第18話

 肉体が再構築されて気が付いたことがいくつかある。

 疲労や飢えは存外恐ろしいものだとか、地べたで眠ると凍えるとか、幼子の身体は貧弱だとか。

 とにかくこの体には厄介ごとが多すぎる。

 グリムもどうせ再構築するならば体力のある成人男性の姿にしてくれたらよかったのに、と無意味な抗議をしたくなるほどにだ。


 そして、問題の最たるものは肉体の再構築が完璧すぎたということだ。

 つまりは、以前施設で生活していた頃と寸分たがわぬ姿を保っているということ。

 気を利かせて衣類の再構築もしてくれたのは、ストリーキングをしなくてよかったという意味ではありがたいが、せめて髪形や顔立ちくらいは変えてもらえなかったのだろうか。

 施設にいたころはそれほど気にならなかったが前髪が邪魔で周囲が見にくい、更に白い肌と白い髪、白い衣類に大きな魔導書を抱えた幼女というのは目立つ。


 それはもう、緑生い茂る草原を走っていれば野生動物や夜盗に狙われるくらいよく目立つ。

 なにより追手から隠れるのも一苦労だ。

 施設を破壊して5日は経っているだろうか、死に物狂いの逃走もむなしく草原を走り回る幼女を狙う輩は日に日に増えている。

 それが僕を誘拐しようとする盗賊の類だったら、そしたら幾分か気は楽だっただろう。

 むしろ誘拐される少女のふりをして逃走距離を稼いでから、また逃げ出すだけという方法が取れた。


 しかし、現実は非情である。


「全員警戒を怠るなよ」


 そう言って武器を構える男たちを尻目に、どうやって逃げ出すかという事に頭を抱えていた。

 訓練された軍隊、いうなれば僕は大量殺人犯、明確な意思と感情を持って人を殺している。

 更には危険な研究の末に生まれた存在であり、それをやすやすと逃がすほど馬鹿な者はいない。

 閉鎖的な研究所とはいえ人の出入りはそれなりにあったし、写真も何枚かとられていたはずだ。

 なによりも黄金色のスライムが登山にいそしむ光景、施設から町が見えていたという事は逆もまたしかりである。


 それらの情報を基に、休む間もなく野生動物やら魔獣やら追手やらとの攻防を繰り広げて疲労困憊である。

 しかも例外なく容赦ない。

 こんな幼気な少女の頭を撃ち抜こうと銃や弓を放ち、串刺しにせんと槍で突き、両断しようと剣を振るう。

 獣であればその場で食おうとしてくるし、本で読むよりも危険な世界だ。

 魔法で対処しようにも、僕の未熟な魔法では発動を阻止されてしまい、文字通り手も足も出ない。

 だから敵とは逆に向けて手と足を出す。


 あらん限りの力を込めて、走るのだ。

 幼い体躯が珍しく役に立って、遠距離からの攻撃はなかなか当たらない。

 ホムンクルスとしての回復力もあってかすった程度ならばすぐに治癒してしまう。

 同じように体力も回復できればいう事はなかったのだけれど……。

 とはいえ、何かしらの形で命中する事もある。


 特に弓は厄介だ。

 矢が刺さっている間は治癒が進まないから、足に当たれば走れなくなってしまう。

 そうして矢を引き抜こうとしている間に取り囲まれてしまうのは目に見えている。


「くそ、森に逃げ込まれたか」


 どうにか追っ手を撒いて身を隠すことができた。

 これでしばらくは安心だろう。


「おい、森に火を放て」


 安心できなかった。

 ふざけるな、この国は工業に力入れすぎて緑地が減っていると問題になっていただろ。

 そんな事をしているから環境問題が解決しないんだ。

 声を大にして抗議したいところだが、そんな暇はない。

 急いで、しかしばれない様にそっと森の奥に逃げ込んだ。

 少し足を止めて背後に目をやると、黒煙が上がっているのが見える。


 本当に火を付けたらしい。

 炎も矢と同じで、燃え続けている間は治癒が進まない。

 正確には治った端から傷を負っていくのだろう。

 僕の肉体治癒速度は人間よりも優れているが、大きな傷は治すのに時間がかかる。

 経験上欠損は数時間かかった。


 僕にしては珍しいことに、知りたくもない情報だが獣に食われた場合はどうなるか。

 恐らく消化されて排泄されてようやく再生が始まるだろう。

 そんなことになった日には、僕は首をくくってグリムを暖炉に投げ込んでしまうかもしれない。

 そうならないためにも、今は炎だけでなく、獣にも気を付けなければいけない。

 小柄故に少し大きめの獣や魔獣、モンスターなんかがいたらそのまま咥えて連れ去られてしまうかもしれない。

 その際グリムを落としたりしたら目も当てられない。


「っ! 」


 いろいろと考え事をしていたせいだろうか、周囲確認がおろそかになってしまっていたのもあるが、一瞬の浮遊感に内臓が浮き上がる。

 深い極まりない感覚を味わい、景色が上昇していく。

 否、落下しているのだ。

 茂みを掻き分けて走り抜けようとした先に崖があったのだろう。

 徐々に近づいてくる濁流に、せめて岩に突き刺さるような事態にならないことを祈りながらグリムを抱きかかえ、体を丸めた。


 水に身を打ち付けた感覚が、冷たいという感覚を和らげるのも一瞬の事。

 続いて足が熱を持っていることに気付き、水中であるにもかかわらず思わず舌打ちをしそうになってしまう。

 危ないところだった、すでに前後上下左右の間隔もない中でそんなことをすれば水が口に、そして肺に入り込んでしまうだろう。

 溺死は想像しうる死に方の中でも最悪だ。

 回復が間に合う間に合わない以前の問題だ。

 運よく岸に流れ着けば御の字、最悪の場合水底で朽ち果てるのを待つばかりの存在になりかねない。

 だからこそ必死になっているのだが、僕の意思とは無関係に口が開き肺から漏れ出した空気を補うように水が流れ込んでくる。

 背中に何か固いものが当たったと理解する事ができたのは気を失う直前だった。

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