第14話

 しばらく無言で歩いて、無事禁止区域の入り口に来ることができた。二人の男が常に見張っている場所だけど、僕とグリム以外はフリーパスで通れるようになっているのもあってか、彼らは退屈そうにしている。

 少し様子を見たけれど完全に気を抜いているようなので足音にだけ気を付けて彼らの間を通り抜けて資料室を探した。

 その時だった、少し進んだ場所で何かを感じ取った。

 胸の内から湧き上がる不安感、見知らぬ場所なのに見知ったような感覚、デジャヴではない。たしかに自分はこの場所を知っているという確信と、知らない場所だという確信。

 矛盾しているのに理に適っている。

 そんな感覚に襲われた。

 周囲を見渡してみると【貯蔵庫】と書かれた扉がある、気配を探りながら中を覗いてみると無数の檻があった。

 貯蔵庫、物品を蓄えておく場所の事だ、ならば何を蓄えているのか、例えば武器。

 否、武器に檻は不要、ならば家畜。

 それも否、家畜として扱うならば過度のストレスは害悪でしかない。

 ならば、と檻を端から見ていく。

 金属製の箱、頑丈そうな戸が備え付けられ隙間が二つ。

 一つは食事などを入れるためのものだろう、もう一つは中を見るためのものか鉄格子が付いている。

 あいにく背丈の問題で仲は見えない、しかし中から聞こえる音は確かに聞き取ることができた。


「殺してくれ……」「死にたくない……」あんなのは人の死に方じゃない……」


 嘆くような声、悲しむような声、すすり泣く声、それらは紛れもなく人の声だった。


「好奇心旺盛なのはいいことだが……こんな所に入り込まれては困るな、ローリー」


 その部屋で見たものは隙を作るのに十分だったのだろう、背後から迫る気配に気づくのが遅れてしまった。


「おや、紅茶の香りだ……あんな泥水を飲んでいては君も堕落してしまうよ。まぁいい、せっかくだから説明してあげよう」


 声の主に視線を向ける。


「ドクター」


 そこにいたのはドクターだった、しかしいつもとは纏っている雰囲気が違う。

 けれど僕はこの雰囲気を纏うドクターを見たことがある。

 時折、一瞬だけ見せる、そして初めて僕が見たドクターの、感情を露にしたドクターだ。


「ちょうどいい事に、ここに新しい貯蔵物がある」


 今まで気づかなかったが、ドクターの右手には何かが握られている。

 赤と白のまだら模様のそれは、白衣だ。

 ドクターが着ているものと同じ物だが、何かで汚れている。

 染料ではない、血液だ。

 その白衣をよく見ると、かすかに動いている。

 少し見る角度を変えると、金色の糸が見える。

 あれは、髪の毛だ。


「そう、察した通りここは人間を貯蔵している」


 やはり、としか言えない。

 人語を解する生物は人間以外にも存在するが、それらはこんな檻で閉じ込めておけるようなものではない。


「そして……貯蔵した人間の使い方は多義にわたる。わかりやすいものでは人体実験、新薬の開発や魔法のため仕打ちなんかにね。そうしていると、もうすぐ死んでしまうだろう個体も出てくる。そう言った個体は、君になるかグリムのご飯になるか、だ」


 ゾクリ、と背筋に寒気が走った。


「やはり危機管理に直結する感情は覚えがいい」


 ドクターの言葉が耳の奥でこだまする。

 それと同時に僕の意識は闇に溶けた。


 どれほどの時間がたったのだろうか。

 朦朧とした意識が徐々に鮮明になっていくのを感じながら僕の瞼が持ち上げられた。


「おはよう、ローリー」


「……おはよう、ドクター」


 いつも通りの挨拶、けれどいつもとは違う光景。普段見慣れた天井とは違う、無意味に高い天井。

 ここは、僕の部屋ではない。


「ここは……」


「君の生まれた場所さ」


 そう言われて周囲を見渡そうとして、首が動かないことに気が付いた。

 頭を何かで固定されている、目だけで確認してみると金属でできた拘束具だ。

 手足も固定されているらしく動かない。

 魔法の阻害措置もされているらしく、魔力を練ることもできない。


「さて……そろそろお仕置きを始めるとしよう」


「おしおき」


 ドクターの言葉を反芻して、禁止区画に入り込んだことに対するものだと理解する。

 しかし目の前にいるドクターは、気を失う前に見た雰囲気を纏っていない。

 いつもの、優しいドクターだ。


「あぁ、拷問実験じゃないから安心していい。でも……精神的にはきついから気はしっかり持ってね」


 不意にドクターは右手を上げた。

 その動作に呼応して、歯車がきしむ音が聞こえる。


「これはね、錬成窯という道具を大掛かりにしたものなんだ……おっとそのままじゃ見えないか」


 ドクターはそう言って、再び右手を上げた。

 その所作が合図だったのだろう、僕を拘束していた台が起き上がる。

 周囲を確認すると地面には穴が開いており、その奥には黄金に光る液体が渦巻いていた。


「これから見せるのは君が知りたがっていた魔石の精製法……そして君たちの核の創り方だ」


 淡々と説明を続けるドクターは三度合図を出すと、貯蔵庫で見た檻が運ばれてきた。

 あの中にはたしか人間がいたはずだ。

 その証拠に今も命乞いの言葉や怨嗟の声が響いている。


「さぁ、よく見ていなさい」


 まるで子供に手品を見せるような口調で話すドクター。

 その言葉と同時に檻は液体の中へと落とされた。

 悲鳴、怒声、罵声、あらゆる憎悪を詰め込んだような声がこだまする。


「こうして命を溶かし、不純物を取り除けば魔石が出来上がる。君たちの核は……もう少し手間がかかるけれどね」


「…………」


「あぁ、安心していい。グリムはここだ」


 ドクターは白衣の内側からグリムを取り出し、僕の足元に置いた。

 それから少し離れて、まだら模様になった白衣の男を引きずってきた。


「これは君に、私の許可なく不用意に知識を与えた。本来なら見逃してもよかったんだけど……私にも立場があるからね」


 そんなことを言ったドクターは、男を軽々と持ち上げて液体の中に投げ込んだ。

 苦痛、悲哀、負の念が渦巻く黄金色の液体は先ほどよりも強い光を放っている。


「うんうん、やはりいい燃料になってくれた。ここからはさすがに企業秘密だから見せられないけれど……うん、これは見せてしまってもいいだろう」


 近づいてきたドクターが僕の頭を固定している器具を外す。

 金属の擦れ合う音が耳に触るが、自由になった頭を振って意識を切り替える。


「右、見てごらん? 」


 いわれるがままに右を見ると先ほどの液体が流れている。

 よく見るとその表面には常に人の顔や手のひらが見えた。


「あぁなんてことだ、うっかりしていたよ。あれを見せるつもりじゃなかった。僕から見て右という意味だったんだ。いやぁ失敗失敗」


 あまりにもわざとらしいドクターの演技、しかし言及するものはいない。


「あれはね、さっきの液体に溶けた人間さ……肉体は失っているけどそこに『いる』んだよ」


 寒気がした、得も言われぬ感情が内から湧き上がる。


「全く持って失敗だったが、まあいいか。僕から見て右、だから左を見てごらん」


 これ以上は何も見たくない、そう重い瞳を閉じようとした。

 しかし、ドクターは僕の頬をつかみ無理やり目をこじ開けた。


「反抗は構わないけれど、やりすぎるとグリムもあぁなるよ? 」


 ドクターの優しい声、しかし言っていることは……グリムという半身があそこに溶け込んでしまえばどうなるのか。

 僕とグリムは二対一体、グリムが修復される可能性は十分にある。

 けれど、僕がグリムに引きずられる可能性も同等にある。

 それはつまり……ぼくもあの中の一つになってしまうということだ。


「私としては君達があそこに加わってもいいんだけどね、その理由を説明するには……見たほうが早いんだ」


 そう言って無理やり左を向かされた。

 力ずくで見せるなら先ほどの脅しは不要だろうに。


「……あれは」


「君の、姉妹さ」


 そこにいた、否、あったのは僕と瓜二つと言っていい顔立ちの子供。

 その残骸だった。


「君は、自分が何人目だと思う? 」


 ドクターの言葉に疑問を抱く必要はなかった。

 ごみのように積み上げられたそれらは、僕よりも先に生まれた者たち。

 いや、姉妹という言葉を使ったのだから後に生まれた者もいるのだろう。


「君を作るにあたって何度も失敗をしてね、十や百では済まない数だったよ」


 懐かしむように目を細めたドクターは、うっすらと笑みを浮かべている。

 しかしその笑みは狂気に満ちており、そして悲しみの感情を浮かばせていた。


「まぁ君ができた事で、ある程度安定した培養は可能になったけど……残念ながらアレンジを加えるとまた失敗してしまってね……できれば好奇心を抑えた個体がほしいんだけど、これがどうしてなかなか」


「……あの遺体は、どうして処理しない」


「命の残り香もないから窯に溶かしても不純物にしかならないし、あれの処理に手間取るくらいなら研究に時間を割いたほうが有意義だからね」


 ドクターの言うことは非合理的だ。

 このまま放置すれば病気の蔓延につながる。

 そして不自然、いや歪というべきだろうか。

 人ならざる者として不適切な言葉だが、人としてズレている。


「白状してしまうならば、あれも実験の一環なのだけどね。ホムンクルスの腐敗経過観察とかもろもろの」


「……嘘と断定」


「ほう、感情のいろはも知らなかった君が嘘を見破るか。参考までに何を基準に断定したか教えてもらえるかな」


 酷くうれしそうなドクターの笑みが気になる。

 まるでおもちゃを前にした子供の様だ。


「瞳孔の開き、声の抑揚、心音、どれも環境と無関係に変動した」


 薄暗い実験場、ガラスの向こう側から聞こえる悲鳴などの雑音で判断が難しいが、長らく教えを乞うた相手の機微くらいは判断できる。

 そして、その癖もだ。


「うーむ、人間としての判断はまだ難しいか」


 しかし僕の回答に満足できなかったのだろう。

 先ほどまでの笑みは消え失せ、落胆の色を見せている。


「うむ、飽きたな」


「……なんだと」


「飽きた、と言ったのだよ。まったく人口生命体という生物としての禁忌、加えて上層部から課された禁忌に散々手を出してきたが……この程度とはな」


「どういうことだ」


 僕の言葉は、ドクターの耳に届いたのかも怪しい。

 それほどまでにドクターの動きは緩慢だった。

 だからこそ彼が何をしたのか一瞬理解が追い付かなかった。


「君に感情と知識を与えるような行動は慎めと言われていたけど、彼らは私という人間を理解していなかった。禁忌にひかれる僕相手には決してそんな命令を与えるべきではなかったのに」


 日記に記すようにつぶやくドクターの手にはグリムが握られていた。

 知覚出来ても認知できないほどさりげない動作だった。


「全く名は体を表すとはよく言ったものだ」


「なにを」


 ドクターは答えない、興味を失った者に対して彼は非常となる。

 それは今までの付き合いからもわかっていたこと。

 けれどそれもまた、グリムを奪ったとき同様知覚出来ても認知はできていなかったのだろう。


「さようなら、R17518‐B」


 小さく呟き、彼はグリムを窯に落とした。

 黄金色の液体が流動する窯の中に、一瞬が数時間であるかのような錯覚に陥る。

 思わず手を伸ばそうとするが、拘束された細腕はピクリとも動かない。

 拘束具がきしむ音を立てることもなく、グリムは僕の視界から姿を消して、小さな水音を立てた。


「…………これまた残念、魔導書だけを落としても何も起こらないか」


 淡々と実験のように……否、実験なのだろう。

 ドクターにとって、この男にとってこの行為は彼の愉悦を得るための実験に過ぎないのだろう。

 そのためにグリムは、僕の半身は消費されてしまった。


「なら、残りの半分も落としてみようか」


 彼の言葉は否が応でも理解できてしまった。

 どころか予測さえできた。

 グリムが落ちた後は、僕も落とされるのだろうと。


「よろしいのですか? ドクターカリギュラ。本国からは被験体を失うような実験は控えるようにとの通達でしたが」


「控えたよ、控えたけどやむを得なかった。そう報告したまえ」


 研究員と彼の会話は認知の外側にある。

 どうすればいい、このようなところで死ぬのはいやだ、もっと知識を、思いが駆け巡る中がむしゃらに体を動かす。


「おや、ここにきて脅えるとは……こんなに早く恐怖の派生が見られるなら、もっと早くに抗するべきだった」


 この男は、ことここに置いて自身の快楽しか見ていない。

 抵抗を試みる僕の姿を見て、自身の欲を満たしている。


「おや、今度は怒りも芽生えたかな? これは重畳、死を目前にすると感情の発露が促進されるか」


 ここから抜け出す方法を模索する。この拘束具から抜け出し、この男たちを片付けて、外にある車を奪って脱出、言葉にすればこれほど簡単なこともないがそのための障害が多すぎる。

 どうする、どうすればいい。


「ほほう、苦悩か……まったくもって君を素材に戻してしまうのが惜しいな」


 その言葉に体が震えた、もしやという希望が芽生える。


「はっはっは、期待したかね? 希望と絶望、最期にいろいろな感情を知ることができたようで何よりだ。それじゃ死のうか」


 くそ、この男はどこまで性根が腐っているのだ。

 手足の付け根が悲鳴を上げ、歯を食いしばってもこの拘束具は動かない。

 そうしている間にも拘束台はゆっくりと窯に近づいていく。

 あと数メートル、あと数十センチ、あと数ミリ。

 あぁ、落ちた。

 煮えたぎる黄金色の液体、それが近づいてくる。

 先ほどグリムが落とされた時よりもゆっくりとした速度で近づいてくる。

 空中で半回転して天井と、笑みを浮かべている男の、ドクターの顔。

 そしてもう一度半回転したときには、すでに窯の中に落ちていた。

 膨大な熱が髪を燃やし、外皮を溶かし、筋肉を削る。

 少しずつ、肉体が削られていく感覚。

 底知れぬ死の恐怖、逃れられないという絶望、拘束具が解けたからか、それとも僕の手足が解けたからか、拘束台が体から外れた。

先ほどまで拘束具で締め付けられ、液体の浸食を妨げていた部位が焼けていく。

 数秒も持たずに手足が溶け落ちたのを理解する。

 すでに人としての形は消え失せて、残っているのは脳みそだけだろうか。

 永遠とも思える苦痛の中、意識だけは途切れることが無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る