第3話:最重過失
翌日。一〇月一七日の放課後は暦通りの気温となり、薄手のコートかマフラーに保温を頼る生徒が見受けられた。生来寒がりの看葉奈はこの時期になると、箪笥からノルディック柄のマフラーを引っ張り出し、天気予報も実見も意に介さず、顔の半分を埋めるようにして登校した。
「……」
彼女は柊子、ミフ江、千咲と共に喫茶店へ出向いていた。この日も季節性の慣習に漏れず、朝から看葉奈の首元を温めていたマフラーは、膝上でその出番を待っていたが――。
「……何かあったのぉ?」
「斗路さん、具合が悪そうですわ……」
「看葉奈の暗い顔は悲しくなる。どうしたの」
三者三様の言葉が看葉奈の耳に駆け込んだ。友人に起こった異変を我が事のように考え、当事者よりも痛切に感じ入り、最終的には具合を悪くしてしまう性質を持つ千咲は、まだ一口も手を付けられていないミルクティーを見やった。
「……言いにくい事なの?」
ハッと顔を上げた看葉奈。慌ててミルクティーを飲み、「何でも無いですよ」と微笑んだが――。
「嘘吐けってのぉ!」
柊子の即時糾弾に口を噤んでしまった。
「あのねぇ、みーちゃん。貴女、朝から随分と素っ気無いじゃなぁい? 私が話し掛けても『そうですね』だけ、史氷ちゃんが与太話を投げ掛けても『なるほど』ばかり、ぬいぬいの言葉には返事すらしないじゃないのよぉ! 幾らぬいぬいの声が小さくて聴き取りにくくて何言ってるか分からなくとも、流石に――」
「宇良川さん……!」
「何よぉ…………あっ……」
ツンツン……と、ミフ江が千咲の方を突いた。表情は変えず、しかしながら今にも泣き出しそうな、或いは殴り掛かりそうな程に頬を紅潮させた友人がいた。
「……オホン、とにかく斗路さん? どうも体調が悪い訳では無いらしいし、私達はどうにも、何か重大な悩み事を抱えているのではと……気になって仕方ありませんのよ」
ミフ江の言う通り、確かに看葉奈の体調だけは良かった。昼食には持参した弁当と菓子パン二個、スナック菓子を一袋、加えて炭酸飲料を一〇分で飲み干した為に、むしろ好調そうにミフ江の目には映った。
三人が見守る中、看葉奈は遂に重い口を開けた。
「…………以前、お話した不安の種が、いよいよ発芽した――とでも言いましょうか……」
柊子達は互いに顔を合わせ、「何だっけ?」と小首を傾げたが、やがてミフ江が眉をひそめ、「まさかですけど」と囁くように問うた。
「賀留多の免許制……ですの? また一組の矧名さんが?」
長い時間を置いて、看葉奈は苦々しく頷いた。突如として流れ込んだ重たい空気を持ち上げるように、千咲が遠慮がちに挙手した。
「免許、って……何の話か分からない」
「えぇ? 一緒に聴いていたでしょ――って、あぁ……ぬいぬいはあの時休んでいたものねぇ。掻い摘まんで説明するわよぉ」
複雑な問題の要点だけを抜き出し、聞き手の知識の多少に関わらず確実に教授出来る才能を持つ柊子は、粗暴な一面を除けば面倒見の良い少女でもあった。
「……とまぁ、こんなところかしらぁ。合っている、みーちゃん?」
「えぇ、完璧です。私より理解されていますね」
「それにしても、本当にそんな奇案が――」
「悪い事なの?」
看葉奈、柊子、ミフ江が同時に千咲の方を振り返った。千咲は理解しかねるといった表情を顔面の筋肉――ではなく、声色で表現した。
「確かに免許取得は面倒だし、闘技の際は必ず提示するのがまどろっこしいけど、逆に言えばキチンとした生徒を護ってくれるもの……な気がする」
「護る……というのはどういう事ですか?」
「今も看葉奈達、目付役が頑張って打ち場や札問いを管理しているけど、私達一般の生徒は自衛手段が無いから、正直……ちょっと不安は残る」
免許は自衛手段に成り代わる――千咲の主張は次のようなものだった。
従来、大多数の一般生徒は「金花会以外で花石を賭けた博技を行わない」「如何なる理由があっても忌手を使わない」事を旨とし、また目付役達も「皆が約束を履行している」と仮定して、賀留多利用の自由を認めていた。但し、あくまで両者の間には性善説だけが支配する理想の関係だけがあり、イレギュラーの存在は認知していなかった。否、しようとしなかった。
平和の異分子である凶徒――校内の掲示物で名を張り出されたり、特別な制服を着せられる事は無かった(プライバシー保護の為)。突き詰めてしまえば、AはBが凶徒である事を知るには、直接訊ねるか情報通を頼るか、或いは自ら見抜くかしか方法がない。
ところが、昨日のしょうけら会議で提案された《賀留多免許制》は、凶徒判定の難易度を大幅に下げる事が出来た。
「この人は免許を持っていない。金花会は賀留多使用に相応しく無い生徒から免許を取り上げるから、この人は凶徒に違い無い」
全く単純な論理を通じて、Aは容易くBとの闘技を打ち切り、他の所持者と安全に賀留多を楽しめるのだ。
中間色を認めず、白か黒かを浮き彫りにする制度――それが《賀留多免許制》であった。何ら罪を犯していない一般生徒には殆ど影響が無いが、凶徒達にとっては最早「晒し首」も同然であった。
「皆が皆、凶徒について詳しい訳じゃない。忌手の対処法なら尚更。でも……免許制なら、少なくとも怪しい人の区別は付くようになる」
千咲の意見を傾聴した三人は、免許制に対して心中で各々違った所感を思った。
看葉奈は「なるほど、そういう見方もあったのか。最初から訝しむのは悪い癖、もう少し考えてみよう」と反省し、制度の提案者に対する疑念を少し晴らした。
一方、ミフ江は「免許という物体に人権を封入するようなやり方は、余程に管理者が高潔で優れた人物でないと上手くいかない! 果たして提案者――矧名涼さんはそれを考えているのだろうか?」と、胸奥を掻き毟りたくなった。
「……」
そして――二年生代打ち、宇良川柊子はこのまま免許制が可決され、否が応でも全生徒に免許が与えられた未来を思った、矢先……。
どうしようも無い震えが走った。
「…………みーちゃん」
「はい?」
妙に低く、唸るような声色で柊子が言った。
「その矧名ってのは、一人で制度を考えたのかしら?」
「……多分、そうだと思います。何か引っ掛かる事でも――」
一人で制度を考えたのかしら?
柊子の言葉が何故か……看葉奈の脳内で幾度も再生された。やがてこの音は短くなり、「ひとり、ひとり……」と意味深に三文字のみを繰り返した。
「これは推測だけど、矧名は誰かの意見をベースにして制度を考えた気がするの。或いは……頼まれて、かも」
段々と目が見開かれていき、果たして看葉奈は有り得てはならない、しかし過ってしまった最悪の事態を口にせずにはいられなかった。
「……っ、…………?」
「どっ、どうしたんですの斗路さん?」
ミフ江の声は何処か遠くの、海を隔てた異国の音も同義であった。あくまで予想の範疇を超えない「空想」は、どういう訳か速まる鼓動と連れ添うように……現実味を増していく気がした。
「看葉奈……本当に具合が悪そう」
「ご、ごめんねみーちゃん、私の妄想よ、も、う、そ、う」
「そうですわ、困ったもんですわね宇良川さんったら!」
突然の狼狽に気遣う友人達に――看葉奈は唯、「ですよ、ね……!」と無理矢理に笑う事しか出来なかった。
その日の晩、看葉奈は自室の本棚から年季の入った分厚い本を取り出し、表紙をソッと撫ぜた。
《毒法千手詳細覚書》――花ヶ岡に綿々と伝わる、種々の忌手やその使い方が記された禁書であった。ある時、情報量が増していると噂されていた海賊版を新田目が幾つか押収したが、中身は意外な程に薄く、走り書き程度のものも散見された。
あらゆる悪技を詳細に残し、誰でも習得出来る程に易しく書かれた正規版……これに勝る海賊版は終ぞ見付かる事は無かった。この正規版は二冊だけ現存し、代々金花会の人間が管理する事となっている。
一冊は筆頭目付役である看葉奈が、そしてもう一冊は――。
矧名涼、彼女が自宅で保管している。慣習として筆頭目付役は正規版の管理者を、自ら指名する事となっていた。看葉奈は現在知る由も無いが、要するに……。
忌手を売り捌く悪人である《造花屋》へ、最大限の助力をしていた事に他ならない――。
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