第17話
今、僕の肉体は黄金色の液体に溶けている。
しかしグリムのおかげで、液体を自由に動かすことができる。
「まずはこの窯を破壊する……! 」
自分たちが閉じ込められている水槽、彼らでいうところの窯の破壊が最優先だ。
どんな仕掛けが施されているかわからない上に、脱出後に同じような実験に使われても面倒だ。
少々頑丈にできているが無意味。
濁流が街を飲み込むように、質量には勝てない。
意思を持って一点集中で圧力を与えればなおのことだ。
先ほどまで傷一つなかった水槽に小さな亀裂が走る。
液体となった体を亀裂に潜り込ませ、隙間を広げる。
たったそれだけの行動で、水槽は砕け散った。
「次」
声として機能しているのか、それさえも分からないが目についた機材は片端から破壊していく。
研究員と思しき者達がこの体に触れた瞬間、消化されるように飲み込まれていく。
そして内から彼らの魂の波動を感じとる。
ならば、窯というのは水槽ではなくこの液体そのものなのだろうか。
根拠はない、しかしそれならば遠慮することはない。
どれほど破損しても構わないのだから。
僕はグリムを信じて肉体の再構築まで暴れればいい。
そんなことを考えながら液体となった身体で施設の破壊を続けていると、存在しない瞳が地獄絵図の中で高らかに笑う男を見つける。
カリギュラ、そう呼ばれたドクターの姿だ。
こいつは殺さなければいけない。
私怨を抜きにしても危険すぎる存在だ。
ホムンクルスを創り、この惨状で心の底から笑っているこいつは、殺しておかなければいけない。
そう思い、押しつぶそうとして体が動きを止める。
ほとんど反射的に彼を避けた。
慈悲、ではない。
この体でこの男を押しつぶしたらどうなるか、それは先ほどの研究員が教えてくれている。
溶けて、魂という名のエネルギーとして保管される。
それは死ではない、消滅ではない。
あまりに不確実だ。
だから、確実に殺す。
「さようなら、ドクター」
砕いた水槽の破片を投げつける。
砕けた硝子片は、狂気に満ちた男の体を貫いた。
口の端から血を溢れさせているがそれでも高笑いは止まらない。
おぞましい、続けて二度三度とガラス片や瓦礫を投げつけた。
彼だったモノが原形をとどめなくなるまで。
「……ふぅ」
どれだけ暴れただろうか。
施設はすでに瓦礫の山となり、そこで働いていた人々はエネルギーとなって吸収された。
数名、瓦礫に潰されるなどの形で命を落とした者はいるが彼らは幸運だったとしか言えない。
僕に吸収された者たちは、そのエネルギーが無くなるまで『死ぬ』ことができないのだから。
そんなことを考えながら、周囲を見渡す。
こうして外に出て初めて分かる。
この施設は森と山に囲まれた天然の要塞だったのだろう。
青々と生い茂る木々が四方を囲み、更に奥には切り立った山肌が見える。
一方にだけ舗装された道があり、その先には大きな街が見える。
そちらに向かえば面倒なことになるのは目に見えている。
だから反対方向へ向かう。
幼児の体であればこの森を超えることにさえ苦労しただろう。
けれど液体となった今では、木々の間をすり抜けることも、落石を気にせずに山道を進むこともできる。
ともすればこの便利な肉体に愛着さえ沸いてしまいそうだ。
『馬鹿なことを考えている暇があったらもっと急いで逃げろ』とどこかでグリムの声が聞こえた気がする。
その声に従ってペースを上げて、山を乗り越えた瞬間だった。
強い光に目がくらむ。
「……初めて見た」
山の向こうに広がる、広い広い草原。
地平線の向こうにその身を沈めていく太陽。
茜色に染まる空。
叶うなら、生身の眼球でこの光景を見たかった。
そんな欲求が沸き上がる。
「グリム、約束は果たせそうだよ」
魂の濁流で役割を全うしようとしている半身に向けて呟き、そして彼の努力を無為にしないよう山を下る。
登りは岩肌もろとも崩れ落ちるのを恐れて速度を抑えていたが、その加減も捨てて転がり下りる。
落ちている、と言ってもいい速度で地面に向かって進み、着地と同時に地面を翔る。
頬を撫でる風が心地よい。
……頬?
思わず手を伸ばして顔に触れる。
肉体の再構築が進んでいるらしい。
徐々に視界が狭まり、人型の頃と同程度になったところで収まる。
滑るように移動していたはずが、二本の足で地面をけっている。
撫でていた風が髪をはためかせる。
知識があるのと体験するのは違うと聞いたが、なるほどこれは随分と違う。
書物を読み漁りえた知識と実体験で此処まで大きな差があるとは思わなかった。
などと感激している場合ではない。
肉体の再構築が想像よりも随分と早い。
生身の肉体で大自然の息吹を享受したいなどと思ってしまったからだろうか。
先ほどまでは流動体だった身体は毛髪の一本一本まで構築され、黄金色に透き通っていた肌は元通りの 病的までに白い皮膚にすげ変わっている。
そして、いつの間にか僕の手には一冊の魔導書が握られていた。
『Girl`s Record』、僕の記録が綴られた僕の半身。
今は眠っている大切な相方。
ほとんど依然と変わらない姿。
「……人にアクセサリーでもとか言ってたくせに」
しかし今の彼には以前に無かった物があった。
表紙と同じく皮で作られた帯、その先端には金属製の錠前、開こうとしても鍵が無ければ開けることはできないだろう。
そしてそのカギは……存在しない。
皮肉屋な魔導書は、何も言わずにその姿を現し、目覚める日まで眠り続ける。
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