第10話

 僕がその事実を知ったのは、今日から始まる補習のために、学校に向かう途中のことだった。


 いつもの公園の前を通り過ぎる際、警察が公園を封鎖していること、そしてマスコミらしき人や近所の人が、話しているのが聞こえてきたのである。


 曰く、少年の遺体が発見された。


 曰く、少年の名前は、坂付康太、高校生である。


 曰く、少年の遺体は、惨殺死体であった。



 血の気が引いた。そして、彼女のことが、真っ先に思い浮かんだ。


 ーー間切未来。


 もちろん、死亡した人物が同姓同名という可能性は確かにあったが、あまりにもタイミングが合いすぎていた。


 信じたくはないが、死亡した場所が例の公園という現場もあって、状況が整ってしまっている。


 果たして、本当に彼女が……?


 この気持ちは不安なのか、恐怖なのか、僕自身もわからない。


 それから僕は、何事もなく補習を受け、家路に着いて、ベッドに体を預けた……はずだ。正直、今日1日、何をしていたか、よく覚えていない。


 いつのまにか夕方になっていて、自分のベッドに倒れていた、そんな、タイムワープをしたような気分だ。



「……いかなきゃ」



 ボソリと、誰に言うでもなく呟く。


 もうすぐ、間切さんとの約束のーー寂れた公園に行く時間だ。


 いかなくては、アレルギーが発症する……でも、体は思うように動いてはくれない。足が鉛のように重い錯覚がある。そんなわけがないのに。



「…………」



 今まで、平気なふりをしてきた。


 魔法少女を助けたことから始まり、アレルギーを理由にして、彼女に深くまで踏み込まないように接して……そして、助け抜こうと心に決めた。


 それでも、偏執的な愛を囁やかれても、一線を引いて、彼女と接してきた。呼び方も、意識して、間切『さん』とつけて。そうしないと、彼女と近づきすぎると、意味のわからないことばかりに、気が狂いそうだったから。


 彼女が怖かったから。


 そもそも、僕は普通の人間で、人間のレベルなるものがあるとすれば、最底辺だ。超能力という力がなければ、なんの価値もないクズ。


 成績は、勉強しても底辺。運動も、走りながら超能力で疲労を回復するというズルでもしなければ、5キロも走れやしない。


 そんな人間が、そんなクズが、人に好かれる方が間違っている。


 ーーだからこそ、好かれる原因を彼女に求めたのだ。


 自分が好かれるわけはない。だから彼女に何かあって、それが原因で、自分に愛を囁いてくるのだと、そう思った。あるいは、思い込んだ。


 そうすることで、自分の殻に閉じこもって、守ってきたのだ。


 なにもかも断ち切って、全てから逃げ出せる勇気があれば、どれほど楽だったか。



◆ ◆ ◆



 結局、僕は間切さんの約束を破った。朝からだるいし、吐き気もするけれど、補習にいかなくては、卒業に関わる。



「起きたくない……」



 でも、たった1日で気持ちの整理なんてできるわけもなく、頭の中はぐちゃぐちゃで、なにをしたいのか、なんでこんなに混乱しているのかすらわからない、そんな状態だ。


 昨日よりはまだマシではあるが、それでも重々しい足を無理やり叩き起こして、ベッドから起き上がる。


 間切未来からの100を超えるライン通知から目を背けながら、スマホを置いて、僕は部屋を後にした。


 それから、ぼんやりとしながら登校し、教室に入り、コスプレ先生の補習を受ける。なんでもない、ただの日常だ。


 ただの日常だからこそ、僕との非日常とついつい比較して……アレルギーのせいか、吐き気を覚える。


 もはや、なにも考えず、なにも見ない方が、気が楽だった。



「直沢ぁ……お前、私の授業、聞いてたか?」



「……へ?」



 だから、他の生徒が問題を説いている間、見回りをしていたコスプレ先生にそう聞かれるのも当然で、返事が遅れるのもまた、当然だった。



「……ちょっとまて、お前、ひどい顔をしているぞ……なにかあったのか?」



「……まあ」



 言いにくいし、なにかあったといえばあったのだけれど、僕自身も何を気にしているのかがわからない。心の整理がついていない、というのが正しいか。



「……補習が終わったら、私のところにこい。話くらいは聞いてやる」



 そんな心情を察してくれたのか、そう言って、先生は補習に戻る。僕以外にも補習を受けている生徒は少なからずいるので、僕ばかりに時間は割けないのだろう。



「むふふ、相談なら我もなりますぞ! いつでもお頼りくだされ!」



 ……そういえばこいつもいたなぁ、と。後ろからひそひそ話で僕に語りかける東海を無視しながら、多少、気が紛らわせられたのはわかった。



 それから補習が終わって、僕が職員室に行くと、先生がちょいちょいと手招きをしてくる。



「何かあったのか?」



 そのまま誘導されるままに椅子に座ると、以前のように僕が見下ろされる形で、コスプレ先生と対面する形だろうか。


 先生は頬杖をついて真っ直ぐと僕の眼を見つめてくる。それが少しむず痒くて、視線を職員室の中へと移した。


 夏休みではあるけれど、学校の先生というものは忙しいようで、職員室には少なくない数の先生が仕事に励んでいるようだ。



「…………」



 先生が相談に乗ってくれると言ってくれたのは、とても嬉しい……しかしながら、魔法少女とか、超能力とか、話せないことが多すぎてーー正確には信じられないだろうからーー、相談しようにも、できない。


 そしてそれ以上に、僕がなにに悩んでいるかもごちゃごちゃで、なにを相談すればいいのか、あるいは何から相談すればいいのか、わからなかった。



「…………まあ、聞かれたくないことくらいはあるよな」



 先生に向き直ってから、口を開いては閉じるといったことを繰り返し、だんまりとしている僕を見かねたのか、先に口を開いたのは、コスプレ先生の方だった。


 先生は「ふぅ」とため息を吐いて、困ったように後頭部をガリガリとかいて、続ける。



「先生な、昔、バカやってた時期があってな」



「何ですか、急に」



「まあ、聞けって」



 先生はポケットからタバコの箱を取り出すと、端をトントンと叩いて……またすぐにポケットの戻した。



「悪いな、癖なんだ……ちょうどお前くらいの……私が学生の頃、事故で両親を失ってな。その直後だったこともあって、まあ、端的に言ってグレていた時期があった。授業をサボって街の不良どもとゲーセンに入り浸っていた……成績に関しては、確か、君よりも下だった」


「…………」



 ……インテリ系で、しかし親しみやすい雰囲気のあるコスプレ先生は、生徒にとても人気のある先生だ。その先生が、成績は悪く昔はやんちゃとは、想像ができない……もしかして、タバコは、その時の名残だろうか。


 先生は懐かしむように……いや、実際に懐かしんでいるのだろう、遠くを見るように、先生は視線を少し上げていたが、すぐに僕に向き直る。



「だが、そんな時、私は恩師に出会ったんだ……最初は煩わしいとしか思わなかった。なんせ、出会い頭に即説教、放課後なんて、私の居場所がわかってるように、先生は現れた」



「……いい先生なんですね?」



「いや、そうでもない」



「えっ」



「授業はわかりにくいわ、シャツがズボンからはみ出してるわ、髪はボサボサだわ、メガネにヒビは入ってるわ、ズボンはほつれてるわ、字は汚いわ……まあ、いろいろひどかった。とてもじゃないが、いい先生とは呼べないだろう」



「へ、へぇ……」



 むしろ、なんで教師ができていたのだろう。



「だが、私みたいなどうしようもないガキにも、真摯に接してくれた」



「…………」



「メシを奢ってくれたり、愚痴を聞いてくれたり……上から物を言うんじゃなく、対等に接してくれた。同年代ですら、私を気遣ってか、あるいはどう接していいかわからなかったのか、元々友達だった奴らも離れていったと言うのにな」



「……何が言いたいんですか?」



「まあ、その、なんだ。口下手で悪いんだが……悩み事なんてもんは、ぶっちゃけちまえば後が楽になる。経験者の言葉ってやつだ……あ、昔グレてたってのは内緒な。私がクビになる」



 先生はニカリと男らしく笑い、僕の頭をグリグリと撫でてくる。頭はボサボサになるし、痛いし、髪の毛も抜ける。


 ……けど、先生の服に染み付いた、ほんのりと香るタバコの苦い匂いが、ほんの少しだけ心地よい。



「先生、実はーー」



 僕の口からは、泥を吐くような気分で、自然と悩み事が出て行った。



◆ ◆ ◆



「何言ってんだ、んなことあるわけねーだろ。厨二病は卒業しろ」



 魔法少女やら超能力やらを添えて、坂付康太のことまで、洗いざらい話した結果、即、一蹴された。



「……もういいです、帰ります」



 僕はカバンを手に取り、そのまま職員室を出ようと立ち上がる。だが、その手を先生に掴まれ、動けない。



「離してくださいよ」



「待て待て、悪かったって、冗談、冗談だからさ」



「……僕、真剣に悩んでるんですけど」



「わーってるよ。要するにあれだろ? 君はその間切って子を疑ってるんだろ」



「…………」



 確かに、その通りだ。


 自分の気持ちを他人に言われて、初めてそれが事実であると、きちんと理解できる。


 僕は、確かに間切未来という人間を疑ってしまっている。彼をーー坂付康太を殺害したのではないかと。


 彼女は、我慢するとはいったけれど、許すとは一言も言っていないのだ。


 であれば、愛する人間、すなわち、僕を傷つけた彼に危害を加えることは、彼女の狂気を見てしまった身としては、『ありえる』と断定せざるを得ない。


 ……信じたくはないけれど。



「君、ちょっと周りが見えてないんじゃあ、ないか?」



「いや、そんなことはないと思いますけど」



「いいや、見えてない。何をすべきかなんて、正解はないし、自分のやりたいようにやるべきだ……それなのに、君は周りが……というより、自分の気持ちが見えていない」



「それは……」



 見えてないなんてことはない、とは言えない。事実、僕は何をすべきかもわからず、何がしたいのかもわからない。ただ、現実から目を背けて、時間が経つのを甘んじて待っているだけだ。


 それにーー



「やっちまったのかどうかなんて、とりあえず本人に確認することだ。私に相談する前にな……まだ、会って話してすらないんだろう?」



 先生の言う通り、僕は間切未来……間切さんに会いたくなくて、昨日、あの公園に行かなかった。


 だから当然、話してすらいないしーーラインの通知も、見ることすらしていない。



「っ……」



 反抗的に言い返そうとして、でも、できなくて、思わず、息を飲む。


 図星を突かれるとは、多分こう言うことなのだろう……僕は、それに対して、何も言い返せなかった。


 それが事実だと、僕の心が認めてしまったのだ。



「図星を突かれたって顔だな」



 先生は僕を再び座るように促し、僕もまた、抵抗せずに……いや、できずに、腰を下ろした。



「自分の気持ちってのは、案外、自分じゃ気付かないもんだ。おかしいけど、人間なんて、客観視しなけりゃなんもできない生き物なのさ」


 先生は実感をもって、説法を説くように、重さのある言葉を包み送る。


「だから、私が君の客観になってやろう。客観視できない君を、客観視してやろう。君のやりたいことを、やるべきだと君自身が考えていることを、実行できるように、代弁してやろう。背中を、押してやろう」



「僕がやりたいこと……」



「間切未来と直接、話してこい。それがきっと、今、君のやりたいことだ。勇気を持て、少年」


「っ……」



 先生は、人差し指を僕の胸に当てて、とんっと軽く叩く。それがなんだか、足の重りを外してくれたような気がして。


 僕は椅子を膝裏で蹴飛ばし、駆け出した……間切に会う、そのために。

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