ヴォワザンの再誕

 遡る事三〇〇年。一七世紀、太陽王ルイ一四世が治めるフランスで、一人の女が火刑に処された。


 カトリーヌ・デエイ・ヴォワザン。と呼ばれた女である。


 助産師として働きながら、水面下で赤子を生贄にした黒魔術を使用したり、種々の毒薬や堕胎薬を調合、販売した。彼女の調合技術は非常に優れたもので、時には即効性の、時には遅効性の毒薬を使用し、闇に紛れて犠牲者を積み重ねた。


 特筆すべきは――「彼女の顧客に、数多くの上流階級がいた」という事だろう。


 貴族達にとって、ライバルの脱落は最も渇望する事態であり、優秀な毒薬の調合、冒涜と禁忌を混ぜ合わせた呪法に長けたヴォワザンは、これ以上無いであった。


 名誉を重んじる貴族である、「ヴォワザン」の名を外部に漏らす事は決して無かった為、彼女は悪行の限りを尽くして私腹を肥やしていった。


 しかしながら……悪というものは、栄華を極める速度に優れつつも、没落の劇的さは目を見張るものがある。


 魔女ヴォワザンは、逮捕された同業者の自白によって拘束されてしまった。幾ら本人が気を付けようとも、周囲に生じた綻びは彼女を逃がさなかった。


 恐るべき拷問によって自らの罪を明かしたヴォワザンは、間も無くその身を業火に焼き尽くされてしまうのだが、決して赦しを乞わなかったという。


 自身を燃やす藁を蹴飛ばし、神と王に謝罪もせず、力の限り抵抗し続けた彼女こそ、純粋なる「悪女」であった。彼女の死後、次々と貴族達との関係や、血生臭い真実が暴かれていくと、ルイ一四世は一切の事後調査を中断、証拠書類の焼却を命じた。


 太陽王すらも狼狽させる「貴族達の腐敗」を、活性化させたのは確かにヴォワザンであった。


 同時に――私欲の為に手段を厭わない貴族達もまた、彼女と肩を並べる程の「魔性」を備えていたに違い無い。




 現代、日本国の地方都市に開かれた学び舎、花ヶ岡高校に通う一人の生徒――矧名涼――が、敷地内の焼成室に向かっていた。


 日曜日という事もあり生徒は少なく、陸上部がグラウンドの端で丹念に準備運動をしている。


「よーいしょっと……」


 柔らかい癖っ毛を揺らし、彼女はカビ臭い室内へ入って行く。携えた鞄を棚に置き、ポケットからシリアルバーを取り出して食べ始めた。


「あ、あの……」


 半分程食べ終えた辺りで、怖ず怖ずと室内を覗き込む生徒が現れた。ゴクンと飲み込み、矧名はニッコリと笑んで手招きした。


「これはこれは、まさかのお客さんですねぇ」


 シッ……! 生徒は口元に人差し指を当て、脳天気な矧名を諫めた。


「ごめんなさぁい。とりあえずどうぞぉ」


 酷く緊張した様子で生徒が歩を進める。連動するようにギシリ、ギシリと床が軋んだ。


「んで、は持っていますぅ?」


 頷く生徒。胸ポケットから一枚の紙を取り出した。


「ふむふむ……まっ、問題無さそうですねぇ。今後ともご贔屓にぃ」


 矧名は笑い、「早速だけど」と生徒を見やった。


「何をご所望で?」


 その問いに答える事自体を忌むように……生徒は両目を固く瞑り、決心めいた表情で言った。


「どっ、どうしても勝ちたくて……! 勝たないと私、花石を返せなくって……」


 相手を労るように目を細める矧名は、淡々と「どのくらい?」と訊ねた。


「……一〇〇〇個」


「一〇〇〇個ぉ?」


 ケラケラと矧名は笑った。


でそんな様子じゃあ……。それにぃ、借金返済の為に道具を使うとしてです、購入資金はどうするので?」


 しばらく押し黙った生徒は、消え入りそうな声で答えた。


「…………つ、ツケで」


「ツケぇ?」


 腹を抱えて笑い出す矧名に……生徒はを思い付いたような表情で続けた。


「も、勿論……タダでとは言わない! その……貴女に便宜を図ってあげる。それに……?」


 俄に笑うのを止めた矧名。生徒は自信ありげに「良い条件でしょう」と胸を張った。


「今、何とか工面した花石が三〇〇個……残りは必ず払うし、もし、貴女が協力的なら、色々と有利になるから――」


 なるほどですねぇ……矧名はゆっくりと生徒に歩み寄り、右手を差し出した。


 交渉成立、と踏んだらしい生徒は慌てて右手を差し出したが――。


「あっ――」


 矧名は不意にその手を引っ張った。前方に倒れ掛けた彼女の首を、左手で鷲掴むと……。


「いっ……!」


 思い切りに、


「お笑いが好きですねぇ、さん。どの面下げてここに来たんです?」


 ギリギリと首を締め上げられ、口を開閉するだけの「新聞屋」――生徒会広報部長、舟原貴枝ふなばらきえは、涙を浮かべ……縋るような目で矧名を見つめた。


「喋れないんですかぁ? えいっ、頑張って頑張って?」


 更に力を込めていく矧名。舟原の顔は鮮やかに紅潮し、涎を垂らして涙するだけであった。


「うわっ、汚い……」


 矧名は首を掴んだまま、右に舟原を振り投げた。ガラクタの中で倒れ込み、何度も咳き込む彼女の髪を――矧名は勢い良く掴んだ。


「ご、ごめ、ごめんなさい……!」


「いや、謝るんじゃなくてぇ、花石を用意出来ないならどうすんだって訊いているんですよぉ。よぉし、ここは一つ、質問タァーイム……」


 ガタガタと震える舟原の耳元で、矧名は微笑みながら囁いた。


「ひとぉーつ。面倒を起こしたくないでしょ……って言っていましたけど、どういう意味? あっ、もしかして――」


 私を嵌める気?


 問われた瞬間、舟原は「しません、しません」と必死に否定した。


「ふたぁーつ。有利になるってのは、《花ヶ岡新報》を使って事ぉ?」


 今度は何度も頷く舟原。ニヤリと笑う矧名は、「みぃーっつ……」と熱の籠もった声で続けた。


「私と貴女。どちらが上?」




 答えろ。舟原。




 余りに凶暴な低い声が……舟原を完全に服従させた。


「は、矧名さん……です」


「ぴぃーんぽぉーん!」


 実に明るい声で矧名は答え、泣き濡れる舟原を思い切りに抱き締めた。


「はい、今からと私はぁ、仲良しのお友達でぇす! お友達だからぁ、私もウンと安くしてあげるしぃ――こっちからも、いーっぱい……」


 


 自身の匂いを擦り付けるように……矧名は舟原に頬擦りした。ハンカチを取り出し、「どうして泣くんですかぁ」と涙を拭いてやったりもした。


「はい、舟原さぁん。スマイルスマイルぅ!」


 舟原はポタポタと落涙しつつ――。


「……あ、あは……」


 無理矢理に、満面の笑みを浮かべた。




「私ねぇ、誰とでも仲良くなれるのぉ!」


 幼い日の矧名がよく口にした言葉であった。母は社交的な彼女をいたく可愛がり、物静かな妹に「貴女も見習わなくちゃね」と口癖のように言った。


 しかしながら……姉が決して両親に露呈しなかった凶暴性、残虐的とも取れる強烈な「好奇心」の影を、妹は朗らかな姉の背に感じていた。


 特に——姉が持つ好奇心という名の「疾患」には、妹も強い嫌悪を覚えていた。


 ある日、幼い妹は庭先で作業をする姉を認めた。


「お姉ちゃん、何してるの?」


 問われた姉は笑顔で答えた。


「虫さんの観察だよ」


 そう言う姉の手元には、小さな虫籠が置かれ——大小種々の昆虫が、無理矢理に詰め込まれていた。当然、昆虫同士は生存を懸けた争いを始めており、脚の取れたバッタや、頭の無いトンボの死骸が転がっていた。


 すぐに妹は虫籠を取り上げ、蓋を開けると、逆さまにして不幸な彼らを解放してやった。一方の姉はキョトンとした様子で妹の行動を見守っていた。


「お姉ちゃん! 虫さんが可哀想だよ! 酷いよ!」


 妹の糾弾に……姉は困惑した様子で「でも」と弁解した。


「どうなるか、観察していたかったのに。やっぱり大きな虫さんは強いし、蝶々とか、細い虫さんはすぐ死んじゃうんだって分かったんだよ」


「駄目だよ! 虫さん達、怖かったと思うよ!」


 涙ぐみながら訴える妹をそっと抱き締め、慰めるような声色で姉が答えた。


「ごめんね。でも、お姉ちゃんはね、虫さんがどうなるか……」


 見てみたかったの。


 それから姉は虫籠から興味を無くし、妹を連れて家の中に入ったのである。問題の虫籠はいつの間にか母親が片付けてしまい、行方は妹も知らなかった。


 この日の記憶は——妹の頭に強烈に焼き付き、決して忘れる事が無かった。


 人当たりが良く、家族思いな姉であったが……妹だけは、彼女の「原質」が持つ血生臭さを嗅ぎ取っていた。


 まさしく、矧名涼は探究心の塊である。


 彼女に近しい存在である妹が、長年の経験を総合して得た、一つの結論がある。


 姉、矧名涼が最も興味をそそられる対象は——。




「人間同士の諍い」であった。

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