第5話:マジ
待ちに待った学校祭を前日に控え――花ヶ岡高校の生徒達は終業チャイムが鳴ったにも関わらず、嬉々とした表情でいつまでも語り合っていた。部活動は全て休止となり、普段はグラウンドや格技場、部室棟で種々の時間を送る生徒も、今日ばかりは制服のままで放課後を過ごした。
しかしながら……やはりここは花ヶ岡、賀留多の聖地であった。「純粋に楽しい時間」が明日に控える高揚感と、部活動に精を出す友人と「放課後も教室で過ごせる」といった非日常感が――彼女達の闘技欲を刺激した。
この日は「折角だから」と、《こいこい》や《馬鹿っ花》よりも《やっちゃば》、《八八》、《カックリ》という大人数で打てる闘技が好まれた。賀留多文化の揺り籠として続く花ヶ岡である、これら以外にも様々な「多数参加型技法」が打たれ継がれて来た。
二年五組の面々も類に漏れず、三つのグループに別れて大人数での闘技を楽しんでいた。だが、一人だけ教室の隅でしかめっ面を浮かべ、ペン先で机をコツコツと叩く者がいた。
「……いや、でもこの場合は光札を使うべき……そうですわ、化け札にしてしまえば――」
「史氷ちゃーん、何で一人でいるのよぉ? 虐められているのぉ?」
購買部でドクダミ入りの化粧水を買って来た宇良川が、賑わう三つの島を見やった。
「そう、そうですわ……それなら技法名に絡めた使い方も出来ますし……盛り上がりやジレンマが――」
「ねぇ、ぬいぬいちゃん? あの子、孤立しちゃったのぉ? そりゃあキャンキャン喧しく吼えるけど、やっぱり一人は寂しいと思うわぁ」
ぬいぬい――そう呼ばれた少女の正式名称は
「違う違う」
ショートカットの髪を揺らし、奴井は史氷の手元を指差した。現在彼女は《八八》に参加しており、小さな達磨が二個、手元で目玉を飛び出して転がっていた。
「あらら、二個も達磨さんが来ているじゃない。相変わらず弱いのねぇ」
「…………あそこ。ノートを見て」
奴井の言う通り、確かに史氷はノートに何かを書いては消し、また書いては消してを繰り返していた。
「誘ったのに来なかった。心配」
余り――というよりは全く表情を変えない奴井は、しかし誰よりも仲間との交流を求める性質だった。その為、史氷の「友人から誘われても闘技に参加しない」行動には人一倍不安になり、闘技中もつい史氷が気になって余所見をし、手役の完成を見過ごす失態を犯していた。
「柊子、見て来て」
「えー? 別に良いんじゃないのぉ? 何か恥ずかしい文章でも書いているかもだしぃ。それを見付けた時、どうしたらいいか分からないしぃ」
史氷の事など構いもせず、スンスンと化粧水の香りを確認する宇良川。《八八》は八局目を迎え、出降りの段となった。奴井は手札を見てから「降りる」と言い、立ち上がって宇良川の腕を引っ張った。
「なぁによぉ。じゃれてんのぉ」
「ミフ江を見に行く。心配だから」
心底面倒そうな表情を浮かべる宇良川を叱るような目付きで、奴井はかぶりを振った。
「心配だから」
結局宇良川は奴井に手を引かれ(或いは引き摺られ)、ノートと睨み合う孤独な史氷の元を訪ねる事となった。
「そうですわね……出す札に上限は設けるべきか、否か……」
「元気そうだけど?」
「良いから訊いて」
自身の後ろに隠れる奴井に小突かれ(心配はするものの、訊ねる行為が苦手だった)、宇良川は「はぁー……」と大きな溜息を吐いて問うた。
「ちょっと、ちょっと史氷ちゃん」
「……三枚? いいや四枚……?」
「はい没収」
不意にノートを取り上げられた史氷。「どわぁ!」と泣き出しそうな顔で驚嘆した。
「何をするんですの宇良川さん! 折角煮詰まって来たというのにぃ!」
このぉ、このぉ! 腕を伸ばしてノートを奪還しようと企む史氷の頭を抑え、宇良川はパラパラと中身を検めた。
「どうだったの」
「ふむふむ……あぁ、ぬいぬい、心配するのは大損よぉ。いつもの趣味ねぇ」
「趣味。趣味なの」
「んもう! 趣味だなんてレベルじゃありませんわ、これは花ヶ岡の賀留多史に史氷の名を残す偉業ですわ!」
ようやくノートを取り返した史氷は、大事そうに胸に抱き留めて宇良川を睨め付けた。
「この子は時々ノートに『わたしのかんがえたおもしろいぎほう』を書き込んでは、夜中にハァハァしているのよぉ」
「あー! 今馬鹿にしましたわね!? 私の賀留多愛を馬鹿にしましたわね!?」
申し訳無さそうに奴井が問うた。
「どうやってハァハァするの」
「していませんわよ! 奴井さんも、この女の言う事を気軽に信用してはいけませんわ! 九割は嘘だと用心なさいませ!」
一五分後、史氷は宇良川の膝の上で菓子を食べながら、自らの「野望」を奴井に語った(《八八》は敗北した。まさに惨敗であった)。
「色んな技法が書いてある。でも、見た事無いのばかり」
ノートを捲っていく奴井。無表情ではありつつも、双眼には興味から生まれる輝きを湛えていた。
「史氷ちゃんはねぇ、そうやって需要の無い創作技法を生み出す天才なのよぉ」
「うっさいですわ! ……奴井さんにはまだお話していなかったかしら。私、史氷ミフ江は――『完全にオリジナルな技法集』を作りたいのです!」
奴井は小首を傾げた。史氷はその反応が実に気持ち良いらしく、鼻息荒く続けた。
「例えば、我が校では最も《八八花》が使われていますわね。《こいこい》や《八八》、《六百間》とか《むし》などといった技法が打たれています。勿論、これらの技法は大変楽しいのですけど、こればかり打っていると……《八八花》の進化が止まってしまう気がするのですわ」
「まーたおかしな事を言っているわねぇ。いつもの何とか説を唱え出すんでしょう」
むふぅ、と自信ありげに笑みを浮かべる史氷。
「名付けて、《永久的発展途上説》、ですわ!」
「永久…………発展……」
奴井の頭上に大きな疑問符が浮かぶも、全く意に介さず史氷は自説について熱く語り出した。
「《八八花》の技法には完成形が無く、常に発展し続けるというものです。四八枚をどのように配り、どのようにやり取りをし、どのような役を設け、どのようなゴールを目指すか……。当然、面白い技法が生まれれば、まるで退屈な技法も生まれた事でしょう。それで良いのですわ!」
語りに熱中する余り、史氷は自前の菓子を宇良川に盗られている事に気付かない。
「何も札は四八枚と決まっていません事よ、二組使おうが、種札だけ使おうがオッケーなのです。《八八花》は図柄だけ、ランク……要するに数字が書かれていない自由な賀留多ですわ。と、いう事は――好き勝手に味付け出来るという訳ですわね」
確かに――奴井はコクリと頷いた。
「《こいこい》と《いすり》は札の月数が違う」
「そうです、そうなんです。何だったら月数なんてどうでも良い――そんな技法も作れるんですわ。ランクを与えたかったら与える、不要なら与えない。それに……図柄は自然物を主に描いたもの。こういうのも作れますわね、『動物が重要な技法』、『人工物を集める技法』。《八八花》は何でもありですわ」
次第に身振りが大きくなる史氷の手を、宇良川は器用に避けながら菓子を掠め取った。
「でもねぇ史氷ちゃん。貴女の創った技法、トランプでも似ているものが多い気がするわねぇ」
「当然ですわね。技法創作の下地には、トランプなど他の遊戯がありますから。私はまず、既存の技法からヒントを得ようと思っていますの。昔から遊ばれている遊戯には、『必然的な愉快さ』が伴っているものですわ。そこから手順や採点方法などを拝借して、出来上がったらとりあえず遊んで、こうしたらどうだろう、この役を入れたらどうだろう……と、自然とオリジナリティーが生まれるものですわ
史氷の話を真剣に聴く奴井は、やはり表情は変わらずとも「何て面白そうな試みだ」という興味に包まれていた。
「面白い事って、結構似ているんですのよ? 最近は《八八花》の技法を増やしたい、という願いの他に、『面白い条件を探りたい』気もしますわね。探求を続ける内に、いつか全く新しい『面白い』に出会えるかもしれませんわ。……でも、やっぱり……」
少し照れたように微笑み、史氷は二人の顔を見やった。
「友達が、『この技法、面白いね』って言ってくれる事が、一番ですわね」
宇良川はしばらく押し黙り……不意に史氷を力強く抱き締めた。
「いだだだだっ! 急に絞め過ぎ……!」
「狡いわねぇ、史氷ちゃん……。時々、本当に時々……こんな可愛い事を言うんだもの。ご褒美のギューッよぉ?」
段々と史氷の顔が青ざめていく一方で――頬を赤くした奴井が「ミフ江」と呼び掛けた。
「な……何です……の……」
「私、協力したい」
協力? 宇良川と史氷が問い返した。
「協力。ミフ江の技法創作に協力したい。駄目かな」
目を潤ませる史氷。創作開始以来。初めての協力者が現れた為、当然の反応である。
「ぬ、奴井さん……! 是非、是非是非お願いしたいですわ……!」
「ぬいぬい、止めときなさい。話は立派かもしれないけれど、技法の中身はジャンケンしていた方がマシなレベルよぉ?」
「この女……! 敵か味方か分からない厄介者ですわ……!」
奴井は宇良川の手を取り、「柊子」と優しく語り掛けた。
「柊子も協力するんだよ」
「えっ?」
「するよね」
「……いや、私は――」
「するって、ミフ江。これから頑張ろうね」
「は、はぁ……ありがとうございます」
「…………マジなのぉ」
「マジだよ」
奴井千咲――「
賀留多の実力はからっきしだったが……。
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