第28話

 どれほど眠っていたのだろうか、先程は真上にあった太陽が西の空に沈みかけている。

 逢魔が時、というのだったか。

 研究所で見た時はもうすぐ寝る時間だとしか思わなかったが、森の中で見る夕日は不気味だ。

 もうすぐ夜になる、夜は猛獣が闊歩する時間帯だ。

 だからだろうか、鳥肌が収まらない。

 体を起こして周囲を見渡してみるとメアリーが木の幹に寄りかかって眠っていた。

 倦怠感は……残っていない。

 多少の熱が残っているのだろうか、眼球から水分が消え失せたように痛む。


「…………! 」


 手足を伸ばして関節残りを解していると、メアリーが跳ね起きた。

 抱えていた弓を握りしめて周囲を警戒している。


「メアリー……? 」


「しっ」


 近づいて声をかけると口を塞がれ、茂みに引きずり込まれた。


「………………」


 メアリーに合わせて息を殺して周囲警戒に努めることにする。

 耳をすませば鳥や獣の鳴き声と、風の音、枝葉の擦れる音、その中に、何かが倒れるような音と何かを引きずるような音。

 これは、なんだろうか。

 地響きが近づいてくる。

 ズシン、ズシンという音。

 徐々にメキメキという樹木が軋む音も……これは、巨大な何かが木々をなぎ倒しているのだろうか。

 しばらくして、その音は離れていった。

 僕たちがいた場所は進行方向と違ったのだろう。


「……ローリー、体調は? 」


「問題ない、熱は少し残っているけれど倦怠感も疲労感もなくなった」


「そう、なら移動するわよ」


 メアリーの言葉に無言で頷いて、荷物をまとめ後に続いた。

 無言で移動するメアリーについていく。

 音と逆の方向に進んでいるが……しかしこれはどこへ向かっているのだろうか。

 太陽が沈んでしまった今、方角を確かめる手段は方位磁石か星だけだろう。

 しかしメアリーはそのどちらも確認していないようだ。

 ならば、これはどこへ向かっているのだろうか。

 そう考えているとメアリーに手を引かれた。


「方角は後でもわかる、今は逃げることに集中、余計なことは考えない」


 小声で耳打ちされるとくすぐったいのだが、そんなことを考えていては後で拳骨を食らってしまうだろう。

 今はメアリーの言う通り逃げることに集中しよう。

 そう考えて森を歩き続けた。

 身ともいえぬ道を、足元もおぼつかないままに一歩ずつ。

 一寸先は闇、というがまさにその通りだろう。

 今メアリーがどこにいるのか、服の裾を掴んでいるからこそ分かるが、いきなり猛獣などに飛び掛かられてしまっては対処のしようがない。


 少なくとも僕には……メアリーには可能なのだろうか。

 願わくば対処可能であることを祈りながら安全地帯にたどり着けることを願うばかりだ。

 どれほど歩き、どれほど身を隠しただろうか。

 一度沈んでから上った日は、ふたたび沈み始めた。

 つまり丸一日の行軍だ。

 緊張しながらの進行は体力を使うが、メアリーが調節してくれたのだろうか。

 まだまだ余裕がありそうだ。


「……ローリー、あの岩場で休憩するわよ、ついでに見張りもできそうな場所だしね」


「わかった」


「必要な物だけは近くにおきなさい、最悪の場合それ以外は置いていくつもりで」


「うん」


 メアリーの言葉に淡々と返事を返し、岩場の陰に身を隠した。

 いわれた通りいつでも逃げられるように必要最低限の荷物だけを握りしめて、それ以外の物は地面に卸して休む。

 その間、メアリーは岩場の上によじ登り、周囲を見渡していた。

 耳をすませば遠くから何かを引きずるような音が聞こえてくる。


「……どうだった? 」


「遠くで土煙が上がっていた、姿まではよく見えなかったけど巨大な何かが蠢いているのも見えた……今まで見たこともない化け物ね」


「化け物……」


 その言葉を耳にした瞬間、眼球の奥に鈍い痛みが走った。

 これは……夢でガラスが刺さったときの物と同じ痛みだろうか。

 何の痛みだろうか。


「ローリー? 」


「……頭が痛い」


「悪いけど休憩は数分だけ、今は少しでもあれから離れたい」


「わかってる」


 目をこすって、そしてグリムを抱きしめる。

 研究所を脱出してから独りで奔走していたけれど、メアリーと出会うことはできたけれど、肝心のグリムは一度も声を聴かせてくれない。

 心細いとはこういう事なのだろうか。

 それとも寂しいという事なのか。

 孤独感、虚無感、喪失感、どれもしっくりとこない。


「グリム……」


 抱きしめた相棒に取り付けられたアクセサリー(鍵)に触れて起きてほしいと願う。

 けれどその願いは叶わないのだろう。

 諦めを込めた無意味な行為のはずだった。

 錠前が少し振動した。

 ハッとしてグリムを見るが、何の変化もない。

 気のせいだったのだろうか。

 いや、違う。

 気のせいではない。

 そう確信できる。


「……まずいね」


 思わぬ出来事に頬を緩ませた瞬間、メアリーはそう口にした。

 何がまずいというのだろうか。

 そう聞く前に岩場からメアリーが飛び降りてきた。

 危ないと文句を言う暇もなく、立たされた。

 ジェスチャーで逃げると指示されて、今自分が置かれている状況を思い出す。


「あれがこっちに向かってる、いきなり進路を変えて鋭角に曲がってきやがった」


「僕たちを狙っている? 」


「わからない、けどこっちに向かっているのは確かよ、だからさっさと逃げましょう」


 小さく頷いて、そして岩場を離れる。

 腕の中でカタカタと震えるグリムを放さない様に抱き留めながら。

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