浜須矢恵、手を引かれ

第1話:アンタでしょ

 霜月ともなれば、いよいよ防寒具無しでは通学自体が大層な苦痛となる。大半の女子生徒は膨れたペンギンのようにコートを着込んだり、雪だるまが嵌める程に大きな手袋を愛用した。一方男子生徒はというと、せいぜいが薄手のジャンパーを羽織るか、或いは何も身に付けない――我は風の子を地でいく者が目立った。


 一一月一日。放課後の《姫天狗友の会》に浜須矢恵の姿はあった。花ヶ岡の伝統文化である《札問い》にて活躍する彼らの取材が主だったが、「飛凪富生の調査」の定期報告も兼ねていた(目代は風邪の為休みであった)。


「ズバリ、宇良川先輩にとって《札問い》とは何でしょう?」


 マイク代わりにボールペンを向けられた柊子は、わざわざ龍一郎に設置させた長机の向こうに座りふんぞり返っていた(二年代打ち、宇良川柊子という席札も気の毒な少年が作った)。「そぉねぇ……」と勿体振った言い方は、今にも笑い出しそうな程に喜色を滾らせていた。


「人助け、なんて生っちょろい言葉は使わないわぁ。その質問はとーっても難しいんだけれどぉ……まぁ一言で表すなら、『本能』とでもしておきましょうか」


「格好良い宇良川先輩!」


 何故か記者側に椅子を置いて喜ぶトセ。後輩の声援を受けて更に心が浮かれた柊子は、「」と手を叩き、部室の片隅で居眠りをしていた龍一郎を呼び寄せた。


「……はい、はい! 何ですか」


「記者のご一同にお茶とお菓子を供しなさい、すぐよぉ」


「私、林檎ジュース!」すっかり部室の空気に馴れた浜須が手を挙げた。続いてトセが「玉露! 淹れる時はワンクッションね!」などと、淹れ方の指定までも行った。


「ハァ…………こんな事ならやらなきゃ良かったよ」


「あれぇー? おかしいわねぇ……ラジオでも鳴っているのかしらぁ、雑音が聞こえるわよぉ?」




 数日前、暇潰しと称して柊子から「負けた方が一日下僕になる」という理解し難い罰ゲーム付きの闘技を申し込まれた龍一郎は、一にも二にも無く座布団を囲んだ。これが間違いであった。


 のような失態は犯さない。それに――今回は一日中ときた! 僥倖だ、ここに極まれりだ……!


 余裕そうに構える柊子へ、実に紳士的な表情で「良いですよ、楽しみましょうね」と答えた龍一郎は内心……年頃の青少年らしい妄念を抱いていた。


 絶対命令権を賭けた闘技は《鬼こいこい》と相成った。《桐に鳳凰》を鬼札とする以外は通常の《こいこい》と変わらないが、カス札以外何でも合わせ取れる鳳凰に、意外な程少年は手こずった。


 やがて終盤六局目となり(であった)、二文差で逃げ切ろうとした龍一郎は、手八場八に配り終えた瞬間――柊子の意味深長過ぎる発言によって、何とか冷静を保てていた思考が焼き切れてしまった。


「……そう言えば、近江君?」


「はい? 待ったは駄目ですよ」


「そういうのじゃないのよぉ……唯、言っておこうと思って」


「何でしょう?」


「私が負けたとして……?」


 二分後、龍一郎は逆に一二文差を付けられ敗北した。一文でも多ければ勝利となる為に、手っ取り早く《タン》を作ろうとして《芒に雁》を放って置き、《菖蒲に短冊》へ手を付けたのが失敗であった。


 色? 色って……か? その色を俺に見せるって事は…………いや駄目だ、が悲しむ! おい待て俺、梨子が悲しむような行為を期待している、そういう事なのか――。


 顛末は実にシンプルだった。熱量を増していく少年の頭をピシャリと冷やすように、柊子の起こした《桐に鳳凰》が――三羽の雁を捕らえたのである。特段彼女がこの種札を欲していた訳ではない。


 今度に限り、鬼に姿を変える霊鳥を自陣に招けばそれで良かった。《桐に鳳凰》は鬼札であり、単なる光札でもあるからだ。


「はい、私の勝ち。《雨四光》もたまには良い働きをするわねぇ」


「…………あっ、あっ……」


 艶っぽく、そして心底少年を嘲るような目付きの柊子は、硬直する少年の耳元でこう囁いた。


「何を期待していたのかしらぁ……? お姉さんに教えて貰えるぅ? そうそう――」


 左山さんも交えて、ね……。




「はい、林檎ジュースと玉露」


 報道陣(内一名は観客)に指定された通りの飲料と、特製ガトーショコラを一切れずつ与えた龍一郎。昼休みを返上して製菓部に並んだ甲斐があった、というべきか、トセと浜須は満面の笑みでこれを頬張った。


「ふふふ、若い女の子が増えて素敵ねぇ」


「はぁ……まぁ、そうで――」


 ハッと振り返った龍一郎は、柊子の双眼から光が失われているのを認め――。


「――すけど、やはり宇良川さんのような女性の方が、俺はとっても素敵だと思います、はい。ははは」


「五〇点よぉ、ボクちゃん。はぁい、綺麗な私の為にミルクティーを買って来なさぁい、三分以内、レッツゴー」


 かくして少年は駆け出し、部室には女三人、姦しくも華やかな様相を呈した。




「はぁー美味しかった、美味しかったぁ……っと」


 おいそれとは買えない林檎ジュース、《オキラク便》では購入出来ない製菓部渾身のガトーショコラの美味に満足した浜須は、大層機嫌良くリボンを揺らしつつ、広報部室へと向かっていた。


「……おや?」


 廊下の端から此方へ歩いて来る女子生徒がいた。背は小さく、まるで人形のように端正な面持ちの――。


「っ!?」


 椿珠青。先月に《救華園》で出会った上級生が、何処と無くトロンとした独特の相貌で浜須の方へ歩み寄って来た。次第に浜須の心臓が高鳴り始めるが、ふと、救華園では頭巾を被らされていた事を思い出し、「声を掛けられるのでは」と怯えるのは全くの杞憂であると結論した。


 そうだ、そうだよ私。何も考えず、横を過ぎて行けば良いだけだもんね。


 椿との距離が五メートル、四メートル、三、二、一……と近付く。果たして二人は一言も言葉を交わさず、擦れ違った――矢先である。


「ちょっと止まって、一年生」


 背後から聞こえた声に憶えがあった。浜須は振り返らずにいた。否、振り返る事すら出来ない緊張の中で……唯一点前を見つめていた。椿はトコトコと浜須の傍にやって来ると、細腕を力強く掴み、無理矢理に自らと正対するように浜須を向かせた。


「な、なな……何ですか……先輩?」


「いいからこっち向いて。そのまま黙って私の目を見つめて」


 生唾を飲み込む浜須。清流を思わせる穢れ無き瞳は、しかし零度の冷感を以て心中穏やかでない浜須をジッと見据えた。


「あの……そろそろ帰っても――」


 刹那、椿の手が浜須のネクタイを鷲掴み、首元を小さな鼻に近付けた。一度、二度と香りを嗅いだ乱暴な二年生は……用無しだと言わんばかりに浜須を突き放し、「アンタ、記憶力が悪いの?」と、自身の額を突いた。


「……えっと、一体何の事ですか……ね……」


「椿珠青、二年八組。本当に憶えていないの? この前、《二魂坊》を私から教わったのって――」


 浜須は喉の奥が強く、乾いた気がした……。


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