第2話:手八、場八
「そこ、どいて欲しいんだけど。何でどけないの?」
雑談を楽しんでいた女子生徒二人が、驚いたように顔を上げた。一人は怪訝そうに「そこをどけ」と指示した生徒――椿の顔を見やり、続いて上履きの色を確認した。もう一人は椿の惚けた顔を認めた瞬間、何か重大な事を思い出すように眉をひそめた。
「……いや、私達が先に使っていたじゃん。何なの?」
パチパチと瞬きをした椿。睨んで来る上級生の言葉が理解出来ぬと言わんばかりに、「だから、どいてって」と再度通告を行う。あくまで年長者の余裕を見せたいのか、その上級生は苦笑いを浮かべて周囲を見渡した。
「悪いけど、今、談話室は満席だから。……後輩の前で良いところ見せたいのは分かるけどさ」
談話室の入口付近で自分を抱き締めるように怯えるのは、こういった荒事は一切免疫の無い浜須だった。
「せ、先輩……! もう良いですから、別のところで――」
震えた声を遮り、椿は更に一歩進み……反論する上級生に触れ掛ける程に近付き、言った。
「私、この位置にあるテーブルにしか着かないって決めているんだけど。私が散々どけって言っているのに、アンタ何様なの?」
いよいよ我慢ならなくなった上級生は、椅子から跳ねるように立ち上がり――椿の鎖骨辺りを軽く押した。
「お前こそ馬鹿じゃないの!? 使用は三〇分までってルールも守っているし、飲食だってしていないのにさ! 何で後から来た生意気な――」
ガクン、と上級生の顎が退き、間も無くテーブルが横転する音が響き渡った。椿のたおやかな手が上級生の首を掴み、その体躯からは予想も付かない膂力を発揮し――前方へ投げ飛ばした為である。
「っ、椿先輩!?」
声にならない悲鳴が談話室に満ちた。不安げに口論を見守っていた生徒達は慌てて鞄を手に取り、我先にと浜須の傍を駆け抜けて行った。
突然乱入して来た異常者と関わりを持ちたくない!
旧来の教育体制からの脱却を図り、男女共学制へ転身したとはいえ、未だに「お嬢様学校」の名残が色濃い花ヶ岡にて当然の選択であった。
「痛っ……つぅ……!」
「だ、大丈夫!? 保健室行こうか!?」
二人のやり取りを意に介さぬように、椿はやはり惚けたような顔でテーブルを引き起こし、負傷した上級生の鞄は蹴飛ばして遠くにやり、最早その場でへたり込んでいる浜須を手招きした。
「……っ!」
嫌です、行きたくありませんっ――激しくかぶりを振る浜須の頭上でリボンが揺れた。しかし椿は手招きを続け、果たして三年生達の方を見やり……。
「てか、いつまでそこにいるの? あの子が怯えているんだけど」
浜須は絶句した。口が裂けても「アンタのせいで怯えているんだよ」とは言えなかった。首元を抑えていた上級生が咳き込みつつ、「おい!」と椿を呼んだ。
「お前、絶対風管部に突き出してやるから! マジで頭に――」
「ちょ……! ねぇ、ヤバいってこの二年生……!」
争乱が起こるまで喋らなかった片割れが、黙して睨め付けて来る椿に怯えつつ、息巻く友人に耳打ちをした。そして三〇秒後――二人の三年生は鞄を持ち、逃げるようにして談話室から去った。
「…………」
重い、喉に引っ掛かるような沈黙が訪れた。既に着席している椿は呆然とする浜須を見やり、再三手招きをした。
「おいで。早く」
すぐにでも逃げ出したい気持ちを必死に抑え、浜須矢恵は身体を極限まで縮こめて……実に心地悪く椅子に着席していた。テーブルの向こうでは椿が八八花を素早く切っており、その目は、ふと――浜須の手元に向いた。
「今回はメモ、取って良いんだけど。それとも全部憶えられるの?」
「あっ、あぁぁあはい、ありがとう御座います! すいません、少々お待ち下さいね、えーっと……あ、コレじゃない、アハハ! こっちです、こっちにありました、ハハハハ…………ハハ……」
「アンタ、笑い方気持ち悪いね」
「…………」
チャッ、チャッと小気味良く鳴る札の音が、今日ばかりは首切り包丁を研ぐ音に聞こえて仕方無かった。椿にバレぬよう、密かに壁掛け時計を確認すると、既に一六時半を越えていた。「まだ終わらないの?」と編集課長が電話を掛けてこないよう……祈る事しか出来なかった。
アンタ、この前から他の技法を知れたの?
へぇ、全然だね。じゃあ良いよ、暇だし、談話室で教えてあげる。持っているでしょ、
良いって、そんな事気にしなくて大丈夫だから。
何? そんなに私といるのが嫌なの? じゃあ何なの?
そう、だったら最初から言えば良いのに。アンタ、遠回しに物を言うんだね――。
つい一〇分前の会話を思い起こし、改めて浜須は眼前でスマートフォンを弄る二年生に強い苦手意識を抱いたが(札は切り終えた、らしかった)、なかなか情報の集まらない《秘匿技法》を収集する為には致し方無いと、半ば捨て身の精神でメモを開いた。
「あっ、そういえば、ですけどね? どうして頭巾の下が私だと見抜けたのでしょうか? やはり打ち手に備わる勘や――」
「黙って」
彼女の指示通り、浜須はそれ以上の発言を中止した。
二人が着席して五分が経った。
コクン、と浜須が生唾を飲み込んだ。
右手にはペンを持ち、すぐにでも真っ新なページへ貴重な技法手順を書き込む準備は出来ていた。が……肝心の講師はスマートフォンに夢中らしく、浜須の方など一瞥すらしなかった。
「…………」
背中に冷たく不快な汗を掻いた浜須は、持てる限りの勇気を振り絞って椿に声を掛けた。多少の暴力なら目を瞑る事にした。
「……こっ、今回お教え頂けるのは……何でしょうか」
ゆっくりと……椿がスマートフォンから顔を上げた。「ひっ」と小さく声を上げたか弱い一年生に、手厳しい二年生が返した言葉は――。
「やっぱり、順序が違う」
「…………うんっ?」
椿は俄にスマートフォンを操作し、浜須の方へサッと滑らせた。画面ではメモのアプリが開かれており、そこには少なくとも一〇を越える詳細不明の技法名が書かれていた。
年老い、夢破れ掛けた探検家が財宝を見付け出したように。
大砂漠の中を彷徨い歩き、潤いに満ちたオアシスに辿り着いた遭難者のように。
歴史の波濤に飲み込まれた書物を、偶然にも郊外の洞窟で発見した研究者のように……。
秘匿技法の探求者である浜須の表情は――驚嘆、輝き、動揺、恍惚、何よりも歓喜に満ち満ちていた。
「こっ、これ……っ!? ぜ、全部教えてくれる……って事ですか……!?」
俄に椿はかぶりを振った。
「え?」
「だから順序が違う、と言っている」
やがて可愛らしいおちょぼ口の二年生は、切った札を互いに八枚、場に八枚と配り始めた……。
「……それって、まさか――」
「《こいこい》。出来るでしょ。三ヶ月で良いから」
先手後手はお好きにどうぞ――椿は顎で浜須の前に置かれた八枚をしゃくった。
「とりあえず、実力を見たいから。早くしなよ」
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