第4話:嘘っぱちの閻魔

「……駄目ですわ」


 少女趣味のパジャマを纏うミフ江の手から、クシャクシャに丸められた紙が放たれ――三歩先のゴミ箱に収まった。幼い頃に買って貰った鳩時計は二二時を示しており、「寝る子は育つ」という格言の信仰者である彼女は、子供用歯ブラシで歯を磨きつつ(口が他人と比べて小さかった為)、二冊のノートに目をやった。


 宝技集。どちらの表紙にも大きくそう書かれ――上から更に大きく、赤ペンで「バッテン」が描かれていた。


 やがて洗面所に向かい、口中をサッパリとさせて来たミフ江は、ノートを掴んで温かなベッドに入り、LEDの読書灯を灯した。


「……それにしても、本当に斗路さん大丈夫かしら……」


 悄気た顔でページを捲りながら、大きく溜息を吐いた。落胆の吐息は頭上へ浮かび……プツリ、と消えた。


、というタイトルを変えて欲しいのです』


 その日の夕方――看葉奈はいたく申し訳無さそうに言った。金花会の依頼を受けて創作技法の手順書を執筆するという大役から来る優越感もあり、ミフ江は然程に気を悪くする事は無かった。


 依頼者、要するにである金花会にも何らかの事情があるのだろう……彼女は思い、二つ返事でこれを了承した。しかしながら、柊子、千咲の両名は口を揃えて「理由が知りたい」と首を傾げたのは意外であった。


 自らの趣味が高じて本を出せるが故に、ミフ江は多少の問題なら目を瞑ろうとしていたのだが、これが柊子達には見過ごせない「危難」に映ったのである。問われた筆頭目付役は「私の失念から来る問題です」と頭を下げ、顛末を語るその表情は――。


 肩に落ちた早雪の如く、すぐにでも消えてしまいそうな儚さを湛えていた。




 自身が考案した創作技法を収めた書籍を、ミフ江は『宝技集』と名付けて購買部の書籍コーナーに並べようとしていた。


 ミフ江からタイトルの最終決定と進捗状況を聞き取っていた看葉奈が、、先日の《しょうけら会議》で皆に伝えた瞬間……事態が急転したのである。つい五分前に提示されたをメモに纏めていた播澪が、「宝技集」という単語を耳にした時、サッと顔色を変えて――。


「斗路」、と一度も聞いた事の無いで名を呼んだ。呼ばれた看葉奈だけでなく、他の目付役達も何事かと顔を上げ、酷く冷たい表情を浮かべる《探題役》を認めた。


「はっ、はい……?」


 そこまで怒らせる程の失態を犯していないのに――看葉奈は狼狽えながらも聞き返し、数秒後に「そこまで怒らせる程の失態」を犯していた事に気付いたのである。


「……斗路はさ、筆頭目付役その立場になってどのくらいになる?」


「……は、半年程です」


「半年か」播澪は足を組み直し、看葉奈の答えに鼻で笑った。


「半年経って、ようやく筆頭の心構えが出来てきた――そう思っていた私は、とんでもない勘違いをしていたね」


 という言葉に気付く事は無いの?


 耳にするだけで息が詰まりそうな播澪の声は、普段は冷静沈着を旨とする看葉奈を焦燥させた。視聴覚室に立ち込める鉛のような空気の中、その故を突き止めたのは三〇秒後であった。


「…………あっ」


 頭を下げようとした刹那、播澪は「誰が謝って良いと言ったのかな」と語調を強めた。ビクリと身体を震わせ、看葉奈はその場で硬直するしかなかった。


「厳封された三つの技法、莫大な益と膨大な犠牲をもたらす呪宝の如き技法……斗路、愚かにもは忘れていたという訳だ。ここでテストをしようね、その技法群は何と呼ぶ?」


 棘の目立つ言葉を好み、笑みを絶やさなかった新田目は、しかしこの時ばかりは笑顔を止め、心配そうに看葉奈を見つめていた。


 間も無く、筆頭目付役は答えた。


「…………、です」


 良く出来ました――播澪は呆れたような顔で言い、「お前の友達は可哀想だね」と続けた。


「考え直しだよ。本を執筆する上でタイトルを考えるのは非常に面倒かつ、重要な仕事なんだ。大分時間が経ったろうに、まさかバツを付けられるとは……それも、お前の下らない失念で」


 潮垂れた看葉奈の様子を見かねたのか、「播澪先輩……!」と勇気ある反意を示したのは三古和だった。


「その辺でどうか……お許し願います。宝技という言葉が持つ意味を完全に失念していた訳では無いでしょうし……」


「それじゃあ駄目なんだよ。斗路看葉奈という女は、少なくとも。ウチらが強制した訳じゃない、自ら選んだ道だからね」


 伊達にあっちこっちを歩いて友達を作っていないよ……若干口角を上げた播澪は、「時間の無駄だ、この話はもう止めよう」と、それ以上の糾弾を打ち切った。


 その後、五分と経たずに会議は終了を迎えた。他の目付役達が帰って行く中、播澪は「斗路、こっちにおいで」と手招きをした。鬱々とした足取りで歩み寄る後輩のネクタイを、播澪が軽く掴み、自らの方へ引き寄せた。


 眼光は鋭く……しかしながら、何処か温みを感じさせた。


「……っ」


「『目付役は自らを閻魔に変えなくてはならない』、一年前にそう言ったんでしょ? 閻魔になったはずの人間が、いっちばん大事な事を忘れていちゃあ駄目だね、最低だ」


 俄に看葉奈の目が見開かれた。昨年、目付役登用試験を受ける前に「敬愛する上級生」と交わした言葉を、何故、播澪が知っているのか……理解が及ばなかった。


「……どうして……それを……」


「良友から悪友の数まで、ウチに勝てる生徒はいないよ。耳が大きいって事。……まぁそんな事はどうでもいい。いいかい斗路、お前は筆頭目付役だよ。ウチを含めて、全目付役を統括する立場なんだ。その人間が、自分の吐いた言葉を忘れるなんて有り得ないでしょうが? それともアレなの、お前を推したの顔に泥を塗るつもり?」


 すぐにかぶりを振った看葉奈。濡れ羽色の髪が激しく揺れた。


「いえ! 決してそんな事は――」


「だったら二度と忘れんな!」


 ビクン、と看葉奈の身体が震えた。


「たかが名前ぐらいで大袈裟な、と思っていたら大間違いだからね! 三つの技法のせいで、真面目だった目付役も馘首クビになり、友情がぶち壊しになった生徒も大勢いた! 斗路、今一度自らの立場をよーく考えなよ、ボヤボヤしているとその内――」




 




 ネクタイから手を離した播澪は、やや乱れた前髪を手櫛で乱暴に直した。


「…………どういう事ですか」


 か細い声で問うた看葉奈に背を向け、探題役の三年生は低い声で答えた。


「あの女は執念深い、自分が『酷い事をされた』と思い込めば、絶対に報復しないと気が済まないタイプなんだ。……今は関わりを持っていないけど、アイツとは


 私も私で情報を集める――重たい扉に手を掛け、播澪は振り返り、言った。


「……キツい事を言ってごめん。でも、斗路が気を引き締め直してくれるのなら、嫌われたってお釣りが来る。邑久内きな紗はどんな手でも使うし、妙に人望を集めるのが得意なんだ。もしかしたら――」


 静まり返った視聴覚室を見渡し、寂しげに目を細めた播澪は呟き、出て行った。


「もう、金花会ウチらの中に工作員がいるかもね」

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