第7話
―― 間切さんのお手伝いという名のボランティアを始てから、そして東海と図書室で話してから、一週間ほど経った。夏休みも今日から始まった。
「先輩、先輩っ!」
「うん?」
「ここ、ちょっと怪我しちゃったので治してください!」
魔法少女スタイルの間切さんが、ぐいっと白い腕を差し出してくる。よく見れば、返り血に混じって、切り傷ができてしまっていた。
戦闘中は彼女の動きが速すぎて、僕視点、怪我をしたことに気づかないこともよくある。
少し申し訳なく感じるところだ。
「ああ、気づかなかった……《治療(ヒール)》。はい、これでいいかな」
いつものように、公園の林の中。どこにでもいる夏の名物、ケラの鳴き声がけたたましく鳴り響いているのが鬱陶しい。
怪物出現のインターバルの間、間切さんとはよく雑談をするようになった。とはいえ、宿題が面倒だとか、あの先生の授業はわかりやすいだとか、そんなありきたりなものばかりだけれど。
「ありがとうございます! 相変わらず一瞬なんですねっ!」
「今度から間切さんが戦っている間も、定期的にかけておいた方がいいかな」
「そうですね、ご負担にならないならお願いたいです」
「大丈夫だよ。これ、体力的なもの、何も使わないみたいだから」
「す、凄まじいですね……」
「ほえー」といいながら、僕の腕をジロジロと多方から観察し始める間切さん。
いや、遠くにいる人とかに使う場合はなんとなく使いやすいので腕をかざすけれど、腕から超能力が発動するわけじゃないので、観察しても仕方ないよ。
まあ、別に指摘することもないだろうと、そのままにさせておく。
「……あ、そうだ、先輩」
しばらく僕の腕をにぎにぎといじっていた間切さんは、ふと思い出したようにゆっくりと顔を上げた。
「なに?」
身長的に僕の方が高いせいで、見下ろす形になるが、逆に言えば、相手からは下目線ということだ。なにが言いたいかというと、意識的なのか、無意識なのか、とてもあざとい。
彼女はモジモジと手を擦り合わせて、恥ずかしそうに上向いてくる。相変わらず柑橘系の香水でも使っているのか、いい香りが漂ってきて、くらりとしてしまいそうだ。
「次の日曜日、近くでスイーツ店がオープンするみたいなんです……それであの……一緒に行きませんか?」
「…………」
このような細かいことさえも断れないのが僕の特異体質のクソたる所以である。
別にスイーツ店に行きたくないとかそういう話ではなく、こうした小さなお誘いさえも断れない。ただ、予定が被っていたりするのであれば、「その日は予定があるのでー」なんて言って嘘をつかない範囲で断ることはできるのが救いだろうか。
とはいえ、今回の場合はむしろ歓迎である。
別に、可愛い女の子とのデートが嬉しいというわけではない。嬉しい気持ちがないと言えば嘘になるが、主目的は違う。
今現在、僕は間切さんと会う機会が夕方の怪物退治のお手伝いの時間しかない。これではろくに情報収集もできやしない。
間切さんの
今のところ、雑談程度では彼女の成績が中の下だとか、運動は得意だとか、帰宅部だとか、割とどうでもいいことしかわかっていない。
この機会に、一歩踏み込む必要もあるだろう。
「うん、その日は予定もないし、行こうか。スイーツというのも気になるし」
「わーい! 絶対ですからね!」
とても嬉しそうに、声を弾ませながら僕の手を握りブンブンと振り回す。どことなく子供を相手にしているようで、なんだか微笑ましい気分にされる。
「わかってるよ。それより、そろそろ怪物が出る時間帯って終わるんじゃないの?」
時計を見れば、19時を過ぎている。夏とはいえ陽も落ちてかなり暗くなってきていた。多分あと2.3分もすれば、あたりを照らすのは月明かりのみとなるだろう。
「あ、本当ですね……気づきませんでした」
「これ以上遅くなると親も心配するし、僕はそろそろ帰るよ」
「あ……はい、そうですよね。あの、私は何のためにもうちょっとここにいます」
「いつもの? 気をつけてね」
間切さんは、いつも念のためといって、少しだけここに残る。怪物の後片付けは結界パワー的なアレで自然消滅するるしいので掃除をしているわけではないだろう。実際に結界が帰ると同時に死体が消えたのは僕も何回か確認している。
心配性なのだろうか。
僕は立ち上がり、「また明日」といってその場を後にする。
少し残念そうにしている彼女の姿が後ろ目に映ったのが、印象に残っていた。
◆ ◆ ◆
同日、夜22時ごろ。特にやることもなく自室のベッドに寝転がりながら音ゲーをぽちぽちしていると、扉をコンコンと叩く音が聞こえてきた。
「はいっていいよー」
音ゲーをやっていて目が離せず、せめてもと思い、体を起こしてそう答える。
「邪魔するよ、兄貴」
入ってきたのは遥だった。
半袖ハーパンと、夏の寝巻きスタイルだ。風呂上がりなのか、体が火照っているように見える。さらにはシャツの隙間から垣間見える白い鎖骨、細くムダ毛のないスラリとした太ももが、非常にエロティック。
だが男で、弟だ。
「どうしたの、こんな時間に」
「いや、その……ちょっと聞きたいことがあってさ」
遥は勉強机の椅子に座ると、体を左右に揺すりながら「えーと」とか、「うーと……」とか、何か言おうとしてはやめるということを繰り返し始めた。
かわいい。けど何を言おうとしているのだろう。
僕と遥の仲は、悪くはない。むしろいい方だと思う。少なくとも、朝に僕を起こしにきてくれる程度には、遥の僕に対する好感度は悪くないはずである。
その遥が言いにくそうにしているという内容。とても気になる。
もどかしい空気が場を支配していたが、数分して、遥が意を決したように、喉をならし始める。
「兄貴、最近学校で仲のいい女の子いるって聞いたんだけど」
「…………」
なぜか僕の話になった上、遥が頬を赤く染めている。
何が言いたいのだろう。
「兄貴、俺、こういう恋愛系の話って苦手なんだ……早く答えてくれよ」
「え、あ、うん。多分、間切さんのことかな? なんで知ってるの?」
仲のいい、というか、学校で僕と接点のある人間なんて、東海と担任であるコスプレ先生を除けば、間切さんだけだ。
それより、こういう話ダメって……だからもじもじしていたのかな。
「兄貴の高校に進学した中学の頃の友達に聞いたんだ」
「へえ、そうなんだ」
遥は僕と違って友達が多い。この子はどことなく人懐っこい雰囲気もあるし、納得といえば納得である。
中学の頃の友達とまだ付き合いがあるとは思わなかったけど。
「それで、その……その間切さん? って女の子は、兄貴の彼女なのか!?」
「……え、なんで?」
なぜ遥がそのようなことを聞くのか、という疑問と、なぜ僕と間切さんが恋人だという話になったのかという疑問……というより、困惑に近い。
「実はその友達が、その間切さんって人が好きみたいでさ」
「あー……」
その疑問は、一瞬で晴れた。
遥の友達が好きな人、つまりは間切さんが昼休みに僕の教室に通っていたことを知り、さらには彼女と弁当を食べている僕が遥の兄だった、それで遥に話が伝わってきたと。
遥も大変だなぁ……なんて、他人事のように思ってしまうのは、僕が間切さんと付き合っているなんて事実はないからだろう。
「僕と間切さんは付き合ってないよ」
「そうなのか?」
とはいえ、気まずいってもんじゃない。間切さんの告白を受けた身としては、なんとも複雑な気分である。独占欲……ではないと思うけれど、どことなく申し訳ない気持ちだろうか。
でも、僕自身のことについてなら、特に遥相手なら話してもいいだろう。
「最近、間切さんに僕の超能力についてバレたんだよ。それで間切さんとちょっと話す機会があっただけ……あ、これ、その友達にはいわないでね」
僕の超能力については、家族に知られている。というよりも、僕自身が超能力は異常な力だと認識したのは、両親から教えられたからだ。その関係で、遥も僕の治癒のチカラについてはある程度理解していたりする。
「マジ?」
「マジマジ。最近、夕方頃僕が家にいなかったのは、そのことで間切さんに色々と付き合わされてる感じかな」
「へー……でもなんでバレたんだ?」
「間切さんが怪我してたのをこっそり治したら気づかれた」
「ドジ」
「うっさい。ついやっちゃったんだよ」
間切さんの秘密は伏せたまま、事実のみを答える。ついやってしまったとは言ったけれど、後悔はしていない。やらなければ死んでいたらしかったから。
「うーん、でもまあ、そういう事なら、友達にはそう言っておくよ。本当に付き合ってたりとか、そういうのはないんだよね?」
「何度もそう言って……『〜〜♪』っと、ごめん」
途中、ベッドの上に置いておいた僕のスマホからライン通話の通知音が鳴り響いたので、遥かに謝って画面を見る。
噂をすれば、間切さんからだった。ラインの文面でのやり取りはよくやっていたけれど、通話が来るのは初めてのことだった。
僕は遥がジェスチャーで「どうぞ」としているのを確認してから、遥に背中を向けて電話に出る。
「もしもし」
『あ、先輩!』
第一声。間切さんの声が、いつもの1.2倍くらい元気がある気がする。機嫌がいいのだろうか。
通話ごしに聞こえるケラ(虫)鳴き声がうるさいなぁなんて考えながら、僕は口を開く。
「どうしたの、こんな夜中に」
スマホでの間切さんとの連絡や雑談は、今のところラインチャットでしかやったことがなかった。それなのにわざわざ電話だなんて、何か怪物関係の急用だろうかと気を引き締めたのだが、
「ぇへへ……日曜日のことを考えたら興奮しちゃって、先輩の声が聴きたくなっちゃったんです!」
「…………」
杞憂だった。
警戒していた分、その落差と奇襲に羞恥を覚える。ストレートに好意を伝えられるのには、どうやっても慣れそうにもない。
顔も少しだけ赤くなってそうだ。
「ええと、本当にそれだけ?」
『ええ、まあ……でもせっかくですし、日曜日のことでも話しておきませんか?」
「あー、それもそうだね。集合は駅前の龍の像前で、時間は9時とかでいいかな?」
『はい、それでお願いします! 先輩とのデートなんて、夢みたいです……! 日曜日の朝まで眠れる気がしませんっ』
「ちゃんと寝てね。僕ももう寝るから、今日のところはおやすみ」
『はい、ではまた明日! おやすみなさいっ!』
と、数秒ほどして「ツーツー」と通話が切れた音が聞こえてくる。まだ顔が赤くなっていないだろうか。
「兄貴……」
「うん?」
あれ、後ろから声をかけてくる遥の声が、近くなっているような気がする。
なんとなく嫌な予感を感じながら、ゆっくりと振り返ると、遥は勉強机の前からベッドの横まで移動していたらしく、僕を見下ろす形になっていた。
そのせいか、いつも可愛らしい遥の顔が少し怖い。
「えーと、どうしたの?」
「今の通話の人、間切未来って人からに見えたんだけど。それに、デートって聞こえたんだけど……」
「うん、それが?」
「完全に付き合ってるやつじゃん、それ!」
「付き合ってはないってば」
遥の問答を適当に返しながら、僕は先ほどの間切さんとの通話のことを思い出していた。
通話の最中、ずっと何かが胸をつっかえているような感覚があった。何か大事なことを見落としているような、そんな違和感だ。
何もわからずに悶々としたまま、時間だけが過ぎていった。
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