第6話:怨毒以て偽花を断てよ
一七時をとうに過ぎたにも関わらず、校舎には明日への高揚感を抑え切れない大量の生徒達が居残っていた。中にはコッソリと出店で使用するジュースを横流しする者もいたが、各々が「一線」を越えない程度に……悪戯心と上手に付き合っていた。
笑顔で溢れる花ヶ岡にて――生気を欠いた相貌で、一人屋上のベンチに腰を下ろす生徒がいた。
彼女、鶉野摘祢は一日中頭を悩ませ……
皆……誰もが自分を好いてはおらず、内面では誹り嫌っているんだ。知っている。そんなの知っているから。
孤独は彼女の思考を濁らせ、根拠の無い疑念が一層に精神的自傷を強いた。
現在、鶉野の中に大きな異変が起きていた。
否定かつ拒否をし続けた他人との繋がり――友情への恋着とも言える飢餓状態が、驚くべき速さで彼女の全身を侵したのである。当然ながらこの異変は唾棄すべきものだったし、彼女も「気の迷いだ」としばらくの間は捨て置く事を選んだ。
捨て置かれた異変は逆襲として、次々と証拠――それは去って行った親友、計画の為に欺そうとした一重トセ。不思議に懐いてきた羽関京香、奇妙な相似点を持つ安居春音の記憶だ――を並べ立てると、耳を塞いで平気な振りをする鶉野をジワジワと責め出した。
寂しい癖に、寂しい癖に!
木霊する誰かの声が鶉野の「嘘」を糾弾し、それに飽き足らず、ほぼ頓挫してしまった「無意味な仇討ち」の馬鹿らしさを嗤い始めた。
馬鹿な女、誰にも頼まれていない事をしようとして!
事実――転校した親友、垂野怜未から「目代小百合を倒してくれ」などと依頼されていない。それどころか鶉野を通じて不快な記憶が蘇る為に、深いはずの関係を容易く断ち切りもした。
私は今、誰の為に戦おうとしているの?
屋上を……鶉野の黒髪を、夕風がソッと撫でていく。優しい感触はしかし、彼女を突き放すような厳しさも持つようだった。
《仙花祭》仕様となる校舎を彩る装飾を、唯の一つも彼女は触れていなかった。無益な復讐劇を描く鶉野に構う程、大多数の生徒は暇では無かった。
彼女は穴の空いた粗末な落葉だった。
大河の流れに乗っていたつもりが、気付けば沈んだ流木に動きを封じられていた――流水の感触を背で味わいながらも、決して身を共に出来ない事への辛苦を、鶉野摘祢はようやく自覚出来たのである。
学校、いわば高校生にとっての「小さくとも最大価値の世界」は、彼女の手を取る事を止めた。
そして……伸ばされた手を振り払ったのは、他でも無い彼女自身なのだ。
「……」
ベンチから立ち上がり、虚ろな目でフェンスに手を掛けた鶉野は、華々しい校舎や部室棟、敷地内の看板や数々の装飾を眺めた。何人かの生徒が造花のアーチを前に記念撮影をしていた。
自ら選んでしまった孤独に鶉野が苦しむ間も、他の生徒達は構わず青春を楽しみ、友情に明け暮れ、恋情に悩み、乙女の時代を謳歌している。数ヶ月前、数週間前、数日前の自分が保っていた強さの影を探せども、果たして一片すら見付ける事が出来なかった。
「――っ」
馬鹿な自分を握り殺すように、フェンスを握る手に力を込めた鶉野。
計画――例え無意味無鉄砲であったとしても――の一つも成し遂げられず、彼女の数倍も世渡りの上手な矧名涼の手の内で嬲り殺され、しかし誰にも心配されず、辺りで風に吹き飛ばされる紙袋の如き扱いを受けるだけ……。
矧名に弄ばれ、生徒会に追われ、親友に結果として逃げられた彼女は、これ以上の強さを持てなかった。同時に使い続けた
「…………はぁっ、はぁっ」
激流のような焦燥感は無闇に彼女の心拍数を上げ、脂汗を垂らしてコンクリートに染みを作った。
どうしたら良い? 私は一体どうしたら良いの? 私は何がしたいの!?
寂しい、どうしようも無いくらいに寂しい! それに……死ぬ程怖い。何が怖いの? 孤立する事が? 矧名に全てを奪われて、皆から虐められる事が? というか、私……何が惜しいのかしら。
降伏するべき? 矧名に土下座でもして、「どうか何もしないで下さい」とお願いするべき? それとも抵抗する? 矧名に唆された生徒に向かって、「あの女こそがおかしいんだ」と反論する?
意味、無い。
誰も信じないわ。正々堂々と《札問い》で倒したところで、矧名が
もう誰も、私を信じてくれない。
お笑いね。誰も信用しなかったはずの私が、今では信用を欲して嘆いているだなんて。
あぁ、そうか。
本当に怖いのは孤立じゃなくて――。
「信頼されない事なのね……」
力無く笑んだ鶉野は、何もかもを捨てたくなった。と、同時に――。
背後に、自身を呼ぶ声を聞いたのである。
「鶉野さーん! ここにいたんですかぁ!」
「な? ここにいたやろ?」
二人もいるの? 鶉野は思い、ゆっくりと振り返って声の主を認めた瞬間……無意識にその名を呼んでしまった。
「は……羽関さん……それに、安居さんも…………?」
接点が無いはずの羽関京香、そして安居春音が――にこやかに鶉野の方へ歩み寄った。
「捜したんですよ学校中! 何処にもいないから、何周もしてしまいました」
「ご、ごめんなさい……でも、どうして二人が一緒にいるのかしら?」
何処と無く疲れた様子の京香の肩を叩き、安居が「傑作やで、鶉野ちゃん」と頷いた。
「この子なぁ、何回も何回も購買部に来ては『モグモグあにまる』のコーナーを見て、いなくなって、また来ての繰り返しや。前からチョコチョコ顔は見てたんやけど、なんぼ常連でも一日八回も九回も来るのはけったいやなぁ思うてな?」
「安居さんから話し掛けてくれまして……そこで事情を話していく内に、私達は鶉野さんと友人関係にある、と分かった訳なんです!」
「友達と花石は多い方がええやろ? せやから私達、今日から友達になった――ちゅう訳や」
満面の笑みで京香は鞄を開け、中から「モグモグあにまる」の地方版――チョコハニー味を取り出すと、「どうぞ」と鶉野に手渡した。
「……これ、この辺りじゃ買えないものよね。私に?」
「はい! 父親が出張先で買って来てくれまして。残り一箱しか無いのですが……」
「えっ!? ほんま!? そんなにレアもんなら、羽関ちゃん、私も食べたいわぁこれぇ!」
なぁなぁ、鶉野ちゃん頼むてぇ……安居は弱々しい声で鶉野に手を合わせ、「初物食べたいんよ」と懇願した。その様子に噴き出した京香は、「そうだ」と鶉野に提案した。
「鶉野さんが良ければ、ここで三人で食べませんか?」
ぎこちなく首肯した鶉野の手を安居が引き、先程彼女が座っていたベンチまで駆けて行く。果たして三人は並んでベンチに腰掛け、鶉野の膝上に置かれた菓子を食べ始めた。
「……あかん、太るわ。これもう罪やで羽関ちゃん。もっかいお父ちゃんに出張行って貰えへんかなぁ」
「難しいですよ流石に……というか、すっごく美味しいですね、これ……! 鶉野さん、どうですか?」
「…………」
ポリポリと一枚、二枚と食べる鶉野の身体が……小刻みに震え出したのを認めた京香達は、左右から彼女の顔を覗き込み――。
「う、鶉野さん……?」
「なんや自分……泣いとるん?」
二人の心配を他所に、鶉野は落涙しながら「モグモグあにまる」を食べ続けた。鼻を啜り、味覚が鈍りながらも……彼女は口を動かした。やがて安居が肩を揺すり、心配そうに問うた。
「何かあったんやろ。言うてみぃ」
狼狽する京香も安居に倣った。
「鶉野さん、その……私達で良ければ、事情を――」
ううん。
くぐもった声で鶉野が返した。
「…………何も無い。唯――」
ゆっくりと涙に濡れた顔を上げた鶉野。次第に変わっていく表情に、京香と安居は目を見開いた。
「友達って良いな……って、思っただけよ」
鶉野は、一切の邪気も邪念も猜疑心も無く、純粋に――微笑んでいた。
一年に渡って溜め込まれた怨毒が、毒々しい蒸気と共に蒸発を始めた。未だ赦せぬ仇敵はあれども、しかしながら現状は放って置くしかなかった。
赦せない、怜未を不幸にした目代小百合が赦せないけれど……。状況は変わっている、悲しいくらいに。無情に。
ごめんなさい、怜未。
決して貴女の事を忘れた訳では無いの。怜未はとても大事な親友、でも……貴女が高校生活を全てやり直したように、私ももう一度、貴女のような大切な友達を作りたい。少しの間でも、高校生活を楽しみたい。
今は……今だけは、この怨みを封印させて貰う。
討つべき敵は、いいえ、道連れにしなくてはならない、真の敵は他にいたの!
花ヶ岡が育んだ賀留多文化、その奥底に巣食う悪――私と同じくらいに罰されるべき悪の女。
私も貴女も……もう充分に、数多の悪事を愉しんだでしょう。ここらで終わりにしない? 花ヶ岡という賀留多の聖地に、私達は似合わない。
今の内に……紛い物だらけの花園で笑っていればいい。私が迎えに行ってあげる。
それと、貴女の持つ途方も無く悍ましい好奇心に背を押され、もし私の友達を狙うならば……覚悟しなさい。
散々垂れ流した毒が――巡り巡って貴女を殺す事でしょう。
そして彼女は困惑する友人達の間で、密かに新たな計画……否、決意を胸に抱いたのである。
この二人は、この二人だけには何としても……。あらゆる手を使ってでも、私がどんな目に遭おうとも――。
私が守り抜いてみせる。
絶対に――!
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