第8話

 4日後の日曜日。ギラギラと照らされる日の光を受けながら、約束や時間より15分早くに龍の像へ向かうと、影に隠れている間切さんらしい後ろ姿が見えた。


 彼女の格好は、カジュアルなショートデニムパンツに、(主に胸元の)体のラインが出にくいようにデザインされた、ふわふわとしたフリルのついた水色のブラウスという組み合わせである。


 いつもは制服か魔法少女スタイルの間切さんしか見ていなかったのでーー僕が公園に行く頃には大体魔法少女スタイルであるーー、新鮮だ。


 ……遥に服を選んでもらってよかった。


 遥は男らしさこそないが、逆に、女の子らしさが際立っているようで、いわゆる女子力なるものが高いらしい。


 いつも来ているユニクロで行こうとしていた僕は、遥に引きずられるようにファッション店やら美容室へやらと連れて行かれたのが、一昨日の話。



「ごめん、待たせちゃったかな」



 少しばかり緊張しながら後ろから声をかけると、間切さんはくるりと振り返るがーー



「あ……おはようございます、先輩っ!」



 ーー思わず息を飲んだ。


 魔法少女スタイルのデフォルトの化粧が薄めなのに対して、今の間切さんは輝いて見えた。


 いや、実際に輝いているのだろう。


 首にはハート形のペンダントが下げられ、耳には小さな真珠のイヤリングが彼女の動きにつられてゆらゆらと揺れていた。さらに、特別なメイクなのか、その肌は太陽光に晒されてキラキラと光っているのがわかる。


 遥、本当にありがとう……。もしもユニクロスタイルで今の間切さんと一緒に歩いていたら、彼女に恥をかかせてしまいかねなかった。


 僕はおしゃれとかは慣れていない。こういうスリムなジーンズとひらひらとしたTシャツ、それに髪ワックスは人生初である。だから変じゃないかと不安だったのだけれど、



「先輩……かっこいい……」



 特に問題はないらしかった。むしろ、僕が間切さんに惚けている間、彼女も僕をみて目を見開いていた……血走っていたように見えて、怖いくらいだ。


 でもそのおかげで、僕も少しだけ冷静になることができた。周りに冷静ではない人間がいると、自分はむしろ冷静になれるとかいうあれだろうか。



「……ありがとう。間切さんもとてもよく似合ってるよ」



 社交辞令に聞こえるかもしれないけれど、本心である。お世辞なんて器用なことはできないし。



「えへへ……ありがとうございますっ。この日のために人生で初めて、美容室にも行きましたからっ!」



「そ、そうなんだ……」


 言われてみれば、間切さんの天パはいつもよりウェーブが整っている。


 ……わざわざ今日のためにと言われると悪い気はしない……むしろ、嬉し恥ずかしく感じてしまう。


 やっぱり、他人からの好意を受けるのは慣れないものだ。

 


「まあ、このままここにいても暑いし、そろそろ行こうか」



「はいっ!」



 照れ隠しをするように、僕は踵を返してスイーツ店に向かおうとする。


 ……が、次の瞬間、いつもの柑橘系のものとは違う、甘い香りが僕の鼻腔を通り抜け、僕の足は止まった。



「っ……!? ぅえっ!?」



 突然のことに、思わず変な声を上げてしまった。


 間切さんが僕の右隣に移動し、さらには僕の手を握ってきたのだ。


 女の子と手を繋ぐのは、小学生の頃に踊ったフォークダンス以来なのだから、驚きもする。


 ……ただ、驚愕と同時、申し訳ない気持ちにさせられていた。夏ということもあって、僕の掌は汗でべちゃべちゃなのだ……嫌に思われていないだろうか。



「? どうしました?」



 僕の心配に反して、彼女はそんな僕の顔を覗き込むように横から見上げてくるが、その表情からは不快そうな感情は読み取れず、むしろ心配そうにしているらしい。



「いや、その、気持ち悪くない?」



「……何がですか?」



「いや、ほら、僕、汗掻いちゃってるから」



 繋がれた手を示すように軽く挙げると、間切さんはしばらくぽかんとしながら僕の顔と繋がれた手を交互に見て、「ぷっ」と小さく笑う。



「ちょっと、笑うことないでしょ」



「あははっ! ……いえ、すみません、先輩を笑ったわけじゃないんです」



「?」



 僕が抗議をしても、クスクスと笑い続ける彼女を怪訝に見ていると、少しして、紅ピンクに映る彼女の唇がゆっくりと開かれた。



「だって、私も先輩とのデートで緊張して、手汗でベタベタしてないか、嫌われないかなって心配だったんですよ」



 「一緒ですね」なんて言いながら、間切さんは笑いかけてくる。胸焼けしそうなくらいに甘い甘い甘言(かんげん)に、思わず自分の顔が熱くなって行くのがわかった。



 でも、一緒ではない。僕は緊張じゃなく、ただ暑くて手汗をかいているだけなのだから。


 ……多分。




◆ ◆ ◆




 スイーツ店「メルヘン」は、1つ隣の駅から5分ほど歩いた場所にある。


 綺麗な外装とメルヘンチックな様相が見事にマッチしていて、造形であろう幾多ものケーキやクレープ、はたまたどら焼きなど、様々なスイーツ商品がガラス越しに見せびらかすように並べられていた。



「わあ、美味しそうですね……!」



「本当にね……」



 僕は甘いものが特別好きというわけではない。けれど、ここに並べられているスイーツの数々を見ていると、思わずごくりと唾を飲んでしまいそうになる。


 たしかに、主目的は間切未来という魔法少女について知ることだけれど、食べることも楽しんだっていいはずだ。


 自分にそう言い訳するようにしながら、僕はどれを食べようかと、胸を高鳴らせる。



「とりあえず中に入ってみましょうよ」



「そうだね」



 中に入ってみれば、日曜日ということもあってなかなかに人で賑わっている。新店のはずだけれど、なかなかに繁盛しているようだ。


 とはいえ、店内はそこそこ広く、僕達二人が食べるスペースは十二分にありそうだった。



「いらっしゃいませー。2名様ですか? 奥のお席までご案内しますねー」



 制服姿ーー恐らくはこの店のものだろうーーのスタッフに促されて、僕達は奥の二人用のテーブル席へつく。


 この席は側面がガラス張りになっているようで、外から中が見えるようになっているのがなんとも恥ずかしい。



「お店の前にあったのより、いっぱい種類がありそうですね……」



 早速にタブレット式のメニューを開いてサッサと といじり始めた間切さんは、ほえーといいながら楽しそうに眺めている。


 僕もつられてもう1つのメニュー機を見てみれば、たしかにかなりの種類のスイーツがあるようだった。ティラミスやタルトといったメジャーなものはもちろん、和菓子、中国の月餅など、国や地域にとらわれないバリエーションだ。


 ただ、やはりというべきか個数には限りがあるようで、《売切》の文字がちらほらと見受けられた。



「うーん、迷いますねっ! いっそのこと全部食べてしまいたいです……!」



「あはは……例えば、間切さんはどんなお菓子が好きなの?」



「それはもちろん、チーズケーキですね!」



「チーズケーキ?」



「はい。昔、姉がよく焼いてくれたんですよ。今ではもう全然焼かなくなってしまったんですけど、あの味は今でも忘れられませんねっ」



 懐かしんでいるのか、間切さんは楽しそうに話す。今頃、そのチーズケーキの味でも思い出しているのだろう。



「お姉さんのこと、好きなんだ?」



「ええ、本当に……あ、先輩に対する好きとは、別ベクトルですからね?」



「アッハイ……」



 疑問にすら思っていないし、聞いてすらない。というか、身内にそんな感情を持つ方がおかしいだろう。


 僕だって遥を可愛いと思っているけれど、それは客観的事実である。遥は可愛いのだ。異論は認めない。


 今の話をしたからか、間切さんは「チーズケーキ、久々にだべてみようかな」なんて言いながら、ぽちぽちと操作し始めた。対して、僕は少し値段ははるけれど、いちごタルトと紅茶のアールグレイなるものを選ぶことにした。



「……あのさ、ずっと気になっていたんだけれど」



 注文が完了すると同時。切り出すならここかと、ここにきた主目的である彼女のことを知るべく口を開く。



「?」



「間切さんって小学2年生の頃に魔法少女になったんだよね?」



「はい、そうですよ?」



「なにかきっかけみたいなことはあったの?」



「…………ええ、まあ、ありましたよ」



 間切さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、そう答えた。



「…………」



 何か嫌なことでも思い出させてしまっただろうか。無意識に無遠慮な質問をしたかと少しばかり後悔するが、残念ながら、過去をやり直すことなどできはしない。



「魔法少女って、継承制なんです」



 ぽつりと小さくつぶやいた。そこにいつものような明るさはなく、ただただ暗い表情を浮かべる間切さんだ。



「継承? だれかから受け継ぐってこと?」



「はい。魔法少女が活動不能になった場合……つまりは大怪我や死亡した場合、その魔力は次の魔法少女へと移るんです。誰から誰に移るかはわかりません。ただ、魔力を感知することができるようになります……最初、先輩に魔石を渡そうとしましたよね?」



「うん、あの紫の宝石のことだよね」



「あれは、次の魔法少女になった人が受け取りに来るまで、先輩に預けようとしたんです。魔力の塊みたいなものなので、探知さえできればすぐに見つけられますから」



「そうだったのか……」



 あの石のことは今でもよく覚えている。不思議な魅力のある宝石だった。


 使用用途はわからない。けれど、彼女のいう魔力とは、要するに魔法少女の力の源だろう。


 思い出されるのは、いとも簡単にスプラッタを生み出す間切さんの姿である。


 あの力を生み出すのが魔力だとしたならば、あの宝石の価値は、なんとなく理解できる。いわば、火薬のようなものなのだ。大量のエネルギーであり、それが形として閉じ込められているのだから。


 間切さんのいう通りであれば、あの時、あの場で彼女がなくなっていた場合、どこかにいる人が魔法少女になり、その魔石を探知して取りに来ていたらしい。しかも、魔法少女になった人間は怪物に襲われ続けるという。


 魔法少女とは、呪われた力でしかないーーしかしそうなれば、疑問が残る。



「……あれ、間切さんはどうして魔法少女が継承制だと知ったの?」



 そう、おかしいのだ。


 間切さんが縁もゆかりもない、どこかにいる先代の魔法少女から力を受け継いだとしたら、《受け継いだ》という事実をどのようにして知ったのか。


 考えられる可能性はいくつかあるけれど……



「っ…………」



 ぽたり、と。


 テーブルの上に、雫が落ちた。



「えっ!? ちょ、間切さん、大丈夫!?」



 間切さんの頬に、つうっと涙が伝っていたのである。あまりにも自然と、静かに流れていたものだから、汗のように見えたが、それは確かに涙に違いなかった。



「え、あ、す、すみません、私、泣くつもりなんて……っ」



 思わずといった様子だった。

 思わず、涙が出てしまったと。



「……ごめん、何か嫌なこと聞いちゃったかn」



 対して、状況を正しく理解した僕は、反射的に間切さんに謝ろうと口を開いた……その時のことである。


 ゴキリという鈍い音と共に僕の頬に衝撃が走り、視界がぐるりと回った。


 一瞬何が起きたのか理解できずに痛む頬を抑えながら僕が座っていた方を見る。


 するとそこにあったのは、拳を振りかぶった後らしきいかにもチャラ男といった者の姿である。ここで初めて、僕は殴られたのだと理解だろうか。


 しかも男は怒りの形相を浮かべて僕を睨んでいるらしく、そのまま僕にぶつけるように叫ぶのだ。



「俺の幼馴染を泣かせてんじゃぁねぇよ!!!!」



 誰だよ。

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