四章、最愛の人
銀河帝国(ロスアフィスト王朝)の首都星レオンは常春の惑星である。
地軸にほとんど傾きが無いために四季が無いのだ。それと、複数の反射光衛星によって地表が適度な気温になるように調節されている。このため、空に3つ太陽があるように見える。
そんなわけで、レオンは今日も春だった。
俺はバルコニーから表通りを眺めながら大きなあくびをした。
「おやぶ~ん、洗剤があらへんよ~?」
・・・。
「洗濯なんてしなくていい!」
「なに~?ええから~、洗剤どこ~?」
・・・。
「あ~、あったあった。上の棚やったか~」
ガン!ボキン!ゴロゴロゴロ・・・!
「わぁ~!」
俺は観念して立ち上がり、洗面所へ向かった。
・・・。
ああ、上の棚に手を伸ばそうと、洗濯機に手を突いたら、それがひっくり返ったと・・・。
俺は手を伸ばして洗濯機をまず起こし、次に彼女を立たせた。
「おまえ、もう機械に触るな」
機械に嫌われているみたいだからな。
彼女、エルグレコ・オルカ少佐は洗剤にまみれた髪を払いながら首を傾げた。
最近、俺の官舎に住み着いたのである。
ああ、元はと言えば俺が悪いのだ。ある夜、
「おやぶ~ん、今晩泊めて~」
とやってきた彼女を、まぁ、仕方が無いからと、軽い気持ちで泊めてしまったのである。
しかしな、まさかそのまま住み着くつもりだったとは・・・。
「帰れ」
朝食。彼女は料理など出来ないので、俺が用意する。パンと目玉焼きだ。
「だから~、何度もいうてるやん~」
・・・。
「帰っても誰もおらんのや。つまらんやん」
つまりだ。彼女はこの度出世して少佐になり、めでたく上級士官になったわけである。
上級士官になると、それまで住んでいた寮ではなく、戸建の官舎を与えられる。当然一人暮らしだ。
彼女曰く「一人はさびしい」ということなのだが、実際は・・・。
「嘘つけ。どうせ飯も作れなくて困り果ててたんだろ」
「ま~、それもあるけどな」
平然と答える。
「・・・オルカ少佐・・・」
「そんな他人行儀な。エルでええっていうてるやん」
お前は他人だろ!
「同じ屋根で暮してるのに他人はないやろ」
「い~や!他人だ!」
「じゃぁ、やっぱり一緒のベッドに寝よか?」
恐ろしいことを言うな!
「やっぱり陛下に操を立ててるんやなぁ。えらいでおやぶん」
「誰がだ!」
とまぁ、最近毎日こんな感じである。
オルカ少佐ははっきり言って、家事その他にはまったく無能である。料理をすれば炭になり、掃除をすれば水浸し、洗濯をすれば先程見たとおりなので、俺は二人分の家事をこなさなければならない。まったくばかばかしい。
そもそも、この将官用官舎が広すぎるのがいけないのだ。部屋が幾つもあるものだから、つい空いている部屋にオルカ少佐を泊めてしまえた。
「なにいうてんの。空き部屋がなければおやぶんの部屋に泊まったに決まってるやんか」
ふざけんな。
「なんだかんだいうても、優しいからなおやぶん」
お人よしなのは認めよう。しかし、俺の寛容にも限度というものがあるぞ。いつまでもタダで泊まれると思うなよ。
「じゃぁ、身体で払おか?」
・・・タダでいい。
「遠慮せんでもええのに」
オルカ少佐はすましてコーヒーをすすった。
誓って言うが、俺は彼女とは別のベッドに寝ている。やましい関係になったことは無いし、恐ろしいから考えたことも無い。これはなぜかと言えば、彼女はあくまでも俺の部下であり、部下とそういう関係になるのはなんというか、そう、公私混同になってしまうからだ。うん。俺の部下は女性ばかりだしな。彼女たちが俺のことを「そういう目」で見始めたら、軍隊として統制が成り立たなくなるだろう。・・・なんか言い訳じみているな・・・。けして、けしてエトナに操を立てているとか、知られたらタダじゃすまないからとか、そういう理由ではない、ぞ。
俺の艦隊、通称「ランドー艦隊」は遂に近衛艦隊から正式に分離して、銀河帝国軍第九艦隊としてめでたく独立した。これに伴って俺は大将に昇進。近衛艦隊司令官代理の職を離れ、第九艦隊司令長官となった。
戦闘艦艇数一万隻。その内戦艦が1200隻という、堂々たる艦隊である。なにしろロスアフィスト王朝に8つしかなかった正艦隊にもう一つを付け加えたのだ。これはロスアフィスト王朝としては実に15年ぶりの艦隊増強であった。
第九艦隊司令長官というのは、近衛艦隊司令官代理などという名誉職とは訳が違う。俺はロスアフィスト王朝に13人しかいない大将の一人となり、8人しかいない艦隊の長となったのだ。今や俺は銀河帝国軍最高幹部の一人に上り詰めたのであった。
艦隊副指令にはコロー・ホリデー中将とエラン・ブロックン中将の二人を当て、ナルレイン・カンバー少将、マイツ・アキナ少将、リンド・オフト准将もそれぞれ分艦隊を指揮することになった。
兵員が増強されたので、司令部の規模を拡大する必要がある。俺はホリデー中将たちの伝を辿って人材を集めることにした。
まぁ、それは予測された事態ではあった。
集まった人材。マリア・ツースム中佐、ワント・マッカンバー少佐、イリス・モーム少佐・・・。
全て女性であった。
そりゃ、女性に紹介を頼めば、女性が集まりやすくなるのが自明の理というものはである。それとは別にどうもロスアフィスト王朝軍内部では、ランドー艦隊は女性しか採用しない、とか、女性しか出世できない、とか、あまつさえアルマージュ・ランドーは女性以外を司令部に加えないなどという噂がまことしやかに囁かれているとか。・・・おいおい。
新しい部下を加えた我が艦隊は厳しい訓練を繰り返し、次第に錬度を上げている途中だった。
さて、俺は同時に元老院議員にもなった。・・・マジかよ。
皇帝エトナと太政大臣ケントス・ルクスの推薦を、元老院が満場一致で賛成可決したのだった。軍事的な実績が考慮されてということらしいが、亡命して僅か3年あまりの俺を、軍のみならず政治的な国の最高機関の一員としてしまうとロスアフィスト王朝の柔軟性には恐れ入る。アーム王朝ではありえないことだ。
元老院議員には随員が七名、認められている。この随員選びにも俺は困った。仕方が無いので、俺はオルカ少佐を随員にした。彼女の記憶力は軍よりむしろ政治のほうで有効だと思えたからだ。彼女の幼年学校時代からの友人だというエスレーナ・フィバン、フィバンの知り合いだというコロネーム・ホルプも随員に加える。彼女たち(そう。二人とも女性なのである)はいわゆるOLで、事務屋だった。見るところ政治には疎いようだが、事務処理能力には優れていた。
もっとも、元老院議員としての俺は甚だ不真面目な存在とならざるを得なかった。ほとんど元老院に出席しなかったからである。なぜかと言えば、あまりにも軍の方が忙しくて都合が付かなかったからだ。もっともこれは、俺に限らず軍の幹部でありながら元老院に議席を持つ者には共通のことである。俺はもっぱらフィバンとホルプを代理人として出席させ、後で報告を聞くことにした。そもそも俺からして政治方面はさっぱりで、更に言えば亡命者である俺はロスアフィスト王朝の国情や法律にも疎かった。議員としては、まるで役立たずであったことを認めなくてはなるまい。
実のところ、オルカ少佐が俺の家に転がり込んできたことは、仕事上の意味で言えば大変有難かった。
彼女は軍での俺の首席副官であると同時に、俺の元老院での筆頭随員でもあったからだ。つまり、彼女は俺の仕事を統括的に把握出来る立場にあるということである。いわば秘書役だ。オルカ少佐は日常生活的や軍人的には無能極まりなかったが、秘書としてならすこぶる優秀だったのである。その彼女が四六時中傍にいてくれてスケジュール管理その他をやってくれるのだ。同じ家に住んでいるのだからコミュニケーションをとるのも簡単で、早い。俺が彼女を無理やり叩き出さなかったのはこのためである。
要するに俺は多忙だったのだ。猫の手も借りたかったのである。オルカ少佐は日常生活で手間が掛かるのは猫並みだとしても、仕事上では猫よりはるかに役に立ったのだった。
電話が鳴る。最近、電話を取るのはオルカ少佐の役目になっていた。
「はぁい。こちらランドー提督の家やで~」
オルカ少佐の間の抜けた声が聞こえる。俺はそれを聞き流しながら窓の外を眺めていた。久々の休暇だった。たまにはこういう何もやることの無い時間というのも悪くない。
やがて電話が終わり、オルカ少佐がスリッパの音を立てながら廊下をこちらに向かって歩いてきた。
「誰からだ」
電話を持ってきたのかと思って、俺は尋ねた。しかし、オルカ少佐は手ぶらだ。
「へーかからやった」
ふ~ん、へーかね。へーかって誰だ?
・・・。
え?
「だから、皇帝へーかからやったって」
・・・。
ちょっとまて。今なんて言った?
「だから、へーかから電話やったんよ。出たらな、びっくりしてた」
背中に冷や汗が流れた。
「そんでな。すぐに行くって・・・」
・・・。
た、
大変だ!
俺は飛び起きた。
きっかり20分後にやってきた皇帝陛下は、たいへんご機嫌斜めでいらした。
というより、ただ事じゃないほど不機嫌だった。
いやいや、それどころか、怒り心頭に達していた。
つまり、俺は彼女の姿が見えた瞬間生命の危機を感じないではいられなかったわけである。
「ど~いうことなの~!」
自らの手で官舎のドアをぶち破らんばかりに押し開けて、そのまま猛牛のように突進してきたエトナはそのまま俺の首を絞めつつ俺を押し倒し、俺の胸に馬乗りになった。驚くべき腕力で俺の襟首を締め上げつつ、爛々と光る視線で俺のことを串刺しにする。
「浮気なのね!そうなのね!浮気者は問答無用で死刑よ!ええ、今すぐ私がここで殺してあげる!」
いやいやいや、ちょっと待ってくれ。という言葉を発することも出来ない。ヤバイ、完全に頚動脈に決まっている。俺は本気でエトナの腕を引き剥がそうともがいた。
「まー、まー。へーか。落ち着いて」
「何よ!エル!のんびりした顔して!この裏切り者!待ってなさい!アルの次はあんたの番よ!」
オルカ少佐は俺のことを見下ろした。
「どーする?おやぶん」
俺は口だけをパクパクと動かした。
た・す・け・ろ。
オルカ少佐は手を伸ばし、ワンピース姿のエトナの脇をくすぐった。
「わひゃあ!」
思わずエトナは俺から手を離し、俺は暗い世界に落ち込む寸前に戻ってくることが出来た。オルカ少佐はエトナの頭をなでながら言った。
「大丈夫や。へーか。おやぶんは立派やったで。へーかのためにしっかり貞操をまもっとたんや」
それから、やや目を細めて俺に言う。
「ちょっと残念やったけどな」
たっぷり30分は俺とオルカ少佐から説明を受けて、ようやくエトナは納得した。
「・・・じゃぁ、浮気じゃないのね」
・・・浮気もへったくれも、俺はお前のだんなじゃねぇ。とは言わなかった。
「そうそう。ぜんぜん浮気じゃない。だから安心しろ」
人生、たまには方便も必要だ。
エトナは平べったい目で俺をオルカ少佐を見比べていたが、ようやく納得したように背中をソファーの背もたれに預けなおした。
「よかった~」
「愛されとるなぁおやぶん」
俺は微笑を作ったが、唇は引きつった。
「一安心したところで、お茶にしよか」
オルカ少佐は席を立ち、キッチンへと向かった。エトナはそれを横目で追っていたが、やおら起き上がるとテーブル向こうの俺のほうへ顔を近づけた。
「ねぇ、本当に何にもなかったの?」
しつこいな。何にもあるわけ無いだろう。
「ふ~ん、なんで?エルって可愛いのに」
可愛いって・・・。23にもなる女性に向かって可愛いは無いだろうよ。
大きな瞳と白い頬。黒いショートヘアが良く似合った。オルカ少佐は、確かに意外に人目を引く美人ではある・・・。
「ありゃりゃ」
キッチンから悲鳴が聞こえた。ああ、しまった。何気に行かせてしまったが、オルカ少佐にお茶が入れられるわけが無い。俺は急いで立ち上がってキッチンへと向かった。
「いいなぁ・・・」
エトナが呟いた。
アーム王朝は、ロスアフィスト王朝に比べれば軍国主義的で厳格な国家である。
まぁ、これは程度の問題で、俺は実際に住んでいて息苦しさを感じたことはまったく無い。近代以前の国家ではないのだから、国民が息苦しさを感じるような国家は国民の支持を得られず、長続きしないはずだ。
ただ、一般国民と貴族以上との間には完全な乖離が見られ、一般市民には国政参加の道がまったく開かれていないこと。軍事色が強く、反戦運動は国家によって強圧的に押さえ込まれること。全ての政策が対ロスアフィスト王朝との戦争を最優先とした視点で決定されること。等が、ロスアフィスト王朝に比べて軍国主義的だと感じられるのである。
実際、アーム王朝では軍人、特に士官は超エリートである。一般の官僚よりもはるかに優遇されている。そのためちょっと優秀な人材は皆、軍人を目指す。士官学校での成績競争は相当に熾烈だった。
俺は卒業時の席次は230名中28番だった。俺の部下たちの内、ブロックン中将、ホリデー中将、オフト准将は首席卒業である。彼女たちは「提督って頭が悪かったんですのね」とにべも無いが、28番はそれほど悪い席次であるとは言えない。
俺の一つ下の席次に、ビュリーシュ・ワエラネオという人物がいた。
この人物との争いは本当に熾烈で、最終的には一点差で俺が上に来たわけだが、こいつは教官に熱烈な抗議まで行い、それが通らないとなると俺に向かって「お前のことは生涯許さない!」と叫んだものだった。たかが学校の成績で生涯の恨みを買ってしまったわけである。
それはともかく、アーム王朝軍が一万隻の艦隊で国境を侵し、その指揮官の名前がビュリーシュ・ワエラネオだと聞いた時、俺が思わず身震いを覚えたのはその記憶があったからである。
敵の侵攻に対して、軍令部は新設の第九艦隊に迎撃の任を下した。つまり、俺に対してだ。これは新設の艦隊に実戦経験を積ませようというもので、俺にとっても渡りに船だった。
俺は麾下の将軍たちに指示して出撃準備を整えさせ、一週間後に首都星レオンを出撃した。帝国歴222年初頭のことである。
第九艦隊司令部の面々はこの時点では以下の通りである。
艦隊司令、アルマージュ・ランドー大将。
艦隊副司令、コロー・ホリデー中将。
同じく副司令、エラン・ブロックン中将。
補給統括、ナルレイン・カンバー少将。
分艦隊司令、マイツ・アキナ少将。
分艦隊司令、リンド・オフト准将。
艦隊参謀、マリア・ツースム中佐、ワント・マッカンバー少佐、イリス・モーム少佐。
司令首席副官、エルグレコ・オルカ少佐。
俺以外、見事に女性ばかりなので、旗艦アクロポリス作戦会議室に集合した様はあたかも女子校のようだった。もっとも、彼女たちは軍人であるので、酒の席ではともかくこのような場で女性的に(かしましく)振舞うことは無い。でなければ俺も困る。
ツースム中佐は女性にしては背が高い。肩のところで切りそろえた黒髪といい、やや大きめの眼鏡といい、なんとなく女教師然とした人物だ。彼女がまず状況の概要を説明する。
「敵艦隊はオルージュ星系へ侵攻してまいりました。オルージュ星系は周知の通り防戦が難しい星系でありますから、我が防衛軍は侵攻を見るや撤退し、首都星レオンに繋がるエルミーネ星系に立てこもっております。敵艦隊はエルミーネを避け、ゴラ星系に侵攻したようです」
ゴラ星系は、それ自体は特に何の価値も無い星系である。というのは、ゴラ星系から他の星系に繋がるワープ航路はエルミーネに行くか、オルージュに戻るものしかないからだ。つまり、いわば袋小路の星系なのだ。
しかしながら、この特徴がかえってエルミーネとオルージュという両要衝に睨みを効かす事が出来るという軍事的価値を生むこととなり、この星系はしばしば大きな会戦の舞台となっていた。
「しかし、それは妙だな」
ブロックン中将があごに手を当てつつ言った。
「敵艦隊は戦闘艦艇一万隻だろう?その数ではゴラは陥せまい」
ゴラ星系には要塞がある。元はアーム王朝が建造したものだが、現在の所有はロスアフィスト王朝だ。難攻不落は言い過ぎだがかなりの堅城である。一万隻程度の軍勢で陥落させることは難しいだろう。つまり、アーム王朝軍はゴラ星系を制圧するには過小な戦力で侵攻してきたということになる。そのことが分からないアーム王朝軍ではあるまい。
「だとしたら、敵の狙いは何?ゴラ要塞の兵糧攻め?」
ホリデー中将が常識論を提示してみせる。
「いや、要塞の備蓄はかなりのものです。国境を越えている敵の補給のほうが怪しいはずです」
とアキナ少将。
「我が艦隊がオルージュ星系に入れば、敵は袋の口を閉じられたようなもの。それからゆっくり料理してやるか」
ブロックン中将の提案にホリデー中将が反論する。
「いや、敵が新たな艦隊をオルージュに送り込んでくると、逆に我が艦隊が挟撃されることになる」
「それなら我が方も増援をエルミーネから呼べばいい」
「戦力の逐次投入になる。事態の泥沼的な拡大を呼びかねないわ」
ホリデー中将の分析が正しいだろう。それが狙いなのだろうか?
しかし、それはあくまで我が軍が敵の考えどおりに動いたら、という話である。
オルージュ星系というのはかなり特殊な星系である。交通の要衝であり、両国の非公式貿易の中心地になっているのだ。現在はロスアフィスト王朝領という取り扱いであるが、実際には両国の緩衝地帯のようなものなのである。これは、星系に多くの航路が接続されているために、敵の侵攻を防ぎにくいからである。我が軍はオルージュに防衛艦隊を置いていたものの、ここで敵侵攻艦隊を迎撃する事は避け、オルージュを放棄してエルミーネ星系へ早々と撤退してしまっている。
我が軍としてはエルミーネとゴラさえ抑えておけば、オルージュが敵の手にあってもあまり困らないのである。そもそもこの時点では、軍令部も俺もオルージュを奪還しようなどとは、まったく考えていなかった。
だとすれば、敵の狙いはなんであるか。
「敵は我が艦隊とゴラで戦いたいと考えている?」
アキナ少将が呟いた。
つまり、敵艦隊の目的は、艦隊を送り込んで星系を占領することではなく、ロスアフィスト王朝の艦隊を誘い出して会戦を行うこと、それ自体にあるのではないか。という考えである。
大戦略的には有り得ないが、実はそういう戦いは数限りなく例があるものでもあった。
つまり、新兵器の実験、新兵の実戦訓練を兼ねたもの、その星系への偵察を含めたものなどのために、戦いのための戦いを必要とする場合、大戦略的にあまり意味が無い侵攻というものが有り得るのである。
最も多いのが、侵攻軍の将軍の個人的功名心に基づくもの、というパターンであろう。単にその将軍が手柄を立てたいがために司令部に無断で軍を動かしてしまうのである。
これは本来許されるべきものではないが、勝った場合には世論の動向を踏まえ黙認されてしまう例があまりにも多く、それがまた新たな事例を生むという典型的な悪循環が出来てしまっている事でもあった。
「考えたくは無いけど、その可能性がもっとも高そうね・・・」
ホリデー中将が優雅に膝を組み直しながら言う。
ブロックン中将がテーブルに肘を突く姿勢で、横目で俺を眺めながら言った。
「親分、その辺はどうだったんだい?そのビュリーシュ・ワエラネオ中将って奴は」
「どうとは?」
「そういうことをしそうなタイプだったのか、ってことだよ」
う~ん、確かに功名心は強いタイプだったが・・・。って、なんで俺に聞く。っていうか、俺がワエラネオと知り合いだなんてどこで聞いてきた。
「いや、誰に聞いたわけじゃぁ無いけどよ。なんとなく親分と縁がありそうだなと」
「そうやなぁ。いかにもおやぶんと関係ありそうやもんな」
俺の背後からオルカ少佐のぼんやりした声。
・・・その、いい加減な推測の根拠はどこに?
「だって、女なのに中将なんやろ?その敵将」
「そうだよなぁ。親分て、偉い女になぜか縁があるみたいだもんなぁ」
俺は頭を抱えた。
この際だから、もう少しこのビュリーシュ・ワエラネオについて言ってしまおう。
彼女は、俺と士官学校の同期であった。つまり、この年30歳である。
この年齢で、出世が比較的遅い女性士官が中将になっているのである。これは彼女が功績を立てたからではあろうが、彼女がアーム王朝皇族の一員だということにも理由が求められるだろう。もっとも、そのことに触れられると彼女は教官にでさえも食って掛かったものだったが。
勉強、教練共に実力は相当なものだったが、その分恐るべき努力家でもあった。長い金髪と眼鏡が特徴の美人でもあったのだが、彼女と成績が接戦だった俺は常に目の敵にされていたので、はっきり言って彼女を女性として意識は無かった。しかし考えてみれば、俺の女難はその頃から始まっていたのかもしれない・・・。
その彼女が率いるアーム王朝艦隊は、ゴラ星系に入った後、第4惑星付近に設置された要塞には手も触れず、第7惑星付近に停泊しているようであった。戦闘艦艇数2千隻からなるロスアフィスト王朝の防衛艦隊には要塞内部に篭っているようにと命令を出しておき、我が艦隊はゴラ星系へと急いだ。
おかしい。俺はあらためて疑問に思った。
敵の戦闘艦艇数は一万隻。我が銀河帝国(ロスアフィスト王朝)第九艦隊の戦闘艦艇数も同じく一万隻。我が艦隊にはこれに加えて、要塞防衛艦隊二千隻の支援が約束されているのである。我が方の圧倒的有利ではないか。
それなのに、なぜビュリーシュ・ワエラネオは平然とゴラ星系に居座っているのか?我が艦隊到着前に要塞を陥落させるのは難しいとしても、何とかして防衛艦隊をおびき出してそちらだけでも減らしておこうとは考えなかったのか。というより、俺ならば、そして普通の指揮官なら我が艦隊の接近以前に戦況不利を悟って撤退してしまうところだ。
我が艦隊を誘っていることは明らかだった。
何らかの策があるのだろう。しかし、その策とは?皆目見当も付かなかった。
いずれにせよ我が艦隊に行動の選択肢は無い。我が艦隊は星系最外縁部にあるワープエリアにワープアウトした。
ゴラ星系はオルージュ星系とは逆に、繋がっている航路が非常に少ない。オルージュに行くものと、エルミーネに戻るものしかないのである。つまり、敵の侵攻方向が限定されており、防衛しやすいのだ。このため、ゴラ星系を領有した方が自然と交通の要衝であるオルージュを領有するようになっており、帰結的にゴラ星系は多くの会戦の舞台となっていた。
その割に、ゴラ星系自体は居住可能惑星が一つしかない平凡な星系であり、ブルネイ星系のように小惑星が多いわけでもなく、ワープエリアの数も多い。
我が艦隊は通常航行で星系に進入した。ここで、敵艦隊がこの星系で行った軍事行動の一端を確認する。
星系内部に多数設置されていた策敵、通信を目的とした基地や装置が悉く破壊されていたのである。通信妨害もひどく、要塞と連絡を取るには通信艇を送り込むしかなかった。時間は掛かったが要塞と連絡を取ることは出来た。しかし、それによると要塞の周囲には厚く機雷が設置されており、艦隊の出撃は難しいとのことだった。
あてにしていた増援がなくなったのは痛かった。これで戦力は互角ということだ。そして、策敵通信の施設が使えないということは、この星系における地の利の喪失を意味した。
「準備万端迎え撃たれる、ということだな」
ブロックン中将の言うとおりだった。
「そうですね。敵が何かを企んでいるというのは間違いないでしょう」
アキナ少将が口元を引き締めた。確かに、自領で戦うという気安い気分は捨てた方が良さそうだった。ホリデー中将も腕組みする。
「それにしても、敵はよくよく我が艦隊と戦いたいのですわね」
「どうでしょう提督。後方へ増援を要請しては。このままでは我が艦隊は有利だとはいえません」
カンバー少将の提案は一考に値した。
敵艦隊との決戦を避け、エルミーネから数千隻程度の増援を受けてから前進する。二千隻程度の増援を得られれば、敵に対して無条件で優位に立てるはずだった。エルミーネからゴラ星系外縁まではワープ一回で来ることが出来る。それほど時間は掛かるまい。
「そんなことしたら、後ろで見ている連中にも、敵にも舐められる。あたし達が同数では敵に敵わないと考えたと見られるじゃねぇか」
こういうことをいうのはブロックン中将に決まっている。
「小さな見栄で艦隊全てを危険に晒すおつもりか」
カンバー少将が反論する。
「増援なんか無くても勝てるぜ!我が艦隊の艦艇は最新鋭だし、訓練も十分に積んでいる!」
「だが、兵はほとんどが新兵ではありませんか。それに、敵は我が艦隊の行動を注視し、待ち構えているのです。このまま進むことは敵の思惑に従うことになるのではありませんか?」
「敵が何を考えていようと構わないじゃねぇか!罠があるなら噛み砕くまでよ!」
「無用な危険を冒す必要はありません。僅か三日も待てばエルミーネから増援は連れてこられます」
俺は迷った。
理由は、カンバー少将が言った「小さな見栄」にあった。
同数の敵を恐れて増援を要請したとなれば、軍令部はなんと考えるだろうか。なんと臆病なと俺を笑うかもしれない。それで勝っても手柄を過小に評価されてしまう可能性があった。
そして、敵将のこともある。ビュリーシュ・ワエラネオは俺を臆病者と嘲笑うかもしれない。
俺はこの時の判断を生涯後悔することになるのだが、この時はそれなりに自信はあったのだ。
策敵通信を妨害されているとはいえ、ゴラ星系は我が帝国の領土である。星系についてのあらゆるデータは当然保有していた。そして事前の検討では、ゴラ星系は奇策を弄し難い星系であるという結論も得ていたのだった。惑星数もごく普通。小惑星も少なく、異常重力場や電磁場帯も無い。艦隊が正面決戦を行うのに向いている反面、伏兵を隠す場所などは少ないのだ。実際、過去のゴラ星系で行われた会戦は、小細工なしの正面決戦となっていた。
結局俺は言った。
「いや、やはりこのまま前進しよう。我が艦隊が増援を要請すれば、敵もオルージュから増援を呼ぶかもしれない。事態の泥沼的な拡大は防ぎたい」
俺がこういえばカンバー少将は口を塞ぐしかない。この時、慎重論を唱えたのがカンバー少将ではなくホリデー中将だったら、もっと口やかましく俺に反論したろうし、俺の考えも変わったかもしれない。こんなことは言ってもせん無きことだが。
自室を出て艦橋に向かう途中、オルカ少佐と行き会った。
「あ、おやぶん」
ふっと笑う。彼女は目が大きく、それが笑うと少し細くなる。瞳の色は黒。ボブショートに刈った髪も漆黒だ。立ち止まる彼女に数歩で追いつく。
「もう起きたんか?親分はまじめやなぁ。作戦開始時間に起きなかったら起こしたろうと思ってたのに」
十分寝たさ。そっちこそ寝たのか?
「あたし?あたしはいつも戦闘前は寝られへんのや。・・・怖くてな」
そうか。俺も士官学校を卒業してすぐはそうだったがな。すぐ慣れた。
「慣れた、か・・・。なぁ、おやぶん。こういうのって慣れた方がええの?」
軍人なら慣れた方がいいんじゃないのか?
「そう・・・。じゃぁ、あたしは軍人に向いてないんやろなぁ」
そうだな。
「・・・そこ、台詞が違うで」
いや、いいんだ。
「ふふ、そうかもなぁ。なぁ、あたしが軍人を辞めるって言ったらどうする」
辞めてどうするんだ。
「ま、とりあえずはおやぶんの秘書続けてれば喰いっぱぐれはせんやろ?後はへーかの家庭教師とかな」
・・・それなら、とりあえずは俺の部屋を出てくれるんだろうな。
「う~ん、どうやろう」
オルカ少佐はここで何故か立ち止まった。自然と俺が彼女の前に出てしまう。背後から、彼女の声が追いかけてきた。
「あ、もう一つあった。おやぶんの嫁というのはどうや?」
断る。と言おうとしたところで、艦橋に着いてしまった。
「考えといてや、おやぶん」
オルカ少佐はパッと俺を追い越して艦橋に飛び込みつつ、俺の背中を叩いた。
敵艦隊は我が艦隊の進行を見ると、動き出し、我が軍の要塞の前方へと布陣した。要塞の周囲には敵の設置した機雷群がまるで星雲のような様相を見せていた。
敵艦隊は一万隻。我が艦隊も一万隻。まったくの同数だった。俺はカンバー少将の指揮する補給艦隊を切り離し、敵艦隊正面へと艦隊を前進させた。
敵艦隊はあたかも光の壁のようだった。一万隻と簡単に言うが、それは何十万と言う人間の集合体であり、それが明確な敵意を持って宇宙に展開する様は精神的圧力さえ感じさせる圧倒的な存在感を持っている。
敵艦隊は密集隊形をとっていた。それを額面どおりに受け取れば、我が艦隊の中央突破を狙っているように見える。
我が艦隊はこれに対して、定石である鶴翼の陣形はとらなかった。敵の出方が不明であったからだ。むしろこちらも密集隊形をとり、敵の出方を見ながらそろそろと前進する。
ある程度双方の距離が詰まると、敵は不思議な行動をとった。すこしずつ右舷方向へと移動し始めたのである。我が艦隊はそのまま前進したので敵は我が艦隊の左舷方向へと回りこむことになる。我が艦隊も回頭し、敵艦隊に舳先を向けた状態を維持する。
結果、我が艦隊は要塞正面。つまり敵の設置した機雷群を右舷に見た状態で敵と対峙することになった。
「これが狙いなのでしょうか」
ツースム中佐が首をかしげた。確かにこの状態では我が艦隊は機雷が邪魔で右舷方向に艦隊を回すことは出来ない。しかし、それは敵も一緒だ。
その時、意外な報告が入った。
「提督!敵艦隊から通信です!」
なんだ?この期に及んで敵から通信があるだと?
「どうしますか?」
・・・もしかしたら戦闘回避の提案かもしれない。迷いつつも俺は通信を繋がせた。
ひどく乱れた画面に、一人の人物が映し出された。一目見て分かった。ビュリーシュ・ワエラネオだ。
「久しぶりね!ランドー!」
俺は返事をしなかった。したくなかったからだ。そして、相手のほうもそれを求めてはいなかった。
彼女は腰に手を当てて、必要以上にそっくり返りながら叫んだのである。
「降伏しなさいランドー!あなたは既に私の手の内よ!」
かなり厭だったが、俺はようやく口を開いた。
「どういうことだ」
「降伏すればここで殺すのは勘弁してやると言っているのよ」
「それで?俺はギュールに連れ帰られて市中引き回しの上公開処刑か?」
「オーホホホホ!よく分かっているじゃない!」
「ならごめんだね。まだ戦ってもいないうちから諦めるほど、俺の諦めは良くないよ」
俺は通信をしながら厭な予感を抑えることが出来なかった。
ワエラネオはもともと大言壮語癖があるとはいえ、同数の敵との正面決戦を前にして、わざわざ敵に根拠の無い勝利宣言を送りつけるほどの夢想家ではないはずだった。
ワエラネオは通信スクリーンの向こうで長い金髪を優雅に払った。
「ホホホホ!馬鹿な奴。せっかく寿命を少しでも延ばしてやろうとしたのに!」
厭な予感は決定的になった。こいつの自信には何らかの根拠があるのだ!
「では死になさいアルマージュ・ランドー!」
ワエラネオが叫ぶのと同時だった。
ものすごい衝撃音と共にアクロポリス艦橋が突き上げられるように揺れた。
艦橋の全天球スクリーンがバチバチという音と共に消え、同時に非常灯の赤い明かりが灯る。アラームというアラームが一斉に鳴り響く。
「何事だ!」
「分かりません!右舷方向から攻撃を受けている模様!」
寝ぼけるな、右舷には機雷群が・・・。言い掛けて俺は凍りついた。
そうだ、機雷だ!
機雷に何か仕掛けがしてあったのである。
この時の俺には分からなかったのだが、この時アーム王朝が用いた機雷は命令があるとミサイルに早代わりするものだったのである。我が艦隊は機雷群にほとんど右舷を接していた。その至近距離から突然息を吹き返したかのように機雷が一斉に襲い掛かったのであった。
「隊形!維持しろ!」
叫ぶが早いか最も不吉なアラームが鳴り響く。
「敵艦隊!突入してきます!」
最悪だ。俺は立ち尽くした。
混乱している我が艦隊に向けて、敵艦隊は素早く艦隊を散開させつつ襲い掛かってきた。我が艦隊は機動機雷と敵艦隊に完全包囲されることになったのである。
やられた。
もっとよく考えるべきだった。敵が、あのワエラネオが、絶対勝てるという保証も無しに侵攻して来るなど、あるわけがなかったのだ。敵が、勝算が明らかでない正面決戦など挑んでくるはずが無かったのだ。後悔が俺の心を侵食し、俺の足を動かなくした。指示を求める参謀たちの声も耳に入らない。
その時。
「しっかりしろ!おやぶん!」
後ろから俺に蹴りをくれたのはオルカ少佐だった。思わずひっくり返った俺は、彼女が珍しく真剣な顔をして、目に涙を浮かべるのを見た。
「がんばれ!がんばるんや、おやぶん!」
おいおい、なんかもう少し励ましようがあるだろう・・・。俺は思わず苦笑した。
それを見て、オルカ少佐も思わず微笑む。
しかし・・・。
再びアクロポリスが鳴動した。艦が大きく軋み艦橋の天井にも火花が走った。
俺は見ていた。艦橋の天井が裂けるのを。そして、そこから大きな何かが落下してくるのを。
俺は、馬鹿みたいに尻餅をついたまま、それが俺に向かって落ちてくるのを、見上げていた。不思議と、それはゆっくりした光景に映り、落ちてくるものが、何かの配管の一部だと言うことまで見て取れた。
そして、それが俺に直撃する直前、何か黒いものが俺の視界を塞いだ。
俺は一瞬気を失ったらしい。
立ち上がろうとして、何かが俺に覆いかぶさっているのを感じる。俺はくらむ頭を押さえながら、その覆いかぶさっているものをどけようとして、それが人間の身体なのだと気が付いた。
一瞬で覚醒する。そう、あの一瞬、俺に向かってぶつかってきたのは・・・。
「オルカ少佐!」
俺は彼女を抱え上げ、床に寝かせた。オルカ少佐のものと思われる血が飛び散って俺の顔や胸に撥ねた。
俺に向かって落下物が直撃する直前、オルカ少佐は身を投げて俺を庇ってくれたのだった。
「馬鹿なことを!」
俺は彼女の身体を調べた。
軍服に身を包んだ彼女の身体には力が無かった。俺彼女を寝かそうと彼女の頭に手をやり、そこから大きく出血しているのを発見して青くなった。
「おい!」
「・・・おやぶん・・・」
オルカ少佐は薄く目を開けた。大きな目を、ほんの少しだけ開けていた。
「しっかりしろ!いま衛生兵が来る!」
「なぁ、おやぶん・・・」
俺はオルカ少佐の手を握り、それが急速に冷たくなってゆくのを感じて、自分の血が抜けて行くような錯覚を覚えていた。
「お願いが、あるんや・・・」
「しっかりしろ!頑張れ!」
「あはは、それ、さっきあたしが言うたんやないか」
苦痛を、感じていないような微笑だった。俺は、戦場で何度かこういう微笑を見たことがある。そういう奴は・・・。
「おい!」
「なぁ、聞いてくれへん?」
俺の身体が震えているのは分かった。しかし、俺がどんな表情をしていたのかは、分からない。
「・・・なんだ」
「あたしのことなぁ、忘れないで欲しいんや・・・。ずっと・・・。なぁ、ええやろ?おやぶん・・・」
それからオルカ少佐は少し恥ずかしげに付け足した。
「いえ・・・、アル・・・」
俺は、頷くしかなかった。
オルカ少佐はそれを見届けるといつも見せてくれたような、何も考えていないような微笑を見せた。そして、初めて顔をしかめる。
「いたい、なぁ・・・」
その顔から表情が消え、身体から力が抜け、体温があっという間に冷たくなってゆく。
俺には、どうすることも出来なかった。
衛生兵が到着し、オルカ少佐の脈を取った。彼は厳しい表情で首を振った。
「蘇生措置を!」
「いや、いい」
自分の声がどこか遠くから聞こえた。
「もう助からん。蘇生装置はもっと他に必要とする者がいるだろう」
衛生兵は何かを言おうとしたが、結局口を閉じ、敬礼を残すと走り去って行った。
俺は、オルカ少佐の遺体を、提督席に腰掛けさせた。
そして、艦橋を見渡した。意外に被害は軽微で、けが人すらいないらしい。つまりは俺の運が、悪かったと言うことなのだろうか。全員が俺に注目している。俺は全員の顔を一渡り見渡すと、オルカ少佐を見た。
眠っているようにすら見えるが、首から胸に掛けて赤く染まる軍服が彼女の死を告げていた。
彼女は、死んだのだ。俺は確認し、そして、何かが弾けた。
俺は右腕を打ち振った。
「ブロックン、ホリデー中将に連絡!」
即座に提督席の通信スクリーンに二人が出る。俺は文字通り咆えた。
「全艦隊、急速前進せよ!」
俺の剣幕に二人はたじろいだ様だった。
「前進ですか?」
「そうだ!ブロックン中将!君は言ったな!罠なら噛み砕くと!行け!敵を咬み砕け!」
ブロックン中将はそもそもこういう攻撃的な指令は好みな筈だったが、この時は俺の異常さに気が付いたのだろう。珍しく躊躇った。しかし、そこで提督席に座る人影に気が付いたらしい。
「・・・?エルじゃないか?どうしたんだ?」
俺は吐き捨てた。
「オルカ少佐は、死んだ!」
ホリデー中将が口元を隠し、ブロックン中将が目を見開く。この二人はランドー艦隊設立以来、オルカ少佐とは階級を超えた友情を育んできたのだった。二人は踵を合わせ静かに敬礼する。
「おやぶん・・・、敵討ちって訳だな!」
ブロックン中将が怒りを込めて呟いた。しかし、俺はそれに数倍する声で怒鳴り返した。
「馬鹿なことを言うな!」
ブロックン中将は驚いて俺の方を見返す。
「いいか!死んだのはオルカ少佐だけか!今この時も我が艦隊の将兵は敵に殺されている!敵を討つなら全戦死者の敵を撃たなければならないだろうが!」
俺は更に叫んだ。
「いいか、俺が望むのは勝利のみだ!勝つぞ、ブロックン中将!ホリデー中将!」
二人はその瞬間目を輝かせた。
「了解!」
この時、俺はある意味気が狂っていた。
でなければこの状況で前進など指示するはずが無い。我が艦隊の隊列は乱れ、そこへ反包囲体制にある敵艦隊の攻撃が降り注ぎ、残された方角からも軌道機雷の攻撃が続いていたのである。敵の攻撃を無視して前進などすれば全艦隊の統制が崩壊しかねない。
しかしこの時、俺の狂気が伝染していた両中将は恐るべき決断をする。攻撃に晒されている部隊の統制を捨てて、中央部の無傷の艦艇で二千隻あまりの突撃部隊を編成したのである。
それを正面の敵艦隊に叩き付けた。
敵艦隊が勝利を疑わず、これを完璧にしようとして我が艦隊を包囲していたことが幸いした。艦列が薄くなっていたのである。ブロックン中将の激烈な攻撃に抗し得ず、敵は我が艦隊の突破を許した。
普通なら、この突破口から全艦隊が脱出するところであろう。しかし、ブロックン中将はそうしなかった。突破した勢いのまま、敵の後背に回り込み、激しい攻撃を加えたのである。
同時に俺とホリデー中将が包囲内に残っている艦隊を辛抱強く再編し、ブロックン中将の攻撃によって敵艦隊の攻撃が弱くなった隙を突いて逆襲に転じた。
つまり、敵は逆に我が艦隊に挟撃されることとなったのである。
「撃てぇ!」
俺はオルカ少佐の血に染まった軍服を身に纏ったまま叫んだ!
我が艦隊は復讐の鬼と化した。敵の艦列は薄く、後背に回りこんだブロックン中将の艦隊と連携することで容易に貫通することが可能だった。貫通、分断した敵を包囲し、殲滅する。
もちろん我が艦隊の後背からは機動機雷の攻撃が続いていたが、この敵の新兵器は落ち着いて迎撃しさえすれば対処はそれほど難しいものではなかったのである。あくまでも奇襲用だ。その意味で今回のワエラネオの使い方は理想的に近かったわけである。
しかし、ワエラネオは引き際を誤ったのだ。ブロックン中将が包囲部隊の後背に回りこんだ時点で包囲を解き、艦隊を集中、再編させておけば我が艦隊は手の出しようが無かった。この戦いは彼女の勝ちだったろう。しかし、彼女は包囲した我が艦隊の完全殲滅に拘ってしまった。それが勝機を失わせたのだ。
結局、包囲網が完全に寸断されてから、ワエラネオは慌てて包囲を解き始めたのだが、時は既に遅く、分散している艦隊は我が艦隊の各個撃破の好餌となった。
敵艦隊がある程度集結した時点で、我が艦隊は敵と距離を取り艦隊を再編した。
我が艦隊の損害は約二千隻に及んだ。全戦闘艦艇の実に二割である。
これに対して敵艦隊の損害は三千隻と推定された。
敵艦隊は陣形の再編が済むと、オルージュ方面へと移動し始めた。奇策の種が尽き、艦隊に大損害を被ったのであるから妥当な判断であろう。もちろん、我が艦隊にも追撃の余裕は無い。
いわゆる「第7次ゴラ星系会戦」はこうして終結した。我が艦隊も多くの損害を被ったが、敵に自軍より多くの損害を与え、敵の侵攻を戦略的にも防いだのだから、我が艦隊の辛勝だと言えるであろう。実際の戦闘時間は僅か20時間あまり。非常に短いが激しい戦いであり、俺にとっても生涯忘れることが出来ない戦いとなったのである。
降下艇で首都星レオンの宇宙艦隊基地に降り立った俺たちを、皇帝エトナ自らが迎えた。これは異例なことである。
正確に言えば、彼女は我が艦隊を迎えに来たのではなかった。俺を迎えに来たのでもなかった。
タラップから降りた俺に向かって、黒い絨毯の上を、喪服である黒い重衣を身に纏ったエトナが駆け寄ってくる。
「エルは!エルは・・・」
俺は黙って後ろを示した。
数人の士官に担がれて、オルカ少佐の棺が降りてきた。ブロックン中将、ホリデー中将、カンバー少将、アキナ少将、オフト准将といった、ランドー艦隊創設以来オルカ少佐と縁が深かった面々が棺を担いでくれたのだった。
棺が地面に下ろされると、エトナは走り寄り、しかし、途中で立ち止まり、それから恐る恐る棺に近付いた。
「これに、エルが?」
俺は歩み寄り、棺の窓を開いた。
薄く死に化粧を施され、あたかも眠っているかのように見えるオルカ少佐。しかし、冷凍保存されたその前髪には氷の粒が付いていた。
「エル・・・!」
エトナは低く呟いたきり絶句し、それから棺に覆いかぶさって声も無く泣き始めた。小さな肩がゆれる。俺はその様子をなんとも言えない気持ちで見下ろしていた。
「なぜ・・・!」
エトナが悲痛な声を上げた。
「なんで、エルが・・・!」
しかしその声を聞いた瞬間、俺は目の前が真っ赤になった。
「なんでもくそもあるか!」
思わずエトナが涙でくしゃくしゃになった顔を上げる。
「これが戦争だ!人が死ぬのが、どこの誰だろうがコロッと死んじまうのが戦争なんだ!良い人だろうがなんだろうが・・・!」
エトナは驚きというよりも呆然として俺のほうを見上げている。
「死んで欲しくない人だろうが、敵だろうが味方だろうが!みんな、みんな簡単に死ぬんだ!それが、それが嫌だったら、戦争なんてするな!」
ドアを開けて、俺は立ちすくんだ。
ベッドが一つ。その部屋にはそれしかなかった。
そんな馬鹿な。
この部屋は、オルカ少佐に貸していた部屋だった。そんなはずは無い。確か勝手に家具を持ち込み、何度か覗いた時にはもう少し雑然といろいろな物があったはずだ。
それが、もぬけの殻になっている。俺はその薄暗い部屋の中にふらふらと入って行き、それを見つけた。
ベッドの上に、無造作に置かれた一枚の紙。俺はなぜか震える手でそれを手に取った。
手紙。しかし、その文面は短かった。
「さようなら。アルマージュ。愛を込めて。エルグレコ・オルカ」
まさか・・・。出撃前に置いたものでしか有り得なかった。その紙に書かれた別れの言葉。俺は眩暈を感じて思わず膝を付いた。まさか、自分の死を予感して全てを片付けてから出撃したのか?そんな、馬鹿な。
その時、背後で物音がした。俺は反射的に振り向いた。そこに、黒い人影がある。
「アル・・・」
か細い声。しかし、それは聞き間違えようが無い、エトナの声だった。
青いワンピース姿のエトナはゆっくりと進み出て、俺の真後ろに立った。
「アル・・・」
「何しに来た・・・」
エトナは、俯いていた。俺は罪悪感を覚えた。彼女は何も悪いことをしていない。彼女が俯くことは無いのだ。俺は立って彼女に謝る。
「すまない。少し心がささくれていたんだ」
「違うの・・・」
エトナはすすり泣いているようだった。
「あたしが、言ったの。アルをとらないでって・・・」
どういうことだ?
「出撃の前に、エルを呼び出して問い詰めたの。エルはアルのことをどう思ってるのか、って。アルのことをとらないでって・・・。そうしたら、エル、黙ってたんだけど、最後に笑って言ったの『分かりました』って・・・」
・・・。
「『これからはへーかがおやぶんを笑わせてあげてな?』って・・・。まさか、まさかこんなことになるなんて・・・」
戦闘直前に僅かに交わした最後の会話。その時、俺の部屋を出て行くのだろうな、と言った俺をオルカ少佐ははぐらかせた。いつもなら絶対出て行かないと即答する彼女だったのに。
その時、既にもう俺の部屋を出て行くことを決めていたからなのだろうか。
さようならアルマージュ愛を込めてか・・・。
去り行く恋人が書き残す手紙のような、短い文面。俺と彼女が恋人同士であったことは一瞬たりとも無かったのに。
最初に出会った時を思い出す。
軍令部に人事について詳しい副官を要求したらやってきたのが彼女だった。
「どうぞよろしゅう」
と、軍人らしからぬおっとりした様子で挨拶された瞬間、俺はかなり不安だった。
不安は的中し、お茶も入れられなければパソコンも扱えない彼女を知るにつけ、厄介者を押し付けられたのではないかと本気で疑ったものだった。
しかし、彼女は書類と鉛筆というアナログな方法を使う範囲では非常に優秀だったのである。
艦隊司令部の人材発掘に苦労していた俺に、女性を採用したら、と提案してくれたのも彼女だった。彼女のおかげでブロックン中将やホリデー中将を見出すことが出来たのである。言うなれば彼女は現在のランドー艦隊の、生みの親だとさえ言えるのだった。
ランドー艦隊のメンバーの中で、いや、俺がロスアフィスト王朝に亡命してから知り合った人間の中で、もっとも長く接してきたのはエトナを除けば彼女だったのである。共に過ごした時間がもっとも長かったのも彼女だろう。なにしろ、数ヶ月とはいえ共に暮らしたのだから・・・。
執務室で居眠りをしている姿。
艦橋でぼさっと立っている姿。
書類の山の中に埋もれながらなにやら仕事をしている姿。
飲み会の席でブロックン中将やアキナ少将に飲まされて真っ赤になっている姿。
そして、俺の家で何かをやらかしてはばつが悪そうに微笑む姿。
「アル・・・」
エトナの声に、俺は追憶から呼び戻された。
「エトナ・・・。俺は、オルカ少佐に・・・、ずいぶんと助けられたんだ」
「アル・・・」
「誰も知る人もいないこちらの帝国に亡命してきて、君以外に初めて出来た友人だったんだよ。彼女は、俺に笑顔をくれた・・・」
「アル・・・」
「その彼女を、死なせてしまった。他ならぬ、俺の、ミスで・・・」
「アル、もう言わないで」
「俺は・・・、俺は・・・」
「アル!」
エトナが叫んで、俺は初めて自分が涙を流していることに気がついた。
恥じるべきだった。一軍の将ともあろうものが、唯一人の部下を失ったぐらいで何を泣くのか。しかし同時に、かけがえの無い友人を失ったことを思えば、何故今まで泣けなかったのかとも思う。
そういえば、一度も彼女を「エル」と呼んでやれなかったな。何度もそう呼んで欲しいとせがまれたのに。そういえば、彼女は最初から俺を提督ではなく「おやぶん」と独特の口調で呼んだ。それについて尋ねると彼女ははにかんだ様な微笑を浮かべて言ったのだった。
「おやぶんは、あたしにとって唯の上官やないから」
エトナが、俺の頬に手をやった。
「泣かないで、アル」
エトナは、もう泣いてはいなかった。下唇を咬み、真剣な目つきで俺を見上げている。
「エルとの約束だもの。アルはあたしが笑わせてあげるの。だから、泣いてはだめ」
透き通るような黒い瞳。
「アル。これからはあたしがエルの代わりをする。あなたを、助けて、笑顔にしてあげる。だから、悲しまないで」
夜空よりも黒い黒髪。
「さぁ、笑って。アルは、笑って無ければだめ。エルのためにも・・・」
俺は、エトナを抱きしめた。
「ア・・・ル・・・?」
一応言い訳すれば、エトナ・ロスアフィストは帝国歴222年に19歳になっている。出合った時は16歳で確かに子供だったが、この年になれば十分大人であった。
俺は30歳で、エトナは一回り以上年下であるが、世の中それくらいの組み合わせはありふれていて特に喧伝するまでも無い。
結局のところ、年の差などは当人たちが気にならないというのならまったく意味も無いものなのであろう。つまりは、俺はこの瞬間から気にならなくなったわけだ。
帝国暦222年。俺は最良の友人を失い、最愛の人を得た。
そして俺はこの時から、戦争を終わらせるということを本気で考え始めることとなる。
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