第29話

 木々が露出した肌を傷つけるのもいとわず森を駆け抜ける。

 走って、走って、走って、足が悲鳴を上げて、胸が軋むのもいとわずに。

 どれだけ走っただろうか。

 足がもつれ一瞬の浮遊感を味わうと同時に首が閉まった。

 背後でどさりという音がして、視界が揺れ続ける。


「首が……」


「贅沢言わない! 」


 メアリーの声が上から投げかけられた。

 転びかけたところを掴まれたようだ。

 ありがたいし助かったのだが……呼吸をぜいたくと言われてしまうとは思わなんだ。

 今なら猫の気持ちが分かるかもしれない。


「くそっ……逃げきれない」


 背後からはズリズリという音と破砕音が近づいてくる。


「ローリー! 何か魔法で足止めできないの! 」


「【ソイルロック】」


 メアリーの言葉に応える様に魔法を行使する。

 隆起した地面は棘上に突き出す。


「【ウォールロック】【ソイルホール】」


 立て続けに壁と穴を作り道をふさぐように配置する。

 しかし数秒後にはひときわ大きな破砕音が響いただけだった。


「だめだった」


「そうね」


「向きを変えても逃げられない? 」


「さっきから何度も方向転換しているけれど追尾されていてね……それにもうその余裕もない」


 背後から聞こえる音から察するにもう数十メートルも離れていないだろう。

 やはり僕達を狙っているのだろうか。


「メアリー、少し集中するから背中貸して」


「……わかった」


 メアリーは残っていた荷物を捨てて、片手でつかんでいた僕を背中に乗せた。

 断続的に首が閉まる状況よりよっぽど集中できる。


「……………………【ステルス】」


 グリムから教わった魔法、ステルス。

 風と土の混合魔法で臭いや気配、移動音を隠してしまう魔法。

 この状態なら、普通の魔獣や猛獣では追いかけられないはずだ。

 普通ならば。


「……だめ? 」


 しかし背後の音は動きを止めることなく僕たちについてくる。

 メアリーの肩をたたいて合図を送り、方向転換してもらってもそれは変わらなかった。


「こいつは音やにおいは関係ないみたい」


「この見通しの悪い状況なら目がいいわけでもないわね……」


 それならば……。


「【ヴェルメ】、5連! 」


 得意ではないけれど炎、臭いでも光でも音でもないのならば熱で……。


「あ、だめだ」


 魔法を打って気が付く。

 威力が低すぎて火が付かない。

 けれど効果があったらしく背後から聞こえる破砕音が広範囲に広がる。


「ローリー! 」


「わかってる! 【ハイヒート】3連! 」


 さっきの魔法より熱量を上げてようやく木に火が付いた。

 しかし燃え広がるにはもう少し時間がかかりそうだ。

 このまま逃げても僕たちの熱が孤立して移動していたらすぐに見つかってしまうだろう。

 ならば……やることは一つ。


「メアリー、そのまま走って! 」


「がってん! 」


「【ハイヒート】【ハイスヴェルメ】【ブロードハイヒート】【ブライトハイスヴェルメ】‼ 」


 知っている限りの炎の魔法をばらまきながら逃げる。

 メアリーを足に移動砲台として、身を隠せる場所を見つけるまではこのまま突き進む。


 どれだけ逃げたか。

 5分か、10分か、1時間か、それともまだ数秒しかたっていないのかわからない。

 時間を図れるほど余裕はなかった。

 永遠にも感じる時間魔法を行使し続けたのは初めてだ。

 だからだろうか、他への注意がおろそかになっていた。


「ローリー、こそばゆいからあんまり動かないで」


「……うごいてな、っ? 」


 メアリーの背中と僕の大中で挟んでいたグリムがかすかに振動していることに今更気が付いた。

 そして、発熱している。


「これって……」


 銀色の錠前が熱を持っている。

 人肌とは言えない、明らかな熱量。

 魔法の熱で炙られたわけではないだろう。

 気づくのに遅れたのはそのせいかもしれないが。


「……まずいわね」


 先ほどまでは迷走したように広範囲で響いていた破砕音が、再び近づいてきた。

 先ほどよりも早く、そして確実に僕たちを狙って。


「くる……」


「迎え撃つしかない、かしらね」


 背中から降りて、その瞬間に備える。

 隣に立っているメアリーもコートのボタンをはずして、矢をつがえている。


「合わせなさい……今! 」


「【ソイルロックブラスト】! 」


 石のつぶてと放たれた矢が薙ぎ倒された木の隙間を縫って破壊者へと襲い掛かる。

 これが、あの猫のような魔獣であれば仕留められる。

 けれどそんな相手であれば最初から逃げる必要はない。

 だから手を止めない。


「【ハイヒート】……【ブラスト】」


「まだまだ! 」


「【エリアルナイフ】【ヒートナイフ】【ロックナイフ】」


 風、炎、岩で作り出したナイフを投擲していく。

 しかしほとんどの魔法や矢が硬質な音を響かせただけだった。。

 風は霧散し、岩は砕け、矢は折れ。

 唯一炎の魔法だけが焦げ目を作るに至った。

 だからといってどうという事はない。

 砕けた岩は蛇の身体に汚れを残しただけ、炎は体表に煤を付けただけ、それだけの違いでしかないのだ。


「かたい……」


「やっぱり蛇だったわね」


 熱に反応する、予想はできていた。

 ピット器官だっただろうか。

 熱を感知する蛇の持つ器官。

 破砕音からも想像できていたが大きい。

 身を倒して移動していたからか、首をもたげた姿は齢100を優に超えるであろう樹木よりも巨大だ。

 しかし、想定外の出来事もあった。

 首が多い。

 胴半ばで分かたれたその頭は8つ。


「蛇と言うには少し頭が多すぎる」


「大きすぎるのも問題ね」


 矢の尽きたメアリーは弓を捨ててナイフを投擲する。


「それに固すぎる」


 ナイフは防がれるまでもなく、鱗で阻まれた。

 猫とはいえ猛獣の頭蓋骨さえ貫通したナイフを防ぐ鱗。

 その硬度がどれほどの物なのか。


「SYURAAAAAAAA! 」


 蛇の吐息が咆哮のように空気を震わせる。

 生臭く温い風が身体を撫でる。

 その視線が僕に、そしてグリムに注がれている事に気づいた瞬間すべてが停止した。

 硬直、蛇ににらまれたカエル、筋肉が硬直して一切の身動きが封じられた。

 まずい、そう考える暇もなかった。


「ローリー! 」


 眼前に迫った蛇の口腔内に圧倒される。

 あぁ、このまま丸のみにされるのだろうか。

 それとも体を食いちぎられるのだろうか。

 どちらにせよ痛そうだ。

 近づいてくる明確な死に、記憶と記録が脳裏を駆け巡った。


「っ」


 走馬燈、一生を追体験しようとしていたところで足に鋭い痛みを感じた。

 上半身を食いちぎられると覚悟を決めていたところで、予想外の痛みに意識が引き戻される。

 視線を下すと地面には見覚えのあるナイフが刺さっていた。

 メアリーだ。

 彼女が投げたナイフが僕の足に刺さっている。

 そして耳元を何かが高速で通り過ぎていった。

 戻した視線の先には緑色の鱗、蛇のそれが鎮座していた。


「間に……あった」


 蛇を超えたところからメアリーの声が聞こえる。

 メアリーが投げたナイフはぼくの太ももを傷つけ、そのせいで体勢を崩し、致命的な一撃をかわすことができたのだろう。

 しかし、だからと言って絶体絶命であることに変わりはない。


「鱗の隙間! 」


 彼女が何を言わんとしているのかは手に取るようにわかった。

 短い付き合いながらも濃厚な時間を共にしている。


「つ」


 太ももに突き刺さったナイフを引き抜いて、蛇の鱗の隙間に刃先を押し込む。

 それは先ほどまでとは違いはじかれることはなかった。

 わずかな抵抗の後、肉に刃先が沈み込んでいく感触がナイフ越しに伝わってくる。

 けれどそこまでだった。

 再び蛇の咆哮、心構えの外側の事態にナイフを手放してしまったが、その行為が功を奏した。

 蛇は伸ばしていた首を持ち上げた。

 あのままナイフを掴んでいたら途中で振り落とされて、軽くないダメージ負っていただろう。


「ローリー、大丈夫かい? 」


「メアリー……助かったと礼を言うべきか、痛かったと文句を言うべきかわからない」


「この状況を乗り越えたら両方聞いてあげるわよ」


 そんな軽口をたたきながらもメアリーの目は真剣そのものだった。


「ねぇ、ローリー。あれってさ」


 メアリーが指さしたのは先ほど【ヒートナイフ】の魔法で焦がした鱗だった、

 その焦げ目は、徐々に小さくなっている。

 回復能力……先ほどメアリーに刺された脚に目を向けるとそちらも回復が始まっていた。

 いつもより早い……ナイフが刺さるほどの怪我であれば再生まで10分前後の時間がかかるはずだ。

 けれど、血は止まり傷も塞がり始めている。

 痛みも和らぎ、飛んだり跳ねたりは難しくとも歩行程度なら難しくない。


「……ローリー? 」


 メアリーの呼びかけは耳に届いたが、今はそれどころではない。

 思考が一つの仮説を訴え続けている。

 もし、もしもこの仮説が正しいのであればある程度こいつの動きをコントロールできるかもしれない。

 淡い期待だ、それに賭けた結果何かが好転するわけでもない。

 だからと言って確かめずにはいられない。


「あ、ちょっと! 」


 メアリーの制止を無視して、足を引きずりながら走る。

 もしこれで蛇の意識がこちらに向いたら、仮説は立証される。

 できれば外れてほしいと祈りながらも、僕の祈りや願いはいつも叶わないと苦笑せざるを得ない。

 そしてやはりというべきか、蛇の意識は僕に向いた。


「メアリー! そのまま攻撃を! 」


 僕の呼びかけにメアリーは蛇の鱗、その隙間にナイフを差し込み一枚一枚剥ぎ取り始めた。

 生皮ならぬ生鱗を剥がれている蛇だが、尾を振り回すだけでメアリーに意識を向けることはない。

 つまり、僕に集中している、そうとしか言えない。


「狙いはローリーか……」


 暴音の隙間からメアリーの声が響く。

 流石というべきか、察しがいい。


「囮引き受けた」


「……魔力の温存、足元と周囲の確認、そして無理はしない事。それが今回の助言よ」


 逡巡の後、しっかりと助言をくれるメアリーはやはりいい人だ。

 普通ならここで僕を囮にしてそのまま逃げてしまうだろうに。

 けれど何か考えがあるのだろうか、このままちまちまと鱗をはがしても勝てないのはメアリーもわかっているはずだが……。

 とはいえ今は他にできることもない。

 メアリーを信じて……魔力の温存か。

 残り6割と言ったところかな。

 避けることに専念すれば、それなりには残せそうだけれど、注意をそらさないと囮にはならないだろうし……グリムが手伝ってくれたら……いや、今は自分にできる事だけを考えよう。


「【ヒートナイフ】5連、待機命令」


 炎で作ったナイフを5本空中で待機させる。

 そのうち一本を、蛇の鼻先に掠める様に飛ばす。

 掠めるだけなら霧散しないようだ。

 それならば……残り四本も投擲して蛇をかすめるように飛ばし、操る。

 ダメージにはなっていなくともいい、引き付けることができればそれで十分だ。

 メアリーは何かを企んでいるはず、そのためにも引き受けた仕事はしっかりとやり遂げるだけだ。

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