第4話:可愛い後輩達の為に

 はぁ? と間瀬が呆れたような声を上げた。


「自ら署名したのよ? この欄に、自分で、自分の名前を、しっかりと!」


「でも、進んで署名したと言うのであれば、このように隅っこに小さく、それも震えたような筆跡になりますか? 私、ネットの記事で読んだ事あります……脅迫された人はほぼそのような筆跡になるって」


 今、証拠を出します――トセはスマートフォンを取り出すと、素早い手付きで操作を始めた。


 間瀬は立腹しているようで前髪を苛立たしげに整え、小生意気な一年生だと言わんばかりにトセを睨め付けている。


「このサイトです、長いんですけど……一応読んで頂けますか」


 ふんっ! と間瀬は鼻息を荒げてスマートフォンを取り上げると、表示されている記事を、意外にも熟読を始めたのである。


 生徒会監査部の長という役職に就いている以上、一定の生真面目さがあるのか、間瀬の視線は左から右にとゆっくり動いている。


 クイッ、と龍一郎の袖を引くトセ。何かあったのかとアイコンタクトする彼に、トセは――少しだけ口角を上げた。


 それから五分が経った頃である。「ちょっと」と口を尖らせた彼女は足を組み直し、不機嫌そうな顔で言った。


「何処にも書いていないけど? 無駄な時間を私に過ごさせたという事になるわよ? 筆跡学を学んだ訳でもあるまいし……もしかして……欺したの?」


 いえいえ、とトセは平坦な声色で返す。


「実にでしたよ」


 何故余裕そうな顔を出来るんだ――龍一郎は隣のトセを見やった刹那……。




 猛烈な音のノック、というよりはが入り口のドアから響いたのである。




 思わず龍一郎は肩を震わせ、同じく間瀬もビクリとドアの方に目を向けた。しかしながらトセは驚きもせず――ただ笑っていた。


「お邪魔しまぁす」


 聞き憶えのある声がドアの向こうから聞こえた。


 同時に壊れる程の勢いでドアは開かれ、果たして姫天狗友の会所属、二年生代打ち《ステゴロ柊子》が恐ろしいぐらいの笑顔で現れたのである。


 その後ろから室内を覗き込むように、かつて鬼と呼ばれた目代も追従した。


「う、宇良川さんっ! それに目代さんも!」


「な、何よあんた達!? 呼んでいないのにいきなり来るなんて失礼でしょうが!」


 あらぁ、おかしいわねぇ……。


 宇良川が間瀬を、そして騒ぎを聞き付けて奥の部屋から現れた監査部員を見やり、小首を傾げた。


「確かにお呼ばれしたのですが……『是非先輩方も来てください』って、とーっても大事な後輩達から。ねぇ、姐さん?」


 コクリと頷く目代。彼女はトセの方を見つめ――ニコッと微笑んだ。




 間瀬にスマートフォンを渡したあの時、おトセは密かに呼んでいたというのか? 一瞬で二人を召喚したという事なのか……?




 末恐ろしい女だ――龍一郎は目代に微笑み返すトセを見て思った。


「駄目よぉ、おトセちゃん? こーんな楽しそうなお話、仲間外れは寂しいわぁ」


「……すいません、先輩方。実は私達、嵌められそうになっているんです……だからこうして助けを求めてしまいました、ごめんなさい……」


「嵌めるって、ちょっと何を――」


「うぅーん? 今……テメェに聞きましたか? 黙っていて貰えます?」


 宇良川の理不尽極まりない制止は、果たして上級生の間瀬を完璧に沈黙させた。極限まで煮詰めた不条理を叩き付けられた場合、人は黙りこくってしまうのか……龍一郎は目が点になっている間瀬から学んだ。


 トセは間瀬から受ける嫌疑、脅迫を語り、またそれらを引き起こしたのは目代達の忠告を聞き入れなかった事によると謝罪した。


 全てを聞き終えた宇良川は「なるほどねぇ」と頷き、それからローテーブルに片足を載せて間瀬に詰め寄った。


「申し訳ありませんねぇ、この度は後輩達が疑わしい事をしてしまって……ですから、このお話は……


「はぁ!? 何であんた達が主導権を握っているのよ!」


 さすがに反論を仕掛けた間瀬だったが、しかしながらそれは蟻が虎に噛み付くようなものであり――宇良川を説き伏せる事は叶わない。


「賀留多を撤廃するだなんて、間瀬部長の今後が心配で仕方ないのですよぉ? 私と姐さんはただ、貴女の『身の安全』を憂うだけなのですから……」


 そうでしょう、姐さん――同意を求められた目代の寝癖が、思い悩むように左右に振れた。多少の慈悲が目代にはあるようだった。


「駄目よぉ、姐さん。そんな恐ろしい事を考えては……」


 えぇっ? という目代の声が聞こえてくるようだった。


 宇良川流の翻訳を通した為に、彼女の意思は非常に物騒なものへと変化されたらしい。


「あぁ、そういう事。あんた達、私を脅迫しようっていう訳ね! ただの代打ち風情と監査部は、どちらが強いのかよぉーく考えてみなさい!」


「強い? うーんと……それはつまりの事? じゃあこちらの方が上ねぇ、権力というものは行使出来なければ意味が無いんですよぉ? 例えばぁ、トップが不幸な事故に遭って学校に来られなければ……どうなるかしらぁ」


 何なのコイツ……間瀬が怯えたように目を見開く。


 無理も無い――龍一郎は次第に、ほんの少しだけ間瀬が可哀想になってきた。一応は言葉で調伏させようという目論見を、理屈抜きの暴力で粉砕され掛けている彼女が、実は一番の被害者なのでは……とさえ龍一郎は錯覚しそうだった。


「宇良川さん、余りそこまで言わなくとも……」


「そう? 近江君に言われたら、まぁそうなるのかしらぁ? じゃあここからは――」


 穏便な話し合いをしましょうか。笑顔の宇良川は間瀬の隣に腰を掛けた。


「……何で横に座るのよ?」


「下手な動きをしたらグサリ、という事ですよぉ」


 もう話し合いじゃないだろう、それ……龍一郎は先程と打って変わって大人しくなった間瀬の心中を察しながらも、視線が泳ぐ目代をソファーに座らせた。


「司会進行は私、宇良川が行いまぁす! 異論のある人!」


 手を挙げたのは間瀬のみだった。多数決の原理を採用し、宇良川は話し合い(砲艦外交)の司会役へと就任したのである……。

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