第3話

 人の判別、その方法を知ることができた僕は、しばらくその判別方法を確実なものとすることに熱中した。


 例えば衣類は人を判断する方法として適していない。


 はじめ、僕はその事を知らなかった。


 なぜなら僕には衣類を着替える事の意味を誤解していたからだ。


 人が、いや生物が行動すれば衣類は汚れる。


 ドクターのような研究者と呼ばれる者達は白衣と呼ばれる上着を身に着ける。


 その下は各々、似通っているが個々別々の衣類を身にまとっているため判断材料になると考えていた。


 しかし、二日三日と彼らを観察していると同一人物が別の衣類を身にまとっていることがあった。


 彼らは休息を必要としないのか、それとも衣類を交換するという事を放棄していたのかは分からないが、女性職員はほぼ毎日、似たような服装でありながら微妙な違いのあるものを選んでいる事に気が付いた。





 また兵士と呼ばれる者達は灰色の衣類を纏い、訓練と呼ばれる行動をとる。


 肉体を動かし、筋組織の発達を促しているその行為は代謝を促進させ、発汗を促す。


 その結果衣類にしみ込んだ汗が異臭を発するようになる。


 故に衣類を変える。


 けれど兵士と呼ばれる者は多数存在し、その全員が同じ衣類を身にまとっているから判断材料としては足りないと考えた。


 決定打は得体のしれない感覚と共に得た。





 スカートというのだろうか。


 僕が着せられているものも大枠ではその部類に入るらしいが、これはワンピースというらしい。


 そのスカートについて調べようと掴んで裏地を見ていた時に、手首をつかまれた。


 ペンを折るように力を込められたその手からは得体のしれない物を感じ取った。


 その時女の衣類に触れることは許されない事であり、そしてそれが個人の趣味趣向によってえらばれた物だという事を知った。


 つまりは彼等、あるいは彼女らにとって衣類というのは合理性や利便性で選ぶものではなく、常に揺れ動く感情で選ぶものだと知った。





 次に着目したのが頭髪だ。


 これも決定的な材料ではないが、一端として見ることができると気付いたのはしばらく後の事だ。


 人は髪の毛に何かを塗り込み、固定して形状を変えることもあれば染色することもある。


 更に頭髪は肉体の成長とは違い、日毎に微量に伸びていくこともある。


 あいにく僕の髪は伸びている様子が無いので、自身で観察することはできないからこそ発見に遅れた。


 変わったものでは、仕事上で失態を犯したから髪の毛を剃り上げたという者までいた。


 これには非常に困らされた。


 判断材料として最もわかりやすかったのが頭髪だからだ。


 色、長さ、量を元に個々の判別を行うことができるのであれば。


 そう考えて日々観察を続けていたというのに、一晩でそれが水泡に帰してしまったのだから。


 また年齢とともに頭髪が抜け落ち、最期には不毛の大地と化す者もいると聞いた時は、頭髪に面影を見ることはできないのだと知り足元が崩れていくような気分に陥った。





 そんな僕の耳元で、それは絶望という感情だと伝えたのは誰だったのか、今でもよく思い出せない。


 ならばと躍起になったのはそのころだろう。


 眼球の色、生まれや遺伝で同色の者が多数存在し、また何かしらの事故で変質する。


 肌の色、太陽光で発生する軽度のやけどで変質し、決定的な物とは言えない。


 肉体、顔面、その他諸々全てが同様の結論に至った。


 そこに至って初めて、単一の特徴ではなく複合してみることを覚えた。





 例えばドクターという男。


 彼は年齢で言えば50代と言ったところだろうか。


 特徴と言えば顔に刻まれた深い皺、加齢による物だろう。


 また髪の色についても同様だ。


 黒の混ざった白、元は逆であっただろうそれは灰色と呼べる。


 その髪をジェル状の物体で固めている。


 オールバックという髪型らしいがそれは関係ない。


 灰色の瞳、澄んだ光の奥底は鈍っているようにも見えるそれは、向かい合った時に僕を映し出している。


 しかし妙に不安感を抱かせる瞳だ。


 身にまとっている白衣は年季が入っている。


 よれていたり、シミが付いていたり、破れていたり。


 その下に来ているのはいつも決まって白いシャツと茶色いズボン。


 よれた白衣とは違ってぴしりとしている。





 首は太く、またごつごつとした手、時折のぞかせる足首や肩には筋肉がついており、兵士と呼ばれる者達と比べても遜色ない、いや彼等よりも強靭な肉体と言えるだろう。


 研究者という職業においては非常に目立つ特徴だ。


 少なくとも僕の知る、彼以外の研究者と言われる人間は筋肉を発達させることよりもより多くの知識を得ようとする。


 僕と同じ思想の持主ばかりだ。


 知りたがりとでもいえばいいのだろうか。


 知る事を信条に、仮説を編み出して、立証しようとする。


 精神構造が近しいともいえる。


 そんな研究者たちを見知っているからこそ、ドクターという男は区別しやすい。


 この研究所の中では唯一、間違えることなく判別できる相手と言える。





 逆にわかりにくいのは兵士だ。


 彼らは、同じ衣類を身にまとい、髪型は決まって邪魔にならないようにしている。


 衣類と髪型という二つが全員似通っているから、それ以外の特徴を探さなければいけない。


 だから、眼球の色、鼻の形状、耳の形状、指の形状、傷跡、髪の有無と色、そう言ったものを見る。


 けれど結局は似通っているのだから、判断が難しい。


 流石に男女の形状の違いは分かるがそれだけだ。


 男と女の形状区別は何よりも簡単だった。


 胸部と臀部を見れば十中八九男か女かわかる。


 一部、男のように引き締まった胸と尻のせいで性別の区別がつかない相手もいる。


 そういった手合いとは、かかわらないように心掛けている。


 男なのか女なのかと尋ねたら頭をわしづかみにされた。


 理解のできない感情に支配された。


 絶望とは違う、しかし何時か絶望に到達するであろう感情を抑え込むのに心血を注ぐことになってしまった。


 あの時の感情はいったい何だったのか。


 似たような感情を抱いたのは研究員の服を調べた時だ。


 スカートの下に隠された赤い肌着をあらわにしたあの研究員から感じ取ったものと同じ、不可思議な感覚。


 図鑑で見た大型肉食獣の捕食風景、その捕食される生物の視点というのは案外こういう者なのかもしれないと思ってしまった。


 だから、僕はあいつらには近づかない。


 一部の研究員が「女はなぁ……」とぼやいていたのもこれが原因なのだろう。


 だとすれば、男というのは力が強くとも捕食される側なのかもしれない。


 蟷螂という虫もそういうものだと聞いた。


 だからしばらくは男に焦点を絞って特徴探しをしていたが……。


 これがまた難しい。


 男は女と違い着飾る物が少なかった。


 アクセサリーという者を身に着ける者が少ない。


 ドクターのように結婚指輪という者を身に着ける男は何人かいたが、ピアスやネックレスと言ったものを着用する物は100人に1人程度の割合だった。


 その事について尋ねると職業柄という回答が返ってきたのだが、どういう意味だろう。


 仕事が違えば着飾る者も増えるという事なのだろうか。


 謎は増えるばかりだ。

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