第5話
今現在、僕達は数多の怪物と対峙している。明らかにこちらに敵意と殺意をもった様子だ。ナニコレ、普通にSAN値下がるんだけど。
「出ましたね。まあ、最初のダンジョンに出てくるようなクソ雑魚で助かりますよ」
などと言いながら、魔法の杖的なものを構える間切未来。こんな奴らを相手に雑魚だなんて、頭がおかしいんじゃないのか。
だって、どう見ても熊より強そうなのがいるし、あの短剣をもったやつ、あれは所謂ゴブリンと呼ばれるやつではないだろうか。肌は緑ではなく黄色だけど。
こんな奴らを雑魚と見下す彼女は、普段は一体どんなやつを相手にしているのだろう。
とても気になる。
「事前に言った通り、先輩は下がっててください。大丈夫、指一本触れさせませんから!」
「あ、はい」
来る前は怪物のことはそこまで考えていなかった。けれど、こうして対面してみるとその恐ろしさが肌から脳へ、ひしひしと伝わってくる。
膝とか、軽く笑ってる。ガタガタだ。
僕は間切未来の言う通り、一歩下がる。正直、本当に怖い。怖いけれど、1歳年下の女の子が気張ってあるのに、男である僕が後ろに下がってのうのうと見学というのは、とても気がひける。
せめて、いざという時の肉壁にくらいはなれるか。そう考えて、いつでも彼女を庇える位置をキープしておく。
……つもりだった。
「え?」
僕が下がった分、前に出ようとしたその瞬間、間切未来の体が一瞬光ったと思えば、その場から姿を消した。
文字通り、一瞬で姿が消えたのだ。
落とし穴にでも落ちたのか、そんな考えが脳裏をよぎるけれど、落とし穴なんてなかった。
これは一体どういうことだろうか。
僕が辺りを見渡そうと首を上げると同時、先ほどまで怪物がいたあたりから轟音が鳴り響く。それはまるで鉄球を床に叩きつけたような、不快な音だった。
反射的にそちらは視線を移した僕の眼がとらえたのは、頭のおかしい光景である。
間切未来が拳を振り上げ、6本足のカバは宙に浮いていた。
カバもどきは3メートルくらい上空で仰け反っている……いや、状況からいって、殴り飛ばされているというのが正しいか。
ナニコレ。
「せいやぁあああ!!!!」
間切未来が叫ぶ。舌とか噛まないのかな、なんてどうでもいいことを考えてしまうほどに、それは非現実的だ。
だって、コスプレした女子高生がおそらく数百キロ以上はあるであろう怪物を素手でちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
背後を取られれば肘を背中越しに振り回し、ゴブリンもどきに飛びかかられれば半身で躱して腹に膝を入れている。
巨体に襲われれば、人間離れしたノックバックをお披露目しながらバク転ついでに蹴りをお見舞いだ。
その度に骨が折れたであろう鈍い音、吐血、ぶちぶちと肉が強引に引きちぎられる効果音が静かな林に響く。完全ホラーである。
なんとなく、魔法的なアレでバーっとやるのかな、なんて思っていた。甘かった。
まさかの接近戦。
まさかの、肉弾戦。
まさかの恐怖光景。
「……僕、来た意味ある?」
思わずそう呟いてしまうほどに圧倒的だった。
素人目に見てもわかるほどに、間切未来は余裕の表情で怪物と戦っているのである。
雑魚と言っていたのも頷ける。これは、彼女にとっては確かに雑魚なのだ。
ーーそこでふと思い出されるのは、昨日、木にもたれかかっていた間切未来の姿。
この圧倒的な力をもつ間切未来を追い詰めた化け物が存在していたのか。想像できないけれど、しかし事実、昨日、彼女は死にかけるほどの怪我を負っていたらしい。
そういえば、魔王幹部とかなんとか言っていた。
雑魚がこれなら、魔王幹部とやらはどんなやつなんだろう。名前からして、ボス的なアレなのはわかる。初登場時のベジータくらいには強いのだろうか。
正直、もう帰りたくなってきた。
「ふー。とりあえずこんなもんですかね。次はー……経験上、10分後かな?」
瞬く間に怪物を一掃した間切未来が、パンパンと手を叩く。ここまで、およそ3分ほど。何か感慨でも覚えているのかと思えば、彼女はカップ麺を茹でるかのような気軽さを持っている。
その足元には、死屍累々。
ピクリとも動かなくなった怪物は、体のあらゆるところから赤い血を垂れ流している。カバもどきも虎もどきも例外なく、よくみれば、首と胴体がありえないほどの力で引きちぎられているのも見て取れた。
まさにスプラッタ。自分で血の気が引いているのがわかる。
周囲は当然、地面は血で赤黒く変色。木々にはとろりと粘性のある赤い液体がツーっと流れているし、青く茂っていた草葉からもポタポタと垂れている。
「うっ……」
思わず、僕は膝をつきながら、胃の中のものを地面へと還す。数え切れないくらい味わっている感覚だけれど、口から吐き戻すこの感覚は、何度やってもならない不快感がある。
気分は最悪。映画を見ているような非現実感は、しかし感覚という感覚が現実であると明確にしてしまっている。
「先輩? どうしました?」
「……大丈夫、大丈夫だから」
たったと駆け寄ってきたらしい間切未来が、しゃがみこんで僕の様子を伺ってくる。それは嬉しいのだけれど、君の体、血だらけだから、できれば今は近寄らないで欲しかった。
めちゃくちゃ血の匂いが漂ってくる。
「何か悪いものでも食べました? それとも夏風邪?」
「そんなんじゃないよ、ちょっと気分が悪くなっただけ。もう、大丈夫」
本当は大丈夫じゃないけれど。まだ少しだけクラクラする体を叱咤し、のろりと立ち上がった。またいつ怪物がやってくるかわからない状況で、座ってなんていられなかった。
間切未来も追随するように立ち上がり、心配そうに見上げてくる。
「本当に大丈夫ですか? もし気分が優れないようなら、今日はここまでにしておきますけど……」
「大丈夫、約束は守るよ。それより、警戒しなくていいの?」
僕が頼まれている時間まではまだまだあるし、今すぐに帰るわけにはいかない。もし今帰れば、約束反故で明日にはアレルギーが発症するだろうから。
本当に、忌々しい体質である。
「え、あ、えーっと。敵が湧いて出てきそうなら、気配でわかるので。今は大丈夫ですよ……あの、少しあちらで休みませんか? やっぱり心配です」
彼女はブランコの方を指差しながら提案してくる。あちらの方であれば怪物の血も比較的飛び散っていないし、確かにいいかもしれない。
「そっか……うん、そういうことなら、少し休ませてもらおうかな」
「はい」
ブランコの方へ移動した僕たちは、それぞれ隣のブランコ椅子へと腰掛ける。
そのまま頭を垂らしながら、気分が落ち着くのを待つことしばし。僕たち二人の沈黙を先に破ったのは、間切未来である。
「……先輩、私がいうのもなんですけれど、どうして引き受けてくれたんですか?」
「引き受けちゃ悪い?」
僕は正面を見ながら答える。だって、彼女はまだ血まみれだし、あっちの方ってスプラッタ劇場が開催されているから、向きたくないのだ。
「いえ、そんなことは! 本当に嬉しく思ってます! でも、普通に考えて、かなり無茶なお願いだったと思うんです」
「まあそれはそうだね……そうだね、なんでだろう」
僕は考えたふりをするように、顎に手を当てる。さて、どう応えよう。
正直に言えば、アレルギーのせいである。だが、それは正直にいうことはできない。言えば、僕はイエスマンの奴隷になるからだ。
それから8秒ほど考えて、僕は嘘はつかないけれど、本当のことは言わないことにした。
「うん、やっぱりわからないや。強いて言うなら、多分、心配だったからかな」
「……心配?」
「僕は確認する前に直してしまったけれど、君、昨日は大怪我してたんでしょ? なら、心配するのは人として当たり前だと思うけど」
「そう、ですか……えっと、今でも心配してくれてます?」
間切未来の伺うような声音。今朝知り合ったばかりではあるけれど、彼女の性格はなんとなくわかってきた。明るく、元気な人間なのは確かだ。
そんな彼女が、弱気に聞いてきている。少しだけ疑問に思ったが、考えてもしようのないことか。性格がわかってきたとは言え、たった1日の付き合いである僕に、彼女が何を考えているなんて分かりっこないのだから。
「そりゃあ、心配しているよ。さっき間切さんは雑魚だなんて言っていたけれど、間切さんに大怪我をおわせるような奴がまた現れるかもしれないんでしょ。まあ、僕なんか役に立たないだろうけど」
「そんなことはないです! 先輩はすごいです! 昨日、助けてもらえてどれだけ嬉しかったか……!」
「うん、昨日はたまたま通りかかれてよかったよ」
林の中にいる間切に気づかなければ、僕は彼女のことを認知すらしなかった。そのせいでこうしてこの場にいるわけだけれど、まあ、それは仕方ない。
命には変えられない。
「……そのたまたまのおかげで、私はこうして生きています」
小さく呟いた彼女の声は、何かを強く噛みしめるようだった。生きていることに対する実感なのか、偶然に対する感動なのか。正面を向いていて、その表情までは見えていない僕には、その心の内を察することはできない。
だから、彼女の様子がおかしいことに気がつくが、遅れてしまった。
「先輩、お昼休みに言いましたよね。私、先輩を愛しています。嘘じゃないんです。本当に愛しているんです。先輩に助けられた命です。先輩がここで死ねと言えば死にます。脱げというなら脱ぎます。股を開けというのであれば、この場で今すぐにでも開きましょう。でも、安心してください。私、先輩を縛ろうなんて考えてません。先輩がどこの誰と付き合おうが、結婚しようが、私はなにもいいません。ただ、私を嫌わないでください。無関心にならないでください。私といつまでも関係を、繋がりを持っていてください。お願いします。お願いします。お願いします、先輩ーー」
ーー私のことも、愛してください。
間切未来は、どろりとした粘着的な愛を語る。
教室で言っていたあれは冗談でも嘘でもない、紛れも無い本心だと分かるに足る告白。どこまでも異常で、どこまでも真摯な愛を向けてくる彼女は、今どんな表情をしているのだろう。
僕は背中に嫌な汗をかきながら、ゆっくりと隣のブランコに座る彼女を見やる。
真っ直ぐ僕に向けられたその瞳は、暗く、黒く、濁っていた。
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