第2話

 カーテンがその役目を放棄して、隙間から日の光を僕の顔に照射する。


 小鳥の囀り、元気な小学生の「おはようございます」という挨拶の声。


「兄貴ー、朝だぞー」


 そして、ベッドに横たわる僕の体を揺する、弟の高い声。


「……おはよう、遥」


 ゆっくりと覚醒する脳を感じながら、目を開ける。そこには可愛い弟の遥が僕を見下ろしてる光景が真っ先にうつる。


「おはよう、兄貴。朝ごはんできてるよ」


「うん、すぐ行く」


 僕は「早く来いよー」と言いながら部屋を出る弟を、未だぼんやりとした意識のまま見送った。


 弟は可愛い。家族からみて可愛いとか、そういう話ではなく、子供として可愛いとか、そういうわけでもない。というか、遥はもう高校一年生だ。


 遥は女の子見たいに可愛いのである。


 いわゆる男の娘というやつだろう。くるりとした丸い目、長い睫毛、すらりとした細い体。可愛いを詰め込んだような存在だ。


 だが男だ。


 男子の制服を着ていてもぶかぶかで、男子から制服を借りて応援団で声を張り上げる女の子のよう。知らない人が見れば、そして男の格好をしなければ(状況によってはそれでも勘違いされるが)、女の子と間違われてしまうのは必至。


 だが男だ。


 遥はいい弟だ。毎朝起こしに来てくれるし、頭もいい。運動はダメみたいだけれど。


 別に遥が悪いとかそういう話ではない。ないのだけれど、遥が妹だったら……とは思う。


 遥はそこらへんの女の子よりも全然可愛い。だからこそ不憫なのだ。


 だって、当たり前だけれど、本人は女の子にモテたがってる……なのに、なぜか男から言い寄られることさえあるという。悲しいなぁ。


 朝の働いていない頭でそんなことを考えながら、着替えを済ませて1階に降りる。


「おはよう。寝癖、立ってるわよ」


 リビングに行くと、母さんが弁当を作ってくれていた。


「おはよう……いただきます」


「召し上がれ」


 僕は軽く挨拶をしながら、机に並べられている朝食の前に座り、黙々と食べ始める。


「兄貴、朝からほんとよく食うよな」


 僕よりも少しだけ早く食べ始めていた遥が、俺の食事風景を見ながらそんなことを言ってくる。


 遥は体の線が細いせいか、かなり少食だ。特に朝は少ない。母さんが出かけたりしていないときは、りんごとバナナで済ませていることもあるくらいである。


 まあ、食べるだけましかもしれないけれど。


「お前は食べなさすぎだ。そんなんじゃ、いつまでたっても男にモテるぞ」


「ほっとけ! 無理やりたべても、運動しても、肉つかないんだよ!」


「……それ、クラスの女子の前で言うなよ」


「? なんでだ?」


「いいから……言うなよ」


「お、おう……」


 顔とか体つきとか、そう言うのじゃなくて、こういう鈍感なところが発揮される際で女の子にモテないんじゃないだろうか。


 可愛い弟となんてことのない会話を楽しみながら朝食を食べ終えた僕は、一足先に家を出る。遥とは通っている学校が違うし、反対方向なので家を出るときも特に一緒に出たりはしない。


 いつもの朝、いつもの風景。なんら変わらない日常の始まりだ。そう思っていた時期が僕にもありました。


「おはようございます、先輩」


「君は……」


 登校中、僕の横に並んでハスキーボイスで声をかけてきたのは、同じ学校の制服ーー半袖のシャツとスカートだけーーを着た女の子である。


 それはわかるのだけれど、あいにく、帰宅部の僕に先輩と呼ばせる間柄の知り合いはいない。いないのだけれど、見覚えがある。具体的には、昨日の夕方、公園で見た気がする。


 それでも、僕は一縷の望みにかけて人違いだろうと考え、訝しげにしていると、それが伝わったのか、女の子はメガネをあげ、ボサボサの髪を手ぐしで軽く梳きながら、僕の顔を見上げてくる。化粧への興味のなさがひしひしと伝わってくる。


「人違いじゃないです。あの、一言お礼を言いたくて……」


「はぁ……お礼……というか、学校同じだったんだ。」


「私もびっくりしました……あ、1年の間切未来(まきりみら)っていいます。昨日は本当にありがとうございました。私、本当に死んじゃうかと……」


 間切未来と名乗った元魔法少女は、目を軽く潤ませながら、僕の右手を柔らかな両手で強く握ってくる。


 だが、夏休み前だけあって、朝とはいえとても暑いので、僕はささっと手を振って離させた。


 間切未来は「あっ」と小さく声を上げて、ちょっと不服そうにしていた。


「はあ……ご丁寧にどうも。僕は直沢です……っていっても別に大したことはしてないけど」


「いえ、あのまま貴方が助けてくれなければ、私はきっと死んでいました。なので、その、何かお礼をさせてほしいなって……」


「いや、そういうのいいんで」


 やったことなんて、ほんのちょっと超能力を使ったくらい。お礼と言われても、困ってしまう。感覚的には、妊婦さんとかに電車の席(しかも優先席)を譲ったことを過剰に感謝される感じだろうか。


 居心地がわるいったらありゃしない。


「……否定しないんですね。貴方が私を助けたってこと」


「ん?」


「貴方が私の瀕死の重傷を、なんらかの手段を用いて治したことを否定しないんですねって言っているんですよ」


 おしとやかそうにしていた元魔法少女、間切未来の雰囲気が一変する。

 その表情はドヤ顔と警戒を6:4でブレンドしたかのよう。


「なんとか言ってくださいよ。救急車も警察も呼ばずに……「それは君が呼ぶなっていったよね」……私を助けたという意識はある。不思議ですよね」


「はあ、まあ怪我がいつの間にか治っていたって話なら、多分僕がやったんだろうけど」


「ふん、そうやってしらばっくれようとしても無駄ですよ! 瀕死の重傷がきれいさっぱり消えていた! 貴方に話しかけられるまで、私は確かに死にかけていたんです! 貴方が何かしたのは明白……………………ん?」


「うん、多分僕が治したよ」


「え、ちょ、え? あの、そこは必死に誤魔化そうとか、そういう反応をするところなんじゃ……」


 彼女は鳩が豆鉄砲を食らったように、あるいは鬼がきびだんごを渡されたように、キョトンとした顔を向けてくる。


 表情筋が過労死してしまうんじゃないかというくらいの百面相ぶりである。


「だって隠してないし。わざわざ言わないだけで……それに、僕が超能力者だって君が叫んだところで誰も信じないでしょ」


「いや、でも……えぇ…… 」


 とても納得いかなそうだった。変なことは言っていないつもりなんだけど。


「それより、もういいかな」


「え?」


「いや、とりあえず、君から離れたいなと」


「え……私、臭いです……?」


 言葉は自分の非を申し訳なさそうにしているように聞こえるけれど、その実、僕を蔑んだ目で見てくる。

 まるで女の子になんてことを言うんだ、と、顔に貼り付けているようだ。


 僕は臭いともなんとも言ってないんだけれど、妄想が豊かな人なのかもしれない。


「いや、そうじゃなくて。君、なんか変な人だから関わりたくないなぁと」


「へ、変な人……」


 あ、ちょっとショック受けてる顔になった。


「だって、君曰く、あんなカッコで大怪我してたんでしょ? 関わるとなんかめんどくさそうだし」


「で、でも、私が何者なのかとか、気にならないんですか?」


「気になるけど、僕も似たようなものだし、そんなもんかなぁってくらいかな。わざわざ首を突っ込んでまで知りたいってほどでもない」


「保守的なんですね……」


「まあ、そんなところ」


 そんなことを話しているうちに、学校まであと半分といったところに差し掛かる。ここまでくるとちらほらと学校の生徒が見え始める頃で、そんな環境だから、男女が二人並んで登校している状況は、知り合いに見られたら面倒だ。特に、僕によく話しかけてくる相手という意味で、東海くんとか。


 彼女もそんな心境だったのだろう。キョロキョロと辺りを見渡すと、


「じゃあ、私は先に行きますね……あの、ああいいましたけど、助けてもらったことには本当に感謝してるんです。ありがとうございました」


 ぺこりと小さくお辞儀をして、小走りで行ってしまった。


「……律儀だなぁ」


 まあ、どうでもいいかと。僕は彼女に追いつかない程度に、学校へと向かった。


「おはよございまーす」


「おはよーっす」


「おはよーございます」


 教室に入ると、登校してきた生徒のコスプレ先生への挨拶が聞こえてくる。


「やあ、おはよう。もうすぐ夏休みなのによくもまぁ遅刻せずにやってくるもんだな。私は嬉しいぞ」


 と、コスプレ先生。まるで自分が高校生の時は遅刻していたかのような口ぶりだ。そのせいで、呆れているのか褒めているのかわからない。


「直沢もおはよう」


「おはようございます」


 先生と軽く挨拶をすませると、僕は自分の席に着いてカバンの中身を取り出し始める。


「直沢氏、直沢氏!」


 そんな僕の周りに湧き出すのは豚汁……東海だ。

 東海はブヨブヨの腹をたぷんたぷんと揺らしながら歩み寄ってきた。


 学校での僕の唯一の話し相手……あちらから一方的に話しかけてくるだけだけれど、まあ、冗談を言い合うくらいには面白いやつだ。


 こいつ、僕以外の人間と話している姿を見たことがないのだが……まあ、変なやつだしそれも仕方ないのかもしれない。


「どうしたの。朝から元気だね」


「ビッグニュース! ビッグニュースでございますぞ!」


「ビッグニュース?」


「そうですぞ! これを! これを見てくだされ!」


 そう言って取り出されたのは、一枚の写真だった。

 その写真は、一見、夜空を写しただけのように見えた。しかし、よくみるとうっすらと人影なようなものが写っているのがわかった。


「なにこれ」


「我、見てしまったのですぞ! 魔法少女が空を飛んでいる姿を! 顔は見えなかったでござるが、あれは確かに魔法少女!!!! FOOOOOOOO!」


「……とりあえず保健室いこうか」


「信じてないでござるな!? 本当ですぞ!? 本当ですぞ!!?」


「あーはいはい。すごいすごい」


「やっぱり信じてないでござるぅ!!!!」


 横でわいわいと騒ぎ立てる東海を適当にあしらいながら考える。

 これ多分、昨日の魔法少女……間切さんだろうか。

 ……まあ、なんにせよ僕がなにをするわけでもないのだけれど。


 せいぜい、やっぱり空も飛べるんだな、ちょっと羨ましいかもしれない。そんな程度の感想しか抱かない。


 だって関わりたくないし。



◆ ◆ ◆



 その日のお昼休みのことだった。


「先輩、一緒にご飯、食べませんか?」


「……………………」


 いつものようにぼっち飯……母さんの作ってくれたとてもステキな弁当を机に広げていると、教室にそろそろと入ってきた間切未来が、僕の机までやってきてそう言った。


 僕は目だけで教室を見渡した。


 間切未来は学校の有名人でも、化粧っ気のなさもあって、特別に美少女というわけでもないしーーそもそも外見で言えば中の上くらいだろうーー、僕自身はクラスではかなり空気である。


 そんな二人が教室で話していても、クラスメイト達は特に気にするはずもなく、雑談に花を咲かせていた。東海も、昼はいつも図書室に行っているので教室にはいない。


「関わりたくないって言わなかったっけ」


 そのことを確認した僕は、声量を特別抑えることなく、言い放つ。


 別に聞かれたところでなにがあるわけでもないけれど、お調子者とかに冷やかされるのは面倒なのだ。


「私は先輩とお話がしたいんです」


「僕はしたくないから帰って?」


「つめたーい。泣いちゃいますよ?」


「おすきにどうぞ?」


「ここで大泣きしたら、クラスの人に噂されちゃうかも」


 間切未来は泣き真似をしながら、ぺろりといたずら娘のように舌を出す。

 ……こいつ、僕を脅す気だ。


「……わかった、とりあえず座りなよ」


「わーい、ありがとうございます♩」


 間切未来は近くの椅子を持ってくると、僕の正面に座り込んで、弁当を広げた。


 箸で母さんの手作りの卵焼きをつつきながら、狭くなった机の上で頬杖をつく。



「で、話ってなに?」



「とりあえずライン交換しません?」



「やだ」



 一応、僕のラインにはクラスメイト数人が友だち登録されているが、全部消したいくらいにはラインという装置が嫌いだ。


 だって、僕がリズム系のスマホゲームをしている時に、画面上に通知が出てくるのである。あれのせいで視界が悪くなり、何度ゲームオーバーになったことか。


 かといって、通知を切れば、家族からの連絡、たまに流れてくるクラスラインでのお知らせや宿題の答えなどを見逃す危険もある。ぼっちやろうでも見るだけなら、そういうのは助かるのだ。素晴らしきかな、タダ乗り、フリーライド問題。


 そんなこんなで、ラインという装置はあまり好きではない。この様子だと、彼女は割と頻繁に通知をかけてきそうだし。


 だが、それは許してくれないのが間切未来という少女のようで、



「……グスッ」



「………………わかった、わかったから」



 泣き真似一つにも勝てない僕の弱さが恨めしい。


 間切未来は、顔にぱっと花を咲かせると、俊敏にスマホを取り出して、ラインのQRの読み込み画面を表示させた。


 めっちゃワクワクしてるのがわかる。僕になにをさせたいのだろう……まあ、だいたい予想はつくけれど。


「先輩、早く、早くっ」


「はいはい」


 僕がラインのQRを表示させると同時、彼女はすぐさまそれを読み込み、ペタペタとスマホを弄る。


 それから5秒と経たず、僕のスマホに流れるライン通知。


《先輩、よろしくお願いしますね❤️》


 なんて書かれている。差出人は、当然、間切未来だ。

 

 目の前にいるのにわざわざライン返事を返す必要性は感じない。そう思ってスマホをそっとポケットにしまい込む。


「それで、話って?」


 ハートマークには特に触れずにーー女子高生のソレにいちいち反応してたら気が回らないーー、本題を急かす。


「せっかちさんですね」


「無駄なことはしたくないんだ。時間の無駄だし、何よりめんどくさい」


「そうですか……私は無駄話で先輩と親睦を深めたいのですけれど、まあ、それは後に回すとしましょう」


 ーー雑談ならこれからラインでいっぱい出来ますからね。そう、呟いて、彼女は口角を小さくあげながら続けるのだ。


「先輩、私の活動、手伝ってくれませんか?」

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