の兵器工廠であり最前線基地であり、更に言えばアーム王朝軍の象徴でさえあるのだった。これを破壊することが出来れば、アーム王朝軍トータルでの軍事力に大きなダメージを与えることが出来る。つまり、目先の戦術ではなく戦略、更に言えば政略の視点に立って考えた場合、イクラシオン要塞を完全破壊することには大きなメリットが生ずるのだった。
しかしながら、イクラシオン要塞を完全破壊すると言う作戦が、あらゆる意味で常識外れであることも確かなことではあった。
人道上の問題がある。七つの要塞を完全破壊するということは、要塞内部にいる人間、合計約三億人を、有無を言わせず虐殺することでもあるのだ。その中には多くの民間人を含んでさえいる。作戦開始前の会議でサランバ大将たちが絶句したのはこの点であった。戦争に勝利する為とはいえ、果たしてそのようなことが許されるのであろうか。
しかしながら、俺はこの作戦をほとんど躊躇無く採用した。
俺が何よりも優先したのは、まず戦争を終結させることであった。それにはアーム王朝に巨大な軍事的ダメージを与える必要があった。そのために最も手っ取り早く、かつ効率が良い戦略を考えた時、イクラシオン要塞完全破壊こそが最も理にかなった作戦だったのである。
歴史は、いつか俺を常識外れの虐殺者として裁くかもしれない。しかし、そんなことよりも大事なことが今の俺にはあった。単にそれだけのことである。
「敵の要塞群!軌道を外れつつあります!」
オペレーターが歓喜の声を上げる。3Dホログラムスクリーンに、恒星イクラシオンを長く彩った首飾りがばらばらと崩れてゆく様子が映し出されていた。あるものは恒星に向って緩慢に落ちて行く。あるものは逆に恒星を離れ宇宙の深遠へと旅立って行く。互いの重力に引かれ合い衝突軌道を辿りつつある人工惑星要塞もあった。
完全に成功した。俺は目を閉じる。ついさっき、俺はアキナ中将から涙ながらにブロックン大将戦死の報告を受けていた。多くの犠牲、多くの死、多くの別れ。失った物と、得た物。それらがしばし瞼の内側を駆け抜けた。
「よし!」
俺は目を開いた。迷いは無かった。
「混乱している敵艦隊を撃滅するぞ!全艦隊突入隊形!アキナ中将、先鋒は任せる!」
要塞の崩壊に茫然自失しているであろう敵艦隊を蹴散らせば、作戦の全ての段階が終了する。俺は右手を振った。
「全艦隊、突撃!」
イクラシオン攻略作戦における我が軍の損害は三万二千隻に達した。なんと損耗率が五割に達しようかという惨状である。これはロスアフィスト王朝全軍の二割の艦艇が永遠に失われたことを意味する。要塞占領に向かった陸戦部隊(全員戦死)を含む戦死者は六千万人。ロスアフィスト王朝始まって以来、一度の戦いでこれほど多くの将兵が失われたことはない。
しかしながら、アーム王朝に与えた損害はそれ以上であった。
イクラシオン要塞は完全に壊滅した。七つの人口要塞の内『メラク』『ミザール』は我が軍によって完全破壊。その他五つの要塞の内二つは恒星イクラシオンに落下。二つは互いに衝突して爆発。残りの一つはイクラシオンの軌道から外れて機能停止したところを我が軍によって破壊された。
要塞に駐留していた艦隊は全滅。要塞守備兵はもちろん全滅。この損害はアーム王朝軍全体の六割が永遠に喪失したことと同義だった。事実上アーム王朝軍はこの戦いで戦争継続能力を喪失したのである。
イクラシオン星系を完全制圧した後、我が軍はそのままイクラシオン星系に留まり、俺はそこからアーム王朝政府に講和交渉を打診した。軍がほぼ崩壊したと言って良いロスアフィスト王朝が講和を断れるはずもなかった。
俺は、
・イクラシオン星系周辺十四の星系の割譲。
・ロスアフィスト王朝の許可を得ない艦隊拡張の禁止。
・要塞建造の禁止。
・銀河帝国の国号使用の禁止。
等のアーム王朝にとって屈辱的ですらある講和条件を容赦なく突きつけた。これは多くの犠牲を出したロスアフィスト王朝国民の中には、この段階での講和に反対する声も少なくなかったからである。この勢いをもってアーム王朝の首都星ギュールを陥落させるべし!という訳だ。はっきり言えば、ほとんど半身不随状態のロスアフィスト王朝軍にはそんな余裕は無い。であればこそ、そういう無茶なことを言う連中でも納得するような、ロスアフィスト王朝にとって圧倒的に有利な講和条約を締結する必要があったのだ。
俺は交渉の席でアーム王朝代表団に向かって言い放った。
「この条件が呑めないのであれば、我々は首都星ギュールを蹂躙して屍体の山を築き血の河を流れさせるであろう」
出来る出来ないは兎も角、俺は大いに本気であった。この時点で講和が成立しなければ、俺は国民の声に押されて新たな遠征を強いられることになっただろう。そんなことになれば両国は共に破滅する。それならばこの段階でこのままギュールに目掛けて進撃して破滅してしまった方が傷は浅い。
ルイス・オイルゲン、アーム王朝国務尚書を代表としたアーム王朝代表団との交渉は大いに白熱し、一事は決裂寸前にまで行った。
しかし、オイルゲン国務尚書は現実を認識する事が出来る、いわゆる信頼出来るタイプの交渉相手であった。彼と最初の会談を行った時点で、俺は彼が講和成立を切に望んでいることを既に感じ取っていた。ならば後は結局のところ猿芝居となる。
俺は最終的に、アーム王朝にも「銀河帝国」の国号を認めるという部分のみ修正した案を出し。アーム王朝はそれを呑んだ。
講和成立である。
イクラシオン講和条約と後に言われる。この条約によって二つの銀河帝国の並立とそれに伴うロスアフィスト王朝の圧倒的優位が確定した。
アーム王朝から奪い取った領域はアーム王朝屈指の工業星系と鉱山星系であった。これによってアーム王朝の工業生産能力は激減する。アーム王朝は再び軍備を増強するための資源も技術も失ったわけである。
同時にアーム王朝の新たな軍備拡張に制限を加えたわけであるが、俺はここに一つのからくりを潜ませた。それは「ロスアフィスト王朝軍対比三割の艦艇保有を認める」という条項であった。これは、アーム王朝軍が完全に弱体化してしまうのを防ぐためである。アーム王朝軍がまったく機能しなくなってしまえば、アーム王朝国内は混乱するであろう。下手をすれば国家の形が成り立たなくなる可能性もある。そんなことになればロスアフィスト王朝はアーム王朝を完全に併合しなければならなくなり、それはロスアフィスト王朝にとって大きな負担になる。俺はこの段階でのアーム王朝併合をまったく望んでいなかった。
ロスアフィスト王朝の得たものは大きかった。領域だけではない。今までアーム王朝の侵攻に怯えていた立場がまったく逆転したのである。これによって及び腰であった国境周辺星系の開発に遠慮なく国力を投入出来る。また、講和によって両国間では正式な通商も始まる。国力に勝る立場に立っての通商が如何に有利であるかは言うまでもない。
平和が長く続けば、両国の国力差はゆっくりと拡大し続けるであろう。そうやって、アーム王朝を呑み込んでも余る様な許容量をロスアフィスト王朝を持ち得た時、初めてアーム王朝を併合すればいい。もちろん、それは未来。俺が死んだ後の話になるだろうが。
これで、俺がイクラシオンで得ることを望んだ全ての物は手に入れることが出来た。俺は新たな国境の確定と新たな領域を統治するための行政機構の枠組みを造り、当面そこを守備する艦隊を編成した後、イクラシオンを後にして帰国の途についた。
途中、ナルレイン・カンバー大将(この時既に昇進していた)と会った。彼女はイクラシオン攻略作戦中、後方支援に奮闘し、その結果前線では物資の欠乏に悩まされるようなことは遂に起こらなかった。また、占領地域の統治を破綻させることもなかったのである。俺は後に彼女を、旧アーム王朝領の執政官に任命することになる。
しかしこの時の彼女はしょげていた。
「みんな、死んでしまったのに・・・。私だけ後方で生き残って」
輜重の専門家であることを誇りにしてきた彼女であったが、苦楽を共にしてきたブロックン、オフト元帥(二人とも死後特進している)の死はこたえたらしく、そんなことを言った。いつも酒が入ると別人のように陽気になる彼女が、酒を飲んでさえ泣いていた。
アキナ大将(昇進)もあの戦い以降抜け殻のようであった。カンバー大将に会えば少しはいいのかと思ったのだが、二人してしみじみ泣いている。
「しっかりしろ。泣いてたって何かが変わるわけじゃないだろう」
アキナ大将が潤む瞳で俺を見上げる。
「強いんですねぇ、提督は」
「馬鹿なことを言うな」
俺はグラスを煽った。
「俺は、もう、悲しまん。二人は、いや、オルカもホリデーもブロックンもオフトも、その他死んで行った将兵も、みんな俺たちに何かを託して、進んで死んだ。悲しんで立ち止まれば、俺はみんなを裏切ることになる。・・・俺はそんなことはしたくない」
俺は子供にしてやるようにアキナ大将の頭を撫でた。
「お前は、何か託されなかったのか?ブロックンに」
そう言うと、アキナ大将の顔に微笑が浮かんだ。
「そう、ふふふ。そうでした。エラン、言ってました」
「何を」
「誰か生き残って提督の傍にいてやらないと、提督が寂しがるって。提督は寂しがりややさんんだから、って」
俺はそのまま手を握ってアキナ中将の頭にゲンコツを喰らわせた。
マイツ・アキナ大将はこの後、宇宙艦隊司令長官となる。
快晴の、朝であった。
俺は地べたを歩いていた。久しぶりの土の臭い。虫の声と、清涼な風のそよぎ。そして、木々の間から漏れてくる、柔らかな日差し。
惑星レオン。その中にある広大な皇宮域。ある道楽者にして芸術家でもあった皇帝が作ったというアトリエ跡地へ向かう、小路。
俺はゆっくりと歩いていた。急ぐ必要が無かったからだ。
もう、急ぐ必要が無い。
そんな思いを抱けたことに、俺は幸福を感じていた。それは、戦いが終わったことを意味していたからである。
ロスアフィスト王朝とアーム王朝との間に百年続いてきた戦争は終結した。ロスアフィスト王朝の勝利によって。
俺が帰国する前に、講和条約は締結、発効した。俺はある程度新たに策定された国境が安定するまでイクラシオン周辺に留まったのだが、その間にも急速に平和が両国の間に浸透して行くことを、感じていた。
講和条約には通商協約の制定と、移民についての協定も盛り込まれていたから、講和条約発効と同時に人の往来は活発化した。たくましい商人たちはこの平和の到来を明らかにビジネスチャンスとみなしており、次々と越境許可を求めてきたのである。我が艦隊への補給物資供給を申し出たアーム王朝の商人も居たくらいだ。
帰国の途上で立ち寄った国内の星系では熱烈な歓迎を受けた。これは戦争の終結を喜んだというよりは、戦争の勝利を祝ってくれたものらしいが。それでも、伝わってくる雰囲気は開放感に満ち溢れ、未来への希望に満ちたものであった。
達成感というより、安堵が俺の心を満たしていた。
もうこれで、似合わないことをしなくてすむというような安堵感だ。俺はもう十分に頑張った。後は、俺の居るべきところで、小さな幸せに浸る事が出来るはずである。
もっとも、本当にそうなるかどうかは微妙であった。俺は共同皇帝になり、ロスアフィスト王朝を統治してゆかなければならない。広がった領域、増大した国力は反面、新たな問題を呼び込むことは確実だ。勝利こそしたが大損害を被った軍を、程良い程度に再建するのも難事であろう。もちろん、アーム王朝と良好な関係を構築することも人任せに出来ない重要な課題である。
だが、それでも俺はとうとう辿り着いたのだ。望む場所へ。
レオンにはこの日の朝に降り立った。俺はその足でここに向かった。
彼女が待っていると言った。その場所へ。
俺は坂を上がり切った。空が開ける。草原の中央に、若草色のワンピース姿の女性が待っていた。
俺は駆け出す。
長い戦いの終わりへ。そして手に入れた小さな幸せに向かって。
「エトナ!」
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