第25話
街まで三日、たしかにメアリーはそう言った。
そして僕のような……子供の足で歩くことも計算に入れていると言った。
けれどそれは嘘だった。
「……メアリー」
「いやぁ……うん、想定外」
彼女はいくつか計算を間違えていた。
例えば食料、心身ともに緊張を強いられる環境に置かれると人間の食欲はどうなるか。
当然のことながら減衰するが、それも始めのうちだけ。あの大型の猫に襲われた日の夜は殆ど喉を通らないほど疲弊して、食事よりも睡眠を欲した。ありがたくない事に、睡眠欲というものが芽生えたともいえる。
徐々に、食欲につながらなくとも生命維持のために栄養を求めるようになる。
それは減衰していた反動のように、とにかく食事が恋しくなるのだ。
二日目の夜には大型の猫から剥ぎ取った肉も食べつくしてしまうほどに。
メアリー曰く過程はありふれたものだが、この状態になるまでの期間が短すぎるそうだ。言い方を変えれば適応力があるという事らしいが、食料が足りなくなる可能性が高いらしく食料確保の必要があった。
また水の確保も必要になってきたので、予定していたルートからそれて水場を探し、丸一日かけて食料と水の備蓄を増やした。
「……重い」
その結果メアリーの持っている鞄では荷物が入りきらなくなり、その場で毛皮から簡易的な鞄を作ることになった。
初めて会った時も思ったが、メアリーは随分と器用だ。
余った端切れでグリムを体に固定する紐まで作り上げたときは思わず感嘆の声を上げてしまったほどだ。
「文句言わない、傭兵なんて基本的に狩人と変わらないんだからこれくらいの荷物にはなれなさい」
メアリーの言い分はもっともである。
とはいえ身の丈よりも大きな荷物というのは、干し肉ばかりが詰め込まれているとはいえ中々に堪えるものだ。
足場が植物で見えないことも相まって、歩きにくさは倍増している。
この身体も再構築の際にもう少し大きく出来ていたら、と思わないでもないが後の祭りというものだ。
そんなどうでもいいことを考えていると、危険が迫っていることに気が付く。
この数日、メアリーと行動を共にして身に着けた危機察知能力、早くも役に立ってくれているが殺意のあるものではない。
「……本当に早熟ね」
メアリーが小石を片手にこちらを睨んでいた。
気を抜けば攻撃される、そういう訓練だ。
無意識の警戒と無茶を言われたが、メアリーが言っていたのは洞察力の事だった。
音や空気の流れを肌で感じ取り、警戒心を高める事。
いうにたやすいが実際にやるとなると非常に神経をすり減らす。
「これなら次の訓練も……」
できれば聞きたくない、そんな話題を振ってきたメアリーは僕の願いを聞き届けたかのように言葉を遮った。
ただしそれはできれば外れてほしいという願いとともに。
「ローリー」
「わかっている」
残念ながら願いは叶わなかったようだ。
後方から音がしない。不自然なほどにだ。
以前グリムとともに魔石について調べようとした際に使った魔法とよく似た気配を感じる。
自然に溶け込むのではなく自信を中心に気配を遮断する魔法。
魔獣やモンスターと呼ばれる存在が狩りを覚える段階で習得する技術の一端。
気配を溶かすのではなく消そうとしているあたり若い個体だろうか。
「……ローリー、危なくなったら助けてあげるからやってみなさい」
「耳を疑う発言が聞こえた」
「気を使ってほしいなら年相応な姿を見せてからにしなさいっての」
スパルタ、メアリーの教育は本当にスパルタである。
どこぞの腹黒のように……いや、比べるのはメアリーに失礼だ。撤回しよう。
「くるわ」
メアリーの声と同時に獲物(・・)が飛び出してきた。
先日メアリーが仕留めた猫型の生物、やはり想定していた通り小柄だ。
幼い個体なのだろう。
こちらの様子をうかがっていて気づかれた瞬間に戦闘を仕掛ける辺りからして狩りに慣れていない。
ここ数日で学んだのは獣の狩りは本当に厄介だという事だ。
こちらが追い込んだと思った瞬間に殺されかけたこともあった、逃げたと思ったら別の個体がその隙をついて連携を見せることもあった、それに比べればこの程度……油断は禁物。
「……チッ」
背後から舌打ちが聞こえた、このまま油断していたら小石をぶつけられていた可能性が高い。
「【ソイルロック】」
研究所で覚えた魔法の一つ、地面を隆起させて針山を作り出す魔法を行使する。
しかし発動までのコンマ数秒をついて猫は飛び上がり、木の幹を利用した三角飛びを見せた。
一瞬で距離を詰められたことで思わず身体が硬直するが、効果の持続している【ソイルロック】を眼前で発動させて壁を作り身を守った。
全身から冷や汗が噴き出す。
一瞬判断が遅れていたら、そう思うと胃がすくみ上る。
気を引き締めたつもりでも油断をぬぐえていなかった。
小柄な体躯、だからどうした。
あの猫の牙は容易く僕を食いちぎるだろう。
あの爪はメアリーのナイフよりも大きいだろう。
あの小さな体は、大型の個体よりも捕らえにくいだろう。
「…………」
背後で腕を下した気配がする。
メアリーが援護をしてくれるというのは嘘ではないらしい。
けれど、いやむしろ安心できない。
今のタイミングで手を出さなかったという事は、本当にぎりぎりになるまで手助けを期待できないという事だ。
「くっ」
思考を巡らせていると猫が再び飛び掛かってきた。
慌てて横に飛びのいて、魔法を展開するが狙いを付けると移動していた。
幼い個体、経験不足、一瞬でもそう侮った自分をののしりたい。
まるっきり自分の事だった。
幼く一人では何もできない経験不足な個体。
あまりに情けなくて視界が歪む。
「……ローリー、指導その1だ」
メアリーの声がネガティブに染まり始めた脳みそに響いた。
「狙うな、相手は動く」
……つまりは全方位爆撃? いや違う、そんな力おしの戦法をメアリーが進めてくることはない。
短い付き合いだが、メアリーはそんな戦い方を好まない。
ならばどういうことか……。
「指導その2、ローリーの魔法は当たっている」
当たった……? いつ……いや、そうだ。たしかに一度当たった。
あの猫が飛び掛かってきたときに壁を作り出して……そういう事か。
「……その3、ビビるな」
その言葉を聞いて確信した。
「【ソイルロック】」
再び魔法を発動させる。猫は当然のごとく回避して、先ほどと同じ要領で飛び掛かってきた。
じっくりと、そのタイミングを待つ。
猫が木に足を付けて……まだだ、とんだ方向がこちらではない。
別の木に飛びついて、再び…… 狙うは今この瞬間。
先ほど同様に壁を作り出し身を守る。
しかし先ほどとは違い身を守るためのものではない、これは砲台だ。
「【ブラスト】! 」
魔力を流し生み出した壁を弾けさせる。
空中で方向転換をかけることができなかった猫は、飛来するつぶてを回避できずに小さな悲鳴を上げた。
あとはとどめを刺すだけ、そう思い再び魔法を展開しようとした瞬間脳天に衝撃が走った。
「……痛い」
「ど阿呆、誰があんな自爆技やれと言った。スパイク出してそのまま突っ込ませればよかっただろうに」
メアリーの拳骨が振り下ろされたせいだった。
それも以前やられた衝撃だけのものではなく、純粋な拳骨だ。
鍛え抜かれた彼女の拳は岩のごとく……。
「反省が足りないのかしら? 」
「十分足りた」
ダメージを受けたせいか地面に倒れ伏したまま動かない猫に魔法を行使し、確実にとどめを刺す。
少し、胸に刺さるものがあったような気がしたが気のせいだろう。
「それで、なんであんな魔法使ったの」
「あいつは勘がいいから棘くらいじゃばれると思った、だから意表を突いた。志向性持たせたから僕に瓦礫は向ってこないし大丈夫」
「……器用なことやってるけど、あいつが経験積んだ魔獣だったらよけられて殺されてたからね」
確かに……今後の課題として受け止めよう。
僕の魔法は、範囲や威力があるけど、その分隙も多い。
グリムほどうまく扱えないから志向性持たせるので精いっぱいだったし、研究所での戦闘訓練はほとんど役に立たないこともわかった。
一つの収穫と考えよう。
【メアリー視点】
さほど強くない……それがローリーに対して抱いた感想だった。
数日の間、ローリーの動きを見てきたが随分とお粗末だ。
気配の探り方も、身のこなしも、すべてが年相応。
戦闘訓練の経験があると言っていたが、それの魔法を打つ程度の事だろう。
どこかでそれを見極めなければいけない、そう思った時だった。
年端も行かぬハンターがこちらをうかがっていた。
先日の虎によく似た気配だ。
しかし随分と……いや、違うな。
雑な気配の消し方だと思ったが、こいつはわざと気づかせている。
……あの時の戦闘を見ていた?
ならば隙を見せたときが一番危険だと理解しているのだろうか。
けれど荒々しさがあるから、やはり幼いのだろうか。
不慣れながらも気配の探り方を覚えたローリーも気づいている、けど油断しているな。
思わず足元の石を拾い上げ、はじいて飛ばそうとした瞬間にこちらに視線を向けてきた。
残念なことに、学習能力だけは不相応らしい。
せっかくだ、少し……ローリーの実力を探ってみよう。
「……ローリー、危なくなったら助けてあげるからやってみなさい」
「耳を疑う発言が聞こえた」
「気を使ってほしいなら年相応な姿を見せてからにしなさいっての」
年相応外見相応な姿は十分に見たが、学習能力がずば抜けているせいでそれらを帳消しにしている。
そんな存在を、現状だけでも見極める必要がある。
だから多少の無茶も致し方ない。
いざという時はこちらも手助けをしてやればいい。
そう考えるのと気配が動くのは同時だった。
「くるわ」
その言葉と同時にハンターは飛び出してきた。
ローリーの表情からは油断が見て取れる。
やはり、説教が必要だろうか。
こんなところで『らしさ』を出す必要はないというのに。
「チッ」
思わず舌打ちをしてしまうが、ローリーがこちらにも気を向けているのが分かった。
怒気が漏れていたのだろうか。
「【ソイルロック】」
ローリーのか細い声が地面に吸い込まれる。
一瞬の間をおいて地面が蠢き、槍状に突き出したがそこにハンターの姿はない。
知覚の木に飛び移り、ローリーめがけて飛び掛かっていた。
思わずナイフを投げようとするが、ハンターの姿が消えたことでその手を止めた。
ローリーの眼前にはいつの間にか壁ができていた。
しかし、偶然の一手ともいうべきなのだろう。
ローリーの顔は青ざめており、頬には一筋の汗が流れている。
少し体がこわばっている様子から、何か思考が悪い方向に向いているのかもしれない。
その証拠に隙ができている……ハンターも当然その隙を見逃すわけなくローリーに飛び掛かっていったが、横に飛びのいて何とか躱して見せた。
けどそれまでだ。
あの体制では次の攻撃をよけられない。
……なるほど、やはり経験が浅すぎる。
「ローリー、指導その1だ」
声をかけることでハンターの注意をこちらに向けさせる。
少しの助言でローリーが勝てるとは思えない、こいつは体躯こそ小柄だが立派なハンターだ。
「狙うな、相手は動く」
狙いを定めれば相手は着弾点から離れようとする。
だから、次の動きを読んで攻撃を放つことが重要だ。
「指導その2、ローリーの攻撃は当たっている」
ローリーが使った、ソイルロックと言っただろうか。
あの魔法を選んだことは正解だ。
相手の動きを制限する、だから狙わずに先を読むための一手としては最適だ。
「その3、ビビるな」
気迫で負けたらすべてが終わる。
だから決して脅えた姿など相手に見せてはいけない。
そう言うつもりの助言だったのだが……伝わっただろうか。
いや、何か伝わったらしい。
曇っていた表情が明るくなり、何かを企んでいるような表情まで見せた。
顔に出すぎだ、いやほぼ無表情だけど微妙に表情筋動いているから観察力があればすぐにばれてしまうレベルだけれど。
今度ポーカーフェイスも教えなければ……。
「【ソイルロック】」
もしかしてあれだけの助言ですべてを理解したのだろうか。
先ほどと同じ戦法だ。
ハンターもさすがに警戒したのだろうか。
もしくは先ほどと同じ戦法だと思ったのだろうか。
三角飛びではない、もう一段別の木を踏み台にして時間差でローリーに飛び掛かった。
ローリーは……ここまでか、魔法の発動が間に合わないのか動く様子はない。
加勢しようとナイフに手をかけた瞬間、先ほど同様壁が現れた。
何を考えて……。
「【ブラスト】! 」
ローリーにしては珍しい叫び声だった。
土の壁は弾けて、否ハンマーで殴られたかのように砕けて、飛来するハンターを貫いた。
その威力は飛び掛かるハンターの力も打ち消して、更には吹き飛ばすほどの連撃。
……もしかして当たっているって命中したって読み取ったのか?
これは……今後言葉選びにも気を付けたほうがよさそうだ。
そう思いながらも、ひとまずはローリーの頭に拳骨をたたき落としておこうと心に決めた。
今回はとびっきり痛いやつをだ。
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