第31話
メアリーの怒声で、一本の首が弓のように弾き絞られていることに気付いた。
まずい、何かが来る。
そう思った瞬間に蛇の首はこちらへ向かってきた。
弓のようにと称したが、その速度はまさしく矢のごとし。
手元に【ヒートナイフ】を引き戻すと同時に新たな魔法を構築する。
「【ソイルロック】!」
【ヒートナイフ】をまとめ上げて一本の剣に仕立て上げ、蛇の首に沿わせて軌道を反らす。
そして【ソイルロック】でさらに軌道を反らし後押しをして、直撃だけは避けた。
だが直撃しなかっただけだ。
左肩の付け根をえぐられた、その程度で済んだのは幸いだ。
けれど……魔力残がまずい。
とっさに使った【ソイルロック】だったが、残の半分を奪われてしまった。
使わなければ左半身を持っていかれていたとはいえ……さらにメアリーが大声を上げたことで蛇の意識がそちらにも向いてしまった。
いや、僕を食い損ねた原因に怒りを抱いたと言った様子だ。
「メアリー! 」
「これ以上は……ローリー、残りの魔力を振り絞れ! 胴体を貫け! 」
鱗をはがし肉が露出している部位にナイフを突き立てたメアリーは新たにナイフを取り出して構えた。
蛇の注意は僕とメアリーに分散している、今までよりも余裕はできる。
「【ヒート……」
蛇の攻撃を反らすためにナイフ纏めて疑似的に作り出した剣を模倣する。
似たような見た目であってもこの剣が内包する魔力と熱量は、【ヒートナイフ】を大きく上回る。
しかし、制御が難しい。
無駄なく、それでいて確実に蛇を倒せるだけの威力。
それを実現させるために魔力を絞りつくしていく。
肩からの出血が激しくなっているのは脈拍が上がっているからだろうか。
ズキンと鈍い痛みが走り、集中力が途切れかける。
けれどそんな事は関係ない。
途切れたならつなぎなおすだけだ。
狙うはメアリーが付きたてたナイフ。
この蛇は僕異常の再生力を有しているようだが、原理は同じなのかナイフが突き刺さっている部分だけは回復していない。
それ以外の部分は、すでに鱗が映え端得ているのだから恐ろしいものだが……。
あのナイフ、その一点を狙い撃つことができるのならば蛇の内臓にも魔法は届くだろう。
「……サーベル】」
ギリギリのところで意識をつなぎ留めながらも魔法を完成させる。
【ヒートサーベル】、熱で出来た一本の剣。
今の僕に使える魔法で蛇にダメージを与えられるかもしれない魔法。
先ほどのミスが無ければほかの手段もあったかもしれないが、今はこれが精いっぱいだ。
だから、メアリーの言う通り全てを振り絞り、投擲する。
「【ブースト】……」
投擲した剣の魔法を重ね掛けする、これで残りの魔力は極僅か。
立っていることもできずに膝をついてしまう。
だからと言って魔法の操作に手は抜かない。
蛇を引き付けているメアリーと、それに襲い掛かる4つの頭、そして動きを止めた僕に迫りくる残り4つの頭に触れないよう剣を加速させる。
「【ブースト】……! 」
二段階目のブースト、意識が途切れそうになる。
まだ、この程度では蛇の頭僕を食いちぎるほうが早いだろう。
だから、出し惜しみはしない。
「【ブース……ト】‼ 」
身体が倒れていくのを感じる、けれどもう魔法の操作は必要ない。
このまま剣が直進していけば、かろうじて動く眼球で剣の起動を追う。
しかしその光景は4つの壁、蛇の頭で遮られてみることができない。
チキンレースというのだろうか。
だとしたらそのゲームに僕は勝てない。
操作をすることなく、来るものを待っているだけなのだから。
「SYRAAAAAAAAAAA! 」
眼前に迫った蛇が、一瞬動きを止めた。
そして悲鳴を上げてのたうち始める。
視線の先にはナイフを融解させ、蛇の胴に深々と突き刺さった【ヒートサーベル】の柄が見えた。
当たった、そう確信した。
けれど油断はしない。
「【ブ……ラ……スト】」
正真正銘最後の魔力を注ぎ込んで、剣を弾けさせた。
【ヒートサーベル】に込められた熱と魔力が瞬時に解放され、蛇の体内で小規模な爆発を引き起こす。
あれほど硬かった蛇も、体内の爆発には耐えきれなかったのか両端、つまりは爆発から最も離れた位置に着いていた首以外の6本が根元から千切れていた。
あとはメアリーに任せられないか、そう思ったがメアリーも膝をついていた。
となれば、これで蛇を殺し切れていなければ僕たちの負けか。
ならばあとは祈るだけか、では何に祈るか、そんな事を考えているが肩の痛みに意識を引き戻される。
「痛み……? 」
そうだ、痛み。
怪我をすれば痛いのは当然だが、何時まで経っても痛みが消えない。
おかしい、普段なら再生は始まっていてもおかしくない。
だというのに、肩の傷はその兆候さえ見せない。
研究所で拷問という名の実験を受けていた時に、似たような状況になったことがあった。
あの時は核に傷を負った事で再生力が低下したという結論が出ていたが……今回は核のある心臓部とは離れた位置を負傷している。
ならば、傷が侵食してくる類の物……継続してダメージが入る類のもの、炎であぶり続けられた場合や、何かが刺さって回復を阻害している場合。
そして、毒。
今体が動かないのは、魔力の枯渇が原因のはず。
それに僕の毒態勢は人間と変わらないから、身体を蝕む類の、いわゆる致死毒ならば症状が出ていてもおかしくない。
ならば、毒とよく似た別の何かか……それこそ、そう、酸のような物だろうか。
だが傷口は痛みを発しているものの、それ以外の以上は見受けられない。
だとしたらこれはいったいなんだ……。
「ローリー」
「メ……アリー……」
メアリーが蛇を警戒しながらこちらに向かってくる。
少し離れた位置、僕とメアリーが決して、蛇と直線に並ばないような位置取りだ。
「動けないみたいね、酷い傷で魔力も使い果たしているし」
視界の端で蛇が身体を起こそうとして、地面に崩れ落ちる様子が見える。
千切れた頭部が、どこかで見た液体に変質して溶けていく。
蛇の頭部を模していた金色の粘液、それが地面に吸い込まれるのを見て、ひとりの男を思い出した。
あぁ、あの粘液は僕やグリムだ。
そして蛇も同じもので出来ている。
共通点が分かってしまえば、その間にある者まで行きつくのは容易い。
ドクター・カリギュラ。
あのすべてを最悪の形に導く男。
この蛇も、僕たち同様あの男がかかわっていたのではないか。
あの時見た夢、あれは共振だったのではないか。
疲労で意識が混濁していたあの時、どこか見覚えがある研究所で、面影のあるドクターを見た。
それは何年か前にドクターがかかわっていた研究ではないのか。
その研究はあの蛇が暴走したことで終焉を迎え、僕はその夢を誰かの視点で見ていたのではないか。
この際誰の視点で見ていたのかはどうでもいい。
だが、ガラスの容器に収められていたという事を考えると、僕より先に作られたホムンクルスだったのではないかと思う。
そして奴の視線。
食欲に駆られた視線はその時に見たものではないのか。
あの蛇が僕に固執していたのは、その生まれに原因があるのではないか。
あらゆる仮説が駆け巡り、そして結論を導き出す。
間違いない、あの蛇はドクター・カリギュラとかかわりがある。
僕を狙った理由は……いや、あの男が生きていたらなんて仮説はさすがに無理がある。
無理があるのだが……どうしたものか、あの男が死ぬ姿が想像できない。
なんだかんだ言って生き延びていそうだとさえ思ってしまう。
殺しても死なない男、それこそ最悪であり禁忌だ。
禁忌、あの男がこの上なく愛する物。
そして殺しても死なない存在はすでに立証されている。
僕だ。
「……くそ」
「ローリー? 」
鉛のように重い体を無理やり立たせる、グリムを抱えている暇はない。。
あの男がかかわっているなら、あの男が黒幕なら、このままではまずい。
死に体の蛇とはいえこの状況を打破しうる方法はいくつも抱えているはずだ。
考えろ、僕だったらどうする。
僕があの男だったらどうする。
僕があの蛇だったらどうする。
その結論を導き出して、メアリーに覆いかぶさった。
「きゃっ! 」
珍しくかわいらしいメアリーの声は、頭上を通り過ぎた暴風でかき消された。
結論は、不意打ちでメアリーを叩いてからゆっくりと僕を狙う。
あの蛇の狙いが僕たちを食べる事なのか、それともドクターの命令に従って捕らえに来たのか、はたまたそれ以外の何かなのかは分からない。
けれど、そのすべてにおいてメアリーはイレギュラーで邪魔な存在だ。
だから狙うならメアリーだろうと考え、彼女を押し倒したのだが……その方法までは思いつかなかった。
「っ……」
千切れた頭が、液状に分解されゆく最中、首元まで消え去り頭部だけとなったそれは爆発ともいえる瞬発力で飛び掛かってきた。
その速度は鈍重な僕の右手を食いちぎるには十分だった。
「このっ! 」
飛び掛かってきた頭部にナイフを向けたメアリーだったが、すでに空中で液体となって地面に飛び散った蛇には関係のない事だろう。
けれど生き残った東部にとって、とくに胴体といまだにつながっている二本の頭にとってメアリーが意識を反らした事は大きい。
一瞬の隙があれば、それで十分だったのだろう。
今まで巨体に隠れていたが蛇にも尾はある。
その尾を振るい、地面を掘り起こし、砂岩をつぶてとして放って来た。
上下左右、あらゆる逃げ道を封じた榴弾は、破砕した木々も巻き込み飛来する。
まるで竜巻のような勢い、せめて魔法が使えたら致命傷は防げただろう……。
「ふ……」
メアリーが小さく息を吐き出す。
いや、何かを呟いたのか。
なんにせよ彼女がそれを考えられるのは、わずかと呼ぶにも少なすぎる時間だけだろう。
むしろここで死んでしまえるのならそれがうらやましくも思える。
「ふざっけんな! 」
蛇の巻き起こした轟音すら飲み込まんという怒声が耳元で響いた。
メアリーが慟哭してすぐに僕は浮遊感に襲われる。
襟首をつかまれ後方へ投げ飛ばされた。
ゆっくりと回転する視界にはナイフを構えて立ち上がったメアリーと、メアリーを貫かんとする榴弾。
声を絞り出そうとするが、口が動かない。
スローモーションな視界が、明確にメアリーの死の瞬間を認識させようとしていた。
「こんな! 」
しかし、硬質な金属音と同時にメアリーに向かっていた礫の一つが軌道を変えた。
「ところで! 」
二度三度、同じ現象が起こる。
何が起こっているのかわからない。
「死んで! 」
更に数度、同じ現象を目の当たりにしてようやくメアリーが礫をはじいていると理解できた。
なぜ、理由ではない、方法が分からない。
いや方法というのもまた違うか、メアリーはナイフで弾道を反らしている。
それは分かるが、無数に飛来する礫を見極めて軌道を反らして身を守るためにはどれだけの技量と度胸が必要なのかが分からない。
「たまるか! 」
まさに火事場の馬鹿時からというやつなのだろう。
数百数千の弾丸をナイフで反らすという神業を、窮地で底力を発揮して防いだ。
英雄譚に記される人物でもそうたやすくはできないだろう。
けれど、それは長くは続かない。
メアリーの頬に、腕に、足に、少しずつ傷がついていく。
反らしきれなかった礫、致命傷ではないからと黙認した傷、それらは着実にダメージとなって積み重ねられていく。
そして、キィンというひときわ甲高い音を立ててメアリーのナイフが根元折れた。
ダメージを重ねていたのはメアリーだけではない。
弾かず反らすという神業を持って、ナイフへの負荷を抑えていたとしても、いずれは限界が訪れる。
刃の半ばで折れたなら、まだ礫を反らすことはできただろう。
けれどそれが根元から折れたのであれば、もはや道具としては役に立たない。
そして榴弾の雨にさらされている今この状況。
新たなナイフを取り出す暇さえない。
二本の腕二本のナイフでギリギリ凌げていた猛攻を前に、それは敗北を意味する。
「がふっ」
致命傷を避けても、それは変わらない。
一撃一撃が樹木をなぎ倒す威力を持っているのであれば、人間が受け止めることなど不可能だ。
ふき飛ばされ地面に倒れこんだメアリーは、すでに虫の息だ。
不幸中の幸いは、その大半をメアリーが防ぎ切ったことだろう。
故に、まだ生きている。
しかし死と隣り合わせの重体、それはこの場にいる全員にいえる事だったとしても、再生能力を持たないメアリーは死の淵、崖際で倒れかけていると言える。
「ロ……リー……」
そんなメアリーの声が聞こえる。
「あき……らめてんじゃ……ない、わよ」
そんな死の間際においてもメアリーの説教癖は治らないらしい。
だけど、それがまた心地よい。
あの時、研究所で命を奪った者達は我先にと他者を蹴り飛ばしてでも逃げようとしていた。
唯一の例外は人類としての例外筆頭なので除外するとしても、死の間際というのは本性があらわになるものだ。
だから、メアリーの本性はお人よしなのだと確信することができた。
それがたまらなくいとおしい。
「まだ、できる事……あるでしょうに。私は、死にたく、ないんだから……ここまで、手を貸して……げふっこふっ……あげたんだから……ちゃんと……どうにかしなさいよ……げほっ」
僕に出来る事……右腕を失い、左手もまともに動かない。
どころか体が重く立ち上がる事さえ難しい僕に。
魔力も底をついた僕にできる事。
……何もない。
そうだ、僕には何もない。
メアリーに守ってもらわなければとっくに死んでいた。
ならば誰かの助けがあれば。
だれの、この状況で誰の助けがある。
決まっている。
それは、生まれながらに決まっている。
悲鳴を上げる関節に鞭打って地面をはいずる。
蛇の打ち出した榴弾で方々にできたクレーターの淵を掴んで、地面をけって、虫けらのように這いずり回る。
あぁ、なぜか再生しない腕も肩も、今となってはちょうどいい。
痛みが意識を引き留めてくれる。
そんな事を考えながら、背後で蛇の動く気配を感じた。
振り返る余裕はない。
あと少し、あと数センチ手を伸ばせば、そこには彼がいる。
傷口の痛み、助けになっていたそれも無視して手を伸ばす。
ひときわ大きな痛みに顔をしかめ、身体を丸めたくなるのをこらえて、彼の身体に触れることができた。
「……寝坊、起きろ、グリム 」
しかし彼は答えない。
似合わないアクセサリーが邪魔だ。
無理やり体を起こして、地面に転がっている彼に拳を振り下ろす。
「鍵なんかつけるな! 似合わない! こんな時に寝ているな! 」
思いのたけを全て込めて、拳を振り下ろす。
「起きて、助けて! 」
万感の願いを込めて振り下ろした拳。
しかし、それは振り上げた左腕を重力に任せて下しただけだった。
願いは込められても力は籠められない。
「……こんなところで……死ねるか……」
身体も、重力に従って倒れていく。
メアリーの言葉を繰り返し口ずさみながら、いまだに目を覚まさない彼の上に。
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