第3話:散歩をする女
「こ、こんな感じでしたっけ……御高祖頭巾って……」
渡された黒布を使い、少しおどけたように被った浜須は、しかし一秒も経たずに……自らの行いを強く後悔した。
眼前の女は、一つも面白そうにしていなかった。やがて白い手が伸びてくると、無言のまま顔に巻かれた布を掴み、やや乱暴な手付きで正式な形を作った。
「苦しいでしょうが、我慢なさって下さいね。貴女以上に、我慢する方が大勢いるのですから……」
浜須の首筋に冷や汗が垂れた。観光地化した集落にて、元から暮らしていた住民達が来訪者との接触を嫌がる――という話を思い出した瞬間、綺麗に自身と凶徒達の関係が当て嵌まった気がした。
「うん……まぁ、これなら良いでしょう。では次に、持っているスマートフォン、手帳、ペン、一切をそこの箱に入れて下さい」
「……じゃあ、ブレザーごと置いていきますね。全て入っているので」
「えぇ、その方が楽でしょうね。それと、上靴を脱いでスリッパに履き替えて下さい」
覚束無い手付きでブレザーを脱ぎ、言われるがままに箱へ畳み入れる浜須。「何か盗られないだろうか」と、失礼な……だが当然の不安が頭を過った。
「ご心配無く、お帰りの際に全てお返ししますから。お望みなら、一緒に目録を書きましょうか?」
「いえ、大丈夫です……」
そうですか――頷きながら、簪の女が箱を教室の隅に置いた。
「続いて、これから貴女を打ち場にお連れしますが……何点か守って欲しい事がありまして」
ピン、と女は人差し指を立て、「必ず、憶えて下さいね」と微笑んだ、らしかった。
一つ目、貴女は一切の会話を赦されない。
二つ目、貴女は私の誘導から外れてはいけない。
三つ目、貴女は誰かの顔を見つめてはいけない。
四つ目、貴女は誰かに話し掛けられても答えてはいけない。
五つ目、貴女は見聞きする技法以外の事を決して口外してはいけない。
六つ目、貴女は以上どれかを破った時、今後の安寧を期待してはいけない。
勝手な事は絶対にするな――六つの掟を要約すればこうだった。
勿論……部室棟四階奥で行われる秘匿技法の数々は魅力的だし、そこに居着く凶徒達が築いた異色な文化に興味が無い、訳がなかった。許可さえあれば傍にいるであろう女を質問責めにしたかったが、そのような無粋極まり無い真似をしでかせば、今後の花ヶ岡生活が惨たらしいものに成り代わるのは分かり切っていた。
「これら全て、守って貰えますか?」
「…………はい」
この後に出来るたった一つの行為――打たれている技法の「即時習得」に向け、浜須は無意識に呼吸を整え、素潜りに挑戦するかのように深く、可能な限り深く……息を吸い、吐いた。
昂ぶる浜須の精神がようやくに安定した時、女は「では」と扉を開いた。
「向かいましょうか、学び舎に」
「……くぅーっ! 良い空気だねー」
同時刻、部室棟三階の窓から顔を出し、グラウンドの向こうに広がる雑木林を眺めていたのは――浜須に第四準備室を訪ねるよう助言した女子生徒だった。次第に寒気を含み始めた夕風に目を細め、楽しげに鼻歌を歌う彼女は……。
「おや? 誰かと思えば――」左側を振り向き、言った。
萬代じゃない。
よっ、と気安い声色で手を挙げた彼女を、名を呼ばれた生徒――萬代百花は不機嫌そうに傍へ立った。
「どしたんー? 今月の選書会議はもう終わった感じ?」
「二日前に終わった」
ピアスの女と比べて萬代の声色は実に重く、他者を威圧するような刺々しさを孕んでいた。しかしながら、女は意に介さぬように笑い掛け、「もしかして」と嬉しそうに続けた。
「闘技のお誘い? 久し振りだねぇ、またアレやる? 立場的にはバッテンなんだけど――」
「今更何を抜かしやがる」窓ガラスに寄り掛かり、萬代は横目で女を見やった。
「今日はそんな気分じゃねぇ。テメェに文句を言いに来たのよ」
文句ぅ? 女が目を丸くし、ピアスを軽く突いた。
「これを外せってぇ? 嫌だよウチ、ピアスはぜーったい外しません!」
「んなもん、勝手に着けたらいいや。そんな下らねぇ事じゃねぇんだ」
二人の遙か後方で、ねぐらに帰ろうとする烏が鳴いた。
「一年坊を送ったな――
数秒間、女はキョトンとした顔で萬代を見つめていたが、やがて思い出したように「送ったというか……」と、天井を見やり答えた。
「助言しただけだよ。廊下で困っていたし、白札持っていたみたいだし。それに、普通四階まで来ないじゃん? よっぽどの事が無いとさ」
「何故追い返さなかった」
へっ? 困り顔で女が首を傾げた。
「何故って……あの子、多分見学だよね? 良いんじゃない、滅多に出来ない経験だよ。白札があるんだしさ、流石に――」
「しなくていい経験だってあんだよ、馬鹿が」
深い溜息を吐いた萬代。不満げにピアスの女が体勢を変え、「そんな事無いと思うなぁ」と眉をひそめた。
「上で聴いたんだけどさ、あの子、色んな技法を知りたいみたいだよ。それも網羅集に載っていないやつ。他の部活だったら教えてくれないかもだけど、金花会から外れている上なら――」
「そこまで知ってんだったら、テメェが教えてやりゃあ良いじゃねぇか。上から下までほっつき歩いていやがる癖によ」
うーん、と何かを思い悩むような唸り声を上げ……女は「そりゃあさ」と恨めしそうに萬代を見つめた。
「ウチだって立場上は止めなきゃならないじゃん? でもさ、止めた後にウチが代わりに教える……ってのも、上を裏切るような感じがしてさ。あの分だと本当に技法を知りたいだけらしいし、様子見って事にしたんだ」
「ケッ。何が裏切る、だ。奴らなんかとっくに誰かを裏切ってんだろうが。因果応報、自縄自縛だ。中江が甘やかすから付け上がってんだよ」
「とにかく、次は止めろ」萬代が手首を返し、腕時計を見やってから文芸部室の扉に手を掛けた。
「中江はともかく、あの腐れ女は何を考えているか分からねぇ。死んでも止めろ、いいな」
「はいはいはい、分かった分かった分かったよー……その為にあっちこっち歩いてんだから……」
酷く面倒そうに女は背伸びをし、「てかさぁ」と口を尖らせ言った。
「萬代が助けりゃ良いんじゃない? ウチだって暇じゃないんだしさー」
「おかしいな」扉を開き、萬代は惚けたように返した。
「目付役ってのは、いつも暇そうに見えたがな――」
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