第19話
「ん……? 子供の死体……いや、息はしてないけど脈はあるのかな」
そんな声をどこか遠い所から耳にする。
いわば半覚醒状態といったところだろうか。
まるで夢を見ているような心地、しかしその感覚は突然終わりを告げた。
「ぼげぁ! 」
自分の喉から吐き出された妙な声と、大量の水。
内臓が飛び出さなかった事に安堵しながらも覚醒を促されたことで自分が死んでいないことを……というのはおかしな話だが、自分の肉体が崩壊しきる前に救助されたことを理解する。
また蘇生させたという事から追っ手の仕業ではないだろう。
そう判断して周囲を見渡すと、僕の腹部に手を当てている影があった。
影、そうとしか言えない何か。
土色のコートをはためかせ、帽子を目深に被り、日の光を背にしている。
そのせいで性別の区別がつかない。
「……誰」
「誰はないだろう、命の恩人に」
その声は落ち着いたものだったが、男性が発するものと比べると音域が高い。
顔立ちなどは分からなくとも体格から、成人しているであろう人物。
その辺りから察するに女性だろうか。
視線を動かしてみるが、胸元が膨れているようには見えないのでいまだに判断が付かない。
そんなことを考えていると影は僕の顔に手を伸ばしてきた。
思わず飛びのいたが、抵抗もむなしく追尾され、頬の肉を摘ままれた。
そのまま引き伸ばされ、千切れるのではないかという激痛に襲われる。
「おい、人の胸を凝視するな。これでも私は女なんだぞ」
移動したことで顔の輪郭がはっきり見えた。
青く澄んだ瞳、栗色の毛、高い花に長いまつ毛、しかし化粧をしているようには見えない。
有体に言ってしまえば整った顔立ちだが女らしくないというべきだろうか。
などと考えていると僕の頬を摘まんでいる指に力が込められた。
「何か失礼なことを考えていたように思えるが」
「女らしくないと考えていた」
更に込められる力、しかしすぐに気が付く。
グリムが無い。
半身を失う、相棒がいなくなる、そう思っただけで僕の胸は引き裂かれるような鈍痛を走らせ、視界が狭まっていく。
そうだ、これは恐怖。
少しでも恐怖から逃れようと、目の前の彼女を突き飛ばしてグリムを探そうとする。
しかし僕の腕力ではピクリとも動かず、どころか彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほらほら、話してほしかったらお姉さんに謝罪とお礼をしなさい。人としての礼儀でしょう」
「人じゃない! それよりもグリムが! 」
思わず声を荒げてしまい、そしてめまいに襲われる。
体が地面に向かっていくのを感じ取ったところで、何かに支えられた。
彼女の腕だ。
「グリムって誰? 」
「僕の持っていた魔導書だ! 」
「あぁ、それなら……」
そう言って彼女は体をずらす、開けた視線の先には穏やかに流れる川と、一本の釣り竿、数匹の魚が入った籠、そして弓と矢とその横には見慣れた相棒の姿があった。
「大事そうに抱えていたけど水を吐かせるのに邪魔だったから拝借したんだけど、大切なものだったんだね」
「……」
「んー、なんかいろいろ複雑な事情がありそうだね」
「……」
人ではない、なんて口走ってしまった矢先ではあるが、説明してよいのか判断に困ってしまった。
今の僕たちはお尋ね者に近い、先ほどのやり取りだけでも、少なくとも肉弾戦では勝てないことが目に見えている。
魔法を使っての戦闘であれば、勝機はあるかもしれないがその際はグリムの奪還が難しい。
むしろ余波で彼を吹き飛ばしてしまう可能性のほうが高い。
そう考えると下手な行動はとれない。
「あー逃げるなら捕まえるし戦うなら相応の覚悟はしてもらうけれど? 」
表情に出てしまったのだろうか、表情豊かな無表情と称したのは誰だったか。
わかりやすい性格をしているといわれるが、初対面の相手にまで見透かされてしまうとは。
「別に言いにくいなら言わなくてもいいけどね、それより今火を起こすから少しあったまっていきなさいな。あの本も乾かしたほうがいいだろうし」
そう言うと女性は僕に背を向けて石を積み上げ始めた。
余裕のつもり、という事はないだろう
先ほどからちらちらとこちらを見てくる。
「名乗りが遅れたね、私はメアリー。メアリー・ドゥ。しがない傭兵さ」
「……ローリー・グリム」
これが僕と奇妙な女性、メアリーとの出会いだった。
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