第3話:怨毒鳥の混迷

 人気の少ない校門を出た辺りで、鶉野はレジ袋の中身を検めた。弟達の好きな菓子――「モグモグあにまる」――の箱が三つ、微かに揺れた。


 毎週金曜日に開帳する《金花会》にて、で稼ぎ出した花石を購買部で使う事はほぼ無かった。手にしてはならない花石を貯め込み続ける彼女にとって、菓子を三箱買うなど造作も無い事であったが……。


「……ふぅ」


 大量の花石が必要になる「その日」まで、無駄遣いをする訳にはいかなかった。


 備えあれば憂い無し――とは古人の格言であるが、まさにその通りだと鶉野は日頃感じ入っていた。を蒔き、水を適量、肥料を適量と時間も惜しみ育ててきた「計画」が、ようやくに開花の兆しを見せてきたのは感無量だった。


 彼女の育む計画を、見事に完遂させる二つの種。


 それは――下級生の「一重トセ」ともう一人、「羽関京香」であった。


 どちらも賀留多の闘技レベルは高く、また「標的」に近しい存在であると突き止めた時、鶉野の胸は悍ましくも高鳴った。


 幸いにも、二人は花ヶ岡をよく知らないである。藪を突けば蛇どころか、八岐大蛇が飛び出しかねない魔境花ヶ岡に、鶉野は二年以上通い続けている。同性ばかりの気楽さ、楽しさもあれば――。


 獄卒の嘲笑も、幾度と無く目撃した。


 一年以上……練り続け、下準備を重ねてきた鶉野にとって、計画の完遂は最早「青春」といっても過言では無い。




 目代小百合――去年、《札問い》の場にて忌手イカサマを使い、敗北した《代打ち》の名である。


 在らぬ疑いを掛けられ、最後の手段として頼って来た鶉野の友人を……結果として転校させた女であった。




「……」


 青々と茂った木々の葉を散らすように、一陣の風が乱暴に吹いた。乱れる髪を抑え、スカートを掴んだ彼女の双眼は……。


 生き血を吸い尽くした、妖刀の如き粘るような輝きを讃えた。


 赦せない、赦せない――絶対に赦せない! 彼女の溜め込む怒りが可視化したとすれば、校舎を覆い尽くす程の黒い渦となった事だろう。


 鶉野が姿無き親友の事を思う時、目代は友人や後輩達と楽しげに交流していた。


 鶉野が姿無き親友の好きだった場所に佇む時、目代はノンビリとした様子で散歩を楽しんでいた。


 鶉野が姿無き親友の慟哭を悲しむ時、目代は「茶番の如き」問題で一重トセと争った。


「…………っ」


 どうして? !?


 目代と違うクラスであるという事実は、時に鶉野を慰めもした。授業中に目代の横顔を見てしまえば、折角習い憶えた公式や文法が、無残に吹き飛んでしまいかねないからだ。


 ある意味で……鶉野は目代小百合なるに囚われた女であった。この忌まわしい鎖から解き放たれるには、どうしても仇敵の絶望する表情が必要だったし、目代が嘆き苦しむ姿を見届けるまでは、どんな「中傷」を受けても構わない。


 同時に、鶉野は自身に迫る「敵」の存在も気付いていた。


 同じく三年生、間瀬咲恵率いる《生徒会監査部》が動き始めた――とは、花ヶ岡の闇で暮らす《造花屋》矧名の忠告である。しかしながら……鶉野は矧名に忠告を受ける前に、「監査部が動く」事など想定済みであった。


 むしろ、と気を揉んでいた。


 元来が横道を赦せない性格である鶉野は、「目代小百合の破滅」以外を望んでいない。例えば、《金花会》の仕組みを根底から破壊したり、《札問い》自体を否定したりと、旧来のシステム崩壊を希望する事は無かった。


 そして――自身が多用する忌手イカサマが、公明正大を売りにする《金花会》にとって決して混じらぬである事を自覚していた。故に鶉野は内奥で渦を巻く矛盾の不快さに、時折胸を痛めてもいた。


 培った正義心と実際の言動との不一致。


 鶉野が頭を痛める唯一の問題だった――はずだが……。


「……?」


 帰路に就く鶉野は歩みを止めて、ゆっくりと振り返った。「楽しかったあの頃」のように、自分の名を呼ぶ声が遠くからした。


 誰だろう――此方へ走って来る者の姿を認めた瞬間、鶉野はほんの一瞬だけ……。


「待って下さーい、鶉野さーん!」


「…………えっ?」


 懐かしき親友と見間違えてしまった。


 ニッコリと笑みを浮かべ、「必ず待っていてくれるだろう」と信じて止まないように、ブンブン手を振り駆けて来る少女。その少女は鶉野に近付くにつれ、親友とフィルムを重ねるように――。


「すいません、待たせてしまって……!」




 ごめんね、待ったでしょー?




 台詞までもが、不可思議な一致を見せた。


「……は、……さんね」


 動揺を悟られぬよう、鶉野はそっぽを向いて歩き出した。追い付いた少女――羽関京香は息を切らしながら、傍らで笑った。


「帰ろうかなって思った時、偶然鶉野さんを見掛けて……つい、追い掛けちゃいました」


 胸が軋むような感覚を覚えた鶉野。迷惑そうに京香を一瞥した。


「外で私の名を呼ばないで。恥ずかしいでしょう」


 京香はキョトンとした表情を浮かべ、「ごめんなさい」と申し訳無さそうに笑った。


 この時、鶉野は強いの匂いを嗅いだ。トイレに立ち、しばらくして戻った時に筆箱の位置が違うといった、「無視するか、或いは調べるか」を悩むような違和感。


 少し悩み……結局鶉野は問うてしまった。


「……貴女、変わった?」


 余りにストレート過ぎただろうか? 鶉野は思った。しかし彼女の心配など構う事無く、京香は「アハハ」と再び笑い、答えた。


「やっぱり鶉野さんには分かりますか? 私、今までの自分とお別れしようって思ったんです。陰気臭い女の子より、ほら、明るい感じになった方が周りも楽しいかなって!」


「……陰気臭いだなんて、思った事は無いけど」


「それに――」


 京香は、鶉野の双眼を真正面から見つめた。


「鶉野さんみたいに、強くなろうって決めたんです」


「……どういう事かしら」


 ごめんなさい! 京香は大きく頭を下げた。


「私、この前バスで矧名さんと一緒になって……。鶉野さんのお話、。とても気になっちゃって、でも、でも! 矧名さんのお陰で……鶉野さんが、実は凄く頑張り屋で……辛い過去があって、それでも戦おうとしていて!」


 憧れの芸能人を相手にする少女のような赤い頬で、京香は実に感情を込めた声色と語調を以て「鶉野摘祢という逆境に立ち向かう女傑」について語った。


「ここだけの話……私、目代さんに。実は、あの人のところに行って、鶉野さんについて訊ねた事があるんですけど、その時なんか――」


「ちょ、ちょっと落ち着きなさい!」


 思わず鶉野は京香の肩を掴んだ。


「はい?」


 何故、鶉野が話を遮ったのか……まるで理解出来ていない様子だった。


「……私のを知ってもなお、協力してくれるのは嬉しいけれど。羽関さん、余りにも変わり過ぎよ……!」


「ですから、変わるって言ったじゃありませんか。確かに……鶉野さんのやっている事は悪い事です。でも、本当は花石を荒稼ぎする為じゃなかった! 全部、倒すべき『あの人』の為だったんですね! その事を考えていたら、私もう感動しちゃって……!」


 鶉野さん! 京香は鶉野の手を取り、強く握った。


「先輩として貴女を敬うと同時に、どうか、一人の友人として……いいえ、親友として! 仲良くして頂けませんか! 鶉野さんなら……私の事を分かってくれると思うんです!」


 嘆願を受け……鶉野は額に流れる、一滴の汗の冷たさに眉をひそめた。


 目代小百合を打ち倒す――そう決心してから初めて……。


「鶉野さん、今度私の家にも来て下さい。一緒にご飯を食べて欲しいんです! それと、私の事を……存分に使って下さいね!」




 万全なはずの計画に――ヒビが入った音を聞いた。

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