最終話 馬で金儲けして人生終了
完全無欠、何と聞こえのいい言葉だろう。だがそれはもはやどこにも入り込む隙間がないと言う意味であり、どうにも揺るがし難く動かしようがないと言う意味でもある。このひと月で同じ強盗に二回遭って一回目はカバンを奪われ二回目は無理にキスさせられ、挙句母親を人質に取られて実家に籠城されるなど私が犯罪の被害者・悲劇のヒロインでなくて一体何だと言うのだろうか。
「公衆の、と言うか旦那様の目の前であんな男にキスする事を要求されるなんて」
「全く、災難なんて言う言葉さえ生温いですわね…」
「ご祈祷でも頼んだ方がよろしいんじゃないですか?」
そして誰一人として、私を完全無欠の被害者足らしめている最大の根源があの男だとは信じてなどいない、いや考えもしていない。私が命を守るためにやむなく裸になったのではなく、あの男から逃れようとするために最大限の媚を売った事もだ。かろうじて考えてくれる(信じてくれるなどと言う次元はもう期待していない)とすればあの強盗だけだろうが、彼の世間の評価もまた強盗二犯強姦未遂一犯の極悪人として完全に定まってしまっており、そんな男が「相思相愛の家庭の中で幸せに暮らしている」私が「二度も強盗を働いて来た」自分に本気で愛されようとして服を脱いで迫って来たとか言った所で、その言葉を信用する人間が一人でもいたらそれは奇跡と言うより大事件、いや天変地異だ。
もう人生などどうでもいい、最後に一花咲かせて散ってやろう。そんな私の目の前に一枚の新聞が置いてあった。有馬記念?そうか、ギャンブルだ。馬で金儲けした奴はいないとか言うがまさにその通り、私の自由な人生の最後を飾るにはピッタリじゃないか。大負けした大損害であの男の心が離れてしまえばそれもよし。心はすぐに定まった。
勝敗など度外視、と言うか負ける為にやっているのだが一応新聞は見る。下手に適当に買って当たったりしたらそれはそれで問題だからだ。何せ人生最後の一花だ。私が生きていた証を残す為だと思うと、もう何も惜しくなどなかった。
18頭立ての18番人気の単勝、つまり買った馬が1着になれば当たりの馬券を五十万円。そして17番人気の馬と18番人気と馬の馬連、要するに買った2頭が1・2着に来れば当たりの馬券をこれまた五十万円。単勝の方が当たれば一億三千万円、馬連の方が当たれば五十億円だそうだ。まさしく億万長者になれるが、そんな鴨南蛮に奈良漬とタラの西京焼きとレバ刺しをくっつけたようなディナーが来るはずなどない。
あの男が朝からの大掃除の結果とは言え年末の昼間だってのにぐうたら横になっている中、私は二枚の紙くずをテーブルに置きながらテレビにかじりついていた。
「さあ直線に向かいます!先頭はまだウイニングタッチ!一番人気のキンセンはまだ中団だ、さあ間に合うのか!ウイニングタッチがまだ先頭!残り300、リードはまだ4馬身ある!二番手に上がって来たのはファイアネピア、いやあれは何とリターンユウだ!ものすごい脚で突っ込んでくるリターンユウ!残り200、ウイニングタッチとの差はもう2馬身ない!何と言う事だ!何と言う事だ!17番人気のウイニングタッチに迫って来るのは最低人気のリターンユウ、もう後続は全く届かない!残り100、ついにリターンユウがウイニングタッチを捕らえた!リターンユウ、リターンユウ、リターンユウ!!そして2着にウイニングタッチ………一番人気のキンセンは最後ようやく3着まで上がって来ましたが…………中山競馬場が静寂に包まれています………!」
次に気が付いた時、私はベッドに寝かされていた、そして私の前で多くの人間が手を合わせていた。私が体を起こすと、周りにいた人間が無事を喜ぶと同時に合わせていた手を離して一斉に私のあちこちを触って来た。全くもう、人の幸運にあやかりたいのはよく分かるが、と言うか今何時だ?えっ五時!?早く娘と夫の為に料理を作らないといけないので帰ってくれます?
――――――そう、私の人生はあの時終わった。これからの私はただ夫と娘と両親と、その内来るであろう婿や孫に尽くすだけの存在。便利なお人形さん。壊れた所で残る物は服ぐらいしかなく、体の方を顧みる人間は誰もいない。
ローンの先払いなどで消えたとしてもまだ何十億円単位の現金が残るはずだ、それでどうにでもなるだろ?あれは私が人生の最後に残した証、うかつに手を付ける事はできない。私を人間足らしめている最後の存在に手を付ける事だけはしたくない、人間としての最後のラインを守りたいから。
明日は二人して大金を受け取りに行かねばならない。昼間が適当だった分夜は豪勢に行こう、よし冷蔵庫の隅に残っていた肉ではあるが生姜焼きにするか。
ある人生の終末 @wizard-T
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