五章、戦いの始まり
銀河帝国の分裂は、帝国歴103年に起こった。
第8代皇帝オーエン二世の崩御に伴い、皇太子であるアーム・フォッカーが即位した。弟であり、帝国宰相でもあったロスアフィスト・フォッカー以下、帝国臣民は新皇帝に忠誠を誓約し、新皇帝は歓呼の声と共に誕生したのである。
ここまでは、非常に恙無く進んだ。
ところがこの後がいけなかった。これはこの当時の、帝国の状況に関わりがある。
この当時、帝国は初期の混乱を脱し、大変な成長期に入っていたのである。経済流通活動は活発化し、人口は増え、人類世界全体にエネルギーが満ち溢れた。社会の活性化は往々にしてフロンティアを渇望する。幸いなことに人類世界には帝国領域外に無限に近いフロンティアを、既に持っていた。多くの企業や貴族に支援された、通称開拓屋と呼ばれた冒険家たちなどが、銀河辺境へ向けて探検に出発。幾多の犠牲は出たにせよ、意外なほど短期間のうちに人類は銀河辺境へ人類世界を拡大していった。
ところが、あまりに早い領域の拡大に法令の整備が追いつかず、次第に辺境星域は無法地帯と化してしまったのである。治安は悪化し、人々は自らの身を守るために武装した。それは独立の気運を生む。その気運を利用しようとしたのが、大貴族や大企業である。
貴族や大企業が辺境星系を私領化しようとする動きを察知した帝国政府は、帝国宰相ロスアフィスト・フォッカーに辺境星系の統一と整備を命じた。
ロスアフィストは3年がかりで法令の整備、治安の回復、ワープエリアと航路の確定などを散々な苦労の末に成し遂げた。当時、既に半独立国と化した勢力すら有り、そのような勢力とは武力衝突すら余儀なくされた。ロスアフィスト自身、何度も生命の危機を乗り越えている。
その間、帝国からは新たな援助はほとんど無かった。帝国中枢と辺境では既にあまりに隔たっており、情報の交換すら容易ではなかったのだ。つまり、帝国政府はロスアフィストが如何に苦労をして辺境を平定したのか、理解出来ていなかったのである。それが後に問題の種になる。
辺境平定が終われば、ロスアフィストは当然帰還せねばなら無かったのだが、彼は「未だに辺境は安定していない」として帰還せず、辺境星系の更なる整備をすすめた。
そして、そのまま辺境へ居座ったのである。
彼の思いを代弁すれば「ここまで苦労して統一を成し遂げた辺境を、タダで皇帝に引き渡すなどばかばかしい」ということになるだろうか。確かに辺境星系の統一、整備は一国家を成立させるのと同じくらいの難事であったのだ。苦労して創り上げたものであるから、愛着もあったのであろう。
彼は共同皇帝として、自分に辺境を統治させるように兄皇帝に要求したが、皇帝アームは納得しない。結局、ロスアフィストは帝国歴109年に自ら皇帝を名乗り、ここにロスアフィスト王朝が誕生した。
ロスアフィスト王朝は当初、あくまでも銀河帝国内の分国を要求し、場合によってはアーム王朝への臣従も認めるというスタンスであった。しかし、帝国歴110年。アーム王朝の刺客によってロスアフィストが暗殺されると、一気に態度を硬化させる。
互いに刺客を送りあい、なんと皇帝が合わせて8人も暗殺されるという事態の末、ロスアフィスト王朝は完全独立を宣言。国境を一方的に制定して封鎖した。
ここから、両国による戦争の時代が始まったのである。
「戦争を終わらせる・・・、と?」
帝国太政大臣ケントス・ルクスはそう唸ったきり顔をしかめて無言になった。
彼の執務室である。俺はそこを訪れて、ルクス太政大臣に「戦争を終わらせなければならない」と叫んだのだった。
「そうです。このアーム王朝との戦争は不毛です。この戦争以前、拡大を続けていた帝国の領域は、戦争が始まってから100年もの間、少しも広がっていないではありませんか。この戦争が両国の、いえ、人類の発展エネルギーを無駄に消費していることは疑いありません」
「この戦争が不毛であることは、確かに卿の言う通りであろう。しかし、この戦争を終わらせるなど、簡単にはいかぬ。なにしろ私が生まれる前から続いておるのだから」
「終わらぬ戦争など有りません!人類史上、永遠に続いた平和はありませんが、終わらなかった戦争もまた有りません。この戦争も必ず終わらせることが出来ます」
ルクス太政大臣は熱っぽく語る俺のことをやや呆れ気味に見ていた。
「卿は軍人であろう?軍人が戦いを否定するのは矛盾ではないかね」
「私は戦いそのものは否定いたしません。しかし、この戦争はあまりにも続きすぎました。今や戦いのための戦争に堕していると思えます」
ふむ、ルクス太政大臣はやや興味を持ったようだった。
「では、軍人としての卿に聞こう。戦争を終わらせるとして、どうやって終わらせる?それが説明できなければ、巷に溢れる反戦論と同じ。何の役にもたたん」
俺は頷いた。もちろん、その質問を当然予期していたからである。
「これをご覧下さい」
俺は携帯用3Dスクリーンを起動させ、銀河星系図を映し出した。
キーを操作し、国境地帯を拡大する。そして一つの星系をしめした。
「ここが、アーム王朝軍最大の前進基地、イクラシオン星系です」
国境地帯からアーム王朝に入ること数十光年。ロスアフィスト王朝国境守備の要であるアリスト星系に繋がる航路の先に、その星系はある。
イクラシオン星系。又の名をイクラシオン要塞という。
イクラシオンはもともと、惑星を有さない恒星であった。アーム王朝はそこに、人類史上最大の宇宙軍事基地を建設したのであった。
直径数万キロという途方もない大きさの人工惑星。これを七つも建造、星系に配置したのである。それぞれが巨大な兵器工廠であり、港湾施設であり、兵舎でもある。ちなみに、ゴラ星系にある要塞もほとんど同じものだが、あれは一個だけだ。七つの要塞の能力を合計すると、80万隻の艦船と数億人の兵員を一度に収容することが可能である。
これらの人工惑星が「要塞」と呼ばれるのは、人工惑星それ自体が絶大な攻撃力を有しているからである。要塞主砲の威力は戦艦主砲の300倍だと言われている。しかも、イクラシオンの各要塞は、互いに補い合うように配置されているのだ。
アーム王朝軍をして「イクラシオンは難攻不落なり」と豪語させるのも無理はない威容。3Dグラフィックを見ていたルクス太政大臣は思わず溜息をついた。ロスアフィスト王朝は過去、三度イクラシオン攻略を試み、三度失敗しているのだ。
「イクラシオンがどうかしたのかね」
「ここを陥落させれば、戦争は終わらせられます」
ルクス太政大臣は目を瞬かせた。
「どういうことかね」
「アーム王朝は、イクラシオンに軍事的拠点を集約しています。つまり、ここを陥せば、アーム王朝は継戦能力を喪失します。その段階で講和を持ちかければ、アーム王朝は飲まざるを得ますまい」
ルクス太政大臣は苦笑したようだった。
「それはそうかもしれんが、それは絵に描いた餅というものだ。まず前提として「あの」イクラシオンを陥落させなければ何も始まらないのだからな。あのイクラシオンを陥落させるなど、そう簡単にはいくまい」
俺は唇を舐めた。
「私になら、出来ます」
大言壮語というべきだった。ルクス太政大臣もそう考えたのだろう。顔を厳しい形に歪めた。
「むろん、簡単にとは申しません。聞いていただけますか?」
ルクス太政大臣は眉間に深いしわを浮かべながら長い間沈黙していたが、やがて僅かに頷いた。
・・・俺の話が終わると、ルクス太政大臣はデスクに肘を付いて顔を俯けた。俺に表情を見せないためであったろう。
「・・・なるほど。卿の策は分かった。確かに成功すればイクラシオンを掌中にすることが出来るやも知れぬ・・・」
言葉とは裏腹に、ルクス太政大臣の口調はやや重かった。
「しかし、それが戦争の終わりとなるかどうかは分からぬがな・・・」
ルクス太政大臣が何を言いたいのかは良く分かった。イクラシオン陥落は確かに両国の軍事バランスを崩す一大事とはなろう。しかし、それが戦争の終結に繋がるかどうかは微妙だった。勝ったロスアフィスト王朝は勢い付き、アーム王朝を完全覆滅するまで戦おうと叫ぶかもしれない。アーム王朝の方はイクラシオン奪還のために更なる軍備増強を始めるかもしれない。
「だからこそ、私は閣下にこの策を明かしたのです。この策は、巧妙な講和外交と結びついてこそ、初めて戦争終結に繋がるのです。それが出来るのは、閣下しかいません」
ふ~む。ルクス太政大臣は俺のほうを見ず、長い溜息をついた。
「私はな、ランドー提督。この帝国の宰相として、もう三十年もこの戦争に関わってきた」
彼はやや遠くを見るような目をしていた。
「だから、この戦の悲惨さ、不毛さは誰よりも理解しているつもりだ。そして、その根の深さもな・・・」
そこで彼は初めて俺の方を見、言った。
「故に、卿の話は聞かなかったことにしよう」
「何故ですか!」
ルクス太政大臣は嘘をついた。
「卿の話が信用できないからだ」
嘘であった。それが明らかであっただけに、俺はルクス太政大臣の真意を測りかねた。
結局、俺はルクス太政大臣から外交面での援助の確約を得ることが出来ないまま、彼の執務室を後にせざるを得なかった。俺は当てが外れて、失望した。
俺とルクス太政大臣は、この時まで強い信頼関係にあった。しかし、この瞬間から、次第に対立を深めて行く事になる。
「提督!そこはステップが違いますわ!もっとこう!」
俺は言われた通り、小刻みにステップを踏んだ。
「そう、そこでこう!」
黙々と俺は足を運び、身体を舞わす。女性の身体を引き寄せ、可能な限り優雅に見えるように踊る。ただし、本人の気分は優雅とは言い難い。必死だ。
「大分、ましになりましたわね。ダンスは」
曲が終わると、女性はそう評価してくれた。コロー・ホリデー中将である。
「一休みしたら、テーブルマナーの復習を致しましょう」
「ま、またあれをやるのか?」
「当然です。いいですか提督?お作法というのは徹底的な反復によって自然に行えるようになってこそ、初めて身に付いたと言えるのです。付け焼刃ではいけません」
そうか・・・。俺はうんざりしながらも頷いた。
つまりは、俺はホリデー中将にいろいろな上流階級的作法を教わっているのである。社交ダンスを初めとして、テーブルマナー、着こなし、歩き方、話し方、色々・・・。ホリデー中将は貴族出身である。当然それらの作法に精通していたのだ。
エトナは自分で教えたがったのだが、流石に年下の女性にマナーのABCを教えてもらうのは俺の小さなプライドが許さなかった。ホリデー中将なら二つ年上である。
もっとも、このコーチは非常に厳しく、そして容赦が無かった。俺は人選を少なからず後悔したが、おかげでダンスなどはほんの短期間でかなり上達したと自分でも思える。
ここはホリデー中将の家だ。初めて尋ねた俺がびっくりしたほど広壮なお屋敷である。当たり前の様にダンスホールもあるのだった。
ホリデー中将はダンスホールの隅に置かれた椅子に腰掛けた。空色のドレスを着ている。赤茶色の髪はいつもよりも更に複雑な形に結い上げられ、珊瑚で出来た髪飾りが輝いていた。軽く汗を拭いながら吐息をつく。
「わたくしもダンスは久しぶりですの。軍に入ってからはあまりそういう場所には行っておりませんから」
そういえば。俺はこの屋敷を見てから疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「中将は、なぜ軍に入ったんだ?こんな屋敷に暮らしていたお嬢様が」
ホリデー中将は、俺がたじろぐほど強い視線を向けた。
「無作法ですわ。女に過去を尋ねるなど」
「す、済まない」
彼女はしばらく俺のことを睨みつけていたが、やがて視線をそらして言った。
「我がホリデー家の爵位、なんだとお思いです?」
「?」
「伯爵ですわ」
・・・そりゃすごい。ということは、ホリデー中将は伯爵令嬢なのか。
「そうです。わたくしは幼少の頃より、自分が伯爵令嬢であることを常に意識するように育てられました。家名を汚さぬように、気高く生きよと」
そこでホリデー中将は、ふん、と吐き捨てるように笑った。
「お笑いですわ。伯爵とはいえ、お爺様の代に事業に失敗。資産という資産は借金のかたに取られ、残ったのは屋敷のみ。それも、使用人も雇えないために荒れ放題。わたくしは天蓋に取り付いた蜘蛛の巣を見ながら寝たものです」
ホリデー中将の横顔は怒りを隠そうともしていなかった。
「父も、母も、伯爵だというプライドばかり高く、現状を嘆くばかり。そして娘には分不相応な夢を押し付ける」
そこで彼女は俺の方へ向き直った。
「わたくしは誓ったのです。自分は爵位などというものに頼らないで生きようと!自分の才覚だけで出世してやろうと!だから家を飛び出して、士官学校に入ったのです!」
ブラウンの瞳から恐ろしく強い視線が迸っていた。俺と彼女はしばらくそうしてにらみ合う様に見詰めあった。
「提督のおかげで将官になり、給金で屋敷を整備し、使用人も雇いました。今、この屋敷は名実共にわたくしのものです」
ホリデー中将は目を閉じ、壁に背中を預けた。
「その屋敷で、提督にダンスをコーチするなんて思っても見ませんでした・・・。運命というのは分からないものですわね」
柔らかく微笑む。彼女はこの年31歳である。
「それにしても、いったいどういう風の吹き回しですの?提督は社交界を毛嫌いしていらっしゃるものだと思っていましたのに」
今だって嫌いだ。あんな香水くさい、気取った場所には行きたくも無い。
しかし、そうも言ってはいられないのだ。
「元老院は貴族の集まりだ。だから、議場だけが元老院ではないということだ」
つまり、元老院で何かを行おうとした場合、議場外で、つまりは社交界での根回しが重要な要素になってくるということなのである。嫌いだから、などと言って社交界に顔も見せなければ、元老院で何か自分の考えを実現するなどということは到底不可能なのだ。そのために俺は、ホリデー中将のスパルタ特訓に耐えてまで社交界のマナーを身に着けようとしているのだった。マナーも知らずに行けば侮られて相手にもされないことは、以前の経験で分かっている。
「元老院で、何か?」
ホリデー中将は美しい眉を潜めた。
少ししゃべり過ぎた。まだ、ホリデー中将はそこまで知らなくてもいい。そう言うと、ホリデー中将は頬を膨らませた。
「なんですかそれは!気になるではありませんか!」
彼女は俺の腕を抱きかかえた。彼女の汗の香りが香水と混じって鼻腔を刺激する。身体を摺り寄せながら艶っぽく微笑みつつ。
「ねぇ、おっしゃって下さい。大丈夫。誰にも言いません。わたくしと提督だけの秘密に致しましょう?」
こら、唇を近寄せるな。ホリデー中将は俺の首に手を蛇のように絡みつかせつつ更に接近する。まずい、言うまでも無くここは今、俺とホリデー中将の二人きりしかいない。
「ふふふ、ねぇ、どうなんです・・・」
彼女は俺の耳を噛む寸前まで接近し・・・、ふっと息を吹き掛けて、翻す様に身を引いた。
「さぁ、テーブルマナーの復習を致しましょうか!」
俺は冷や汗を拭いながら大きな溜息を吐いた。
ロスアフィスト王朝は当初、アーム王朝に対して非常に劣勢な立場だった。辺境の一王国に過ぎなかったのである。それが中興の祖、16代皇帝ハネマムの時代に、一気に領域を拡大し、銀河を二分する存在となったのだ。いまや人口比で言えばロスアフィスト王朝の方が上を行っている。
危機感を抱いたアーム王朝はその頃から軍備増強を推し進め、軍部の勢力が拡大すると共に軍国主義的な色が濃くなっていった。逆にロスアフィスト王朝はアーム王朝の中でもリベラルな部分を取り込んだことによって、民主的な部分が増えている。
民主政治が滅んで数百年が経つ。民主政治というのは、小さな国家を気長に運営するのであれば大変結構な政治スタイルだが、幾多の星系に跨る大帝国を統治するには、効率の観点から不向きな政治体制なのであった。
もっとも、民意を反映し難く、皇帝の資質に左右され易いという帝政の問題点は無視出来ない。それを補うために様々なアレンジを施したものが、ロスアフィスト王朝的な政治体制であり、皇帝の権力は必然的にアーム王朝のそれより弱くなる。
これはつまりどういうことかというと、民意を反映し易く皇帝の資質に政治が左右され難くなったということなのだが、反面、効率的な政治という側面で問題を抱えることにもなったということであった。これは、戦争という国家の非常時にはかなり大きなマイナス点となる。
ここが元銀河帝国かアーム王朝であれば、皇帝エトナの側近中の側近である俺は、それだけで絶大な権力を有することが出来た筈である。元銀河帝国時代、皇帝の愛妾であるという理由だけで国政を壟断した悪女が存在したほどだ。しかし、そもそも皇帝の権力が制限されているロスアフィスト王朝では、単に皇帝が目を掛けたという理由だけでは権力者にはなれない。
しかも今のアーム王朝皇帝が16代皇帝であるのに対して、エトナが21代皇帝であることが示す通ように、皇帝の暗殺が頻繁に起こるほど、ロスアフィスト王朝では貴族の力が強い。皇帝の権力が制限されていることの副作用である。つまり、皇帝と貴族(つまり元老院)が対立してしまい易いということなのだ。
エトナと太政大臣ケントス・ルクスが和解してから、エトナと元老院の間は良好な状態に復していた。これは戦争遂行上大変望ましいことであり、先のアーム王朝の大侵攻を防ぐことが出来たのも、軍の動きを元老院が素早くフォローしてくれたからであると言える。
軍人が往々にして忘れがちな事でもあるのだが、戦争は軍だけでは出来ないのである。戦争は政治の一形態でも有るからだ。優れた軍事指導者は政治家でも無ければならない。俺はつまり、単なる戦争屋から政治家への脱皮を図ったのである。幸い、俺は既に元老院議員であった。
政治家・・・。俺は正直言って、自分に政治家としての能力があるとは思っていなかった。しかしながら、そうも言ってはいられない。高級軍人はすべからく政治家であるべきであり、俺も大将となったからには政治家であらねばならない。しかも、俺にはその他の事情というものもある。
兎に角、政治家になるには勉強が必要である。法律に関するものはもちろん、ロスアフィスト王朝の国情や歴史なども知らなければ話にならない。俺は、これに関してもコーチを招いた。
「アケメネス星系における穀物生産量は、この数年変わらない。しかし、これは人口が増えないから。理由は、若年層が星系外に出てしまうから。理由は幾つか推定されるが、もっとも可能性が高いのはすぐ近くに工業星系であるコドル星系が存在するから」
と、まぁ、教科書を棒読みするかのようにデータを暗証してくれるのは、無愛想、無表情を絵に描いたようなリンド・オフト准将である。正直、聞いていると眠くなる。しかしながら、元老院での議事進行も眠くなることが多々ある。そのための訓練だと思って俺は耐えた。
俺にロスアフィスト王朝について教えてくれ、とオフト准将に言った時、彼女はポツリとつぶやいた。
「それは、オルカ大佐の役目だった」
それから、了解の意味であろう。俺の目に視線を向けながら頷いた。
確かに、オルカ大佐(彼女は戦死二階級特進で大佐になっていた)なら、エトナを感心させた教授力で俺を助けてくれたかもしれないな。俺は記憶力では劣らないのだろうが、解説力は皆無というようなオフト准将の授業を受けながら思った。
しかしながら、オフト准将は必要なことを最小限に絞って教えてくれた。この辺はむしろオルカ大佐には出来ない芸当であったろう。
リンド・オフト准将はこの時25歳。相変わらずブラウンの髪はぼさぼさだ。彼女は将官になり、分艦隊を指揮する身になったわけであるが、相変わらずほとんどしゃべらない。しかし、必要な時には必要で、しかも鋭いことを言うので、部下にとっては仕え難い上官であるらしい。
彼女は、大変意外なことにエトナ、つまりロスアフィスト家の遠縁にあたる血筋らしい。そのため、爵位を有していた。しかしどんな位であるのかは黙して語らないので分からない。大尉の時に重大な手柄を立て、二階級特進している。どんな手柄だったのかも教えてくれないので分からないのだが。
しかしながら、休憩時間にポツリポツリと話してくれたことによると、士官学校に入ったのは自分の意思であったということである。二つ下のオルカ大佐とは士官学校時代からの友人であったらしく、自分を俺に紹介してくれたことに感謝しているとのこと。そして、表情から窺い知れる以上にオルカ大佐の死を惜しんでいるらしかった。
「・・・エルグレコは提督のことを愛していた」
一度、珍しくやや感情を表してオフト准将は俺に言ったことがある。
「提督はどうだった?」
俺は一瞬言葉に詰まったが、正直に言った。
「・・・俺は、愛していたことは一度も無い・・・。信頼はしていたが」
オフト准将は表情の無い灰色の瞳で、俺のことを長いこと見詰めていたが、やがて頷いて言った。
「つまらないことを言った。許されよ」
銀河帝国軍第九艦隊、通称「ランドー艦隊」は、先の戦いの損耗の補充も終わり、厳しい演習に明け暮れていた。ランドー艦隊の猛訓練は最近、軍内部でも噂に上る程であった。
「この間のような無様な戦いはごめんだからな」
エラン・ブロックン中将は鼻頭をこすった。この年28歳。彼女は帝国軍で最も若い中将であり帝国史上初めての、平民出の女性中将だった。
「中将は無茶苦茶をします。演習で艦を壊したのでは、艦政部に睨まれてしまいますよ。提督からも何とか言ってください」
サイドテールを揺らしながら抗議するのはマイツ・アキナ少将である。ランドー艦隊の演習はほとんどこの二人に委ねられていた。もう一人の副指令であるホリデー中将と補給統括ナルレイン・カンバー中将はほとんど地上にいて軍令部で仕事をしていたからだ。
つまりは最近、俺も演習はこの二人にお任せだったということである。
「いいんだ、アキナ少将。兎に角、早く錬度を上げなければならない。新兵が多いから。多少の無茶は許すよ」
もっとも、ブロックン中将は部下思いだから、部下をしごきこそすれ、無用に虐げることはしないと分かっているからこんな事も言えるのだ。行き過ぎるようならアキナ少将が止めてくれるだろうという計算もある。
宇宙艦隊というのは巨大な組織だ。戦艦一艦あたり一千人を超す人間が乗っているのである。それが数千隻。これが一糸乱れず、有機的に動いてくれなければ作戦行動は行えない。そのためには兵士一人一人が艦の操作に練達し、しかも指揮官の指示に瞬時に忠実に反応出来るように訓練をしておかなければならない。これが完全なレベルに達して初めて、戦術を発揮する基礎的条件が整うのである。
故に、演習によって兵士や士官を鍛えるのも将官の立派な責務である。我が艦隊はこの点でブロックン中将という適任者に恵まれていた。彼女は厳しいことは厳しいのだが、それ以上に人材を見抜く目に優れ、更に人を「のせる」のが上手いのである。人材を発掘し才能を開花させることにかけて、ロスアフィスト王朝において彼女の右に出るものはいないだろう。おかげで俺は、その方面については安心して彼女に丸投げすることが出来たのである。
アキナ少将をブロックン中将の下につけたのは、彼女がブロックン中将の下で中将の人材操作術を学べるようにと配慮したからであった。アキナ少将は参謀畑出身で、部下の心理面を操作するという、ブロックン中将が長けている面が弱かったからである。
「それにしても提督、近くに何か作戦でもあるのかい?ずいぶん急いでいるみたいじゃねぇか」
最近、ブロックン中将は俺を「親分」と呼ばなくなった。彼女が俺をそう呼ぶようになったのは、オルカ大佐の真似であったから、オルカ大佐の死に際してなにか思うところがあったのかもしれない。
「急いではいないが、我が艦隊が帝国艦隊の中核になれるようにしておきたいんだ。我が艦隊が帝国軍全体を引っ張って行けるくらいになって欲しい」
アキナ少将は大きな青い目を更に大きくして驚いた。
「それって、近衛艦隊の上を行けってことですかぁ?」
「そんなもんじゃない。我が艦隊を相手にしたら他の艦隊が束になっても敵わない、と思えるくらいになりたい」
「おいおい、クーデターでも起こす気かよ」
ブロックン中将は冗談めかして笑ったが、俺は真顔で言った。
「逆だ。俺に反対する勢力が、クーデターなど起こす気も無くなる様にしたい」
ブロックン中将とアキナ少将の表情が瞬時に引き締まる。彼女たちは聡い。俺が言った事から、言わなかったことまでを読み取ってくれたのだ。
彼女たちは既に、俺が以前と考え方を変えたことに気がついている。俺が何かを始めようとしていることも、敏感に察知している。そしてそれを洞察しながら、そういう俺を助けようとしてくれているのである。俺と彼女たちは既にそういう信頼関係を築き上げてきたのだった。それにしても良い部下に恵まれたものだ。彼女たちを発掘、紹介してくれたオルカ大佐に、俺は今更ながら感謝せざるを得ない。
「頼むよ。二人とも」
二人は無言で敬礼を返した。
つまりは、俺はロスアフィスト王朝の中で、本当の意味での実力者になろうと決めたわけであった。今までは?なんか漠然と、うまくやれれば良いと思っていたのだ。行き当たりばったりで。
地位は、既にある。なにせ、大将で艦隊指令で帝国騎士で元老院議員である。その気があれば既に帝国政軍界に一勢力築けるだけの地位があるのだった。実際、ちょっと前から俺に取り入ろうとする軍人や政治家、貴族には事欠かなかったくらいだ。俺にその気が無かった訳は、自分には軍人以外の才は無いだろうと思っていたことと、メンドウクサイ、と思っていたからだ。
しかし、そうも言っていられない。それは・・・。
「アル!」
ソファーから立ち上がった彼女は、以前のように駆け寄っては来ず、静かに歩み出て両手を広げた。
「アル!!」
俺はゆっくりと彼女を抱擁する。彼女も俺の背中にそっと手を回す。
「アル・・・」
幸福そうな吐息。ああ、そういう彼女を抱きしめればもちろん俺も幸せなわけだが。
エトナは、あの日以来すっかり落ち着いた大人の女性に脱皮していた。いや、本当に女というのは化けるものなのだ。油断するとその色香にくらっと来る。いかんいかん。
「久しぶり、忙しいの?」
「まぁ、ね」
俺の胸に頬を当てたまま、エトナは眉を伏せた。
「仕方ない、よね・・・」
そんなさびしそうな顔をされるとたまらなくなる。俺は必死に理性を保ちつつ、彼女の髪を撫でた。
「すまないエトナ」
「ううん、いいの。大丈夫よ」
健気なエトナ。
とまぁ、なんというか、俺とエトナはこんな感じの関係になったわけである。この部屋にもエトナに仕える侍女などが控えており、隣には侍従や護衛武官も控えている。多分彼らを通じて、この頃には俺とエトナの関係は、あっという間に首都レオン中に知れ渡っていた。今や国民の常識という感じであるらしい。皇帝にプライバシーなど無いのである。
もっとも、俺もエトナもそんなことにはまったくお構い無しであった。恋人同士というのは往々にして自分たち以外の人間がこの世に存在していることを忘れてしまう。いわゆるバカップル状態。俺とエトナが正にそれであった。侍女たちが頬を赤らめているのにも気がつかず、ひしと抱き合っているわけだから。
ただし、エトナはやはりエトナであるから、油断していると大変なことになる。
「ねぇ・・・」
ん?俺に抱きついたままエトナが呟く。あれ?なんか、抱きついているというよりは、俺が逃げられないように拘束しているという感じがするな?
「・・・この間の舞踏会で、一緒に来ていた女、だれ?」
え・・・?
「あの、派手な女は誰!」
うわ、ちょっと待て!エトナは俺の胸を万力のように絞め始めた。彼女は意外に筋力がある。肋骨が軋む。
「ご、誤解だ、あれはホリデー中将だよ!」
「何度も一緒に踊ってたじゃない!仲良さそうに!この、浮気者~!」
く、苦しい・・・。まて、本当にそんなんじゃない。あれはホリデー中将がちゃんとした舞踏会でも俺のダンスやマナーがちゃんとコーチした通りに出来ているか採点に来ただけで、実際俺はあの後ダメ出しを喰らってみっちり補習を受けさせられたのだ。・・・って、エトナ、聞いてる?
「なによ!なによ!なによ!あたしのところには寄り付きもしないで!アルの馬鹿!」
いや、だってあの時はエトナは踊りに出てこなかったし、他の偉い連中に囲まれて忙しそうだったし・・・。や、やめろ・・・。
「わ、分かった。次の時にはちゃんと君をエスコートするから・・・」
いきなり胸の圧迫が無くなる。俺は尻餅をついた。
「本当!ほんとね!」
黒い瞳を真円にしてエトナが爆発的な笑顔を見せている。彼女は俺の頬をガシッと押さえた。
「約束よ!破ったら死刑よ、死刑!」
「分かってるよ」
「アル!」
エトナは俺の頭を胸にかき抱いた。
「嫉妬深い女は情も深い。良いことではありませんか」
人事だと思ってカンバー中将(彼女は少し前に昇進した)はそう論評した。帝国軍宇宙艦隊軍令部ビルの俺の執務室である。ナルレイン・カンバー中将はこのところ、軍令部での俺の仕事をほとんど代行してくれていたのだった。
彼女は軍に入って以来、補給、輸送を専門にやってきた。曰く「『撃て!』ってのをやったことが無いんです」とのことだった。輜重を軽視する者は、戦争には絶対に勝てない。中将は我が艦隊の物資や艦船、弾薬などの調達を一手に引き受け、これまで俺に不満を抱かせたことが一度も無かった。正規のルートはもちろん、裏ルートにも明るく、硬軟自在の交渉力を持っているという評判である。
「そうかもしれないけどね、今ここで、中将と話をしていることも、エトナの耳に入ればどうなることやら」
「あら、光栄ですわね」
ほ、ほ、ほ、と笑う。長い銀髪に隠れるような怜悧な美貌。これが酒を飲むとお笑いキャラになってしまうのだから、人間というのは分からない。
「それにしても提督、政治家になろうというのなら必要なものがありますわ」
「なんだ?」
「金ですわ」
カンバー中将はズバリ言った。
「まさか提督、政治家は清貧を旨とすべしなどという戯言を信奉してはおりますまいね?」
・・・いや、そんなことは無いが・・・。
「政治には金が必要です。根回しを必要としない政治などありません。その時に何がモノを言うとお思いです?金です。実弾」
・・・確かにな。俺は溜息を吐いた。
俺は、既に元老院に真面目に顔を出し、社交界にちょろちょろと現われ始めていた。しかし、いまいち相手にされていない雰囲気も感じ取っていた。
それは多分、俺が徒手空拳に近いからだ。
「当たり前です。人は、自分に利益を与えない者には目もくれません。分かりやすい利益、つまり金も持っていない者の言うことなど誰も信じません」
否定したいが、出来ない、カンバー中将の言葉。
「ましてや、たかが帝国騎士。しかも、ボロくさい官舎なんかに住んでいる提督など、大貴族が信用出来ないのは無理も有りません」
容赦無い言葉であるが、事実であろう。俺は苦笑した。
しかし、一朝一夕に金が手に入るのなら、まるで苦労は無いわけである。
「どうしたものかな、カンバー中将」
カンバー中将は顔を上げて、俺の顔を直視した。真剣な表情。俺も思わず居住まいを正した。
「提督にその気があるなら、良いお話があります」
・・・なんだ。
「ワックウェイ伯爵という方がいらっしゃいます。奥様にも先立たれ、子供もいません」
それがどうした?
「この方の養子になられてはいかがです?」
俺は唖然とした。
「どういうことだ?」
「跡継ぎがいらっしゃらないのですよ、ワックウェイ伯爵には。このままでは、爵位は皇帝預かり。資産は国庫に収まります。提督が養子になれば、爵位と資産はそのまま提督の物になります。美味い話だと思いませんか?」
「おいおい、そりゃそうだが、そのワックウェイ伯爵が俺を養子にしてくれなければそうはならないんだろう?そう上手くいくのか?」
「大丈夫です」
カンバー中将は自信たっぷりに請け負った。
「その伯爵は、半ばボケていらっしゃるのですよ。今なら言いくるめるのは簡単です」
・・・ボケ老人を騙せというのか?嫌悪感が出てしまったのだろう、声が低くなった。カンバー中将は俺を見たまま肩をすくめた。
「人聞きは悪いですね。でも、このままではワックウェイ伯爵家は断絶です。正気の状態でも、伯爵は養子を探したと思います」
俺は流石に躊躇した。
そこまでしなければならないのか、と思う。
「提督?」
カンバー中将はふぅ、とわざとらしい溜息を吐いてみせた。
「綺麗ごとだけで政治家が務まるとお思いなさいますな?結果的にワックウェイ家が断絶の危機から救われ、提督も伯爵の地位と莫大な資産が労せず手に入るのなら良いではありませんか。提督がOKを出してくだされば、一週間以内に話を纏めて差し上げます」
カンバー中将は俺を真っ直ぐに見たままだった。銀髪の隙間から、俺の一挙一動を見逃すまいとする、金色に近い色合いの鋭い視線が飛んでいた。
俺は長いこと逡巡した後に、言った。
「いや、やめよう。そういうのは、俺の柄じゃない」
その瞬間、カンバー中将はふわっと微笑み、それを隠すように大げさに上を向いて慨嘆した。
「ああ、なんてお人良しの提督なのかしら。そんなんでこの先政治家としてやっていけるのでしょうかね!」
しかしながら、先立つものが必要だという俺の事情が変わった訳でもない。カンバー中将が「次善の策ですが」と言って教えてくれた資金調達法を、俺は採用することにした。
それは、金を借りることである。
「借金をすれば良いのです。ど~んと借りてしまいなさい」
「・・・借りたら、返さなければならないだろうが」
カンバー中将は顔の前で指を振った。
「世の中には、返さなくても良い借金というものがあるのですよ、提督」
そんなもんがあるのか?
「貸した金よりも多くの利益を生む、と思えば、元金が返ってこないことなど気にしないのが商人というものです」
?なんだ?
「名誉だと思いなさい、提督。誰にでも出来る借金ではありませんよ」
つまり、カンバー中将の言い分はこうである。
俺は今現在、金が無い。しかしながら同時に俺は、将来的に帝国の重鎮になれる可能性を非常に多く持った存在である。なにしろ、大将で元老院議員でしかも皇帝の愛人なのだ。これは、投資しがいの有る人材だと言い換えることが出来るだろう。
その俺が、大商人に借金を申し込めばどうなるか?大商人は、俺に恩を売れる絶好の機会だと考えるだろう。喜んで、いくらでも好きなだけ貸してくれるに違いない。
要するに、投資だ。俺は鷹揚に頷いて「私が皇帝の夫となった暁には、そなたに便宜を図ることを約束しよう」とでも言えば良い。相手は将来的にも金を返せなどとは一言も言わないだろう。
もちろん、俺はその商人に便宜を図る必要があるわけだが、それは別に義務でもなんでもない。約束を破っても、最悪元金を返せばことが済む。
「更に言えば、提督が金を借りているうちは、その商人は提督を支援し続けるしかありません。つまり、運命共同体に引き込むことが出来ます」
借金の額が、踏み倒されては困る額に達すれば、今度はその商人は、俺が最終的な勝利を掴むまで支援し続けなければならなくなるということだ。商人は本能的に損をすることを恐れる。俺が破滅すれば大損する立場に追い込んでやれば、彼らは俺を裏切ることが出来なくなるのだ。
なるほど。俺は納得し、早速金策に動くことにした。
驚くほど話は簡単だった。カンバー中将がリストアップした企業に足を運んだだけで、俺が借金を申し込むまでも無く、向こうの方から資金援助をどんどん申し込んできたのである。証文や念書など初めから要求されなかった。終いにはどこからいくら借りたかなど分からなくなったくらいである。
なるほど。世の中のお偉い連中がすべからく金持ちであるわけだ。俺は皮肉な思いで理解した。
しかし、一人だけ毛色の変わった商人がいた。アラーモ・ドグフーという貿易会社の創業社長である。年の頃は50くらいの、女性であった。ただし、何故か男物の白いスーツに身を包んでおり、一見男性にも見える。
彼女は俺に席を勧めることも無く、自分だけソファーにふんぞり返りながらこう言い放った。
「あんたみたいなウマの骨に投資して、何か家の会社に良いことがあるのかい?」
無礼ではあったが、どこかわざとらしい無礼さ加減であった。つまりは俺を試していることが明白だ。俺は苦笑をこらえながら言った。
「愚か者には見える見返りを。賢者には見えない幸福を」
ドグフー社長は仰け反って大笑した。
「そりゃ、おもしろいねぇ。どっちが得なんだい?」
「あなた次第だな社長」
俺の言葉に、ドグフー社長は身体を起こし、低い声で言った。
「いくら欲しい」
俺は、できるだけさりげなく言った。
「一兆ソルト」
流石のドグフー社長が唖然とし、自分が唖然としたという事実に彼女は狼狽し、最後には照れ笑いを浮かべた。
「なんだい、驚いたよ。冗談もほどほどに・・・」
「冗談ではない」
俺は彼女を睥睨しながら言った。
「出すのか、出せないのか」
つまり、俺は当座の資金だけではなく、将来的にも俺が目的を果たすまでおそらく恒常的に必要になる資金のパトロンになれ、と彼女に言ったのだった。一兆ソルトといえば、流石のドグフー社の年商の、数十倍である。
ドグフー社長は考え込むような姿勢で、その実右手で表情を隠しながら俺のことを観察していた。俺は彼女を尊大に見下ろして顔を逸らさなかった。やがて、勝負はついた。
「出そうじゃないか。面白い。投資は勝負だからね」
もみ手をして向こうから近付いてくるような連中は、信用ならないというか、信頼したくない。ドグフー社長のようなタイプは一度味方をすると決めた以上、滅多な事では裏切るまいと考えたのだ。実際彼女はこの後、俺に無条件に援助を行い続け、俺にとって数少ない財界での心強い味方になったのである。
そんな訳で、俺は手に入れた資金を元に「ランドー家貴族化計画」を実行に移した。つまり、貴族っぽい邸宅を買い、召使を数人雇い入れ、頻繁に晩餐会や舞踏会を開くようにしたのである。
・・・いや、言わないでくれ。俺だって好きでやっているわけではないのだ。俺は軍人であり、軍人というのは余程の変わり者でなければ質実剛健を旨とするもので、つまり、貴族的なきらきらしたものを本能的に嫌う。俺も嫌いだ。
その俺がちゃらちゃらした格好をし、晩餐会で気取った仕草で乾杯をし、舞踏会ではご婦人方をエスコートして踊り・・・。まったく面目ない。そもそも俺は軍人の常として早寝早起きで、夜更かしを強いられるのはそれだけでかなり辛いことであった。
しかしながら、そういう俺の評価は社交界では急上昇したようなのであった。社交界というのははっきり言って狭い世界である。そういうところは往々にして排他的であり、毛色の変わった者を受け入れない反面、溶け込もうと努力する者はむしろ積極的に取り込もうとするものなのである。俺の努力は認められたというわけだ。
ましてや、俺の邸宅にはかなり頻繁に皇帝陛下が御行幸あそばした。俺は止めたのであるが、エトナは聞く耳を持たない。飲みすぎて(というより意図的に飲んで)帰れなくなった時などは泊まって行く事もあった。こうなれば俺とエトナが恋仲であることはあからさまに明らかであり、社交界の貴族としては俺のことを軽くは扱えなくなる。
こうなれば、貴族たち、特に野心のある貴族政治家が俺に接近してくるのは当然の帰結と言うべきであった。俺はその中で、政治的後ろ盾の少ない、若い連中と積極的に交流することとした。既存の派閥を持っている貴族と接近しても俺の考えは実行に移せない。新たな、俺を中心とした派閥を作り、それを拡大することが必要だったのだ。
貴族、というと軟弱で惰弱でひ弱なお坊ちゃま集団だ、などと平民はひがみ根性丸出しで考えがちなものである。もちろん、そういう連中もいることは確かなのだろうが、そういうステレオタイプで物事を括ってしまっては物事を誤り易くなる。貴族の若者も俺の眼から見て色々おり、ほとんどの連中は普通であった。むろん、育ちの良さが身体からにじみ出ていることは否定できない。
ホーネスト・ウェラン男爵は39歳。非常な長身の男性で、高い鼻と薄い水色の瞳が印象的だ。代々元老院議員という家系に生まれたにしては考え方がフランクである。俺と最初に意気投合した貴族がこの男であった。
「ランドーは女としか手を組まないのかと思っていたよ」
と豪快に笑う。俺は彼のつながりで元老院の中の、若手議員の集まりに加わり、やがてそこの中心人物になり果せる事になる。
このころの元老院の状況は微妙であった。
元老院というのは、要するに帝国の国会である。立法府であり理論上は皇帝の権力(行政権)と同格の権力を有していた。そこを30年にも渡って掌握してきたのが、太政大臣ケントス・ルクスである。
彼がそれほどながきに渡って権力を独占し得たのは、彼が広大な私領を有する貴族(公爵)であり、そもそもロスアフィスト王朝で大権力を代々持っていた家系であったこともあるが、彼が貴族間の利害関係を調節することに長けていたという事情もある。彼は調整型の政治家で、新しい政策を生み出して強力に実行して行くというタイプではなかった。故に反感も買い難く、強力な反対勢力も生まれなかったのだ。反面、元老院、貴族界内部の強い意見に逆らえず、ドルトン帝を暗殺してしまうようなことが起こるわけだ。
しかし、この頃になるとルクス太政大臣の権力にも流石に陰りが見えていた。理由は彼の高齢である。特に、若手元老院議員の間に、太政大臣との乖離が見られるようになっていたのだ。俺は結果的にだがこれを利用することになる。なぜ結果的なのかというと、この時はまだ、俺と太政大臣は決定的な対立に至っていなかったからだ。むしろ俺はルクス太政大臣寄りの立場にあると見られていた。
しかし、俺が元老院に独自の派閥を持つに至れば、結局彼と対立せざるを得ないだろうとも理解していた。
俺が政治家になろうと試みたのは、ルクス太政大臣が俺の戦略思想に賛成してくれなかったからである。「戦争を終わらせる」という究極の戦略目標の達成には、軍事行動だけではなく、積極的で巧妙な外交交渉が不可欠だ。そして、この頃の俺が気付き始めたことであるのだが、国論の統一もまた不可欠なのであった。
戦争は、一面では経済活動でもある。戦争状態は人命と資源の浪費である反面、莫大な消費を喚起し経済活動を活性化するという側面があるのだった。特に戦争が長期化した場合、それは国家経済に大きく組み入れられてしまう。軍需産業が国家経済の屋台骨を支えるような事態になれば、戦争の終結が経済の崩壊を呼び込むことにもなってしまうのだった。
実際、俺が社交界で講和論を説き始めると、俺の周囲に温度差が生じ始めた。
軍需産業寄りの連中が俺と距離を取り始めたのである。貴族というのは企業を経営していたり、資金援助をしている、あるいは受けている場合も多い。軍需産業を経営している貴族はもちろん、資金援助を受けている元老院議員にとって、戦争の終結は必ずしも慶事ではないのであった。
俺は、あらゆる側面からそういう連中を説得しようと試み、結局失敗した。利害関係というのは正義不正義とは関係が無いのだと痛感した。
どうすれば良いのか。俺は悩み、結論した。
説得する必要など無い。理解を得られない相手とは戦うまでである。反対する相手を力ずくで屈服させ、意見を飲ませる。それこそが戦争の根本であり、その面において銃火を交えなくてもそれは戦争なのであった。
そして、戦争ならば軍人である俺の領分だった。
俺は元老院で大論陣を張った。
「我が帝国はこのままでは継戦能力を失う。講和を考えるべきである!」
と叫んだのだ。
根拠はいろいろある。まず、人口増加の停滞である。若者が戦地に連れて行かれてしまうことにより、出産率が低下してしまったのだ。人口増加が停まってしまった国家は必ず衰退する。これを防ぐには、若者を戦地から社会生活に戻してやるしかない。
資源が軍需物資として最優先に回されてしまうことが、物価の上昇を招いていることも問題だ。これは経済面で無視できないデメリットだった。
物資や技術者が軍事に偏ってしまっていることでインフラストラクチャーの整備が遅れがちなことも、国家としては大問題である。特に辺境星系での航路の整備の遅れは無視出来ず、多くの有望な未開発惑星を開拓することが出来ないでいた。
俺はこれらのことを声高に主張し、反対派を「軍需産業の手先!」と決め付けた。
「軍需産業への利益を優先するが故に、国家への奉仕の心を忘れた者に元老院議員の資格無し!」
という理屈であった。これは極論であったが、国民の支持を受けやすい意見でもあったのだ。マスコミは好意的に俺の意見を取り上げた。戦争の長期化は、一般国民の間に厭戦気分を蔓延させるに至っていた。戦争が終わるかもしれないという希望を与えつつ、それに反対する者を悪と決め付ける。そういう勧善懲悪的な理屈は強い世論を呼び出し易いのである。
目論見通り、世論の大勢は俺に味方し始めた。貴族の集団である元老院とはいえ世論を無視しては存在し得ない。世論を無視し続ければ元老院への不満が高まり、それは容易に貴族への敵視につながりかねないからだ。貴族階級は少数派なのである。
同時に、ウェラン男爵の同志である元老院の若手議員集団が団結して俺の支持を公言。そして、それ以外の元老院議員の中にも、特に軍需産業との繋がりが薄い者たちの中から俺を支持する者も現われた。これに対して、反対派は世論を気にして強く意見を訴えることが出来なくなった。
元老院の中で俺を支持する者が多数派を占めれば、反対勢力には力が無くなる。そうすれば俺の考えを阻む者は無くなり、俺は安心して対アーム王朝との戦略に本腰を入れて取り組めるようになるはずだった。
しかし、ここで俺の前に最大の敵が現われる。
そう。太政大臣ケントス・ルクスである。彼がここに及んで俺への対決姿勢を鮮明にしてきたのだった。
太政大臣ケントス・ルクスの主張はこうだった。
「講和などと簡単に言うが、敵アーム王朝にその意思がなければ不可能である」
「こちらの方から講和を持ち掛けようものなら、足元を見られ、不利な条件を押し付けられることになるだろう」
「ランドー議員は亡命者である。彼は祖国に有利な講和を意図しているのではないか」
まったくもって説得力のある意見というべきであった。世論を気にして主張を控えていた潜在的講和反対派は雪崩をうってルクス太政大臣に同調するようになった。
俺は頭を抱えた。政界最大の実力者であり、帝国の大重鎮であるルクス太政大臣が敵に回ってしまったのである。この時点で元老院内部の勢力比は7:3で俺に不利であった。講和賛成派は動揺し、今にも崩壊寸前となる。
俺は懸命な立て直しを図った。講和賛成派の議員の元を一人一人訪れ、説得し、派閥の結束力の維持に務めた。この時点では反対勢力の説得よりも、こちらの陣営を固めることの方が重要だったのだ。ウェラン男爵ともどもの必死の説得と、いわゆる実弾、幾分かの脅迫が功を奏した。
そして反撃に出る。前もって調査させておいた、講和反対派の議員が軍需産業と癒着していることの証拠をマスコミにリーク。これを大々的に宣伝し、元老院でも議題に上げ、追求する。
案の定世論は沸騰した。この場合、それが本当であったかどうかはあまり問題ではなかった。世論が「ああやっぱり」と思ってくれれば十分なのである。軍需産業と元老院議員の癒着は、いかにも有りそうだ、という点において世論がもっとも受け入れやすかった。もっとも、この場合、癒着は完全な事実であったのだが。
「講和に反対する議員は軍需産業から献金を受けている者ばかりではないか。自分たちの利益のために、人命を弄んでいるだけだ!」
世論を背景に、数人の有力議員を追及する。こうなれば、彼らは自分の周りの火消しに必死で、講和反対の論陣を張るどころではない。俺はこの機を逃さず、反対派の議員を説得及び脅迫に掛かった。
この際、俺は控えめな良識と縁を切ることにした。講和反対派、というよりは、ルクス太政大臣派を寝返らせるためであれば、その貴族の前に札束を積むことも小刀を突き立てることも厭わなかった。
なりふり構ってはいられなかった。これは戦争なのである。
そこまでやってさえ、状況はまだまだ俺に不利だった。それほどにルクス太政大臣の権力と影響力は大きかったし、百年に渡る戦争によって国家経済をほぼ牛耳るに至っていた軍需産業の力も強かったのである。
それでも、元老院内部の勢力を五分にまで持っていけたのは、とにかく世論の後押しがあったからである。それだけ、国内の厭戦気分は強かったし、長引く戦争の弊害は国民生活を圧迫してもいたのだった。
事がここに及んで、遂に俺は最後の手段に訴えることにした。
そう。皇帝エトナの出番である。ここまで事態を傍観しているだけだったエトナ。実際は、爆発しかねないエトナを、俺が必死に止めていたのであるが。
縛めを説かれた彼女は、元老院で炎のような演説をぶった。
「戦争のために国民が有るのではなく、戦争といえど国民のために行われなければならない!
国民が戦争を望まぬのであれば、国家が戦争を止めなければならぬのは、当然のことではないか!
ましてや一部の者の私利私欲や、名誉欲のために無益な戦が行われるなど、あってはならぬ!
むろん、敗北の不名誉は予の望むところではない。負けて講和を求めるなど、無論許されぬ。
しかしながら、ありもせぬ完全勝利を夢想することは、結局国民に無制限の犠牲を強いることとなり、それは国家の自殺行為となるであろう。
名誉ある講和を求めることは、恥じるべきことではない!
勝利に等しき講和を!さぁ、諸君!100年の戦に決着をつけた者としての名声を共に分かち合おうではないか!」
エトナの演説は決定打となった。
エトナは国民に絶大な人気を誇っていた。その彼女が世論に同調したのであるから、その効果は爆発的であったのだ。元老院内部で流動的な立場を取っていた連中は遂に講和賛成派についたのである。元老院で、講和賛成派が多数派を占めたのであった。
ただし、このエトナの演説には副作用があった。
それは講和反対派を追い詰め過ぎてしまうということである。
エトナは皇帝である。つまり、ロスアフィスト王朝において、彼女の発言は絶対的なものであるのだ。その彼女が、はっきりと講和賛成派を支持する。即ち、講和反対派を否定する。つまり、講和反対派は皇帝に逆らう者と認定されてしまうわけである。
それでも元老院で講和反対派が優勢であったなら、一応は三権分立が成り立っているロスアフィスト王朝である。反逆者とまでは呼ばれないかもしれない。しかし、今や元老院でも劣勢になってしまった講和反対派は、皇帝に逆らう者というレッテルを貼られたことによって、更に立場が弱くなってしまうのだった。特に、軍需産業と強く癒着した貴族たちは追い詰められた。
俺が引き止めてまで、エトナの介入を遅らせたのはこのためであった。つまり、俺は意図的に講和反対派を追い詰めたのである。
その追い詰められた講和反対派を糾合したのが、太政大臣ケントス・ルクスであった。俺は意外の念を禁じえなかった。ルクス太政大臣は、そもそも大貴族であったので、軍需産業とそれほど強く結びついているわけではなかったのである。
彼ほどの政治家に、俺の考えが読めないはずが無かったのだが。
明けて帝国歴224年である。つまり、オルカ大佐の死から、元老院を掌握するまでに二年近く掛かったということだ。
この頃、俺はあることを待っていた。
既に元老院は講和賛成派で固められていた。ウェラン男爵を始めとした若手議員たちが積極的に動いてくれていたのだ。おかげで俺は、この頃には元老院工作から離れ、軍務に集中する事が出来るようになっていたのである。
国論を講和賛成に固めることは、俺の考えた講和を前提とした長期戦略の第一歩に過ぎない。まだまだ先は長い。そして、その国論の統一でさえ十分ではないのだ。それを完全にするためには・・・。
軍令部ビルの執務室で俺が物思いに耽っていると、ホリデー中将が書類を抱えて入ってきた。
「あら、提督?いらしていたんですの」
彼女は彼女が使っているデスクに書類を降ろすと、腕をだるそうに回した。
「いい加減、草臥れました。早く始めたいものです」
「そうもいかないよ。相手があることだからな」
俺は苦笑した。
「情報の整理や分析など、わたくしには向きませんわ。オフトやカンバーの仕事ですのに」
今、オフト准将とカンバー中将は首都レオンにはいない。俺の特命を受けて出張中なのだ。
「ツースム中佐たちも作戦案分析で一杯一杯だ。すまないが中将しかいないんだよ」
「まぁ、わたくしは今、暇ですしね」
ふん、とホリデー中将は口を尖らせ、書類をめくり始めた。
ブロックン中将とアキナ少将は演習中である。我が艦隊で今、もっとも暇なのは俺とホリデー中将だろう。ただし、これは唯の暇ではない。意味のある暇だ。
唐突に、ホリデー中将が口を開いた。顔は、書類に向けたままだ。
「提督は、なんで戦争を終わらせたいのです?」
俺はホリデー中将の方を見たが、彼女の姿はまるっきり書類の山の陰になって見えない。
「軍人にとって、戦争は本懐ではないのですか?」
「それは違う。ホリデー中将」
俺は天井を見上げつつ、独り言のように言った。
「軍というのは、結局戦争を遂行するための道具だ。その道具が、戦争を望むのは本末転倒と言うべきだろう?」
「優等生ですわね、提督」
相変わらず声だけでホリデー中将。
「結局、怖気づいたのではありませんか?目の前で大事な部下を亡くして」
「そうかもな」
ホリデー中将の挑発的な問いに俺は即答した。
「怖くなったのは、確かだ。俺はもう、自分にとって大事な人を、失いたくない」
ホリデー中将は返事をしなかった。
と、その時だった。俺のデスクの電話が鳴る。俺は緩慢な動きで受話器を取り、耳に当てた。
「・・・分かった」
俺は短く返事をすると、立ち上がった。
「始まるぞ、ホリデー中将」
ホリデー中将は書類に目を伏せたまま顔を上げなかった。
太政大臣ケントス・ルクス、講和反対派貴族を糾合し、私兵を集めつつあり。
その報は、ロスアフィスト王朝に大衝撃を与えた。
よりにもよって、帝国最大の実力者、太政大臣であるルクスが反乱を起こすというのである。彼は自領の護衛のために、帝国軍の一部を私兵化していた。その規模は、半個艦隊に匹敵する。それに加え彼に味方する貴族たちの私兵もいる。更に言えば、軍の一部がルクス太政大臣に同調する動きを見せてもいた。
急遽開かれた御前会議で、流石のエトナの顔色が蒼白になった。
「予の近衛艦隊が、ルクスについたというのか!」
近衛艦隊。つまり、ロスアフィスト王朝の第一艦隊ともいうべき精鋭が、ルクス方についたという報告があったのである。エトナが驚くのも無理は無い。近衛艦隊といえば、帝国艦隊の中でもエリート集団であり、もっとも皇帝への忠誠心厚き艦隊であると思われていたのだから。
しかし、俺はあまり驚かなかった。近衛艦隊はエリートの集団である。エリートというのは既存勢力の代表となり易い。この場合は、講和反対派、軍需産業の利益代表としての側面が強く出たのである。ルクス太政大臣との繋がりが強い将官も多かったのであろう。あと、新参者である俺が、元老院代表として軍中枢に圧力を掛け始めたことによる反感もあったかもしれない。
ルクス太政大臣軍、つまり、反乱軍の戦闘艦艇数は、近衛艦隊一万隻を加えて推定二万数千隻に達した。
エトナは、衝撃から立ち直ると、むしろ顔を赤くして怒った。
「許せん!もはや容赦はいらぬ!ランドー大将に命ずる!反乱軍を叩き潰せ!」
俺は、立ち上がり、無言で一礼した。
反乱軍討伐のために連合艦隊の編成が決定した。つまり俺は、第九艦隊だけではなく、その他の艦隊から戦力を引き抜く権利を得たということである。
しかし、帝国軍は動揺していた。ルクス(彼は太政大臣の位を剥奪されていた)は軍において名誉元帥の位をもっており、彼と繋がりの深い軍人も数多かった。俺はこれまで、軍の内部の評判は悪くなかったのだが、それはルクスが俺を支持していたからという面があったのである。そのルクスが反乱を起こし、それを俺が討伐するとなれば、軍内部から俺への反発が起こるのは必至であろう。俺はこれに対して対策せねばならなかった。俺は、参謀本部長ルドルフ・ハイネス大将の元を訪れた。
「支持を頂きたい」
俺は単刀直入に言った。ハイネス大将は厳しい表情を作ったまま俺から視線を逸らさなかった。
ハイネス大将は、帝国軍の頂点にいる存在である。そして、長い軍歴を通じて、帝国軍で広く人望を得ている男であったのだ。帝国軍内部でルクスに対抗し得る人材は彼しかいない。彼から全面的な支持を得られれば、俺が軍内部で孤立することはなくなるだろう。
「閣下が、太政大臣と近い関係にあったことは存じております。しかし、これは国家の明日に関わる問題です。どうか」
俺は頭を下げた。
ルドルフ・ハイネス大将。彼は六十歳を超えた宿将であるが、背筋は伸び、身体の線に緩みも無い。地顔である怖い顔。俺と同じ階級なのだが、並べば俺の方が六ランクは下に見られるだろう。
彼は沈黙をしばらく続け、やがて言った。
「よかろう。それが、帝国の勝利のためなら」
俺は、おや?と思った。帝国の勝利のため、とは微妙な表現であった。この時、俺はアーム王朝との講和を主張しこそすれ、戦って勝つことは主張していなかったのである。それは、未だ俺の胸の内に収められている考えであった。
ルドルフ大将の支持は、帝国軍の動揺を収める効果があった。近衛艦隊以外には反乱軍に加わる艦隊はいなかったのである。俺に対するあからさまな悪意も影を潜めた。とりあえずはそれで十分だった。
俺は、ホリデー中将に命じて、連合艦隊の編成を急がせた。艦隊規模は三万隻以上になる予定である。
夕焼けが、ガラス越しにエトナの横顔をオレンジ色に染めていた。
王宮の、エトナお気に入りのサンルーム。反乱軍討伐に出発する前、挨拶に訪れた俺を、彼女はここに呼び出したのだった。人払いをし、ここには俺とエトナしかいない。
彼女は、ソファーに座っていた。緊張しているのか、ややぎこちない座り方をしている。
視線を、明後日の方角に飛ばしている。なので俺は彼女の長いまつげや、形の良い鼻、憂いを帯びた切れ長の瞳を観察できたのだった。
エトナは逡巡していた。何を迷っているのか、俺には良く分からなかった。しかし、何かこう、甘やかな話ではなさそうだった。彼女はどこか怒っているようにも見えたのだ。
やがて、ようやく彼女は口を開いた。横を向いたままで。
「・・・ルクスを、嵌めたの?」
よく分からなかった。俺は、答えなかった。エトナは俺の方に向き直り、眉を逆立てた。
「ルクスが反乱を起こすように追い込んだ、というのは本当なの?」
ああ、そういう意味か。俺は頷いた。
「ああ」
「どうして!」
エトナは今こそ本当に怒っていた。彼女は立ち上がり、俺を弾劾した。
「ルクスは、あなたの味方だったんじゃないの!爺がいろいろとあなたを助けてくれていたこと、知っているのでしょう?」
ああ、知っている。彼は俺を影に日向に、引き立ててくれた。おかげで俺は驚くほどスムーズにロスアフィスト王朝の政軍界に溶け込むことが出来たのだ。そのことには本当に感謝している。
「では、なぜ!」
エトナはルクスのことを俺の前で始めて、爺と呼んだ。幼い頃はそう呼んでいたのだろう。
父を殺され、一度は反目した相手ではあったが、幼少時から彼を祖父代わりに慕っていたという事実は消せないのだ。その想いも、愛情も。
俺は、ごまかさないことにした。
「ルクスが、そう望んだからだ」
エトナは呆然とした。
「どういうこと?」
「ルクスは、軍需産業と強いつながりをもってはいないんだ。だから、元老院が講和賛成派優勢となった時点で、反対派に見切りをつけることはできたはずだ」
俺は確かに、講和反対派の貴族を追い詰めた。これから俺は元老院を離れ、対アーム王朝との戦いに全力を注ぎ込まなければならない。その時に、元老院内部に俺に反対する勢力がいるという状況には不安を感じずにはいられないのだ。後ろから撃たれるかもしれないし、エトナを暗殺されでもした日には状況は根本から覆ってしまう。
故に、俺は反対派を追い詰め、暴発させ、何か決定的な行動を起こすように仕向けた。露骨に言えば、反対派を根こそぎ始末してしまう、口実にするために。案の定、反対派は暴発し、反乱を企むに至った。そこまでは完全に俺の思惑通りに進んだ。
しかし、ルクスがここまで反対派を同調し、共に反乱を起こすことまでするとは予測出来なかった。
「ではなぜ?なぜ爺は・・・」
これはあくまで俺の想像だが、と俺は前置きをして、言った。
「彼は、反対派をあえて糾合し、反乱に踏み切らせることによって、反対派を明確に帝国の敵としてくれたんじゃないかな」
そうすれば帝国は、というより俺は、容赦無く反対派を叩き潰すことが出来る。
「じゃぁ・・・」
「彼は、俺を助けてくれているのさ。今回もね」
そう考えると、辻褄が色々合ってくる。
そもそも、軍需産業寄りとはいえなかったルクスが、講和反対の立場に立ったことによって、それまで風向きを見極めようとしていた一派が一気に表立って講和反対派に回ったのだった。そのことで元老院内部はむしろ色分けがすっきりしたのだ。敵が、明確になったと言っても良い。これは俺にとって好都合なことだった。
そして、戦力的には圧倒的不利な反対派を反乱に踏み切らせたのは、ルクスが味方に付いたからであろう。ルクスがいなければ、劣勢な反対派がもっと陰険な手段を選んだ可能性は高い。悪意あるテロリズムよりは、明確に反乱を起こし敵に回ってくれた方が、対処が簡単だ。
エトナは納得したようだった。表情に安堵に近い色が浮かぶ。
「じゃぁ、爺は、本気で反乱を起こしたわけではないのね?本気で私を裏切ったわけではないのね?」
「そうなるね」
「よかった!じゃあ、アルと爺は戦わないのね?」
俺は、エトナの期待を裏切らなければならなかった。
「いや、戦うよ」
愕然とするエトナ。
「なぜ?」
「ルクスが反乱を主導したのは、確かに理由のあることだ。しかし、それで反乱を起こしたという事実が消えるわけでも、反乱軍がかすみの様に消えてしまうわけでもない」
元老院での闘争も、一つ誤れば俺の方が破滅してしまうような熾烈なものだった。ルクスはまったく手加減をしてくれなかったからだ。当たり前だ。であればこそ、反対派は未だにルクスを盟主と仰ぎ、反乱を起こすまでに至ったのだから。
今度も反乱を起こした以上は、ルクスは本気で戦うであろう。油断すればこちらが負ける。
そんな甘い相手ではないのだ。あのケントス・ルクスという男は。彼は俺に向かって無言で主張する。自分に負けるような奴に、帝国の未来は託せ無いと。
「戦おう。そして、勝とう。ルクスは、俺に敗れることで帝国の国論を統一しようとしているんだよ」
エトナはしかし、顔を激しく横に振った。
「いやよ、いや!アルと爺が戦うなんて!」
瞳には涙が光っていた。
「お願い、爺を助けて!」
俺は、エトナを見詰めた。
エトナにも、分かっているはずだ。そんな選択肢は無いという事が。
俺の理想を実現するためには、帝国を挙国一致体勢に持ってゆく必要があった。そのためには、反対派は粛清されなければならない。その反対派の中心人物こそ、ケントス・ルクスである。本人の心の中はどうあれ、彼が退場して初めて、ロスアフィスト王朝に俺の時代が訪れるのだ。
これは、避けては通れない山なのである。
・・・十分も見詰め合っていただろうか。いつの間にかエトナの瞳から涙が消えていた。
いつしか、日は落ち切り、部屋の中から色彩が消えている。エトナの目が白く光っていた。
「ごめんなさい。アル。もう、平気」
俺は歩み寄り、彼女を抱き寄せた。
「うん」
俺は謝らなかった。
「勝つよ。エトナ」
「うん・・・」
次の日の朝、俺は宇宙に上がり、連合艦隊を率いてレオンを進発した。
目指すは、反乱軍が集結しているエルプス星系である。
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