ch.5 海と天
◇
歌の終わりとともに海龍たちは満足げな吐息をもらし、やがて安らかな顔で目を閉じた。
マウメヌハヌ妃が放心して立ち尽くす三人のところにゆっくりと歩み寄る。
「ありがとうエタリ。ふたりもね」
「過分なお言葉にございます。恥ずかしながら我が案にはございませんので、お褒めいただけるのならば、まずはこのトゥトゥを」
急な指名にトゥトゥの背筋がぎゅんと伸びた。
その焦り具合が可笑しくて、思わずアムは小さく噴き出す。
「ドク!」
「ごめん」
マウメヌハヌ妃は口に手を添え上品に笑った。
「あらあら仲良しねえ」
何かしらの弁明を加えようとトゥトゥが唇を動かしたその時、林の向こう側で爆発音が鳴り響き、火柱が上がり、熱風が木々を揺らして、髪をなぶった。
アムは咄嗟にトゥトゥの手を握っている。
「どうなってんだ」
握り返してくれたトゥトゥの腕は血管が浮き、筋肉が張り詰めている。
爆発が起こった方向は、アムとトゥトゥが漂着した浜。
ナガラコという名の海龍と青年がいるはずの浜だ。
セムタム族は爆薬を使わない。
もしかしたら作る技術はあるかもしれないが、彼らは戦争をすることに否定的だし(どんな荒くれ者のセムタム―――例えばトゥトゥであったとしても)、ふだんの漁の時も、あるいは龍に挑む時ですら、使うのは己が体と、自然物から作った片刃の剣や銛、棍棒、あるいは弓といった類のものだけだ。
アムがひやりとしたのは、アルマナイマ星に不法に入り込んだ他星の人間がいるのではないかということを危惧したからである。
それならば火薬を持ち込んだとしても、おかしくはない。
大規模な炎の威力からして、林の向こうから銃と炸裂手榴弾を持った地上装甲兵(バックパッカー)でも出てくるのではないかと、アムは身構えた。
そうなった場合、対抗する術はこちら側にはほとんどない。
どれだけ運動神経が良かろうと、エタリとアムは小刀しか持っていないし、トゥトゥは長剣一本、マウメヌハヌ妃は丸腰。
とても<エアカーゴに轢かれても無傷>という丈夫さがウリの装甲兵と戦えるとは思えない。
しかし予想に反して林の奥は静かなままだった。
アムはゆるゆると、知らぬ間に止めていた息を吐きだす。
その肩を、マウメヌハヌ妃がちょんちょんと叩いた。
「ドクター・アム、これを持っていて」
「アムで構いません。海底の女神様」
「あら、それなら私だってマウでいいのよ」
にこやかに笑ったマウメヌハヌ妃は、自身が羽織っている日よけの縁から下げられた艶やかな黒い石を外して、アムに手渡す。
素晴らしい職人の作と見えた。
石の風合いを生かし、ティコの花の形に整えられている。
続いてトゥトゥとエタリにも同じものが配られた。
「奥方―――ええと、マウ様。これはどのような役に立つものでしょう」
その言葉をアムが言い終える前に、海が騒めいた。
水面が淡く緑色に発光している。
波のリズムが変わり、まるで海全体が新たな鼓動を打っているかのようだった。
死を目前にした海龍たちは、それでも身じろぎひとつしない。
これから先の運命を既に受け入れているという感じがした。
「もう少し下がりましょう」
マウメヌハヌ妃に促されるまま、三人は林に向かって走る。
海が膨れ上がる。
巨大な緑色の卵のように。
それを割って、黒い海龍の蛇のように長い体が現れた。
空を突くような大きさ。
カヌーを転覆させたナガラコも大型のクジラ並みの体躯を誇っていたが、それとは比べ物にならない。
顔の大きさだけですでに、ナガラコの全長に勝るのではないか。
ならばその全身はどれだけ大きいのだろう。
黒曜石のような鱗には様々な文字がほの白く消えては浮かんでいた。
首の付け根から広がる水晶のように透明なひれが、陽の光を浴びて虹色に染まっている。
美しい、とアムは思った。
「<海龍の長>」
「我が王だ」
トゥトゥとエタリがほぼ同時にそう言う。
「さっきの人、本当に」
アムは信じた。
ナガラコに駆け寄った青年と、海の上に屹立する海龍の顔と、印象が似通っている。
人と龍ではもちろん顔の大きさもパーツも比率も違う。
それでも頑なな意志と、美しさと、家長的な器の大きさを感じさせる顔という意味では同一だ。
「石を頭の上に掲げておいてね。それは火の守りなの」
注意を向かせるように、ぱんぱんと手を打ってマウメヌハヌ妃が言う。
慌てて三人が石を掲げると、それに安心したように海龍は大きく息を吸った。
次の瞬間その口から火炎が迸って、三人はその熱風で林の奥まで転がっていった。
◇
どかりと胡坐をかいて座った青年、もとい人間に擬態した<海龍の長>アラコファルは自らの横の、柔らかな草地を嬉しそうに手で叩いて言う。
「さあマウメヌハヌ。お主の座はここだ。ここなら尻が痛くないぞ」
にかっと白い歯を覗かせて笑ったアラコファルを見ながら、細君は何とも言えない顔をした。
アムも、ああ言われたらそういう顔をするだろうなと思う。
反応に困るというやつだ。
「いつも思うけど、あなたの表現は女の子ウケしないのよ」
「左様か。焦げておらんところはここだけだ」
アララファルは豪快に、かかかかかっ、と笑った。
無邪気なのか鈍感なのか、どっちともか。
長々とした溜息をついた女神マウメヌハヌは、それでも旦那が撫でつけた草地におっとりと腰を下ろす。
それから、言った。
「ちゃんと謝りましたの?」
「謝った。謝ったとも。のう、
謝りましたあ、とアムとトゥトゥは声を合わせて言った。
エタリは額づいている。
無言の圧力をかけるアラコファルは、気合の表れか、少々顎が出ていた。
マウメヌハヌ妃は四者の顔を順に見渡したのち、
「まあそういうことにしましょう。あなた、いいこと、今後も焼きセムタムは作らないこと」
「わかっておる。そうくどく言うな」
「焼き島もだめ」
「わかったわかった。お主がそばにいるから大丈夫だ。な?」
この島は、夫婦の家であったという。
過去形なのはアラコファルが怒り任せて、つい先ほど焼いてしまったからである。
「あのう」
と、アムはおずおずと声を出した。
いつもトゥトゥに怒られる(そして学生時代は友人と恩師にも怒られた)のだが、こういう時のアムは空気を読むよりも知識欲が勝ってしまう。
好奇心は猫を殺すし、学者も殺す。
「なんじゃ」
アラコファルが眉をひそめて、こちら見た。
アムは、そのアラコファルの顔を見ながら、考古文明博物館に飾られていた地球の絵画を思い出していた。
エドという国(正式な名称は学者の間でも分かれている。古代の国の名を特定するのは難しい)で描かれていたウキヨエとかニシキエとかいうジャンルの版画を思わせる輪郭線を、人型アラコファルは持っている。
「あの、私、恐らく勉強不足だとは思うのですが、その、<海龍の長>様が火を吐けるとは知りませんでした。それに人型になれることも」
ふん、とアラコファルは鼻息荒く言った。
「切り札は最後に出すものだ」
「あのね、このひと大きすぎるからそのままだと人前に出れなくって、こないだ兄上様に言われてやっと変化の技を覚えたの。擬態は一億年ぶりの新技なのよ。不器用だわほんと」
頬に手を当てたマウメヌハヌ妃は可愛らしく微笑む。
「アララ馬鹿の事など蒸し返すな。不愉快だ」
海岸線で波頭が拳の形に盛り上がって、そこらの大岩を豪快に殴り壊す。
アラコファルの感情と海とが連動していた。
「いいじゃないの。おかげでアラコファル様とお話しやすくなりましたわ」
女神に言われて<海龍の長>がふにゃふにゃと笑み崩れる。
明らかに鼻の下が伸びているところなど、創世神話の三柱の神という金看板が剥げるのではないかというレヴェルで危惧された。
少なくともアムは危惧した。
「さ、あなた。時間は流れるのよ。幼子たちの時間は短いのだから、本題に入らなくては」
マウメヌハヌ妃が言った。
「ああ、そうじゃな」
「でもその前にエタリ。ほら料理を出して。食べながらでいいわ」
「……お口に合うかどうか。それに蒸しただけです」
「大丈夫よ。
アラコファルの顔に、さっと憂いの影が差した。
その憂いは、自分の炎で海龍たち―――つまり自分の子供たちを生きたまま焼かねばならなかった彼の苦悩に他ならない。
ほんの一瞬の影であったが、アムはその顔に、この龍が見た目よりもずっと繊細で滋味ある心の持ち主であることを気づかされたのだった。
エタリが焼石を掻き分けると、火の良く通った灰色蟹の甲殻が現れる。
甲羅の直径は約十五センチ。
アムやトゥトゥが暮らす群島域には生息していない、珍しい生き物だ。
島々の密度が低くなり、次の島まで出向くのにカヌーに乗って一か月かかるような疎島域の特産である。
高級食材だ。
下手すると
アラコファルがこちらを吐息で焼きかけた詫びにと、直々に持ってきたものである。
アムは胸ポケットのメモ帳がずぶ濡れになったことを酷く残念に思った。
エタリは龍の炎の中でもかろうじて焼け残っていたホピの枝を特大の箸のように操って、蟹を取り上げていく。
「やっぱりじじいは料理人向きだな」
と、トゥトゥ。
海龍の夫妻が顔を見合わせて笑った。
「じじいというには若すぎやせんか」
アラコファルが、くつくつと愉快そうに喉を鳴らす。
エタリはバツの悪そうな顔になって、
「この者は口が過ぎます。申し訳ございません」
と言った。
「
熱いので、アムは一度砂の上に置いて触れるようになるのを待つ。
隣のトゥトゥは指先の熱さにも負けず、小刀でさっさと甲羅を外していて、見ればカニみそと薄桃色の身がしっかり詰まっていた。
「なんでえドク、俺の灰色蟹を取って食いそうな顔して。自分の割りゃあいいじゃねえか」
「熱いのよ」
「ふむん」
トゥトゥはアムの蟹を取り上げると、器用に小刀を動かしてあっという間に甲羅を外してくれる。
それからエタリのスパイスが回ってきて、その絶妙な味付けには海龍夫妻も感心しきりとなり、ひととき、すべてを忘れた和やかな時が流れた。
<海龍の長>アララファルとマウメヌハヌ妃は、ぽつぽつと子供たちの事を語ったが、それは嫌みのない、本当の愛情から出る語りであって、この状況で聞いていても不快には思われないものであった。
ナガラコが二百歳くらいまで寝小便していたこと(海龍もするらしい)。
ホンタイナが飛龍を追っかけて島に乗り上げ、危うく干物になりかけたこと。
セリが本当に歌の上手な子であったこと(そしてさっき一緒に歌っていたこと)。
そこに新たな訪問者が現れたのは、トゥトゥが蟹の身を一欠片でも残したくないといった様子で、甲羅の中に顔を突っ込んで舐めまわしているのを、アムとエタリがステレオでたしなめている時のことである。
トゥトゥが腰に佩いていた黄金色の剣が、突然びりびりと振動した。
不意打ちだったために、驚いた拍子に顔にすっぽりと蟹の甲羅がはまってしまい、トゥトゥはパニックに陥る。
そこからが大変だった。
トゥトゥと腰の剣が別個にじたばたする、そのパワフルさに業を煮やして、ついにアラコファルが甲羅を殴り割らなければ、取り押さえるまでにどれだけの労力を要したのか、アムは想像したくない。
「トゥトゥったら、もしかして閉所恐怖症なんじゃない」
「何だって、ヘーショキョー?」
「狭いところで急に怖くなっちゃうの。他星の人でもあるのよ」
しょんぼりと座り込んだトゥトゥは顔から甲羅の破片を取り払い、それから、ぶんぶんと怒ったように震える剣を抜いた。
途端、電流が火花になって散り、トゥトゥは剣を放り投げる。
「ちくしょう、今日は貧乏くじだ」
帯電によって黄金色の剣は輝きを増していった。
そして閾値に達したところで、剣から天へと一筋の雷が駆け上がる。
その後には、剣の柄の上でひらひらと長い体を旋回させる、<黄金の王>アララファルの手のひらサイズミニチュア版が誕生していた。
総身黄金の鱗に覆われた体は長胴で、そこから三対六本の手足が出ている。
コウモリに近い、膜のある翼が大きく羽ばたいて、優雅に空中を泳いでいた。
翼を打つたびに雷光がその間を流れていく。
頭の横には螺旋状の角が一対。
瞳は深紅。
「胸糞悪い」
アラコファルが目を剥いて言う。
ミニチュア・アララファルは小さな体から、弟龍を馬鹿にしくさった空気を如何なく放射した。
「お前は相変わらずのたわけ、脳みそに筋肉の詰まった弟よな」
アラコファルが黄金の剣をへし折ろうとするのを制して、マウメヌハヌ妃がミニチュアに頭を下げる。
「兄上様」
「ああマウメヌハヌ。愚弟が迷惑をかけるな」
「いいえ。良き伴侶ですわ。それよりもまた珍しいお姿で」
アララファルは羽ばたきして、気持ちよさそうに宙返りした。
「うむ。只今は我が天におらんのでな」
「遊んでばかりのただ飯食らいめ」
「お前に言われる筋合いは無い。せっかく教えてやったのに褌一丁とはな」
「わからんのか。わしは素材で勝負しておるのだ!」
はっ、とアララファルは吐き捨てる。
「今度アロハシャツを送り付けてやる。着るがいい。少しは儂のセンスを見習ってな。代わりに蟹を寄越せ」
ふん、とアラコファルは鼻息を吐く。
「食えばよかろう。蒸したてがある。我が海の幸に腰を抜かすでないぞ」
<海龍の長>が顎をしゃくって焚火を示すと、<黄金の王>はがちがちと歯を噛み合わせた。
「今度だ」
「はあん、わかったぞ。その状態では食えんのだな。悔しかろう。ほーれほれ、こんなにミソがぎっしり詰まっておってなあ、おお美味い。ふっふん、ざまあみさらせ」
天の高いところで神鳴りの音がする。
<黄金の王>アララファルがへそを曲げていることは明らかだった。
このまま喧嘩が始まると(しかもくだらない理由で)、神話規模の絶滅戦争が起こりそうだったので、アムは口をさし挟むことにする。
というのも本来は一番仲裁しやすいはずのマウメヌハヌ妃が、二匹の龍のあまりの子供っぽさがツボに入ったのか、ともかく笑い転げていたからだ。
「我が王、その……」
弟に煽られた怒りそのものの色をした目で、アララファルが振り向く。
小さな体でも威圧感には神たる者の威厳があった。
「何故ここにいるのかと問うわけだな。推測してみよ。直答を許す」
「我が王は海の異変の原因をご存じなのではと」
アララファルは空中で一回転した。
黄金の体が、陽光を反射してきらきらと輝く。
「教えてやらんでもない」
「是非」
「が、今の儂は機嫌が悪い。機嫌を取れ、ドクター・アム」
アムはトゥトゥを見たが、トゥトゥは今日これ以上の面倒ごとに関わるのはごめんだぜ、という様子で首を振った。
そもそもこの気位高く、気まぐれなアララファルの取り扱いはアムの方が上手い。
何故なら彼の考え方はセムタム族というよりは、その興味の多くを振り向けている、アルマナイマ星外の人間の考え方に近いからである。
「どうして機嫌が悪いかわかるか。そこのアラコ馬鹿が馬鹿であることと、折角の有給休暇を無駄にしそうだからだ」
「ゆ」
アムはその一文字の形に唇を突き出して、不敬なことに、思わず突っ込みを入れた。
「有給って」
「<サニーデイズ>社は年に二十日の有給を取らせることになっている。約款にもある。我が脳髄にその程度のデータをインプットしたところで塵のようなものだ。それで?」
しばし絶句して天を仰ぎ、それから、
「お帰りの際には灰色蟹を用意します。<海龍の長>様には私からお願いします」
「ふん、よかろう」
アムはひらひらと尻尾を振りながら浮いている<黄金の王>を見て、胸を撫でおろした。
少なくとも雷に焼かれたり、全面対決に巻き込まれる危機は回避されたようである。
「見ろ」
アララファルのミニチュアが引っ込んで、共通語のニュース画像が空中に投射された。
丁寧なことにセムタム用の字幕もついている。
<黄金の王>は口は悪いが、心は善良だ。
そう思いたい。
辺境軍のスポークスマンが、兵器の誤投下をしたという軍の発表を読み上げている。
まことに遺憾であり、軍としては回収を行う予定であるが、それよりも心配なのは国際宇宙空港に赴任しているドクター・アムとの連絡が取れないことである、云々。
名指しされたアムは目を剥いた。
もし自分を捜索するという名目でアルマナイマ星に軍隊を突入させる気でいるのなら、そんなものは願い下げである。
画面が切り替わった。
次は文字の羅列である。
読み上げ音声が始まって、これが軍の作戦目録なのだとわかった。
アルマナイマ星で行う予定の生物兵器投下実験について。
それが龍をターゲットにした寄生体であること。
現在の投下数は五十五。
父母の住む島まで助けを求めにやってきた海龍よりも、はるかに多い数字だ。
まだ犠牲者がいる。
「くそ」
と、アラコファルが吐き捨てた。
―――落ち星モドキ。
アムの全身がざわざわする。
まるで、体の中にもうひとり別の誰かが潜んでいるかのように。
「わかったか」
映像が引っ込み、アララファルの金色の体が戻ってきた。
「敵は既に海に落ちている。アラコファル」
「馬鹿野郎!」
<海龍の長>は吼えた。
吐息が無色の炎になって、その姿を縁取る。
アムもトゥトゥもエタリすらも、揺らめく熱量の前に一歩下がった。
「馬鹿とはなんだ」
「お前はちっとも、心というものがわかっちゃおらん!」
アラコファルは胸をドンと叩く。
「わしはなあ、この手で子供らを焼いたのだぞ。お前、星を守るとか大層なことをぬかした割に、その尻拭いを我が子らに押し付けようというのか? あ? 言ってみろ! 賢いんだろう! 何故もっと早く気づかなんだアララファル。何故お前の空の領分で止めなんだ。何故……!」
アラコファルは踵を返した。
海に向かって一直線に走っていく。
マウメヌハヌ妃とエタリが慌ててついて行こうとしたが、アラコファルの鬼気迫る様子に途中で足を止めた。
その背を見送るアララファルは無言だった。
悔しいのだろう、とアムは察する。
アラコファルの言ったことは正論だ。
空から降ってくるならば、空に住むものが第一発見者にならねばおかしい。
それを、欺かれていた。
人間ごときに欺かれていた。
<黄金の王>のプライドは、かつてないほど傷ついているに違いない。
その龍に対して更なる追い打ちをかけなければならないことを、アムは悲しく思った。
「我が王」
「何だ」
「お伺いしたいことがひとつ」
六対の手足を尊大に組んでいる。
「ロロノマウというお名前は、王の眷属のうちに?」
「我が二〇一九番目の眷属だが、それがどうした。お主の空港に遊びに行ったか? さもありなん、あれは好奇心で生きておるが故に」
アララファルの機嫌の良さそうな声を聞くと、アムの心は沈むばかりである。
ああ、あれがただの夢であればいいのに。
そんな龍はいないと言ってくれたらよかったのに。
「昨日、私は夢を見ました。王よ、それはロロノマウが死ぬ夢でした」
旋回運動をしていたアララファルがぴたりと動きを止める。
「夢だと。夢の中で名乗ったのか、ロロノマウだと」
「そうです。私はロロノマウだった。彼女は落ち星モドキを追っているところを、海龍に噛まれて落ちました。王様、落ち着いて!」
今やミニチュアだけならず剣そのものの帯電の度合いが増していた。
まだ剣の上にいるのは聞く耳がある証拠だと信じて、続ける。
「最後に彼女は見ました。海面に広がった落ち星モドキは海龍とロロノマウをもろとも食べるところを。どうして私に遺言が届いたのかはわからない。でも、彼女の意識は言っていました。これはアララファル様にお伝えしなくてはいけないことだと、だから私は海の中で目を開いているのだと。王様、お願いします。彼女の言葉を無駄にしないで下さい。誰よりも早く気づいたのは、あなたの眷属だったんです」
「……ドクター・アム、急ぎ空港島に戻れ。この投下作戦には第二弾がある。お主から辺境大統領府にリークをかけろ。飛び切りの毒薬になろう。案ずるな、この会話が聞かれることはない。儂は遠くから通信を送っているわけではない。この儂も儂だ」
アララファルはふと瞑目した。
「ロロノマウがお主を呼んだのは、儂の息がかかった生き物として最も近い距離にいたからだ。つまり、一番空港島に近い位置にいるのが、あやつなのだろう。真っ先に島に上陸しようとする、その手前で……討たねばなるまいな」
咆哮の如き稲妻の音が空気を震わせる。
黒い雲が空に集い、不穏な風の唸りが島をどよもした。
「まったく有意義な休暇になりそうだ」
黄金の龍が牙を剥き出し天に吼える。
「儂に―――いいや、我らに挑んだことを後悔しろ人間ども!」
ぷつんと通信が途切れ、後には沈黙が残された。
消える間際、<黄金の王>が腹立ちまぎれに黄金色の剣を明後日の方向に投げ捨てていったので、トゥトゥは急いで拾いに行く。
「ドクター・アム、ごめんなさいね」
と、蚊の鳴くような声でマウメヌハヌ妃が言った。
「謝ってもらう必要なんて」
アムは恐縮して答える。
「だって、ドクターは生まれながらのセムタムではないのに、こんな恐ろしいことに巻き込んでしまって」
「私の望んだ道です。それに私は、セムタム族が好きで、この星を守りたい。そのためなら喜んでお手伝いします。私が元々暮らしていた世界の人々が、アルマナイマ星を汚そうとするのを、私は許さない……許したくない」
女神がアムを優しく抱きしめた。
背後の海では時折火柱が上がる。
寄生種は宿主としてより大きな生命反応を求めるようにプログラムされていると<黄金の王>は最後に言った。
それを教えられなくても、<海龍の長>には肌でわかったのだろう。
自分が聖域から出て身をさらすことで、それを探知した犠牲者たち―――彼の子供たちが、宿主を変えようと近づいてくるということが。
マウメヌハヌ妃はアムに手を回したまま、少しでも気をまぎれさせようとするように囁いた。
「あの人、ここぞという時は海底火山でマグマをひとのみしてくるの」
微かにしゃくり上げるように、マウメヌハヌ妃の肩が震える。
「そうすると炎を吐けるようになるんですか?」
アムが問う。
「ええ。でも使い時が無くって。不器用だから上向きには吐けないし、おなかも壊すわ」
「そ……そうですか」
「久しぶりに日の目を見たから張り切ったのねえ」
そう言うことで、少しでも笑い話に変えようとしている。
彼女もまた辛いのだ。
海龍たちは、マウメヌハヌ妃の子供でもあるのだから。
あのう、と、おずおずとアムは声をかけた。
怖いもの見たさならぬ怖いもの聞きたさである。
「久しぶりっていうのは、いつぶりです?」
マウメヌハヌ妃はしばらく考え込んでから、
「ざっと二億五千万年ぶりかしら」
と言った。
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