第2話:Seeing is believing.

 一〇月一二日の昼休みを過ごす、浜須の顔は何処か暗かった。普段なら昼食の余韻に浸りつつ、友人と連れ合ってノンビリと購買部でのショッピングを楽しむ頃だったが……。


「どうしました、矢恵」


 隣を歩くクラスメイト、四方堂澄乃しほうどうすみのが目線を前に向けたまま問うた。世の中で起きる出来事全てを一歩退いた位置から見るような彼女は、友人の不調も遠方で発生した災害のどちらも同列らしかった。


「いやー……別に具合悪い訳じゃないんだけどさぁ」


 膨れた腹を擦る浜須。食あたりを起こした訳ではなかった。


「だったらもう少し、楽しそうな顔をしてはどうですか。予約していた《薄口》が手に入るのでしょう」


 チラリ、と浜須が手元を見やった。先週購買部で渡された商品予約の控えが、歩速に合わせて微かにはためいていた。


「折角の勉強時間を割いて来ているんです、せめて誘った側が楽しそうでないと困ります」


 花ヶ岡たる所以――賀留多文化の一切を取り仕切る組織、金花会が主催する《目付役登用試験》に向けて、四方堂は日々試験勉強に明け暮れていた。


「という事で、言える事なら言って下さい。言えない事なら隠し通し、私との貴重な時間を楽しんで下さい」


 廊下の人通りが多くなってきた。本日も例外無く、購買部は大盛況のようだった。店外に置かれたコーヒーメーカーの行列が壁沿いに伝わって並び、皆が背伸びをしたり頭を左右に振って自分の現在位置を測った。


 一方……「放課後、に出向く」事を言えず、浜須は懊悩していた。素直に打ち明けたところで、そんな危険地域に行くなと注意されるのが目に見えていた。


「……ふむ」


 四方堂は横目で浜須を見やり、「おや」と小首を傾げてみせた。


「あそこを見て下さい。赤チョロストラップが売っていますね。以前のキャンペーン分が余っていたのですか」


 友人の指差す方向には、《週刊賀留多馬鹿》のマスコットキャラクターである《赤チョロちゃん》の根付けが大量に並んでいた。取り囲むように《小松札》が置かれ、それなりの売れ行きを見せているらしかった。


「あぁ、何かストラップの人気が凄いらしくってね? 購買部から『あんなん限定にしたら勿体無いで! 工芸部にったるから共同販売せーへん!?』って連絡が来て、後はトントン拍子で商品化――ってな感じだね」


「抜け目がありませんね、購買部長は。やはり関西の生まれが関係しているのでしょうか」


「何処でも大声で関西弁話しまくるから、何か周りが関西人ばっかりなのかって思っちゃうよねぇ」


 このように――四方堂は他人の悩みを深追いして聞き出さず、どうでもいい話題を自然に提供し、あえてうやむやにする……という技術を身に付けていた。この技術によって浜須も復調の兆しを見せ、数分後には予約商品を受け取る為に笑顔でレジに並んでいた。


 一歩、また一歩と行列が前に向かって進んで行く。自分の番まで残り四人となった時、「何も買わないから」と入口付近で待っている四方堂に目線をやると――。


「……あっ」


 その六メートル程後ろで、モジモジと購買部の様子を窺う女子生徒を認めた。三年生代打ちの目代小百合から《むじな》を授けられた日、やはり同じように店外から購買部の盛況振りを眺めていた、あのだった。


 何をしているんだろう? 誰かを待っているのかな――?


 相変わらずの悄気た顔、しかし不健全に開いた襟元と短いスカートは、未だにの空気が残る花ヶ岡に相応しくなかった。不可思議な彼女の横を、買い物帰りの生徒が過ぎようとした瞬間……。


 っ!?


 その生徒はを避けるように、大袈裟に彼女と距離を取り早足で去って行った。だが不可思議な女は然程に傷付く様子も無く、口惜しそうに購買部を眺めるだけだった。


「お次のお客様ー」


「あっ、はい、はい!」


 昼下がりに目撃した異常な光景と生徒を、しかし《薄口》を手に入れた喜びと、放課後に待ち受ける「禁足地」への不安とが掻き消してしまった。


「はい、此方がご予約の《薄口》ですねー」


 浜須が受け取りの手続きを済ませている頃、例の女子生徒は四方堂に気付かれる事無く……。


 酷く残念そうに、踵を返し何処かへと消えて行った。




 今日程に部室棟の廊下が長く感じられた事は一度も無かった。三階奥に辿り着くまでに、浜須は四度、鼓動の速さに思わず立ち止まり、「このまま倒れるのでは」と胸を押さえた。


「……大丈夫かな」


 ポケットに忍ばせた一枚の札――中江駒来の花押が記された札を手に取った。妙につのの部分が鋭く、皮膚に突き刺さるような気がした。一方、既に多くの部が活動を開始している為、廊下を歩く生徒の数は少なかったが……。


「……うぅ」


 あの人、四階に上がるみたいだよ。なんだね。


 このように面と向かって言われた訳ではないものの、何処からともなく陰口を叩かれている感覚に陥り、常に明るい浜須の表情にハッキリとした影が差した。「いつもこんな風に緊張しているのかな」と、飛凪の顔が頭を過った。


 ここより先は、で立ち入るな――中江に警告された階段に差し掛かった辺りで、ゆっくり歩を進めながら、白札を握る手に力を込めていった。生徒会広報部という立場など一切意味の無い聖域――或いは秘匿技法の殿――では、今や唯一頼れる護符に違い無かった。


「……お邪魔…………しまーす……」


 辿り着いた部室棟四階奥は、金花会から追放された罪人達の寄る辺という事もあってか、鉛のような重たい空気で満ち満ちていた。明らかに足りない照明と何かを引き摺ったような廊下の痕跡に身震いしながら、浜須は人の気配を探った。


「誰もいないんですかー……?」


 浜須は立ち止まり、「第四準備室」と書かれた扉の前で周囲を見渡した。一人として生徒を視認出来なかったが……。


 三階の廊下を歩いている時よりも、気がした。


「……日を改め――」


 刹那、浜須がビクリと跳ね上がった。五メートル先の扉が開いた為だった。大袈裟に開かれた訳ではないにも関わらず、四階全体に開閉音が幾度も響き渡るようだった。


「はれ? 見ない顔だねぇー? よーっす!」


 暗がりから歩み寄って来た女子生徒は(上履きの色から三年生だった)、首を軽く回しながら……ニコリとに笑い掛けた。彼女の耳元で何かが揺らめき、輝いた。




 ピアス……!? マジでピアス……!?




 人懐こそうに笑う上級生は、しかしながら花ヶ岡への反骨精神溢れる装飾品を屈託無く見せ付けた。この瞬間、「誰かに会ったら白札を見せろ」という中江の指示は忘失してしまった。


「どしたん? まさか迷った――ってのは考えにくいか。アハハ」


 この三年生は何者? 奉仕部員? それとも凶徒?


 様々な当て推量が脳内を巡る浜須。一〇秒程「あー、えーっと」などと誤魔化し続け(その間、三年生は苛立つ様子も無く、彼女の返答を待っていた)、やがて当たり障りの無い答えに行き着いた。


「その、先輩は……奉仕部の方ですか?」


 三年生はかぶりを振った。ピアスが左右に揺れた。


「違う違う、ウチはの関係者じゃないよん」


「はっ……?」


「とりあえず、用事で来たんでしょー?」ツンツンと第四準備室を指差しながら、三年生は浜須の横を通り過ぎて行った。


「ちょ、待って――」


「まずはそこで準備しないとねー。そのまま入ったらヤバいからね、それじゃあお疲れー!」


 果たして――浜須は再び一人となった。ピアスを着けた不良生徒の足音は聞こえなくなり、頼れる人間も見当たらず……扉を叩くしか道は無かった。


「あのー……どなたかいらっしゃいますか」


 返事が無い。物音もしなかった。


「……その、中江先輩からお話を聴いていませんか? 白札を頂いているんですけど……」


 やはり返事が無かった。浜須は帰宅を考えるも、当初の目的である秘匿技法の調査に後押しを受け、「失礼します……!」と少しだけ声を張り――入室した。


「……っ!」


 悲鳴が上がる寸前だった。


 照明の点いていない薄闇の教室で……一人の女子生徒が椅子に腰を下ろし、勇気ある一年生を見つめていた。猛烈に打ち鳴らされる心臓を宥めるように、浜須は素早く息を吸い込んで頭を下げた。


「も、もも、申し訳ありません! お返事が無いので――」


「返事など、最初からするつもりはありませんでしたよ」


「えっ……?」


 即座に顔を上げる浜須。いつの間にか女子生徒は数歩先に立っており、後ろに挿しているが、闇の中で雪明かりの如く薄輝いた。


「此方としては」簪の女は作ったような笑みを浮かべて言った。


にお教えする知識も、責任も、恩義すらも御座いませんし……。『何としてでも見学したい』とお考えかどうか、言ってしまえば試したという事です」


 札を拝見します――女の言葉に二秒の遅延を生じさせながらも、浜須は震える手で中江のを手渡した。


「浜須さんは、広報部の方ですからね」当然のように浜須の情報を掴んでいる彼女は、胸元のポケットからペン型のブラックライトを取り出し、札に照射した。


「……もう一つの……?」


 中江の記した花押と重なるように――が姿を現した。


「良かったですね、です」明るい声で女が言った。但し、不自然な笑みを浮かべていたが。


「それでは、浜須さんには一通り……まぁ、色々とご説明する事柄があります。ですが、その前に一つだけ、があります」


 微かに、簪が右へ揺れた。


「四階を下りるまで、


 浜須の双眼が俄に見開いた。


「それは……どういう……」


「要するに、こういう事ですね」


 簪の女は、大きな黒い布を浜須に手渡した。


御高祖頭巾おこそずきんの形で、貴女の身分を隠し切って下さい。貴女だって、四階を下りた後で……に巻き込まれたくはないでしょう――?」

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