第5話:吉兆は我が手に

 八度目の対局、葉月戦。


 二人の打ち手は猛烈な勢いで札を取っていった。


 二年生代打ち、宇良川は自ら得意とする戦法の「昇華」を後輩達の戦いに認めた。


 龍一郎が《萩に猪》を打ち取れば、すぐに羽関妹は《紅葉に鹿》を取り札とする。


 一方で彼女が《桜に幕》《芒に月》という速攻役の要を攫ったかと思えば、龍一郎は起こされた《菊に盃》をカス札でもぎ取る。


 戦局は縺れに縺れて八手目に移行すると、親であった龍一郎がカス札残り一枚を取り切れず、手を空にしてしまう。


 好機とばかりに羽関妹は最後の手札である《桜に短冊》を捨て、《菖蒲に八橋》を引き当てて短冊札を獲得、辛うじて彼女はタンを完成させたのである。


 最後まで《桜に短冊》を隠し持ち、相手の身動きを止めてから《赤短》を狙う羽関妹に、宇良川は雄々しいまでの胆力を感じた。


 龍一郎の敗北は、そのままであると知っていてなお……彼女は「良いものを見た」と興奮せざるを得なかった。


 持てる全てを総動員し、相手を殴り続ける《喧嘩札》という戦術の有効性を、宇良川はこの瞬間に自覚したのであった。


 強いのかもしれない、といった推測が「強かった」という確信に変えられたのは、羽関妹――彼女のお陰であった。




 あの子と、是非とも。勝ってね、近江君。私、まだまだこの学校で賀留多を楽しみたいのよ……。




 宇良川もまた、闘争心のままに行動する「賀留多馬鹿」の一人であった――。




 前局によって文数差は一六文となり、九度目の闘技――長月戦へと突入した。龍一郎と羽関妹の鳴らす札の打音は増していき、小規模な破裂音に似たものへとなっていた。




  梅に短冊 桜のカス 菖蒲に八橋 萩のカス

  芒のカス 菊に短冊 紅葉に短冊 桐のカス




 一撃で六文を生み出す《青短》の構成札が二枚も露出する場に、龍一郎は勿論目を付けていた。


 手に滑り込んだ《牡丹に短冊》が色濃く自身を主張しているようだった。一手目に羽関妹は《芒に月》を打ち出すと、更に場を荒れ模様にする《松に短冊》を起こした。


 残る《菊に短冊》が怖いが、俺の手に防げる手段は無い。相手に盃の札があれば闘技はすぐに終了となるが……乗り切れたならば、勝算はまだ充分にある!


 龍一郎は長月戦が引き続く事を見据え、《紅葉に鹿》を短冊札に打ち付ける。


 起きた札は《藤に郭公》だった。


 二手目――ある意味で今回の山場であった。


 羽関妹は扇状に開いた手札から一枚取り、果たして《桐のカス》へとそれを叩き付けた。


 羽を持つ生物の王――鳳凰が彼女の手から飛び立った。追従するように郭公の札は起きた《藤に短冊》に合わされ、彼女の取り札に加わる。


 二手目にして光札が二枚、「早三光」が予見されたが――。




 吉兆だ、俺にとって……。




 龍一郎は気を引き締めるべく更に双眼を鋭くし、《松に短冊》をカス札で匿う。この時点で羽関妹の《赤短》《青短》完成は無くなった。起き札は《松に鶴》、鳥の札を集めている羽関妹にとってこれは吉か――俄に眉をひそめる龍一郎は、彼女の白い手を見つめていた。しかしながら打たれた札は《菊のカス》であった。




 俺の《青短》を潰して来たか……だが、これで分かった。高い確率で彼女は松の札を持っていない。この手番で防衛に回ったのが――。




 羽関妹が《萩に短冊》を起こしてカス札と共に回収するのを見届け、龍一郎は揺さぶりも兼ねて《桜に幕》を打ち出す。


 起こしたのは《牡丹に蝶》、牡丹の札を持つ彼にとって喜ばしい流れだった。


 しかしながら黙ってそれを見ている事はせず、羽関妹は《梅に鶯》を打って龍一郎の《赤短》をも潰すと、起き札の《菖蒲のカス》で種札を攫った。


 安手の準備も抜かり無い彼女を、改めて龍一郎は悔しさよりも「強い、そして持っている女だ」と褒めたくなった。


 場に残った鶴と蝶の内、彼は《牡丹に短冊》を以てして後者を捕らえた。起きた札は《菖蒲に短冊》、タンの完成を控える彼女にとって、この起き札は是非とも欲しいはずだった。


 勝負を急ぐ為に安手で上がる――その回は勝った事に違い無いが、長期的に見たならばその「逃げ」が首を絞めて来る。


 安手の裏切りが如何に多いか! 龍一郎は羽関妹の出方を静かに窺っていた。


 長い思考を終えて、彼女は《菊のカス》を徐に捨ててから《梅のカス》を起こした。




 手四てしが起きた場合は配り直しとなる。という事は――彼女も欲しているんだ、最後の一枚である《菊に盃》を――。




 羽関妹の捨てた《菊のカス》により、この手番から長月戦は互いの「引き」の強さを計る場へと変貌したのであった。


《桜に幕》を持つ龍一郎、《芒に月》を持つ羽関妹。


 どちらが勝利の盃を呷るのか――二人の間に見えぬ火花が散ったようだった。


 まずはこれだ――彼は《牡丹のカス》を捨て、《藤のカス》を引き起こす。間を置かずに相手は《梅のカス》を打ち合わせ、《柳に小野道風》を呼び起こした。


 続いて龍一郎は短冊札の危険が無い《桐のカス》を捨て、幸運にも《松のカス》を引き当てた。双方に《三光》の可能性は霧散したのである。すかさずに羽関妹は《柳に燕》を快音と共に打ち出し、《藤のカス》を引いてカス札を厚くした。


 さぁ、どうなる……?


 龍一郎はもう一枚の《桐のカス》を打ち付け、《牡丹のカス》を引いて一気に四枚のカス札を集めた。


 しかし既にカス札は大量に消えており、加算役のカスを作るのが難しい状況となっている。


 八手目。羽関妹は《芒に雁》を打つと、手を一度揉み合わせてから山札に触れた。


「……っ」


 形の良い柳眉の間に、ほんの小さな皺が生まれた。彼女が引き当てたのは《紅葉のカス》だった。


 仕方無し――彼女はそう言いたげに髪を手櫛で梳き、龍一郎の手札に目をやった。


 神経を集中させ、彼は《桜のカス》を捨ててから山札に手を掛ける。固い札が折れかねない程の力で上一枚を取り、勢いよく場に叩き付けた。


「……両者、により差は引き続いて一六文、羽関さんの優勢です」


 龍一郎の起こした札は《柳に短冊》だった。


 ホッとしたように瞬きする羽関妹を見やり、龍一郎は彼女に倣って胸を撫で下ろす――事をしなかった。




 今、俺は彼女に並んだ。全ての力が平坦になったんだ。ここから……ここから俺は――勝利の大海へと泳ぎ出る!




 吉野田の手が一〇個目の札を掻き混ぜていた。


 打ち手を巻き込み、荒々しく渦巻く賀留多の海峡を、龍一郎は全身で味わい尽くすべく――残り三ヶ月の対局を焦がれた。

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