第6話:決戦役

 変わった、というよりは――「開花」した。


 賀留多文化の存亡、そして靖江天狗堂の未来を賭けた札問い……一〇局目、神無月戦が始まった頃、目代は彼の放つ空気の変質に気付いた。


 相手の欲しがる札を取り、なおかつ手早く出来役を完成させる。


 突き詰めれば単純な「必勝法」を、しかし完全に会得出来ないのが《こいこい》の妙であった。


 小学一年生の頃から賀留多に親しむ目代ですら、その妙技の片鱗を掴んでいるとは思っていなかった。




 近江君、君をそこまで強くしたのは私の知識? 柊子ちゃんの激励? それとも……。




 目代は隣に座る、彼と同じ一年生の女子生徒に目をやった。


 祈るように手を握り合わせる彼女は、昨日彼に何を与えたのか――目代は何となく予想が付いていた。


 恐らくは――いつか起こり得た代打ちの否定、また賀留多文化の崩壊に、果たして自分と柊子ちゃんだけで立ち向かえただろうか……目代は「きっと無理だろう」と確信していた。


 近江龍一郎という男を姫天狗友の会に招き入れ、自分達をいつも笑顔で慕ってくれるという存在のありがたさに――目代は改めて礼を言いたかった。




 貴女がいなければ、近い将来に……賀留多は死んでいた。


 貴女があの日、「私も代打ちになりたい」と言ってくれなければ、「強くて面白い男の子がいる」と言ってくれなければ、こんなに素晴らしい未来は無かった。


 大丈夫だよ、おトセちゃん。彼は必ず――。




 勝ってくれるよ。


「神無月戦、終了でございます。近江さん、《タネ》《タン》により二文獲得です。差は一四文、羽関さんの優勢です――」




 来る一一回局目、霜月戦。


 盆に載せられた使用済みの札が乱立するビル群のように、二人の打ち手を見守っている。


 放たれる札の圧を受け止める座布団も、少しだけ厚さを失っているようだった。




  松のカス 菖蒲に短冊 菖蒲のカス 牡丹に蝶

  萩のカス 紅葉に鹿 紅葉に短冊 桐に鳳凰




 場札は《猪鹿蝶》の早期完成が見込める様相を呈しており、天上から獣達を見下ろす鳳凰がジッと息を潜めているようだった。


 羽関妹は居住まいを正し、首を軽く捻ってから《牡丹のカス》を蝶の札に叩き付ける。起こした札は《芒に月》だった。


 となる――龍一郎は一文でも多く、そして早くに獲得するべく、《桐のカス》を用いて鳳凰を我が札とした。


 続いて《萩に短冊》を起こす事に成功、手札にもう一枚萩のカスを持つ龍一郎は、相手の《猪鹿蝶》完成を絶望的にさせた。


 きっと彼女は速攻を仕掛けて来る。二手目で取る札は恐らく――。


 札を打つ音が鳴った。彼の予想通りに羽関妹は《芒のカス》を打ち出した。そして札を起こし……容易く《松に鶴》を引き当てたのである。


 何という豪腕だ――驚く龍一郎に向かい、俄に彼女は微笑んだ。


「追い付いてみせろ」と言いたげな羽関妹は、しかし黙したまま彼の手札を見つめている。


 やってやる! 斬り込みとして《藤のカス》を場に打ち、龍一郎はギュッと力を込めて札を捲った。


《紅葉のカス》、良いカス札だった。


 相手に「もう完成出来ないぞ」と宣言するべく、龍一郎は《紅葉に鹿》を攫った。両者の《猪鹿蝶》はここで息絶えた事になる。


 三手目。


 然程に困った表情は見せない羽関妹は、《梅のカス》を打って《芒のカス》を引き起こす。


 ただの逃げか、それとも《タネ》狙いか――読み違えれば手痛いしっぺ返しを食らう場の流れを、龍一郎は慌てず、しかし素早く推測した。


 余りの熟考は時として「見栄えの良い愚策」を生み出してしまう……彼はその現実を知っていた。




 こちらの手札には松と桜の短冊札が二枚ある。彼女は《赤短》の完成を一つのプランとして採用しているだろうが、ここは……あえて「無視」をしよう。




 特定の出来役を餌に、あたかも「完成出来るぞ」と見せ掛けて相手を泳がせる。《こいこい》においての常套手段であったが、長きに渡って戦略として残るこの技術は、それだけの「価値」があった。


 龍一郎はマイペースに《藤に郭公》でカス札を迎えると、《牡丹に短冊》を引き起こした。


 短冊役が誘っている――そう思い、そして彼は《赤短》《青短》での上がりをも「無視」する事とした。


 あくまで狙うのは加算役の《タン》一点のみ、スケベ心を出せば碌な事にはならない……。


 一文でも増やす、一文でも差を縮める。


 愚直に食らい付くのが今は吉――取り札と場札を交互に見やる羽関妹を見つめ、龍一郎は確信していた。


 白くたおやかな手が《桜のカス》を打った。


 光札か短冊札か、そのどちらかを呼び込もうとしたか……?


 手札に《桜に短冊》を持つ龍一郎はしかしながら、彼女の「度胸」を恐れた。鶴の札を引き当てた回ならば、もしくは《桜に幕》すらも持って来られる――そう信じて疑わないような顔付きに、龍一郎は生唾を飲み込むだけだった。


 出るのか? まさかこのタイミングで……。


 スパン、と札同士が鳴らす快音に龍一郎は思わず目を閉じてしまった。すぐに双眼を開いて場を確認すると……。


「んっ……」


 苦い顔の羽関妹。


 彼女が引き当てたのは《桜のカス》だった。ハァ、と大きく溜息を吐きたい龍一郎であったが、何とか堪えて手札を見やる。左から一枚ずつ、札の名称を喉の奥で呟いた。彼なりの精神安定法であった。




 不味いな、一瞬でも「恐れ」を感じてしまった。




 そして賀留多の打ち場は、この恐れを極度に嫌う――申し訳ありません、と龍一郎は座布団に向かって念じながら《藤のカス》を打ち出す。


 起こして来た札は《菖蒲に八橋》、場のカス札でそれを回収する。


 さぁ、どう来る? 龍一郎の眼光が鋭くなった。


 羽関妹はそれに臆しないように、《松のカス》を叩き付けた。続いて札を起こす――そして現れたのは《桜に幕》だった。


 来た、僥倖の札だっ。


 寸刻置かず、彼は《桜に短冊》を打ち出すと、流れるように山札へ手を掛けた。起こした札は《萩に猪》、龍一郎の速攻が効いていると示唆するようだった。この手番で両者の《三光》は無くなり、更に完成が望める出来役は限られていく。


 六手目、羽関妹は猛追する龍一郎を振り払う為か、強い手付きで《柳に燕》を打ち出す。


 起きた札は《柳に小野道風》、五枚の光札は果たして何も生まずに露出した。




 もしかすると《赤短》がこの手番で完成するかもしれん。だが――ここは徹底して謙虚に、徹底して泥臭く行く!




 彼が打った札は《萩のカス》であった。


 持っていた《松に短冊》をあえて場に出さず、大事に錬っていた策を簡単に捨て去った事が……龍一郎の思考転換を祝福したのである。


「……っ、勝負!」


 山札から引き出した札、それは芒の原を飛び去って行く三羽の鳥だった。《芒に雁》、八月の種札であった。


「霜月戦、終了でございます。近江さん、《タネ》により一文獲得です。差は一三文、羽関さんの優勢です」


 加算役である《タネ》、完成から更に一枚増える毎に獲得出来る文数は加算されていくこの役を、ピタリとここで止めた彼の選択が果たして正しいものか?


 答えは次局で明確となる。


 目付役の吉野田によって回収される札を――龍一郎は最早目も向けず、遠い昔の事に思える睦月戦前のように……目を閉じていた。


 ここまで疲れたのは初めてだ。許されるならば――すぐにでも横になりたかった。意識せずとも高鳴る鼓動、疼痛のように全身を巡る緊張……何もかもが初めてだった。


 開く差は一三文。


 この差を縮め、なおかつ勝利する為には「七文以上倍付け」が必要不可欠だった。


《猪鹿蝶》、足りない。《三光》《赤短》《青短》、もう一声が欲しい。加算役に頼る、駄目だ……きっと彼女は防ぎに来る。


 何がある、最終戦で逆転勝利するには何が――。


 一二個目の《八八花》が開封される音を聞いた刹那、龍一郎は電撃に打たれたような直感を抱いた。


 一撃で七文を叩き出し、自分とトセとを運命の下に引き合わせた、あの人物が絡む役。彼はを思い出した。




 完成は難しい。


 不発に終わるか?


 いや、その確率が高い。……しかし、もし本当に「運命」があるならば。


 俺に勝てと運命が、そしてあの書家が言っているとしたら――。


 やってみよう。


 どうせ最後なら……俺の、そして「彼女」の一番好きな役、友人を護ったあの出来役……その完成を狙ってやる――。




「……これより、最終戦、師走戦を開始致します」


 龍一郎は伏せられた手札を取った。


 香る雨の匂いを、近江龍一郎という男にとっての「決戦役」の到来を、彼は虎視眈々と待ち始めた――。

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