第2話:「あきんど」

「いやぁ、久しぶりに二人で帰るな、近江よ」


「そうだな。何処か寄って行くか?」


 一六時半を過ぎた頃……校門を潜った龍一郎と卓治の二人は、一度立ち止まり、校舎の方を振り返った。


「見ろ羽関。まだ走り回っている」


 龍一郎は三階を指差した。薄らと窓に映った「忙しなく走る人影」は、本来ならこの場にいるはずののものに違い無い。


 結局――楢舘の便に気付いてしまった宇良川は、彼を大いに利用する事に決めたらしく、ジュースの運搬以外にも「女手では厳しい雑務」を全て任せた。


 一方の楢舘はというと、怒るどころか喜色満面で校内を走り回った。年上のに可愛がられる快感に酔いしれ(或いは弄ばれ)、仕事を一つ終えれば菓子を一つ与えられ、「次は何をしましょうか」とをブンブン振りまくる。使い勝手の良い駒が現れてくれた為、宇良川のクラスメイト達は実に喜んだ。


「彼女欲しがっていたし、一人ぐらい引っ掛かってくれれば御の字だな」


 龍一郎は遠い目をした。卓治も無言で頷き、再び歩き出した。


「……そう言えばさ」


「どうした近江?」


 ファミリーレストランに向かって歩き続ける二人。思い出したように龍一郎が問うた。


「京香ちゃん……何かあったのか?」


 京香が? 卓治が眉をひそめた。


「すまん、アイツが何か迷惑でも掛けたか……」


「いや、そうじゃないんだ。その、何と言うか――こう言うと可笑しな感じだが……」


 歩行者信号が赤となった。龍一郎は歩みを止め、まだ青々とする空を見上げた。


。失礼な言い方だが……違和感を覚えるぐらいに」


 卓治は何も答えず、首をグルリと回した。信号が青へと変わる、スピーカーから郭公の鳴き声が流れた。


「流石だな――」


 沈痛な面持ちで卓治が呟いた。


「俺も気付いていた。好い加減……しなくちゃならないと思っているんだが……俺は駄目な兄貴だな」


 ――溜息交じりに答える卓治は、遠くに見えてきたファミリーレストランを顎でしゃくった。


「おあつらえ向きだ。近江、お前がそう感じた所以を教えてくれ」


 龍一郎は黙したまま……頷いた。




 同時刻。


 花ヶ岡高校敷地内にある購買部にて、三年生――鶉野摘祢が菓子コーナーの前でしゃがみ込み、動物型のビスケットを手に取った。


 買い物籠に一箱入れ、それからしばらく静止し……もう二箱を入れた。それから鶉野は書籍コーナーの前で立ち止まり、数秒間だけ、ファッション雑誌を見つめてから歩き去った。


「いらっしゃいませ。お支払いは花石ですか?」


「現金」


 彼女の突き放すような口振りに、購買部員は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに笑みを浮かべて商品をレジ袋に入れた。三箱のビスケットを認めた瞬間、再度部員は


「ありがとうございました」


 部員は鶉野が店外へ出て行ったのを見計らい、すぐ近くで品出しをしていた別の部員を呼んだ。


「ちょっと、ちょっと!」


「何さ、早くやっちゃわないとがうるっさいんだよ」


 気怠そうにレジカウンターにやって来た彼女は、「部長」の姿を捜すように周囲を見渡した。


「で、何?」


「今の女……すっごい高圧的じゃない? それで買ったのは『モグモグあにまる』だよ? めっちゃ受けるわぁ」


「女って……先輩でしょ? 何処で誰が聴いているか分からないんだよ? 何たってここは――」


 殿や。


 そう答えた女子生徒は、二人の肩をガッチリと掴んだ。


「ひっ……!?」


「ぶ、部長……!? あれ、さっきまで……いな……かった気が……」


 ニヤリと笑う彼女こそが――購買部一切を取り仕切る三年生、「安居春音あんごはるね」であった。




 商家に生まれた安居は、幼い頃より商人である両親に「安居家伝来の商売三宝」を叩き込まれていた。着せ替え人形の代わりに算盤を抱いて眠るような生活を送っていた彼女は、花ヶ岡に入学した際に目撃した「購買部の堕落」を大いに嘆いた。


「売ってやっているんだ」「入荷してやったんだ」とふんぞり返るような部員の態度。


 同時に書籍の注文を受けても、仲の良い友人を優先するといった姿勢。


 変わり映えの無い、それも動線を一切考慮しない店内配置。


「商売三宝」を真っ向から否定するような購買部に、我慢の効かなくなった安居は、一年生である立場も弁えず、生徒会へ直訴に行くと、開口一番こう言った。


「会長さん! あんなけったいな店の作り、嘗め腐った部員の対応! ほんまに、アレでええわと思うとりますか!? 思うとるんなら、ココ、おかしいで」


 開校以来、一年生が生徒会長に向かって「ココがおかしいのか」と食って掛かる事は無かった。恐るべき前例を打ち立てた安居に対し、当時の購買部長は「だったらお前がやってみろ」と、一見は理解者のように振る舞った。


 当然ながら――これは部長の罠であった。一切のノウハウも無く、在校生のニーズも知らないにあえて一切を任せる事で、大恥を掻かせようと企んだのである。


 しかしながら、安居は臆する事無く「ほんまに!? いやぁ、部長さんも案外ええ人やなぁ」と満面の笑みで受諾した。


 果たして購買部のエプロンを身に着け、「店長」という腕章を巻いた安居は、張り切って店内改装を行った――訳では無かった。最初に彼女は朝、昼、夕方に訪れる客層(この場合、学年や各部活動に属する生徒)と、時間帯によって売れていく商品を調査した。


 続いて彼女は物怖じしない性格を活用し、全学年全教室に出向いてアンケート調査も行った。更には女子高生の流行を紹介する雑誌を全て購読し、「眠れる購買意欲」を叩き起こす方法を探った。


「これが欲しいねん、て言われたらお終いや。正解はなぁ、『そうそう、これが欲しかったんや』と言わせなあかんで」


「あんたはウチと仲良くないから後回しー、そんな阿呆くさい話あるかいな。誰に対しても『毎度、おおきに』。今から徹底するのも情け無くて敵わんわ」


「何べんでも言ったるで。ウチらは部員でもあるし、お客さんでもある訳や。自分がいっちゃん欲しいもの、行きたいお店を作ろうやないか。作れん、やる気無いー言う奴、けったくそ悪い、この場で去ねや」


 当初……安居流格言を文字通り一〇〇回以上聞かされた購買部員達は、次々とエプロンを脱いでいったが――やがて彼女の改革が「全て正しい」事が知れ渡ると、は日毎に増えていった。


 安居が取り仕切り始めてから、購買部の陳列棚は生き物のように動き回った。少しでも動線が悪いと感じれば、安居は如何に時間が掛かったレイアウトでも「あかん、変えるわ」と即断した。


 朝練に疲れた運動部員の為に朝限定の軽食セットを販売したり、夏場は日焼け止めクリームを大量に入荷、更には試供品を各教室に配って回った。菓子コーナーでは定期的に「大会」を開き、普段並んでいない商品をズラリと陳列し、売れ行きによって恒常的に仕入れるか否かを調べた。


 これは購買部の経営方針が「一方通行」にならないよう計らったものであり、生徒達も「自身の行動が陳列棚を左右している」のだと面白がって購入していく為、売上も好調であった。


 安居の経営手腕が唸り、志願兵が充分に「古強者」として通用するようになった頃、彼女は各コーナーに責任者を割り振った。いつまでも部長が全てのコーナーを取り仕切れば、必ずや「停滞」と「反発」が生まれると危惧したからだ。


 この改革後、安居はレジ打ちと店内掃除を主として働いた。カウンターで接客をしながら「客の満足度」を推量し、掃除をしながら「客の目線で気になる箇所」を洗い出す――最も自由に動き、最も責任の重い業務を彼女は好んで務めた。


 時が流れ……三年生となった今も、安居は店内を掃除して回っていた。




「す、すいません部長……! つい出来心で……」


 鶉野の悪口を言った部員の肩をガッチリと掴み、安居は「一度だけや」と囁いた。


「一度だけ、アンタを許すわ。そん代わり……店先でお客さんをおちょくってみぃ――


「すいません、すいません……!」


 フゥ、と溜息を吐いた安居は「あんじょう頼むで」と肩をバシバシ叩き、店内を見渡した。ギクリ、と品出しをしていた部員が身体を震わせた。


「何や……継田つぎた、身体しんどいんか」


 継田は冷や汗を掻きながら「いえ、別に」とかぶりを振った。


「それやったら、何でパンコーナーが寂しい感じなんや。最前言うたやろ、『この時期はパンが売れる』て」


「はい、今すぐ終わらせます!」


「せやね、そういう反応、私大好きやわ。分かったらとっととやらんかい!」


 そそくさと品出しを再開した継田は、それは素晴らしい速度でパンを並べていった。しかし、安居は抜け目の無い女であった。カウンター越しで我関せずと遠くを見ていた部員の肩を再び掴み――。


「アンタもや大井おおい! 一に笑顔、二に笑顔! 三四が無くて笑顔!」


「……はぁ」


「『五は何処行ったんや』ってツッコめや! 恥ずかしいやろ!」


「……五は何処に行ったんですか」


「もうええて! そのボケは期限切れやもん! いーからレジ打たんかい!」


 安居はプリプリと怒りながら、再びモップを持って掃除を始めた……。

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