第10話:造花屋と抱擁

 花ヶ岡には、《造花屋》と呼ばれる生徒がどの年代にも「必ず」いた。


 造られた花を売る者――そう渾名された生徒達は、皆が忌手イカサマの技術、道具の作成に長けており、自分で使用するのみならず……。


 に値段――どれも法外なものであった――を付け、極一部の「汚れた生徒」に販売するのが常であった。


 もっと、もっともっと花石が欲しい……。《造花屋》となる大半の人間は、打ち場で花石を増やす事の気長さに耐え切れず、「爆発的速度」で稼げる手法として、危険も顧みずを売り捌き始める。


 一方で――馴れないを手にした者にありがちな、散財行動と浪費的度胸の麻痺が……彼女達を破滅させて来た。最初はビクビクとしながらケーキを買い、それに馴れたらジュースも併せて購入する。友人にも気軽にご馳走をするようになり、毎週雑誌を欠かさず、それも大量に買うようになる。


 貯め込まれていく花石も、しかし卒業すれば所属する部活動や同好会に寄贈するのが慣わしだった。「だったら、自分で使った方が良いじゃない」……悪行に手を染めた《造花屋》は考え、浪費に浪費を重ね――。


 周囲に疑心をばら撒き、嫉妬を植え付け、要らぬ敵を育ててしまう。


 大抵は卒業までに悪事が露呈し、監査部か目付役に連行されるのがお定まりであった。


 取り調べを受ける《造花屋》達は、決まって「もっと花石が欲しかった」と供述した。当然、「ならば正々堂々、闘技で増やせば良いのに」と強烈に反論されてしまい、それ以上の優れた言い訳も思い付かず、泣くか逆上するかの二択を迫られた。


 唯――今までの悪人は、皆が「花石」を目当てに忌手イカサマを教授し、道具を売り歩いていた。決して赦される事は無かったが、監査部や目付役も同じ人間である為……「理解」はしていた。


「花石が沢山欲しいのは分かるけれど、でも、やって良い事と悪い事の分別を付けないと駄目よ!」


「うぅ……ごめんなさい、つい軽い気持ちで……! もうしませんから……ごめんなさい、ごめんなさい!」


 上記の会話は《造花屋》が捕まる度に、取調中に聴かれるものだった。


 の販売はあくまで手段であり、目的では無かった。闘技に勝ち続ける困難さと冗長さに負けてしまった者達が、悪気も無く縋り付いたに過ぎなかった。


 故に……監査部、目付役、その他賀留多文化に関与する部署は「人間の悪事に対する耐性の低さ」を理解した上で、自らを絶対公平、絶対正義と定めて、日夜忌手イカサマの弾圧に心血を注いでいた。


 内部に巣食う「悪鬼」の存在も知らずに。秘事はまつげ、とはこの事である。




「……とまぁ、私についてはこんな感じかなぁ。えへへ、自分の事を説明するのって照れ臭いよねぇ……」


 人懐こい照れ笑いを浮かべる矧名を――悍ましい生物でも発見したかのような目付きを以て、京香は狼狽しつつ睨め付けていた。


「鶉野さんから色々聴いているよねぇ? ほら、あの――」


「もう充分よ。お喋りはそこまでにして頂戴」


 横目で鶉野が諫めると、「ふぁーい」と気の抜けたような声で矧名が返した。


「羽関さん、大方出来たでしょう。貴女はもう、何も知らない第三者ではいられないの。私だって、そこの《造花屋》だって、羽関さんに間違いを起こされたら無傷では済まない。そこまでのリスクを背負って……貴女に打ち明けたのよ」


 理解したでしょう……という言葉の真意は、花ヶ岡の裏事情を指さない――「生きるも死ぬも一緒だ」って事なんだ。


 後悔、この感情が今日程色濃く、明確に体験出来たのは初めてだった。


 友膳、倉光、クラスメイト、そして――龍一郎やトセ、兄といった「表の人達」が暮らす世界と自分を……鶉野、矧名に分断された気がした。


 何て私は馬鹿なんだろう。何処まで私は頭が悪いんだろう。


 自己嫌悪などと生易しい表現では追い付かない苛烈な「嘆き」が、京香の精神にヒビを入れていく。


 怒りとも、悲しみともつかない虚無的表情を浮かべる京香の方に、《造花屋》が歩み寄り……優しく抱き締めた。果実の甘い匂いが、絶望する後輩をソッと包み込むようだった。


「私ねぇ、抱き着くの好きなんだぁ。友達にすぐハグしちゃうもん。羽関さんもぉ……私のだからぁ、ハグしたくなっちゃったぁ。だから、ね? 困った事があったら遠慮無く私を頼って良いし、逆に――」


 京香の耳元で、矧名は怪しく笑んだ。


「私もぉ、……ねっ」


 ゆっくりと京香から離れていく矧名は、思い出したように鶉野を見やった。


「そういえばぁ、今日はこれだけでしたかぁ? 何か入り用とかぁ、とかは無しぃ?」


「えぇ。今日のところは何も無い。は帰るとするわ」


 鶉野は立ち尽くす京香の肩を少しだけ押し、「行くわよ」と焼成室の外へ出るよう促した。最早返事すらしない京香は、出来損ないのからくり人形じみた動きで、何とか室外へ歩き出した。


「あっ、そういえば鶉野さぁん! ちょっと来てくださぁい」


 呼び止められた鶉野は、京香をその場に残して再び焼成室へ入って行く。不意に強い風が吹き、砂埃を京香に浴びせたが……彼女は微動だにしなかった。


 目を細め、顔を背ける事すらが面倒だった。


 やがて鶉野が戻って来ると、彼女を連れて校門の方へ歩いて行った。


「羽関さん」


 名を呼ばれてもなお、京香は黙していた。


「この後、予定があるかしら」


 言葉は無く、かぶりを振っただけの京香に……「なら良かったわ」と鶉野が答えた。


「今日、私の家でご飯を食べて行かない?」


 俄に京香が振り返った。鶉野は目を合わせた後、何処か気まずそうに俯き、続けた。


が会いたがっているのよ」


 えっ――京香は声を上げてしまった。


「……お、弟君達が?」


 コクリと頷く鶉野。先刻「花ヶ岡の暗黒」を語った者とは思えぬに、若干の目眩を覚える京香であった。


「話したのよ、弟達に貴女の事を。それが悪かったわね、延々と『会いたい、会いたい』と言うの。一度で良いわ、申し訳無いのだけれど……来てくれないかしら」


 これも何かの作戦だろうか――即座に京香は疑い、対峙する鶉野を睨め付ける。今の彼女にとって自分以外とは「理解の及ばない生命体」であり、「遠ざけたい害敵」に近しい。


 絶対に行くものか、と鶉野から視線を逸らそうとした京香は……彼女から不意打ちのような「本心」を見出してしまった。




 この人は、弟達の事を話す時だけは嘘を吐かない。




 如何なる経路を辿り、如何なる思考の反芻を経て得られた「情報」かは分からなかったが、しかしながら京香は鋭敏な敵愾心によって捕らえた鶉野の情報を、果たして正しいか否かを確認する意味も込め……。


「では、お邪魔します」


 鶉野の申し出を受け入れたのである。


 彼女が語る弟達の話題は、全て真実である――それが実証されたからといって、京香の今後に眩い光明が差してくる訳では無かった。


 どうにでもなってしまえ。


 危険な自暴自棄が……京香の背中を後押ししたのは確かだった。


「本当に?」


 鶉野は表情こそ変えなかったが、声色をやや明るくした。


「だったら、すぐに向かいましょう」


「ど、何処にですか?」


 スーパーマーケットよ――鶉野が即座に答えた。


「挽肉が無いの。それに食器用洗剤も足りないし。急ぐわよ、値引きが始まるわ――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る