八章、辿りつく場所

 軍隊で最も重要なものは何であるか?


 答えは有能な将帥である。


 強力な戦艦は建造すればよい。兵士は鍛えれば良い。


 しかし、有能で忠実な将は容易に得られるものではないのである。


 俺は、ホリデー元帥を失った。それは、俺にとっては親しい友人であり、側近の喪失であったが、ロスアフィスト王朝にとっても、最高の将を喪失したという大きな痛手であったのである。


 アーム王朝への侵攻を控えたこの時期に彼女を失ったという事実は、計り知れないほどのダメージを俺とロスアフィスト王朝軍に与えた。それこそ、ほとんど完成していたアーム王朝への侵攻計画を一から作り直さねばならなくなったほどだったのである。


 アーム王朝への侵攻は既に不回避な情勢になっていた。


 講和交渉の決裂は、ルスアフィスト王朝においては大々的に報道された。もちろん、俺が報道させたのである。それによってロスアフィスト王朝世論は激昂していた。こちらから差し伸べた握手の手を振り払いやがるとは、それだけでも十分な無礼である。それに加えて、俺に対する誘拐と、ホリデー元帥の殺害。この事件はそもそも悪かった対アーム王朝への感情を、ほとんど最悪に近いレベルにまで悪化させていた。


 そもそも、ロスアフィスト王朝国民は長引く戦争に厭戦気分を増大させていた。俺はその世論を掬い取り、講和を主張することによって世論の支持を得ていたのである。しかしながら、いまや世論は変わっていた。講和を主張する者は誰もいなくなり、厭戦気分は一掃された。それは、アーム王朝への大々的な侵攻作戦が可能になったことを意味したのである。


 大規模な軍事行動を行うには、挙国一致態勢の構築が不可欠である。政、民が一致して軍をバックアップする態勢が出来上がっていなかったら、膨大な人員、物資、時間を必要とし、国民に大きな負担を強いることになる軍事作戦はとても完遂出来ない。軍事行動の鉄則は、大規模なものになればなるほど出来るだけ集中して行い、短期間に終了させなければならないということである。それには人員と物資を緻密な計画の下に集中的に投入する必要があるのである。それには挙国一致態勢がどうしても必要なのだ。


 俺が講和論を唱えたのは、その時、講和論が最も手っ取り早く国民の支持を集め易い主張だったからである。俺の本意は当初からアーム王朝との決戦にあった。しかし、当時の段階で、アーム王朝への大規模軍事作戦を主張しても国民の支持を得られないことは明らかだった。故に俺はまず講和論を主張し、世論の支持を得た後に、それをそのまま侵攻作戦への支持へと裏返すことを考えざるを得なかったのだ。


 問題は、それまでアーム王朝との講和を叫んでいた俺が、突然アーム王朝への大規模侵攻へと意見を変えた場合、主張があまりにも変わり過ぎる事が世論に違和感を持たれないかということだったのだが、幸いというか、それは俺自身が誘拐されたことによって、俺に世論の同情が集まったことによって帳消しになった。


 ホリデー元帥の死という誤算はあったが、条件はほとんど整った。俺はそれまで俺の部下以外には極秘にしていた対アーム王朝への侵攻の基本計画を軍内部に公表した。


 計画の骨子はこうである。


1、アーム王朝へ、ロスアフィスト王朝全軍をもって侵攻する。


2、侵攻ルートはアリスト方面とする。


3、侵攻主目標はイクラシオン要塞とする。


4、侵攻主目的はイクラシオン要塞の無力化とする。


5、作戦期間は三ヶ月を限度とする。


 軍内部に衝撃が走った。


 あの、イクラシオン要塞。ロスアフィスト王朝軍ではそれだけで全てが通じた。我が軍は過去、三度に渡ってイクラシオン攻略を試みたことがあった。しかしそれは手痛い失敗に終わっていたのである。攻略を試みた艦隊は何れも万隻単位の大艦隊であったのだが、大損害を受けた挙句、イクラシオンには傷一つ付ける事が出来なかったのだ。


 それを攻略しようというのだ。しかも、僅かに三ヶ月で。三ヶ月という期間は、イクラシオンへの距離を考えれば攻略作戦としては非常な短期間だと言える。軍内部で懸念の声が上がったのも無理からぬことではあった。


 俺があえて作戦期間を区切った理由は簡単である。それ以上の期間、軍を全力動員することは、ロスアフィスト王朝の国力が許さないからであった。つまり、三ヶ月とは作戦上必要な期間というよりは、作戦を終了させなければならないタイムリミットであるのだ。三ヶ月以上アーム王朝に粘られてしまった場合、我が軍は国家経済の崩壊を承知で戦い続けるか、尻尾を巻いて逃げ帰るかという不名誉な二者択一を迫られることとなる。そればかりか、作戦が失敗すれば、それは即ちロスアフィスト王朝の国力を激減させることになる。


 軍内部では、この作戦に否定的な意見が多勢を占めているようだった。最高権力者である俺が自ら立案した侵攻計画であり、国民からは賛同意見が強かったがために大きな声になってはいなかったが。常識的に考えれば、今この時期に、ロスアフィスト王朝がアーム王朝に対して大規模な侵攻を行などということは、あまりにもリスクが高すぎる無謀な行動だと批判されても仕方が無いものだったのだ。


 俺が、かなり無理をし、恩人であるケントス・ルクスを倒してまで権力を望んだのはこのためである。初めから無理は承知。批判が強いことは承知なのだ。それでも強権を発動し、自分の考えを押し通せる権力。それが無ければこの作戦を実行に移せないことは判っていた。


 軍内部からの反対意見が強かった理由は他にもある。俺は作戦計画の細部を容易に明かさなかった。俺の側近である元第九艦隊幹部と参謀チームにしか詳細を明かさなかったのである。機密保持のためであった。もちろん、軍人であれば機密保持に対して厳正であることは当然期待できるのであったが、この作戦の最重要部分は、万が一アーム王朝に知られ対策を施されようものなら、作戦が根幹から崩壊してしまうほど微妙なものだったのである。


 俺はケントス・ルクスの反乱が起こる以前から参謀チームに作戦案の検討を始めさせていた。それはアーム王朝に講和の打診を行う前にほとんど完成していたのだが、ホリデー元帥の死で再検討を余儀なくされた。結局、詳細な作戦行動予定が決定したのは、帝国暦226年が明けてからであった。俺はそれを元に総動員令を発した。




 ロスアフィスト王朝において外征に動員出来る艦隊はどう多く見積もっても七万隻であった。アーム王朝が先年、十万隻以上を動員して侵攻してきたことを考えればかなり見劣りがする。総動員令を発し、国内警備には急遽参集した予備役兵を当ててもこれが精一杯なのであった。


 俺は集まった艦隊で連合艦隊を編成し、これを三つに分けた。


 本艦隊は俺が指揮する三万隻である。これは最終的にイクラシオン星系を制圧する部隊だ。大戦艦を主体とした部隊で、攻撃力はあるが軽快感にかける艦隊である。


 これに先んじて先鋒艦隊三万隻をエラン・ブロックン大将が率いる。彼女は先陣を切って敵を撃破し、本隊の侵攻ルートを確保すること以外にも、通過する星系を政治的に制圧するという役目もある。今回侵攻するオルージュルートに存在する星系は人口も多く駐留するアーム王朝軍も多い。彼女の役目には多くの困難が予想された。


 残る一万隻を遊撃艦隊とし、マイツ・アキナ中将が率いる。この艦隊の役目は、主侵攻ルート周辺の制圧で及び防御である。侵攻ルートに繋がる航路を制圧し、もしもそこから敵の反攻がある様ならば防戦する。そういう役目である。


 これ以外に補給艦隊が編成され、これは当然ナルレイン・カンバー中将が率いる。補給のエキスパートとして名高い彼女であったが、彼女にしてもこれほどの大艦隊の、しかも敵国深く侵攻するような作戦の補給を担当するのは初めての事だった。


 各艦隊に艦艇、将、兵員を配置し、役割を割り振るだけでも大変な仕事である。これが済んでようやく俺は侵攻艦隊を移動させ、エブル星系に大本営を設置した。この星系はアーム王朝への入口であるアリストに近接しており、補給基地として適当な要塞もある。侵攻の基点として申し分無い。


 この時点で、俺はアーム王朝が我が軍の侵攻を当然察知しているだろうと考えていた。このような大規模な軍の移動が敵の諜報機関の目に触れないはずは無い。そして、侵攻にアリストを選んだ時点で主攻目標がイクラシオンであることも察知されたであろう事も確信している。つまり、アーム王朝は今回の侵攻に対して十分備えているであろう事も、当然予想しているわけである。


 この戦いは両軍が正面から、全力をもってぶつかり合う戦いになるであろう。俺は瞑目しつつ思う。それは、両軍ともに多くの損害を蒙らずにはいられないということである。多くの犠牲、多くの死、多数の人生の消失、そして残された者たちの悲哀。背負い切れるだろうか。この小さな俺に。


しかし、俺は指令を発する。


「さぁ、全ての準備は整った。始めるとしよう」




 ブロックン大将率いる三万隻の先鋒艦隊は、アリスト星系からアーム王朝領ウィンザー星系へと雪崩れ込んだ。ここにはアーム王朝の守備艦隊千隻あまりがいたのであるが、鎧袖一触。これを粉砕する。


 アリスト星系からはイクラシオンに直通で航路が繋がっている。しかしその航路は長距離ワープの航続限界ギリギリの距離なのだ。ワープアウト直後に補給が期待できない以上、そのルートは侵攻路としては使えない。そのため、橋頭堡としてウィンザーを制圧する必要があったのである。


 アーム王朝はウィンザー星系をあえて死守しなかったようだ。あまりにも容易に攻略する事が出来た。難攻不落であり、巨大な補給基地でもあるイクラシオンに我が軍を誘い込んでこれを撃つつもりなのだろう。その方がアーム王朝としては圧倒的に有利な態勢でこちらを迎え撃つことが出来るわけである。


 当然予想できる考え方であったが、俺は内心舌打ちをした。本当は敵がウィンザーで我が軍を全面的に迎え撃ってくれることを期待していたのだった。その方が戦局の推移が早くなるからだ。ウィンザーで敵の主力艦隊の大打撃を与えておいて、その後要塞を攻略することの方が戦略上容易であることは言うまでもない。


 まぁ、虫が良すぎる希望的観測はしない方がいい。敵は無能では無いのだ。こちらにとって都合の悪い戦略を選択することの方がむしろ自然であろう。


 ウィンザーとそこから繋がる航路の先を順次制圧する。同時にウィンザーへの補給ルートを確立し、物資の集積を行う。カンバー中将の手腕は確かだ。この大艦隊を対象にしてさえ、まったく補給を滞らせることが無い。しかしその彼女も俺に対してこう念を押した。


「三ヶ月が限度です。それ以上アーム王朝領に留まれば、それ以上は保証できませんよ」


 この侵攻作戦は様々な意味でロスアフィスト王朝にとって限度一杯の負担を強いるものだったのである。物資の問題はその端的な一例だ。七万隻プラス補給部隊への輜重は簡単に言えば一億人クラスの、しかも生産能力を持たない都市が新たに出現し、それを急遽養わなければならなくなったということと同義なのである。


 軍の大動員。しかも予備役すら招集した総動員令は、国家経済の基本であるマンパワーを大きく削り取る。つまり生産能力が減少するのである。その状態で消費は増大する。おまけに、基本物資が優先的に軍需に回されることによって、一般に回ってくる物資は不足する。それは商品の不足、ひいては価格の上昇に繋がり、経済情勢の悪化に繋がり、結局は国内情勢の悪化に繋がるのである。


 この事が理解出来ずに、戦闘の勝利だけを目指してずるずると長期戦を戦ってしまうと、戦争には勝ったが国家は破滅するというような事態が起こる。しばしば軍事政権化した国家がこれをやる。これは、軍人という生き物がそもそも国家経済に疎いこと、勝利のためであれば如何なる犠牲も許されると考えがちなためである。


 戦争のために国家があるのではなく、国家のために戦争を行うのである。その前提条件を忘れてしまってはならない。


 ウィンザー星系制圧には十日。補給態勢の確立、周辺星系の制圧には五日を要した。悪くないタイムスケジュールである。しかし。


「間に合わない」


 オフト少将は表情の少ない灰色の瞳で俺を直視しつつ断言した。


「根拠は」


「イクラシオン星系への突入ルートの構築に、最低でも二十日は掛かる。予定ではイクラシオン突入は三十日目の筈」


「それぐらいの誤差はなんとかするさ」


「無理」


 オフト少将はきっぱりと言い切り。俺は眉を顰めた。彼女の懸念は故の無い事ではなかったからだ。作戦最初期段階での五日のずれは、そもそもギリギリなスケジュールを更に圧迫しかねなかった。


「じゃぁ、どうする?」


「突入ルート構築を十五日以下で行うしかない」


「どうやって?」


「私がやる」


 俺は意外の念に打たれた。彼女とは思えないほどの積極性だったからだ。


 リンド・オフト少将は士官学校首席卒業の大秀才であったが、同時に変人としても知られていた。非常に無口なくせに、たまに口を開けば上官に対しても容赦の無い意見を浴びせるので、俺がスカウトするまで様々な部署をたらい回しにされていたという経歴を持つ。


 ブラウンの髪は常に櫛を入れたことが無いのではないかというほどぼさぼさだ。聞いた話では別に床屋でもなんでもない部下に髪を切らせているそうである。こうも身だしなみに気を使わない女性も珍しかろう。


「腹案がある」


「どんな」


「言えない。許可を」


 と不思議なことを言った。どんな作戦だか分からないのに許可など出せるものか。


 しかし、俺は少しの間考えはしたが、なぜかこう言った。


「分かった。だが、無理はするな」


 オフト少将は静かに敬礼した。




 突入ルートの構築とは、要するに侵攻先の星系にワープゾーンを確保することである。


 簡単に言えばこれには二種類の方法がある。


 一つは、既存のワープエリアを占領することである。この方法は、既にしてそれ用に整備され、位置も把握出来ているワープエリアを使えるのであるから、その後の作戦がスムーズに行えるという利点がある。しかしながら、当然ワープエリアは敵にとっても最重要防衛拠点であり、その占拠は容易ではない。俺がかつてブルネイ星系で、圧倒的に劣勢な戦力で敵の大艦隊のワープアウトを防ぎ切った事を思い返して欲しい。今回の場合、イクラシオンに篭る敵艦隊は我が全軍に匹敵するような大艦隊である。ワープエリアの攻略には尋常ではないほどの損害を覚悟する必要がある。


 もう一つの方法は、自分たちで臨時に新たなワープエリアを作り出してしまうことである。


 つまり、侵攻先の星系内、もしくはその外延部を探査、清掃して、ワープエリアを作ってしまうのである。この方が敵の妨害は少なくて済むはずだ。ただしこの方法は時間が掛かる。新たにワープエリアを開拓する宙域までは通常航行で侵攻する必要があるし、その後に探査、清掃を行わなければならない。重力場、磁場、電磁波、宇宙風などの要因でそもそもワープエリアが設置出来ない宙域も少なくない。


 俺たちは今回、後者の方法をとる予定であった。前述したようにイクラシオンのワープエリアを占拠するには相当な損害を覚悟する必要があったからだ。ちなみに以前ロスアフィスト王朝軍が行ったイクラシオン侵攻でも同じ方法をとっている。もちろんその際に使われた臨時ワープエリアは潰されてしまっていたが、再整備すればまた使えるはずであった。


 しかし、通常航行でウィンザー星系から予定宙域まで、最大戦速で十五日掛かり、宙域の整備に五日は掛かる。これは最小限に見積もった数値であったのだ。それを五日も短縮するというのはどういうことなのだろうか。


 ヒントは俺がブルネイの戦いで用いた戦術にあった。


 オフト少将はなんと、イクラシオン星系内の、敵のワープエリアに強行ワープアウトを敢行したのであった。


 そこはイクラシオン星系の中でも外縁部に位置し、確かに比較的手薄なワープエリアではあったが、それでも七千隻からの守備部隊が十字砲火を設定しつつ守備していた。オフト少将はそこに僅か二千隻で突入したのであった。


 激烈な集中砲火。あまりにも無謀な突入であった。突入艦隊は次々と命中弾を被って撃沈されて行く。


 しかし、これもかつて俺がブルネイ星系で証明したことだが、ワープエリアを占領することは確かに難しいが、単にワープエリアに強行侵入するだけならそれほど難しくはないのである。これは、艦隊単位のワープアウトを可能にするほどの大規模なワープエリアを完全包囲するのは困難だからだ。一度にワープアウト出来る程度の艦隊に艦数を絞り、一気にワープアウト。そして、そこから更に艦隊を分散させて敵の間をすり抜ければいいのである。


 オフト少将の作戦はまさにその方法だった。激烈な砲火に多大な損害を受けつつも、千五百隻あまりの艦隊がイクラシオンへの強行侵入に成功する。


 逃げるオフト少将の艦隊を、アーム王朝は本気で追撃しなかった。あまりに些少な艦隊だったからだ。何を考えてそんな戦力で突入してきたのかは知らないが、そんな戦力では何も出来まいと侮ったのだ。陽動の可能性を警戒したこともあったろう。


 オフト少将は賭けに勝ったのだった。


オフト少将の艦隊は散り散りバラバラになってワープエリアの宙域を離脱し、そして、そのまま星系外の臨時ワープエリア設営予定宙域で集合したのだ。そしてそこに予定通り手際良くワープエリアを設営した。


 アーム王朝軍がオフト少将の意図に気が付いた時には既に遅かった。整備されたワープエリアから我が艦隊はどんどんワープアウトし、イクラシオン星系に橋頭堡を築く事に成功したのである。


 俺は正直、唖然とした。


 オフト少将は約束通りタイムスケジュールを五日短縮してみせたのだ。俺にも想像できない作戦で。しかし・・・。


「あまりにも無茶じゃないか?」


 俺は報告にやってきたオフト少将に苦笑を見せつつ、婉曲に批判した。


「一つ間違えば全滅だ。リスクが高すぎる。そんな賭けに君と部下の命をほいほい乗せてもらっては困るんだがな」


 相変わらず感情を感じさせない灰色の瞳が、俺の目を直視している。そして、口を開けば大斧で薪を両断するような、容赦無い言葉を発する。


「手遅れ」


「え?」


「この侵攻作戦そのものが無茶」


 俺は絶句した。


「なら、実行が無茶になるのも当然」


 なるほど。俺はさっきとは違う意味で苦笑した。


「じゃぁ、これからも君は無茶を強いられることになるな」


 オフト少将はこっくりと頷いた。正直な奴だ。


「分かった。すまなかった。オフト少将」


 オフト少将は返事をせず、俺の瞳を覗き込んだままだ。俺は首を傾げた。


「なんだ?」


「謝るのは、まだ早い」


「?」


「わたしが、死んだら、その時は謝って」


「・・・」


「それで、悲しんで」


 俺はなんと言ったものか分からず、ただ沈黙した。


 オフト少将の顔には常の通り何の表情も浮かんでおらず、悲壮感のようなものはまったく感じられない。しかし、その言葉は明らかに覚悟の、命を掛けるという覚悟の表明であった。実際、既に一歩間違えば全滅という作戦をこなしてきた彼女である。その覚悟が本気であることに一つの疑いも無かった。


 ようやく、俺は何かを言おうとして口を開きかけた。しかし、珍しくもその機先を制してオフト少将が言った。


「提督は、ただ、命じて。今は」


 その言葉に俺は口を閉じ、そして改めて言った。


「分かった。頼む。オフト少将」


 彼女はその瞬間、本当に僅かに、微笑んだ。




 首都星レオンの皇宮。森の中に大小数え切れないほどの建物が点在している。森の中には何本もの道路が通っており、多くは車も通れる立派な道だが、中には散歩道というようなものから、単に木々の間を踏み固めただけというような小路もあった。


 俺はその時、そういう獣道のような小路を歩いていた。出撃前の一日、エトナに最後の挨拶をしに、皇宮に参内した時のことである。


 とにかく散々探し回らされた。彼女の寝所がある寝殿にも、政務を執る大正殿にも、彼女お気に入りのサンルームがある小離宮にもいなかった。皇宮において皇帝が行方不明などということがあろう筈も無い。普通なら警備担当者に聞けばすぐに分かるのだ。


 ところが当日の警備担当士官は口を濁した。今現在、この俺の命令に逆らう事がロスアフィスト王朝においてどのような事態を引き起こすか、その士官が知らないはずは無かった。それをあえてするということは・・・。


「陛下の命令か」


「お察しいただけて幸いです」


 俺は溜息を吐いた。この忙しいのにかくれんぼをやっている暇があるものか。


「おい」


 俺は警備担当士官に言った。


「ヒントだ」


「は?」


「場所を教えるなと命ぜられたのだろうが、ヒントまでは禁じられていまい?」


 彼はかなり逡巡したようだったが、結局俺の求めに応じた。


 ヒントは、芸術家。


 俺はしばらく考え、結論した。たしか、何代か前、画家や陶芸家としても有名な皇帝がいたな。そのアトリエが皇宮区域内に残っていると聞いた事がある。


 俺は警備担当士官に礼を言うと、その場所に向かった。


 車では行かれない、細い細い小路。長らく使われる事が無かったせいだろうか、半ば雑草の間に消えつつある。しかし、ほんの少し前、ここを歩いた者があることを示すように、折れ傷も新しい野草が何本かある。


 森の中を歩く。レオンは永遠の春を謳歌する星だ。落ちることの無い葉が太陽の光をモザイク模様に遮り、風が時折首筋に心地の良い冷気を送る。足元を小動物が駆け抜け、不意に鳥が飛び立って俺の心を騒がせた。


 本当にこっちで良いのだろうか。俺は少し不安になった。車を待たせた通りは既に見えず、行く先に何か建物がありそうな気配も無い。こんな森の奥にアトリエを構えた皇帝というのは、余程偏屈な奴だったのだろう。


 エトナはなぜこんなことをするのだろうか?


 そういえばこのところ無茶苦茶に忙しくて、一週間以上会いに来ていなかったな。もしかしてそれで拗ねてしまったのだろうか。思わず苦笑する。


 エトナは皇帝で、俺はこの国の最高権力者だった。しかし、こういう悩みというのは、軍の下士官だろうがサラリーマンだろうが、はたまた学生だろうが変わることが無いようなのだ。


 戦争が終わったら。俺は考える。


 エトナと一緒にいてやれる時間が増えるだろうか。彼女とお茶を飲み、他愛も無い話をし、彼女に甘えさせ、わがままを言わせてやれる時間が増えるだろうか。


 そうしよう。そうしなければならない。小さく言えば、俺はそのために戦争の終結を望んだのだから。あの娘に、戦争など似合わない。彼女はもっと平和な時代、平和な国家で、臣と民に愛され、幸福な時代を統治するべきなのだ。


 そして、その傍に俺がいられれば。彼女を微力でも支えて行けるのなら。それが俺のささやかな望みだった。


 しかし、俺は立ち止まる。


 そのささやかな望みのためには、その前に乗り越えなければならない山が幾つも存在した。俺は、エトナと共にあろうと誓ったあの日に、その山を全て乗り越えてでもエトナの傍にたどり着こうと決めたのだ。


 最終的には、アーム王朝との戦争を、勝って終わらせること。そのために、ロスアフィスト王朝で自分の考えを通せるだけの力を持つこと。望んだのはそれだけだったが、そのために必要とされた犠牲は膨大なものだった。俺がそれを望まなければ、オルカ大佐もルクス元太政大臣もホリデー元帥も、その他幾万の将兵も死ななくて良かった可能性がある。


 そして、目の前には最後の山が残されている。俺は道の先を見上げた。


 アーム王朝との決戦に勝ち、イクラシオン要塞を陥落させる。そうすればアーム王朝を屈服させることが出来、この宇宙に平和が訪れる。それが最後に残された山であった。


だがしかし、その山を越えるには、どれほどの犠牲が必要になるのだろうか。そら恐ろしい気がした。そこまでして、その山は越えなければならないのだろうか。


 越えなければ、ならないのだ。


 ここで立ち止まれば全ては無駄になる。どんな犠牲を払ってでも、そこにたどり着かなければ、これまでの犠牲は無に帰するのである。俺は既にそういう領域まで進んできてしまっていた。いまさら後戻りは出来なかった。


 ふと、気がついた。いつの間にか小路が消えている。考え事をしていたら道を誤ったらしい。踏み分けられた道は無くなり、唯の藪になってしまっている。俺は苦笑した。宇宙空間でなら兎も角、地上を歩いていて迷子になるなど、子供のころ以来だ。


 幼い頃、今は亡き母とはぐれ、街中で迷子になった事がある。それまでに何度も来ていた街であったにも関わらず、焦れば焦るほどそこがいつの間にか知らない街に見え、孤独感が焦燥を増幅し、遂に俺は泣き喚いた。その声を聞きつけて母が飛んで来てくれたのだが。


 もう、俺は泣き喚いたりはしなかった。途方には暮れたが。俺はとりあえず進んだ。高いところに行ってみよう。そこから見渡せば帰り道か目的地か、どちらかが見えるかもしれない。


 目的地。そう、元皇帝のアトリエだ・・・。そう考えた後、俺は頭の中で訂正した。


 いや、違うな。エトナのいるところだ。


 俺はエトナの傍に行きたいのだった。そこがどこであれ、どんなところであれ、行って傍にいてやりたいのだ。俺は額に汗を浮かべながら目の前の意外に急な斜面を登る。


 あと少しだった。あと少しで、途方も無いと思っていた目標に手が届く。


 アーム王朝との戦争を終わらせ、エトナと結婚し、共同皇帝となり、銀河帝国を統治する。それはアーム王朝にいたころには想像したこともない未来であった。そんな未来を望んだことも無かった。今だって、望んでいるのはもっと小さなことだったはずだ。


 斜面を、登り終えた。


 そこは少し広い野原となっていた。中央に小さな小屋があり、その周囲半径30mくらいの木々を刈り払ってあるのだった。ただし、手入れはなされていない。その丈高い草に沈むようにして彼女が立っていた。


 皇帝、エトナ・ロスアフィストは濃いブルーのワンピース姿で、俺のことを待っていた。


 黒く艶やかな長い髪が風に僅かに舞っている。白い手足が日差しにまぶしい。大きなつばのある帽子。その陰から静かな、透明な視線が俺を見ている。


 俺はなんとなく気圧された。彼女は、出会った時は実に他愛も無い少女に見えたものだ。好奇心旺盛で、ちょっと気を張りすぎて危なっかしい、その年頃には有り勝ちな少女。それが、見ている間にどんどん成長していった。女性として。そして皇帝として。俺はいつの間にか、目が離せなくなり、遂には心奪われた。


 俺が恋したのは、皇帝としてのエトナであっただろうか。違うと思う。しかし、もしも彼女が市井の一少女であったとしたら、俺は果たしてここまで必死に彼女と共にあろうと努めただろうか?


 意味の無い仮定であろう。彼女は、俺が出会った時には既に皇帝であり、俺は彼女が皇帝でなかった時の彼女を知らない。しかし、それでも思う。もしも彼女が皇帝で無かったなら、あるいは歴史は変わっていたのではないだろうかと。


 俺はエトナの方へとゆっくり近づいた。草を掻き分けながらだが、もう彼女の姿を見失う懸念は無かった。だが、なぜか俺は焦燥感に近い思いに駆られた。目を離せば彼女が掻き消えるようにして目の前からいなくなってしまうのではないかという、根拠の無い不安。


 もちろん、そんなことは起ころうはずも無く、俺は彼女の正面に立った。


「捜したよ、エトナ」


 声に安堵がにじんだ。


 エトナは微笑んで俺を見上げている。ただ、その微笑みはどこか寂しげに見えた。


「見つかってしまったわね」


「かくれんぼのつもりだったのか」


「会いたくなかったの。あなたに」


 俺は驚いた。


「会いたくなかった。あえば、アルは行ってしまうのでしょう?戦場に」


 エトナの白い歯が僅かに見えて、俺は彼女が笑ったことを知った。


「会いたくなかった。あなたに、どんな顔をして会えばいいのかが分からなかったから」


 俺は言葉を失う。


 俺が戦場に出向くのはこれが最後になる。この戦いが終われば戦争の時代は終わり、平和がやってくる。宇宙の未来のために、俺たちはどうしてもこの戦いをやって、勝たなければならない。俺は必ず勝ち、君のところに戻ってくる。帰ってきたら幸せになろう。


 ・・・言うべきことが無いのではなかった。だが、口には出せなかった。こんな悲しい笑顔を前にして、そんな言葉に何の意味があるだろう。


 俺とエトナは一歩で抱き合える距離を保ったまま見詰め合った。結局俺は何も言えず、何も出来なかった。


 何度目かの風が吹いた後、エトナは祈るように言った。


「アル。愛しています。あなたが、帰り道を見失いませんように。私はここで、いつまでも待っていますから」




 俺がイクラシオン星系外延部に構築された我が軍の橋頭堡に入ったのは、オフト少将がワープエリアを確保してから二日後のことであった。


 そこからは、まだイクラシオン七つの人口惑星要塞は見えない。ただ恒星イクラシオンのオレンジ色の輝きだけが見える。


 俺は旗艦アクロポリスの作戦会議室に各艦隊の将を招集した。いよいよイクラシオン攻略に向けて、最後の作戦会議を行うためであった。


 大きな楕円形のテーブルに各将が着席している。俺が会議室に入室すると全員が立ち上がった。


 エラン・ブロックン大将。


 ナルレイン・カンバー中将。


 マイツ・アキナ中将。


 リンド・オフト少将。


 俺のもっとも信頼する腹心の四人がいる。すでに視線を交わしただけで意思が交し合えるほど関係が深い。


 ルビア・フォルスマン大将、モーム・サランバ大将、カスツール・エルケンズ大将たちはもともとロスアフィスト王朝正艦隊の司令官たちだ。実力、経験共に文句無い。


 ウル・コエセフト中将、キニー・ワンド少将、オルロフ・ワドキンス少将、アーノルド・エルス少将等は、ルクス元太政大臣の反乱の際に手腕を確かめたので、今回抜擢した。


 現在、ロスアフィスト王朝で考えうる限り最高の人材を集めたつもりではある。しかしそれでも、主力艦隊を自信を持って預ける事が出来たホリデー元帥の穴は埋め切れないだろう。


 俺は着席するとゆっくり切り出した。


「いよいよ、時が来た。ロスアフィスト王朝の喉元に突きつけられた槍先。イクラシオン要塞を陥とす時が」


 会議室の空気が極寒の朝のように引き締まった。


「これから作戦の基本行動予定を説明するが、おそらく実行段階でかなり臨機応変な対応が求められることになると思う。各人、作戦の基本理念と目標を正確に把握しておいてくれ」


 そこで手が上がった。モーム・サランバ大将である。口の周りの黒々と髭を蓄えた、どこか海賊じみた雰囲気を纏った大男だ。


「何か?サランバ大将」


 彼は立ち上がるとテーブルを囲んだ諸将を視線で一撫でした。彼は見た目通りの猛将として知られており、ブロックン大将が出世するまではロスアフィスト王朝最高の攻撃力を誇る将軍だと言われていたのだった。彼は俺に厳しい視線を真っ直ぐに向けて、外観に似合った大音声を発した。


「最初に、元帥にお願いしたい!イクラシオン要塞に一番槍を打ち込む役目は、このサランバにお命じあれ!」


 ざわめきが起こった。既に全軍の先鋒はブロックン大将に決められていたからだ。ブロックン大将は僅かに眉を上げて、片目でサランバ大将を見上げていた。サランバ大将も片目だけでブロックン大将を睨みつけている。


「サランバ大将、控えられよ」


 四十台前半と、まだ若いルビア・フォルスマン大将がサランバ大将の袖を引いた。銀髪の痩せぎすの男性で、堅実な用兵家である。


 しかし、サランバ大将はなおも俺に向かって詰め寄った。


「我が帝国始まって以来の大作戦の先鋒は帝国最強の将が勤めるべきと存じます!ブロックン大将の能力を疑うわけではありませぬが、彼女はまだお若い。ここは是非小官に!」


 俺はちらっとブロックン大将を見た。彼女は軽く目を細めてみせる。俺は溜息を吐いた。


「分かった。貴官に任せよう」


「ほ、本当ですか!」


 サランバ大将は感激のあまり飛び上がりかねない様子を見せた。その彼に向けて俺はさりげなく言う。


「ただし、そのかわり貴官には死んでもらうことになるぞ」


 サランバ大将のごつい笑顔が硬直する。


「この作戦の先鋒は、必死だ。必ず死ぬ。それを了解していただけるなら、貴官に命じよう」


 さすがにサランバ大将が絶句する。俺は返答を待たず立ち上がった。テーブルの中央に3Dホログラムが浮かび上がる。イクラシオン宙域全体の状況図だ。


「イクラシオン要塞のことは皆もよく知っていると思うが、もう一度確認しておこう」


 惑星を持たなかった恒星イクラシオンの周囲に七つの人口惑星要塞を築いた、アーム王朝のみならず全宇宙最大の軍事拠点。それがイクラシオン要塞である。その能力は八十万隻の艦隊と数億の人員を収容可能であるといわれていた。


 収容するだけではなく、それを養う事が可能なくらいの物資を集積し、艦船を補給修繕するだけではなく、建造することすら出来る工廠を備えている。実際、イクラシオンはアーム王朝最大の兵器工廠でもあるのだった。


 つまり、イクラシオン要塞はアーム王朝にとって、対ロスアフィスト王朝戦略における最大の前進基地であると同時に、最大の補給基地であり、最大の兵器生産工場であるのだ。これはアーム王朝軍がロスアフィスト王朝に攻め入る際、補給線を最短に出来ることを意味した。イクラシオン要塞完成以来、両国の戦いにおいてアーム王朝が攻勢一方となったのはこのためだった。


 イクラシオン要塞はアーム王朝にとって最重要軍事拠点であった。敵側であるロスアフィスト王朝にとっては最重要攻略目標であるということでもある。アーム王朝の軍事的攻勢はイクラシオンに集中することとなった。しかし、三度に渡る大攻略作戦は全て失敗に終わった。なぜか?それは偏にイクラシオンの七つの要塞が強力すぎたからである。


 人口惑星型の宇宙要塞(アーム王朝で言う通称「クマ」)は別に珍しい存在ではない。アーム王朝においてもロスアフィスト王朝においてもいくらでも例がある。これの攻略は確かにかなり困難であるが、多数の艦隊を波状的にぶつけることで要塞の迎撃能力を上回ることが出来れば陥落させることは可能だ。


 しかしながら、問題となるのは、イクラシオンではその「クマ」が七つもあり、そのそれぞれが互いを援護することが出来る距離に配置されているということである。


 つまり、どれか一つの要塞を攻略しようとした場合、残りの幾つかの要塞からの攻撃を背後や側面から受けざるを得ないということなのだ。要塞主砲の砲力は一撃で数百隻の艦隊を消滅させ得るほどである。無防備な背面から狙い撃たれたらたまらないのだ。


 これを防ぐには全ての要塞を同時に攻略するしかないのだが、これはあまりにも非現実的な話となるのだった。なぜなら、一つの要塞の攻略には最低でも三万隻規模の艦隊が必要だと言われているのだ。七つの要塞を同時攻略しようというなら二十万隻以上の艦隊が必要となる。そして、要塞には常に十万隻の艦隊が駐留しているのだった。


 イクラシオンは難攻不落であるという結論が導き出されるのも無理も無いことであるのだった。


 今更ながらの俺の説明を聞いて、作戦会議室は静まり返った。全員が改めてこれから取り掛かる攻略作戦が困難であることに思いを馳せたのだろう。


「しかし」


 重い沈黙を振り払うようにサランバ大将が声を上げた。


「閣下はその難攻不落のイクラシオンを陥落させることが出来るとおっしゃった。つまり、要塞の弱点を知っておられる。そうですな?」


 俺はあっさり首を振り、サランバ大将はあんぐりと口を開けた。


「イクラシオンに俺の知る限り弱点など無い。最初に言っておくが、この作戦は、最初の段階では実にオーソドックスな方法をとる」


 俺はホログラムの一点を指差した。


「先鋒部隊は艦隊三万隻でこの惑星要塞『ミザール』を攻めてもらう。しかし、これは陽動で、先鋒部隊が敵を引き付けている間に本隊が・・・」


 俺の指が違う惑星要塞を指す。


「惑星要塞『メラク』を攻略する。これが今回の攻略作戦の骨子だ」


 サランバ大将の表情は晴れなかった。


「それだけですか?」


「それだけだ」


「そ、それでは、以前の攻略作戦とほとんど代わりが無いではありませぬか。前回の攻略作戦で我が軍は五万隻の艦隊を投入し、失敗に終わっているのですぞ」


「知っている。ただ、今回は七万隻だ。二万隻も多い」


 サランバ大将の顔が赤くなった。


「それでは、閣下はその程度の成算でイクラシオンを攻略すると断言なさったのですか?」


「そうだ」


 会議室は再び沈黙に包まれた。俺は構わなかった。


「惑星要塞『メラク』を何が何でも攻略する。それが出来て本作戦はようやく勝機という物が生まれてくる」


 カスツール・エルケンズ大将が太い眉を上げた。


「ということは、その先があるということですな」


「そうだ。それをこれから説明する」


 俺は長く秘していた作戦の核心部分を語るべく胸に息を吸い込んだ。




 語り終えると一種異様な沈黙が会議室に漂った。


 ブロックン大将、カンバー中将、アキナ中将、オフト少将の四人はまぁ、平然としている。彼女たちには以前から作戦の詳細を教えていたから、俺がこの時語ったことは既に承知だったのだ。もっとも、彼女たちも最初に聞いた時にはこんなではなかった。


 問題なのはそれ以外の面々である。


 驚愕、というよりは呆然とした表情だった。


「・・・なんですか、それは」


 サランバ大将がようやく声を絞り出す。


「それが、軍事作戦と言えるのですか?」


 俺はあえてとぼける。


「当たり前だろう。軍隊を使うんだからな」


「いや、しかし・・・」


 フォルスマン大将が片手を上げる。


「閣下、質問してよろしいですか?」


「ああ、何なりと」


 彼はわざわざ立ち上がって俺を見下ろした。


「我々は皇帝陛下の忠実な僕であります。故に陛下の命とあれば如何なることも致します。陛下が死ねとおっしゃれば謹んで死にましょう」


 控えめな言葉とは裏腹にその瞳には強い光が宿っていた。


「しかし、同時に我々は武人であります。閣下も武人であられるのだから、武人が名誉を重んずることはお分かりでありましょう。その武人たる我々に、その・・・、このような作戦を行えと御命じになるからには、それなりの根拠はあるのでしょうな」


 俺はあえて座ったままフォルスマン大将を見上げた。出来るだけ平静を装って、言った。


「根拠は、簡単だ。俺にはこの作戦以外にイクラシオンを陥落させる方法が見当たらなかった」


 フォルスマン大将は少しだけ目を細めた。


「イクラシオンを陥落させる。俺はそれだけを考えた。そうしたら、この作戦を思いついた」


 俺は噛んで含めるように一言一言をゆっくりと紡ぎ出す。


「後は、知らん」


 フォルスマン大将は仰け反って大笑した。


「失礼しました閣下」


 彼は笑顔のまま着席した。座ってなお声を殺して笑っている。なにがそんなに面白かったのだろうか。


 俺は彼から視線を外し、その他の面々を一通り見渡した。全員が俺を見ていることを確認する。


「尋常な作戦で無いことは分かっている。後世の非難は俺が引き受けよう。だから、力を貸して欲しい」


 俺は頭を下げた。


 ブロックン大将が立ち上がった。そして小気味の良い敬礼をする。続けてカンバー、アキナ中将、オフト少将。遅れてそのほか全員がそれに習う。俺も答礼する。一種厳粛な空気が会議室を支配すること数秒。


 俺は、作戦開始のための全ての条件が整ったことを理解した。




「提督!」


 振り返ると、マイツ・アキナ中将がいた。


 金髪のサイドテール。丸顔の童顔と濃い青の大きな瞳が彼女をいつまでも少女に見せている。俺が若く見えることを褒めると、この容姿のせいで部下に舐められるのだと頬を膨らませたことがある。


 背は俺よりもずいぶん低いが、プロポーションは相当良い。これも彼女に言わせれば、一向に軍人らしく見えないという悩みの種でもあるのだという。


 参謀畑出身で、本当は俺の首席参謀としてスカウトしたのだったが、どちらかと言うと理論よりも感覚的な用兵をするタイプで、参謀よりも提督向きだったのだった。攻撃よりも守勢に強い将である。


 アキナ中将は走ってきたらしく、息を切らせながら俺の前に立っていた。何事かと警戒する護衛や副官たちを下がらせると俺はアキナ中将の前に出た。


「どうした、アキナ中将」


 彼女はしばらく息を整えながら俺のことを見上げていたが、ようやく言った。


「お時間を頂けますか。提督」


「ああ・・・、構わないよ」


 作戦開始を十数時間後に控えた頃合である。忙しいことは忙しかったが、ちょうどこれから最後の休憩時間をとる所だったのだ。


 俺は彼女と二人だけで戦艦アクロポリスの士官食堂へ向かった。ソフトドリンクを取り、一本をアキナ中将に投げる。


 食堂の窓からは作戦開始を控えた数万の艦隊が光の渦のように見えていた。俺とアキナ中将はしばらくそれをそれぞれの感慨を胸に浮かべながら見ていた。無言である。


 なぜ、アキナ中将がこのタイミングで俺に会いに来たのか、俺にはなんとなく分かっていた。


 長い付き合いだからな。俺はこっそり苦笑した。


 彼女は、俺の部下になった当初はかなり臆病なところがあった。最初の海賊討伐の時に海賊艦隊に囲まれた時など、オルカ大佐と抱き合って震えていたものだ。もっとも、いざとなると腹が据わるタイプらしく、いざ戦闘が始まってからはその有能さを遺憾なく発揮したのだったが。


 要するに、腹を据えに来たのだろう。


 気がつけば、アキナ中将が俺を見上げていた。俺も彼女を見下ろす。視線が静かに絡まる。


「あのね、提督・・・」


 アキナ中将の紅唇が開く。


「へんな夢を見たの」


 俺はずっこけた。


「どうしたんですかぁ?」


「いや・・・、なんでもない」


 俺は体制を立て直すと質問を返した。


「どんな夢だったんだ?」


「故郷の夢。実家で家族に囲まれてお茶してるの。そうしたら、提督が来るんです」


「俺が?」


「おかしいですよねぇ、提督、家に来たこと無いですもんねぇ」


 アキナ中将はくすくす笑った。


「それでですねぇ、提督、前が見えないほど大きな花束を抱えているんです。それがすごく似合わなくて、面白かったんです」


「それで?」


「それだけです。変な夢でしょう?」


 確かに変な夢だな。しかし、何で今そんなことを俺に話す?


「夢の通りに、してみませんかぁ?」


「?」


「この戦いが終わったら、実家にご招待します。田舎の、何にも無いところですけど」


 アキナ中将は屈託無い満面の笑みを浮かべた。


「いいのか?」


「はい。是非来てください。その代わり、花束を忘れないで下さいねぇ。前が見えないほど、おっきな花束ですよぉ」


 そうか。約束しよう。それは楽しみだな。


「出来れば、エランもナルもリンドも一緒に来てくれると嬉しいです。みんなで・・・」


 アキナ中将は窓の外に視線を移した。すこし表情が厳しくなる。


「みんなで・・・」


「そうだな・・・」


 みんなで、生き残って・・・。


「じゃあ!」


 ぱっと向き直ってアキナ中将。


「指切りしましょう!」


「は?」


「約束の指きりです!」


 右手の小指を突き出してくる。おいおい。


「いいじゃないですかぁ!ほら!」


 俺は仕方なく、自分の小指を彼女の小さな小指に絡めた。


 その瞬間アキナ中将は大きな目を細めて、大輪の笑顔を浮かべた。




 自室に引上げ、ベッドで横になった。作戦開始まで後、十二時間。


 寝るつもりであった。いつも戦いの前の最後の休憩時間はそうして過ごすことにしている。しかし、この時は目を閉じても眠気は一向にやってこなかった。やはり、流石になにがしかの気の高ぶりがあるのだろう。


 三十分ほど暗い部屋で寝返りをうっていたが、やがて諦めた。仕方なく起きて部屋の明かりを点ける。


 どうしたものか・・・。俺は途方にくれた。俺は基本的に無趣味と言って良く、こういう時に有効に時間を潰せる方法を知らないのだった。読書の趣味でもあればよかったのだが、俺は目的が無ければ本が読めないタイプである。


 戦艦アクロポリスの自室は寝室ともう一部屋だけという簡素極まりないものだった。貴族出身の将官の中にはもっと贅沢な部屋を自分の艦に造らせる者もいる。ただ、戦艦内では下級士官で二人部屋、高級士官でようやく個室になるのが普通であった。俺にしてみれば部屋が複数あるだけでもかなり贅沢に感じられるのである。


 俺は椅子に腰掛けて天井を見上げた。この部屋にはほとんど寝に帰ってくるだけで、こうしてのんびりここで時間を潰すことなどしたことが無い。この椅子に座ったのさえずいぶんと久しぶりだ。


 思えば遠くに来たものじゃないか。


 なんとなく、そんなことを思う。考えてみれば、ロスアフィスト王朝に亡命してきて僅か数年。あの時には想像もしなかったような未来が俺の前に開け、そして更に生まれようとしている。


 大した人間ではなかったのだ。俺は。アーム王朝時代、俺はそこそこ順調な出世をしてはいたが、所詮は平民出。どう頑張っても良くて准将。普通で大佐止まりだろうと自分の人生を見切っていた。もちろん、可能性としては退役する前に死んじまう事の方が大いにあり得る話であった。


 それが、どこで歯車が狂ったのか、もしくは噛み合ったのだろうか。今俺は、当時敵として以外認識していなかったロスアフィスト王朝軍の最高司令官として、今この場所にいる。


 自然に、手が伸びた。デスクの隅に手帳があった。この艦に私物を持ち込んだ時に、何気なく持ってきてそこに置いておいた物だ。それ以来一度も手に取らなかったそれを開く。引き出しからペンを取り、躊躇無く書き始めた。




 ・・・愛する、エトナ・ロスアフィストへ。もしも私が死んだときのためにこれを記す。帝国暦226年。




 遺書である。書きつつ、馬鹿げた事をしていると考える。




 今、最後の戦いを前にして君を想う。


 あの日、君と出会ってから、私の人生は始まった。君が俺に呼び掛けた時からすべてが始まったのだ。あらゆる意味で。


 道が開け、光が差し、私は翼を得た。それは何もかも君がくれた力だった。


 全ては、たどり着く為に。


 君の傍にたどり着く為に。


 戦いも、勝利も、死も、全ては君のために。


 私は願う。君の傍に在りたいと。そのために勝利を私は望む。


 その望みの為であれば、私は宇宙さえも手に入れてみせると。そう誓った。


 今、最後の戦いの前に君を想う。


 君の御世に幸多からん事を・・・。




 書き終えて、読み返して苦笑する。これでは学生のポエムだ。訳分からん。手帳のページを破り、しかし俺はそれを捨てなかった。軍服の内ポケットに入れる。俺は不意に眠気を覚えて、そのまま目を閉じた。


 目が覚めた時には、恥ずかしい紙切れのことはもう忘れていた。




 全ての艦船の舳先が同じ方向を指していた。


 その方向には一つの恒星が燃えている。恒星の名はイクラシオン。その光の塊の周囲、反射して輝き、あるいは陰になり黒く浮き上がる数個の人口惑星。アーム王朝がその鉄壁を豪語して憚らないイクラシオン要塞である。既にロスアフィスト王朝艦隊はイクラシオン星系内部にまで侵入していた。


「敵艦隊、0時方向に三万隻。接触まで推定十分」


「『メラク』と『ミザール』に強力なエネルギー反応。主砲充填によるものだと思われます」


「サランバ大将の先鋒艦隊、予定宙域に進出」


 結局、三万隻の先鋒艦隊はサランバ大将に預けたのだった。彼も誇り高いロスアフィスト王朝の軍人である。必死の役目であると言われたぐらいで後ろを見せるような男ではない。


 艦隊を譲った格好になったエラン・ブロックン大将はアクロポリスに残り、本艦隊の指揮を執る事になっていた。表向きは。


 アクロポリスの艦橋、全天スクリーンが映し出す大宇宙の下にブロックン大将は仁王立ちになっていた。俺は密かに感嘆する。これほど戦艦の艦橋が似合う女性はいないだろう。女性にしてはがっちりした体格。背もやや高めで、軍服が良く映える。艦橋の照明に輝く赤毛。


 彼女の頬には一筋の傷がある。俺はこの時思い出したようにその事を話題にした。すぐそこで今にも戦端が開かれようかというタイミングである。ブロックン大将は呆れたような声を上げた。


「なんでこんな時に」


「いいじゃないか。今、ふと思ったんだよ」


 彼女は軍服のポケットに手を入れて肩を竦めた。あまり話したくなさそうな態度だった。


「まぁ、言いたくなればいい」


「う、ん」


 彼女はそれからしばらくスクリーンの向こうに規則正しい陣形を描きながら展開するロスアフィスト王朝艦隊を眺めるでもなく眺めていたが、やがてポケットから手を出してこちらに向き直った。


「話すよ」


 やや固い口調だった。


「別に強制じゃないぞ?」


「いいんだ。提督には、聞いといてもらいたい」


 俺は提督席から立ち上がった。


「男に、斬られたんだ」


「男?」


「恋人、という意味だぞ?」


 俺があまりにも意外そうな顔をしてしまったのだろう。ブロックン大将はそう念を押した。


 意外に思ったのは本当だ。彼女はおよそ色恋沙汰とは縁がなさそうだと勝手に思っていたので。


「・・・で、どうしてその・・・、恋人が?」


「彼が、アーム王朝のスパイだった。あたしが中尉の時の上官だったんだけどな」


 ブロックン大将は頬をそっと撫でた。


「全てがばれて、亡命しようとして、その時あたしを誘った。あたしは断って、彼を取り押さえようとして、斬られた・・・」


 俺は彼女の目を見た。彼女の目は俺の方を見ていなかった。


 彼女は嘘を吐いているな。俺は察したが、別に追及しなかった。


「彼は結局、逮捕され、銃殺された」


「そうか」


 そういう謂れがある傷であれば、残しておきたいという気持ちも分からないではない。


 さて、とブロックン大将は呟いた。


「お話の時間は終わったようだぜ提督」


 見ると、スクリーンの一隅で新たな光が生じていた。同時に、


「先鋒艦隊!交戦を開始しました!」


 オペレーターが絶叫した。




 サランバ大将の先鋒艦隊はアーム王朝艦隊三万隻と正面から衝突していた。まったく芸が無いがこれは彼の猛将としての誇りというものであろう。実際、彼の指揮は奏功し、戦闘はロスアフィスト王朝艦隊の優勢で推移しようとしている。しかし、話はそう簡単ではない。


「敵艦隊はこちらを要塞主砲の射程に引き摺りこむことを当然考えているでしょうからね」


 参謀チーム主席のツースム大佐が冷静に言う。


 そう、敵艦隊はそれだけでも強大だが、それが上手く要塞と連係プレーを見せたとき、化学変化じみた戦力としての巨大化を生ずる。正面から戦ったのでは、まず勝ち目は無い。


 イクラシオン要塞を陥落させるには幾つかの条件がある。その内まず間違い無く必要なのが、要塞と駐留艦隊を切り離すことだ。要塞と艦隊を連携させないこと。それにはどうすればよいのか。ツースム大佐に任せた参謀チームは数カ月がかりの検討の結果、一つの結論にたどり着いていた。


 俺はその労に報いるためにマリア・ツースム大佐を昇進させて准将にしようと思ったのだが、本人にすげなく断られた。大きな眼鏡を光らせて彼女は言った。


「作戦の成功を見届けないまま昇進など出来ません」


 なるほど、道理ではある。


 イクラシオン駐留艦隊は大体10万隻である。これは我が艦隊よりも数が多い。これの全てと決戦するとなると、我が方の不利は免れない。しかし、現在前方に展開している敵艦隊はサランバ大将と交戦中の三万隻と、本隊正面に展開中の三万隻。合計六万隻である。これは、人口惑星が七つもあり、それぞれをがら空きには出来ないからである。残り四万隻は分散して各人口惑星を守備しているのだ。


 ツースム大佐たちはここにイクラシオンの隙があると考えたのだ。


 正直、彼女が作戦案を書類にして提出してきた時には、驚愕した。恐ろしく大胆な作戦案だったからである。しかし、有効な作戦であることも認めざるを得なかった。


「博打だな」


「提督からそんな弱気なお言葉が漏れるとは思いませんでしたわ」


「俺は臆病なんだよ」


 ツースム大佐は無視してイクラシオンの周辺宙域図をホログラムスクリーンに映しながら解説したものだった。


「イクラシオン駐留艦隊は、要塞が七つあるという性質上、必ず分散して配備されなければならないという弱点を抱えています。つまり、十万隻が一気に会戦に望むことは出来ないということなのです」


 ということは、額面十万でも、実際に相手にすべき艦隊はせいぜい七万隻だろうとツースム大佐は言った。


「そして、しかもその艦隊も要塞守備という性質上、必ず少数の艦隊に分かれて配陣されるでしょう。我が艦隊が付け入るとしたらそこです・・・」


 そして現在、状況はその時ツースム大佐が解説した通りに動いていた。俺はツースム大佐の眼鏡越しの視線に頷き、ブロックン大将に合図をした。


「よし!」


 ブロックン大将は右手を振った。


「全艦隊『アリオト』方面に転進する!」


 ロスアフィスト王朝本隊は『メラク』の正面にいる敵三万隻をそのままに、要塞『アリオト』方面に移動を始めた。


 敵艦隊は驚いたことであろう。なにしろ、我が方の先鋒艦隊は『ミザール』の前で既に交戦中だったのである。それを放置して、遥かに離れた『アリオト』の方に移動してしまうとは。


 しかし、冷静に考えれば、戦術的にありえない作戦ではないと分かるであろう。『メラク』正面に布陣したアーム王朝艦隊は三万隻。だが『アリオト』の守備についている艦隊は推定一万隻なのである。こちらの方が遥かに弱敵なのだ。


 つまり、手強い敵を回避して組し易い敵を求めるための移動である、と考えられるのだ。


 もっとも『アリオト』守備艦隊は我が艦隊の半数以下であるとはいえ、要塞との連携が期待出来るのである。容易な敵であるとはとても言えない。しかしそれでもアーム王朝にとっては脅威だったのだろう。『メラク』正面にいた艦隊は慌てて我が艦隊を追撃に掛った。


 しかし、それこそがこちらの狙いだったのである。


「要塞と連携が取れない敵艦隊は、唯の艦隊でそれ以上でもそれ以下でもありません」


 敵艦隊が十分『メラク』から離れたと判断したタイミングで、我が艦隊は反転した。


 同時に『ミザール』正面で交戦中だったサランバ大将も反転して、敵の『メラク』守備艦隊に襲い掛かる。


 こうして『メラク』守備艦隊三万隻は我が艦隊七万隻に包囲される事になったのである。


「撃て!」


 戦艦の艦首に光の渦が生じ、一瞬後には閃光となって宇宙の闇に消えてゆく。そしてその先に生じる光の花。そこではおそらく何千という単位で人が死んで行くのだ。それが戦闘というものである。かと思えば、こちらの周囲でも不意に姿勢を崩し、一瞬後には火球となって分解する艦もある。アクロポリスも時折回避運動をして大きく揺れる。


 我が艦隊の猛攻撃に、敵艦隊は見る見るすり減らされて行く。要塞の射程外に引きずり出された駐留艦隊は唯の艦隊で、そうなってしまえば要塞ごとに分散配置されている駐留艦隊はおろかな戦力分散でしかないのである。


「『ミザール』の艦隊が進出して来ました」


「遅い!」


 オペレーターの報告にブロックン大将が吐き捨てるように言った。


「どうして我が先鋒艦隊が反転した時点ですぐに追撃しなかったのだ。愚図め!」


「『ミザール』を無防備にしたくなかったのでしょう」


「ならば最後まで『ミザール』を守っていればいいじゃねぇか!」


「友軍が全滅しかかっていれば助けないわけには行きますまい」


 ブロックン大将とツースム大佐の会話を聞きながら俺は苦笑を誘われた。確かに『ミザール』の艦隊がすぐに先鋒艦隊を追撃していれば、先鋒艦隊の方が逆に包囲された可能性もあったのだ。遅まきながら敵もそれに気がついたと見える。しかし、既に時期を逸していた。


「よし!残敵は放置!全艦隊反転して新たな敵艦隊に対せよ!」


 我が艦隊は瞬時に『メラク』守備艦隊包囲網を解き『ミザール』守備艦隊に襲い掛かった。この時点で『メラク』守備艦隊は数千隻単位にまで撃ち減らされており、我が艦隊が包囲を解くと慌てて『メラク』に逃げ戻る事しか出来なかった。


 『ミザール』守備艦隊の目的は『メラク』守備艦隊を救うことだった。故にこの時点で目的は達成された訳である。『ミザール』守備艦隊は後退を始めた。しかし、ブロックン大将とサランバ大将の両猛将に率いられた我が艦隊のスピードは敵艦隊の予測を超えていた。


 正面からの一撃で敵の艦列を押し崩す一方、左右から急速に回り込んで退路を断つ。鮮やかな手際で包囲網を完成させると、後は先程の繰り返しであった。『ミザール』守備艦隊は、今度は救いに来てくれる味方艦隊が期待出来ない状態で果敢に戦ったが、我が艦隊は容赦なくこれを徹底して撃滅した。


 敵の要塞守備艦隊は事実上これで壊滅したのである。


 俺はツースム大佐に声を掛けた。


「見事だった。これで昇進を受け入れてもらえるな?」


「そういうことは、レオンに生きて帰ってから言ってくださいな」


 しかし、そう言いながらも彼女の表情は柔らかく緩んでいた。




 イクラシオン要塞陥落のための第一条件。敵の艦隊と要塞を分離することは上手くいった。しかし、まだイクラシオン無敵の象徴たる七つの人口惑星要塞はまったく無傷で宇宙に存在している。


 俺は恒星イクラシオンに視線を投げた。人類がこの宙域にたどり着く遥か以前から存在するこの星系の王は、輝く姿を我々に見せ付けているかのようだった。






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