第26話
猫は強敵、猫を瞬殺できるメアリーはもっと強い。
そして僕が使った魔法を理解して、猫の行動を先読みできていたことから知識量も経験も相当なものなのだろう。
だからメアリーを警戒せざるを得ない。
僕の経験上、いい人というのは裏がある。
いや、裏があるけれどいい人のふりをしている特定の人物のイメージが強すぎるからだろうけれど。
メアリーは良い人の面と、グリムのような意地の悪い面を併せ持っている気がする。
信用できる人物であるかどうかは、一概には言えない。
けれど今は他に頼れる相手もいないから、信頼するしかない状況だ。
恐らく彼女も僕の考えを見抜いているだろう。
人の表情や動作を観察していた時期があったからわかるが、彼女にはいくつかの癖がある。
例えば体の軸がぶれない様に意図しているらしく、歩く時は必ず強く踏みしめる。
しかし足音を殺そうとしているため、枯れ葉や枝の落ちていないむき出しになった地面を選んで歩こうとする。
そう言った場所が無い所では落ちて日の浅い、青々とした葉の上をある事している。
呼吸に関しても通常の人間よりも深く長く吸い込んで、吐く時は短くと奇襲に備えているようだ。
視線を動かすときは眼球だけでなく頭部を左右に振っている事から資格だけでなく聴覚も利用しているのだろう。
腕は常に片腕を動かせる状態にしてある、草木を掻き分ける時も片腕で行い、もう片方の腕はいつでもナイフを使えるように備えているようだ。
見ていると右腕をフリーにしていることが多いから、右利きだろうか。
弓と矢筒を担いでいるが、あれを使ったところは見たことが無い。
今のところナイフを投げるだけでも十分な殺傷力があるから使わないのだろう。
先ほどちらりと見せてもらったが、矢には返しがついていたから抜く時には丁寧に周囲の肉を切り落とさなければ、そして力加減を間違えたら折ってしまいそうだ。
だから矢の消耗を抑える意図もあるだろうし、弓は両手で、なおかつ相手を一方的に狙える状況でなければ使えないという理由もあると思われる。
他にも彼女の行動からは学べるところが多い。
僕が読んだ冒険譚では夜間火を焚いて獣を遠ざけている描写があったが、実際は違った。
曰く「火で目立つし暗闇に目が慣れてないと襲われたとき死ぬわよ」だそうだ。
だから休む場所を確保する時は地面に穴を掘り、周囲に火が燃え広がらないような場所で簡単な調理をしてから体を横たえることのできる場所へ移動して休んでいる。
作る料理も簡単なものが多く、火であぶった肉や、干し肉を水でふやかして適当な野草と共に煮込んだだけのスープがメインとなる。
主食は小麦粉と水で練った生地を、皮を剥いだ木の枝に巻き付けて肉と一緒に焼いた物が出される。
普通のパンは簡単にカビが生えてしまい、またかさばりやすいと言っていた。
一度食料が付きかけた時は、腰に巻いていた紐をそのまま齧らされたけれど、芋の茎を干して作ったモノらしく、非常食として重宝していると教えられた。
実際に体験してみるというのは、随分と違うものだ。
蛇の血を飲んだことも、カエルを捌いたことも、罠を仕掛けて小型の動物を狩ったことも、石と縄で作った簡単な道具で鳥を捕らえたのも、鳥の羽をむしったのも、すべてが初めての体験だった。
いいことばかりではないが、やはり得る知識の量は違う。
それは僕にとってもグリムにとっても、非常に喜ばしい。
だからだろうか、楽しさ嬉しさという物に焦点を置いていたがゆえに、自分の事に気が向いていなかったのは。
疲労というのは毒のようなものだ。
通常の手段では死なない僕でさえ、一時的に行動力を奪い取られてしまう。
自身の迂闊さを呪い、そしてメアリーの助言で苦難を一つ乗り越えることができたとはいえ、否、そこに至るまでの経緯を鑑みれば十分に疲労は蓄積していた。
つまりだ。
「メアリー苦しい、お腹圧迫辛い」
「我慢しなさい、引き摺られるよりましでしょう」
まるで木材でも担ぐかのように僕を肩に乗せたメアリーは森をずんずんと進んでいく。
動けない僕を担いで。
疲労の蓄積で動けなくなるというのは初めての経験だが、急激に全身の力が抜けて建てなくなってしまうとは思わなかった。
いうなれば電池切れだろうか。
ある時を境に動きを止めてしまう。
メアリー曰く普通の人間ならば徐々に動きが鈍っていくそうだが、やはりこの身体は人間とは勝手が違いすぎる。
せめてもう少し分りやすいアラートがあれば、そう思わないでもない。
「……ぶげ」
今みたいに腹部を圧迫されて漏れ出す音のようにわかりやすいものがほしい。
そういうものがあれば今後気を付けることもできるだろうに、と無い物ねだりをしつつ、やはり情報収取用の兵器として考えれば疲労による倦怠感なんてものはあっても邪魔になるだけだろう。
短期決戦を求める兵器ならば疲労で動けなくなる前に蹴りを付けろという事だろうし。
もしくは使い捨てにするつもりだろうか。
効果とはいえ『素材』があれば量産もできるだろう。
そう考えると……いや、もしかしたらそうなった際は自爆でもしろというつもりだろうか。
まったくもって、非道な話だ。
だが実用的でもある。
使い勝手のいい操り人形、一人を消費して数百の素材を得て量産を行う。
考えれば考えるほど、あの男の混沌とした感情見えてくる。
だがふと思う。
ならばなぜあの男は僕に知恵を与えるようなことをしたのか。
与える知恵に制限を設けておけば、もしくは機密情報の管理をもっと厳重にしていたら。
そうすればあの……いや、あの男のたくらみではないのか。
もしかすると研究所とあの男の目論見は別の場所にあったのか……だめだ、頭がうまく働いていない。
考えが堂々巡りに入ってしまっている。
終わりのない繰り返しが、脳みそのリソースを食いつぶしている。
木の実を食い進む虫のように熱が脳髄に近づいてくるのを感じる。
姿勢のせいだろうか、腹の奥底から何かがこみ上げるのを悟った。
「メアリー」
「なによ」
「ごめん」
メアリーが一瞬動きを止めるのと同じタイミングで、僕は胃の中身をすべて吐き出した。
そして、メアリーの悲鳴を子守歌に意識をシャットダウンさせた。
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