羽関京香、訝る
第1話:天敵
「急にごめんなさい。見ず知らずの私の為に」
「いいえ、鶉野……さん、でしたよね。気になさらないで下さい、丁度私も用事を終えたところですから」
京香はかぶりを振って微笑み、店員が運んで来たミルクティーに口を付けた。対面する――三年生、鶉野摘祢は……啜られる液体の行方を見届けるように、京香の口元をジッと見つめていた。自分のカフェモカには一切触れず、寂しげに立ち上る湯気が京香には妙に気に掛かった。
駅前のファミリーレストランの一角に席を取った二人は、安っぽい背景音楽と学生達の騒ぎ声に包まれていたが、京香と鶉野が着いたテーブルだけは……不気味に静かだった。
話したい事がある――そう言って突如として来訪した上級生に、最初は狼狽えた京香だったが、二の句を聞かされた瞬間……「私はありません」と拒否する事は出来なかった。
「あの……それで、一重さんの事で話したい、とは一体……」
問うた京香に、しかしながら鶉野は何も答えない。言葉を探しているというよりは――声帯の使い方を思い出しているかのようだった。
続く局所的な静寂は、だが……京香を怯えさせる事は無かった。
針一本が落下しただけで、力強く撞かれた鐘が如く、幾度も轟音を以て反響するような「場」を――彼女はよく知っていた。
どうして? ファミレスでお話するだけなのに……この人、まるで札を打つような――、
同じ花ヶ岡の制服を纏う鶉野が、賀留多に親しんでいると推測するのは当然である。ありつつも、花石を……或いは「正義」を懸けて闘技を行うような気概を見せる理由が、京香にはどうしても分かりかねた。
唯、一つ理解出来る事は……。
この人、かなり強い、いいえ……純粋な技術以外に、何か――持っている。分からない、初めて出会うタイプだ……。
「あの、鶉野さん?」
不意に、二人の目線が合った。鶉野は京香の目を、否、その奥を見透かすような怪しい輝きを湛えるが……。
「整理していたの、話したい事。今からお話するわね」
京香もまた、怪光を打ち消すような眩さを以てして、鶉野の視線を真正面から受け止めた。一瞬だけ……鶉野は眉をひそめてから、「貴女は」と抑揚の無い声で言った。
「一重さんのご友人、そうでしょう」
「ええ。仲良くして頂いております」
「私は、一重さんとはごく最近に知り合ったの。余り楽しい出会い方では無かったけれど」
それはどういう事ですか――京香は問おうとして、何故か悪寒を感じ、止めた。
此方から質問してはならない! 誰かが脳内で叫んだ気がした。一方の鶉野は数秒の間を置き、自ら答えを開示した。
「夏休み期間……私は用事で学校にいた時、廊下を泣きながら歩く彼女の姿を見付けた」
「それは……」
鶉野の語りを妨げるように、京香が続けた。
「余り、気持ちの良くない出会いですね」
そうね――鶉野が頷く。
友人と交わす雑談のような返事を、あえてしてやる事で……京香は会話の主導権を鶉野に渡さぬよう努めていた。
何故渡したくないのか、未だに理解出来ずにいたが、今は本能的な選択に身を委ねるべきだ――京香は《金花会》で培った勝負勘を信じていた。
「声を掛けた時、一重さんは私を警戒していた。けれど……私は心配だった。余程の事が無い限り、人目に付きやすい廊下を泣いて歩く事はしないでしょう」
ゆっくりと日記を捲るように、鶉野は一定の速度で語り続けた。
「何度も訊いて……ようやく教えてくれたわ。どうやら彼女、先輩といざこざがあったみたい。ご友人なら、きっと本人から聴いていると思うけど」
京香は黙して、静かに首肯した。
「私達三学年の中でも、彼女の名は広く知られているわ。目上には礼儀正しく、賀留多の腕もお墨付き、と。だから……泣いている一重さんを見掛けた時、尚の事放って置けなかった。今まで何度も見たの、優れた打ち手がちょっとした事でスランプに陥り、腕を落としてしまうのを」
声色は淡々としているものの、聴き取りやすく……何より優しげ――な振りをしているのではと、京香は邪推を止められなかった。
「お節介とは思ったけど、一応は年長者として……忠告したのよ」
鶉野の口が開いた瞬間――即座に京香は続きを奪い去った。
「先輩に謝り、《姫天狗友の会》に居続けるべきだ……と?」
瞬きよりも、更に短く閃光のような時間だけ……鶉野の頬がピクリと動いた。
幼い頃……京香は友人達に囲まれて話題を提供する事は無く、取り巻きの外で提供される話に相槌を打ったり、クスクスと控え目に笑う側であった。
徹底的に消費者として立ち回る者は、次第に目が――この場合は耳が――「肥えて」いくのが常である。
最初、供給される膨大な「もの」を美味い美味いと次々に消費していくだけだが、時が経つに連れて質を気にするようになり、多少の美味さでは感動しないだけでは無く、精度の高い「予測」が可能になってしまう。
読書好きがありふれた伏線に欠伸をするように、映画好きが監督名を見るだけで、作品の大まかな展開を見透かしてしまうように……。
極力発言を控え、会話に耳を傾け続けた京香にとって、相手の語らんとする内容、そして――。
引き起こそうとする効果を「看破」する事など、造作も無かった。
この看破力が完全に発現したのは、花ヶ岡高校に入学して《金花会》に出入りし、多くの手練れと札を打ち合った事に起因する。
そして……精度が最も高まる条件は、「親しくない相手と一対一で会話する」時であった。
元来が臆病な性格の京香にとって、親交を深めていない人間と二人切りになる事は実に恐ろしい体験である。強い警戒心が相手の表情、放つ空気を過敏な程に査読し、今までの経験と照らし合わせてより正解に接近させた。
今まで、京香が実際に相手へ「合っていましたか」と問うた事は無かったが――後々に起こった事象と突き合わせてみると、おおよそ八割以上が「正解」であった。
「鶉野さん、大変失礼な事をお伺いしても宜しいでしょうか」
ある意味で京香の存在は、言葉による人心掌握を得意とする鶉野摘祢にとって……。
「何かしら。遠慮せず言って頂戴」
「もしかして、なのですが……」
天敵たり得る――非常に厄介な下級生であった。
「私を、何かに利用しようとお考えでは?」
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