第23話

「さて……まずはこの地図を見てちょうだい」


 食事をしながらこれまでの撤退戦について説明をしたところ、メアリーは渋い顔をして見せた。

 詳しいことは伝えていない。

 主に施設を破壊したことや、原料となる黄金色の流動体についての事はぼかしている。

 けれど重要な点については詳細な説明をした。

 例えば人体実験、例えば糞野郎の事、例えば彼らから得た知識、例えばろくでなし博士の事、例えば腐れ外道マッドサイエンティストの事。

 思えば八割くらいはあの男の話になってしまったことが気に食わないが、あの程度で死ぬような輩とも思えない。

 確実に殺したという自信はあるが、あの男の事だから絶対に禍根を残すような事をしているに違いない。

 それこそ世界を崩壊させて、ようやくどうにかできる程度だろう。

 ……いや、世界崩壊なんて面白そうとか言いかねないからそれも怪しいか。

 禁忌にひかれる、と言っていたあの男の事だからどうせろくでもない事を、頭の中で堂々巡りをしていたところで頭部に衝撃が走った。

 痛みはない、だが脳天から顎に突き抜けるような衝撃だった。


「地図を見なさい、そして集中しなさい」


「……不思議な打撃」


「愛の鞭というやつよ」


 興味深い技だ、しかし今は集中しないといけない。

 メアリーの出した地図に集中することにする。


「ローリーが入った森がこの辺りね」


 そう言ってペンで地図の一点を指し示す。

 山岳からそれほど離れていない位置にあるが、それは地図の尺度の関係だろう。


「それでこの川に落ちた、流れが速いって言っていたし崖から落ちたとも言っているから水源に近い所ね」


 山岳地帯にペン先を当ててから、水色で示された川をたどる。

 数秒動かして、赤い線を超えたあたりで動きを止めた。


「ここが今いる場所、国境線ギリギリの場所。迂闊に手出しはできないけれど、まだ射程範囲内というところね」


「射程範囲? 」


「大きな騒ぎを起こさない様に人を誘拐できる範囲という事よ」


 それはまずい、凄くまずい。

 今こうしている間にも追手が差し迫っている事を考えると、ここにとどまるのは危険と言える。


「まあ大丈夫でしょうけどね、流石にこの距離を数日で追いつけるとは思えないし」


「そうなの? 」


「えぇ、少なくとも徒歩で二週間。馬を使いつぶして一週間。車は補給が追い付かなくて不可能ね」


「……へえ」


「ローリーが死んでいない理由は触れないであげる」


「ありがたい」


 本心からの言葉だった。

 短い時間ではあるが、信用に足る人物であると言えるメアリーであっても、僕を殺す方法を知られるのは良くない。

 そして信用に足ると言っても、完全に信用することはできない。

 というより基本的な部分が胡散臭い。


「それで、えーと来たがあっちだからこの方角ね。三日くらい歩けば街に出られるの」


「三日……」


「ローリーの足の短さも考えて三日よ」


 メアリーは遠慮がない。

 どこかの皮肉屋魔導書を思い出して寂しくなってしまう。


「どうしたの? おなかでも痛い? 」


「……何でもない」


「……そう」


 いぶかし気にこちらを見たメアリーは、じっと僕の顔を見つめてポケットから何かを取り出した。


「……? 」


「ヘアピンよ、前髪が邪魔そうだからつけておきなさい」


 差し出されたのは装飾のない髪留め……しかし髪留めというのはもう少し色鮮やかなものではなかっただろうか。

 少なくとも僕に化粧などを教えた人物が用意したのは宝石をちりばめていたり、装飾品が付いていたりと絢爛豪華なものだったように思えたが。


「なんだい、使い方もわからないのかい? どれ」


 形状の違いについて考察していると、差し出してきた髪留めを持ち替えてから僕の前髪を掻き分ける。

 髪で遮られていた日差しが網膜を刺激し、一瞬目を閉じてしまった。


「ほら、これでいいだろう」


 その言葉に目を開けると、先ほどまで視界にあった髪が消えている。

 手で触れて確認してみると、髪の束が側頭部で固定されていた。

 ……悪くない、初めて魔法を教えてもらった時のような温かさが胸の中に芽生えて、そしてかき消す。

 この気持ちをアレと同一視してはいけない。


「さてと、それじゃあそろそろ行きましょうか」


 メアリーは満足げに頷いて、地図をしまう。

 そして焚火に川の水をかけて消火し、足で土をかぶせて歩き始めた。


「私の後についてきな、ただしある程度は守ってあげるけど自分の身は自分で守るように」


 そう言ってメアリーはこちらが状況を把握する間も与えてくれず、荷物を背負って藪の中に歩いて行った。

 慌てて後を追う。

 自分より背丈のあるメアリーのすぐ後ろを歩いているとはいえ、時折枝葉が顔にぶつかるのを気にしながらついていく。

 道中メアリーは何度か立ち止まったり、しゃがみこんだりしていたが、その意図の説明はなかった。

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