第10話

〈グリムside〉

 ドクターと呼ばれるあの男を、俺は好まない。

 俺の事をグリムと名付けた研究者たちの事も嫌いだが、あの男に関しては特にだ。

 理由は分からない。


 こういうのを本能と呼ぶのだろう。

 だが本能に従うというのは知性も理性もない獣の行動。

 俺は知識と知恵をため込む魔導書、そんな存在が理性を否定することは自己否定だ。

 そんな事は有ってはいけない。

 俺を否定するという事は、世界を否定するという事。

 俺を生んだ世界を否定し、俺を内包する世界を否定し、俺のすべてを否定する事。


 魔導書というものは、魔法に関しての記述を含んでいる。

 故に、魔に導く書物だ。

 そして魔法魔術魔道と呼ばれるそれらは、世界の理に背く、もしくは世界の道理を捻じ曲げる方法だ。

 そんな俺が、世界を否定してしまったら。


 想像するだけでも恐ろしい。


 だから俺は知り、思考する。

 なぜあの男が嫌いなのか、なぜ研究者たちが嫌いなのかを。

 幾千幾万という可能性を一つ一つなぞり、そして否定していく。

 肯定の裏に否定有り。

 肯定とは一つの事柄のみを認め、それ以外を否定することにある。

 だから否定を続け、保留を続け、そして否定をする。

最後に残った一つこそが真実。


 そして行き着く。


 なぜ研究者が嫌いなのか、道理に背く方法を知る俺に対して、奴らは捻じ曲げた道理を世界の道理として定義させる存在だからだ。

 いくら道理から外れようとも奴らは新たな道理を作り出す。

 俺が壊したものを壊した傍から直していく。

 いうなればこちらの努力を不意にされてしまう。

 それがどうしても許せない。

 だから奴らの事が嫌いだ。


 だが、ドクターはどうだ。

 違う、あいつを嫌う理由はそこにはない。

 ならば……という自問自答にこそ意味はない。

 いたって単純だ。

 気が付いてしまえばこれ以上の道理はない。

 それこそ理由はない。

 全ての理由を肯定してしまえるほどに奴の事が嫌いなのだ。

 否定した先に残る物こそが肯定、道理を捻じ曲げる外法の書物が世界そのものを否定してしまうという危険性、理由が無いのは理由しかないからという酷い自己矛盾、それら全てを内包した感情。


 その矛先が、あの男。


 なんという混沌、なんという汚濁。

 我ながら見苦しいものだ。

 あいつは、以前俺の半身に自分を殺すならどんな方法を使うかと尋ねた。

 半身は未だに純真無垢、白く穢れのないシルクのような精神構造をしている。

 そんな幼子に墨を垂らすような暴挙だ。

 仮に小娘の身体に俺の精神があったとしたら、思いつく限りの手段であの男を殺していただろう。

 そう思えるほどに忌々しい。

 しかし俺にそれをかなえる手段はない。


 手段はおろか、手も足もない。

 だから思考する。

 あの男を殺す方法を。

 いつか、俺と俺の半身に危害を加えるであろうあの男を殺す方法を。

 しかしそれは徒労に終わる。

 どのような手段を考えようとも妄想であり想像でしかない。

 ならば、せめて備えることにする。

 あの男が、俺に、俺の半身に、ローリーに何かよからぬことを企み実行に移した際に抗えるように。 


〈ローリーside〉

 グリムについて、僕は知らないことが多すぎた。

 それでも理解できることは、彼は僕よりも人の感情を理解している。

 だからだろうか、彼の思考は僕と比べると偏りやすいという評価が下されている。

 ある日研究者からインクを垂らした用紙を見せられて、なにかに似ていないかと聞かれた。

 僕はそれを見た時にデフォルメされた鳥の姿に見えると答えた。

 しかしグリムはまず質問の意図について尋ね、質問に答えない限り回答は拒否すると答えた。

 彼は無意味な質問に答えるつもりは無いという姿勢を見せ、心理的なテストだと聞かされてようやく答えを出した。


「蝶のように見える」


 そう短く答えた。

 それから少し考えて、話をつづけた。


「羽が引き裂かれているように見えるな、鳥にでも襲われたのだろうか。いや、鳥ならば羽を残して食べるだろうから人間の子供が悪戯に傷つけたのかもしれんな」


 そんな風にストーリーを付け加えていた。

 随分と余分な解釈を付け加えたものだと思ったが、研究者はその答えを痛く気に入ったようだった。

 それほど面白いストーリーではないにもかかわらずだ。

 他の研究者に対して、その回答を広めた所、皆がそろって面白い傾向だと答えた。

 何が面白いのかはわからないが、研究者たちはその意味を教えてくれなかった。

 しかし、抑圧がという言葉や、思想的にと言った言葉が聞こえてきた。

 グリムに対する評価に関してだ。

 僕に対しての評価は特に述べられていなかったようで、それはつまり語るに値しないという事だろう。

 それからも似たような質問をいくつかされて、その悉くにグリムは余分なストーリーを付け加えていた。


 想像力が豊かなのだろうか、彼の語るストーリーは試験の度に長く詳細なものとなっていった。

 またある時、いくつかのタグを見せられた。

 そこには『子供』や『大きい』と言った単語が記されており、それらを並べてキャラクターを考えてみろと言われた。

 いつもの私見だろうと思い、見知った研究者や兵士を元にいくつかのキャラクターを作ったところ彼らはその結果に満足したのか、僕の頭を撫でた。

 しかしグリムは、僕と真逆の行為をした。

 見知った者と絶対に当てはまらないようにキャラクターを作り出して見せた。

 その結果にも、彼らは満足したようだ。


 僕と真逆の回答、それが非常に面白いという評価を得ていた。

 そして、それらすべてのキャラクターに背景を付けて、僕に対して一言、こう述べた。


「人をなぞるだけでつまらない」


 知らない事は分からない、だから僕は知っている事を利用しただけだというのに随分な評価を下された物だ。

 そう思ったが彼が面白そうにしている場面など見たことが無い。

 だから尋ねた。

 面白いとは、どういうことを指すのかと。

 グリムは答えなかった。

 答えが分からないのか、それとも答える価値もないと思われたのか。

 その事さえ僕は分からなかった。

 そんな彼に僕が述べる私見はただ一つ。


 知識はあるくせに子供っぽい、だ。

 いや、これは私見というと語弊があるかもしれない。

 何しろ受け売りの言葉だ。

 僕は往々にして子供という物を見たことが無いから、子供っぽいというのがどのような精神構造を意味するのか理解できていない。

 しかしそれの意味するところは未成熟という事だろう。

 そういう意味では僕も未成熟で子供っぽいというのだろうか。

 その言葉を教えてくれた者は僕に対して「子供っぽいというか、見たまんま子供」という評価を下していたのだが……。

 あれはどういう意味だったのだろう。

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