前日譚

「義兄様。魔女が来ました」


青年は仕事道具を机に置き、義弟の方を見る。

白兎のような色をした少年の言葉に彼はにっこりと笑って見せた。


「今行きます」


彼は立ち上がると客室へと向かった。

その足取りは軽く、少年はやや呆れたような顔をしている。

ゆっくりと扉が閉まった。



「……で、あなたが何でここに?シオンさんは?」

「お前本当むかつくな、ヒュプノス。」


部屋には魔女がいた。

しかしこの青年の想い人ではなく、彼は深く息を吐いてそう尋ねる。

足を組みなおし、紅茶を一口啜った後じとりと魔女が青年を睨んだ。

その後ろには使い魔の青年が控えている。


「それで、」

「ああ、ちょっと待って」


魔女は手を振って使い魔を部屋から追い出す。

冷ややかな雰囲気を纏う彼はやや怪訝な顔をしていたが、その指示に従って部屋から出て行った。


「……本題に入ろうか、ヒュプノス」


漁火の表情は伺えない。


「シオンがある夢を見たんだ」



血のこびりついた口元、血溜り、そこに広がる煉瓦色の髪。

はっと目を覚ます。

頬を伝う汗に、今見た内容が少女の寝起きをひどいものにしていた。

背筋を走る寒気に、彼女は自らの体を抱きしめる。


「シオン」


自分の名を呼ばれ、少女は顔を上げた。


「父さん……おかえりなさい」


そこには上部にいるはずの魔導師がいた。

少女の迎えの言葉に、魔導師は柔らかく微笑み「ただいま」と口にする。

しかしその微笑みもすぐに崩れて心配そうな表情へと変わった。


「体調は大丈夫?

……夢見は体力を使うだろう?」


大きな手のひらが少女の頭をなでる。

少女は口元に笑顔を浮かべ、心配させまいと父親を見上げた。


「大丈夫だよ、父さん。

……それより、レフカは?」


大丈夫と口にすれば、彼は少しだけ表情を和らげた。

少女はふと片割れの気配が感じられず不安に襲われる。

父親におずおずと片割れの行方を尋ねた。

魔導師は少しきょとんとした後に微笑みを浮かべる。


「レフカはナギを伴って、今プロメティアに行っているよ。

ヒュプノス君にこのことを伝えておくと言っていた。」

「そう、なんだ」


それを聞くと少女は目を彷徨わせ、そしてゆっくりと目を閉じた。



「……そう、ですか」


辛うじて出せた言葉がそれだった。

青年は頬杖をついて途方に暮れる。

魔女は目を閉じたまままた紅茶を飲んだ。


「でも、何もあなたが犠牲になること……」

「じゃあシオンに死んでもらえって?」


ない、と、そう口に仕掛けた青年に、魔女は冷ややかな一言を浴びせかける。

青年はそれを聞くと呆気に取られたような顔をした後に魔女をにらみつけた。


「そんなこと言ってないでしょう?

こんなことになって荒んでいるのはわかりますがね、」

「なら具体的にどうしろと?」


まくし立てるように言葉を続けようとした青年であったが、魔女にそう訪ねられれば口を閉じる。

考え込むように黙り込んだ後、彼は口を開いた。

彼はあくまで彼女らに幸福になって欲しいとこの国に身を置いたのだ、むざむざと死なせるような真似をさせるわけにはいかない。


「……不穏分子を捕らえるとか、」

「ヒュプノス」


また遮られ、少しむっとしながらも青年は魔女を見た。

魔女は魔術を使用しているときのような黒く濁った瞳で青年を見つめる。

ゆっくりとその唇が動いた。


「疑わしきは罰せず、だよ。」

「……」

「私のことは別にいい。

お前もあの子のために受け入れた、それと同じことさ。

あの子のために私も受け入れたんだ。

何を言われようがこの気持ちは変わらないよ」


カップの中の紅が青年の表情を映している。

魔女はゆっくりとカップの中身を飲み干す。

かたんと僅かな音を立て、カップはソーサーの上に収められた。

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