第15話:私は強くなれる

 夕食後、京香は自室のドアを閉め切って布団に寝転ぶと、照明も点けずに――。


 唯、天井を見つめていた。


 一〇分経ち、二〇分経ち、三〇分が経った頃にスマートフォンが鳴った。焦らすような速度で手に取る京香。トセからの着信だった。


 軽快な音を鳴らし、一定の間隔で震えるスマートフォンを……「応答」の箇所に触れもせず、そのまま枕元に放置した。


『もしもし、京香ちゃん? うん、今日の事、謝ろうと思って……ううん、私こそ言い過ぎちゃって――』




 。どうせそうなんだ。




 電話口の向こうから聞こえるであろうトセの声を想像すると、の言葉が浮かんだ。


 誰のせいで、こんな目に遭っていると思うの?


 ようやく鳴り止んだスマートフォンを横目で睨め付け、項垂れているであろうトセに「念波」を飛ばす京香。らしからぬ八つ当たりに……しかし彼女は自らを苛まず、逆にトセへ怒りを募らせる一方だった。


 溜め込まれる怒気、毒気、瘴気が心中で渦を巻き、それはやがて「原因」を作り出したらしい女の顔へと変化した。


 目代小百合――鶉野との関係を訊ねた自分に、を吐いた三年生であった。


《造花屋》矧名曰く、一年前、目代が下らない忌手イカサマなどを使って《札問い》に敗北し、その為に鶉野の友人(名を垂野怜未たるのれみ、というらしかった)が転校してしまった。


 余りの衝撃に言葉を失った京香へ、笑みを絶やさぬ矧名は囁くように補足した。




 恐ろしいよねぇ。本当に……。


 何が恐いかって、目代小百合の悪行を知っているのは、だけ、って事。


 鶉野さんは、多分、忌手イカサマを一番嫌っているね。


 それなのに、自分で使って、復讐しようとしている。羽関さんを欺しても、何をしてでも……。


 私とあの人は長い付き合いだけど、心底悪い人じゃない気がするんだよねぇ。私が言うのもアレだけどさ。


 私が鶉野さんと同じ立場なら、きっと――そうするだろうね。


 羽関さんは、どうする?




「同じです」


 暗闇の中、低い声で京香が呟いた。


 確かに――京香は鶉野、矧名の両名が外法に手を染めているのを見下してはいたが、それ以上に「良民じみた顔」で暮らし、龍一郎やトセ、宇良川と仲良く遊んでいるというが……何より赦せなかった。


 忌手イカサマを行使し、《金花会》で花石を稼いでいる鶉野。勿論、赦しておける人種では無かったが、矧名からを――結果的に――聴いた今では、巨悪を討つ為に、致し方無しに自らも染まってしまった「悲劇的ヒロイン」の感が否めなかった。


 鶉野の真意を掴んだ京香は、次々に彼女から見出したを思い出していた。


 斬り捨てるような口振りは、悪に染まった自分と相手とを混交しないように?


 時折聞かれた「相手を心配するような言動」は、本当に、心底の思い遣りを持っていた為?


 幾ら卵を墨で塗り潰しても、決して中心――黄身の部分が黒色に染まる事は無いように、鶉野もまた……。


 中心に座する「鶉野摘祢」といった本質は、か弱くも優しいものでは無かろうか?


 暗中に馴れた京香の目が、机や椅子、カーテンの模様までも、薄らとその輪郭を掴み始めていた。照明に照らされている時よりも……一層、物体の存在感を掌握出来ている気がした。


 何者かが、閉じられたドアをノックした。


「京香。起きているか?」


 兄の卓治であった。声色は明るかった。


「……寝ているか?」


 双子とはいえ、妹の部屋に踏み込む狼藉は働かない卓治。「お休み」と優しげな言葉を掛け、去って行った。遠くから「お袋、一切れ残しておけよ」と聞こえた。


 卓治は幼い頃から、妹が菓子を食いっぱぐれないように取り計らう男だった。例え自身が食えなくとも、妹が食べられるのなら良しとした兄を……京香は誇らしく思った。


 思うと同時に――常に他人の庇護下にあった自分が恥ずかしくもあった。


 兄のように、脅威に対して勇猛に立ち向かう強さが欲しかった。


 彼を彼たらしめる強さとは、「絶対に曲げない信条」があるに違い無く、それは鶉野に対しても言える事だった。




 誰に怨まれても、誹られても、傷付けられても厭わない。


 仇敵を討つ為に、全てを犠牲にしたって構わない――。




 不意に、一筋の涙が京香の頬を伝った。


 悲恋物の映画を見た時、或いは飼い主の元へひた走る忠犬の物語を読んだ時に流れるそれとは


 自らに無かった激情、自己犠牲、あらゆる思いが生み出す「力」が……京香の胸奥から間欠泉の如き勢いで噴き出し、行き場を失い――。


「……ぐすっ」


 少女の双眼から、友の為に闘い続ける鶉野を慕うとなって、今も一粒、二粒と枕に染みを作った。


 たとい、願いが成就したところで――彼女自身も無傷に終われるとは思っていない気がした。否、「最初から道連れにする」気でいるように思えた。


 復讐は無益だ、復讐は無意味だ……という美辞麗句を真っ向から粉砕し、「赦せないからやる」という単純かつ怨嗟溢れる鶉野理論を、元来内向的な京香にとって、強い新鮮味と迸るような情熱パッションに感じられた。


 自身が持ち合わせていなかった「強さ」を、鶉野は確かに持っていたのだ。


 何故、彼女は委細を打ち明けてくれなかったのか?


 今の京香はこの問いに自信を持って答える事が出来た。




 当然だ。だって鶉野さんは、私を利用したくとも、心の底では気が咎めていたのだから!




 何て不器用で、何と力強い人間なのだろう――京香は激情に任せて落涙しながら、鶉野こそが「真の友」たり得ると考えた。


「…………っ」


 京香は即座に起き上がり、拭うのも勿体無い程に熱く、清浄な涙を拭き取った。窓を開け放ち、遙か彼方で輝く月を見つめた。滲むような白光は少女に神秘的エネルギーを与え、失い掛けていた気力と、持ち合わせていなかった「強さ」の素を分けてくれた。




 ごめんなさい、私、貴女を誤解していました。でも……矧名さんに教えて貰えて、気付けたんです。


 これからは……貴女を、どうにかして助けてあげたい。


 鶉野さん、安心して下さい。貴女は一人じゃない。私がいます!




 白い衛星を見やり、京香は真の友、鶉野摘祢を思った。




 そうだ、私はあの人の「月」になろう――。

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