第9話

 名前と、ついでに半身とやらをもらったことでいろいろなことを理解した。

 例えば怒りという感情。

 意の奥底から湧き上がってくるドス黒いこの感情は思考を鈍らせる。

 本能を引きずり出される感覚、以前男と見分けのつかない女兵士やスカートの裏地を調べようとした研究員から向けられた感情はこれだったのかと気が付いた。

 しかし何が彼女達の本能を引きずり出したのかはわからない。

 怒りという感情の手前には不愉快という感情がある事もわかったのだが……大抵の場合はこの『不愉快』でおわってしまう。


 そこで押しとどめるためには理性が必要だというが、知れば知るほどわからないことが増えていく。

 不愉快とは愉快ではないという事、では愉快とは何なのか。

 愉快ではないという事は平常時は愉快なのかと尋ねたが違うらしい。


 ならば愉快とは何だ。


 ある研究員からは、楽しい時や嬉しい時は愉快だと聞かされたが、楽しいも嬉しいも理解しがたい感情だ。

 また理性とは何なのか。

 本能という物は分かる。

 僕が知識を求めるのは本能故だろう。

 ならば理性は?

 思考して、合理性や実現の可能性を考えて押しとどまるために必要な物、道理に従って判断する能力だという。

 それならば普段僕が行っている事だ。

 本能の促すままに、理性に乗っ取って行動している。

 しかし怒りはその理性を凌駕するという。

 まさしく迷宮、知れば知るほどわからないことが増えていく。


 その事が不愉快でたまらない。


 知らない事を知りたいのに、知ったことよりも多くの事を知らないと知らされる。

 鼬ごっこどころではない。

 追いかけている鼬が次々と増殖していくような状況だ。

 知らない事と言えばグリムと名前の由来か。

 本人……本本?

 どちらの呼称が正しいのかはわからないが、僕の中に蓄えられた知識は彼の中で記録として処理されるらしい。

 常にこちらの思考を読まれているようで、不愉快だが、彼の名前、グリムの由来はグリモワール、つまり魔導書らしい。


 対して僕の名前の由来はロリータからきているという。

 その時ドクターはロリータコンプレックスという言葉があると言っていたが、あれはどういう意味だったのだろう。

 その言葉の意味を知りたくなったので近くにいた研究員や兵士に聞いたが、全員顔を背けてとぼけていた。

 何か知られたら不味い事なのだろうかと思ったが、ある女性研究員は顔を紅くして、そして赤くして、誰がその言葉を教えたのかと詰め寄ってきた。

 すなおにドクターがそんな言葉を言っていたと伝えたところ、怒りに満ちた表情でドクターを探しに行っていたからやはりよくない言葉なのだろうか。

 それが自分の名前の由来だと考えると、不愉快になった。

 以前人にあだ名をつけた時に顔をしかめていたのはこういう理由だったのか。


 そう反省したものである。

 しかしだ、人の外観をほめる言葉という物も存在する。

 その善し悪しの基準が分からない。

 特徴的な顔をした者に、わかりやすいと言ったら怒られたし、胸部の目立つ女性に大きい人というあだ名をつけた時は頭を叩かれた。

 何が良くて何がいけないのかはわからないから、今後は人にあだ名をつけるのはやめておこうと誓った。

 そう決心した日の事である。


「ローリー、グリムとは仲良くやっているかな? 」


 部屋でうたた寝をしていると、ドクターが入ってきた。

 グリムを渡されてから数週間、ドクターは決まってこの時間に僕たちの部屋を訪ねてくるようになっていた。いろいろと心配しているのだろう。


「ん、いい枕」


「……ドクター、本は枕にするものではないと小娘に教えてやってくれ。涎を垂らされてしまってはシミになる」


「はっはっは、仲がいいようで何よりだ」


 ドクターの目は光を映していないのだろうか、一瞬そんなことを考えてしまう。

 少なくとも僕の見立てではそんなことはないはずだけど、魔法を駆使すればその辺りはどうとでもなる。


「しかしローリー、グリムの言う通り本を枕にするのは感心しないな」


「グリムはホムンクルス、ましてや僕の半身。だからこれは膝枕みたいなもの」


 僕の言葉にドクターは先ほどよりも声を上げて笑って見せた。


「残念だがグリム、君の負けだね」


「……チッ、仕方がない。それよりドクター、いつものあれを」


 器用に舌打ちをして見せたグリムがドクターに注文したのは、僕や人間でいうところの食事。

 僕を含む生物は飲食物から魔力と栄養を吸収し、休眠で魔力と体力を回復させる。

 しかしグリムは口も消化器官も持たないため、飲食による魔力の回復ができない。

 僕とグリムは二対一体の存在ではあるが、意思同様魔力の貯蔵なども双方が違う形式をとっている。

 故に、互いに違う方法での魔力回復が必要となる。

 そのため僕は食事をとるが、グリムは食事ではなく『魔石』という物質から魔力を直接吸収する。


「ドクター、また魔石について詳しく教えてほしい」


 この魔石について以前から僕はドクターに教えてほしいと頼んでいるが、なかなかその全容を教えてはもらえない。

 その理由はいたって単純で、僕とグリムが全力でこの施設や国に牙をむいた際には対処しきれないからだ。

 そのことが判明し、あまつさえ情報が僕に伝わってしまった際は少々大事になったものだ。

 数十人の兵士がこの研究所を攻撃しようと武装していたほどだったらしいが、僕はグリムを枕にして眠っていたのでその時のことを詳しくは知らない。

 そんなこんながあったせいで、棒とグリムが知ることのできる情報には制限が設けられてしまった。

 その中でもグリムの自由を封じている魔石の情報はタブーだった。


「ローリー、何度も言っているがそれは君に教えることができない情報なんだ。調べればわかってしまうこととはいえ、その情報を君に伝えることはできない」


「ならばどこに行けば調べられる」


「どこでも、とだけ言っておくよ」


 ドクターが直接答えをくれることは、めったにない。

 これは情報制限に関係なく、いつも答えよりも式を教えて問題を解かせるようにしている。

 はじめのうちはそのせいで随分ともどかしい思いをした。


「どこでも、というのはこの研究所の外であっても……誰でも知っているということだろうか」


「さぁ、それは言えないかな」


「外に出れば僕が知ることはできるだろうか」


「外に出たら、という過程について話すことも私にはできないな」


 この答え方は、その通りだと肯定しているようなものだとドクターは気づいているのだろうか。いや、悟らせるためにこういう言い方をするのだろう。


「ドクターはいい人だけど悪い人」


「私はただの凡人だよ」


 このやり取りも何回目だろう、曰く悪人でも善人でもなく凡人、悪事もするし善行もするどこにでもいる普通の人間というのがドクターの言い分らしい。

 けれどそんな言い分が通じるほど世の中は甘くない、出すとこに出せばドクターは偉人とも稀代の悪党とも言われるだろう。

 そんなことを考えながら、まるで小動物にエサでも与える様にグリムに赤い石を与えるドクターの姿を視界の端に収めてベッドに倒れこんだ。

 今日は朝までグリムと討論していたからか随分と眠い。


「ローリーはお疲れみたいだね」


「俺と錬金術について夜通し語っていたからな」


「はっはっは、勉強熱心なのは良いことだが健康には気を遣うようにね。さ、グリムも魔力は十分だろう、今日は実験も勉強もないからゆっくりと休みなさい」


 そう言われて、意識が薄れ始める。ドクターの声はいつも眠気を誘う……何か魔法でも使われているようだ。


「ローリー、寝るのはいいが俺も眠らせてくれ」


 グリムの言葉で半ば手放していた意識を覚醒させて、一言だけ呟いた。


「グリム休眠体制へ移行を許可」


 グリムは僕の半身でありながら、その権限の大半を僕にゆだねている。

 僕がいなければグリムは休眠をとることもできず、逆に起動することもない、どころか彼だけの力では魔法を扱うこともできない。

 その代わり魔法の触媒として助力を求めれば、僕だけでは発動できない魔法や制御しきれない魔法なども十全に扱える。

 つまりは僕がグリムの起動装置であり、グリムは僕のストッパー兼ブースターとなっている。

 だからこそ、僕たちは互いが必要だ。

 二対一体、半身、相棒、それらすべてに関係なく互いが互いを必要としている。

 欠けた存在、それが僕たち……それが意思を手放す前に僕の脳裏に浮かんだ言葉だった。

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