流転する者達
「……っ、ま、待てよ! 何なのいきなり!」
上擦ったような声で大守が制止するも、鶉野は一切意に介さず、玄関ホールの方へ歩いて行く。無視された形となった大守は両目を剥いて駆けて行き、鶉野の肩を思い切り掴んだ。
「ちょっと! 聞こえているんでしょ!? 何とか言えって!」
ようやく足を止めた鶉野。しかし振り返る事は無く、「痛いわね」と面倒そうに呟くだけだった。
「素行良くしていなさい」
俄に大守は肩を掴む手を離した。同時に――「何処まで知っているの」と怯え……次第にそれは怒りに転じていく。
こんな不気味な女に、私の未来を潰されてたまるか!
憤激する彼女は鶉野の正面に立ち、胸ぐらを掴みたくなる衝動を抑え、「鶉野さん」と努めて冷静に言った。
「何が言いたいのかな。全部察しろだなんて難しいよ?」
フゥ、と微かに鼻から息を抜く鶉野は、ゆっくりと顔を上げ……大守の双眼をジッと見据えた。
大守は体温の一部が抜き取られたような感覚を覚えた。
「貴女にも分かりやすく、噛み砕いて言ってあげるわ。大守さん――貴女は教育者に向いていない、それだけ」
大切な花瓶を目掛け、子供達が石を投げているような「確実に来る不幸」がもたらす苛立ちに、大守はまたしても声を荒げてしまった。
「だから! 遠回しな言い方は止めろって言ってんだよ! 何だよ、何を私に言わせたいの!? まるで私が悪い事をしているような――」
「事実でしょう」
大守の目が見開かれる。一杯に開かれた瞳を鶉野が見つめた。冷たい、眼光がそのまま冷気を帯びているような鶉野の視線は、瞳の奥に無作法に手を突っ込み、「誰にも触れられたくない箇所」を乱暴に捜索するようだった。
否。既にその箇所は見付かっていた。
「察しも頭も悪い貴女に朗報よ――私と《札問い》をして頂戴。いいえ、それしか貴女の活路は無い」
「……はぁ? 何の為に? 私と鶉野さんの間に諍いなんて――」
もう生まれているわ、と鶉野は表情も変えずに言った。
「私が余計な事を何処かに告げ口すれば、貴女の大切な推薦枠は消し飛ぶわね」
この瞬間、大守は諦めと覚悟が共になって到来したのを感じた。明らかに眼前の女は「宝井眞子との関係」を知っており、それを使い「大学の推薦入試の阻害」を目論んでいた。
あぁそう、あぁそういう事ね。どうせ宝井がこの女に頼んだとか、そういう感じでしょ? 理解理解、あぁなるほどーって感じ。
分かったよ、この女をぶっ潰して、無事に教育大へ入学すれば良いって事でしょう!? やってやろうじゃん、忌手でも何でも使ってさ、こんな女潰してやれば良いんだ!
宝井の奴――二度と学校に来られなくしてやる。
「……良いよ、やるよ。やってやるよ札問いくらい。で? 一応確認しておくけど、私が勝ったら鶉野さんはどうする訳?」
破格の条件よ――鶉野は囁くように続けた。
「私の持っている花石――七〇〇〇個近くをお渡しするわ」
「なっ……なな……せん?」
「それだけじゃない。鶉野摘祢という貴女の玩具が増える。既に使っている玩具より自由度は高い。指示があれば誰とでも札問いをするし、何だったら援助交際でも何でもして、稼いできてあげる。花ヶ岡のブランドは良い値が付くでしょうね」
身売りとも呼べる条件に……大守は昂揚よりも、むしろ「裏」の存在を感じ取った。気前が良いどころでは無い戦利品の影を大守は問うた。
「……鶉野さんが勝ったら? 私も援交しろって?」
「まさか。一文の得にもならないわ」
大した事じゃないのよ。鶉野は伏し目がちに答えた。
「私が勝ったら、宝井眞子に手を出させないようにする。それだけ」
数秒後、大守は吹き出し……腹を抱えて笑い出した。
「アッハッハッハ! アハハ、ハハ……あぁーあ。やっぱりそういう事か、アレでしょ? 鶉野さん、頼まれたんでしょ? アイツに。馬鹿だよねーアイツも……代打ちだったら、何だっけ、《姫天狗友の会》だっけ、そいつらに頼めば良いのにさぁ。よっぽど切羽詰まっていたんだなぁ」
高笑いする大守を見つめる鶉野は微動だにしない。腹筋に痛みを覚える程笑った大守は、「良いよ」と明るい声で返した。
「そんな条件で良いなら良いよ、やろっか札問い。確認しておくよ、私が負けたら宝井には手出ししない。鶉野さんが負けたら……」
刺激的な毎日になるよ?
ニヤリと笑う大守に呼応するように――鶉野もゆっくりと頷いた。
「そうと決まれば早い方が良いわね。大守さん、これから打てるかしら」
「良いよ。どうせ帰っても勉強するだけだし。――目付役、要る? 条件がアレだからいない方が良くない?」
得意になって提案する大守。一方の鶉野は「そうね」と階段を見やった。
「私もその方が――」
都合が良いわ。
大守は、鶉野摘袮という女が如何なる者かを知らない。故に目の前へ彼女が現れた理由も誤解していたし、何より重要な「敵の戦力」を見紛った。
使えそうな情報、人間は目星を付けておく。その後は定期的に監視を続け、「その機」がくれば採用するだけ——亡霊のように出現した女が得意とする手法であった。
大守という人間、それに絡む問題や縁故の使い道が出来たが為に……鶉野摘袮は、それを生簀から取り上げた。
それだけの事である。
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