第8話 ローリー・グリム
「やぁ、ローリー」
ドクターがそう語りかけてきたのは昼頃の事だった。
いったい誰に話しかけているのだろうか、僕の知る限りローリーという研究者はいないはずだ。
周囲を見渡しても僕とドクター以外には誰もいない。
「君の名前だよ、いささか揉めたが……先ほどようやく決まったんだ」
「名前……」
「番号なんてものは名前ではない、君が望んでいた正式な呼び名が決まったのだ。君は人間ではないがすでに個として存在するのだから」
ありがたい話だが何故このタイミングなのだろう。
彼の行動には必ず意味があるし、その時期、その状態も何かを考えたうえでの物だったりする。
それにわからないことも多い。
僕の事を人間ではないと言っておきながら必要以上に人間と同じ扱いをする。
僕は人を見分けるための手段として、名前という物に興味を持っただけだったのだが……。
「フルネームではローリー・グリムなんだがね、まあ君だけの時はローリーと言ったほうがいいか」
「僕だけ……? 」
「あぁ、これを見たまえ」
そう言ってドクターが差し出してきた木箱を見る。
視線をドクターに戻すとにこやかにこちらを見ているだけだ。
暗に開けろという意味だろうか、そう思い蓋に手をかけ開いた瞬間だった。
なにか、妙な既視感を覚えた。
まるで昔無くした肉体を差し出されたような、かけた破片を見つけたような、高揚感とも言えず焦燥感とも違う何かだ。
「流石に気が付いたみたいだね……それは君の半身さ」
ドクターの言葉に箱の蓋を投げ捨てる。
乾いた音が辺りに響き渡るが関係ない、中身を包んでいた布を剥ぎ取り取り出したそれは、一冊の本だった。
以前目にした魔道教本とよく似た外観、緑色の革表紙に銀色の蔦、一輪の赤い華が描かれている。
タイトルに目をやると『Girl`s Record』と書かれている。
大きさは片腕で抱えられる程度だろうか、小柄な僕からしたら随分と大きいがドクターのような大人からすれば普通の大きさだろう
「おい小娘」
中を改めようとすると目の前から声が響いてきた。
聞きなれない声に、思わずドクターに目を向ける。
しかしにこやかな表情のまま口は閉ざしている。
「どこを見ている、話しているのは俺だぞ」
相変わらず口を動かしていないドクターから、手にしていた本に視線を落とす。
「ようやく俺を見たな、我が半身」
「……ドクター、幻聴が聞こえる」
以前実験と称して数日間睡眠を禁止されたことがあった。
うたた寝でもしようものなら冷水をかけられ強制的に覚醒させられる。
その際に幻聴幻覚に見舞われたが……。
「誰が幻聴だ、人ならざる者であるお前がしゃべっているのに半身である俺がしゃべれない道理がどこにある」
「それは論理的ではない、僕は人間に近しい姿だから発声器官があるが本にはそれがない」
「魔法の応用でどうとでもなる」
「会話に魔力を消費するのは無意味」
「他者との会話は得る情報が多い、その分玉石入り混じっているがな」
「……ドクターこの幻聴を止める方法を教えてほしい。眠ればいいのか、無意味に屁理屈をこねる幻聴だ」
僕の言葉にドクターはついに声を上げて笑い始めてしまった。
しばらく腹部に手を当てて肺に溜め込んだ空気をすべて吐き出すように笑い、そして咳き込んでいた。
若くないのだから無理をするなと周囲から言われているの、と妙な感想を抱いてしまう。
「いやぁ、失礼。全く君たちは見ていると面白いな」
「否定する、僕は面白いと感じない」
「同じく否定しよう御老公、俺がこのような面白みのない小娘と並べられるなどつまらない話だ。烏賊のような面白みのない外観の小娘め、装飾品の一つでもつけたらどうだ」
本を持つ手に力が入る、この本は即座に焼却してしまったほうが世のためではないだろうか。
「はっはっは、そう言わずに仲良くしたまえ。君たちは今日から共に生活するのだから」
ドクターの言葉に空気が凍り付く、同時に僕の関節も錆びた歯車のように動きが鈍くなる。額からにじみ出る汗が鬱陶しい。背中や手にも汗が滲んでいく。
「ドクター……それはどのような実験という名の拷問であるのか明確に回答を述べる事態であると僕は進言する」
「恐怖に続いて怒りと動揺……なかなかの成長速度だね」
「おい御老公、聞いていないぞ」
「黙っていたからね、君たちが集まっているときにまとめて説明したほうが早いだろう」
ドクターがそういって、僕の持っていた本を手に取る。
そして表紙を少し撫でてから僕の頭にも手をのせた。
「さて……どこから説明したものか。まずは君たちの関係性からだろう」
そう言ってからドクターは席を立ち、黒板の前に立った。
カツカツとチョークをこくばんに走らせて、何かの図式を描いていく。
「まず君たちは便宜上ホムンクルスと呼ばれる存在である、これは人間を模して造られた存在だが人為的に作られた人型生命体という点は一致している」
人が肉体だけで生成すればそれは人間として生まれ、魔法と錬金術を駆使してを使い生み出せばホムンクルスという分類である。
その違いは『生み出す存在を自由にデザインできる』ことくらいだろうか。
僕の様に白髪赤目の少女という姿や、この喋る本のように人外の姿も作り出せるということだ。
ある意味人外の精製も可能という意味では合成獣と呼ばれる人為的につぎはぎをして作り出した動物に近しい存在なのだろう。
「普通はホムンクルスの核はひとつしかないのだが……君たちは二つの核を持って生まれている。正確には一つの核を途中段階で二つに分けたんだけどね」
「ドクター、もう少し詳しい説明を」
「うむ、その説明では小娘には難しかろう……僭越ながら俺が語ろう」
ドクターは手のひらでどうぞと喋る本に促して、黒板の前を空けた。
すると先ほどまで机の上に置かれていたチョークが浮かび上がり、黒板をたたき始めた。
そこに描かれたのは奇怪な絵だった。
かろうじて人に見える傍線たちが前衛芸術のようにのたうち回っている。
「通常ホムンクルスとは人間と大差ない存在だ、生まれの違いなどはあるが人間の様に脆弱で貧相な存在よ。しいて言うならば、非常に死ににくく治癒力が高い程度だ。しかしお前はどうだ」
喋る本の言葉にさまざまな記録を呼び起こされる。
拷問のような実験で受けた大小さまざまな傷、魔法の練習での怪我、どれをとっても命を落としても不思議はない。
「気づいたか、人間と大差ないお前が今までどのようにして生き残れたのかを」
「……命を落とさなかったのではなく、命さえも修復された」
「察しの悪い小娘ではあるが、一度道筋を立ててやれば理解は早いということか。見直してやろう」
「余計なお世話」
「ふん、しかし通常であれば命は一つ。ホムンクルスだろうとも死ねば終わり、ならばなぜ命が修復されたのか」
ドクターの言葉を思い出す。二つの核、一つから分かたれた物、治癒力の高い存在……つまりはそう言うことだろう。
「僕とお前は、二対一体。どちらかが生存していれば片方が死んでも修復される」
「正解だよローリー、グリムの言う通り筋道さえ見つければ結論を出すのが素早い」
「グリム……? 」
先ほどドクターが僕の事をそう呼んでいたような気がする。
そう、たしかフルネームでローリー・グリムと……それはつまり。
「おう、世にも珍しい魔導書の形をとるホムンクルス、グリム様とは俺の事よ」
「……ドクター、この半身中身デザインやりなおして」
「はっはっは、ごめん」
ドクターは笑顔でそう言ってから諦めてと小さく呟いていた。
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