第37話

「礼を言っておく」


 夜、月明かりの下で見張りをしていた時にそんな声を聞いた。

 ローリーはぐっすり眠っている今、そんな風に声をかけてくる相手と言うのは限られている。


「私は貴方に助けられた側だと思うけれど? 何のお礼なんか教えてもらえるかな、グリム」


 そう、グリムだ。

 この不可解で奇妙奇天烈珍妙な魔導書。

 意思を持ち言葉を操り魔法を操作する存在。

 少なくとも私の人生でこれ程に変わったモノは見たことが無い。


「確かに俺がいなければお前は蛇に殺されていたかもしれないな」


 皮肉屋で、嫌みのこもったセリフを吐き出す彼……と言ってよいのだろうか。

 性別さえ分からないからどう表現していいのか悩むのだが……まぁ一人称からして男という事にしておこう。


「けれど、お前に助けられなければ俺も、俺の相棒も海の底に沈んでいたか、どこかで引っかかって魚に食われていただろう。もしかしたら施設の連中が拾い上げて実験と称して身体を弄繰り回していたかもしれないがな」


「偶然釣り上げただけなんだけどね……」


「偶然の出来事であろうと、俺の相棒は命を救われた。俺の中にお前も記録されているが、その項目には恩人とまで書かれているほどに感謝しているのだ。だから俺は素直でないこの小娘に変わって礼を言わなければならない」


 素直じゃないのは貴方もだ、という言葉を飲み込む。

 この魔導書は随分と偏屈なようだからそんな事を言えばへそを曲げてしまい会話どころではなくなってしまうだろう。

 それは、大した問題ではないけれど見張りを交代するまで沈黙を保たなければいけないというのは私にとって居心地が悪い。


「わかった、それじゃあ私もお礼を言っておくけれど……一つだけ聞かせてもらえるかしら」


「なんだ」


「貴方達は、なんなの」


 言ってしまった、機嫌を損ねるとかそういう範疇を超えた質問だ。

 けれど知らずにはいられない。

 ホムンクルス、人口生命体、そんな事を話していたがそれが全てだとは思えない。

 そしてそれをこの魔導書が知っているとも思えない。

 それでも聞かずにはいられない。


「…………わからない」


「え? 」


 想定外の答えだった。

 沈黙や怒声、虚言といったすべてに備えていたが、素直にわからないと言われてしまった。

 嘘という可能性はあるのだが、どうにもこの魔導書の言葉からは嘘の気配を感じ取ることはできなかった。


「わからないことが多すぎるのだ。例えば俺とローリーは人をエネルギーとして液化させた物体の塊だ。あの蛇が死に際に液化したもの、あれと同じ素材と言える」


「あの液体……」


 黄金に光り輝く液体、どろどろとしたそれは今でも網膜に焼き付いている。

 神々しいとさえ思ってしまうほどの光景だったが、そんなおぞましい物で作られていたとは思いもしなかった。

 いや、おぞましいと言ってはこの二人や元になった者たちに失礼だろうか。


「そして俺たち二人は核が存在する。あの蛇にはそれが無かったが……俺たちは二人同時にその核を破壊されたら死ぬ……はずだ」


「はずって……随分とあいまいね」


「お前たち人間風に言いなおすならば、『心臓に穴が開いたら死ぬと思う』『脳みそ取り出されたら死ぬんじゃないかな』くらいのニュアンスでとらえておけ。十中八九確定しているが万が一という可能性があるという事だ」


 心臓に穴が開いたり脳みそを奪われたら、十中八九ではなく十中十で死ぬだろう。

 しかし言いたいことは分かった。

 私たちは前例というものが存在するが彼等にはそれが無い。

 だから、それで死ぬという確証も得られないのだ。


「俺たちが施設を抜けだした時は、俺はみていないがローリーは自分と同型のホムンクルスの死体を見た。それは腐敗していたという話だから……死ぬときは死ぬのだろう。けれどそう言ったホムンクルスの中でも俺たちは特例だ」


「特例……研究所だの施設だのってところの外にいることが? 」


「否、俺たちが【同時に】核をつぶせば死ぬだろうという点だ。本来ホムンクルスとは核をつぶせば死ぬもの、それは核が一つしかないからであって、二対一体のホムンクルスなど存在しないからだ」


 そもそもホムンクルスというものが今まで存在しなかったからその特異性が分からない。

 突然変異の中の異常個体という事だろうか。

 どちらにせよピンとこない話ではある。


「俺達を作った男は言った、作る時に核を二分したと。本来ならそれで消滅するはずだった俺達は、今こうして動いている。つまり何かしらの細工がされているという事だ」


「……その細工の秘密はそんなに重要なの? 」


「手足の動く原理を知っている物は、知らない物よりも優位に立てる。あの男たちは間違いなく敵に回るだろうから、その差は大きい」


「敵に回るって……その施設とやらは葉書いて研究者も死んだんじゃないの? 」


 確かローリはそんな事を言っていた。

 あの蛇はそのどさくさか、もしくは別の段階で脱走していたと考えていたのだが……。


「否、それこそ否、俺たちの存在異常にあり得ない。あの男はどのような手段で殺そうとも滅ぶことはない。不老不死、不滅、神のごとき存在、この世の全ての冒涜、そんなものはあの男の前では塵芥に等しい。なぜならそれら全てを詰め込んだ存在が俺達であり、それを生んだのがあの男だからだ。そんな男が、殺した程度で死ぬわけがあるまい」


 グリムの怒声が、森にこだました。

 寝苦しそうにネガ入りを打ったローリに、グリムがハッとして、小さくすまんと謝罪してきた。


「その男……名前は? 」


「ドクター・カリギュラ、そう名乗っていた。白髪で筋肉質な男だ。今後何かしらの機会があるかもしれないが決して近づくな。いざとなったら俺もローリーも忘れて逃げろ。あの男が興味を失ってくれることを祈りながら」


「情報が足りな過ぎて何とも言えないわね」


 白髪で筋肉質、そんなのは珍しくない。

 少し都会から外れた農村に行けばほぼ全員が当てはまる特徴だ。

 しかし、ドクター・カリギュラという名前は随分と特徴的……いや、不思議と言える。


「ならば俺が逃げろと言った時は逃げろ、逃げてくれよ恩人」


「……そうね、考えておくわ」


 グリムの真剣な言葉に気圧された私はそう答える事しかできなかった。

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